前半へ  資料庫へ  表紙へ
 
 
越劇と日本現代演劇の『春琴抄』
ー二つの『春琴抄』の競演 (後半)
 
 
写真は舞台挨拶する日本側代表、
ジェームス三木氏。瀬戸宏撮影。
                      三
 この二つの『春琴抄』が、今年五月に上海で出会った。名取事務所『春琴抄』が、中国・ロシア公演の一環として上海戯劇学院で5月17、18日に上演され、小百花越劇団もそれにあわせ5月16日に杭州で『春琴伝』を再演したのである。越劇『春琴伝』脚色者の曹路生は上海戯劇学院教授でもあるので、この企画が実現した。小百花は上海での公演も検討したようだが、劇場が確保できず、自己の劇団付属劇場公演となった。名取事務所関係者は全員バスで杭州までかけつけ観劇した。公演前日のこととて稽古時間確保のため、バスの中で夕食をとり、公演終了後ただちに上海に戻った。翌日小百花越劇団関係者が上海に行き名取事務所公演を観劇した。そのうえで、18日午前に上海戯劇学院で両劇団関係者による座談会がおこなわれた。日中二つの『春琴抄』邂逅として、上海の新聞などにも関連記事がいくつも出て、上演の雰囲気を盛り上げた。私は名取事務所上海公演に関わり、座談会にも出席したので、この二つの『春琴抄』を比較検討する機会に恵まれた。なお、名取事務所は、このあと上海話劇芸術センターでも二回公演をおこない、さらに北京・中央戯劇学院でも上演したが、こちらは勤務の都合で観ることができなかった。
 上海戯劇学院での座談会で、春琴役の章益清が自己の演技体験を語った。その発言原稿をもらうことができたので、これも全文を訳出しておこう。現代越劇の演技に関する興味深い文章だと思うからである。
 
                                  春琴を演じて
                                                                          章益清
 尊敬する先輩の皆さま
 章益清と申します。浙江小百花越劇団の青年俳優です。私の発言テーマは「春琴を演じて」です。
 私は越劇芸術がたいへん好きです。美しい越劇に対して希望でいっぱいです。青年俳優のために劇団が心をこめて作り上げた『春琴伝』の中で、私は幸運にも春琴という役を担当しました。本当に感激するとともに不安にもなりました。
 けいこ開始前、劇団は私たちのために浙江大学の教授を招き、小説家谷崎潤一郎を紹介する講義をしていただきました。演出家の郭暁男先生は、大量の映像資料を準備し、私たちに日本文化を生き生きと理解させました。演出家は、俳優に自分の言葉で、台本のあらゆる段落、事件、人物を語ることを求めました。スタッフや端役の俳優であっても、「災難を逃れる」ことはできませんでした。
 実際の生活では、私は内向的で表現が下手な女性です。演出家が指名するたびに胸の動悸は速まり、たまらなく緊張しました。しどろもどろにならないように、毎日退勤後にも自分で練習し、十分に準備しました。そうであっても、翌日話し始めると、やはりちょっと言葉が乱れてしまいました。
 あの時間は、私にとって非常につらい過程でした。しかし、私はそこから多くのものを学びました。台本を分析し、人物を理解する面で大きな向上がありました。私は演出家の郭暁男先生に感謝します。私にたくさんのことを教えてくださいました。
 越劇『春琴抄』は、2005年夏のいちばん暑い時にけいこが始まりました。演出家は
俳優に対して非常に厳格で、毎朝八時半にまず一時間のモダンダンスの基礎訓練をし、そのあと静かに劇場の舞台に正座しました。大きな劇場、かすかな照明、ゆったりとした音楽、ただ心臓がドキドキする音のみが聞こえます。今でも、毎回上演前の十五分、私たちは必ずこの神聖な正座をおこないます。
 けいこの段階では、私は毎日このような訓練をおこないました。舞台に静かに正座しさえすれば、私はすぐに自分がこの世界から抜け出し、さまざまな姿の日常生活とはまったく関係がなくなったかのように感じます。演出家がこのように私たちを訓練したのは、私たちの散漫な気持ちを整え、真に人物の内面世界に入っていくためだったということが、私はしだいにわかりました。正座していると、足がまず痛くなり、続いてしびれ、最後には刺すような痛みになります。毎日三十分の正座が終わると、私は立って歩くことができませんでした。しかし、今は私はこのような訓練が私にとっていかに重要かがわかります。
 これまで、俳優は舞台で楽器演奏の場面になると、多くは演奏するふりをするだけでした。しかし、演出家は私に本物の三味線を手にして練習するよう求めました。姿勢、指使いも一つ一つ学びました。昼休みの時間にも楽隊の先生を呼んで指導を受けました。しばらくすると、私は『春琴伝』の主題歌「大雪が舞う」と自分の唱の部分を弾くことができるようになりました。これは、私の幸運です。私はこのような優れた演出家に出会うことができました。
 越劇には、自己に属する一連の上演方式があります。越劇『春琴伝』では、新たな一連の方式を打ち立てなければなりません。たとえば、私が舞台で履くのは日本の下駄であって、伝統的な中国の靴ではありません。最初、私は小さな子どもが歩き方を学ぶように、舞台に上がるとぐらぐらとして、歩くことができませんでした。服装は水袖ではありませんでした。身体動作は当然それまでと異なりました。私は、どのような手段で性格が孤独で、ひねくれ、冷たく、ねじまがり、さらにマゾヒティックなところのある日本の盲目の女性を演じていいかわかりませんでした。
 目は、心の窓です。俳優と観客の交流、相互影響の主要な手段です。私はどのように盲目の女性春琴を演じたらいいのでしょうか。観客にそれは盲目の女性だと認めさせると同時に、私という俳優の演技を受け入れさせなければなりません。けいこの時、私はほとんど毎日鏡を見て、盲人の目の動かし方を練習しました。ある日、ついにその感覚を見つけ出しました。あまり正確ではないかもしれませんが、少なくともそのような気持ちになりました。私はとても心が晴れ晴れとしました。
 どのように正確に春琴の複雑な心理を把握するかも、私が考えた問題でした。演出家は非常に細かく私に分析し、説明してくれました。しかし、けいこになると、私はいつも演出家が求めるあの状態に到達することができませんでした。演出家の批判を聞き、私は落ち込みました!実は、私は自分のある部分は春琴と似ているところが少しあると感じていました。私は彼女と同様に、一人でいるのがわりあいに好きで、静かであることを好みます。しかし、彼女と異なっているところもあります。私はひねくれてはいませんし、性格がねじまがってもいません。彼女のあの類の心情を把握するのは難しいことでした。演出家の絶えまない啓発のもとで、私はじぶんの実際の生活の中で“春琴”と同じ“感情の変化の激しさ”を試し、生活のなかでの細かいできごとを借りて、舞台の人物をより充実させました。
 越劇『春琴伝』の最大の特徴は、“静で動を止める”ということです。私が理解した“静”は、仏教のあの“禅”の感覚を少し帯びています。私は日常お寺参りをしたり、仏教音楽を聴いたりするのが好きです。これらの生活の中のささいなことが、少しずつ役の創作の中に入っていきました。
 実は、最初私は春琴という人物が好きではありませんでした。彼女はかわいくなく、人に好かれもしないと思いました。私は、このような人物を演じると、ファンの間での私の印象をこわすのではないかと心配しました。もちろん、これは私の浅薄な理解、間違った考えにすぎません。春琴を演じることによって、俳優が正確に人物の性格の度合いを把握しさえすれば、欠点のある人物であっても、観客に同情され、美の化身となることができるのです。いま、私はこの人物がますます好きになり、愛情を感じています。春琴は私に、伝統的な越劇とは異なった演技様式を感じさせ、演じている時には非常に楽しく思ったほどでした。私はこのような人物を演じることができ、幸福に思い、満足しています。実際には俳優として、自分がほんとうに好きになる役と出会うことは少なく、求めても得られるものではありません。私は団長と演出家が得難い機会を与えてくださったことに非常に感謝いたします。私も、この役をしっかりと把握し、少しでも怠けてはなりません。
 2006年、越劇『春琴伝』は中国文化部がおこなう中国地方劇優秀劇目上演一等賞を受賞し、今年11月には第八回中国芸術祭に参加します。これは、越劇界で唯一今回の芸術祭に選ばれた演目です。2007年中日文化スポーツ交流年がおこなわれる時にあたり、日本話劇『春琴抄』の芸術家たちとここで顔をあわせて交流する機会を得て、私は自分のために、越劇のために、さらに自分の劇団のために誇りに思います。中日両国の『春琴伝』がより多くの観客に喜ばれることを願います。
 
                                      四
 一方、名取事務所『春琴抄』の舞台も、ほぼ原作通りに劇は進む。ジェームス三木の脚色は、義太夫の語りで筋を説明していくなどの工夫もこらしながら、谷崎の世界を舞台で表現することをめざす。二時間に満たない上演時間の中で、谷崎の世界がコンパクトにまとめられている。二人芝居ではあるが、ベテラン劇作家だけあって人物の交替も巧みで、違和感を感じさせない。越劇では削り取られたサディスティツク・マゾヒスティックの倒錯した世界が、日本側の舞台では重要な劇的要素として追求されていくことになる。写実的な台詞劇として、人物心理の追求に重点が置かれることは、当然であろう。
 座談会で、日本側関係者が二人芝居にしたのは経費節約のためだと率直に語っていたように、今回の『春琴抄』に谷崎の原作の持つゴージャスさが薄いことは否定できない。サド・マゾの世界も、まだ深みがあるとは言えない。しかし、板東扇菊、本田次布の奮闘は、舞台を十分に観るに耐えるものにしていたと思われる。春琴の母親を演じる場面の板東扇菊は、六代目中村歌右衛門を彷彿とさせた。幕切れの大阪の町を手をとって歩く二人の場面は、まさに一幅の絵となっていた。上海戯劇学院の二回の公演はいずれも満席で、盛大な拍手に包まれた。海外公演として、大きな成功を収めたといってよいだろう。聞くところでは、このあとの上海話劇芸術センター、中央戯劇学院での上演も、成功のうちに終わったという。
  日中二つの『春琴抄』が、その劇種、演劇形態の特色を発揮したものになったことは、今後これらの劇種・演劇形態を考えていく時大いに参考になることであろう。
(初出:『火鍋子』70号 2007年11月30日)
                             
注 本文発表後、名取事務所から寄せられた意見によると、座談会などではそのように発言したが、二人芝居にしたのは劇作家・演出家の希望で、名取事務所自身は決して経済的に困窮していないとのことである。
 
前半へ  資料庫へ   表紙へ