六. 二人の再会



 壊してしまえと思った。消してしまえと思った。殺してしまえと思った。みんな消えてしまえと思った。自分も消えてしまえと思った。
 全てに、絶望していた。
 だから、彼女の首を絞めた。惣流アスカラングレーのカタチをしたモノの、首を絞めた。
 指が白い首筋に食い込んだ。苦しげな音が気管で鳴った。
 壊してしまえと思った。消してしまえと思った。殺してしまえと思った。みんな消えてしまえと思った。自分も消えてしまえと思った。
 何をしたいわけでもなかった。ただ、その惣流アスカラングレーのカタチが許せなかった。
 だから、その首を絞めた。
 されど、それは為し得なかった。

 どうしたつもりかは、彼には全くわからなかった。されど確かに、惣流アスカラングレーのカタチをしたモノは、その右手を彼に差し伸べたのだ。
 白い包帯に包まれた冷たい彼女の掌は、静かに碇シンジの左頬を滑ったのだった。

 力が抜けた。指の、腕の、体中の力がどこかに消え失せた。
 鼻の奥がツンとした。熱いものがこみ上げてきた。涙が零れてきた。
 彼女の、惣流アスカラングレーのカタチをしたモノの上に、崩れ落ちるしかなかった。

 その頭上に降りかかってきたのは、そのコトバ。
 これ以上ない、最大級の拒絶を意味するそのコトバ。

 「気持ち悪い」

 『ああ、本当に気持ち悪かったんだな』
 突然、彼は理解した。
 あの時、惣流アスカラングレーのカタチをしていたモノは、果たして本当の彼女だったのだろうか。それとも彼の執着が生み出した幻だったのだろうか。


 息苦しさで、彼女は気付いた。

 彼女は思った。私は死んだのだと。
 『ここは地獄の一丁目ってヤツかしら、あはは、ホントにそんな感じよね』
 記憶の糸を辿ってみる。確か、ミサトに命令されたはずだ。エヴァシリーズを殲滅せよと。そしてその通りに殲滅した……はずだ。

 ズキン。左の目が燃えるように痛かった。
 ズキン。右手に割れるような痛みを感じた。
 ズキン。腹部がえぐり取られるように熱かった。
 ズキン。体中が槍で刺されるように痺れた。

 『ああ、そうだ。私はやっぱり死んだんだ。エヴァシリーズに喰われて死んだんだ。ロンギヌスの槍に貫かれて死んだんだ。バカシンジに見放されて死んだんだ』

 急に、空虚さを感じた。

 『まだやりたいこと、あったのにな』
 そう思って、自嘲する。

 『何をやりたいって?エヴァのパイロット以外にやりたいことなんてあったっけ?目標なんてあったっけ?出来ることなんてあったっけ?』
 『でも、もうどうでもいいわ。だって死んじゃったんだもん』
 それは、悟りにも似た諦めだった。

 されど、変わらず息苦しさは続いていた。ぼやけている焦点を少しばかり合わせてみる。
 そこに、碇シンジの姿が見えた。自分の首を締め上げている、碇シンジの姿が見えた。
 『コイツが私の死刑執行人なのかしら、神様も趣味が悪いわね』
 そう思うと急に、目の前の男が愛おしくなる。
 だから、彼の頬を撫でた。真っ白な包帯に包まれた右手で、彼の頬を優しく撫でた。

 彼の顔に、驚きの色が浮かんだ。
 じきに、首に掛かる力が緩んだ。
 そして彼は、嗚咽する。
 生暖かい涙が、彼女の頬に落ちる。

 彼女の希望は絶望に変わり、慕情は憎悪へと変化した。

 『コイツは私を殺すことすら出来ないのか』

 つまない男。思わず吐いて出る。

 「気持ち悪い」

 そして今、彼女は思う。あの時の彼は、本当に碇シンジだったのだろうか。それとも、自分の願望の産物だったのだろうか。

 二人とも、その後の記憶はない。別々の病院で、二人はそれぞれ目覚めた。
 目覚めるとそこには、『知らない天井』が広がっていた。紅い天の川も、異様なまでに白い浜辺も、血の色をした海も、天使のオブジェも、かつて綾波レイだったモノのなれの果ても、何処にもありはしなかった。
 テレビはくだらないバラエティを垂れ流し、新聞は少年の残虐事件をもっともらしく解説し、街には流行歌が溢れていた。つまり世界は、何事もなかったかのように完璧に回っていた。
 そして、二人は知ることとなった。使徒はもう来ないこと、人類補完計画が頓挫したこと、エヴァンゲリオンが消失したこと、ネルフはその姿を変えて存在していること、碇ゲンドウが死んだこと、サードインパクトは起きなかったこと、全てが終わったこと、そして、綾波レイが消えたこと。

 二人の再会。それは彼らに、封じ込めていた記憶を掘り返させた。それは、治りかかった瘡蓋を剥がす痛みにも似ていた。




七. どうすんのよ、ファースト




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