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吉田世志子『老舎の文学』を読む
*「老舎研究会会報」28号(2014年9月)掲載。会報の全文はこちら
                                                                           
            瀬戸 宏                                                                                
 吉田世志子氏の著書『老舎の文学 清朝末期に生まれ文化大革命で散った命の軌跡』(好文出版 二〇一四年三月。以下、本書と略記)が私の元に届いたのは、今年三月末のことだった。約四百ページの堂々たる本である。すぐ私のツイッターで紹介を書いた。わずか百四十字では題名などを書くとそれで終わってしまう。もっと書かなければならないと思ったが、新学期が始まってしまうとなかなか時間がとれない。六月下旬老舎研究会事務局から「老舎研究会会報」の原稿募集が届いたのを機に、本書の書評を書くことにした。ほかにも書評執筆者がいるかもしれないが、複数の書評があってもかまわないと思った。
 吉田氏について簡単に紹介しておく。本書奥付やあとがき、日下恒夫氏の序によれば、吉田氏は一九四二年大阪府生まれ、三歳から大学入学まで北海道で過ごし、一九六六年同志社大学国文専攻を卒業の後は高校国語教師を務めてきた。授業で取り扱う日本古典文学が中国文学の影響なくしては成立し得ないことから、カルチャーセンターで週一回中国語の学習を始め、二年間続いた。五十九歳で北京師範大学に二年間留学し、そこで老舎を知り本格的研究を決意した。二〇〇三年より関西大学大学院中国文学専攻博士前期課程に入学、日下恒夫氏に師事して老舎を研究し、二〇一〇年に博士の学位を取得した。本書はその出版という。
 
 本書は文革初期の一九六六年八月二十四日夜から二十五日の間に起きた老舎の自殺を扱った短い第一章「作家と自殺」から始まる。いまでは忘れられた多くの文革期の自殺者と異なり、老舎は偉大な作家であるため今日まで記憶されている。しかし著名な作家であるからその死が漫然と記憶されるだけでいいのか。「老舎の自殺をいつまでも記憶にとどめるには、彼の作家としての歩み抜きには語れない」と吉田氏は述べ、老舎の自殺の意味を老舎の作品と結びつけて解明しようとする志を述べる。本書の執筆意図が明らかにされており、事実上の序文である。これを受けて本書ではこのあとほぼ時間順に『老張的哲学』『趙子曰』『二馬』『猫城記』『離婚』『駱駝祥子』『四世同堂』『方珍珠』『龍鬚溝』『春華秋実』『西望長安』『茶館』『神拳』『正紅旗下』の諸作品が検討され、あわせてそれを生み出した作家老舎の生き方と彼を巡る情況が、明晰で力強い文体によって分析される。本書は、作品とそれが生み出した作家の伝記的事実の絡まり合いを通して作家老舎の内面の葛藤を明らかにしようとした長編作家論である。
 
 本書には二つの基本テーマがある。一つは第一章で指摘された自殺の問題であり、もう一つは民族の問題である。この二点に沿って本書をみていくことにしよう。
 
 吉田氏は第二章第四節で、『老張的哲学』登場人物の自殺には、自己完結による自殺ー「よりよく『生きたい』と思えば思うほど『死』という結論が出てきて『死』を選ばざるを得ない」自殺と、自己否定による自殺ー「このまま生きながらえても人に迷惑をかけ、恥をさらすより死んだほうがいい。せめて自らの意思で(中略)一生の幕引きをする」自殺の二種類があることを指摘する。いわば消極的な自殺である。吉田氏は前者について、生きたいがゆえに死を選ばざるを得ないという「生と死の二律背反」を指摘する。
 吉田氏はまた、老舎作中人物の自殺には自己の生を守るための積極的な意味があることを指摘している。この指摘は重要である。老舎の作品は登場人物が自殺することが多いのが特徴だが、この観点に立てばそれが積極的な意味を持っていることが理解できるのである。吉田氏は更に、終章にあたる第九章で、老舎自身の死も彼がこの生と死の二律背反を自覚し満州族の誇りに殉じた死であり、老舎作品の世界の延長上にあるものだと断言して本書を締めくくっている。
 
 もう一つのテーマである民族性は、もう少し複雑である。吉田氏は、老舎のイギリス滞在に老舎の民族観形成の重要な契機を見いだしている。イギリスでの中国人差別を直接体験することによって、列強に陵辱されているのは中国人すべてであり「祖国での満族への蔑視、差別などは、老舎の意識の中で、相対的に小さなものに思われたに違いない」と吉田氏は指摘する。「中華民族」の一員としての自覚である。これも重要な指摘である。本書でも詳述されている抗日戦争期の文協での老舎の献身ぶりは、このような意識なしにはあり得なかったと思われる。中華人民共和国建国後の共産党政権に対する奉仕も、この意識と無関係ではあるまい。
 
 吉田氏は、人民共和国建国以前と以後の老舎が別人になったと考えるのは「認識不足」とし、両者の間に連続性をみいだしている。老舎に変化があったとすればそれは一九四九年ではなく抗日戦にペンで戦う決意をした一九三七年に求めるべきだ、というのである。そして抗戦期の活動があったからこそ、一九五〇年以降もスムーズに創作を進められたと論じている。その抗日期の活動は明らかに「中華民族」の自覚を強めるものであった。一九五〇年の帰国も、達成された「中華民族」独立を守るためだと吉田氏は捉えるのである。
 
 一方、本書でも記されているように、中華人民共和国建国後に老舎が満族を直接描くようになり、自分自身が満族だと明言するようになったのも事実である。中国人あるいは中華民族の一員という自覚を持ったことと満族という自覚を密かに持ち続けたことは、必ずしも矛盾することではあるまい。吉田氏は民国期の作品の中で『駱駝祥子』だけを満族が主人公の作品として記述している。だがそれ以外の作品についても密かに満族は描かれていた、と考える方が自然であろう。『駱駝祥子』にしても、祥子が満族だと直接語られているわけではない。関紀新などにこの面の論考があることは第八章注32で触れられているが、民国期老舎作品と満族の問題は困難な課題ではあっても、本書でもっと掘り下げがあってもよかったと思われる。イギリスから帰国後も、老舎は「中華民族」としての自覚と同時に満族差別への密かな抵抗を持ち続けたと考えなければ、人民共和国建国後になって老舎が満族について語り出した理由が説明できない。
 
 しかし、これらは老舎という巨人との格闘する際のやむを得ない思考の試行錯誤の現れであろう。日本で老舎に関する研究書はまだ数少ない。本書は老舎というさまざまな謎をはらんだ作家に挑んだ貴重な成果として、重要な問題提起をしていると思われる。
 
 このほか、私の気の付いた点をいくつか指摘しておきたい。
 
 本書は序文的な第一章に続けて、第二章をイギリスで発表した『老張的哲学』から始めている。しかし本書は老舎の作品分析だけでなく伝記的事実も分析の対象としているのだが、そうであればイギリス出発までの幼少年期から青年期の生活もやはり記述すべきではなかったか。老舎の基本的な人間形成がなされた時期だからである。その誕生から死までの年表もあった方が老舎の生涯をより立体的に把握できるだろう。
 
 通読すると、前半部分は日本人研究者の論文がいくつも引用され、中国の研究者の引用はほとんどないが、後半になるとこれが逆になる。しかし、民国期の小説を通して自殺の意味や民族観を扱った前半でも中国人研究者はこの問題をどう考えているのか、代表的研究を引用して示すべきではなかったか。
 
 後半では戯曲が分析の対象となるが、その社会的反響は舞台での上演を無視できない。本書は老舎の文学を通して老舎個人を論じるのだから、他の人の意向が加わる演劇面について多く述べる必要は無いが、『龍鬚溝』『茶館』が高い評価を得たのは焦菊隠の演出と切り離せないことは簡単にでも触れておくべきだった。私は『龍鬚溝』を吉田氏がいうほどつまらない作品とは考えない。『茶館』王利発の自殺の意味についても、私は吉田氏とは別の考えがあるが、これは紙幅の関係で別の機会を探して述べたい。
 
 巻末の参考文献は本文で引用された文献を省いているが、老舎研究の全貌を示すためにも、本文引用文献も参考文献に含めるべきだった。中国の書籍は、原文のものと翻訳は分けて分類すべきではないか。参考文献に日下恒夫・倉橋幸彦共編『日本における老舎関係文献目録』(私家版 一九八四)など落とすべきでない文献がいくつか漏れている。
 このほかやむを得ないことだが、いくつか誤植、誤記がある。たとえば、第七章注33「清朝最後の皇帝だった愛親覚羅溥傑と弟の溥儀」(二七七頁)などである。
 
 本書は吉田氏が還暦を過ぎてから大学院に入り七年間の学生生活を経て学位取得に至った努力と情熱の成果であり、数少ない日本での老舎研究書としてたいへん貴重なものである。私に本書の価値を十分に明らかにできる能力があるか不安に思うが、本書が日本の老舎研究者さらには中国文学研究者、愛好者に広く読まれることを願ってやまない。
 
 最期に本書の書誌情報を記しておく。吉田世志子『老舎の文学 清朝末期に生まれ文化大革命で散った命の軌跡』 好文出版 二〇一四年三月十五日 三七〇〇円+税