象気功
会陰メソッド


会陰メソッド実践

全身の氣の穴を密封する2


体を氣の観点からいうと、布の袋に水を入れた状態である。

つまり、自然の状態であれば、体内の氣圧が高まり過ぎないように、氣道も含めて、そこからいわばナノレベルに枝分かれした皮膚への放出口である網目状の氣の穴から、常時、氣が微妙に放出されているわけである。

この放出の状態よりも氣の生産が上回って、氣圧が高過ぎれば、血管で言えば高血圧の状態になって、いろいろと障害が出てくるのである。


その障害が偏差であるわけである。

逆に、氣の生産よりも放出の状態が上回ると、いわば低血圧の状態になるので、これもいろいろ障害が出るのである。

氣圧が低過ぎると、循環器系においては毛細血管が狭窄あるいは閉じて、酸素や栄養素が臓器内蔵しいては細胞に行き渡らなくなるので、何をやっても体力がつかないし、当然、気力も無いわけである。

その問題を解決するのが、尾骶骨の氣の穴を締めるということであり、会陰の氣の穴を締めるということである。


尾骶骨と会陰の氣の穴を締めて、それが縮小に至ると、気功における健康法としてはそれでほとんど完結してしまうのである。

体力・気力が回復し、自然治癒力が向上し、免疫力も向上するので、各種疾患なども回復の方向に向かうのである。

これでだめなら、良い専門医師を探して、その診断と指示に従うのが正しい方向性である。

気功法における、自分で出来る限りの最高の健康回復法が、尾骶骨の氣の穴と会陰の氣の穴を締める、「会陰メソッド」である。


さて、その健康法としての会陰メソッドの先に尾骶骨と会陰の氣道の密封があるわけである。

さらにその先に全身の氣の穴の密封があるのである。

全身の氣の穴を締めるということは、全身を布の袋状態からガラス瓶状態にして、その体内氣圧の調整のための氣の微妙な放出をも止めて密封状態にするということである。

尾骶骨と会陰の氣道を密封して、気功法を併用しただけでも、人によっては氣圧が高まりすぎて、あれこれ偏差が出るわけである。


それを、尾骶骨と会陰の氣道を密封した状態で、さらに、皮膚感覚としての全身の氣の穴も密封するということになると、氣の逃げ場は全く無くなるので、百会の氣の穴を締めた場合には重篤な偏差が起きる場合もあるのである。

その重篤な偏差を防ぐ上で、これまでに何度も解説しているように、頭頂部・百会・サハスラーラの氣の穴はどんな場合にも締めることは禁忌厳禁である。


百会は脳に直結であるので、氣を作ることが容易な上級者が気功法を併用して無理に氣圧を上昇させて、どこかのチャクラが暴発した場合、百会の氣の穴を締めていると、その氣が行き場を失い脳に向かうことがあり、極端な場合は脳出血等を引き起こす事態もあるので、大変よろしくないことになるのは言わずもがなである。

全身の氣の穴を密封するとは言っても、百会の氣の穴を開放しておくことは、脳の保護という面からも重要である。


とにもかくにも百会の氣の穴は締めてはいけないということをよーく理解してから、尾骶骨と会陰の氣道を密封し、さらに皮膚感覚としての全身の氣の穴を締めて、全身をガラス瓶状態にするわけである。

全身の氣の穴を密封するには、尾骶骨や会陰の氣道を密封した感覚を、全身の皮膚感覚としてナノレベルの網目状の氣の穴を締めて、通気性の無いビニール状あるいはガラス状にするということである。


氣感のあるものは、それができただけでも、氣圧がどんと高まるのはわかると思うが、その状態でさらに気功法を併用するわけである。

その気功法は「昇降練氣がお勧めである。

まあ、意識による全身の氣の穴の密封状態を維持できるようになれば、どんな気功法でもよろしいのであるが、最初のうちは意識の継続が困難であるので、簡単で気功効果の大きい昇降練氣のような気功法がよろしいわけである。


まあ、簡単で効果が大きいということで言えば「開合功」でも同様であるが、開合功の場合はその高さのチャクラをピンポイントで開くので、上級者の場合は容易にチャクラの暴発を起こす可能性があるので、全身の氣の穴を密封した場合は要注意の上で実践していただきたい。

まあ、とにもかくにも全身の氣の穴を密封する感覚をつかむことが第一であるわけであるが、全身が氣のガラス瓶となることにより、氣感のある者は体内氣圧の格段の上昇を実感し、手足の指先までの毛細血管が開く感覚を得ることができるのである。


また、氣感のない者も手足の指先がしびれる感覚があれば、体内氣圧が大きく上昇しているということである。

まあ、もちろん皮膚感覚としての氣の穴を筋肉による力で締めることができるわけもないので、すべては「意識」によって行われることである。

だから、ここまでのカリキュラムの尾骶骨の氣の穴、会陰の氣の穴を「意識で締める」というノウハウが重要になってくるわけである。

つまり、人体は意識によりそうとうな部分まで操作できるということである。

てなことで、気功マニアを健康法としての段階を遥かに通り越して氣の断崖絶壁にいざない、人体の不思議から氣の不思議のあれこれを垣間見せる黄泉の国からの神のお告げは、着地点の見えないまま絢爛豪華な筆致をあれこれ駆使してさらに続くのである。

続く。

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