2. 意見交換会「長野オリンピック・パラリンピックを振り返って」


パネリスト:
佐藤喜一:長野オリンピック・ビッグハット(アイスホッケー会場)医務室救護班
三宅優子:長野オリンピック・メインプレスセンター(MPC)
パラリンピック・パラリンピック村式典班
藤江和江:長野オリンピック・ビッグハット入場ゲート班


司会:
西邦之 :長野オリンピック・MPC総務部、開閉会式会場サブプレスセンター
パラリンピック・白馬スノーハープ(クロスカントリー会場)会場運営班


司会:
ボランティア五輪とも呼ばれた長野五輪を支援したボランティアは3万人を数え,ボランティアは文化交流や輸送バスの誘導,改札,整備などに従事した。また、競技運営や式典では2,169人の自衛隊員も協力した。これだけ多くのボランティアが参加するということは、ボランティアを「つかう」立場であるNAOC と、実際にその下で動くボランティアのスムーズなコミュニケーションが重要になってくる。
では、実際にはNAOC・NAPOCとの関係についてはどうだったか。

藤江:
ボランティア経験そのものが初めてのことであったので、「ボランティア」ってこういうものという予備知識がなく、頼りになるのは組織委員会からの連絡だけという気持ちが当初はあった。
しかし、実際は登録してからの情報が少なく、不安な気持ちになった。その中で、研修などで知り合った他の仲間と連絡を取ることによって不安感を解消したという感じ。また個人で信濃毎日新聞を購読して情報収集した。
また、登録募集から実際の開催まで3年という期間があったにもかかわらず、実務研修が少なく、組織委員会の人たちとの人間関係を大会開催前の短期間で築いていくのが大変だった。配置が決まってから大会までの期間が4ヶ月しかなかったのも原因の一つだと思った。

三宅:
組織委員会の準備不足を肌で感じ、「前のリレハンメルから4年もあったのに、上の人たちはその間、何をやって何を見てきたんだろう?」という疑問がわいた。また、オリンピックの前大会として、1年以上前から長野でさまざまな冬季スポーツの大会があり、そちらについても手伝いをしたのだが、本大会では前大会で担当だった運営委員とは別の人が担当になっていたりということもあり、組織内での連携がしっかりしていないなと感じた。

佐藤:事前研修はあったものの、「机上の研修」が多く、もう少し実践に近い研修をやってほしかった。業務などにもよるが、前大会などで実戦さながらの研修をつむということがもっとあっても良かったのではないか。また指示命令系統が明確ではなく、もっとはっきりさせてほしかったなと思う。

司会:
NAOCとボランティアとの意思疎通、交流が「お互いの仕事のやり易さ」につなが
る。全体で約3万人のボランティアが働く中で、お互いがお互いをよく知り、仕事を任せる関係になるには、時間と信頼関係が必要だ。情報を分け合い、信頼関係を築くことで不必要なすれ違いを生まないというのも、大会をスムーズに運営していくにあたって重要なことだということがみなさんの話からわかったように思う。
再来年大阪で開かれる2001年東アジア競技大会のように、ボランティアの運営と管理を民間に委託するケースが出てきたが、ボランティアの立場からすれば、システムが優れていても、運営サイドとの信頼関係が構築されなければ大会は成功しないように思う。
また、研修内容も、大会の概要だけでなく、スポーツボランティアとして身につけるべき心構えや必要な専門知識を学べるようにしなければいけないと思う。
以上の点について、パネリストのみなさんの意見も民間運営会社の方には参考にしていただけたらと思う。
さて、それでは、情報の伝達については2つに分けて話したいと思う。大会前の情報伝達、そしてもう一方は会期中の業務に関する情報伝達だ。

佐藤:
自分が担当していた業務については、会期中に業務連絡の面で問題が生じたりということはなかったが、上層部の指示が観客と接する末端のボランティアまできちんと伝わり切っていたのかという点では疑問が残った。
また、突発的なことが起きた時に誰に聞けばいいのかがはっきりしないまま、大会が始まってしまったという事態も見受けられた気がする。

藤江:
大会が始まる前の情報については、NAOCからは会報だけが送られ、しかもその回数も少ないという状況で、事前のいろいろなことについては自分で調べるしかなかった。
大会に入ってからのほうが、毎日のミーティングなどでいろいろと確認ができ、スムーズだったように思う。
あのころに比べ、今はさまざまな情報伝達手段が(電子メールなど)発達しているので、今後はいろいろな手段が取れるのではないかと思う。

司会:
3年前(オリンピック開催前)に行われたアンケートにおいても、「大会前の情報不足」ということはよく言われていたことだ。今回も、発言があったように、一応会報は郵送されてきたものの年に4回程度というだけでは、ボランティアの大会への関心も薄れ、やる気も失せることになる。また、あまりに連絡がないと本当にボランティア登録がなされているのかという不安も生まれるものだ。
主催者側から事前に多くの情報が発信されることで信頼関係が出来、またボランティアの自覚も生まれ、質の高いボランティアが育つのではないか。

ここで情報収集の手段として実際にどのようなものがあったか少しご紹介すると、まず、NAOCはインターネット上でボランティアの人たちの情報交換スペースとして、「長野オリンピックボランティア会議室」という掲示板を開設していた。ヒット数も多く、それだけボランティアの人たちが情報に飢えていたことを示しているように思う。大会が始まった当初は、その掲示板ではまだ長野入りしていないボランティアへ、長野入りしているボランティアから情報が発信されていた。
また、大会期間中のボランティアの情報交換手段としては、IBMの大会情報システム「INFO'98」に新たに「ボランティア会議室」をNAOCが開き、多くのボランティアに利用されていた。また、これはボランティアが仲間のために実行したことだが、「INFO'98」が使えなくても困らぬように、MPC(メイン・プレス・センター)では毎日「STAFF KAWARABAN」という情報誌を出していた。
今回の五輪大会ではボランティアには携帯やPHSなどはほとんど支給されなかった。ただ、部署によって通信手段の確保の必要があったと思う。今後はPHSが通信料も安く内線としても活用可能なので普及するのではないか。
大会会期中は、多くのボランティアが、運営スタッフ以外のさまざまな人たちとかわっていくことになる。実際にはどうだったのか。

三宅:
MPCを担当していたが、たとえば、パソコンで選手や競技結果についての情報を引き出すということ一つを取ってみても、外国人記者には日本語以外の言語での説明が必要で、それがなかなか難しかったと感じている。公式言語である英語・フランス語を理解できる人がプレスとして派遣されているかというと、実際は全く英語もフランス語もわからない記者もおり、そういった人たちとのコミュニケーションは特に大変だった。部署によっては絶対に間違えられないという厳しさも求められたので、甘い心構えは禁物だということを痛感した。しかし、業務の面での厳しさもあったが、感謝の気持ちを表してもらえると、やりがいを感じることもできた。

来場者:
私はドーピングコントロールの担当であった。業務自体が非常に正確さを要求される内容であったため、研修も厳しく、本来は賞賛されるべき選手たちについても「監視の目」でしか見られないということもあった。また各チームと業務の担当者の相性がうまくいかないと、業務内容が内容なだけに、不穏な感じになってしまうということもあった。
大会が進むにつれてそのようなトラブルは減ってきたものの、実際に現場に出てみると研修で覚えたことだけでは足りずに機転や判断を要求されることが多く、現場で覚えることが非常に多かった。事前研修での専門知識の他に、もっと視野を広くして、競技の流れなど知識や情報を増やすことが重要だと思った。
もう一点、スポーツボランティアが、他の福祉などのボランティアに比べ遊びっぽいと誤解されやすい要素のひとつでもあるのだが、「イベントスタッフならではのうまみ」というものがある。いくら選手にサインをもらったり、一緒に写真を取ったりしてはいけないと規則で言われても、目の前に「世界でも有名なアスリート」が立っていたら、規則に絶対に従えと言うのは難しい。実際に、ボランティアに参加するにあたってそういった部分だけにひかれて来る人も多いといい、このあたりがボランティアの意識の問題となる。なぜ禁じられているのかという点をスタッフ一人一人がもっと認識しなくてはいけないと思う。
また、プレ大会とオリンピック本番では選手もスタッフも気持ちが違うことから、プレ大会では許されたかもしれないボランティアの規則破りも、本番では選手や観客にいやな気持ちを与えてしまうものだ。だから、「ボランティアのうまみ」とは、「選手とともに感動を共に味わえること」と理解すべきではないか。

藤江:
入場ゲート班であったため、観客から別会場への交通手段などを聞かれることが多かった。観客にしてみればNAOC職員もボランティアも関係なく、スタッフユニフォームを着ていれば皆同じ「スタッフの一人」にすぎないので、「わかりません」「知りません」では済まないことばかりであった。各自で観客の要望に応えられるだけの情報を持っていることが大切だと思った。
また、チケットの何をチェックするのかということを事前研修で聞いてはいたが、いざ本番というときに混乱してしまい、観客もスタッフも混乱、ということも最初はあった。そのため、チケットの確認をするスタッフ以外に常に自由に行動できるスタッフを一人置き、苦情やトラブル処理などを任せることにした。それ以後は業務がスムーズに運ぶようになった。
観客が混乱することなく楽しめるようにスタッフが工夫をすることは必要だと思う。ボランティア同士の連携で、必ずしもマニュアル通りにならなくても、工夫すればいくらでも観客を楽しませ、我々もまた楽しむことができるという点も、大会を通して感じたことである。

司会:
補足だが、内外のマスコミ関係者とともに仕事をする際には、マスコミの仕事は時間との勝負だということに大会スタッフやボランティアは慣れる必要があるようだ。我々が職員だろうとボランティアだろうと考慮する暇はなく、それだけ、ボランティアに要求される水準が高く、その責任も大きかったように思う。ここまでの意見交換の内容について、元NAOCのNOC 課の宮崎清孝氏はどうお聞きになったか。

宮崎:
情報伝達について、ボランティアの皆さんが話されていた連絡系統の不備については、NAOC内でも問題になったことの1つである。例えば輸送ということを見ても、警察や市町村との兼ね合い、バスの手配状況(台数など)を主催者側がしっかりと把握し、決めてから、ボランティアの人たちに指示を出さなければならなかったのだが、実際はNAOC内でも連絡系統がはっきりしていなかったために、状況の把握や対応決定に遅れが出た。
また、大会前の連絡ということでは、今後このような大きな大会が開催される場合は、郵便では非効率的な面が多く、メールでの連絡が主流になってくるのではないかと感じている。
大会中もボランティア同士のネット連絡室が開かれるのであれば、より具体的な連絡も伝わりやすいだろうと思う。NOCアシスタント には計6回の専門研修をNAOCが行い、またボランティアをまとめるボランティア担当者も、ボランティア側の要望に沿って設け、NAOCとの業務を円滑に遂行できるようにした。また、NOCアシスタント間の情報交換手段として「INFO'98」に会議室を作り、ストレスの発散や情報交換に役立ててもらった。

司会:
実際にボランティア同士、仕事を進めていく上での関係はどうだったのか。

来場者:
実際にボランティアに行くまでは、いじめられたらどうしようとか、色々と不安もあったが、現地へ赴いたらボランティア同士の関係は良く、そのため、業務そのものもスムーズにこなすことができたと思う。

司会:
事前の班づくり、グループ作りといった、ボランティア同士のネットワークというものは重要ではないか。お互いが合わずに業務が円滑に進まなかったり、途中で止めてしまうのも事前の理解や認識不足が原因ではないかと思うからだ。私たちBIND−AIDを考えても、事前に知り合った仲間が大会の様々な所にいるという点で、お互いに大変心強く感じた。又、大会前は一人であっても、大会期間中にグループを作っていくことで、交流が図れるのではないか。
さて、ボランティアに参加する場合、普段の生活にも一定の影響が出てくることを認識する必要がある。本人はともかく、周囲の理解というものをどう考えればよいだろうか。

佐藤:
オリンピックのように開催期間が長いイベントでボランティア活動をしようとした場合、職場を長期間空けることになる。そうなれば当然職場にも影響が出てくることになり、「仕事とボランティアどちらが大切なのか」という反発も招きやすい。
自分自身は、ボランティア登録直後から職場でも登録した事実を報告すると同時にオリンピック準備にあたっての話などをすることで、周囲にもオリンピックについての認識を深めてもらうようにした。
しかし、「災害ボランティア」に比べ、「スポーツボランティア」というのは遊び感覚なのではないか、という誤解を世間一般がしているのも事実であり、中には長野オリンピックのボランティアに際して「ボランティア休暇」として認めてもらえず会社を辞めざるを得なくなった人もいた。もう少し、スポーツボランティアも、遊びではなく社会を支えるボランティアであるという認識が世間に深まればよいなと思う。
また、長野オリンピックでそうであったように、組織委員会などの主催者側が「○○さんを××というスポーツイベントのボランティアとして何月何日まで必要としているのでご承認下さい」といったような書類を出すようなサポートをしてもらえると、参加しやすくなると思う。

藤江:
私の場合は全くの主婦であり、家族も長野オリンピックのボランティアに参加したいといったことに対して賛成してくれたので、家族の理解という点では恵まれていたなと思う。ただ、そういう中でも自分なりに家族にも話をしたり、いろいろな資料を見せたり、長野の組織委員会の見学に一緒に行ったりと、より理解してもらうための努力は続けてきた。そのため、家族が「理解してくれる」から「協力してくれる」ように変化したように思う。

司会:
ボランティア活動をしていない時間帯の、現地での生活はどうだったか。

三宅:
私の場合は、オリンピックの時は北長野にある身障者リハビリセンターという、オープン前の施設を宿舎として使っていた。主催者側で用意してくれた施設だった。宿舎の設備などはすばらしく、過ごしやすかったが、会場までの交通の便があまりにも悪いという点が困った。また、宿泊期間の長い人の場合は4人部屋や2人部屋といった普通の部屋を使うことができたが、3日とか1週間といった宿泊期間が短い人に関しては、大会議室のようなところにベッドが25個並んでいるだけといった部屋が割り当てられ、プライバシーの確保が出来ずに悩む人も多かったようだ。
同じ部屋の人でも、業務シフトの違いによって、Aシフトの人がやっと眠りについたころにBシフトの人が帰ってくる、あるいは出発の準備をするといった状況で、1部屋の人数が多くなればなるほどその状況も頻繁に起こるため、体を壊す人も出た。出来れば、もう少しボランティアやスタッフの宿泊についても考えて欲しかった。パラリンピックの時は選手村の中に宿舎もあったので、特にこれといった問題は感じなかった。

藤江:
県内にある一軒家から通勤していた。業務よりも通勤の方が大変だったくらいだ。宿泊どうこうということ以外では、お弁当がいつも同じ業者が作ったもので数少ない種類しかなく、だんだん飽きてきてしまい、つらかった。また、お弁当ならではの冷たく、濃い味付けもいやだった。それぐらいだろうか。

司会:
オリンピックとパラリンピック期間中はボランティアの宿泊場所でユニフォームの紛失などがあった。やはり身の回りの管理や貴重品の管理は自分で責任を持ってやる必要がある。また、勤務地までの交通手段の確保が大変だったことは、今後同種の大会がある場合に、主催者側に留意してもらいたいだと思う。しかし、同じ部屋に異なるシフトのボランティアが混ざってしまうのは、それぞれの参加期間が異なるのだから仕方ないと思う。
これまでのパネリストや会場からの話について、元NAOCのNOC課大陸担当で現在はJOC 職員であるハート・ララビ−さんはどうお考えになったか。

ハート:
とくに印象に残ったことが2つある。まず、情報伝達という話の中に出ていた「4年もあったのに組織委員会の人達は何をしてたんだろう?」ということ。そして、「事前の研修だけではわからない、現場に出てから必要になったことがたくさんあった」ということだ。これは、組織委員会から来た現場のトップの人たちも、情報をあまり持っていなかったことによるのだろう。視察を重ねるといっても、その視察に赴くのは実際に現場で指揮を取る前線の人ではなく、むしろ大会中もVIP待遇として観客席にいるような役職の人たちばかりであり、現場で実際に仕事をする人間は何も視察ができなかったというのが現実である。
また、主催者となる地方の役所に以前のオリンピックの経験者がいない、というのも大きい。オリンピックを始めとしたさまざまな大規模イベントが割と頻繁に開催されるアメリカのように、ソルトレイクシティーがアトランタの経験者を引っぱり出そうといったことができない。
このようなことが重なってしまい、実は蓋をあけてみれば、そういったスポーツイベントの現場を良く知っているのは「使う」側である組織委員会よりも「使われる」側である経験豊富なボランティアだったということもあったわけである。
しかし、そのことさえもなかなかトップには理解されないことでもある。今後は組織委員会もボランティアの人たちを「お手伝い」的に子供扱いするのではなく、大切な情報源なのだというように認識を改めてほしいと思う。

来場者:
94年の広島アジア大会や96年の福岡ユニバーシアードなど、様々な大会でボランティアをしてきているのだが、前の大会の反省点などが次の大会に全く反映されていないということを感じる。主催者である地方自治体は「役所」であるし、あまり体裁の悪いことは外部に向けて発表しないのだろうと思う。その体裁の悪いことや失敗したことこそ次の大会に引き継がなくてはいけないことなのではないか。フィードバックすべきことは、組織委員会のほうでも居ずまいをただしてきちんと報告し、次にどこかで開かれる大会に引き継いでいくべきだと思う。



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