身の周りの自然観察をしよう


先日、信州大学講師の関口先生が多忙のなか、私たちの町の人々と思う存分に環境問題について話す機会をもっていただきました。
先生は、環境問題の市民運動の始まりは茶飲み話、井戸端会議から始まると話されました。そして、私たちが行なうべき環境測定は、数値の測定ではなく、私たち身の回りの自然観察であると、熱心に語られました。 それにより、地域住民の環境問題への関心が高まり、末永い環境回復への戦いを成功に導く事が可能になると話されました。

午前3時頃まで私たち夫婦と様々な問題や自分たちの考えを語り明かしたにも係わらず、先生は午前6時には周辺の観察に雨の中を出かけられました。そして、朝食の後、私に自然観察の方法を教えてくださいました。
その一部を記載いたしますので、ご参考にしていただければ幸いです。

焼却を中止した焼却炉の東側に一本の枯れかけた松が生えています。この松は松くい虫にやられたのかと思っていましたが、今年の春から新芽が吹き出しました。焼却を中止して2年目に生き返ったのです。
この松の近くに梅の木が生えています。昨年まで梅の新芽が出ても葉が茂らず、棒状になってしまいましたが、今年は葉が茂っています。
同じ焼却炉に隣接して電機の変電施設があり、その施設を金網のフェンスで囲っています。そのフェンスの支柱を見ると、最近ペンキを塗り替えたにも係わらず、道路側が錆びを吹き出しています。この原因は道路からの大気汚染が原因と考えられます。
旧最終処分場の中へ入り、段差になっている個所の石垣を見ました。道路から30CM位の高さに等高にセメントが溶けた状態が線の様に見受けられました。セメントが溶けた後が帯状に等しい高さで出ている原因は、何らかの強い酸性物質が地中に埋まっているか、酸性の液が地中を汚染している可能性があります。

先生が帰られた後に、妻と二人でさらに周辺の自然観察を行いました。
現在使われている最終処分場の周辺の石垣に多くのセメントが溶け出している個所を見ることができました。そして、処分場からの浸出液(立派な浄化施設があります)が流れ出ている遊水池の石垣にさらに見事なセメントが溶け出している個所がありました。水抜きのパイプからは見事な鍾乳石さえ採取できました。浸出液の排出口は、私たちが異常に感じているよりも大掛かりに赤く水路が変色していて、生物の存在はまったく感ぜられませんでした。
一方、セメントの溶出がまったく見られない側の水溜りには、現在あまり見ることの出来なくなった日本在来のザリガニや、誰が放したかヒメダカの群れも見ることができました。
このような現象は、水質の分析測定を行なわなくても、誰もが否定できない異常現象です。
関口先生は、このような誰でもが肌で感じる事ができる観察を住民全員で行い、その事実を行政へ訴えていきなさいと、私たちに教えてくださいました。
私たち住民運動は活動費も十分にはありません。 まして、ダイオキシン類の測定などで行政や業者と数値戦争を行なっても、それこそ100年戦争になります。 それよりも、上記のような自然観察を住民全員で行なうことにより、住民全員の環境に対する関心が高まり、家族の対話や隣近所の対話が深まる事になります。




地下水が汚染されている証拠(横浜市も確認済み)         大気汚染に拠ると思われる梅の葉


子供の手を引いて自然を観察しよう

自然観察は、環境の異常現象を探すだけが目的ではありません。 環境汚染が進んでいる現在でも、まだ美しい環境が一杯残っています。
私たちの町のように、かなりの環境が汚染されてしまった所でも、道路脇や雑木林の中には、美しい自然が必死になって残ろうとしています。これらの動植物や水溜りを観察する事により、兎角間違った文明に毒された子供たちに自然環境を守ろうとする心が宿っていくと信じます。
家の中で過ごすよりも、外へ出て子供と太陽の下で過ごしましょう。 遠くへ出かけるだけが自然に親しむ事ではありません。本当のアウトドアライフってこんな事ではないかと思います。

私事で恐縮ですが、小学生まで私は父親と一緒に近所を散歩する事が好きでした。 道を歩きながら、食用に適する草を摘みながら動植物の習性を教えてもらった事が、私にとって父親の良い思いでとなっています。 私の甥は、現役を退き十分に時間の出来た祖父と、私以上に自然の中で過ごす時間が多かったと思います。この甥は技術屋の父親とはまったく別の方向へ進み、現在ボランティアで沖縄県のやんばるの森の自然保護を行なっています。


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