私とグループC

 あれは1989年の10月のことでした。当時大学3年生だった私は、友人2人を誘い、朝早くから静岡県の富士スピードウェイにクルマを走らせました。全日本プロトタイプカー選手権第5戦、インターチャレンジFUJI1000kmレースを観戦するためでした。
 私にとって生まれて初めてのレース観戦、それがフォーミュラでもなくツーリングカーでもなく、グループC耐久の一戦だったのは、その年の6月、TVで
ル・マン24時間レースを見てこのカテゴリーに強い興味を持ったからにほかなりません。


 第57回目のル・マン、この年の日本車の活躍はめざましく、トヨタ、ニッサン、マツダがそれぞれ送り込んだ3台ずつのマシンは、メルセデス、ジャガー、ポルシェなどの世界の強豪と伍して素晴らしい戦いをしてくれたのです。
 予選では
トヨタの37号車が幻のポールタイム(Tカーのためタイム取り消し)をたたき出し周囲を驚嘆させ、決勝ではニッサンの23号車が10時間経過時点まで4位〜6位の絶好のポジションで力強く走り続けていました。その戦いぶりは、ヨーロッパのジャーナリスト達をして、近い将来、日本車がその主役になると言わしめるほどの衝撃を与えました。
 残念ながら、注目を浴びる大活躍を見せたトヨタ勢とニッサン勢は、レースの進行とともに相次いでマシントラブルやアクシデントに見舞われ早々と戦列を去ってしまい、ついには夜明けを待たずして6台が全滅してしまいました。
 代わってひたひたと順位を上げていったのが、それまではやや目立たない存在だったマツダ勢でした。永年にわたるル・マン・チャレンジの経験を生かし、まさに耐久レースの戦い方を知り尽くしたような堅実な走りを披露して、結局3台全車が完走し、
日本車史上最高位タイの7位(9位・12位)というリザルトを残したのです。
 栄光のトップチェッカーを受けたのはザウバーメルセデス。出走55台中、完走は19台というサバイバルレースでした。

 その日のFISCOは、朝から冷たい雨が降り続いていました。クルマを停めクランドスタンドに急いで向かうと、ちょうど朝のフリー走行の時間帯でした。そこで我々は、コース上を走るマシンの姿を確認するよりも前に、軽い地響きとともに、腹の底から響き渡るような、今まで経験したことのないような爆音を体で感じたのです。
 「す、すげぇ…!」 
 すぐにその物体は私達の目の前のメインストレートを通り過ぎ、それは「耐久の王者」ポルシェ962Cの低く野太いターボサウンドであることがわかりました。サーキット全体を包む霧と水煙の中でも、スポンサーカラーに綺麗にペイントされたレーシングカー達の迫力、カッコよさは十分に目に焼き付きました。やがて、ニッサン勢、トヨタ勢も順に姿を見せ、TVで見た通りの鮮やかなマシンカラーと、迫力あるターボサウンドをとどろかせていきました。

 コースはヘビーウェット状態のため、全開とは程遠いエンジン回転数でしたが、早くもスタンドで興奮気味の私達の会話の声をかき消すには十分な音量でした。と同時に、同じターボカーでも、水平対向の3リッター、V8の3.2リッター、V8の3.5リッターと、形式によってサウンドの微妙な違いがあることにも気付かされました。また、エントリーの大半を占めるポルシェ勢の中にも、スポンサーカラーは当然のこと、ウィングや細かいカウル形状などにも様々なバラエティがあることもわかってきました。


国内耐久の最大勢力であったポルシェ962C勢

 初めて見聞きする生のグループCカーの迫力にいきなり圧倒された私達は、しばらくメインスタンドの最上段にそのまま立ち尽くしていました。朝のサーキットを支配する底冷えするほどの寒さ、そして容赦なく吹き付ける冷たい風や雨のこともすっかり忘れ、皆食い入るようにFISCOのメインストレートへ視線を注いでいたのです。
 すると最終コーナー方面から、
一段と派手なカラーリングのマシンが、まったく聞いたことのない凄まじい金属音を立てて近付いてくるではありませんか。異様なまでに低くマウントされたリアウィング、そして耳をつんざくような甲高いサウンド。明らかにそれまで通過したマシン達とは異なる、まさに個性のかたまりのようなクルマが目の前を通り過ぎていったのです。

 チャージ・マツダ767B。
 世界唯一の4ローター・ロータリーエンジンを搭載するIMSAーGTPマシン。

 私はそのド迫力と艶やかさに、6月のル・マンのTV中継で見せた力強い勇姿が重なり、その瞬間からこの孤高のロータリーマシンの虜になってしまったのです
 幾多のレシプロエンジン勢に対し、決して有利とはいえないレギュレーションにも屈せず、唯一独自のパワーユニットを搭載して、日本そして世界のレースに挑み続ける姿には本当に心打たれるものがあり、元々マツダ好きだった私は大いにこのレースに引きつけられました。
 しかし、グループCの魅力は決してそれだけではありません。
 不動の王者ポルシェに対し、新興勢力であるトヨタ・ニッサン・マツダの国産勢が真向から戦いを挑んでいるというエキサイティングな図式。そして、5時間から6時間もの長丁場の間に二転三転するレース展開と、それに絡むチーム戦略や高度なかけひきの妙。さらには、「耐久」とはいうもののスプリントレース並の緊迫感と激しいバトルの連続…。
 私(と友人)はすっかり耐久レースの世界にハマっていったのでした。

 
このように様々な形式のパワーユニットが集うところに、まずスポーツプロトタイプカーレースの醍醐味がありました。マシンの自由度が高い一方で、唯一レース中の燃料使用総量の制限という足枷があり、その中で激しい戦いが繰り広げられる。つまり、いくら速く走ってもゴールまで辿り着けなければ勝利できない。またいくら燃料を余らせても、遅くてはまったく勝負権がない。こうした厳しい技術競争の中に各メーカーの固有の技術・パッケージングが生まれ、独自のレース哲学が存在する。レーシングドライバーが主役であるF−1選手権やその他のレースとは違って、メーカー(マニュファクチャー)のための選手権であったグループCのレースは、その技術レベルの高さも相俟って、極めて個性的かつ面白いカテゴリーだったと言えるでしょう。