虫キチ タイを行く

by 虫キチコージ


またまた懲りずに私はタイの出張で、何か虫が採れるのではとの期待を大いに膨らませ、旅行カバンの中にアミと三角紙入れを入れた。三角紙入れには毒瓶が付いていたのだが、今回はおいていくこととした。タイには何度か出張をしているが、カブトやクワガタに出会ったことがない。運良く時間あれば、採れるのは蝶であろうと。


10月30日(月)。

バンコクから車で東へ約2時間、レイヨン県にある缶詰工場を視察に出発した。ここは蝶も豊富に飛んでいて、私の好きな場所の一つであったが、過去一度も採集行動に出たことがない。何せ缶詰会社の社長との同行。自分の趣味につきあわせることもできないし、当然アミもホテルに置いたままであった。


ようやく工場に到着し、作業場を視察している途中に昼休みのサイレンが鳴り響く。製造ラインが次から次へと止まり、作業員達がぞろぞろと工場から昼食に出てくる。

「では、作業が再開するまで、我々も食事にしましょうか。」社長が車に向かい歩き始めた。

工場を出て、彼らのゲストハウスに向かう。ゲストハウスの食堂は宿舎の外にあり、涼しい風も吹いていて心地よい。

「日本では、異物混入騒動が起きているんですよ。」なんて、最近ありきたりの会話が始まる。

食事を終えた後、私は10メートルほど先の宿舎のレンガの壁にへばりついている黒い物体に気が付いた。少々高いところにいるが、ジャンプすれば届きそうな高さだ。蛾?・・・結構大きそうだ。最近更に視力が落ちていて、眼鏡をかけたままでも0.7という有様。この距離では、虫の同定もできない。

一方社長の話は日本の異物混入騒動の話で盛り上がっている。

いやいや、あれはどうもクワのメスっぽいぞ・・・。

社長の話は、日本の取引先の話に移った。色々と情報を聞いてくる。

どうもあのクワは動きそうもない。帰りに捕まえられるとみた。

情報のやりとりをした後、「では、そろそろ戻りましょうか。」と社長が立ち上がる。

タイで初めてのクワガタゲットだ。わくわくしながらだんだん黒い物体に近づいていく。ん・・・これは・・・ギデオン(ヒメカブト)のメスだ。私は突如エイヤ!と飛び上がり、ギデオンをレンガの壁から払い落とした。

突然私がジャンプしたのを見て、社長もびっくりしたようだ。すぐにギデオンを拾い、「カブトムシですよ。」と見せる。「ほう」と社長も興味深そうにギデオンを見つめた。「そういえば、フィリピンで夜テニスをすると、ライトにこんなにでかい黒いカブトムシが飛んで来るんだよ」と社長は指で10センチほどの四角形を作って見せた。「そいつは小さくてかわいいね。」

それは、アトラスかコーカサス??う・・うらやましい・・・

社長は何もなかったように車に乗り込んだ。ギデオンは私の手の中。なに、事務所に戻ったらカバンの中につっこんでおくか。


工場に到着して車を降りると、社長は「では、工場の中を案内致しましょう。」と工場へ向かい歩き始めた。え・・・ギデオンどうしよう。社長は私が手にギデオンをまだ持っているのを知らない。すかさず私はギデオンをズボンの右ポケットにつっこみ社長を追った。

工場の中で、私は今までにない緊張を味わった。万が一ギデオンがポケットから脱出して缶詰の中に入ったら、自分の責任だ。何としてもギデオンをポケットの中から出してはいけない。ギデオンは私の気持ちを察してか、ポケットの底でじっとしている。

ここで私はふと考えてみた。ギデオンがおとなしいのは、死にかけているからとかではない。それは、明るい環境で休眠状態にあったからだ。ポケットにつっこんだギデオンは暗闇の中。そして、暗くなったとき、彼女は休眠からさめるのだ。暗闇で活動するカブトムシは、どの様な状態になるのかは容易に想像出来る。・・・しまった。

しばらくして、やはりギデオンは目覚めた。もそもそとポケットの中で動き始め、脚のツメがチクチクと太股を刺激する。そしてしばらくすると、ポケットの中を上の方に移動しチクチク。あそこの方へ向かいチクチク。まぁ、しかしチクチクしている間は、ギデオンがポケットにいるということだ。少し痛いがガマンガマン。

ところが、太股がチクチクしている間に、足の付け根の方も同時にチクチクし始めた。おや?

どうも刺激された箇所はしばらくチクチクするので、ギデオンの居場所とは関係が無いようだ。ということは・・・!

・・・いない・・・。

慌ててポケットの中を探してみるが・・・いない。しまった逃げられた!私は工場内から移動して倉庫にいたが、工場内は工場内だ。ギデオンが飛んで、加工場の方へ飛んでいかないとも限らない。あわてふためいている私に社長が「どうしました?大丈夫ですか?」を肩をたたいた。「あ・・・だ、だ、大丈夫ですぅ。」死んでも、「カブトムシが逃げちゃいました」なんて言えない。いくら趣味とはいえ、やってはいけないことをしてしまった。床を見回したが、ギデオンは見あたらず。「さぁさぁ、こちらがラベル巻きのラインです。」作業員達がラベル巻きの作業をしている。

こいつはまいったなぁ。

作業員達がこちらを見て笑いかけてくれる。こちらも挨拶のつもりで笑いかえそうとするが、笑えない。ところが、作業員たちの笑い方がおかしい。先ほどのあわてふためいた自分を見ていたのであろうか。ニコニコと言うよりは、クスクスといった感じだ。私は、ギデオンが落ちていないか再度床を見回した。

いた。

ギデオンはしっかりと私のおへそのところにしがみついていたのである。作業員達は、私の変わったブローチを見て笑っていたのである。社長は気が付いていない。さっと、ギデオンをポケットに入れ直す。今度は手でポケットを押さえながら工場を回り、無事事務所に案内された私は、すぐにギデオンをカバンの中につっこんだ。



カバンを開けたら、目が爛々としたギデオンちゃんが登場。

ホテルに戻った私は、ギデオンちゃん輸送準備に取りかかった。誰でも思いつくであろうインスタント輸送機の作り方を紹介しよう。


1.500mlペットボトルのミネラルウォーターを買う。
  ホテルの場合、ミニバーなんかに入っている場合が多い。

2.中身を飲み干す。若しくはコップにうつして後で飲む。

3.ティッシュを詰め込む。
  この時、香水付きのようなティッシュは避けた方が良いだろう。


4.容器に穴をあけておく。
  これは、酸欠を防ぐ意味もあるが、飛行機に持ち込んだとき、気圧でボトルがへこんだり膨らんだりするのを防ぐ意味もある。

5.少し、ティッシュに湿気を与え、ギデオンをつっこむ。
  今回は口が大きい容器であったので、彼女にはすんなりと入ってもらえた。
6.蓋を閉める。

さて、出張はまだ始まったばかり。日本までギデオンちゃんもつかな?


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