さらに停滞しちゃった2004年6月7月8月の日々


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■ 2004/07/25 (日)
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[Misc]いいわけ

また長々と書き込みが滞っておりました。他所のブログにコメントを(大量に(^^;)書いたり、自分でも暴言用(笑)に匿名のブログのテストをしてみたりはしていたのですが、どうも本編に手を出せないまま、結局二月半近くの中断となってしまいました。さらにこの一月半ほどはいろいろあってリナザウでつけていた日記も中断したまま。なので中断期間の出来事の拾遺もままなりません(笑)。リナザウは携帯には良いのだけど、やはり文章を書くにはデスクトップやiBook、Jornadaのような快よさはありませんねえ。まあまたぼちぼちとやっていきます。


[Book]藤本正行『信長の戦争 『信長公記』に見る戦国軍事学』(講談社学術文庫)

藤本正行氏については、鈴木真哉氏の著作に頻々と記名で引用されていたり、氏と共著で書かれた洋泉社「偽書『武功夜話』の研究」などでその意見についてはある程度知っていた。その氏の主張について、体系的に背景となった資料や考え方までをまとめて知ることのできる書。

まずは内容について、目次を抜き書きしてみよう。

序章 太田牛一と『信長公記』
第1章 桶狭間合戦―迂回・奇襲作戦の虚実
第2章 美濃攻め―墨俣一夜城は実在したか
第3章 姉川合戦―誰が主力決戦を望んだのか
第4章 長嶋一揆攻め―合戦のルール
第5章 長篠合戦―鉄砲新戦術への挑戦
第6章 石山本願寺攻め―「鉄甲船」建造の舞台裏
終章 本能寺の変―謀叛への底流
このような、信長と言えばまず出てくるであろう事柄における、史実と虚構の別を示してくれる本である。

通常「信長公記」は一級資料とみなされているにも関わらず、素人が信長公記の文庫本を一読しただけで、織田信長の通説的な伝記類に記されていることとあまりにも異なることに戸惑うだろう。というか戸惑った(笑)。そのことを真っ当に取り扱い、現場やほかの資料等から「信長公記」は確かに正しく、それに対してどのような経緯でまちがった通説が生まれて言ったかといった部分にまで踏み込んで論述されている。

歴史は正しく理解せねば、そこから引き出した教訓もまた誤りとなる。桶狭間を奇襲と看做し、それを愛好した旧日本帝国軍の過ちを繰り返さないためにも、誤った信長伝説は改める必要がある。また、いったん藤本正行氏や鈴木真哉氏の説に触れると、通俗説に基づいた小説は、信長を美化しすぎていたり、合戦がいい加減すぎて、気恥ずかしくて読んでいられなくなる。

武功夜話に基づいて書かれた津本陽氏の信長に、それまでの信長観を修正させられた人も多いかと思うが(っていうか私のことなんだが)、そのような人にこそ読んでもらいたい本である。

それにしても「一級資料」よりも「小説本」に重点を置いた議論が許されるなんて、いい加減な学問分野だね(暴言)。

Data
文庫316 page
出版社:講談社
出版年月:2003年1月
ISBN:4-06-159578-4
内容
織田信長は"軍事的天才"だったのか?桶狭間の奇襲戦、秀吉による墨俣一夜城築城、長篠合戦の鉄砲三千挺・三段撃ち。これまで常識とされてきたこれらの"史実"は、後世になって作られたものだった―。信長研究の基本にして最良の史料である『信長公記』の精読によって、信長神話と戦国合戦の虚像、それらを作りあげた意外な真実に迫る意欲作。


■ 2004/07/27 (火)
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[Book]島 泰三『親指はなぜ太いのか―直立二足歩行の起原に迫る』(中公新書)

著者は、

といった仮説について、著者の得意分野である原猿類の研究を中心にして検討し、類人猿に至るまで確認した上で、

人の、霊長類としては
  1. 親指が異常に太い(手)
  2. 盲腸が異常に短い
  3. 歯のエナメル質が異常に厚い(口)
と言った特徴から人類がどのようなニッチから成立したのかについて仮説を展開する。

具体的には
1.から主食の摂取にあたって強くものを握ることが必要であったことがわかり、
2.から高エネルギーの脂肪食を主食として種が成立したことがわかる。
そして3.に加えて肉食するには鋭くなく(加えてハイエナのような横取りを行うには素早さや防御等の武器も欠く)、草食するには繊維をすりつぶすのに適切ではなく、といったことから(以下ネタばれ)サバンナには大量に存在すると言う肉食獣の食べ残しである骨(骨髄)を主食とした(「ボーン・ハンティング(骨猟)」仮説)と言う仮説を提唱する。これについては、量が多いだけではなく高脂肪で十分に栄養があること(同重量の豚肩肉よりも高栄養である!)を示し、さらに実際に自分で試してみて、適当な石で砕いてやれば(強く握る!)、あとは現代人の歯でもしばらくかみ続けることでペースト状にすることができることを確認している。

以上一読後の印象からまとめたので不正確なところもあるかもしれないが、概ねこんな話であった。推理小説のようにぐいぐいと読ませる実に刺激的な文章で、私は猿学、霊長類学、人類学の素養に乏しいので正確な評価はできないが、なかなか説得力のある、興味深い説のように思えた。ただ内容があんまり気分の良くない説なので一般受けはあんまりしないかもしれないなあ。

ちなみに、この著者は「日本では珍しい独立系研究者」ということで、その意味でもちょっと興味深い本であった。

Data
新書276 page
出版社:中央公論新社
ISBN:4121017099
出版年月:2003年8月
内容(「BOOK」データベースより)
一本だけ離れて生えている太くて短い親指、ガラスさえ噛み砕くほど堅い歯。人類の手と口は、他の霊長類に例のない特異なものである。霊長類の調査を長年続けてきた著者は、サルの口と手の形、移動方法は、その主食によって決定されることを解明し、「口と手連合仮説」と名づけた。なぜアイアイの中指は細長いのか、なぜチンパンジーは拳固で歩くのか、そして人類は何を食べ、なぜ立ちあがったのか。スリリングな知の冒険が始まる。


■ 2004/07/28 (水)
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[Misc]高校生の学力テスト

国立教育政策研究所教育課程研究センターというところが高校生の学力テストを行った結果について発表したそうな。

その結果について、の各紙の報道を見てみると…

YahooのHeadlineでは

高校生3分の2、「拝啓」使えず=学力テスト報告書−国立教育政策研
...高校生の学力テストとしては40年ぶりに実施された02年度調査では、数学、理科で事前に定めた想定正答率を下回る一方、国語は想定を上回っていた。ところが、手紙文の問題で、(中略)生徒の3分の2程度が正しく頭語を使えていない。 (時事通信)

朝日と毎日では該当する記事見つけられず。(「教育」の項は一応一通り見たのだが)。

読売でも

高3、「拝啓」正しく書けたのは2割…学力テスト
(前略)理科では「新聞記事や科学雑誌、図書などを授業で活用して、生徒の興味・関心を高める工夫が必要」とした。
 高校生の全国一斉学力テストは、一昨年、40年ぶりに行われ、約10万5000人が受験。今年1月の中間報告では、国語、英語に比べ、理科、数学の不振が目立つとされていた。
(2004/7/28/01:09 読売新聞 無断転載禁止)

おい、「拝啓」とかが使えないってことが、理数の学力の低下より重要な問題か?あほか。

あえて弁護すれば読売にあるように、理科の理解力が不十分であることは突っ込み済みってことかもしれない。また、各紙同じように伝えているということは、おそらくそういう内容で発表があったんだろう。しかし、報告書はすべてオンラインで公開されているんだから、「拝啓」がかけるかどうかより大事な話題を拾えると思うし、拾うべきでしょう。腐ってる。

そもそも頭語がきちんと使えないってことの弊害ってなにさ。化石みたいな教養を誇れるか否かって程度じゃないの?って言うとさすがに言い過ぎかな。

#ちなみにそういう私が「教養主義」を自称しちゃ駄目でしょうか?(^^;


[Misc]らも逝く

読冊日記経由で中島らも逝去との報道に接する。16日に酔って階段から落ちてからついに意識が戻らないまま逝去とのこと。氏のエッセイは一時期愛読した。なんだか読んでいると、人生これでいいんだ、等と肩の力が抜ける感じがしたものだ。まだまだ若く才能ある人の逝去を痛ましく残念に思う。一方で、氏のエッセイには薬や鬱等どこか死のイメージが潜んでいるようであった。その愛読者としては、ついにかという感じもし、また不謹慎ではあるがどこか氏らしい逝き方のように思ったのだった。


■ 2004/07/29 (木)
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[Misc]チャーチルの言葉

比較的最近になって知って、なかなか言い得て妙だと思った言葉に、第二次大戦期の英国首相であるSir Winston Churchillが言ったという

若くして共産主義に傾倒しない者は情熱が足りない。
年を取って共産主義に傾倒しているものは知能が足りない。
という趣旨のものがある。

実際の用例をwebからいくつか拾ってみると

「二十歳までに共産主義にかぶれない者は情熱が足りないが、二十歳を過ぎて共産主義にかぶれている者は知能が足りない。 by ウィンストン・チャーチル」
『20歳までに左翼に傾倒しない者は情熱が足りない。20歳を過ぎて左翼に傾倒している者は知能が足りない』
といった風に、表現の揺らぎがある。翻訳だからしょうがないが、引用するからには原文で意味を確認しておかねば、とその原文のソースを探してみた。

すると、いくつかのバージョンがあるらしいと、以下のようなものが2chで紹介されているのを見つけた。

If you are not a liberal at 20, you have no heart.
If you are not a conservative at 40, you have no brain.
A young man who has no rebellious tendencies has no passion,
and an older man who has no conservative tendencies has no sense.
Any man who is under 30 and is not a Liberal has no heart; and
any man who is over 30 and not a Conservative has no brains.
おや、「共産主義」でも「左翼」でもないんだ。liberalにしろrebelliousにしろ、英辞郎からの引用に示すように、
■liberal {形-1} : 偏見のない、自由主義の、進歩的な、リベラルな
■rebellious {形} ? 反抗的な、反抗する、反逆する、反体制の
共産主義とか左翼という意味は特にないようだ。なんだかずいぶん印象が変わってしまった。

それにしても、具体的な年齢もまちまちなら、英語においてすら表現がそれぞれずいぶんと異なる。こんな「原文」ってあるかい?と思い、この中の単語を使ってさらに検索をかけてみたところ、The Churchill Centreというサイトからの引用として

If you're not a liberal when you're 25, you have no heart. If you're not a conservative by the time you're 35, you have no brain.
というものが紹介されているのを見つけた。サイト名からしてこれが「本物」「決定版」かと訪問してみたら…。
"Conservative by the time you're 35"
If you're not a liberal when you're 25, you have no heart. If you're not a conservative by the time you're 35, you have no brain." There is no record of anyone hearing Churchill say this. Paul Addison of Edinburgh University makes this comment: "Surely Churchill can't have used the words attributed to him. He'd been a Conservative at 15 and a Liberal at 35! and would he have talked so disrespectfully of Clemmie, who is generally thought to have been a lifelong Liberal.
とのこと。あほかい。続きの部分にもっと重要な情報があるじゃないか(^^;。要はチャーチルに仮託した捏造?

せっかく面白い言葉だと思ったのに使えなくなってしまった。


参考:http://snapshot.publog.net/html/mass/2004/05/23/123916.html#229
229 :本当かよ! :04/05/27 14:37 ID:kp27Hoig
>>208
まあね。そもそもこの言葉はチャーチルの言葉ではないらしいね。

20才までに共和主義者でないということは心臓が足りない証拠である。
30才までにそれであるということは頭が足りない証拠である。
ギゾー(1787―1874)
その他、バーナード・ショー、クレマンソー等々のバージョンもあり。

スレ違いスマソ。
これのソースには未到達。


■ 2004/07/31 (土)
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[Movie]ハリーポッターとアズカバンの囚人

今回は事前に、「これまでよりも面白くて未読者にもわかりやすい」というのと、「原作との乖離が大きくてがっかり」という二種類の評価を聞いていた。実際に見ての感想は「なるほど」ってなもんであった。

今回も映画1・2作は見たけど、原作は1巻までという未読者と見に行った。その感想を聞いても、自分の実感としても、確かに今作は未読者にもストーリーが伝わりやすくわかりやすく楽しめるものであったと思う。しかしその未読者から同時に、ストーリーが一本調子で広がりがないという評が出る、そのような作品となっていた。

1・2作は良くも悪くも原作の挿絵であった。未読者には今ひとつ伝わりにくい所はあっても、その分原作世界の広がりを感じさせることはできていたように思う。映画としてどっちがいいかっていうと難しいが。

また、映画としての完成度を重視するあまり、重要なエピソード(特に心理面で重要なエピソード類!)が相当ばっさりと削られたり端折られたり。個人的に一番引っかかったのは、なぜ1回目は効かなかったディメンター退治の呪文が2回目は効いたのか、映画からではわからないんじゃないかな、ってこと。見ている多くの人は、出直して(magic pointを蓄え直して?)冷静にやったから程度にとっちゃったんじゃないかしらん。でも本当は「エクスペクト・パトローナム」の呪文は単にmagic pointを消費して超常現象を引き起こすというような呪文ではない。唱えた個人の幸福な経験、幸福感がどれほど重要なものであるのかがまるで伝わらないように思う。

見事にそれを勘違いした評も実際あるし。

内容についてもうちょっとだけ。

ディメンター(吸魂鬼)やボガート(ものまね妖怪)の性質にしろその撃退法にしろ、まさに「鬱」を描いていると思ってたんだけど、Googleで検索してみても今ひとつそう論じているページが見つからない。原作の読後に検索したときは、まだないのかな?程度に思ってたんだけど、映画が公開されてからでさえこれだけ時間が経っているのにないってことは、なんか勘違いだったのかなあ。
検索方法が悪いだけなのかもしれないけれど。喩えとしての妥当性だとか、是非聞いてみたいものなんだけどな。

このようなページは見つけた。これを読むと私の想像もあながち間違いではなかったように思うが。

で、そう思うと今作は本当は結構心理面の要素が大きい作品だったはずだと思うんですよ。映画は面白くはありましたが、ちょいと別物ですね。

まあぶっちゃけ私も同行者もエマ・ワトソンが元気に動いているところをしっかりみせてくれていれば概ね及第点を与えちゃうような鑑賞者なのであるんだけどね(^^;。


■ 2004/08/02 (月)
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[Book]米原万里『嘘つきアーニャの真っ赤な真実』(角川文庫)

軽妙なエッセイで名高い米原万里氏の自伝的中編ドキュメンタリー3編がおさめられている本である。内容は下記Dataを見てもらったほうが早いかもしれない。

解説にあるように、「かつての同級生の消息を、おとなになったマリが訪ね歩く各章の後半部分は驚きの連続。ミステリを読むようなドキドキ感さえあります。」ってのはまさにその通り。

印象深い部分を引用。

異国、異文化、異邦人に接したとき、人は自己を自己たらしめ、他者と隔てるすべてのものを確認しようと躍起になる。自分に連なる祖先、文化を育んだ自然条件、その他諸々のものに突然親近感を抱く。これは、食欲や性欲に並ぶような、一種の自己保全本能、自己肯定本能のようなものではないだろうか。(123ページ)
自国と自民族を誇りに思わないような者は、人間としては最低の屑と認識されていたような気がする。
「そんなヤツは、結局、世界中どこの国をも、どの民族をも愛せないのよ」(123ページ)
他人の才能をこれほど無私無欲に祝福する心の広さ、人の好さは、ロシア人特有の国民性かもしれない(中略)
「西側に来て一番辛かったこと、ああこれだけはロシアのほうが優れていると切実に思ったことがあるの。それはね、才能に対する考え方の違い。西側では才能は個人の持ち物なのよ、ロシアでは皆の宝なのに。だからこちらでは才能ある者を妬み引きずり下ろそうとする人が多すぎる。ロシアでは、才能がある者は、無条件に愛され、みなが支えてくれたのに」(199-200ページ)
ベオグラードでモスクに入るときに、頭髪を隠すためのかぶり物を探そうとする「マリ」に対して守衛ボックスから出てきた14、5歳の少年がアラーの神を信じていないのなら必要がないと言った後に)
「異教徒に対して寛容にならなくちゃいけないんだ。それが一番大切なことなんだ」(261ページ)

正直米原さんの父親が非合法時代からの共産主義者だったことは、実はちょっと衝撃だった。しかし思えば1960年頃に東欧に行って娘をソビエト学校に入れるって時点でそちらの人でなければあり得ない話。彼女は、その父のことを誇らしく語る。チャウシェスクのルーマニアで高官を務めていた「嘘つきアーニャ」の父が後悔していると語ったことに対して彼女は心の中で叫ぶ

父の夢見た共産主義とあなたの実践した似非共産主義を一緒くたにしないでほしい! 法的社会的経済的不平等に矛盾を感じて父は自分の恵まれた境遇を捨てたんです! あなたが目指したのはその逆ではないですか!(156ページ)

そう。(これも解説に書かれたこととだぶっちゃうんだけど)今の左を見ているとつい忘れてしまうのだが、共産主義は本来平等を目指す理想主義であったのだ。今の左は嫌いだけど、その理想主義的な部分は忘れてはいけない(自戒)。

だがそういわれたアーニャの父も、恵まれた境遇を捨てて非合法な共産主義活動に身を投じた人なのであり、レーニン自身「実は生涯に一度も自らの労働で自分の生活を支えるという生活者の経験を持たなかった」「地主として小作人からの小作料を当てにして生きていた」(27ページ)人であった。それぞれ何と言う矛盾か。

こうしたことから何を引き出すべきか。私は自分なりの結論を出せていない。

何はともあれ、本書は先行したエッセイで出てきた「人柄でいえばロシア人は、暖かくて、お人好しで馬鹿親切で最高だけど、結婚相手としては理想的ではない。だって大酒喰らってばかりいるから」とう国別性格論がどういう背景をもった人の台詞に由来しているものかがわかるというだけでも、米原万里ファンは必読でしょう(^^)。

Data
文庫301 page
出版社:角川書店
出版年月:2004年6月
ISBN:4-04-375601-1
内容
一九六〇年、プラハ。小学生のマリはソビエト学校で個性的な友達に囲まれていた。男の見極め方を教えてくれるギリシア人のリッツァ。嘘つきでもみなに愛されているルーマニア人のアーニャ。クラス1の優等生、ユーゴスラビア人のヤスミンカ。それから三十年、激動の東欧で音信が途絶えた三人を探し当てたマリは、少女時代には知り得なかった真実に出会う!


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[Page Design] Written(Ver.3): 2003/09/19; Modified(Ver.3.1): 2003/09/25; Minor-modified(Ver.3.1.2): 2003/11/09