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国際演劇評論家協会第三回アジア演劇フォーラムに参加して
 
             瀬戸宏
 
 
『シアターアーツ』54号(2013年4月)掲載
 国際演劇評論家協会第三回アジア演劇フォーラムが、二〇一二年九月二一日から二三日まで中国北京で開催された開催された。主催団体は国際演劇評論家協会(IATC)中国分会、北京市戯劇家協会、中国戯曲学院で、実施団体は中国戯曲学院である(中国は略称に英語読みのIATCを用いている)。中国戯曲学院は京劇など伝統演劇の大学で、日本でも知られている現代演劇(話劇)の中央戯劇学院とは別大学である。大学名の「戯曲」は、中国語では中国伝統演劇のことである。中国戯曲学院が実施団体のためか、フォーラムのテーマも、「伝統演劇の継承と創新」であった。参加国は中国のほか韓国、台湾、香港、タイ、日本で、日本からは野田学、瀬戸宏両名が参加した。

 国際演劇評論家協会アジア演劇フォーラムの第一回は二〇〇七年一二月中国北京・中央戯劇学院で「アジアの舞台での西方名作演劇」をテーマに開催され、中国をはじめ台湾、香港、韓国、日本などが参加した。日本からは田之倉稔、立木Y子、瀬戸宏が参加した。第二回は二〇一〇年一一月に東京で「国際共同製作と批評の役割」をテーマに開催された。参加国は、日本、中国、香港、韓国、インドネシア、ベトナム、タイ、インドなどであった。第三回の今回は、当初は中国・南京大学で開催が予定されていたが、諸事情で中国戯曲学院となった。経費関係に触れておくと、正式参加者は国際旅費自己負担、フォーラム開催中の宿泊費、食費は主催者負担であった。
 初日の開幕式は、戯曲学院、政府文化部、AICT本部、日本、タイ、台湾、ユネスコ、中国作家協会(文連)、中国共産党北京市委宣伝部があいさつした。アゼルバイジャン、インドもあいさつ文を寄せた。

 第三回アジア演劇フォーラムが開催された時期は、尖閣諸島(中国名釣魚島)問題を巡って日中関係が悪化し、激しい反日デモが北京はじめ中国各地で行われた直後であった。日中間の交流イベントが次々に取り消されていた。日本代表としてのあいさつを依頼された私は、思い切って情勢を踏まえたあいさつを中国語で行った。日本語に直したものを、以下に掲げる。文中にもあるように、私は演劇関係の会合で政治問題を語ることはほとんどないのだが、日中関係好転の希望をこめて、あえてこの問題に触れたのである。

「瀬戸宏と申します。国際演劇評論家協会第三回アジア演劇フォーラムの開催を熱烈に祝賀いたします。
 ご存じのように、現在日本と中国の間に波風が立っています。私は十月にもある中国国内のシンポジウムに参加することになっています。これは、抗日戦争期に不幸にも逝去した文学者を記念するものです。最近シンポジウムの責任者からのメールを受け取りました。今回のシンポジウムでは不愉快な歴史の問題も語らないわけにはいかない、あなたの参加は歓迎するが、この状況を考慮し不参加や文書論文発表になっても我々は理解する、という内容です。
 最近、日中の文化交流が次々に取り消されています。このようなメールを受け取って、これは私の参加を婉曲に謝絶するものかと思いました。しかし、私の不参加を明確に求めたものでもありません。ですから、私は考えた後、次のような返信を書きました。
 メール拝受いたしました。私はふだんは中国の文学研究者と政治問題を語ることはほとんどありません。しかし先生のメールはこの方面の問題に及んでいますので、私も自分の考えを述べることにいたします。

 私は大学に進学して以降、一貫して中国現代文学演劇を研究してきました。日本の現代中国研究は、第二次世界大戦およびそれ以前の日本の中国に対する態度・行為を深く反省することから出発しています。日中戦争は日本の侵略戦争であるということは、日本の現代中国研究の基礎であり、私自身が中国現代文学演劇を研究する出発点でもあります。ですから、私は第二次世界大戦中の日本軍が中国民衆におこなった侵略・野蛮行為を強く憎み、日本軍国主義は日中両国人民の共通の敵であると考えています。私自身はこの考えに基づき、日本と中国の民間学術交流、演劇交流活動に従事し、ささやかな努力を重ねてきました。私は中国国内で開催された中国抗戦時期文学演劇のシンポジウムに参加したことが何回もありますが、私がこのような考えを持っているからか、中国の学者との交流はいつも順調で愉快なものでした。
 現在、日本と中国の間にいくつか波風が立っていますが、私はこのような時期であるからこそ、日本と中国の民間学術交流をいっそう強める必要があると考えています。ですから、私はこのシンポジウムに参加したいのです。席上、不愉快な歴史を語ることは何の問題もないだけでなく、語るべきです。過去の歴史を忘れてはなりません。ただし、現在の両国関係が引き起こす原因により、もし私の参加が先生および関係者の方々に面倒な問題を引き起こす可能性があるのであれば、私にお知らせください。

 この責任者からの返信はすぐに届きました。返信は、あなたのメールは私の心の中の憂慮を徹底的に解消した、私はすでに関係する状況を関係指導部門に報告したが、皆がシンポジウムにあなたが参加することを歓迎している、という内容でした。
 私も安心しました。多くの説明はいらないでしょう。私の過去の歴史に対する考えは、韓国など他のアジア諸国に対しても同じです。
 私のあいさつはこれで終わります。ありがとうございました。」

 私のあいさつは幸い関係者から好意的に受け止められたようで、あいさつ途中でも拍手が起き、開幕式終了後には何人かの関係者から握手を求められた。中国関係者だけでなく、台湾代表からも、あのあいさつは良かった、と言われたのは嬉しいことであった。
 開幕式のあと、フォーラムに移った。使用言語は、英語、中国語である。初日は中国戯曲学院内の小劇場、二日目が宿泊先でもある東方飯店であった。実施団体が大学のためか、学会方式でおこなわれた。発言者は全部で38名、発言者は10分程度の口頭報告をおこない、司会が簡単にコメントし、短い質問時間があるというものである。中国の学会は原則として参加者が全員報告するので、どうしても発言時間が短くなる。(ただし論文の事前提出が求められ、会場では論文集が配布される)これは、中央戯劇学院でおこなわれた第一回も同様である。パネラーの座談を中心とした日本開催の第二回とは対照的であった。日本側参加者の報告は、「『新青年』的演劇改良論」(瀬戸、中国語)、“The Fabric of Traditional Theatre:Arcived and Memories and the Question of Culural Ownership”(野田、英語)である。
 報告者の約半分は中国戯曲学院の教員、大学院生であった。戯曲学院以外の中国側参加者もいたが、多くはなかった。報告の多くも、中国伝統演劇に関する専門性の高い内容であった。日本にたとえれば、歌舞伎学会の報告がずらりと並んでいるようなものである。これでは外国代表が討論に参加するのは難しい。この傾向は特に二日目に顕著で、中国戯曲学院の学内研究会に参加しているような気分になった。国際フォーラムとして運営にもう少し工夫があってもいいのではないか、と思った。プログラムにはいくつか観劇予定が書かれていたが、実際に行われたのは戯曲学院学生の京劇昆劇折子戯(みどり式)だけであった。もちろん伝統演劇俳優スタッフ養成校の学生であるからセミプロで、いわゆる学生演劇とは異なる。

 しかし、私は今回のフォーラムに参加してやはりよかったと思った。北京の街は穏やかで、反日の雰囲気はまったく感じられなかった。戯曲学院関係者の参加者に対する生活面での配慮は行き届いていて暖かかった。タクシーの運転手からは、対立しているのは政府間のことで、我々庶民には関係ない、と言われた。営業上の配慮があるかもしれないが、やはり嬉しい。開会挨拶で述べたように、このような時期だからこそ民間文化交流は継続させなければならない。