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          伝統的価値観破壊と反戦の意思−薪伝実験劇団『地雷戦2.0』

                                                                          瀬戸宏
*『シアターアーツ』58号(2014年春)掲載。転載にあたって一部修正。

                                                                                
  二〇一三年十二月六日夜、フェスティバル/トーキョー(以下、F/Tと略記)13公募参加演目の薪伝実験劇団『地雷戦2.0』を大阪からピンポイントで上京して観劇した。演出はワン・チョン(王?)で、劇の構成も彼である。この演出家の作品はまだ観たことがなかったが、ワン・チョンが近年中国に出現した若手演出家の中で最も活躍している人物だと言うことは知っていたので、年末の慌ただしい時期ではあったが大阪から上京することにしたのである。劇場は池袋のシアターグリーンで、観客は七割程度の入りだったが、観劇して大きな感銘を受けた。まもなく、F/T13の十三公募演目のうち、新しい価値を創造する作品・アーティストに対して贈られるF/Tアワードを『地雷戦2.0』が受賞したと聞き、なるほどと思った。
 
 ワン・チョンについて、簡単に紹介しておこう。一九八一年生まれの男性である。大学受験準備時期に、孟京輝演出『ある無政府主義者の意外な死』、張広天・黄紀蘇ら『チェ・ゲバラ』、中央戯劇学院卒業公演の三つの劇を観て、演劇を志したという。中央戯劇学院を受験したが合格せず、北京大学で法律を学んだ。北京大在学中も演劇に親しみ、林兆華の助手となり、卒業後ハワイ大学留学の奨学金を獲得して演劇を学び、修士の学位を得た。帰国後、中国で八○後と言われる一九八〇年以降生まれの世代を集めた薪伝実験劇団を組織し今日に至っている。「平凡で底の浅い北京の演劇に満足せず、演劇の新しい美学を探し求めることを目的とする。私たちは演劇を通して中国社会の過酷な現実を注視し、実験芸術の先端を探索する。劇団の創作方法は、記録的な演劇、極端な言語と肉体の表現、演劇と映像のボーダレスな探索を含む」(劇団公式サイト)と自らの芸術路線を表明している。
 
 薪伝実験劇団公式サイトには、これまでの演目や主要劇評が掲載されており、ワン・チョンと薪伝実験劇団の活動概要を知ることができる。薪伝実験劇団上演の劇はすべてワン・チョン演出で、これまでエンスラー『ヴァギナ・モノローグス』、シンメルプフェニヒ『アラビアの夜』、ミュラー『ハムレット・マシーン』、曹禺原作『雷雨2.0』などを上演している。北京での青年演劇祭などで認められ、現在中国で最も注目されている若手演出家となった。アメリカ、カナダ、フランスなどでの公演歴がある。日本には、これ以前に利賀フェスティバルに参加している。実験演劇である薪伝実験劇団の活動では生活していくことはできず、ワン・チョン自身は翻訳で生活を維持する収入を得ているという。
 
  『地雷戦2.0』は一九六二年製作の中国映画『地雷戦』が下敷きになっている。『地雷戦』は日中戦争(抗日戦争)期に地雷で日本軍に抵抗した山東省抗日民衆ゲリラの物語で、正義が悪漢をやっつける娯楽活劇としてみるとよくできており、今日でも繰り返し上映されており、DVDも簡単に入手できる。映画をもとにテレビドラマ化もされている。
 
  『地雷戦2.0』は開演前から劇場内で『地雷戦』主題歌の音声が流れている。字幕がついていた。舞台には小型トランジスター・メガホンが並べられている。このトラメガは、大きさも価格も地雷とだいたい同じだそうで、劇中でもトラメガとして機能したり、地雷になったりする。俳優二人が現れ、トラメガで地雷の爆発音をまねた擬音を語ると、トラメガを後ろに置いて退場。俳優は、男女ともズボンにランニングシャツという衣装。こうして劇は始まる。地雷を使った戦闘シーンが、かなりコミカルに展開される。兵士が地雷をしかけ、その地雷で敵側の兵士が倒れる。まもなく倒れた兵士に扮した俳優は、今度は地雷をしかける役になり、さきほど地雷を敷設する役だった俳優は、地雷で倒される兵士の役を演じる。このように、攻撃する側とされる側が頻繁に入れ替わる。地雷にもさまざまな種類があることが説明されたり、俳優たちが高射砲、飛行機、馬、牛、赤ん坊などを表現したりもする。
 
 上演の終わり頃、明らかに原爆を模した模型が上から降りてくる。リリーマルレーンの歌声が流され、昭和天皇のポツダム宣言受諾、無条件降伏の詔勅が中国語で朗読される。俳優たちは鎮魂の意を込めてか原爆の周囲を回り、原爆は再び上に上がっていく。こうして上演は終わる。
 
  『地雷戦2.0』での戦闘シーンゲーム化は、明らかに『地雷戦』を踏まえている。『地雷戦』も日本軍との戦闘が遊戯化され、観客は日本軍兵士が倒されるたびに痛快感を得るのである。
 
 しかし、『地雷戦2.0』は『地雷戦』と根本的な違いがある。劇が始まってまもなく、女優二人が、一九八四年に対越戦争で地雷によって死亡した烈士の名を次々に読み上げ、字幕でも映される。みんな二十歳前後の若者である。(終演後、ワン・チョンと話す機会があったので、対越自衛反撃戦争−中国側の呼称−は一九七九年だったと思うが、と尋ねたところ、日本ではあまり知られていないが一九八四年にも中国ベトナム間で戦闘があったとのことだった。)中国に侵攻した日本軍をやっつけた『地雷戦』に、ベトナムと戦闘した中国軍の死者を対置することによって、『地雷戦』を相対化するのである。『地雷戦』は、中国抗日ゲリラ側は正しく日本軍は悪い、という絶対的価値観をもとに作られているが、その世界を壊すのである。攻撃側と被攻撃側が頻繁に入れ替わるのも、価値基準相対化を示しているのであろう。そしてこの善/悪評価基準相対化とコミカルな演技を通して、劇は反戦を強く訴えている。
 
  『地雷戦2.0』は、いわゆる前衛劇、実験演劇だが、たいへんわかりやすい劇である。そのわかりやすさ故に、ワン・チョンらは十一月に日本公演準備を兼ねて北京で『地雷戦2.0』を上演しようとしたところ、当局の審査(検閲)を通らず上演禁止になったという。私は、上演禁止になったこともさりながら、現在の状況下で『地雷戦』の価値観相対化と反戦を訴える劇を上演しようとするワン・チョンらの勇気に、強い感銘を受けた。日本側では北京で上演禁止になったことを驚く声もあったようだが、この劇が表現している内容を考えると、北京での上演禁止でことが済んだのが不思議なくらいである。『地雷戦』の価値観は、そのまま現在の中国共産党・中国政府の公式価値観だからである。よく出国禁止にならなかったものだと思う。たとえば一九九〇年代にブルュッセル演劇祭に『ゼロの記録』で参加しようとした牟森が出国禁止になるなどの前例もあるのである。ただし『地雷戦2.0』は東京公演終了後、中国国内の杭州で上演されたとのことである。
 
  上述のように、この『地雷戦2.0』は、F/Tアワードを受賞し、来年のF/Tに主催演目として招聘されるとのことである。これまで中国現代演劇の紹介に努めてきた者として、最先端の中国演劇が日本で高く評価されるのはたいへん嬉しいことである。しかし、F/Tアワード審査経過を記したF/T公式サイトの文章を読むと、フェスティバル関係者は、やむをえないことかもしれないが、現在の中国で『地雷戦』と対ベトナム戦争を併置することがどんなに勇気のいることか、理解していないと感じられた。
 
  日中間は、現在も尖閣諸島(釣魚島)を巡って一触即発の事態が続いている。昨年末大きな争点となった特定秘密保護法も、明らかに日中関係緊張を制定の背景としている。このような情勢の中で善悪価値基準相対化と反戦を訴える作品を創作する若い中国人芸術家が存在しているということは、日本国内でもっと知られてもいいと思った。
 
 ワン・チョンが今後どのような道を歩んでいくのかはわからない。強い前衛性から出発しながらまもなく商業主義に走っていった孟京輝という先例もある。しかし、『地雷戦2.0』が将来への可能性を感じさせる作品であることも確かである。ワン・チョンと薪伝実験劇団の今後に注目していきたい。なお本稿執筆にあたってF/T事務局のご好意により、『地雷戦2.0』東京公演記録映像をみることができた。F/T記録映像は、事前連絡して事務局に出向けば誰でも観ることができるとのことである。