彼のマシンは先ほどの転倒により、少々のダメージを受けていた。
 ブレーキレバー、右ステップ、ブレーキペダル、ハンドルバーなどを交換し、キャブレターをオーバーホールする。
 エンジンにダメージが無い事を確認すると、続けて前後ホイールを交換する。
 最後に真新しいカウルを付けて奇麗に磨き、整備は終了した。
 カウルについては、シンジは傷の入ったものでいいと言ったのだが、新谷は『うちのエースのデビュー戦に傷の入ったカウルで出るなんてことは、プライドが許さん』と言い張り、交換した。

 彼のマシンは深いブルーをベースに、大きな黄色い文字で『E Project』の文字が入っていた。もちろんこれは、スポンサーのCIマークである。
『E Project』とは、最近ハイティーンに人気のアパレルメーカーだ。斬新な色使いと独自のセンスで、絶大な人気を博していた。シンジのルックスと速さに興味を持ったメーカーが、自ら売り込んできたのだ。これは非常に珍しい事である。
 しかしいつだったか、ユミコはこのロゴを、シンジが物憂げな瞳で見詰めている姿を目撃している。
 またアスカも、眉をひそめてこのロゴを眺めていた事があった。
「このブランド、嫌い?」
 ユミコはその時、アスカにそう問いかけたが。
「いえ、そういう訳じゃないです……」
 という、歯切れの悪い言葉が返ってきたのみだった。

 ユミコは疑問を感じたものの、記憶に深く残る程でもなかった。ただ、今、新谷が新しいカウルをマシンに装着し、その様子をシンジとアスカが揃って見ている姿を見て、ふと思い出したのだった。






 翌日、午前十時。
 ピットレーン出口のシグナルが青に変わる。
 高らかにエンジン音を奏でながら、色とりどりのマシン達が緩やかに加速しながら、コースに流れ込んでいく。
 全日本ロードレース選手権第二戦、予選日。第一回目の走行がスタートした。

 幾多のマシンが、そのエネルギーをぶつけるように走り出す。
 そしてその中に、シンジのマシンも有った。



















僕らは始まってもいない

第四話
予選



















 シンジの持ちタイムからすれば、予選通過は問題ではない。
 しかしただ一つの問題は、昨日の彼の転倒だった。
 バイクのレースに転倒は付き物である。しかし、転倒そのものが、必ず怪我に繋がる訳ではない。多くの人が思っているほど、レースは危険なものではないのだ。
 しかしシンジには、今まで転倒の経験がない。
 彼がレースに足を踏み入れてから半年。一度の転倒もなかったのだ。
 ライダーが転倒の後遺症を引きずる事は、良くある事だ。新谷とユミコの唯一の心配はそこであった。

 しかしユミコの時計は、彼の自己ベストを次々に更新していく。

 一回目の計時予選終了のチェッカーフラッグが振られる。

 ユミコが最後に押したストップウォッチは、昨日までの持ちタイムをコンマ六秒更新していた。

「心配なかったみたいだな」
「そうね」
 タイムをチェックし、新谷とユミコは顔を見合わせる。
「心配って、昨日転んだ事ですか?」
 ラップチャートを覗き込むようにして、アスカは問う。
「ん、ああ、碇の奴、昨日初めてコケたからな。悪いイメージが残ってるんじゃないかと心配したんだけど」
「そうね、良くある事だからね」
 安心した表情を見せる二人に、アスカはやや顔を曇らせて言う。
「シンジはそう言うの、たぶん平気です」

「さっすがアスカちゃん、分かってる〜」
「そうかそうか」

 二人の冷やかしに、アスカは笑みを薄く浮かべるだけだった。





 全日本ロードレース選手権 第一戦 予選結果
  Pos.NameTimeTeam  
  1関口ヒデキ1'49''008チームHRC  
  2上村ヤスノリ1'49''012ヤマハ・レーシング  
  3碇シンジ1'49''016E Project&KRT  
  4永野マコト1'49''903チーム・スズキ  
  5遠藤ツヨシ1'50''109チームHRC  
  6並木ヒデト1'51''546チームグリーン  
  7中川ダイスケ1'51''852ヤマハ・レーシング  
  8清水コウスケ1'52''112チーム・スズキ  

 以下、計三十六台が決勝のグリッドに並ぶ。

 スターティンググリッドは、一列につき四台のマシンが並ぶ。つまり三十六台が四台ずつ九列になって、スタートを待つ事になる。

 二列目までに並ぶライダーは、シンジ以外は全て、メーカー直属のチーム、いわゆるワークスチームである。ライダーも一流、マシンも一流、物資も資金もプライベートチームとは比較にならない、まさに「勝つための集団」である。シンジの所属するチームは古くから有る名門ではあるが、それでもワークスとの戦力差は歴然としている。
 それだけに、彼の三位というポジションは、並居るワークスライダーの驚異となるに余りある材料となっていた。


 そして決勝当日早朝。パドックの話題の中心は、やはりシンジ。

 男達は噂する。
「お、あれあれ、あいつが碇シンジだよ」
「あれか」
「そうそう、地方選でめちゃくちゃ速かった奴だろ」」
「俺、一緒に走った事あるけど、異常だぜ、あいつ」
「へえ、俺は雑誌に書いてあったことしか知らないからなあ。どんな奴だか楽しみだったんだ」
「でも、ひたすら無口な奴でさ、こっちから話し掛けても、殆ど話さないんだ」

 女達は夢を膨らませる。
「昨日と一昨日の予選の結果、知ってる?」
「もっちろん!だってあのシンジ君が出てるんだもん」
「相変わらずアンタはミーハーね。ちょっとかわいいのがいると……」
「ち・が・う・の・!シンジ君はね」
「ハイハイ、アンタのその話は聞き飽きました」
「でも、予選三位は凄いわよね」
「私は不満よ!なんでポールじゃないのよ!!」
「そんな事言ったって、一位と二位はバリバリのワークスよ。いくら彼だって、そう上手くは行かないわよ」

 決勝スタートは、午後一時四十五分。




























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