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          中国語“導演”と日本語“演出”についてのメモ
                                                                                 
pdf版(ワンドライブに収録)
                            瀬戸宏
 
 
*以下の文は標題の内容について、ある中国文学研究者に送ったメモを元にしている。『中国文芸研究会会報』読者にも多少は役に立つかもしれないので、書き直して投稿することにした。
 
 中国語の演劇用語“導演”は、日本語の演劇用語“演出”にあたります。日本語“演出”の使用が演劇用語として確定したのは1924年創立の築地小劇場からです(大笹吉雄『日本新劇全史』第一巻、白水社、2017年など参照)。これは、日本演劇における演出という職務の確立と密接な関係があります。
 
 中国語の“導演”は、動詞・名詞双方の意味があります。日本語の“演出”は演出行為(名詞)、演出する人(名詞)だけで、演出という動作・行為(動詞)を表現するには、“演出する”のように動詞語尾“する”をつけなければなりません。また人を強調する場合は“演出家”と“家”をつけることもあります。
 
 しかしながら中国文学研究関係の人で、中国語の演劇用語“導演”を日本語で表現する時“監督”とする場合が非常に多いのです。これは、“導演”が中国語映画用語として使われる時は、日本語映画用語の“監督”にあたり、現在の文化状況では映画の方が演劇より接する機会が多いからと思われます。
 
 しかし演劇用語の“導演”を日本語で“監督”とするのは、たいへん問題があるのです。これは、“演出”という用語が築地小劇場以来の由緒ある言葉だという以外に、演劇には“演出”のほかに“舞台監督”という職務があり、それとの混同を避けるためです。“演出”は、戯曲を解釈し、それに基づいて稽古を統括し上演作品を作り上げていく職務です。上演が始まると演出(家)は原則として客席にいて、観客の視点で上演作品を見守ります。忙しい演出家は、上演の初日が終わるともう劇場に来ないこともあります。それに対して“舞台監督”は、上演中は常に劇場内部にいて演出の意向を踏まえて劇場機構の操作や上演の進行を監督しスタッフを指揮する職務です。現在のように舞台機構が機械化・複雑化すると、舞台機構に精通しスタッフを適確に指揮する職務が絶対に必要です。過去には、上演進行のミスで事故が起こり死者がでたこともあります。
 
 このように、演劇の“演出(家)”と“舞台監督”は、まったく別の職務であり、どちらも演劇に不可欠な高度の専門職です。それを混同することは、非常にまずいのです。中国語でも日本語の“舞台監督”にあたる職務は“舞台監督”です。ちなみに、英語では日本語の“演出(家)”は“director”、“舞台監督”は“stage manager”です。
 なお中国語にも“演出”という語彙がありますが、これは日本語の“上演”にあたる語彙です。中国語で“北京人芸演出了老舍《茶館》”と言えば、日本語では“北京人芸は老舎『茶館』を上演した”という意味です。
 
 映画では、“舞台監督”にあたる撮影現場の指揮・進行を司る職務は、助監督や制作主任がおこない、独立した職務としては存在しないようです。映画は、観客が作品を鑑賞する時にはキャスト・スタッフはその場にいないのに対して、演劇の場合は観客が作品を鑑賞する時には同時にキャスト・スタッフが存在しその指揮をしなければならないからでしょう。
 
 ついでに書くと、中国語の“導演”はテレビドラマ(電視劇)でも使います。日本語では、テレビドラマには、創作を司る行為では“演出”を使いますが、職務を指す場合は、今日ではカタカナ外来語の“ディレクター”が多いようです。英語でもテレビドラマは“director”です。テレビドラマには“監督”はまず使わないと思います。
 
 中国語、英語では、演劇・映画・テレビを通じてその創作を司る職務はすべて“導演”“director”なのに対して、日本語では演劇・映画・テレビドラマでそれぞれ“演出”“監督”“ディレクター”を使い分けている、ということになるでしょう。
 
 最後に、主要な中日辞典で、“導演”を日本語でどう説明しているか、確認しておきたいと思います。刊行順です。例文は省略し、カッコ記号・数字は統一しました。
 
●岩波中国語辞典  1963年、簡体字版1990年
(動)演出する(名)演出
●中国語大辞典(角川書店) 1994年
〔動〕(劇や映画などの)監督をする、演出をする
〔名〕監督、演出家
●標準中国語辞典第二版(白帝社) 1996年
〔動〕(劇を)演出する、(映画を)監督する
〔名〕演出家、監督
●講談社中日辞典 1998年
〔動〕(劇を)演出する(映画を)監督する(舞踊を)振り付けする
〔名〕演出家、映画監督、振付師
●白水社中国語辞典 2002年
1.〔動〕(劇の)演出をする(映画の)監督をする(舞踊の)振り付けをする
2.〔動〕(貶)(比喩的に、物事の実現を)演出する
3.〔名〕(演劇、映画などの)演出家、監督
●Newアクセス中日・日中辞典(三修社) 2003年
1.演出する。監督する。2.演出家、映画監督
●東方中国語辞典 2004年
1.〔動〕監督する、演出する.2.〔名〕監督、演出家
●中日大辞典第三版(大修館) 2010年
(映画や劇の)監督(をする)、演出(をする)
●プログレッシブ中国語辞典第二版(小学館) 2013年
〔動〕(演劇や映画を)演出する、監督する
〔名〕映画監督、演出家
 
  これをみると、テレビドラマが入っていないことに不満が残りますが、各辞書とも演劇の演出と映画の監督の区別は、理解しているようです。標準中国語辞典第二版(白帝社)や白水社中国語辞典のように、劇と映画を別にして記述するほうが、より正確といえるでしょう。一部の辞書は、“導演”に舞踊・ダンスの振り付けの意味も持たせていますが、これは疑問です。ミュージカル(音楽劇)などの場合は振り付けには“舞蹈設計”,“編舞”という職務があるからです。ただしバレエのように全編ダンスという舞台芸術では、“導演”が振り付けを兼ねる場合もあるかもしれません。これについては、もう少し調べてみたいと思います。
 
(原載『中国文芸研究会会報』482号、2021年12月26日。原載では導演など中国語語彙は中国簡体字だが、html版では簡体字が出せないので日本常用漢字を用いている。pdf版はそのまま。)