象気功

象気功


八段錦



八段錦7


まあ、その、なんだ、八段錦はなかなかその効果が実感しにくいわけである。

勘違いするとラジオ体操の類いと取られかねないのである。

もちろんラジオ体操も気功法としては、それなりに効果のあるカリキュラムである。


しかし、八段錦とラジオ体操との根本的な相違は、ラジオ体操は主に骨格筋を主体とする動きであるが、八段錦は主に深層筋を主体とする動きであるというディテールである。

なにしろディテールである。

ディがテールしてるわけである。

これまでに、これでもかと解説しているが、深層筋は骨格筋に比べて、著しく毛細血管の量が多いわけである。

なにしろ「著しく」多いのである。

ひらがなで書くといちじるしくである。

いちじるしくはイチジクの汁とはもちろん違うので、そこんところを勘違いしないようにしないと、わけがわからなくなるのである。


さらに、お約束のいちじくかんちょーとは似ても似つかないものであるので、ううう、くだらんことを言いすぎて元に戻れなくなってしまったので、このへんでアレである。

話を戻して、八段錦は著しく毛細血管の多い深層筋を働かすことにより、氣の効率的な発生を伴うということである。

簡単に言うと、力を抜いてゆ~っくり動くと氣が発生するということである。

これを利用した代表的なメソッドが太極拳であるわけである。

つまり、氣を効率よく発生させるには、動きの緩慢さということに要点があるのである。


ラジオ体操のように速く動けば、当然、骨格筋が主に働いて氣の発生には効率的ではないのである。

弛緩して緩慢な動きをすることにより、骨格筋よりも著しく毛細血管の多い深層筋の働きが主体となり、氣を効率よく生み出すのである。

つまり、可能な限り力を抜いて、可能な限りゆっくり動くことが、氣の発生には有効であるということである。

太極拳は拳法・武術という側面があるので、型や動作にこだわって、氣とは真逆の勘違いの方向に行きやすいわけであるが、八段錦は氣を生み出し氣を巡らせるということによる養生法として特化されているので、これがなかなか香ばしいメソッドである。


さらには、呼吸筋ストレッチを含めて呼吸を効率よく行い、腎の経絡を刺激し、また、八段目では、骨芽細胞を刺激して、カルシウムの吸収を促進し、さらには骨を作るために全身の臓器を活性化させるという、至れり尽くせりのカリキュラムである。

もちろん、氣が血を運ぶと言うたとえ通り、そのことにより、酸素と栄養素を全身の細胞に隈なく効率よく運ぶことがその主たる目的である。

全身の細胞のメンテナンスが行き届けば、当然免疫力が上がり、自然治癒力も上がり、治らない病気が治る場合もあるし、より健康になれば行動が変わり、脳の働きもその人なりに最善となり、運気が上昇するのは当たり前である。

ありもしない劇的で急激な変化を望むよりも、一生に渡る継続により、目に見えないような変化を実感することを心がける方があなたにとって有益である。


まあ、そうはいっても、人間の感覚はそのとき現在の状況がすべてであるので、過去の感覚と比較してどうなっているのかは実感しにくいのであるが、10年20年というスパンで自分の状況や行動、あるいは周囲の人間関係を比較してみると分かりやすいのである。

しかし、神がかりな効果を期待している人には、その効果が全くわからないかもしれないのである。

いろいろと妄想を抱いても、現実的にはどうあがいても、お亡くなりになるまで延々と今日と変わらぬ日常が続くわけであるから、その中でナノ単位の上昇でもあるのとないのとでは、あなたの人生という坂道においてはえらい違いになるのである。

うっかりしてると、どんどん転げ落ちて、人生のがけっぷちからおっこちてしまう人も多々おられるのであるから、そこをほんの少しでも高い方に上がるような日常を送ることがあなたの人生全体を考えたときに確実に有利であるわけである。


気功は、「やらないよりマシ」というスタンスを持って、日々てきとーに楽な量を継続するということが真理である。

まあ、たとえば、大方の自己啓発の基本は、前向き思考あるいは積極的思考あるいはポジティブシンキングあるいはプラス思考にするてなことである。

しかし、心で心を変えるのは無理である。

心あるいは精神てなものは、実体のないあやふやなものであるので、今日は完全に変わったと思っても、明日の朝になれば元の木阿弥てなことになるのは、自己啓発マニアはこれでもかとご経験の通りである。

これをなんとかするのが象気功メソッドであるわけである。


象気功は「身体を変える」ことにより、楽に「心・精神を変える」というメソッドである。

苦行も荒行も修行もいらないのである。

気功法におけるその具体的な方法が站椿功であり開合功であり昇降練氣であり八段錦であるわけである。

心で心を変えようと思うのは、ものすごくめんどくさくて、とくにあたしら無知能なし馬鹿丸出しの烏合の衆にはほとんど不可能なことである。

しかし、その能無しのあたしらにも、身体を変えることは比較的簡単容易で誰でもできるのである。

たとえば適度なジョギングを日常化すれば、当然、毛細血管が育ち、血管の状態は良くなり、足腰の筋肉量は増え、筋肉の質も変わり、心肺機能は強化され、細胞呼吸の状態も変わり、根本から「身体が変わる」のは、そうとうおつむのちょーしが芳しくないパ~の人にもご理解いただけることと思うのである。


適度なジョギングを日常化して体力がつけばいやでも行動は活発になり、持久力があればものごとをやるのが楽になるので忍耐力につながり、何ごとも疲労感が少ないので仕事も効率よくこなせて、体力・筋力・持久力がつけば、心はいやでも前向き・ポジティブ・プラス思考になるのである。

この逆で、体力が無く、筋力が無く、持久力が無く、毎日疲れ果てて仕事がしんどいなんて場合は、前向き思考にしろなんて言われてもできるわけがないのである。

つまり、心を変える体力・筋力・持久力は、簡単な運動の継続ても身につくのである。

体力・筋力・持久力の基本中の基本が立つことである。

その立つことによる、体力・筋力・持久力の強化に加えて、深層筋の連動による気功効果により「細胞の活性度」を上げるのが站椿功である。


その站樁功を基本として、あれこれやってるうちに「おお、そうか、これが氣か、なるほど、これはおもしろい」なんてことを言ってるうちにアーラ不思議、全身の毛細血管が開いて、酸素と栄養素がくまなく60兆の細胞に運ばれて、細胞の状態がよろしくなり、身体が変わることにより精神状態も変わり、当然、いつの間にか運気は本人が気が付かない範囲内のパーセンテージで確実に上昇するのである。

この、「気が付かない範囲内」というのが、なかなかこれでイキでイナセなアーティクルである。

なーにがアーテイクルだよ、意味わかっとんのか。

だれに言ってんでしょうか。

まあ、こんなとこかね。

続く。

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