心 の 世 界 こ そ 本 当 の 自 分



私達が実際に行動している世界は心の世界とかけ離れている事が多分にあると思う。いろいろなしがらみや自己を守るため,利益のためなどを考え、自分としては必ずしも望まないことを行動したり,言動に走ってしまっていることもある。それは自分にだけしか分からない場合のことも多いのではなかろうか。通常はあまりにも自分の心とかけ離れた不正義や不道徳を行ってしまったとき、自分の心との葛藤が自然発生的に始まる。後でその修復のため,償いのためにはそのときの何倍か,何十倍か、大変な時間が費やされ、なおかついつまでも心の痛みとして完全に忘れ去り消えてしまうことはないでしょう。それと云うのも人の心は本来本当に純真無垢でキラキラ輝くダイヤモンドのようなものだからではないだろうか。それが体の成長につれ、いろいろな環境下のもとに汚れ、輝きが失われてくる。またあるときには本当に心洗われる思いをすることに触れることもあり、本来の輝きを取り戻すこともある。心はいつも自分と本当の自分との間で揺れ動く。日々の一瞬いっしゅんの行動が本当の自分の心に近ければ葛藤もなく平安な安らぎで送ることができるのでしょうが…。
本当の心の世界ほど何物にも束縛できないまったく自由な世界はないと私は考えている。心の世界は何でもできる。自分の見聞したままに、経験したままに,感じ取ったままに心が受け止めている。美しいものは美しい、汚いものは汚い。ただそれが自分に影響を及ぼすであろう対象との係わりの中では、自分の言動と一致することが少なくなる。自分にとって何の悪影響もない対象との係わりの中では、心が受け取ったままの言動になる。大自然の中で一人美しい夕日を見れば『あぁ・・何ときれいな夕日だ』と呟くか,叫びたくなる衝動に駆られるでしょう。なんて汚い夕日だ、見たくもないと云う人がいるだろうか。現世では心でどう受け止めていようと,言動にそのまま現さなければ何ら自分にとって影響はない。つまり心はまったく自由で何を創造しようが誰にも分からないからである。大成功者になったことを創造しようが,宇宙の果てまで旅行しようが、夢みたいなことでも何でも自由に創造できる世界が心だ…であるからこそ『こころの在り様』が大切に思う。キラキラ輝く本当の自分の心を保ち続けるために、思い悩むとき,苦しいとき,辛いとき、はたまた至福のときも自分の本当の心に問うてみよう。心静かに。きっと何か良いアイデアが浮かんでくることでしょう。