一. お久しぶりです



 それは、一通の電子メールから始まった。
 帰宅した彼を待っていたのは、雑多なジャンクメール。半ばうんざりしながらも、彼はそれらにざっと目を通し、不要な文書をごみ箱へ捨てる。そんな機械的な作業を繰り返す彼の手が、一通の文書の上でピタリと止まった。


        
  件名:お久しぶりです。お元気ですか?  
  差出人:綾波レイ<rei_ayanami@nerv.go.jp>  
  日時:2019年7月4日  
        
   碇君、こんにちは。綾波レイです。
 すっかりご無沙汰してしまいました。あれ以来、四年が経ちましたが、碇君はお変わりありませんか?
 急にメールをお送りしたので、驚いているかと思います。ごめんなさい。実は、碇君にお話ししたいことがあるのです。
 そこで、八月十日の土曜日の夜、お時間は空いていませんか?場所は第二新東京市内です。
 お返事をお待ちしています。

 綾波レイ

  



 瞬きする間も惜しむように一気に読み終えた彼は、右手でマウスを握りしめたまま、暫く凝固したように動けなかった。視線は何度も何度もその本文をトレースする。
 時計の秒針がたっぷりと六回を廻り終えた頃、彼はようやく右手を緩め、深い溜息と共に椅子の背もたれに寄りかかった。

 「綾波……」

 その名を最後に口にしたのは、一体いつだったか。
 されども、一時たりともその名を忘れたことはなかった。記憶の片隅から消えることはなかった。

 彼女に最後に会ったのはいつだったか。
 覚えているのは、橙色の海の中。全てが満たされた、そして全てに見放された海の中。それは確かに甘い死の世界。そこで彼は、確かに、彼女とひとつになったのだった。
 だが今となってはそれも、曖昧な記憶でしかない。そもそもそれは、現実だったのだろうか。それとも虚構だったのだろうか。今の彼にはそれさえも、わからなくなっていた。

 少しばかり落ち着いた彼は、何度も何度も書き直して、ようやく一通の返信メールを書き上げた。一字一字を再度確認した後、送信マークの付いたアイコンをクリックすると、デスクトップを飾るキャラクターが『メールを送ったよ』と報告した。その声が、今日に限っては何故かとても煩く感じた。


        
  件名:ホントに綾波なんだね?  
  宛先:綾波レイ<rei_ayanami@nerv.go.jp>  
        
    碇シンジです。こんにちは。
 綾波、ホントに綾波なんだよね!嘘じゃないよね。今まで何してたの?どうして姿を見せなかったの?今どこにいるの?早く会いたいよ。

 ゴメン、なんか勝手なことばかり言ってるね。綾波にも色々事情があったんだろうから、今は聞かない。今度会ったときにでも、良かったら教えてよ。

 僕は今、秩父って言うところにいる。山の中の田舎だけど、僕には合っているみたい。結構いいところだよ。そこで、地元の高校に通っている。
 高校生活は、たぶん、それほど悪くはないと思う。

 そうそう、肝心の八月十日のことだけど、大丈夫です。絶対に行くね。詳しい場所と時間を教えて下さい。お願いします。

 では、また。


 碇シンジ

  





二. 会えるのを楽しみに




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