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                               阪口直樹氏を偲ぶ
                              瀬戸 宏
 
 ニューズレター巻頭言執筆依頼を受けた。何を書くか考えあぐねているうちに、締め切りをとうに過ぎてしまった。巻頭言にふさわしいかわからないが、昨年(二〇〇四年)八月二九日に逝去した故・阪口直樹氏を偲ぶ会が十二月四日に開かれた折、そこで話したことを整理補充し、その責をふさぐこととしたい。
 
 阪口氏は中国現代文学研究界では著名な人であったが、それ以外の分野の現中学会会員には必ずしも知られていないかもしれないので、まず略歴を紹介する。
 阪口直樹(さかぐち・なおき)氏は一九四三年大阪府生まれ、学部、大学院とも大阪市立大学卒業。大阪教育大学を経て逝去当時同志社大学言語文化教育センター教授。著書に、『十五年戦争期の中国文学―国民党系文化潮流の立場から』(研文出版 一九九六)、『戦前同志社の台湾留学生―キリスト教国際主義の源流をたどる』(白帝社 二〇〇二)、『中国現代文学の系譜―革命と通俗をめぐって』(東方書店 二〇〇四)などがある。
 
 私は阪口氏と必ずしも日常的に緊密に接していたわけではないが、いくつか忘れがたい思い出がある。その一つが二〇〇〇年の現中学会全国大会(京都大学)で、共通論題「現代中国研究の五十年」の文学部門の報告を担当していただいたことである。この大会は、私が関西部会事務局理事となって実質的に最初に関わった全国大会だった。共通論題の内容は、この大会が第五十回であったことから決まった。現代中国研究のいっそうの発展のためには、研究史の総括が必要だと思われたからである。さらに、これまで共通論題には内容が拡散したものが多かったので、関西部会夏季研究集会を共通論題プレシンポジウムとし、準備にあてた。
 阪口氏に報告をお願いしたのは、それまで日本の中国現代文学研究の現状について何回か意見交換する機会があったからだった。他の分野ではどうか知らないが、中国現代文学研究では数年おきぐらいで「地盤沈下」「曲がり角」「危機」などと言い立てる人が出てくる。そういう声が出てもやむをえない状況があることは確かだが、その声は現状の実証的分析や内省を欠くものが多く、私は不満であった。私の問題意識が阪口氏と完全に共通していたかはわからないが、二人とも日本の中国現代文学研究の実際をもっと客観的、全体的に検討する必要を感じていたのは間違いない。
 
 果たして、プレシンポジウム、大会当日の阪口氏の報告は、依頼者として感謝の念を覚えるものだった。その文章化されたものは『現代中国』七五号に掲載され、さらに阪口氏の遺著となった『中国現代文学の系譜』の巻頭論文となっている。阪口氏はそこで『中国文学研究文献要覧(一九四五〜一九七七)戦後編』(日外アソシエーツ 一九七九)や『日本中国学会報』所収「学界展望」などの論文目録を資料として、五十年間の文学研究関係論文の主題の変遷、すなわち研究者の関心の変化を具体的に明らかにしている。氏の論文では分析の結果だけが記されているから一見わからないが、この結果を得るためには膨大な論文題目をすべて電脳に入力しなければならず、たいへんな労力を必要とした筈である。この阪口論文は、今後日本の現代中国文学研究を考えるうえで必読の文献となろう。
 そして、プレシンポジウム、全国大会も、大きな盛り上がりをみせた。京都大会の参加者は会員だけで二百八十人に達したと記憶している。京都大会成功の大きな理由の一つに阪口報告があったことは疑いない。文学関係参加者が大きく増え、共通論題前日の自由論題・文学分科会は、当初の教室を変更してもなお収容しきれず、途中から椅子を追加したほどだったからである。このような充実した報告をおこなった阪口氏は、前年に胃の摘出手術をした静養中の身だった。当時は胃潰瘍と聞いていたが、実は胃ガンであった。
 
 阪口氏とは論争めいたことをしたこともある。大阪外大院生だった谷川毅氏(現、名古屋経済大学)が九十年代初頭に始めたばかりの『火鍋子』という雑誌上だった。『火鍋子』は現在では製本された堂々たる中国関係誌になっている(朋友書店で販売)が、この当時はコピーを束ねたような簡素なものだった。第七号(一九九三・四)、八号(九三・五)で行われたこの論争は、六四天安門事件との関わり、中国現代文学研究における「自主独立」の評価などがテーマだったが、その背景には私までの世代すなわち改革開放開始以前に中国研究を志した世代が共通に持っている社会主義の問題があった。この論争は、社会主義を検討する余裕のなかった当時の私が阪口氏の再質問に答えず終わったかたちになった。現在、現中学会の発表テーマや『現代中国』掲載論文に社会主義に関するものが極端に少なく、現中学会で社会主義を考えるのがほとんど不可能であるのをみるにつけ、当時阪口氏との論争をもっと続け私の問題意識を養っておくべきだったかと悔やみに似た感情を覚える。
 人間は、他者との関わりの中で自己を形成していく。阪口氏との関わりは頻繁とは言えず、氏のプライベートについての知識は皆無に近いが、阪口氏の逝去によって、私の中であるものが間違いなく同時に終わってしまったのである。
(日本現代中国学会ニューズレター14号 2005.1)
 
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