象気功

象気功


八段錦



八段錦5


つーことで、本日も八段錦を微に入り細に入りこれでもかと解説するわけである。



八段錦3で紹介したおでこゲーハーおじさんセンセーの動画は、この健身气功 - 八段錦- 完整標准版 - 中国体育總局制作てな完全版からの動作の抜粋の動画である。


八段錦の動作や効能についていろいろご説明なさっておられるので、マニアの方はご覧になるとよろしいかもしれないのであるが、おでこゲーハーおじさんセンセー以外は、おばさんや解説に登場するセンセーやアニメーションを含めて、立ち方において、ほとんどが踵(かかと)体重で解説しているので、八段錦としての効果が半減するので参考にすることはご推奨申し上げないのである。

つまり、気功源流のちゅーごくでも、站椿は踵体重で教えることが大勢であるわけである。

しかし、站椿功をその発祥である中国武術の立ち方の基本として考えても、踵体重は間違いであるのがわかるのである。

たとえば、空手、ボクシング、テコンドー、レスリング、柔道、合気道、相撲、キックボクシングなどのあらゆる格闘技の立ち方・フットワークの基本は親指の付け根を中心とした前足部体重である。


中国武術の実戦として考えるだけでも、踵体重で相手に対して動けるわけがないということを考えれば、その立方の基本としては、踵体重の站椿が間違いであることがすぐわかるのである。

ヒラメ筋も腓腹筋も衰えて前足部体重で立てなくなった大師老師と言い張る呆け老人の指導を闇雲にそのまま信じ込むからこーゆーアホな站椿が主流になっているのである。

また、氣を生み出すということにおいても、骨格筋である太ももだけをいくら鍛えても、氣は出ないのである。

気功の基本は上虚下実だから、できるだけ腰を降ろして太ももを鍛えなくてはならんてなことを、さも正論のように言い張るセンセーもおられるのであるが、まあ、毎度言うことであるが、太ももを鍛えて氣が出るなら競輪選手は全員が氣の達人である。


立つことにより氣を生みだすのは骨格筋ではなく、毛細血管が著しく多い深層筋である。

もちろん骨格筋にも遅筋が混じっているわけであるから、少ないなりに氣を生みだすわけであるが、要は効率の問題である。

夢中で太ももを鍛えるよりも、著しく毛細血管の多い深層筋の連動をつくり上げることの方が圧倒的に氣を生み出すからである。

だから、気功を習い始めると、最初に「力を抜け」と指導されるわけである。

この「力を抜く」というのは、骨格筋の力を抜くということである。

「抜く」というのは意志である。


意志で操作できるのは骨格筋である。

意志で骨格筋の力を抜くと、意志で操作できない深層筋が働くことになるわけである。

ところが、深層筋は意志では操作できないが、氣で操作はできるのである。

ここに気功・太極拳・意拳などの氣のメソッドの秘密があるわけである。

氣は熟達すると意志で操作することが可能である。

意志は念である。


つまり、念で氣を操作することにより深層筋が働き、強力な「力」となり、さらに熟達するとそれが他者にも影響を与えるのである。

まあ、それは「念力」の章を再読頂くとして、深層筋には氣道・ナディが毛細血管とともに張り巡らされているわけであるので、その氣道・ナディに氣を通すことにより、深層筋を意志で操作することが可能である。

それが中国武術における発勁であり、他者に影響をあたえる情報としての空勁となるわけである。

それを中国武術の鍛錬の途中で気がついた人がいたわけである。

太極拳のメソッドがその代表であるが、武術として立つことの基本の站樁を修練する途中で大成したのが意拳の王向斎大センセーであったわけである。


まあ、格闘技的な強さ弱さはどーでもいいといsて、とにかく、氣の達人をどこで見分けるかというと、前足部体重か、踵体重か、ということで見分けることもひとつのポイントである。

この動画では、前足部体重で正しく立っているのはおでこゲーハーおじさんセンセーだけである。

この動画で圧倒的に氣を発しているのは、その前足部体重で立っているおでこゲーハーおじさんセンセーであるから、前足部体重が氣を生みだすためには正解であるというのはそうとうな間抜けでもわかるのである。

ところが、間抜けでもわかることが、そーでもないから、この世の中はばかもあほうも入り乱れて面白いわけである。

まあ、話を戻して、踵体重のおばさんセンセーや解説に出てくる他のセンセーの皆さんは形だけで、たいした氣は出ていないのである。


綺麗なだけでぜんぜん氣の出ない競技太極拳の優勝者の演舞と同じである。

どんなに綺麗でも氣が出なければ気功としては無意味である。

つまり、氣が分かる達人になると自然に首の付根が前足部に乗る立ち方になるわけである。

しかし、それが本物の大師老師達人であっても、それはあくまでも参考であって、どのように立ちどのように動けば効率的に氣を生みだすことができるのかということを、自分で試して自分で氣がつかなければならないのである。

氣の世界は、なにしろ、見えないものには見えないし、感じないものには感じないので、言ったもん勝ちのホラ吹きの独壇場であるので、とんちきな師に一生をかけて師事するなんてことをすると、一生が無駄になるのである。


どんな大センセー達人と言われる人のメソッドでも、「一応、言ってることをやってみる」というスタンスで、自分で効果を確認して、先に進むことが重要である。

すると、少しおつむのちょーしのいい人は、気功にしてもヨーガにしても密教にしても仙術にしても、氣の世界の大センセーだの、達人だの、と言い張る連中のほとんどが聞きかじり読みかじりのくるくるぱ~のこじつけ出まかせ大ぼらであることがわかるのである。

これがさらに霊能だの、超能力だの、スピリチュアルだの、超常体験だの、至高体験だの、神のお告げだの、前世だの、生まれ変わりだの、なんてことになると、もうこれ、なんの役にも立たない妄想幻覚の類いか、あるいは本を売らんかな、あるいはばかを騙して信者獲得による金儲けのための嘘八百のオンパレードであるので、論外であるのは言うまでもないことである。


これらに関わること自体が時間の無駄であるので、お笑いとして楽しむか、あるいは一切無視して先に進むのが正しい方向性である。

八段錦に関してはゆーちゅーぶで検索する限りは、現在のところ世界一であるおでこゲーハーおじさんセンセーの動作を見て、それを参考に繰り返すことが全身に氣を巡らせることのひとつの正しい指針となるのである。

氣を生みだすための站樁の基本は、立つことを成り立たせている姿勢制御を司る深層筋の連動である。

その正しい立ち方により生み出された氣を全身に隈なく巡らせて、氣道の狭窄・閉塞を改善し、全身の毛細血管を開き、細胞に隈なく酸素と栄養素を運び、細胞の修復・再生・分裂を最善の状態にして全身60兆の細胞を活性化させて、健康状態を最良最善として最大の能力を発揮することにより運気を上昇させることが八段錦の正しい方向性である。

まあ、方向順序は太極拳などとは違い、右からでも左からでもいいので、てきとーに動作をまねすることから始めればいいのである。

ただし、本質的に正しいものを見ないと間抜けな八段錦となり、効果が半減するのである。

てなことで、神のお告げはさらに続くのである。

オチはなしかよ。

続く。

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