彼のマシンは先ほどの転倒により、少々のダメージを受けていた。
ブレーキレバー、右ステップ、ブレーキペダル、ハンドルバーなどを交換し、キャブレターをオーバーホールする。
エンジンにダメージが無い事を確認すると、続けて前後ホイールを交換する。
最後に真新しいカウルを付けて奇麗に磨き、整備は終了した。
カウルについては、シンジは傷の入ったものでいいと言ったのだが、新谷は『うちのエースのデビュー戦に傷の入ったカウルで出るなんてことは、プライドが許さん』と言い張り、交換した。
彼のマシンは深いブルーをベースに、大きな黄色い文字で『E Project』の文字が入っていた。もちろんこれは、スポンサーのCIマークである。
『E Project』とは、最近ハイティーンに人気のアパレルメーカーだ。斬新な色使いと独自のセンスで、絶大な人気を博していた。シンジのルックスと速さに興味を持ったメーカーが、自ら売り込んできたのだ。これは非常に珍しい事である。
しかしいつだったか、ユミコはこのロゴを、シンジが物憂げな瞳で見詰めている姿を目撃している。
またアスカも、眉をひそめてこのロゴを眺めていた事があった。
「このブランド、嫌い?」
ユミコはその時、アスカにそう問いかけたが。
「いえ、そういう訳じゃないです……」
という、歯切れの悪い言葉が返ってきたのみだった。
ユミコは疑問を感じたものの、記憶に深く残る程でもなかった。ただ、今、新谷が新しいカウルをマシンに装着し、その様子をシンジとアスカが揃って見ている姿を見て、ふと思い出したのだった。
*
翌日、午前十時。
ピットレーン出口のシグナルが青に変わる。
高らかにエンジン音を奏でながら、色とりどりのマシン達が緩やかに加速しながら、コースに流れ込んでいく。
全日本ロードレース選手権第二戦、予選日。第一回目の走行がスタートした。
幾多のマシンが、そのエネルギーをぶつけるように走り出す。
そしてその中に、シンジのマシンも有った。
僕らは始まってもいない
第四話
予選
シンジの持ちタイムからすれば、予選通過は問題ではない。
しかしただ一つの問題は、昨日の彼の転倒だった。
バイクのレースに転倒は付き物である。しかし、転倒そのものが、必ず怪我に繋がる訳ではない。多くの人が思っているほど、レースは危険なものではないのだ。
しかしシンジには、今まで転倒の経験がない。
彼がレースに足を踏み入れてから半年。一度の転倒もなかったのだ。
ライダーが転倒の後遺症を引きずる事は、良くある事だ。新谷とユミコの唯一の心配はそこであった。
しかしユミコの時計は、彼の自己ベストを次々に更新していく。
一回目の計時予選終了のチェッカーフラッグが振られる。
ユミコが最後に押したストップウォッチは、昨日までの持ちタイムをコンマ六秒更新していた。
「心配なかったみたいだな」
「そうね」
タイムをチェックし、新谷とユミコは顔を見合わせる。
「心配って、昨日転んだ事ですか?」
ラップチャートを覗き込むようにして、アスカは問う。
「ん、ああ、碇の奴、昨日初めてコケたからな。悪いイメージが残ってるんじゃないかと心配したんだけど」
「そうね、良くある事だからね」
安心した表情を見せる二人に、アスカはやや顔を曇らせて言う。
「シンジはそう言うの、たぶん平気です」
「さっすがアスカちゃん、分かってる〜」
「そうかそうか」
二人の冷やかしに、アスカは笑みを薄く浮かべるだけだった。
*
全日本ロードレース選手権 第一戦 予選結果
|
| Pos. | Name | Time | Team | |
| 1 | 関口ヒデキ | 1'49''008 | チームHRC | |
| 2 | 上村ヤスノリ | 1'49''012 | ヤマハ・レーシング | |
| 3 | 碇シンジ | 1'49''016 | E Project&KRT | |
| 4 | 永野マコト | 1'49''903 | チーム・スズキ | |
| 5 | 遠藤ツヨシ | 1'50''109 | チームHRC | |
| 6 | 並木ヒデト | 1'51''546 | チームグリーン | |
| 7 | 中川ダイスケ | 1'51''852 | ヤマハ・レーシング | |
| 8 | 清水コウスケ | 1'52''112 | チーム・スズキ | |
以下、計三十六台が決勝のグリッドに並ぶ。
スターティンググリッドは、一列につき四台のマシンが並ぶ。つまり三十六台が四台ずつ九列になって、スタートを待つ事になる。
二列目までに並ぶライダーは、シンジ以外は全て、メーカー直属のチーム、いわゆるワークスチームである。ライダーも一流、マシンも一流、物資も資金もプライベートチームとは比較にならない、まさに「勝つための集団」である。シンジの所属するチームは古くから有る名門ではあるが、それでもワークスとの戦力差は歴然としている。
それだけに、彼の三位というポジションは、並居るワークスライダーの驚異となるに余りある材料となっていた。
そして決勝当日早朝。パドックの話題の中心は、やはりシンジ。
男達は噂する。
「お、あれあれ、あいつが碇シンジだよ」
「あれか」
「そうそう、地方選でめちゃくちゃ速かった奴だろ」」
「俺、一緒に走った事あるけど、異常だぜ、あいつ」
「へえ、俺は雑誌に書いてあったことしか知らないからなあ。どんな奴だか楽しみだったんだ」
「でも、ひたすら無口な奴でさ、こっちから話し掛けても、殆ど話さないんだ」
女達は夢を膨らませる。
「昨日と一昨日の予選の結果、知ってる?」
「もっちろん!だってあのシンジ君が出てるんだもん」
「相変わらずアンタはミーハーね。ちょっとかわいいのがいると……」
「ち・が・う・の・!シンジ君はね」
「ハイハイ、アンタのその話は聞き飽きました」
「でも、予選三位は凄いわよね」
「私は不満よ!なんでポールじゃないのよ!!」
「そんな事言ったって、一位と二位はバリバリのワークスよ。いくら彼だって、そう上手くは行かないわよ」
決勝スタートは、午後一時四十五分。
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