朝日遺跡の基礎

朝日遺跡では縄文時代にも人の生活の痕跡が見られますが、
具体的な姿が分かるのは弥生時代に入ってからです。遺跡南
西隅の貝殻山貝塚周辺に、弥生時代前期(約2300年前)の貝
塚群や集落を取り囲む環濠(かんごう)と呼ばれる溝が残され
ます。

貝殻山貝塚を残した集団は、弥生時代中期には集落を拡大し
朝日遺跡は都市的な姿を現します。遺跡中央を貫く谷の北に
位置する集落は、環濠と呼ばれる溝と厳重なバリケードで守ら
れた「環濠集落」の姿をとります。この頃から、死者を葬った墓
穴を、溝を巡らせることで周囲と区別する「方形周溝墓」が集落
の東西に多数作られます。特に東の墓地の中には一辺の長さ
が35mを超える、全国でも最大級のものが存在します。

弥生時代中期以降、谷をはさんで南北二つの環濠集落を形成
し、住居の形、墓、土器など、さまざまな面で変化をみせる朝日
遺跡ですが、銅鐸、銅鏡といった青銅器、さらにその生産技術
の保有、という特筆すべき側面もありました。

その後、古墳時代には、環濠の埋没に象徴されるように、推定
面積80万平米におよぶ弥生時代の巨大都市も終焉をむかえる
のです。


縄紋土器

竪穴住居跡

環濠内の貝層

方形周溝墓

下の図の中の写真をクリックすると、詳しい説明をみることができます。


宮腰健司(1992)「発掘調査からみる朝日遺跡の概要」所収の図を改変

もどる


Copyright(c)1997 Museum of Kaigarayama Shell Mound All Right Reserved.
To comment on this information : iy4t-ngc@asahi-net.or.jp