1.1日目(時差ボケの中での思わぬ材採集)
2004年6月26日、3年間の赴任予定でフランス・パリのシャルル・ド・ゴール空港に降り立つ。
パリはほぼ20年ぶりの勤務だ。出張用務でも何度も訪れているので、空港から市内への入り方は慣れている。
まずは16区の小さなホテルで数泊の予定。ホテルに入っていくつかの電話連絡を終えると、この週末はあとは
ほぼフリーだ。時間は土曜のちょうど19時を回ったところ。夏至近くのパリは22時を過ぎても明るさが残るので、
まだ昼間のように出歩くことが可能だ。早速、傾きかけた夏の日差しの中を、ブローニュの森まで歩いてみる。
ブローニュの森は、パリの西の縁に接する広大な森林公園で、その中には、網の目のような遊歩道、スポーツができる広場、
ボートが浮かぶ池、いくつかの洒落たレストランがあり、パリ市民の憩いの場となっている。森と呼ぶにふさわしく、
ナラやマロニエなどの広葉樹を中心に樹林が一帯に広がり、様々な野鳥や野ウサギなどが多数生息している。
極めて人工的な都市であるパリ市内と隣り合わせながら、その豊かな自然により著しい対照を見せているのだ。
パリでクワガタをはじめ昆虫を探すのなら、まずはブローニュの森に足を運ばせる以外にはないだろう。
自分は20年前にパリで2年間暮らしたが、その頃は今ほどクワガタ馬鹿ではなかったにせよ、夏にセミが歌声を上げず、
蚊が肌を刺すことに悩まされることもないパリで、よもや昆虫採集をしようとは思わなかった。街路樹の緑の葉を見ても、
そのほとんどが穴も空けられておらず健康そのもので、日本と比べれば昆虫の影が薄いことがよく分かる。
しかし、3年前の5月末に出張で訪れたときに、昼休みにブローニュの森の外縁に立ち入ると、とある潅木の白い花で、
シロテンハナムグリを二回りほど小さくしたハナムグリを短時間のうちに観察することができた。
やはり、ここはかのファーブルを生んだ国フランス、パリはその北部とはいえ、よくよく探せば昆虫は結構姿を現わすかもしれない。
ブローニュの森を示す道路標識
ホテルから歩くことおよそ20分、3年前の時のようにブローニュの森の外縁にたどり着いた。時差ボケの中での体力を考えると、
今日のところは森の周辺のごく一部の様子を見るのがせいぜいだろう。とにもかくにも、車の喧騒から遠ざかるように
森の中へ足を踏み入れて行く。
ブローニュの森の外縁から見えるエッフェル塔
犬を連れて散歩している人たちとすれ違う。遊歩道を歩いていて困るのは、犬の落し物−糞−である。これはパリの街中でも
同じであるが、まさにところ構わず落とされている。特に閉口してしまうのは、歩道端の大木の根元には必ずと言っていいほどそれが
あることだ。足元が無用心なまま木に近づくことはけっしてできない。
森の中へ導く遊歩道
足元に注意しながら、ナラの木を中心に、樹液が出ていないものか、手当たり次第に何本もチェックして行く。しかし、
樹液が出ている木にはなかなかお目にかからない。若木などは軽く揺すぶってみるものの、何も落ちてくることはない。
そもそも、20度は優に超えている夏の夕刻であるにもかかわらず、ヒラヒラと力なく飛ぶモンシロチョウ
(またはその近縁のチョウ)に時折出会う以外に、これといった昆虫の気配を感じない。足元に甲虫などの死骸が落ちているのが
見つかることもない。また、市街地近くの森とは言え、その土壌は湿潤とはおよそ言い難く、むしろ乾燥した土壌である。
やはりここはパリ、日本人からすれば異国の地であるようだ。
ナラの木。葉の形はカシワのようだ
しばらく歩くと、遊歩道から外れた場所で、朽ち木がいくつか、草に覆われるように転がっているのを見つけた。
おそらくはナラかマロニエの朽ち木であろう。ブローニュの森は人の手によって整備されている一方で、ところどころで朽ち木を
放置しているのが見られる。そのような朽ち木はたいていの場合、固く乾燥しており、その内部で昆虫を豊富に育てるには
適していないように思われる。しかし、今しがた見つけた朽ち木は、湿り気もある程度保たれている様子で、目を凝らすと、
昆虫の幼虫の食痕らしきものが見られる。ところが、今は朽ち木割りの道具を何も持っていない。
自分は飛行機に斧を持ち込むほど大胆な人間ではないので、ホテルに戻っても斧がある訳ではない。
仕方がないので、手で割れるだけ割ってみる。
すると、クワガタのものと似た感じの食痕の中から、初令らしき幼虫が出てくる。これは、コガネムシかハナムグリの幼虫の
可能性もあるだろう。初令幼虫だと、なかなか確たる判別はつかない。しかし、もう少し割ってみると、直ぐに結論が出た。
明らかにクワガタと思われる3令幼虫が出たのだ。第一感は、日本のコクワガタ。頭部の色は薄めのオレンジで、体色は
やや透明感のあるクリーム色。体の大きさもコクワによく見られるサイズだ。
クワガタの3令幼虫
調子に乗ってさらに割って行くと、同じような3令幼虫が次々と出てくる。このような「出方」も、何だかコクワ幼虫そのものだ。
ヒラタの材採集をしているときにコクワ幼虫に出くわす時の「既視感」につい囚われてしまい、ここでも幼虫が出るたびに思わず
「うんざり」した感じに陥ってしまう。それほどコクワに似ている気がする。
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![[パラレリ幼虫1]](040626BoisdeBoulogne05.jpg) |
![[パラレリ幼虫2]](040626BoisdeBoulogne06.jpg) |
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幼虫が2頭 |
ここにも2頭 |
しかし、これは間違いなくドルクス・パラレリピペドゥス(ヨーロッパオオクワガタ)の幼虫だろう。周囲に樹液も見られないのに、
実にあっさりと見つかったものである。相当な幸運ということでなければ、希少性も東京でのコクワ並みなのかもしれない。
しかし、成虫が出てくれないことには、パラレリであることの百パーセントの確信は持てない。ホテルに入ったばかりの身で、
幼虫を持ち帰って羽化するまで飼育する用意がある訳もない。
ところが、その後も出てくるのは幼虫ばかり。初令から3令まで、合わせて20頭くらい出てきたのではないか。
もういい加減にして後日に出直そうかと思ったところ、ようやく成虫が1頭出てきてくれた。♀だ。蛹室にいたというより、
幼虫の食痕の中に潜り込んでいた風だった。新成虫という訳ではないのか、摘み上げると、写真に撮る余裕もくれずに
直ぐにチョコチョコと動き出した。
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![[パラレリ成虫]](040626BoisdeBoulogne07.jpg) |
![[パラレリ♀]](040626BoisdeBoulogne08.jpg) |
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幼虫の食痕に潜り込んでいた成虫 |
18mmほどの小型の♀だった |
結局♂が出なかったのは残念だったが、こうして、ブローニュの森に入って1時間もしないうちにパラレリ幼虫に、
そして2時間もしないうちに成虫に出会うことができた。飛行機から降りてからだと4時間少々の出来事である。
花の都パリに着いて、いきなりクワガタ探しに出歩く者もめずらしいだろうが、そうやって出くわしてしまうパラレリは、
分類学上のことはよく分からないものの、ヨーロッパオオクワガタと呼ぶよりも、むしろヨーロッパ「コクワガタ」と
呼ぶのにふさわしいのではないだろうか。
しかし、長いパリ滞在のうちのまだほんの第1日目。何も結論を急ぐことはない。
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