二十一.アスカ、再び


 二人の記憶の重さに、少女は放心状態だった。
 少年もまた、語るべき言葉を持たなかった。


 セミが鳴いていた。

 あの頃と同じように。

 二人が過ごした、あの頃のように。
 少女は、急激に流れ込んだ情報量に圧倒されていた。まるで、夢の中のようだった。
 夢ならいいのに、と少女は思った。


 時計の針は元へは戻せない。それは、誰が言った言葉だったか。
 されど、前へ進めることは出来る。それは、いつ聞いた言葉だったか。

 少女はやはり、少女だった。

「正直言って、私、今、混乱している」

 落ち着いたトーンで、少女は続けた。

「いきなりそんなこと言われたって、すぐに『はいそうですか』なんて言えないわよ」

「私は『惣流アスカラングレー』で、『セカンドチルドレン』で、『弐号機パイロット』で、『エヴァンゲリオン』で『使徒』と戦っていた」
「『ネルフ』って言うところがあって、『葛城ミサト』って言う人と一緒に住んでいて、『綾波レイ』って言う子と一緒に戦っていた」
「『碇シンジ』はサードチルドレンで、『綾波レイ』はファーストチルドレン」
「私は『綾波レイ』のことを、『ファースト』って呼んでいた」
「『碇シンジ』と一緒に住んでいて、『綾波レイ』って言う子のことはあまり好きじゃなくて」
「『碇シンジ』と憎しみ合って、家を飛び出して、ボロボロになって保護されて」
「気が付くと、浜辺で『碇シンジ』に首を絞められていた」

「そんな話、いきなり理解できるわけ、ないじゃない……」
「ごめん……」

 再び、二人は沈黙する。


 風が通り抜けた。
 少し冷たい、風だった。


「でも」
「……」
「ひとつだけ、言えることがあるわ」
「……なに?」
「今の私、ハルカでもアスカでもどっちでもいいわ。今の私は……」
「……」

 少女は真剣な表情を崩さぬままに、言った。

「アンタのこと、好きだってこと」

「えっ……」

 少女は真っ直ぐな瞳で、少年を見ていた。

「正直に言って、なにがなんだかわかんないわよ。昔の私がアンタのことを憎んでいたのかどうかも、今の私にはわからない」
「本当は違っていたのかもしれない」
「それはないよ……」
「そんなの、わかんないでしょ。だって、忘れちゃってるんだもん」
「そう言うシンイチ、えーと、シンジか、もう、ややこしいわねぇ」
「そう言うシンジは、私のこと、どう思ってるのよ」
「やっぱり『アスカ』のことは嫌いなわけ?私が『アスカ』だってわかったから、嫌いになったわけ?」
「そうじゃないよ!」

 少年の答えは早かった。

「僕はアスカに、たくさん謝らなくちゃいけないんだ。赦してもらえるとは思えないけれど、謝らなくちゃいけないんだ」
「要するに、負い目があるってことね」

 感情が感じられない少女の声に、少年は沈黙する。

「ごめん」


「……ふぅ」

「もう、いいわよ」
「良くないよ……」
「もう、済んだことじゃない」
「でも……」
「もう、いいって言ったらいいの!何回も言わせないでよ」
「……ごめん」
「ほら、また謝る。その癖、直しなさいよ」
「あ、う、うん……」

 少女は、大きくひとつ、溜息を吐いた。

「幸いって言うかなんて言うか、今の私は昔のこと、忘れちゃってるんだしさ。もういいわよ。シン、ジが反省しているのもわかったし、それに、きっと私の方だって悪かったんだろうし」
「アスカは悪くないよ!」
「だ・か・ら!そんなのわかんないでしょ!」

「それに、さ」
「大事なのは、今、これからでしょ?」
「……そうだけど……」
「さっきの答え、まだ聞いてなかったわよね」
「さっきのって……?」
「もう、私のことどう思ってるかってことよ!」
「あっ……」

 少年は戸惑っていた。言葉が出ずに、少女を正視できなかった。
「どうなの?」

 抑揚を抑えた声で、少女は問う。

「だから……僕は、アスカを好きになる資格なんて……ないんだよ」

「バカッ!」

 パーーンッ!

 乾いた音が、響いた。

「アンタ、やっぱり同じじゃない!あの時なんて言ったのよ!バカ!バカシンジ!」

『…………!』

 少年は思い出す。少年と少女が『シンイチ』と『ハルカ』だったときのことを。お互いの気持ちを確かめ合ったときのことを。

 そう、確かにあの時、少女はそう言った。

「……ごめん」
「謝んないでよ。ホントのこと言ってよ。ホントの気持ちを聞かせてよ」

 それは、涙声に近かった。

 これ以上罪を重ねてはいけない。少年はそう思った。
 素直になろう。少年はそう思った。

 少年は、少女との記憶を手繰り寄せる。

 少女と初めて会ったときのこと。あれは、戦艦の上だった。
 少女と一緒に弐号機に乗ったこと。あの時は、訳がわからなかった。
 少女とユニゾンの特訓をしたこと。あれは大変だったけど、ちょっと楽しかった。
 少女の涙を見たこと。『十倍にして』というのが、少女らしかった。
 そのときの少女の後ろ姿。あのときは、その意味が分からなかった。
 少女の水着姿。あれは、眩しすぎた。
 少女を助けに火口に飛び込んだこと。あのときは、とっさだった。
 少女に借りを返して貰ったこと。あのときは、協力出来て嬉しかった。
 少女と一緒にラーメンを食べたこと。あのときは、綾波もミサトさんも一緒だった。
 少女とキスをしたときのこと。ただ、罪悪感だけが残った。
 少女をシンクロ率で抜いたときのこと。少女の気持ちも考えずに浮かれて、バカをやった。
 ディラックの海から還ってきたときのこと。少女は、病室の前で待っていた。
 少女との仲を冷やかされたこと。あれは、本当は嫌じゃなかった。
 少女との関係が悪化していった頃。ただ、おどおどするだけだった。
 第十四使徒との戦い。あれで、少女は追いつめられた。
 心を汚された少女を前にして。たった一歩が、踏み出せなかった。
 少女が消えてしまったとき。探そうとさえ、しなかった。
 少女を慰み者にしたこと。本当に、最低だった。
 少女が一人で戦っていたとき。ただ、うずくまっていただけだった。
 喰い散らかされた弐号機を見たとき。ただ叫ぶことしかできなかった。

 少年は、思った。
 きっと、今の気持ちこそが、本当の気持ちなんだと。

 それこそが、大切なものなんだと。

「僕は……」

「アスカのこと……」

 少年は、少女の瞳を真っ直ぐに見て、伝えた。

「僕は、アスカのこと、好きだ」

「好きなんだ」

 涙に濡れる少女の答えは、その笑顔だった。

「ばか……」


 世界が縮まる。吐息と吐息が触れ合うくらいに。
 世界は廻る。二人を中心にして。

 遂に、二人の心は重なった。


 それは、長い、長い、道のりだった。



 そしてそれは、新たなる始まりだった。






二十二.再会

 

Web拍手






同人誌収録作品 目次

Evangelion Fan Fictions INDEX

HOME PAGE