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三十年ぶりに再演された『声なき処に』
                                                                          瀬戸宏
 今日『声なき処に』(《於無声処》)という劇を記憶している人は、どれくらいいるだろうか。一九八〇年代以降に中国研究を志した人の中には、聞いたこともないという人もいるかもしれない。しかし、一九七八年に創作されたこの劇は、かつては人民日報はじめ中国のマスコミが連日一面で取りあげ、陳雲など中国共産党最高指導者が言及し、全国で二千七百の劇団が上演するなど、文字通り一世を風靡した作品であった。作者は宗福先、初演劇団は上海工人文化宮業余話劇隊、演出は蘇楽慈。翌年三種類の日本語訳がほぼ同時に出ているのも、反響の大きさを伺わせるものだろう。
 その『声なき処に』が、二〇〇八年三十年ぶりに上海・北京で再演された。上演劇団は、上海話劇芸術センター、演出は初演と同じ蘇楽慈。私は十一月二十三日北京公演の最終日に、首都劇場でこの公演を観ることができた。
 
 この劇は、一九七六年四月五日の第一次天安門事件を背景にしている。劇中の時間は、一九七六年夏のある一日、すなわち天安門事件が反革命事件として弾圧され、四人組と呼ばれた弾圧側がまだ支配的地位にあった時である。ある国営企業幹部の家庭を舞台に、四人組につくか否かの闘争が家庭劇の形態をとって展開される。天安門事件を強く讃え、劇中では事件当時広場で発表され天安門革命詩と呼ばれた詩の朗読もある。
 作者の宋福先は上海の一青年工場労働者だったが、事件後まもなく北京からの旅行者から偶然事件の内容を聞き最初の着想を得、七八年春に『声なき処に』初稿を書き上げ、当時関係していた上海工人文化宮演技訓練班に原稿を持ち込み、上演が決定した。九月二十三日から上演が始まると、たちまち評判になった。天安門事件がまだ反革命とされていた時、それを肯定し名誉回復を要求する内容だったからである。しかし、これだけならアマチュア劇団の大胆な作品ということで終わっていたかもしれない。それが全国的に宣伝されたのは、十一期三中全会を控え共産党内改革派グループが「すべて派」追い落としにこの劇を利用したからである。その内幕も今日明らかになっている。胡喬木が自ら上海まで内容確認の観劇に出向くなど、重要な役割を果たしている。だが、現在の資料によっても、創作自体はあくまでも自発的なものであったことは、記しておきたい。
 
 そのため、改革派が目的を達してしまうと『声なき処に』はすぐに棚上げされた。その後の研究者は、私を含めて概してこの劇に冷淡であった。作者自身が今日認めているように、『声なき処に』はアマチュア作家の第一作として未熟なところが多々あり、詳細はわからなくとも、巨大な反響は政治操作によることが明らかだったからである。
 その私が北京にまで観劇に出かけたのは、日本現代中国学会で関連する報告をしたことがきっかけになっている。現中学会は二〇〇八年大会共通論題を「七八年画期説の再検討」とし、私も報告をおこない、三十年ぶりに『声なき処に』を再読し関連資料を調べた。それを通して、私は『声なき処に』は人物像の単純化など弱点は多々あるものの、近年の商業主義的話劇作品あるいは文革期の作品にはない力強さがあることを感じ取った。創作過程も、一つのドラマであった。これは実際の舞台を確認しなければならない。私にそう思わせるものが、戯曲『声なき処に』にはあったのである。
 
 果たして首都劇場の上演は、私の予想を裏付けるものであった。上演が始まってまず感じたのは、近年の技巧を凝らした上演と異なりなんとシンプルな舞台か、ということであった。筋だけでなく舞台装置も簡素だし、俳優は扮している人物の感情が高まってくると、両手を大きくあげるなど「おおげさ」な演技をし、叫ぶように決め台詞をしゃべる。今回は戯劇学院出身のプロ俳優であり、彼らが抑えた演技で感情の高揚を表現できない筈がない。おそらく演出家は、故意に初演時の業余俳優の演技再現をめざしたのであろう。話劇芸術センターの俳優たちは、劇中人物を演じると同時に、その劇中人物を演じるアマチュア俳優をも演じるという二重の演技を行っていたことになる。
 
 そしてこの演技が、劇の内容によくマッチしているのである。初演時の舞台は、一台詞ごとに割れるような拍手に包まれたという。今回はそのような熱狂はもちろんない。高額なチケットもあってか、客席は六割程度の入りだった。しかし青年層も目立った客席からは、一幕が終わると(今回は幕ではなく暗転だったが)拍手が起き、その拍手は幕ごとに大きくなり、最後は割れるような拍手となった。舞台は戯曲の力強さを表現しており、そして力強さの根源は作者が真に書きたいことを書き、俳優が真に演じたいことを演じているという内発性、表現の真摯さにあることが観客に十分に伝わるものだったからである。『声なき処に』は一部で言われるような時の政治運動に迎合して作られた「任務劇」ではなく、その成功の基本はやはり作品自体の力である。三十年ぶりの再演は、直接の理由が改革開放三十周年回顧にあるとしても、そのことを十分に感じ取らせてくれるものであった。
(原載『トンシュエ』第37号 2009年2月10日発行 同学社 非売品)
 
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