僕たちは始まってもいない





第一章 遠い夏





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 僕には何も無い
 生きている理由も
 その価値も

 西暦二〇一五年
 あの最期の戦いのとき
 僕は生き残ってしまった

 それからの僕は
 ただ生きているだけだった
 生きている人形だった

 でも
 僕は人形とは違って
 お腹が減れば何かを食べた

 そんな自分に、程々嫌気が差していた
 殺して欲しかった
 でも
 誰もそんなことはしてくれなかった

 空は青かった
 海も青かった
 エヴァンゲリオンはもう無かった
 かつて友達と呼んだ人たちもいなかった

 父さんもいなかった
 綾波もいなかった
 カヲル君もいなかった

 でも

 アスカだけは近くにいた
 もうずっと口をきいていないけれど
 もうずっと目も合わせていないけれど

 僕はもうすぐ十五歳になる



     ※



 一瞬、アスカは目を丸くした。そして、ハハンと鼻に掛けた笑い声を立てる。
「面白いこと言うわね。なら勝負しましょうか」
「勝負?」
 シンジは細い眉尻を上げてアスカを見る。

「アンタがわたしに勝ったら、この先何十年でもアンタのいうことを聞いてあげるわ。その代わりわたしが勝ったら、アンタのその顔を二度とわたしの前に見せないで!」



     ※



 その、半年と少し前。

「おー、転校生。ちょっと来いやー」
 学校からの帰り道。河原の土手を歩く少年――碇シンジは呼び止められた。声の方を向くと、級友が三人、一台のオートバイを中心に集まっている。興味が有った訳ではないが、波風を立てることを好まない少年は、呼ばれるままに少年らの元へ歩む。河原の土手を降り、かつてグラウンドであったことを窺わせる開けた河川敷に、少年は降り立った。
「転校生、乗ってみるか」
 級友の一人が、シンジを誘う。少年が手にしているのは、オフロードタイプのオートバイだった。赤いシートには100Rの文字がある。シンジはまじまじとそのオートバイを見た。オートバイを意識して見るのも初めてだ。ゴツゴツした前後のタイヤ、細長いシート。サイズはさほど大きくはなく、ヘッドライトなども無かった。
「乗ったことないだろ、面白いぜ」
 促されるままに、オートバイに跨るシンジ。余裕をもって両脚は地面に着き、手を伸ばすとそこにハンドルが有った。
「面白そうだろ?」
 二カッと笑う少年。
「こうやって乗るんだ。ちょっと貸してみな」
 シンジからオートバイを受け取ると、跨って続ける。
「右手がアクセル。これを捻るとスピードが出る。右のレバーが前のブレーキ、左のレバーがクラッチ。これを握るとエンジンの力が切れる。右足が後ろのブレーキ、左足がギアチェンジ。慣れれば簡単だよ」
 手足で示しながら、一気に説明する少年。論より証拠ってね、とキックペダルを引き出して、右足でそれを踏み込む。
 バババババとオートバイは唸り声をあげる。その小さな車体に見合わない爆音に、シンジは一瞬身をすくめた。少年が右手を捻るのとシンクロして、小さなエンジンは咆哮をあげる。
「クラッチを切って、ギアを入れる」
 少年は左手を握り、左のつま先でペダルを踏み込む。ガチャンとギアが噛み込む音がした。
「ギアは最初が下、その後は上に掻き上げるんだ」
 左手のクラッチレバーを握ったまま、左足をガチャガチャと操作する少年。
「一番下の一速からちょっと上げるとニュートラル。ここに入れればバイクは動かない」
 レバーを握った左手をパッと開く少年。爆音を立てたまま、オートバイは身を震わせている。なぜ一番下がニュートラルじゃないんだろう、とシンジは思った。
「ちょっとみてな」
 そう言うと、少年は再びクラッチレバーを握り、左足でチェンジペダルを踏み込んだ。
「こうやって動かす」
 少年は右手を捻りながら、握った左手をスッと緩める。バババ、とオートバイは動き出した。

「ほら、乗ってみな」
 好きなマンガを勧めるような調子で、オートバイを降りた少年はシンジを笑顔で促す。
「え、いいよ。乗れないよ、こんなの」
 当然のように断るシンジに少年は、悪意のない笑い顔を見せる。
「いいからいいから。面白いぜ、バイクって。ちょっと乗ってみなよ」
 その顔は、面白いオモチャを手にした子供そのものだ。断り切れず、再びオートバイに跨るシンジ。まるで生きているかのようなエンジンの鼓動が、シンジの腰に響く。
「ヘルメットは被らないとね」
 戸惑いながらも促されるままに、シンジは少年から手渡されたヘルメットを被った。シンジには顎紐の締め方がわからず、少年に手伝ってもらった。
「よしよし、んじゃ、行ってみようか!」
 見渡すと、他の二人もニヤリと笑っていた。
 口をへの字に曲げ、戸惑いを露わにしながらも、シンジは左手でレバーを握り、左つま先で探りながら、ペダルを踏み込む。ガチャンと小さく振動が伝わった。
「よし、あとはアクセルを捻ってクラッチを繋ぐだけだ。右手を捻って、左手を離す」
 空の手で手本を見せた級友に従い、シンジは右手を捻り、左手をパッと離す。
 ババババン!
 爆音が響き、そして音が止まった。

 シンジは何が起こったのか、一瞬理解できなかった。気づくと青空を見上げていた。
「おい、転校生、大丈夫か!」
 級友の顔が三つ見えた。そこでようやくシンジは理解した。シンジは地面にひっくり返っていた。すぐ横には倒れたオートバイ。それに振り落とされたのだ。少し混乱しながらも立ち上がるシンジ。安堵する三人。
「急にクラッチを繋ぎすぎだよ。だから棹立ちになっちゃうんだ」
 どうやら、左手のクラッチを繋いだ途端に前輪が持ち上がり、そのまま後ろにひっくり返ってしまったらしい。
「悪かったなぁ。もっと丁寧に教えれば良かった。あんなに一気にアクセルを開けてクラッチを離すとは思わなかった」
 申し訳なさそうに頭を掻く級友に、大丈夫だよ、とシンジは答える。
「それよりも、オートバイは大丈夫?」
 ヒョイとオートバイを起こしたもう一人の級友にシンジは聞く。
「ああ、大丈夫大丈夫。オフ車は転んでも平気なようにできてるから」
 少年はそう言って右足でキックをし、エンジンを再始動する。ホッとするシンジ。
「無理に誘って悪かったな。ホント、ごめん」
 しきりに謝る少年。
「大丈夫だよ、それより……もう一度乗ってもいい?」
 シンジのその一言は、その場の三人の少年たちにとって、思いもよらないものだった。そしてその一言は、シンジのこれからの人生を変えるものとなった。

 シンジがゆっくりと左手のレバーを離すと、オートバイはソロソロと動き始めた。人が小走りするくらいの速度だったが、自分の力ではない何かによって力を与えられて走り出すその感覚は、新しい体験で、刺激的だった。
 右手を更に少し捻ってみる。ドン!と股下のエンジンは反応し、シンジを置き去るように加速する。置いて行かれそうになる身体を前に立て直し、シンジは更に右手を捻る。エンジン音とともに更に加速するオートバイ。前方にあった草むらが目の前に迫り、左に車体を倒して旋回しようとするシンジ。傍目にもスピードが出過ぎている。背後で級友達が叫ぶ。
 すべてはとっさの操作だった。シンジは左肩を入れるように体を倒し、左足を前方に突き出して地面を滑らせ、捻じ伏せるようにオートバイを大きく左に倒した。後輪が外に滑り始め、前輪も合わせて滑り始める。振り出されて大きく滑った後輪によりオートバイの向きが変わり、土埃と共にシンジが操るオートバイはクルリと向きを変えた。転ぶことなく、止まることもなく、級友の方に戻ってくるシンジ。級友たちは顔を見合わせて、誰ともなく言った。
「あいつ、スゲェな」


 いつもと同じ道でアパートへ向かうシンジ。しかしその足取りは、いつもとは少し違っていた。一段抜かしに階段を上がると、ぱったりと一人の少女に会う。
 年の頃は少年と同じだろうか。背中まで伸ばした金髪に碧眼。白い肌。少女の名は惣流・アスカ・ラングレーといった。少女は少年と同じアパートに隣り合って住んでいた。
 少女は少年の姿を認めるが、目を合わせることもなく脇をすり抜ける。その様は、街で行き交う他人同士のようだった。

 八畳ほどの二つの部屋にリビングダイニング。一つのキッチン。システムバスにトイレ。アパートはやや古びていたが、少年が住むには広すぎるくらいであり、不満は無かった。レトルトと冷凍食品で簡単に夕食を済ませ、風呂に浸かる。
 浴槽に身を沈めると、両の手に残るオートバイの振動を思い出す。シンジは自然とハンドルを握る格好を取り、目を閉じて夕方の出来事を思い出した。
「面白かったな……」
 少年は独り言つ。驚いた級友に喝采されたことは気恥ずかしかったが、それに増してオートバイの印象が強烈だった。単純に面白かった。音や振動、スピード、コーナーリング。そしてなにより、自分の意思で思い通りに動かせること。自転車とは全く違う、初めての体験だった。
「また乗ってみたいな」







1.Baby Crusing Love





 一ヶ月後。シンジはHサーキットのスターティンググリッドにいた。100ccのミニバイクレーサーに跨るシンジ。傍らにいるのはメカニックの北原エイジ。エイジはシンジの級友であり、シンジが初めて河原でオートバイに乗った時に一緒にいた三人のうちの一人だ。
 エイジの実家はレースにも積極的なオートバイショップを営んでおり、オートバイに囲まれて育った。当然のように小学校に上がる前からオートバイに乗り、レースにも参加。優秀な成績を残すようになる。またメカニックにも興味を持ち、十歳にもなると、自らの乗るオートバイを自ら整備するようにもなっていた。
 そんなエイジが、シンジをサーキットに誘うようになったのは必然と言える。そこでシンジは目覚ましい走りを見せ、あっという間にエイジを超えるタイムを叩き出すようになる。シンジの走りに惚れこんだエイジは、レーシングライダーを辞め、シンジのメカニックになることを決めたのだった。

 シンジは予選で他を圧倒する走りを見せる。初心者クラスとはいえ、二番手を一秒以上引き離すタイムで余裕のポールポジションを獲得していた。
「スタート一分前です」
 アナウンスが流れ、グリッドガールがプラカードを示しながら退去する。
「転ばなければ勝てるから、着実に走れよ、碇」
 念を入れるようにシンジの背中を叩き、そう言い残してエイジも退去する。グリーンフラッグが振られ、一周のウォーミングアップラップが始まる。シンジはエイジに言われたように、しっかりとブレーキをかけ、リアタイヤに意識して駆動力を掛け、ブレーキとタイヤを暖める。
 再びスターティンググリッドにマシンが戻ってきた。ポールポジションに着くシンジ。唸るエンジン音。
 信号機に赤ランプが灯った。数秒の後、消灯、スタート。
 シンジのスタートは失敗。前輪をピョコリと持ち上げてしまい、やや出遅れる。あちゃー、と声に出すエイジ。短く切り揃えられた頭を掻きながら、続けて呟いた。
「ま、大丈夫でしょ」
 その言葉通りに、二周目にはトップを奪還し、そのまま後続を引き離す。最後まで後続の追随を許さず、見事に優勝。デビュー戦にしてポールトゥウィンを飾ることになった。
 それから更に一ヶ月後。一つ上のクラスにエントリー。デビュー戦のようにはいかなかったが、結果としてここでも、シンジはポールトゥウィンを飾った。
 
「ありがとうございました」
 レース後、ショップのバンでアパートの前まで送ってもらったシンジは、エイジの父であるショップのオーナー兼監督とエイジに頭を下げて、走り去るバンを見送った。軽い足取りで階段を駆け上がるシンジ。
 たまたま買い物に出ていたアスカは、シンジがバンから降り、笑顔で話をしている様子を見掛けた。歩みを止め、通りの並木の下でその様子を凝視する。
「なによアイツ。楽しそうに……」

 どれだけ長い間、話をしていないだろう。最後に目を合わせたのはいつだっただろう。隣り合って住んでいながら、一瞬たりとて交わらない二人。それでも空気のように受け流すこともできず、アスカは刺々しい雰囲気を纏うしかなかった。
 少女は今日もまた、重い足を引きずるようにして階段を上がる。アスカは時折見掛けるシンジの様子が変わってきたことに、気づいていた。出掛ける機会が増え、今日のようにアスカの知らない人たちと一緒にいる場面も、何度か目撃している。その様子をみるたびに、アスカの胸中は不穏な空気で満たされた。
「気に入らない」
 どうしてそのような感情になるのか、アスカ自身もわからなかった。ただただ気に入らない。腹の底から湧き出てくるようなその黒い感情のやり場が、今のアスカにはどこにもなかった。

 アイツの笑顔が気に入らない。
 アイツのおどおどした表情が気に入らない。
 アイツの振る舞いが気に入らない。
 アイツの姿が気に入らない。
 臆病なアイツが気に入らない。
 エヴァに乗るアイツが気に入らない。
 わたしを超えたアイツが気に入らない。
 アイツのすべてが気に入らない。

 あの日々。少女がエヴァンゲリオン弐号機専属操縦者だったころ。少女は心を壊してしまった。心を覗かれ、汚され、自分の在り処を喪失し、生きる糧を無くし、希望を失った。街を放浪し、すべてを捨ててしまうつもりだった。だが、保護という名のもとに、少女は弐号機の中に押し込められてしまった。
 量産型エヴァと対峙した最期の戦い。アスカはその時のことを、殆ど憶えていない。気づいた時には、病院のベッドの上にいた。断片的に残る記憶はすべて、碇シンジへの憎悪に向けられていた。
 久し振りに会った気がする伊吹マヤにより告げられた顛末。世間がニア・サードインパクトと呼んでいたそれは、碇シンジによってトリガーが引かれ、そして何らかの力によって引き止められたという事だ。「おそらくシンジ君のおかげね」とマヤは呟いていたが、その真意が語られることは無かった。
 ニア・サードインパクトにより、Nerv本部のあった第3新東京市は消滅した。同時にNervは解体され、旧Nervのメンバーは新設されたWILLEに移り、アスカらチルドレンもWILLEの管理下にあることが告げられる。
「管理下と言っても特に行動に制限は有りません。ただ、住居や学校などはWILLEの指示に従ってください」
 何も変っていないかのように、事務的にマヤは告げた。
「今は混乱しているでしょうから、暫く静養してください」
 指定された住居には、大きな不満は無かった。唯一のそれは、碇シンジと隣同士であることだ。姿を見かけたり、すれ違ったりするだけでも苛々するのに、木造アパートの壁を通した隣の日々の生活音を聞く度に、思い出したくもないその顔が浮かんでしまう。消し去りたいそれを忘れることができない。指定された学校も少年と同じだったが、アスカは一度も登校していない。その不登校については、
WILLEからも指示は特に無かった。アスカの毎日は、カラカラと空虚に回っていた。

「寝ても覚めても退屈ね」
 ベッドの上でぐるりと寝返りを打つアスカ。今は何時なんだろう。時間を確認することさえ面倒だ。そうは言っても、空腹だけは毎日同じようにやってくる。アスカはゴソゴソとキッチンを漁り、カップ麺を取り出す。
「これでいっか」
 アスカの脳裏に一瞬よぎったもの。温かく、暖かい食事。偽りかもしれないが、一瞬かもしれないが、それは幸せのカタチに見えた。頭を振って麺をすする少女。食べ終わるとシンクで空き容器をサッとすすぎ、ゴミ箱にそれを押し込んだ。バキバキと複数の容器が割れる音が重なった。

 翌早朝。昨晩からあまり眠れず、ウトウトとまどろんでいたアスカは、隣人が出ていく音で目覚めた。時刻を確認すると午前四時前。「こんな時間にどこへ行くのよ」と呟きつつ玄関から外を窺うと、迎えのバンに乗り込むシンジの姿が見えた。度々来ている例の車のようだ。
「わたしに関係ないし」
 そう毒づいて再びベッドに潜り込む少女。しかし再び眠りに落ちることはできなかった。様々な記憶、思考、想い。それらがグルグルと少女の頭を巡る。
「ああ! もう!」
 顔を枕に叩きつけるアスカ。
「なんでこんなに気になるのよ!」

 その日の夕方。停車した車の音と賑やかな会話を耳にし、アスカは外を窺う。案の定、シンジが早朝に乗車したバンから降りて挨拶をしているところだった。アスカはバンのリアウインドウに大きく貼られたステッカーに気づく。そこには「Racing Garage E-Pro」とあった。シンジに気づかれないよう、すぐに身を潜めるアスカ。そして傍らの端末で先程のステッカーにあった名前を検索する。
「バイクショップ?」
 戸惑いながらも更に調べていくアスカ。どうやらオートバイのレースをやっているショップであるらしい。そこでアスカは信じられない名前を目にする。
「碇……シンジ?」
 所属ライダーの一覧に、少年の名前とレーシングスーツを着たシンジの写真が有った。暫し、アスカはその写真から目が離せなかった。
 アスカが凝視していた端末の画面がブラックアウトして、少女はハタと気づく。ショップのウェブサイトをくまなく調べると、翌週にシンジが出場するレースが有ることがわかった。
「ヒマ潰しに、アイツが何をやってるのか見てやる」



     ※



 翌週末。電車とバスとタクシーを乗り継ぎ、三時間ほど掛けてアスカはそこに到着した。
「まったく、なんでこんな辺ぴな場所にあるのよ」
 毒づきながらタクシーから降りると、多くのオートバイが奏でる爆音が鼓膜を打つ。
「凄い音……」
 ベースボールキャップを目深に被り、長い髪はラフにひとつに纏めて薄手の上着の中へ。上着の中はシンプルなTシャツ。先日買ったばかりのカーゴパンツにワークブーツを履いて、上着のポケットに両手を突っ込み、襟に首を埋めるようにして、猫背で足を進めるアスカ。
 訪れたサーキットは、少女が想像していたよりもずっとこぢんまりとしていた。観客席らしきものもなく、コースサイドからはコース全体を見渡すことができた。
「こりゃ、対策してきて正解ね」
 ご丁寧に黒縁伊達メガネまで掛けた少女は、なるべく目立たないようにコースサイドの隅に居場所を定める。

 三十分ほど経っただろうか。アスカが到着した時に行われていたレースは終了し、次のクラスが始まるようだ。「次はSPエキスパートクラス」とアナウンスが流れ、ピットから色とりどりのマシンがコースインしていく。各々のマシンはコースを一周し、アスカの眼前のストレートに戻ってきた。ゆっくりと各車が定められた位置に停車する。
「全車グリッドに着きました。それでは選手紹介を行います。まずはポールポジション、碇シンジ選手! 今年デビューの碇選手、初挑戦のエキスパートクラスですが、なんと! 見事ポールポジションをゲット! 碇選手、今の心境は!」
 MCがライダーにマイクを向ける。
「えっと、あの、頑張ります」
 MCの告げた名前に絶句していたアスカだが、聞き間違える筈もないその声を聞いて、我に返った。
「ホントに……アイツなの?」


「シグナルレッド……スタート!」
 MCの絶叫を打ち消すように、爆音とともに二十数台のマシンがそのパワーを開放する。迫る第一コーナー。マシン同士、体同士がぶつからんばかりに接近しながら、重なり合うようにマシンの群れが第一コーナーへなだれ込んでいく。
 一周目。シンジは後続を引き連れてトップで戻ってきた。第一コーナーへトップのままアプローチしていく。
 二周、三周、四周と、周回を重ねるごとに少しずつ後続を引き離し、十周を数える頃には、シンジが第一コーナーへ侵入する頃にようやく二番手がスタートラインを通過するまでに、差が開いていた。アスカの素人目にも、シンジの速さは圧倒的であった。
 最終ラップ、二十周目。シンジは後ろを振り返ることもなく、ペースを落とすこともなく、そのまま独走でチェッカーを受ける。シンジの速さを絶賛するMC。
 ピットに戻ってきたシンジは、チームメンバーに大喜びで迎えられる。同じ年頃の少年がシンジの両の肩を何度も叩く。ヘルメットを外したその顔は、やはり間違いなく、アスカの知る碇シンジであった。
 その光景に、アスカは幻を見るかの様子で、その場に立ちすくむ。
「アイツ、一体なんなのよ……」



     ※



 アスカがシンジのレースを目撃した時から六週間後。シリーズ第四戦がやってきた。いつものようにエイジらと共にサーキットに着くと、ピットには一台のマシンが先に到着していた。カラーリングはシンジの物と同一だが、ゼッケンナンバーが違う。グルリとマシン周りを回ってしげしげとマシンを眺めているシンジに、歩み寄ってきたショップオーナーであり監督の北原が告げた。
「今日からもう一台走ることになった。おーい、惣流!」
 その名を聞き、シンジは背中にピリッと電気が走った気がした。人の気配を感じて振り向くと、そこには、一人の少女の姿があった。金髪を一纏めに結い、白いヘルメットとレーシンググローブを手にし、チームカラーの白いレーシングスーツを身に纏った、その少女の姿。シンジは目の前の光景が信じられなかった。
「今日が初レースになる、惣流・アスカ・ラングレーです。よろしくお願いします」

 唖然とした表情で眼前の人物を見るシンジ。少年は混乱の極致に陥っていた。あれ以来アスカとは、言葉を交わすことはもちろん、目を合わせる事すらなかった。そのアスカがなぜ目の前に? しかもレーシングスーツを着て? レースに出る? どういうこと? 目を白黒させるシンジに向かい、アスカは目を合わせず、表情を崩さず、ぶっきらぼうに言った。
「よろしく、碇君」







 


第二章 きみとぼく