二人の記憶の重さに、少女は放心状態だった。 少年もまた、語るべき言葉を持たなかった。 セミが鳴いていた。 あの頃と同じように。 二人が過ごした、あの頃のように。 少女は、急激に流れ込んだ情報量に圧倒されていた。まるで、夢の中のようだった。 夢ならいいのに、と少女は思った。 時計の針は元へは戻せない。それは、誰が言った言葉だったか。 されど、前へ進めることは出来る。それは、いつ聞いた言葉だったか。 少女はやはり、少女だった。 「正直言って、私、今、混乱している」 落ち着いたトーンで、少女は続けた。 「いきなりそんなこと言われたって、すぐに『はいそうですか』なんて言えないわよ」 「私は『惣流アスカラングレー』で、『セカンドチルドレン』で、『弐号機パイロット』で、『エヴァンゲリオン』で『使徒』と戦っていた」 「『ネルフ』って言うところがあって、『葛城ミサト』って言う人と一緒に住んでいて、『綾波レイ』って言う子と一緒に戦っていた」 「『碇シンジ』はサードチルドレンで、『綾波レイ』はファーストチルドレン」 「私は『綾波レイ』のことを、『ファースト』って呼んでいた」 「『碇シンジ』と一緒に住んでいて、『綾波レイ』って言う子のことはあまり好きじゃなくて」 「『碇シンジ』と憎しみ合って、家を飛び出して、ボロボロになって保護されて」 「気が付くと、浜辺で『碇シンジ』に首を絞められていた」 「そんな話、いきなり理解できるわけ、ないじゃない……」 「ごめん……」 再び、二人は沈黙する。 風が通り抜けた。 少し冷たい、風だった。 「でも」 「……」 「ひとつだけ、言えることがあるわ」 「……なに?」 「今の私、ハルカでもアスカでもどっちでもいいわ。今の私は……」 「……」 少女は真剣な表情を崩さぬままに、言った。 「アンタのこと、好きだってこと」 「えっ……」 少女は真っ直ぐな瞳で、少年を見ていた。 「正直に言って、なにがなんだかわかんないわよ。昔の私がアンタのことを憎んでいたのかどうかも、今の私にはわからない」 「本当は違っていたのかもしれない」 「それはないよ……」 「そんなの、わかんないでしょ。だって、忘れちゃってるんだもん」 「そう言うシンイチ、えーと、シンジか、もう、ややこしいわねぇ」 「そう言うシンジは、私のこと、どう思ってるのよ」 「やっぱり『アスカ』のことは嫌いなわけ?私が『アスカ』だってわかったから、嫌いになったわけ?」 「そうじゃないよ!」 少年の答えは早かった。 「僕はアスカに、たくさん謝らなくちゃいけないんだ。赦してもらえるとは思えないけれど、謝らなくちゃいけないんだ」 「要するに、負い目があるってことね」 感情が感じられない少女の声に、少年は沈黙する。 「ごめん」 「……ふぅ」 「もう、いいわよ」 「良くないよ……」 「もう、済んだことじゃない」 「でも……」 「もう、いいって言ったらいいの!何回も言わせないでよ」 「……ごめん」 「ほら、また謝る。その癖、直しなさいよ」 「あ、う、うん……」 少女は、大きくひとつ、溜息を吐いた。 「幸いって言うかなんて言うか、今の私は昔のこと、忘れちゃってるんだしさ。もういいわよ。シン、ジが反省しているのもわかったし、それに、きっと私の方だって悪かったんだろうし」 「アスカは悪くないよ!」 「だ・か・ら!そんなのわかんないでしょ!」 「それに、さ」 「大事なのは、今、これからでしょ?」 「……そうだけど……」 「さっきの答え、まだ聞いてなかったわよね」 「さっきのって……?」 「もう、私のことどう思ってるかってことよ!」 「あっ……」 少年は戸惑っていた。言葉が出ずに、少女を正視できなかった。 「どうなの?」 抑揚を抑えた声で、少女は問う。 「だから……僕は、アスカを好きになる資格なんて……ないんだよ」 「バカッ!」 パーーンッ! 乾いた音が、響いた。 「アンタ、やっぱり同じじゃない!あの時なんて言ったのよ!バカ!バカシンジ!」 『…………!』 少年は思い出す。少年と少女が『シンイチ』と『ハルカ』だったときのことを。お互いの気持ちを確かめ合ったときのことを。 そう、確かにあの時、少女はそう言った。 「……ごめん」 「謝んないでよ。ホントのこと言ってよ。ホントの気持ちを聞かせてよ」 それは、涙声に近かった。 これ以上罪を重ねてはいけない。少年はそう思った。 素直になろう。少年はそう思った。 少年は、少女との記憶を手繰り寄せる。 少女と初めて会ったときのこと。あれは、戦艦の上だった。 少女と一緒に弐号機に乗ったこと。あの時は、訳がわからなかった。 少女とユニゾンの特訓をしたこと。あれは大変だったけど、ちょっと楽しかった。 少女の涙を見たこと。『十倍にして』というのが、少女らしかった。 そのときの少女の後ろ姿。あのときは、その意味が分からなかった。 少女の水着姿。あれは、眩しすぎた。 少女を助けに火口に飛び込んだこと。あのときは、とっさだった。 少女に借りを返して貰ったこと。あのときは、協力出来て嬉しかった。 少女と一緒にラーメンを食べたこと。あのときは、綾波もミサトさんも一緒だった。 少女とキスをしたときのこと。ただ、罪悪感だけが残った。 少女をシンクロ率で抜いたときのこと。少女の気持ちも考えずに浮かれて、バカをやった。 ディラックの海から還ってきたときのこと。少女は、病室の前で待っていた。 少女との仲を冷やかされたこと。あれは、本当は嫌じゃなかった。 少女との関係が悪化していった頃。ただ、おどおどするだけだった。 第十四使徒との戦い。あれで、少女は追いつめられた。 心を汚された少女を前にして。たった一歩が、踏み出せなかった。 少女が消えてしまったとき。探そうとさえ、しなかった。 少女を慰み者にしたこと。本当に、最低だった。 少女が一人で戦っていたとき。ただ、うずくまっていただけだった。 喰い散らかされた弐号機を見たとき。ただ叫ぶことしかできなかった。 少年は、思った。 きっと、今の気持ちこそが、本当の気持ちなんだと。 それこそが、大切なものなんだと。 「僕は……」 「アスカのこと……」 少年は、少女の瞳を真っ直ぐに見て、伝えた。 「僕は、アスカのこと、好きだ」 「好きなんだ」 涙に濡れる少女の答えは、その笑顔だった。 「ばか……」 世界が縮まる。吐息と吐息が触れ合うくらいに。 世界は廻る。二人を中心にして。 遂に、二人の心は重なった。 それは、長い、長い、道のりだった。 そしてそれは、新たなる始まりだった。 同人誌収録作品 目次 Evangelion Fan Fictions INDEX HOME PAGE |