資料庫へ  春柳社シンポジウムへ  当日の写真へ  表紙へ
 
                     春柳社百年記念国際シンポジウム報告

                                                                          瀬戸宏
 東京在住の芝居好きな中国人留学生によって作られ一九〇七年活動を開始した春柳社は、中国話劇の嚆矢としてよく知られている。中国演劇界では本年中国話劇百年を祝う各種行事が予定されているが、これも春柳社が起点になっているのである。日本でも早稲田大学坪内逍遙記念演劇博物館(以下、演博と略記)が、二月三、四日両日中国から七名の研究者を招いて春柳社百年記念国際シンポジウムを開催した。私は演博COE客員講師などの立場で今回の企画に直接関わったので、この春柳社百年記念国際シンポジウムの内容と意義について報告したい。
 
 今回のシンポジウムは、演博が研究拠点である21世紀COE「演劇の総合的研究と演劇学の確立」の一環である。二〇〇二年から始まった演博21世紀COEでは平林宣和(早稲田大学)を責任者として演劇理論(東洋)コースが設けられ、飯塚容(中央大学)、松浦恒雄(大阪市立大学)、瀬戸宏(摂南大学)らが研究協力者として関与し、何回か研究集会が持たれた。その過程で、二〇〇七年が春柳社百年であることが話題になった。この機会に、春柳社発祥の地で国際シンポジウムが開催できないものか。幸い、竹本幹夫演博館長ら21世紀COE関係者の同意が得られ、シンポジウム実施が確定した。演博が春柳社百年を記念するこシンポジウムを開催することは、21世紀COEの範囲を越えた意義もあった。演博創立者坪内逍遙は日本新劇源流の一つ文芸協会の創始者でもあり、文芸協会と春柳社はリーダーの一人陸鏡若が後期文芸協会に在籍するなど、直接の影響関係にあったからである。演博にも、春柳社が〇七年六月に上演した『黒奴yu(1)天録』(こくどゆてんろく)の辻番付(ポスター)や陸鏡若の学生名簿など春柳社の原資料が何点か残されている。
 
 シンポジウムの名称は春柳社百年とし、中国話劇百年とはしなかった。中国話劇百年では対象範囲が広すぎ、討論内容の拡散が容易に想像できるからである。また、春柳社が直接産み出した演劇は、伝統演劇と話劇の中間的演劇形態である文明戯なのだが、文明戯が二十世紀の中国伝統演劇発展や初期の中国映画とも密接な関係にあったことが近年しだいに明らかになりつつあり、話劇だけが春柳社・文明戯研究の課題ではないからである。もちろん、文明戯を早期話劇ともいうように、文明戯がなければ話劇が生まれ得なかったことは明らかで、話劇の問題がシンポジウムの主要課題となることは当然であった。
 準備にも、かなり時間をかけた。二〇〇五年一月実施が決まった後、同年七月からは「早大COE文明戯研究会」の名称で予備討議の研究会が五回持たれた。研究成果共有のために、鈴木直子(東京女子大学)が責任者となり会報も五号発行した。中国側招聘者は一年前に決定し、報告題目を〇六年夏までに、論文は同年一二月までに提出を求め、コメンテーター予定者に事前に渡すとともに、予稿集も作成した。これら事務作業は、木村理子(演博COE客員助手)、田村容子(演博助手)が担当した。このほか、岩田和子、大江千晶、松浦智子、森平崇文らがスタッフとしてシンポジウム進行に関わった。
 
 シンポジウム開催には、もう一つ意図があった。春柳社、文明戯研究は、これまで中国話劇五十年の際欧陽予倩が発表した回想録が基礎になってきた。欧陽予倩は春柳社の当事者であり、建国後は中国演劇界の高い地位に就いた。その回想録は、当時としては可能な限りの資料調査がなされており、一定の科学性がある。そのため、彼の回想録は高い権威を持ち、その後の研究に決定的な影響を与えてきた。だが、今日からみれば、彼の回想録は、文明戯の重要な劇団である新民社、民鳴社の商業演劇的側面を過度に強調し否定的に扱うなど、発表時の時代思潮の強い制約を受けている。資料面でも、文革後は申報掲載上演広告などを使い、新たな事実が掘り起こされている。実のところ、資料発掘などの面では日本の文明戯研究は、現時点では中国より一歩進んでおり、この点は中国側研究者も認めている。まして、春柳社は日本で誕生している。日本でシンポジウムを開催することで、研究の新たな水準を切り開くこと一助とはできないものか、と考えたのである。
 文明戯シンポジウムは、今回に先だって二〇〇二年(東京・中央大学)、二〇〇四年(北京・和敬府賓館)にも開催され、上述の問題意識は中国側研究者にも少しずつ浸透しつつあった。二回のシンポジウムは、飯塚容を研究代表者とした科学研究補助金「中国『早期話劇』における日本演劇の影響」の研究成果の一部で、瀬戸宏も研究分担者として参加した。北京でのシンポジウムの発表論文は、『中国話劇研究』第一○集(文化芸術出版社・南京大学)に収録されている。今回のシンポジウムは、主催者は異なるが、実際にはその継続であった。
 
 シンポジウムの内容は以下の通りであった。討論を重視したので、各報告とも発言二十分のほか、コメント五分、討論十五分を設けた。さらに、初日、二日目とも、最後に四十分の自由討論時間を置いた。コメントは、中国側報告は日本人が、日本側報告は中国人が担当した。
二月三日(土):第一日目
主催者挨拶:平林宣和(早稲田大学)
開催にあたって:瀬戸宏(摂南大学)
司会:顧文勲(南京大学)
田本相(中国芸術研究院話劇研究所) 「春柳社在近代中日戯劇交流史上的地位和意義」コメンテーター 瀬戸宏
飯塚容(中央大学) 「ling(2)一種《姉妹花》」コメンテーター 宋宝珍(中国芸術研究院話劇研究所)
司会:黄愛華(杭州師範学院)
袁国興(華南師範大学)「“文明戯”的様態与話劇的発生−兼及対“文明戯体系”説的質疑」コメンテーター 松浦恒雄(大阪市立大学)
宋宝珍(中国芸術研究院話劇研究所)「文明戯的劇場状況与演出形態」コメンテーター 藤野真子(関西学院大学)
司会:田本相
神山彰(明治大学) 「日本的新派、新劇和春柳社」コメンテーター 黄愛華、自由討議。
二月四日(日):第二日目
司会:劉平
瀬戸宏「論新民、民鳴社」コメンテーター 顧文勲(南京大学)
張軍「梁啓超戯劇的話劇化傾向及与日本的関係」コメンテーター 平林宣和
司会:袁国興
劉平「春柳社演劇対校園戯劇的発展」コメンテーター 田村容子(早大演劇博物館)
黄愛華 「“春柳悲劇”及其在中国悲劇発展史上的意義」コメンテーター 鈴木直子(東京女子大学)
司会:宋宝珍
松浦恒雄「新的演出方法的開始−新的“民族形式”的創造与文明戯」コメンテーター 張軍
顧文勲 「“春柳社友”林天民的新劇活動与劇本創作−“未刊話劇史料拾零”之一」コメンテーター 飯塚容
司会:瀬戸宏
総合討論
中国側挨拶:田本相
総括・閉幕挨拶:飯塚容
 このほか、第一日午前の部終了後に、傍聴者も参加して演博所蔵春柳社・文明戯関連資料の見学会がおこなわれた。
 
 今回のシンポジウムは専門的討議を重視したので、使用言語は原則として中国語のみとした。関係者以外でも申し込めば誰でも無料で参加できたが、多数の聴衆を集める啓蒙的なシンポジウムとはしなかったので、事前宣伝は演博ホームページなどのほか中国文学、演劇研究者メーリングリストに情報を流した程度とした。それでも延べ四十名前後の参加者があり、会場の演博レクチャールーム(早大六号館)はほぼ満席となった。傍聴参加者も討論には自由に参加できた。参加者は東京以外の地区在住の人も多く、さらに開催を知って自費で駆けつけた台湾、香港の研究者(台北芸術大学石媛舜氏、香港中文大学方梓勲氏)もおり、関係者を感激させた。
 報告者の中で異色なのは、第一日の神山彰氏である。神山氏は『近代演劇の来歴』(森話社)などの著書もある日本近現代演劇の専門家で、氏自身は中国語を解さない。春柳社は新派など日本近代演劇と密接な関係があり、中国の研究者もその点は強調しているのだが、私はかねてから中国人研究者の関係論文には日本演劇の知識が不足していることが気になっていた。しかし、私も含めて日本人の中国演劇研究者は大半が中国文学専攻出身である。もちろん、日本近現代演劇の一通りの勉強はしているのだが、現在の研究水準を突破するためには新派などへのより深い専門知識が必要となる。そのため、神山氏を事前研究会から招き、春柳社と新派、新劇を比較する報告を依頼したのである。神山氏のみ通訳をつけて報告、討論時間を他の人の倍とした。
 果たして、神山氏の報告は中国人研究者に非常に好評で、予定した時間では討論が終わらず、直後の自由討議も大半が神山氏に対する質問となった。神山氏の報告を聞いて、自分がいかに新派を知らなかったかがわかった、と私に語った人もいた。なぜ日本演劇専門家の報告が一日目しかないのか、と不満を述べた人もいた。神山氏にとっても、春柳社の日本演劇受容を通して、研究上の新たな示唆を得られたようであった。春柳社シンポジウム東京開催の目的の一つが、中国人研究者に日本演劇の実相を知ってもらうことにあったとすれば、神山氏の報告は十分その目的を果たしたといえよう。
 
 神山氏の報告以外でも、すべての報告で討論になると待ちかねたように次々と手が挙がり、時間が足りないほどであった。討論時間の取りすぎではないかと事前には密かに心配もしたが、まったく杞憂であった。テーマが春柳社・文明戯に絞られており、参加者は皆その分野の専門研究者で過去にも何回かシンポジウムで同席して相互に問題意識を共有しており、発言が容易だったからであろう。研究者にとって交流し続けることがいかに重要か、改めて確認させられた。中国人研究者からも総括討論などで「新たな突破があった」「文明戯研究の転換点になるシンポジウムだ」という賞賛の意見をいただいた。
 では、今回のシンポジウムは何を突破したのか。いうまでもなく、欧陽予倩の回想録に依拠したこれまでの研究である。ここでは一つ一つの報告について具体的に触れる余裕がないが、欧陽予倩が触れなかった人物を取りあげたもの(顧文勲)、具体的作品についてのより深い研究(飯塚容)、文明戯についての新たな視点の提出(松浦恒雄、袁国興)、文明戯周辺の演劇事情研究(張軍)など、研究対象の広がり、新たな研究視点の提出、掘り下げた資料発掘など、各方面で文明戯研究を新たな段階に押し上げる内容であったことは間違いない。
 しかし、これらはまだ萌芽的なものに留まっている。今回のシンポジウムが真に文明戯研究の転換点になるかは、これ以後このシンポジウムを踏まえてどれだけ新たな研究成果が生まれるかにかかっている。その意味で、今回のシンポジウムの評価が定まるには、やはり数年の時間を必要とするだろう。幸い、シンポジウムの中で日中双方から今後も引き続き研究を継続させていきたいという意思表示があった。このシンポジウムの成果を踏まえ、私自身も新たに研究に励みたい。
 
 なお、シンポジウムにあわせて演博COEの事業として顧文勲、・飯塚容著、瀬戸宏・平林宣和編『文明戯研究文献目録』(好文出版 二〇〇七年二月発行 税込み一五七五円)も出版された。中国語、日本語文明戯研究文献の最も完備した目録であり、約三十点の文明戯関連画像も附されている。この目録の発行も、文明戯研究を新たな水準に高めるものとなろう。
(東方書店『東方』316号 2007年6月掲載)
 
1.2 ここ
 
資料庫へ  春柳社シンポジウムへ  当日の写真へ  表紙へ