象気功

弛緩メソッド
軟蘇
(なんそ)


象気功は自分がその場の状況に合わせてどんどん変化して生きるためのメソッドである。

生命はその発祥依頼、地球の環境の変化に対応して目まぐるしく変化し進化してきたのである。


地球のダイナミックな変化に対応して、水生から陸生に変化し、進化し、哺乳類が誕生し、人間が誕生したのである。

DNAが変化を望んでいるのである。

そのためのDNAであるのである。

社会、世界を変えるのではないのである。

その場の状況、変化に合わせて、自分が変わるのである。


象気功はそのための法であるのである。

いやでもおうでも宇宙は変化し進化し、それに対応して生命、人間のDNAも変化し、進化するのである。

変わらないものは絶滅して、変わったもの、あるいはその状況、環境に適応したものが、次代への種をつなぎ、生命、人類は進化するのである。


象気功の最大のテーマは「こだわらない」ということである。

どんな状況、変化にも対応できるような、柔軟な脳、身体を造るのである。

つーことで、「軟蘇」である。

まあ、これはご存知の方も多いと思うが、いわゆる「軟蘇の法」である。


「軟蘇の法」は300年ぐらい前の白隠慧鶴さんとゆー坊さんが「夜船閑話(やせんかんな)」とゆー養生法の書物の中で著した、まあ、元は、禅の修行途中でとんちんかんな方向に行ってはまり込む、禅病を解消する方法である。

禅も気功も、本来は元を辿るとヨーガに行き着くわけであるので、身体を緩めてよろしい状態にしましょうね、つーことが禅の目的であるが、お悟りだの、境地だの、まあ、現在の状況に当てはめると、あちこちの道場やお教室でトンチキなセンセイやグルと称するホラ吹きに乗せられれて、ありもしない境地や自分の能力を神懸りな状態までアップしようなんて、できもしないことをやろうとして、あちこちの氣道が閉じたり、狭窄したり、そのあげく意味のない氣道が開いて、コントロールできなくなったり、中には考えすぎて、体中の氣道が閉じてオツムに氣が上がって、まあ、こーなるとノイローゼ状態で、具合が悪いったらありゃしないとゆー皆さんのために、それを何とかしましょうてなことで、自分もそーなった白隠さんはその解決策としての放鬆功の類いをわかりやすく解説したわけである。


夜間船話では、この他に「内観」なんてことも解説しているので、まあ、禅も気功も元を辿るとヨーガに行き着くわけであるので、瞑想法の一部でもあるわけである。

白隠さんの軟蘇の法は頭に乗っけた蘇とゆー、まあ、クリームチーズみたいなもんが、溶けて、脳も身体も溶かして行くとゆーイメージで身体を緩めるとゆー方法でありますが、詳しく知りたい方は夜間船話をお読みいただいて、「おお、これがホンモノの軟蘇の法か!」とお楽しみいただきたいが、たいしたことはないかもしれないのである。


まあ、いずれにしても、気功では三線放鬆功で身体の外側を緩めたあとに、その続きで身体の内側を緩めることを行うわけである。

まあ、これ、一般的な気功法では暖かい氣のお湯のシャワーを頭から浴びて、三線放鬆功で外側を洗い、次に身体の内側を洗うというイメージで行うのが一般的であるが、象気功ではさらに効果的に緩める方法を解説するわけである。

それでは軟蘇である。


<軟蘇>

まず、「蘇」ではなんのことかわかんから、前回の放鬆で解説したとおり、天空の果て宇宙から暖かく柔らかい氣の光がサーチライトでシャワーのごとく降り注ぎ、頭部から全身を包み込み、頭部全体の力が抜け、百会を溶かし、それが頭蓋骨を溶かし脳に浸透し、脳を溶かし、百会、頭蓋骨、脳を含め頭部の内側外側総てを温かいクリームチーズ状にとろとろにするというイメージを喚起するところから、開始するのである。

さらに、氣の光により、目の奥の力が抜け、緩み、とろけ、鼻の奥の力が抜け、緩み、とろけ、口の奥の力が抜け、緩み、とろけ、顔、後頭部も含めた首から上の頭部全体の外側内側総てが溶けてとろとろになる。


その溶解した緩み、とろけは喉に伝わり、さらに氣の光のシャワーが喉の外側内側に降り注ぎ、喉の奥や中、外側総ての力が抜け、緩み、とろとろになる。

それが胸におり、浸透し、胸の奥や中にも氣の光のシャワーが降り注ぎ、力が抜け、緩み、とろけ、肋骨も肩甲骨、背骨などの骨や皮膚などの外側が溶解し、内側の気管支、肺、心臓などの内臓もとろとろにとろけて胸全体が総て緩んで細胞が溶解し、とろとろに溶ける。


さらに、その溶解したものがみぞおち、臍の奥に浸透し、胃や、十二指腸、膵臓、脾臓、肝臓、腎臓などに氣の光のシャワーが降り注ぎ、外側、内側総ての力が抜け、緩み、細胞が溶解しとろける。

その緩みは臍から下の下腹部に浸透し、小腸、大腸、直腸、生殖器など、総ての臓器を溶かし、緩め、さらに、氣の光のシャワーが内側外側に降り注ぎ、下腹部全体の力が抜け、緩み、溶けて、とろとろになる。


さらに、その緩み、とろけたものは、太もも、膝の内外、脛、脹脛(ふくらはぎ)、足の裏まで浸透し、暖かい氣の光のシャワーがその内外に降り注ぎ、光が全身を包み込み、骨、皮膚、臓器など身体総ての細胞を溶かし、緩め、とろとろになり、さらに氣の光のシャワーは身体全体に降り注ぎ、全身の細胞は溶けて透明になり膨大な氣の光を発し、大きな氣の風船が膨らむように、その光は果てしなく広がる。


まあ、これを、三線放鬆功と合わせて、日々、行っていると、まあ、百会を意識しただけで、自動的に緩みが全身に降りて緩み、当然、氣道は開き、血流が促され、氣が溢れるようになるのである。

まあ、それまでは、前回も解説しましたように、身体の内外を上から順番に緩めることを、気長に根気よく続けることが緩む早道である。


まあ、それで、身体が緩んだからと言って、あちこちのぱーのセンセイ、グル、が言うように、「どんな病気も治る」なんてことでないのは言うまでもないことである。

しかし、身体全身が緩んで氣道が開き、血流が促され増加し、リンパ系、神経などの働きが正常の方向に働き、身体の隅々まで血液、リンパ液などが行き渡れば、何もしないよりは、具合の悪い人は良い方向に向かうであろうし、免疫力は高まり、元気になるのは当然のことである。


身体が元気になれば、そりゃあーた、もちろんオツムのちょーしだってそれなりに良くなるのは当たり前である。

また、今まで、閉じていた氣道が開くわけであるから、それなりに、今まで閉じていて使われなかった能力、脳力もそれなりに発揮され、つまり、潜在能力が発揮される場合もあるわけである。


まあ、それ以外にも、やってみりゃどなたでもわかるが、まあ、揺するにしても、捻るにしても、伸ばすにしても、放鬆にしても、軟蘇にしても、まあ、個人差はあれ、「気持ちよくなる」わけであるから、よろしい脳内ホルモンが放出され、脳、身体のちょーしはよろしい方向に向くわけである。

けっこうけだらけなメソッドであるわけである。

毛だらけかよ。


いつも言いますが知ってると知らないじゃ、その人生はえらい差ができるのである。

まあ、湯治、つまり温泉治療の効果と同様にいーろいろいいことがあるわけである。

しかも、当たり前であるが、温泉のように、湯あたりすることもないのである。

続く。

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