九. もう十八歳



 「これから、ファーストが来るの」
 「この前、いきなりメールが来てね。『話したいことがあるから会えませんか』だって」
 「一体、何の話があるのかしらね」
 アスカは業務連絡のように、極めて淡々と告げた。

 未だ言葉を繰り出せずにいるシンジ。その顔を見て、アスカは乾いた笑いを見せた。
 「なんだ、やっぱりアンタもそうだったんだ」
 その顔に驚きが張り付いたままのシンジに、アスカは続ける。
 「そうじゃないかなって思ったのよね。だって出来過ぎじゃない、こんな話」
 「ファーストに呼び出されて来てみたら、そこにはシンジがいた。そんな偶然があるわけないわよ」
 品のいい笑顔と共に、バーテンがギムレットを運んできた。アスカはそれを受け取ると、シャンパングラスに口を付ける。
 「そっか、ファーストに一本取られたってわけね」
 薄い笑みを見せる彼女。そしてまた、薄い乳白色の液体を軽く煽る。

 「アスカも……そうだったんだ」
 やっとの事で、その一言を絞り出すシンジ。
 「そうか、そうだったんだ……」
 半ば、独り言のように呟く彼。

 彼女は、グラスに浮かぶ氷を人差し指で弄んでいた。何気なしにその指を見つめていたシンジは、アスカが薄いピンクのマニキュアをしていることに気付いた。横顔を改めて見ると、軽くではあるが化粧もしているようだ。

 『そうだよな、もう十八歳だもんな』
 今更ながらに、そのことに気付く彼。

 「なによ、なに見てんのよ」
 彼の視線を感じてやや引く彼女。
 「アスカも化粧をするんだな、って思って」
 シンジは、思うままを口に出す。
 「あたしだって化粧くらいするわよ。今年でもう十八なんだし」
 やや口を尖らせて、アスカはシンジを横目で見た。
 「そうだよね……」
 「そうよ」

 「四年、経ったんだね」

 そしてまた、沈黙が二人を支配する。
 その沈黙は四年という時間の重みであり、そしてまた、二人の記憶の重みでもあった。


 「綾波、遅いね」
 「ま、あの娘のことだから、迷子にでもなってるんじゃないの」

 半ば投げやりに言い放った彼女は、ギムレットを飲み干す。
 時計の針は既に、二十時を回っていた。
 「すみません、ピンクレディー下さい」
 「僕も、カルアミルクを」
 バーテンは小さく頷く。悪戯に出しゃばらないバーテンに、アスカは好感を持った。

 「未成年のくせに、いいの?」
 悪戯っぽい声で耳打ちする彼女。
 「アスカだってそうじゃないか」
 「アタシはいいのよ。大人だから」
 「同い年のくせに」
 「精神的に大人ってことよ」

 確かに、アスカは随分大人びて見えた。黙っていれば、二十歳前には見えないだろう。けれども時折、少女の顔が見え隠れする。そんな微妙な年齢だった。

 『あれから、どうしていたんだろう』
 そのことは聞けない。聞くことは出来ない。

 それは、アスカとて同じだった。
 彼と顔を合わせたときに瞬時に想い出されたのは、白い浜辺と紅い海。そして、自分の首を締め付ける彼の姿。 
 これまでも、シンジと再会するときのことを考えなかったわけでもなかった。その時に自分はどう思うだろうか。どうするだろうか。
 きっと、激しい怒りに駆られることだろう。きつく罵ることだろう。もしかすると殴りつけるかもしれない。

 ずっと、そう思っていた。

 けれど、今の自分はどうだ。
 何故だろう、不思議と怒りは湧いてこなかった。憤りもなかった。むしろ、ある種の郷愁さえ感じていた。
 そんな自分に、彼女は戸惑っていた。




十. だって他人なんだから




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