dragonfly's book notes 1


須賀 敦子  すが あつこ (1929-98)

 1929年、兵庫県生まれ。聖心女子大学文学部卒業。53年から71年までフランス・イタリア在住。上智大学比較文化部教授。91年『ミラノ 霧の風景』で女流文学賞受賞。98年3月逝去。

 イタリアと言えば塩野七生さん、イギリスと言えば林望さん、欧米全般は犬養道子さん。アメリカなら本間長世先生、猿谷要先生、常磐新平さん、青山南さん、最近では柴田元幸さん、、、。ド・セルヴィ方式旅行者(ヴァーチャル・ツーリスト)は、諸先生のおかげで、その国々をどんなに鮮やかに思い浮かべることができたことか。
 気になりながら、須賀さんのご本を手に取ることができたのは、ようやく99年に入ってからである。その時すでに、先生はいらっしゃらなかった。
 須賀さんはよそ者としてではなく、その土地を愛する生活者として語る。貴族階級から庶民に至る様々な人々との交流において、須賀さんは決して外部の人間ではなかった。登場人物たちは皆何かを失っている。内側にいた須賀さんが語るからこそ、喪失の悲しみは深く私たちの胸を打つ。須賀さんのイタリアは、その知性と直観力を通して、独特の静かな世界を形づくった。
 穏やかだけれどきっぱりした話し方をなさる方ではなかったか、と想像している。

Atsuko Suga 山岡三治先生(上智大学神学部教授)による

'99年


The Complete Idiot's Guide to American Literature
by Laurie E. Rozakis, Ph.D (Alpha Books)

 いやー、ついに見つけてしまいました。欲しかったのはこういう本。6年ぶりに出かけた新宿の書店で見かけ、ちょっと高いよね、とこっそりメモを取って、その夜インターネットでAmazon.comに注文したのでありました。送料込み$19.51なり。うほうほ。('99年当時、Amazonはまだ日本に進出していなかった。)

 たとえば、映画『 ディープ・インパクト』で老宇宙飛行士が傷ついた若い隊員に読んで聞かせるのは、言わずと知れた『白鯨』である。『カラー・オブ・ハート』(原題 Pleasantville )でも、『ライ麦畑』の主人公名や『トム・ソーヤー』が話題にされている。
 私がずっと知りたかったのは、アメリカ文学作品の中で何が一般常識・教養として語られているのか、ということだった。普通のアメリカ人は何を読み、何が日常の会話に引用されているのか。翻訳されたものしか読むことができない日本のおばさんの、長年の疑問がこれであった。

 The Complete Idiot's Guideはシリーズものである。「サルにもわかる〜」といったところか。検索して驚いたことに、何と200冊以上の"The Complete Idiot's Guide"が出版されていた。Beatles、Elvis、Jazzなども、機会(と英語を読む根気)があったら読んでみたいものである。
 その後、映画『 ウォーター・ボーイ』の中で、南部弱小アメリカン・フットボール・チームのコーチがこのシリーズのアメフト版を手にしているのを発見。字幕は「バカにもできるアメリカン・フットボール」だった。この本を人前で読むのは恥ずかしい、という設定なんだろうか。Idiotにはわからない。

'99年


赤毛のアン・シリーズ  ルーシー・モンゴメリ(1874-1942)

True Colors; Prince Edward Island
copyright © Barrett & MacKay Photographers, 1996
 2000年2月のある日、カナダからメールが届いた。私の日本語講座を見て下さったT氏からのメールである。「 プリンス・エドワード島 在住」という文面に30年前がよみがえり、子供の頃モンゴメリ作品が大好きだったことなどを書いて返信した。翌日、personal invitationが届いた。「PEIにはいつでもおいで下さい。好きなだけ我が家にご滞在下さい。」とある。こちらも「日本にいらしたら、ぜひ拙宅に。」とメールを打った。
 その10日後、PEIから郵便小包が到着した。PEIの写真集 、州都シャーロットタウン・ガイド、2枚のGreen Gables T-shitrs、数個のラペル・ピンなどが、赤い箱にぎっしり詰まっている。「アンの腹心の友であるあなたにPEIから小さなプレゼントです。」
 以来行き交ったメールは、さて何通だろう。アンを読み返しながら、今、遠いPEIに友達がいる幸運。
 家にあるのは昭和39年に出た講談社版、村岡花子・訳、鈴木義治・さし絵のアン・シリーズである。新訳、決定訳などがその後いくつも出版されたようだが、読み返しながら、これ以外のアンはあり得ないなあ、と幾度も考えた。村岡さんの訳はいかにも古めかしいのだが、美しい正統派の日本語である。英語の持つ論理性やモンゴメリのユーモアが、巧みな日本語に置き換えられている。村岡訳は単なる翻訳書ではなく、あの頃それを読んだ少女たちに豊かな言葉を与えてくれたのだった。
 よって、もちろんマシューは「そうさな」と言わなくてはいけないのである。ハリソン氏のオウムは「この赤毛のあまっちょめ」と悪態をつき、リラは「そうでしゅ」と答えなければならないのである。

'00年春

 この1年半後、娘と2人でPEIのT氏宅に3週間滞在した。PEI旅行記 2001年6&7月


Michael Crichton  マイケル・クライトン(1942- )

 解説を書こうと思っているうちに時間が過ぎ、今日(7/10/00)朝日新聞夕刊に3人の書評が載った。

 「流行だけどなんだかよくわからない量子論がテーマ。やさしい文章とわかりやすいキャラ、親しみやすいストーリー展開の中でこそ、存分に知的な楽しみが味わえる。英仏百年戦争を背景にした中世冒険活劇としてもおもしろい。騎士の闘技の模様や城の構造など、よく調べてあってリアリティがあり、手に汗握る。」(大原まり子)
 「かつての『 ジュラシック・パーク』さながら、今度は恐竜ならぬ中世人が次々と襲いかかる。現代人の知恵と力と勇気が試されるというより、その曲がった根性が叩き直され、研究室の机上の空論がサバイバルのために不可欠な知恵に変わり、そしてオタクが新世界を発見するという展開、、、」(小谷真理)
 「エンターテインメントの王道をいく作品で、謎めいた事件の発生から量子力学の話題、時空を飛んでのタイムトラベル、そして中世世界での破天荒な活躍、、、とスピード感のある展開は文句なしに面白い。」(長山靖生)

  『 ディスクロージャー』に描かれたヴァーチャル・リアリティ場面の面白さに刺激され、Macintoshを始めてから8年。あの頃珍しかった携帯電話や外国からの電子メールは、既に日常化している。とすれば、『タイムライン』でクライトンが語る量子テクノロジーの応用も間近なのだろうか。タイムトラベルは不可能としてもね。

2000年


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