1999/5/15
日本最北端の


 もう、どれくらい走っただろう。あと、どれだけ走ればいいのだろう。あてどなく彷徨うその果てに、安住の地が待っているというのだろうか? 何を求めているのだろう? そして、それは手に入れることができるものなのだろうか? 旅人は所詮、旅人でしかないのか。どこへ行っても観光客でしかない自分に気づくときがある。結局は心の持ちようだ。ちょっとだけ人と違ったことをやってみることで、自分のポジションを確かめたかっただけなのではないのか。自分が自分であることに、自信がなかったのではないのか。
 富良野から旭川へ出て、そこから留萠を通って、日本海沿いの国道を北上しながら、そんなことを考えていた。

 まだ九月だと言うのにここまで来るともう、革ジャンを着て走らないと寒くてたまらない。空を仰ぐと見渡す限りの曇り空だった。非日常に疲れていた。さすらうことに疲れていた。ひたすらにアクセルを開け続け、風と戦い、雨と戦い、寒さと戦い、いいところなどひとつもない。退屈な日常から足を洗った筈なのに、非日常が、日常に変わりつつあった。
 もう、帰ろう。そう思った。そうやって考えてみると、日本中どこまで走っても、必ず帰る道があるのだった。その事実が俺の弱気に拍車を掛けた。
 駐車場のやたらと広いコンビニにバイクを停め、缶コーヒーを買って休憩する。甘苦いコーヒーを飲みながら煙草に火を着けて、地図を取り出してルートを確認する。どうやって帰ろうか調べていると、稚内まであと五十キロほどであることが判った。今日は稚内まで行って、そこで宿に泊まろう。どうせもう帰るんだ。金だってまだまだ余裕がある。久しぶりに何か旨いもんでも食うかな。そう考えたら、なんだか急に楽になって、また元気が出てきた。
 気を取り直して再びバイクを走らせる。目的地が決まったことで、さっきまでの倦怠感がどこかに吹き飛んでしまっていた。変わり映えのしない景色が、白黒からカラーになって見えた。

 一時間と少しかかって稚内の市街地に入り、時代がかった市庁舎のすぐ側の、古めかしい旅館に宿を取ることにした。
 部屋に通され、宿帳に住所と名前を書いていると、部屋に案内してくれたおばちゃんがお茶を煎れながら、「遠くからわざわざ大変でした」と言った。何気なく聴いていたその言葉を頭の中で反芻しながら、ああ、やっぱり観光客に過ぎないんだな、と思った。
 夕食を外で摂ることにして、久しぶりに荷物のない状態でバイクに乗って繁華街へ出る。繁華街とはいっても、実際にはちょっとした町の商店街程度の規模でしかない。その商店街の中の信号待ちで停まった角の、大きく「たこしゃぶ」と書かれた一軒の店に入り、ビールとたこしゃぶと簡単な料理を注文した。
 料理を待つ間に店の公衆電話から彼女に電話を掛けた。彼女はすぐに電話に出たが、相手が俺だとわかると、途端に不機嫌な声になった。まだ怒っているようだった。もう、帰ってこなくていいとまで言った。でも彼女は、そう言いながら泣いているようだった。何故、何でも一人で決めてしまうの? 何故、突然行ってしまうの? 何故、連絡してくれないの? 何故? 何故? 彼女の問いかけに、俺は一つも答えてやることが出来なかった。彼女の求めているものを、何一つ満足に与えることのできない、未熟な男だった。答えを言い淀んでいるうちに、テレホンカードの残り度数がゼロになり、ピーピーという警告音とともに、話の途中で電話が切れた。俺達の関係も、そこでぷっつりと途絶えたような気がして、運ばれてきた料理が、喉をうまく通らなかった。
 宿に戻ると、部屋には既に布団が敷いてあった。風呂に入って、自動販売機で買った缶ビールを飲みながら布団の上でぼんやりとしていた。さっきの彼女との電話で、帰る気力すら失ってしまっていた。進むことも出来ず、かといって戻ることもままならない。ライク・ア・ローンリング・ストーン。転がる石には苔はつかない。でも、転がり続けるうちに我が身を削り、色々なものを失っていくのだ。たぶん、転がり続けるうちに、水の中にでも落ちてしまったのだろう。底知れない深い深い水の中へ、いつまでもいつまでも落ちていくしかないのか。

 翌朝、宿を後にした俺は、北に向かってバイクを走らせていた。ようやく、考えて結論を出すのを辞める決心がついた。自分の感じるままを、素直に受け入れるだけ。走るのに飽きたら、何か他のことを見つければいい。それでもダメなら、走り出したい気持ちが盛り上がるまで、何もかも辞めれば良い。今、出来ること。今、やりたいことをやるだけだ。そして今は、日本最北端を目指すのだ。
 宗谷岬へ向かう海沿いの道からは、大きくうねりながら海へと落ちていくような佇まいの、いくつもの丘陵が重なり合った景観が印象的だ。束の間の緑に覆われたそれらは、今までに見てきたどんな風景にも似ていない。言葉では言い表すことの出来ない感動を、そのとき確かに感じていた。

 宗谷岬の駐車場は、沢山の観光バスやバイクや車で溢れかえっていた。岬のシンボルである三角のモニュメントの前では、記念撮影をする人達が入れ替わり立ち替わり後を絶たない。土産物屋からは、「宗谷岬」の歌がエンドレスで聞こえてくる。そう言えば富良野の駅前では、「北の国から」のテーマ曲がエンドレスで鳴っていたっけ。
 いずれにせよ、非日常の中に日常を持ち込まないで欲しい。そこを訪れる人達が抱いているイメージは、人それぞれの筈だ。それらを洗脳するかのような悪習に共感を覚えることはないし、かえってイメージダウンになるような気がする(現在では、宗谷岬でそういった歌曲を流すことは禁止されているようだ。富良野ではどうだかわからないが、その数年後に訪れた時には流れていなかったので、同様なのではないかと思う)。

 日本最北端の郵便ポスト、というのがあって、日本最北端の郵便局の消印が押される絵葉書が出せると、日本最北端の土産物屋の店先に看板が出ていたので、日本最北端で売られている絵葉書を一セットと切手を数枚購入して、友人に宛てて日本最北端の地で筆をしたためた。絵葉書をポストに投函して、日本最北端の駐車場の道を挟んだ向かい側にある、やはり日本最北端と書かれた食堂に入り、蟹が丸ごと一匹入った日本最北端のラーメンで昼食を摂る。トイレへ行くとそこには、日本最北端の公衆便所と書かれてあり、そのすぐ側には、日本最北端の公衆電話があった。よく考えてみると、そこで働く人達は日本最北端で働く人達だし、そこを訪れた人達は日本最北端の観光客なのだった。どうやら宗谷岬では、全てのものに「日本最北端の」という定冠詞を付けるのが習わしのようだ。
 ふと見上げると、日本最北端の温度計が、日本最北端の気温が十六度であることを示していた。


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