チャタヌガの奇跡


チャタヌガとはアメリカ合衆国テネシー州にの南にあり、ジョージア州との州境にあります。
1830年代にChief John Rossが商業交易の場所として設立しました。
1860年代には河と鉄道の街として発展し1863年には奴隷開放戦争の戦場にもなりました。
1880年代には米国南部の主要工業都市として発展し、コカコーラの発祥の地でもあります。
1930年代には世界大恐慌の中、TVA計画で南部の電力中心の都市になり、工業都市として発展を遂げていきました。

しかし、そのツケが回り、1969年にはU.S.DEPARTMENT OF HEALTH EDUCATION AND WELFAREからアメリカ中で一番大気汚染の酷い街とのお墨付きを貰う事になってしまいました。下町では昼間でも自動車のライトをつけないと霞む日が年間150日以上あり、呼吸器系病気の発症率はアメリカ平均の3倍以上でした。その為下町は人も住まないような死の街になりかかりました。
同年チャタヌガ市はFEDERAL CLEAN AIR法とTENNESSEE AIR QUALITY法を基に、大気汚染抑制に乗り出しました。また企業も大気汚染抑制に積極的に取り組み、その結果市内の殆どの工場がフィルター装置を設置し大気回復に取り組みました。1976年には酷く汚染された下町にMILLER PARKをオープンし廃退しつつあった街をよみがえらせました。
1984年には、コカコーラボトルカンパーが設けた基金で作られてリンドハースト財団の支援で市民グループ参加で「ヴィジョン2000」と言うチャタヌガの高品質の生活プランが出され40のコミュニティーが計画を達成しました。このプラン作成のミーティングには延べ1700人以上の市民が参加し、223件のアイディアが提出されました。そのアイディア達成の為にハンドハースト財団は1984年から1992年まで毎年35万ドルの資金的援助を行いました。
このプランの一つに、シャトル電気バスがあります。1992年、下町にテネシー川で作り出される豊富な電力を利用した電気で動かすシャトルバスを走らせる代わりに市内の入り口にマイカー用の駐車場を設けマイカーの市内乗り入れを制限しました。その為市内での交通渋滞も解消され、5分間隔で運行するシャトル電気バスも定時運行が可能となっています。また荒れ果てたテネシー川をよみがえらすためにリバーパークの計画も出されました。そしてこの計画の中に地元学生のアイディアで水族館が作られました。このようにして、多くの地元市民のアイディアで街作りの計画がなされ、その計画を達成するために環境汚染の回復がなされていきました。
また環境汚染の回復の為に新しいビジネスチャンスも生み出され、汚染土や泥土のリサイクル技術、ゴミ処理場から発生するメタンガスのエネルギー利用、土壌改良などの新しい企業が誕生しました。
チャタヌガの市民は「7世代先の事を考ろ」とのチャタヌガの先住民チェロキーの知恵を生かそうとしています。 1969年にアメリカで一番汚れた環境汚染の街の汚名を、市民、企業、行政が一体となりなんと1996年にはトルコのイスタンブールで開かれた国連議会で世界で最も環境と経済を両立させた街として表彰を受けました。



私達の町「新橋町」は横浜市で一番の環境汚染の町かも知れません。でも、私達はチャタヌガの奇跡を知る事により、この汚染された新橋町を日本で一番美しい環境の町に蘇らす運動をしています。