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場所  群馬県前橋市上泉町

 上泉城跡は、現在県の指定重要文化財である上泉郷蔵付近に、本丸と南北に二の丸と三の丸があった。 東西には、一の郭、二の郭が配されていた。西片にある玉泉寺は出丸であったろう。戦国の時代には利根川の急流がその城壁を洗うがごとく流れていた。

上泉城は、康正元年(1,455)一色源五郎義秀(左京太夫義春の子、上泉信綱の曽祖父、一色義直は義秀の祖父である)築城した。義秀は享徳2年(1,453)京師より来たり、名門俵籐太秀郷以来の大胡家を再興した。 義秀は大胡氏が元通りの勢威に復旧すると、惜し気もなく大胡氏正系の人物(大胡彦太郎重高であろう)に大胡城を譲り、隣接の地上泉に、一城を構築し移り住み上泉氏を名乗った。義秀は中条流、念流、京流兵法の達人であった。これより累代関東管領山内上杉家被官となる。義秀は菩提心厚き人物で、上泉寺(じょうせんじ)を開基している。尚、上泉寺は旧上泉公民館の地にあったかが、今は廃寺となっている。上泉城城主は、 義秀-時秀-義綱-信綱-秀胤と続いた。


 

本丸跡

現在は上泉郷蔵が建っている。

 


 

西林寺(上泉伊勢守秀胤開基)

上泉信綱の菩提寺


 

 

上泉伊勢守秀胤(信綱嫡男)の墓 上泉町西林寺

秀胤十三回忌(天正5年、1、577)の折、父信綱が建てたものである


 

 

本郭南側の土塁跡


 

 

訪問記

 本丸址には上泉町の 自治会館と上泉郷蔵があり、本丸の南側は自治会館が出来る前は水堀であったという。三の丸には、小生の親戚の家があり、かなり土地を平らにならして、家を建てたそうである。近くの西林寺にあるお墓は上泉伊勢守秀胤(信綱嫡男)の お墓である。信綱のお墓は不明で小田原で没しているのは間違いなさそうである。