気功の穴
象気功


手でチャクラを開く

手でチャクラを開く・その15

まあ、なんである、IT情報技術社会がどんどん熟成して、さらにはAI人工頭脳が社会を支配しようという時代に、相も変わらず神に頼る人々は世界の多数を占めているわけである。

つまり、文明科学がいかに発達しようが心の問題は別であるということである。


また、占いが統計学であるとすれば人工頭脳に任せたほうが正確であろうし、教祖と言い張るパ~の神のお告げさえ人工頭脳が作り出さんとも限らんわけである。

そんな時代に「手でチャクラを開く」てな、科学医学からもっとも離れた怪しいあれこれを大真面目に講義してるあたしはなんなんだということである。

氣が怪しいものの代表みたいに思われるのは、分かる人には分かって、分からない人には分からないという、存在があやふやな存在であるからである。

ううむ、ややこしいな。


つまり、人によって存在したり存在しなかったりするわけであるし、さらには人の意識で操作できるというところが心の問題の神仏スピリチュアルの怪しいテリトリーに囲われてしまう原因である。

まあ、とにかく、氣はあたしらには分かるし見えるし感じるしで確かに存在するものであるが、大多数の人々の感覚では見えないし感じないし、計測する計器もないし、つまり、存在しないものであるわけである。

その分からない大多数の人々も「あの人はすごいオーラだ」とか、「圧迫感がすごい」とかいうわけである。


この「すごい」と感じるものがその人の発する氣である。

逆に「あの人はなんとなく存在感が薄い」とか「なんとなく弱々しい」とかもいうわけである。

つまり、この「なんとなく」感じるものがその人の発する氣である。

まあ、これはファッションあるいは見かけの問題もあるが、そのファッションあるいは見かけを醸成するのも氣道や精神状態も含めた氣の状態である。


語弊はあるが、分かりやすく簡単にいうと、今にも死にそうな重篤な病人で「あの人はオーラがすごい」「圧迫感がある」という人はいないのである。

たいていは今にも死にそうで「弱々しい」のである。

これは疾患により氣道に穴が開き、氣が漏れてしまうからである。

もちろん、中には重篤な疾患を患ってもパワフルに行動し、仕事をこなす人もいるのである。


これは根性とか気合ではないのである。

生まれ持って氣を作り出す機能が強く、氣道から漏れる氣よりも生み出す気が上回り、いやでもおうでも血気盛んなのである。

「手でチャクラを開く」は、「生まれ持って氣を作り出す機能」がしょぼいあたしたちも、その「機能」を手からの氣でチャクラを刺激することで補い、「やらないよりマシ」の範囲内で「血気盛ん」の方向に向かわせる方法である。

完。
(2022・01・21)

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