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労農派を描いた演劇作品
 −宮本研『美しきものの伝説』
 
 
                瀬戸宏
 
 
 
 
  『社会主義』2011年9月号(No.591)掲載
 
   
   PDF版(ワンドライブに収録)
 
 

 堺利彦ら労農派につながる人々を描いた演劇作品といえば、木下順二『冬の時代』(一九六四)が名高い。しかし、このほかにも堺ら売文社を扱った演劇作品がある。宮本研『美しきものの伝説』である。一九六八年に発表され同年文学座で初演された。初演以後繰り返し上演されており、近年も二〇一〇年一二月に彩の国さいたま芸術劇場で、本年二月に文学座で演じられている。

 しかし『美しきものの伝説』は、演劇界の外ではあまり知られているとは言えない。売文社を描いて世評の高かった黒岩比佐子『パンとペン』にも、『冬の時代』への言及はあるが『美しきものの伝説』には触れられていない。ここで紹介しておきたい。

 

 作者の宮本研(一九二六ー一九八八)は、戦後の職場演劇運動で頭角を現し職業劇作家になった人である。ほかに、敗戦前夜と直後の工場を描いた『反応工程』、魯迅の作品に取材した『阿Q外伝』、宮崎滔天と孫文ら中国の革命運動との関わりを描く『夢ー桃中軒牛右衛門の』など多数の劇作品があり、彼の没後『宮本研戯曲集』全六巻(白水社 一九八九)が出版されている。

 『美しきものの伝説』は、大逆事件を示す短いプロローグの後、大正元年の四谷・売文社から始まっている。堺利彦は四分六、大杉栄はクロポトキン、荒畑寒村は暖村という名前が与えられている。

 

 四分六は冬の時代に耐え、仲間を集めじっと時期を待っている。そのためには、まず生活の問題を解決しなければならない。

「天皇が死んでくれたおかげで、あっちこっちの監獄から同志たちが出て来る。出てきて困るのは、まずメシだ。監獄でタダメシを食いつけとる連中だから、シャバでの才覚などもっとりゃせん。そこで、この売文社だ。職はある。当座のメシは食える。英気を養いながら時機を待つ。そのためのベンチ、待合所だよ、売文社は。(中略)・・・というのは、実は、大逆事件残党が世をしのぶ仮の姿」(・・・は原文、以下同じ)

 

 その四分六の心に深く沈んでいるのは、処刑された幸徳秋水らへの思いである。

「一月の二十四日だった。幸徳たち十二人が首をくくられたと知らされた日の晩、四分六旦那、大酒くらって町へ出たっけな。雪でね。・・・人っ子一人いない通りを、うそ歌わめいて、ステッキ振りまわして、一晩中、片っぱしから街灯をたたき割って歩いたっけがな。・・・」

 

 四分六は運動の分離を主張するクロポトキンとの論争で、こうも語る。

「アナーキスト、結構。サンジカリスト、結構。友愛会などの労資協調主義者、これまた結構。労働組合と名のつくものなら、主義主張をこえて結集できるそんな連合体がほしいんだ。そして、そいつを母体に、すべての社会主義勢力の大同団結をはかる。まず、同盟。そして、時期をみて党にきりかえる。党名は日本社会党・・・といったようなことなんぞは先でもいいが・・・どうなんだろうねえ、ここ十数年の間日本から消えていた社会主義政党を復活させるという計画?」

 

 ただし、この『美しきものの伝説』は堺利彦ら革命家だけを描いたものではない。劇は社会主義運動家のほかに、先生(島村抱月)、ルパシカ(小山内薫)、早稲田(沢田正二郎)ら演劇人、モナリザ(平塚らいてう)、野枝(伊藤野枝)らの青鞜社・女性解放運動家の三方面がないまぜになって進む。四分六とルパシカが演劇論を闘わす場面は虚構であろうが、面白い。

 

 宮本研が執筆にあたって木下順二『冬の時代』を参照したことは間違いあるまい。『冬の時代』では堺は渋六となっているし、二つの戯曲の堺像はほとんど差異が感じられないのである。私は今回『冬の時代』と『美しきものの伝説』を読み比べてみたが、焦点を売文社に絞った『冬の時代』に比べると、『美しきものの伝説』は緊密度、文学的感銘については一歩劣ると思った。しかし、このような多様な人物の群像劇として描かれ「開かれた」構造を持っているからこそ、『冬の時代』がその後ほとんど再演がないのに比べて、『美しきものの伝説』は今日まで上演が絶えないのかもしれない。

 

 『美しき者の伝説』は、現在では日本劇作家協会のオンデマンド出版で読むことができる。オンデマンド出版とは、原稿内容をパソコンに保存し注文に応じて印刷するシステム。注文から十日程度で入手できる。注文は、劇作家協会の下記のHPで。一冊一七〇〇円。http://www.jpwa.org/books/