鷹 留 城

 

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場所・・・榛名町下室田

 鷹留城は榛名町下室田、禅刹長年寺の北、1,300メ-トルにある山城で、南北400 メ-トル、東西300 メ-トルの地域を占める。

東側の谷底から本丸までは比高70メ-トルに及び、全体は亀形であると地方の人々は言っている。城は並郭式構造で、

本丸を中心とした部分と、南端の一郭とを別々の単位とする一城別郭の縄であることは、両部分の間の堀切りが所謂

「大堀切り」で長さ170メ-トル、両部分に附けられた腰曲輪はここで完全に分断されており、また両部分の構造が全く異

なることにより説明できる。鷹留城の主城である箕輪城もこれと同じ構造に成ったもので、二の丸西南側の「大堀切り」

で分断されている。城の北側は尾根の狭い部分を長さ70メ-トル程の堀切りで断ち堀切りの余勢は東の斜面を下って竪

堀となる。南面は南郭を中心とする数条の堀切りを構えて城外に対しているが、地形の関係上隔絶は不完全で、南郭

の防備による外、本丸方面の防備組織は成立しない。

 

本丸

案内の石碑があるが、箕輪城落城が永禄9年と

間違って記されている。永禄6年(1563)である。

本丸北側の腰曲輪

 

 

本丸にある石碑

この石碑の裏側に沿革が記されている。

 

二の丸への虎口

本丸の南側の大堀切りから二の丸への虎口である。

二の丸には、元群馬県知事の清水一郎氏の墓があり、

この城址は個人の所有と聞いていたが、もしかして、清水氏の所有かもしれない。

 

根小屋地区からの城道

大手虎口から本丸西側に通ずる城道

 

大手虎口

 

本丸にある案内

 

長念寺門

 

長野業尚一族の墓( 長念寺)

中央が初代鷹留城主で長年寺開基長野業尚の墓である 左右に三基づつ.累代の墓が並んでいる

長念寺の伝説の井戸

 

長念寺本堂

 

 

訪問記

 県道406号線から鷹留城址へ入る道は狭く、第一小学校の西を登る道も狭く、根小屋 住宅の辺も駐車する場所はない。困っていると近所の奥さんに

,「うちの駐車場へとめたら」という好意に甘え城址へと向かった。途中、歌碑が続き、城への思いを綴ったものと思ったが、どうもそうではないらしい。

個人所有の土地であれば文句もいえない。自由に訪城出きる事に感謝、感謝。本丸、二の丸、三の丸、南の郭と良く残っていて、

箕輪城に劣らぬすばらしい城址である。堅城であったこの城も、武田勢の大軍に好戦したが、ついに落城、やがて、箕輪城落城へと時は移るのである。

なんとも悲しく、悔しい思いがつのった訪城であった。