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             郭宝昆と『霊戯』
 
*:初出は劇団大阪『スピリッツ・プレイ 霊戯』プログラム(2005年8月)。資料として、香港での上演時のシンガポールの華文紙『連合早報』報道を附す。私の『霊戯』に関する文章は、ほかに「反戦の意志と複雑な日本への感情−トリプルエム『霊戯』」(国際演劇評論家協会日本センター関西支部機関誌『あくと』2号、トリプルエム2004年6月公演の劇評)、「劇団大阪の『スピリッツ・プレイ』から考えたこと」(『あくと』7号、時評)があり、共にネット上で読める。
郭氏の氏名表記は郭宝昆、郭宝崑の二つがあるが、ここでは日本の常用漢字に統一した。
                                                                      
                               瀬戸宏
 シンガポールの劇作家、演出家、批評家郭宝昆(クオ・パオクン)氏には、生前何度か会ったことがあり、その親しみやすい人柄に強い印象を受けた。それだけに二〇〇二年九月にガンで逝去したとの報道に接した時は、驚きと痛ましさを感じた。まだ六三才で、これからも十分活躍できる年齢だったからである。
 
 郭氏と最後にあったのは香港で開催された第二回中国語演劇祭(華文戯劇節)で、彼の作品が上演されていた。それが、今回の『霊戯』である。
 香港やそれ以前のシンガポールでの『霊戯』上演は、高い評価を得ると同時に物議を醸した。描かれているのは日本のシンガポール侵略なのだが、作者は日本に寛大でありすぎるというのである。作品をみればすぐわかるように、作者は日本を一方的に糾弾してはいない。これが、一部の中国人や華人(中国系人)を刺激した。シンガポールの新聞には、霍月偉「シンガポール人か、中国人か、日本人か。郭宝昆はどんな立場で『霊戯』を書いたのか」(『連合早報』九八年十二月九日)という刺激的なタイトルの報道が出た。

 実は、『霊戯』には国名や直接国名を連想させる言葉は一切出てこない。日本を描いた劇として日本人の眼からみれば、『霊戯』には「女」が戦前に中学の同級生と恋仲になるなど、細部の描写に疑問もある。しかし、これは本質的な問題ではない。『霊戯』は現実の表層を忠実に再現しようとする性格の作品ではないからだ。

 今年は日本敗戦六十年であり、この八月十五日は小泉首相の靖国神社参拝を巡って格別の注目をアジア諸国から集めている。劇団大阪の『霊戯』上演は、時宜にかなったものといえる。この劇を観て、日本の侵略行為を改めて考えたい。と同時に、郭宝昆氏がなぜ日本を名指ししなかったのか、その意味を、日本人であるからこそかみしめてみたいと思う。
(劇団大阪『スピリッツ・プレイー霊戯』上演プログラム)
 
 
 
附:シンガポール人か、中国人か、日本人か。郭宝昆はどんな立場で『霊戯』を書いたのか
                                                         香港特派員・霍月偉
 
 『霊戯』が香港で上演された時は、特別な時期だった。
 それは、中国国家主席江沢民が日本を訪問する一週間前だった。首脳会談の後の共同声明に日本が中国に謝罪する字句を入れるべきかどうか。両国の外交官は幕の後ろで争っていた。
 結果がどうであったかは、周知のとおりである。

 怒った香港人は隊列を組み、セントラルの日本領事館にデモをおこなった。ある香港の新聞は社説で、日本が我々中国人を遇するのは、韓国人“にすら”及ばない、本当に憎むべきだ、と述べた。(訳注)

日本の芸術家はこのような劇を書くのは難しい

 民族主義の情緒が一触即発の状態となった前夜に、シンガポールから来た実践劇場はこのような哲学の角度から人類や戦争という命題を分析した劇を上演した。

 
 劇中には、血の汚れも、清い涙も、激しい抗弁もあれば、美しい生命の記憶もある。しかし、より強く感じられたのは、作者・演出家の超越し付かず離れずの冷静さであり、さらにあの冷静さの背後にある人生への深い関心、さらにはある種の謙虚さであった。
 『霊戯』上演チームが香港に到着した次の日に行われた記者会見で、作・演出郭宝昆が紹介した創作の過程を聞いて、鋭敏な香港の記者が質問した。あなたはどんな立場で『霊戯』を書いたのか、シンガポール人か、中国人か、日本人か。

 香港に来てこの劇を観た日本の演出家宮城聡は観劇の後、日本は第二次世界大戦に“加害者”の立場で現れたので、日本の芸術家はこのような劇を書くのは難しいことを認めた。

 上演後におこなわれた二つの座談会で、何名かの明らかに上演に非常に感動したがやはり疑問を抱かずにはいられない観客が質問した。正義と非正義の立場を分けずに単純に戦争の本質を探ることは可能なのか。庶民は軍人によって戦争に導かれたが、庶民自身にはまったく責任はないのか。

芸術家は誠実に自己の感知したものを表現すべきである

 実は、これは『霊戯』がまさに私たちに提出した問題のようである。劇の中に答えはあるのか。無いようでもあり、有るようでもある。ただ私たちー劇中の「将軍」「男」「詩人」「女」「母親」といった人物によってたえまなく感情をかき立てられる私たちーが答えを出すべきことなのである。

 
 郭宝昆は、もし第二次世界大戦中の日本人、ドイツ人、イタリア人あるいは文革期間中の中国人と自分が同じ立場に置かれた時、同じことをするかしないか答えられないと何度も言っていた。それにもかかわらず、初演後の座談会である観客の問いに答えて言った。「日本の指導者だけが戦争責任を負わなければならないというよりも、人間は人間の尊厳を保ちたければ自分に責任を負わなければならない。」

 
 彼はインタビューの際にも強調して言った。『霊戯』は戦争という深い烙印を押された経験への彼個人の反応と感想である。観客の敏感さと反応は、彼に大きな啓発を与えるし、このような交流は重要である。だが芸術家は自己の感知、最も誠実に表現することを堅持すべきであり、芸術家の人類に対する貢献はまさにその独自の観点にある。結果が成功かどうかは、それぞれの修養と力量による。

 郭宝昆は次のように言った。シンガポール人、中国人、日本人のために『霊戯』を書いたのでない。この劇は最初から最後まで「日本」を提示してはいない。上演後に日本から来たある演出家に尋ねた。「日本が見えましたか」相手は「見えました」と答えた。また尋ねた。「見えたのは日本だけですか」相手は答えた。「日本だけではありません」郭宝昆はこのような効果をあげることを望んでいたのである。

(《連合早報》 1998.12.9 瀬戸宏訳、劇団大阪上演資料。このHPが翻訳稿の初公表)
 
訳注 江沢民訪日(1998.11)直前の金大中韓国大統領訪日(1998.10)で出された日韓共同声明には歴史問題に対する日本の謝罪の言葉が入ったのに、この時の日中共同声明では入らなかったことを踏まえている。