象気功

除霊


除霊 最終回

勘違いしていけない。

神を誤解してはいけないのである。

神は清浄でもなく、正しくもなく、公平でもなく、哀れみもなく、慈しみもなく、恵みもなく、助けもなく、人間にとっていいところは何もないのである。

あるのは残虐と非道と傲慢と不遜と不公平を持って、我々人間に罰と苦難と試練をお与えになるのである。

神の導きの糸は苦難へと導きはすれ、幸福へ誘う(いざなう)ことはないのである。

神は慈愛に満ち、清浄で総てのものに正しく、公平であるとしたのは人間の創作なのである。


正しく、清く、公平で慈愛深く、優しく、愛を与えるというのは人間の人間に対する望みなのである。

人間の「望む」人間のあるべき姿なのである。

人間の勝手な基準であるのである。

神はそのような存在ではないのである。

「正しい」というのは人間の尺度である。

神にとって「正しいこと」など、なんの意味もないのである。

正しく生きること、清廉であること、優しく慈悲深いことは、人間社会に都合の良い、人間の理想像であるのである。


神にはそんな人間の都合はなにも関係ないのである。

神はそんなものは望んでいないのである。

霊性が高かろうが、低かろうが、人格が清廉であろうが悪逆であろうが、神にはなんの関係もないのである。

善人にも極悪人にも、なんの隔てもなく、等しく残虐な罰を下されるのである。

神はたとえなんの罪穢れのない幼児でも、平気でなんの躊躇もなく、飢餓、戦争、天変地異、伝染病、事故、事件、あらん限りの残虐で凄惨な方法であらゆる苦しみを与え、年に何億人という単位で殺すのである。

あなたが日々なんの躊躇も憐憫もなく、歩くたびに何百何千という虫や微生物を踏み殺し、生命維持のために細菌雑菌などの何万何億という命を殺戮しているのと同じことである。


神は正であろうが邪であろうが、なんの区別もなしに等しく踏み潰し殺戮するのである。

この神による仕打ちは、人間の「原罪」でもなんでもないのである。

神はそのような存在なのである。

そのために宇宙が存在し、神が存在するのである。

象菅は人間が神によるその試練、苦難を賜る「神の糸」であるわけである。

人間はこの糸に操られ、日々、悩み苦しみ地獄の底をのた打ち回り這いずり回り、生を楽しむわけである。

そして一人一人の人間は絶対の孤独な存在であるのである。

一人一人がその存在する次元、世界において絶対の孤独なのである。


あなたはあなた一人の次元、世界に住み、あなた以外のもの総てはあなたの脳が造り出した事象に過ぎないのである。

あなたの親、兄弟、家族、友人、知人も、その他の地球上の人類、家、地域、国、そして、地球、太陽系、銀河系、宇宙、もろもろ総てが神によりあなたの脳にプログラミングされた事象であるのである。

あなたは大宇宙、この世にたった一人で存在し、あなたの脳の造り出した事象の世界に住み、悩み、苦しみ、のた打ち回り、死ぬのである。

だから、あなたが死ねば、あなたの脳細胞が死滅し、事象である世界は総て消滅するのである。

そして、あなたに降り注ぎ身体に宿っていた神の分身は瞬時に宇宙の根源に戻り、宇宙と一体となり、宇宙、神が進化し、再び分身となり、大宇宙のあらゆる生命体に降り注ぎ、神の糸である象菅によって操られ、進化のために成すことを成し、過去現在未来永劫、輪廻を繰り返すのである。


輪廻に終りはなく、終りが始まりで始まりが終わりである。

最初が最後で最後が最初である。

現在は過去であり、過去は現在であり未来であり、未来は過去であり現在である。

ううむ、ますますいいね。

なにがなんだかぜんぜんわからん。

さすがに神のお告げである。

宇宙の深淵が見えてくるのである。

象気功はその神の「操作菅」である「象菅」を人間が「操作」しようという不遜な方法を解説しているわけである。

完。

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