その日、朝から少年の様子は、少しおかしかった。ぼうっと壁を眺めたり、意味もなく歩き回ったりしていた。時折頭を抱えて、辛そうな素振りを見せる。そうしたかと思うと、またぼうっと外を眺める。表情は暗く、絶望感さえ漂わせている。 ピンポ〜〜ンッ! チャイムの音にビクリとした少年は、数秒間迷った後で立ち上がり、玄関を開けた。 「おはよ、シンイチ」 元気な少女が、いつもの笑顔で現れた。 「お、おはよう」 「なによ、辛気くさい顔して。せっかくこの私が来てあげてるんだから、少しは嬉しそうな顔、しなさいよ」 少女はそう言って、少年の額をつつく。 「あ、あはは、そうだね」 苦し紛れに笑う少年。その様子を見て、少女は顔を曇らせる。 「もしかして、また調子が悪いの?」 「あ、ううん、大丈夫だよ。うん、大丈夫大丈夫」 言葉とは裏腹に、少年の表情は優れなかった。 * 少女は思った。やっぱり今日のシンイチは変だ。もしかすると、例の頭痛がしているのだろうか。それとも、心配事でもあるのだろうか。 しかしながら少女は、今一つ訪ねる機を逸していた。 「……イチ」 「……イチ」 「シンイチ!」 「あ、な、なに?」 三度目の少女の問いかけに、少年はようやく反応した。 「アンタ、やっぱり変よ。ちょっと……」 少女は身を乗り出して、少年の額に掌を当てる。 「熱はないみたいね。やっぱり例の頭痛がしてるの?」 「あ、ううん、そうじゃないんだ」 「じゃ、なによ。どうしたのよ」 「うん……」 少年はまた、視線を逸らした。 「ま、シンイチが平気ならいいんだけどさ」 少女は、気を取り直したように言う。 「でも、平気じゃなかったら、ちゃんと私に言うのよ。そのために私がいるんだから」 「うん、ありがとう」 少女は少しだけ満足したかのように頷くと、少年の手元のノートを覗き込んだ。 「あー、全然進んでないじゃないっ!」 「ゴ、ゴメン」 「謝らなくていいから、ちゃんとやりなさい!」 少女は少年のこめかみをげんこつでつつくと、笑い混じりに叱咤する。 「うん」 少年は苦笑して、またノートに向かった。 暫くして。 「ハルカ、ちょっといい?」 数回、少年は少女を上目遣いに伺うと、シャープペンシルを置き、ボソリボソリと話し始めた。 「実はこの前、病院に行って来たんだ」 「それって、例の頭痛のこと?」 「ううん、そうじゃなくて。実は僕、一ヶ月に一回くらい、精神科のお医者さんに診て貰ってるんだ。ほら、記憶喪失のことで」 「ああ、そのこと。私もそうよ。私も月に一回くらい、お医者さんに診て貰ってる」 「で、それがどうかしたの?」 少女も数学の問題集から目を外し、少年の話に耳を傾けた。 「うん、その時にね、頭痛のことも言ってみたんだ」 「うん、それで?」 「その先生はね、もしかしたらそれは、記憶が戻る前兆かもしれない、って言ってた」 「え、凄いじゃない!」 「記憶が戻ろうとして脳が刺激されると、そう言う痛みが起こることもあるんだって」 「凄い凄い!良かったじゃない、記憶が戻るんでしょ!」 興奮して、思わず少女は、パンッと両手を叩く。 「うん……」 されど、少年の表情は冴えなかった。 「どうしたの?嬉しくないの?せっかく記憶が戻るのに」 少女の問いに、少年は戸惑いがちに答えた。 「うん、本当はあまり、嬉しくない。なんだか、嫌な感じがするんだ。だって、僕は昔の僕のこと、全然知らないんだよ?もしかすると、昔の僕って言うのは凄く嫌な奴だったかもしれないんだよ?最低な奴だったかもしれないんだよ?」 下を向いて、少年は言った。 「それが僕は怖いんだ」 「だから、もしそうなら、記憶なんて戻らない方がいいんじゃないかなって……」 「なに言ってんのよ!」 少女は、勢い良く身を乗り出して、大きな声で言った。 「そんなことがあるわけないじゃない!なんでそんなこと思うのよ!大丈夫よ、シンイチはシンイチなんだから!」 「でも……」 「なに弱気になってるのよ。それに、もしかしたらその逆だってあるかもしれないじゃない。わからないことに怯えてたって、しょうがないでしょ」 「うん……」 「そんなに心配しなくたって大丈夫よ。シンイチに限って、そんなことはないわよ」 「ぜぇ〜〜〜ったいに大丈夫!保証付き!」 力を込めて、少女は言い切る。その顔を見て少年は、やや笑顔になった。 「そうだね。うん、そう思うことにするよ」 「そっ、そう思ってなさい」 少女はそう言うと、にこりと笑った。 「そうだ、今日はもう、勉強やめようか」 「え、なんで?」 「たまにはサボるのもいいんじゃない?ここのところ、ずいぶん真面目にやってたし」 「まぁいいけど……」 「あー、もう、じれったいわねぇ。せっかく私がデートに誘ってあげてるのに!」 「あ、ご、ゴメン」 首をすくめて、少年は反射的に謝る。 「こーゆー時は謝らなくてもいいの!すぐ謝るその癖、直した方がいいわよ」 「ゴメン」 「ほら」 「あ、っと……そ、そうだね気を付けるよ」 「うん」 そう言った少女の顔は、それでも厳しいものではなかった。 「じゃ、ぱーっと遊びに行きますか!」 「そうだね」 少年と少女は勉強道具を簡単にまとめると、連れだって部屋を出ていった。 外は、良く晴れていた。 しかし、少年の表情は終始、冴えなかった。 同人誌収録作品 目次 Evangelion Fan Fictions INDEX HOME PAGE |