象気功

除霊



除霊法13 返り念障(かえりねんしょう)4

『はじめまして。こちらのサイトを知ってから半年、読む程に目からウロコで心が軽く前向きになれてる今日この頃で、『念障~返り念障』は特に楽しく(?)読ませて頂いてます。

そこで一つ疑問に思う事があるのです

〈強欲で傲慢で我がままで、自分さえよけりゃいい〉という人が他人を恨んだり妬んだりしていないので返り念障が無く、人生うまく行くというのは解るのですが〈人の悪口ばかり言って、人を陥れて、〉という場合は他人を恨んでる事にはならないのでしょうか?

それともう一つ質問なのですが、会話の中のその場のノリみたいなもので「あいつムカつくわ~」「居なくなればいいのに!」的な事を大して思ってもいないのに口にするといった場合にも、返り念障はあるのでしょうか?

【言葉にするだけでもダメ】と書いてる本もあります。

『返り念障』が続いてる中ではありますが宜しくお願いします。』



てなご質問が掲示板に書き込まれているので、まあ、これ実はいずれ解説しようと思ってたことなので、まあ、ついでなので、今回これを解説するわけである。

まあ、掲示板にも書いたのであるが、どこかのクルクルパーの大センセイのご本に【言葉にするだけでもダメ】と書いてあるのを前提にご質問されても、そのパーのセンセイもご商売であるのでそれについてそれをくだらないだのちゃんちゃらおかしいだの何もわかっちゃいない知ったかぶりだのほら吹きだのバカ丸出しだのとは営業妨害になるのでコメントを差し控えたいのは言うまでもないことである。

まあそれで、本題に戻ると、たとえば、振り込め詐欺の皆さんは、その被害者のおじーさんおばーさんに、非人道的な、人としてあるまじき言語道断な卑劣極まりない詐欺行為を行うわけであるが、この悪辣非道な皆さんは、これ、お仕事であるから、その被害者になるおじーさん、おばーさんを嫌ってもいないし、憎んでもいないし、恨んでもいないし、辛んでもいないし、妬んでもいないし、嫉んでもいないので、「返り念障」は被らないのである。


これが、返り念障の根本、つまり、宇宙の組成の不思議である。

このことが理解できないと、何をやってもうまくいかない「人生のドツボ」に嵌るわけである。

まあ、あたしもこの象気功で何回も前世鑑定のインチキデブと金髪お追従カマおじーさんとインチキ占いのほら吹きババをおもしろおかしく悪口雑言の限りを尽くしてののしっているわけであるが、これも実際には、まあこれ、読者を楽しませるための、あくまで「ネタ」であるわけであるから、この金髪カマじじいとホラ吹きデブと占いババアにあたしが何をされたとうわけでもないので、嫌う理由もないし、もちろん恨んでもいないし、妬んでもいないし、辛んでもいないし、憎んでもいないし、嫉んでもいないし、怖れてもいないしし、呪ってもいないから、あたしをあたしが視ても「返り念障」はまるっきり発生していないわけである。

ところが、最近いろいろインチキがバレてヤバイので番組を降りたこのインチキ占いババアに視てもらってその指示に従って改名したためにぜんぜん売れなくなった某タレントなんかはこのインチキ占いババアをものすごく恨んで憎んで呪って返り念障を浴びているわけである。

このババアはあのとおりですから、本人はあちこちからものすごく恨まれているわけであるが、これまで解説してきたように相手から受ける念障はエネルギーのあるババアにはさほど答えないので平気のへいざで悪口暴言インチキ予言を繰り返してきたわけである。


しかし、本人はべつに仕事でやってるので、「そんなこと言うとあんたは死ぬよ!」なーんて脅迫してるが、相手をぜーんぜん恨んでいないし、妬んでもいないし、辛んでもいないし、嫉んでもいない、もちろん怖れてもいないわけであるので、「返り念障」は発生しないのである。

ですから、話を戻すと振り込め詐欺の皆さんも意気揚々、今日も元気に電話やメールを駆使して老人を騙したりしてお金儲けに精を出しているわけである。

それで、次の疑問の、

『会話の中のその場のノリみたいなもので
「あいつムカつくわ~」「居なくなればいいのに!」的な事を大して思ってもいないのに
口にするといった場合にも、返り念障はあるのでしょうか?』

とゆーご質問については、前述のとおりあたしの言動が示しているとおり、なんとも思っていなければ「返り念障」は発生するわけがないのである。


たとえば、あたしはものすごく仲の良い大好きな友人のことでも、雑談の内容では「あのやろー死ねばいいのに」なんてことを当たり前に口にするが、その友人を、言うまでもなく嫌っていなしし、恨んでいないし、妬んでもいないし、辛んでもいないし、嫉んでもいないし、もちろん怖れてもいないので、「返り念障」は発生しないのである。

逆に相手に、立場上お追従を言い、諂(へつら)い、煽(おだ)てて褒めて良いことばかり言い立てていても、その相手が嫌いで恨んで妬んで嫉んで辛んで怖れていればその発した言葉とは裏腹に「返り念障」はものすごい重さでどーんと自分にのしかかってくるのである。

話がものすごくややこしいのでおわかりになったかどうかわからんが、つまり、まあ、霊能芸人のおもしろ芸やインチキ占い師の口から出まかせはともかくとして、世の中のお仕事として悪事を行う者にはほとんどの場合「返り念障」は発生せず、逆にかわいそうと思われる被害者にはものすごい「返り念障」が発生してそれが足かせ重荷となり、ますます人生が窮地に陥って歩こうにもにっちもさっちもいかないことになるのである。


だから、昔から、悪人は豪華絢爛酒池肉林に栄え、善人と自分で思っている庶民は悲惨な生活を余儀なくされるのである。

まあ、これは極悪非道な悪人と思われる者の場合でも、人生がどんどんうまく行く者がいるのは何故か?という、宇宙あるいは神の法則の不思議についてお答えしているのであって、悪事をすれば人生がうまく行くとか、総ての悪人がうまく行くということを言っているのではないのである。

悪人の大多数は、犯罪者であるからいつ捕まるかわからん恐怖に怯え、仲間同士で揉めたりして命の危険に怯え、年がら年中、恨んで妬んで嫉んで辛んで憎んで恐れることが日常で、返り念障満載の人生である。

その結果、どんどんドツボにはまって刑務所で一生をすごしたり、そのへんで野垂れ死にしたりして、悲惨な末路を辿る者の方が多いわけである。


だから、「極悪人が良い人生を歩く」ということを言っているわけではないのである。

悪いことなんかせずに、他人を恨んだり妬んだりせずに、どうどうと自分の道をひたすらに生きているものが人生がうまく行くのは当然なのである。

善人なのになぜあの人はあんなに悲惨な生活をして、悪人のあの人は何であんないい生活なんだろうか?という理不尽な事象の不思議について解説しているわけである。

続く。


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