日記帳


プレイバックPART 16
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1/31(午後11時)
強い寒気と怠さ。完全に風邪をひいてしまったらしい。晩飯食っていても、冷たい飲み物を身体がまったく受け付けない。こりゃかなり重傷だ。いつもならPCの前でうだうだしている時間なんだけど、今日は部屋の電源を全部切ってジキニン飲んで蒲団に潜り込み、眠る。

1/30
最近、発表されたパワーブックG4は、薄くて軽くて直線的で、従来より18ミリ広くなった本体に、シルバーメタリックのカラー、ますます薄く大きくなりました。ますます食品トレイに似てきましたねぇ。スティーブ.ジョブスCEOが掲げて笑っている写真を見ると、五人前のピザとビールが乗っかってしまいそうです。その大きさもアップルの個性のうちなんでしょう。

1/29
浜崎あゆみの全身ポスターを見て「小柳ルミ子に似てるな」と言ったら、ひんしゅくをかってしまった。だってさー、似てるんだもん。絶対にそっくりだぜ。
「失礼だよ」「みんな怒るよ」だと。んじゃ、小柳ルミ子の立場はどうなる?

(朝)僕がトヨタを停めている駐車場は舗装されていない。アスファルトじゃなくて天然の地面だから、雪や氷は溶けにくい。しかもJRの高架の傍なので日当たりが悪い。
覚悟はしていたが、やっぱりトヨタは凍りついた雪に埋もれていた。屋根とフロントガラスとボンネットにびっしり。足回りにもこんもり。「はぁ〜」ため息まで白いわ。とりあえず車を暖めるためにエンジンをかけた。続いて後部席に積んでいた雨傘を使ってフロントガラスとボンネットの雪を削り落とし(5分かかった)、再び運転席に収まった。
足下の雪はナンバープレートの高さにまで及んでいる。はたして大丈夫だろうか?祈るような気持ちでアクセルを、ゆっくりと踏んだ。案の定、30センチ進んだところでスリップだ。気を取り直してギアをバックに入れて100センチ後退してから、再び前進だ。今度は切り抜けた。だが、駐車場の出口で再びスリップ。またギアをバックに。120センチ後退して、前進。ここは緩い下り坂になっているので車体の重量が味方してくれたようだ。滑りながらも何とか外に出ることが出来た。しかし、表の道路にも雪が残っているのには変わりがない。前に通った車の轍を利用して、ゆっくりゆっくり、進んだ。300メートルほど我慢すれば綺麗な道路に出られるのだ。
(夜)不安を抱えながらも駐車場まで帰ってきた。昼間の太陽で雪が溶けているのを期待していたが、ここ周辺は駄目だった。朝とぜんぜん変わらない状態だ。予感は的中した。僕のトヨタはスリップして、どうしても出入口の坂を上ることが出来ない。
しかたがないので、仕事場の駐車場まで引き返し、トヨタを残して、僕は駅まで歩いた。2時間を無駄にしてしまった。

1/28
「ブレア.ウィッチ.プロジェクト」
94年10月、映画学科の学生3人が、メリーランド州の森で、ドキュメンタリー映画を製作中、行方不明に。
一年後、フィルムだけが発見された。

という、クレジットタイトルの後、90分弱にわたって問題のフィルムが再生される。それだけの映画。
謎が多すぎて解りづらい事この上ないが、やたらにリアル。現実の話なんじゃないかと錯覚しそうになる。こりゃー怖い。一度見ただけでは「なんじゃこれ?」って感じだが、引き込まれてしまった私は二度三度とビデオを再生しています。
カルトな作品です。もしかしたら「悪魔のいけにえ」みたいに歴史に残る名作なんじゃないか?

1/27(午後9時)
朝、窓ガラスの外側で落ちる粉雪を見た。ブラインド越しに表の道路を眺めてみたら、一面の銀世界。風に吹かれて大量の雪が舞う。雪はそのまま降り続け、今も降っている。
大変な一日だった。駅までの道路はぬかるんで歩きにくい。タクシーで来ようとしたバイトのRが雪道に立ち往生。昼過ぎには雨に変わるはずだった雪は雪のまま。やがて電車も遅れ出す。雷が鳴り始め、極めつけは停電だ。仕事にならないから、今日は早あがり。
駅のホームでふるえながら電車を待ち、ようやく乗り込めたと思ったら途中で急行の通過待ち。開いたままのドアから寒気が入り込んで来てせっかくの暖房効果が半減。駅からの帰り道はまたまた雪と雪解け水の水たまりとぬかるみの連続。アパートの近くまで来たところで滑って転んでしまったぜ。

1/26
午前。久しぶりに部屋を片づけた。本の多さに閉口した。雑誌の類は全部捨ててしまおう。困るのが文庫本、ハードカバー本、コミック本である。つまらない物ならば簡単に捨ててしまえるのだが、そうじゃないからなー。書斎が欲しいぞ、マジで。
外の寒さで思い出したのだが、そういえば受験の季節ですな、今。
受験生の頃、真冬の大都市を学生服の上からウインドブレーカーを羽織って、鞄にシャープペンと消しゴムと「試単」と「日本史」入れて歩きまわりましたな。寒かったなぁ。

1/24
僕は鍋料理が好きである。どのくらい好きかというと自分用に土鍋を持っているくらいである。6号の小型だから、コンビニやスーパーで売っているアルミパックの鍋料理をぶちまけてしまうのにぴったりである。これに好きな具(豚肉とか牡蠣とか)と調味料を追加していっしょに煮てしまう。ほんの数分でおいしい鍋料理の出来上がりである。今日は西友で、ちから鍋セット(298円)と豚肉(228円)と豆腐(114円)を購入して家に帰り、キムチの素で味付けしてビールといっしょに食らった。旨かった。

1/23
夕方、少しばかり雪が降ったらしい。寝不足のせいで眠いです。

1/22
先週の土曜日の営業報告で、私は計算ミスをいたしました。かなりの金額を過少報告していたんですな。うちの上司の成績にも影響するほどの内容だったみたいで、本部の事務所で大騒ぎだったみたいです。
週末返上で働いた私は「今日は代休取ってると言っとけ」なんて、午前中は行方不明になっとりました。午後2時、仕事場に顔を出した私に上司からの緊急電話「コンピューターのデータとお前の出した報告数字が合わん!」九分九厘コンピューターが正しいのだが、現場の確認なしで本社に報告できない悲しさ...。
ごめん。私が悪かった。

1/20(午後10時10分)
午後から降り始めた雪は夜には雨に変わった。二週間前と同じだ。寒さが足りない。せっかく積もりかけた雪の上に雨が降る。シトシト雨が降る。今は夜更けだから、雪はまだ溶けないで残っているが、朝になる頃には氷に変わっているんじゃないだろうか。それともずっと雨が降り続けるかな?今年の冬も本格的な積雪は望めないか。なんだかつまらんなぁ。

1/19
ネットスケープ6。ひさびさのバージョンアップですが、使い勝手はどうでしょうかね。僕がいつも買っている雑誌のCDに添付されているけれど。記事の中での評価では安定性に欠けるとか...。
自分で試すのが本道なんでしょうが、今のところはインターネットエクスプローラで満足しているので、もうちょっと待ってみよう。バージョン.6.5になるくらいまで。

1/18
知人の親父さんが亡くなった(80才)。今日葬式に行って来た。東京都葛飾区金町。地域の葬祭を扱っている葬儀会社の四階建てのセレモニーホールの三階。学校の教室よりもやや広いホールの中央に祭壇があり、その正面に鐘と坊主の椅子。坊主の左右を挟むように親族の椅子が横向きに並び、坊主の背後には、親族以外の参列者の為の焼香台。その後ろに通路を真ん中にして座椅子が前向きに四列ずつ。僕は右側の三列目、前から三番目に座った。やがて「南無妙法蓮華経」「南無妙法蓮華経」と大声で題目を唱えながら坊さんが入場。僕の横を通り過ぎ、焼香台の脇をすり抜け、祭壇真っ正面の定位置に収まった。ここから長い長い読経が続く。
僕はさっきから右側の親族席二列目に座っている三才くらいの女の子をずーっと見ています。母親の隣で駄々をこねる訳じゃなく泣く訳じゃなく、本当にいい子である。ただ坊主の唱えるお題目と鐘の音にあわせて椅子から投げ出した左右の小さい脚を交互に振ってリズムをとっているだけ。たしかに読経は音楽のように聞こえないこともないな。

1/16
訳あって顛末書を書くハメになってしまった。仕事場で起こってはならない事が起こったのだ。
現場の責任者(たったふたりの営業所だが)として、会社に対して、事のあらましを説明しなければならないわけだ。文書で。
原因と経過と結果。「誰が何時何処で何をしてどうなった」テレビカメラのように客観的な視点で物事を述べなければならない。言い訳であってはならないのだ。
B5のレポート用紙に手書きで3枚。淡々と書き上げて、昨日の午前4時30分、自宅から事務所にファックスした。夜が明けて十数時間後、午後5時過ぎ、本部の担当者から連絡があって、これでは不十分であると伝えられた。本社の幹部が現場の雰囲気を理解しやすいように図面を添付しろという。さらにはレポート用紙では不味いから、同じ文面を専用の書式の用紙に書き直せと言うのだ。
専用の書式の用紙っちゅうのは、ワープロでプリントされたB5サイズの紙の事で、ヘッダに「顛末書」と表記してある他は、日付と提出先の上司の名前と私の名前を書く欄がある他は真っ白なのである。グリッド線の引いてあるレポート用紙と違って、手書きには甚だ向かない。私が書いた文字が、どうしても用紙の中で縦横綺麗に並ばないのだ。清書した文書のほうが読みにくいと言う結果になってしまった。

1/15
15年ぶりの寒波だそうです。東京の最高気温が6℃だそうで。寒いです。寒すぎます。

1/14(午後9時29分)
歩道に出来た水たまりが凍りついている。寒いはずだ。
昼間、俺が昔、惚れていた女が訪ねてきた。
熱燗と冷や奴と胡瓜の取り合わせは、この季節に合う。
アイザック.アシモフ「わたしはロボット」創元SF文庫。中学時代に少年用に書き直されたハードカバー本を読んだことがあるのだが、今回約20年ぶりに再読したのであった。第三原則と第二原則との狭間で酔っぱらってしまったロボットの物語。これだけは今でも覚えていて、懐かしく読んだ。

1/12
先日見た「ファーゴ」はいい映画だった。最近見たビデオの中では「シックス.センス」と双璧である。こんないい映画はめったに見られるものではない。

1/11
あの、キリンラガーの宣伝に使われている音楽ってベイ.シティ.ローラーズだよね?
「カンパイ.ラガー、ラガー、オレ〜♪」ってやつ。
レスリー.マッコーエンのボーカルがよかった。

1/9
渋谷でYと待ち合わせ。東京の繁華街に車で出かける気にはなれない。電車を乗り継いで行くことにした。山手線の窓から見上げた東京の空はどんより曇っていて今にも雨が降り出しそうだった。傘を持って来なかったのは失敗だったかな。電車を降りて外にでる。スクランブル交差点の空中に並んだ三機の巨大モニター。それぞれが違う番組を大音響で流している。曇り空と人混みもあり「ブレードランナー」を思い出してしまった。「強力わかもと」の宣伝やったら面白いのにな。道玄坂のJ&HでiMacのデモ機をさわってみた。やっぱりOS9にはアップグレードしないでおこう。向かい側に置いてある液晶モニターに浜崎あゆみのコンサートが映し出されているのだが、さっきから黒人男性が立ち止まったままジイィィィーーッと見つめている。あのタレントは外国人にもウケているんだろうか。案の定、雨が降り出してしまった。

1/7(その2)
午後11時。外に出ると雪が降っていた。オレンジ色の常夜灯に照らされて、降りしきる白い雪が赤みを帯びて見える。アスファルトの地面にうっすらと積もりかけていた。強烈な寒さである。傘をさした右手の甲が切られるように痛い。駅までの10分ほどの道のりがとてつもなく長く感じた。精一杯に早足で歩いて、どうにか辿り着いたが、湿った革靴が足の裏と指先を冷やして身体の下の方から体温が奪われ、冷気が背筋を伝って頭にまではい上がり、脳味噌までが凍りついてしまいそうだった。最終電車を待つホームのベンチで真冬の寒気にさらされた私はブルブルと震えていた。雪は夜更け過ぎに雨へと変わった。

1/7
仕事場のコンピューター(MS-DOS win3.1)がいかれた。フリーズってやつである。電源を入れた直後、例のDOS特有の呪文が画面に現れたかと思うと、そのまんま固まってしまってピクリとも動かない。何度かリセットしてみたけれど、変化はない。同じ画面でフリーズする。「セクターが見つかりません」という文字が読みとれるが、意味がわからない。私じゃ手に負えないので会社が契約している魚住ドキュメント.システムに連絡を取り、技術員に来てもらうことにする。連絡してから東京の営業所より高橋氏(推定年齢26才)が到着するまで、約2時間。
彼が最初にやったのは、機器を再起動して画面がフリーズするのを確認する事だった。さらに周辺機器の接続状況をチェックした後、今度は工具(ドライバー)を取り出して問題のコンピューターの本体を分解し始めた。彼の持っているドライバーは先端部分が磁石になっているので、外したネジが転がって見失うような事がなかった。あれは便利だ。見る見るうちにコンピューターはバラバラになってしまった。高橋氏はマザーボードとハードディスクをまるごと交換し、また稲妻のような素早さで組み立てる。見ていた私たちは、その器用さに感心し、感嘆の声をあげた。組み立て作業を完了し、すべての周辺機器を接続してコンピューターの電源を入れる高橋氏。流れるような仕種。さーすが、プロフェッショナル!
win3.1の起動音とともに我が社の管理システム(バージョン5.0)の初期画面が立ち上がり、その動作を確認した彼がアタッシュケースから出張作業報告書を取り出して作業内容を書き込み、私がサインをすれば全てが完了だ。高橋氏も私も仕事場のみんなも、当然にそうなるだろうと思っていた。高橋氏が「どうも」とか言いながら風のように去って行き、我々の仕事は何事もなかったかの様に再開するものだと。だが、そうはならなかった。
ネットワークで繋いだもう一台のコンピューターにデータが流れない。具体的には「サーバと接続できませんでした」のメッセージが表示されて作業が出来ないのである。
我々も高橋氏も、青くなった。そしてこの問題を解決するのにあと2時間がかかったのである。

1/5
Sting The Soul Cages (1991)を購入。このアルバム、10年前の作品だからスティングが39才のときのもの。1991年10月の彼の40才の誕生日に行われたニューヨーク(だったと思う)でのライブ。当時NHKで放送されたんだが、僕はこれを録画して今でも大事に持っている。このときの ワールドツアーが「Soul Cages 」なのだ。たしか日本公演は彼が風邪ひいたせいでキャンセルされたのだ。Policeの頃に比べたら活きの悪さが目立ってしまっているのだが、自分自身の年齢が近づいてきているせいかなんなのか、最近はSting の音楽を見直しています。
このCD、「オール.ディス.タイム」のビデオクリップが付属しており、パソコンを持ってる人なら二度楽しめます。

1/1
田舎から持ち帰ってきた餅で雑煮を作って食う。昨夜の雨は止んで空模様は快晴になったけど外では強風が吹き荒れており、裏の林の木々が音を立てて揺れていた。「凄い風だな」と話していると、テレビに強風警報発令のテロップが流れた。テレビ正月を決め込んだ僕らはいっさい動かない。日本テレビの新春モーニング娘SP が面白かった。去年の元旦はwowowで映画ばかり見ていたんだが、今年は民放のバラエティばかり見る事を決心(大袈裟)する。炬燵に入ったままウダウダと27時間が過ぎ、2日午前0時、巨人のハワイでのゴルフ大会を横目に家路についた。食い過ぎで腹がパンパンだ。
2日未明の高速道路はガラガラに空いていて、走るのが楽しかった。

12/31(午後7時55分)
餅と缶ビールをトヨタに積み込んで、数十キロの旅に出る(所要時間は65分ってとこか)。
出発前から雲行きが怪しかったが、高速道路を走行するうちにだんだん雨脚が強くなってきた。畑の脇に車を路上駐車して、Sの家に着いたときにはもうザーザー降りだったね。
あらかじめ電話を入れてたんだけど、彼らはすでに鍋の用意をして俺の到着を待ちかまえていた。腹が減って「お預け食らったみたいだった」って言われてしまった。着替える時間もそこそこに、まずは乾杯。2000年の年越しはwowowの生中継だった。最後まで番組を見るつもりだったけど、途中で寝てしまったようです。

21世紀
2001年1月1日(元旦)
謹賀新年



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