少し溯って、決勝前夜。
 サーキットホテルのロビーに、シンジはいた。
 午後十一時三十七分。
 一人で、テレビのくだらないバラエティー番組を眺めている。
 しかし彼の心は、その画面のずっと向こう側にあるようだ。




















僕らは始まってもいない

第伍話
前夜



















「シンジ、どうしたの?」
 一人で背中を丸める彼を見つけ、アスカはその背中に呼び掛けた。
「アスカ……」
 彼は振り向かずに答える。
 彼女はそのまま、彼の背中を見ながら続けた。
「いよいよ明日ね」
「少しは、緊張してる?」

 シンジの返事は短く。

「良くわからない」

 そして二人は沈黙に包まれる。
 バラエティ番組のわざとらしい笑い声が、どっと沸いた。



「……寝ようとすると、綾波の顔が浮かぶんだ」

「今でもはっきりと、あの時の綾波の顔が浮かぶんだ」

「あの綾波の笑顔が……」





「僕は綾波のおかげで、今ここにいる」

「今の僕は、綾波がいたからだ」

「でも今の僕は……」





 テレビはいつの間にか、ニュース番組に変わっていた。




「普通だったら、明日のレースの事で頭がいっぱいなはずなのに」

「なんだか、よく分からないよ」



 沈黙を破ったのは、アスカだった。

「私は」

「私は、今自分の出来る事を精一杯にやるしかないと思ってる」

「私にはそれしかできない」

 小さく、シンジの頭が揺れた。



「シンジも、考えすぎない方がいいんじゃない?」
「昔からシンジは考え過ぎちゃう癖があるんだから、もっと楽に、ね」

 アスカは一歩、シンジに歩み寄り、彼のもたれているソファーに手を掛ける。

 アスカの手とシンジの肩。
 それは、触れ合いそうで、触れ合う事はない。
 その距離は、今の二人の距離なのか。




「さ、早く寝よ。明日は期待してるんだから」
「……そうするよ」

 ゆっくりとシンジは立ち上がると、その時初めて、アスカと顔を合わせる。
 彼のその表情は、いつもの彼のように見えた。
 アスカは彼の顔を認めると、彼に付いてロビーを後にする。

「おやすみ、シンジ」
「おやすみ」

 彼と彼女は、それぞれの部屋へ消えていった。
 明日に備えるために。





 ベッドに入るも、シンジはなかなか寝付けない。
 脳裏にフラッシュバックする、少女のあの姿。

「今日に限って……」

 シンジは苦しげに、寝返りを打つ。

 彼は何度、体を入れ替えただろう。
 ようやく彼は、浅い眠りに落ちていった。























































「碇くん……」

「綾波!!」


「来てくれて、ありがとう」

「綾波! どうしたんだよ! 何がどうなってるんだよ!!」



「……ごめんなさい」



「なんで……なんで謝るんだよ……」





「ごめんなさい」


「私、あなたの事、わからなかった」





「……」




















「あなたは、サードチルドレン」


「あなたは、碇司令の子供」


「あなたは、碇ユイという人の子供」


「あなたは、初号機のパイロット」


「あなたは……」








            ・
            ・
            ・







「二人目の私が、護った人……」






            ・
            ・
            ・






「私には何も、わからなかった」






「……わからなかった」







            ・
            ・
            ・






「でも、今はあなたの事、わかる気がする」




「何故、二人目の私があなたを」




「あなたを護ったのか、わかる気がする」










「私は、あなたと触れ合うために」




「そのために、生まれてきたのね」







「私には、それは記憶でしかないけれど」




「あの時の私はきっと、嬉しかったのね」




「幸せだったのね」




「あなたの心と触れ合えたから」




「だから、涙を流したのね」







「私も、今は、わかる気がする」







「わかる、気がする」








            ・
            ・
            ・








「ありがとう。あなたに逢えて……」









「あなたに逢えて、嬉しかった」


























「さよなら」














            ・
            ・
            ・

















「綾波! 待って! 綾波! 綾波! あやなみィーーーーーー!!」





























































































「綾波!!」



 右手で宙を掴んだまま、シンジは目覚めた。
 グッショリとかいた寝汗が気持ち悪い。



「また同じ夢……」


「綾波……」




 ベッド横の安っぽいアンティーク調の時計は、午前四時十五分を差している。
 そのままベッドから這い出ると、着ているものを全て脱ぎ捨て、シャワールームに向かった。

 そのまま、冷たいシャワーを浴びる。
 熱い体に、冷たいシャワーが心地良い。
 そのままどのくらい経っただろうか。彼はシャワーを止め、鏡に映る自分の顔を眺める。






「綾波……」



「僕は、どうしたらいいんだろう」



「綾波……」






 鏡の中の自分が、答えてくれるはずもなかった。











「馬鹿みたいだ、俺」









 コツンと鏡に額を合わせ、彼はそう、自分に笑った。





























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