こ こ ろ の 在 り 様



日々のこころ

こころとは何だろう! 喜怒哀楽の感情の源であり,意識や思考の源であるように思う。もっと奥深くには私たちが気付かない潜在意識と共に魂というものが要の源泉かも知れないと思っている。 いずれにせよ,気持ちも持ち方で気が楽になったり,気が重くなったりもするから「気持ち=こころ」と考えれば、こころの在り様でどちらにでもなるようだ。

明日の試験が心配だな・・・大事な仕事がうまく行くだろうか・・・などと心配し始めるとますます気が重くなり気が滅入ってしまう。やるだけやって後は天にお任せしよう、とにかく頑張ってみようと思えば気が楽になり、いつの間にか熱中して心配を忘れてしまっているなんてことはありませんでしたか。たとえ余りうまくいかなかったにせよ,これで良い。次にはもう少し何とかしてみようと思いきる心の置き換えができるようになれば良い方向に向かって行くようになると思う。

 

愛別離苦

 しかし人生最大のストレスと言われている愛別離苦は,そう簡単にこころの切り替え,置き換えができないのが普通ではないでしょうか。愛する妻子や夫との死別、いとしい人との永久の別れなどこころに重くのしかかり気持ちの切り替えなど思うに任せない。そんなことがすぐにできたら聖人か悟りを開いた人か、常人の私達でないことは確かだ。起きてしまって元には戻れない現実は避けては通れない。避けても避けても後から追ってくる。

そうだとすればすべてを受け止め受け入れてしまうしかない。もうこの世では会えない,悲しい,辛いことを思いの丈、自分の感情のままに泣いて悲しみ洗い流してしまおう。いつの日にか悲しさ辛さが良い思い出でだけに変わるときがくる。込み上げる感情を押さえてばかりではストレスが溜まって、許容量を超えたらパンクしてこころと身体のバランスが崩れてしまう。折角神様が感情と言うものを与えてくださったのだから込み上げる感情を吐き出そう。ただ自分以外の人にひどい迷惑をかけないことだ。何故ならみな人に支えられて生きているのだから。

こころの病は身体で治し,身体の病は心で治すのだそうです。だからこころが少し落ち着いたら多少無理をしてでも外に出て散歩し,自然と語り合ってみるのも良いでしょう。

 

生老病死

この世に生を受け誰もが避けて通れないことがある。すべての人に平等に与えられている「生老病死」がそれです。短かろうが,長かろう人生であろうが必ず訪れてくる人生の苦しみであり何人たりとも逃れられないことになっている。人生にはいろいろな出来事があって愉しいことばかりでなく,むしろ辛く苦しいときのほうがずっと多いことだろう。生きること自体が大変なことです。若いときは見るもの聞くものすべてが初めてで,どう対処したら良いか悩むことも多く、年老いれば自分の思うように身体が動かず,病に伏せれば痛みに耐え忍び,やがて訪れるであろう死を迎えなければならない。だからと言って無茶苦茶な自暴自棄に走っては,そのツケが回ってきてよけい生老病死に苦しむことになる。

誰にでも必ず訪れてくることを自分で受け入れられない,受け入れたくない気持ちから無茶苦茶,自暴自棄に走ってしまうのではなかろうか。避けられない,逃れられないことなら受け止めこころから認めてしまおう。その上で,いつの日にか訪れるであろう生老病死の難題をどういうふうに捉えどういう_こころの在り様で乗り切ればよいのかこころの準備ができていれば、それなりにショックは和らぐであろうし,立ち直りも早くなると思う。日々こころの在り様を自分なりに考えてみよう。きっと良い方向に向かうようになるでしょう。