広葉樹(白) 第三回公開講演会  

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プログラム

日時 平成6年6月12日(日曜日)
会場 横浜市市民文化会館関内ホール(大ホール)
参加者 1,000名

開 会 13:00〜
   会長挨拶 金子保雄
   来賓挨拶 横浜市医師会副会長栗田肇
          横浜市衛生局地域医療課長荻原信吾
   基調講演
    演題 『人は生きるために生まれてきた』
    講師 西丸與一先生 
   パネルディスカッション
    司会   谷荘吉
    パネラー 池田典次
          岩田利子
          紺野美沙子
          西丸與一
          本橋久彦
質疑応答 16:50〜
閉会のことば 千賀瑛一(かながわ文化センター常務取締役)
閉 会    17:20





基調講演

“人は生きるために生まれてきた”
講師 西丸興一 先生
    横浜市総合保健医療センター長

 私、よく考えることがあるのですが、人間というのは、実に不思議な生物ですね。科学を超えたところがある。そしてまた、他の生物にはできないことを軽くやってのける。例えば立って歩く、言葉を持っていて話しをする。笑う、泣く、怒る、考える、そして何よりも知恵を持っている。もちろん他の生物もそれに近いことはあるのでしょうが、人間の場合卓越していますね。

 地球上の生物のなかに人間がいて、長い進化の歴史を辿ってきました。その過程のなかで、その人間が科学を発達させた。これは医学を含めてですが、それを考え進歩させてきました。だから私は、人間という存在は、科学より優位にあるものだと思うのです。しかし、その優れた人間も人間(人類)を創造してくれた自然からみれば、子供です。

  しかし、そんな生物の頂点に立つ万能な人間にもどうにもならない、どうすることもできないことが少なからずあります。例えば“死”というものもそうでしょう。

  それは、自然が私達に与えてくれた寿命というものだと思います。お手許のメッセージにも書きましたが、どんなに健康であっても、人はいつか必ず死を迎えることになります。だから人は、死ということを考えずにはいられません。それは、いま申し上げたその人の持つ寿命、あるいは運命というものなのでしょう。まして、不幸にして難治な病気にかかったときは、一層この死というものをめぐっての問題を意識することになると思うのです。

  本来、医療というものは、人の命を救うものという感覚で発達しました。事実、病気が治り、命が救われた例は、数限りないことはご承知のとおりです。確かに医学、医療は、非常に進歩しています。以前ならできないことが出来るようになったし、難しいとされた病気も治っています。私達は医学に多くの恩恵をうけていることは確かです。

 しかし、その進歩した医療をもってしても限界というものがあると言わざるを得ないというのも、いまの現実なのですね。ここに終末医療という言葉が生まれました。それはどういう事かということを、まずお話しした方が良いと思います。今日、ここにご出席の皆さんは、既にご存知だとは思いますが、念のために申し上げてみます。

  終末医療、それは末期状態の患者さんに行われる医療で、末期医療ともいいます。いわゆるターミナルケアです。その末期状態というのは、1989年の厚生省の委員会によりますと、「一般に難治性の疾患を患い、現在のあらゆる医療技術を駆使しても治癒の見込みがなく、死期が近いと考えられる状態」と定義され、さらに「死期が近い末期状態とは、およそ6ケ月以内」と考えられています。

  このような患者さん達に対して、医療というものが、どのようにかかわってゆくか、ということがいま重要な課題として論議されております。終末医療では癌をはじめとして心臓の病気でも、血液の病気でも、エイズでも、その他の原因がわからないとか、治らない病気、難治性疾患ですね、それが主な対象となりますが、その対象となる人々は、決して高齢者ばかりではなく、若い方もおられるし、患者さんの年齢層もさまざまであります。

  私は、“人間は、生きるために生まれてきたもの”と思っています。これは、私の専攻した法医学を通して得た私自身の人生観かも知れません。生きるという言葉にも、いろいろ意味があると思いますが、しかし、いまもしも病気になったとき、その生命を人間らしく、その人の尊厳とか、幸せを見つめながら、患者となった私達自身も納得のゆく医療がなされなければならないと考えています。

  アメリカの高名な内科医ウィリアム・オスラーの言葉に、「医学はサイエンスであり、かつアートである」というのがあります。私の畏敬する阿部正和先生は、「医はサイエンスによって支えられたアートである」とまで言われております。これは、アートという言葉から、医学というものがサイエンスの座から後退したと思う方がおられるかも知れませんが、逆にもっと深く、医療の対象となる患者さんを思い、より人間性を重視しようとする考え方に他ならないと思うのです。

 従って、ターミナルケア、終末医療とは、基本的な医療の一部で、しかも医学が目指すサイエンスとアートの調和のなかで、患者さんの最も重要な、人生の総決算である“死”の最後を看とる医療ということになります。そして、私は思うんですが、よく生と死といわれますが、それは、“生”と“死” という二つの概念ではなく、生の最後に死があり、生から死へとつながっている、連続したものなのでしょうね。私達は予備軍である私達自身のためにも、また病んでいるかも知れない周囲の人達のためにも、この問題を、目をそらさずに、考える必要があると思います。

  これには、いくつかの問題点があります。末期 状態だというのを、どの時点で誰が決めるのか、ということも一つです。勿論医師が決めるのでしょ うが、一人では決められませんし、決めてはいけないのですね。また医薬品が進歩していますので、 これを決める時期も難しいことだと思います。当然複数の医師が、関わることになりますが、 医師のほうではわかっている、しかし、こんどは患者さん本人はどうやって知るのか、という問題 もあります。

  医師が知らせる。あるいは自分で悟る。どのようなプロセスにせよ、患者さん自身の不安感を、どうやってとり除くかという観点も大切です。また「自分は絶対に知りたくない、知らせないで欲しい」そういう方もおられます。となると、患者さんを中心とした医師と患者と家族の間での話し合い、コミュニケーションということが大切になってきます。とにかく、医療という場で、医師が患者さんとも、その家族とも、充分に話し合うことが大切で、その患者さんにとって最も良い方法を、みんなで考えなければいけない訳です。ここで二つの言葉についてお話しします。一つは、 “インフォームド・コンセント”という言葉です。皆さんは既にご存知だと思いますが、簡単に申しあげれば、「治療の際の医師による十分な説明と、患者側の同意」ということですね。

  もう一つは、“告知”という言葉です。病名の告知、特に癌などの場合、患者さんに病名を知らせるという問題ですが、告知するのが良いのか、告知しないままでゆくのが良いのか、これもいろいろと論議があるところです。

  ご承知のように、以前日本では、まず告知はしないというやり方できたといってよいと思います。しかし最近では、医師側も患者側も非常に変わってきました。従来、日本人的な考え方とでもいいますか、例えば、あなたが死ぬときは、心臓病がいいか、癌がいいか。どっちが良いと希望しても、そううまく死ねませんが、そんなアンケートをとったことがあります。12〜3年ぐらい前までは、心臓がいいという人が圧倒的でした。たしか80%の人がそう思った。その理由は、心臓だと、苦しまずにアッという間に死ねるが、癌だと長い間苦しむからというのですね。今から思うと冗談のようですね。しかし、現在では癌の方がいいという人が多いです。これとは別に、癌だった場合、病名を知りたいですかという、ある新聞のアンケートがありましたが、これでも早期癌の場合だったら、約80%の人が知りたいと答えているようです。時代と共に考え方が変わっていることを裏付けていますね。

  しかし、医師が告知するとしても、告知の方法というのは充分に考えなければいけないことですし、患者さんの性格の問題もありますし、ただ知らせれば良いというものではありません。その前に、まず患者さんと医師、家族と医師、これらの間に充分なコミュニケーションがなくては駄目なんですね。そしてそこに深い信頼関係が出来ていなければならないと思います。

  ここである文章を紹介してみたいと思います。もう10年以上前のものですが、私の友人の教授がアメリカで体験した、癌の告知についての文です。

  「癌告知について思うこと」 医学雑誌掲載の記事より−癌であることを患者に知らせるべきか否か。この問題を考えるとき、僕にはいつも必ず憶い出す光景がある。その印象は極めて強烈で今でも鮮やかに記憶に残っている。

  もう20年以上も前、ニューヨークの病院で働いていた頃の話である。外科にJというインターンがいた。当時、Jはまだ大学を卒業したばかりの、快活で凛々しい好青年だった。麻酔科のレジデントだった僕は、仕事でも遊びでもよくこのJと一緒になった。手術室の中のコーヒールームで彼はよく他愛のない冗談をいっては皆を笑わせていた。

  このJに、ふとしたことから結腸の腫瘍が発見された。もちろん腫瘍の存在はJに知らされ、早速手術が行われた。外科病棟のナースで彼の恋人だったP嬢は、それは真剣にJを看病した。腫瘍は早期癌だったが完全に切除され、Jは順調に回復し、二ケ月後にはまた元気な姿で病院に現れた。

  やがてJとPは結婚し、Jは希望どおり外科のレジデントとして働き始めた。病室や手術室を忙しそうに走り廻るJの顔は幸福に輝いていた。

  しかし悲劇はそれから間もなくやってきた。癌の再発である。外科のG教授の執刀、われわれのチーフのH教授の麻酔で再び手術が行われた。しかし開腹の結果は無惨だった。無数の転移が腹腔内にあり、肝転移も認められた。結局、手術は試験開腹だけで終らざるを得なかった。

  術後、JはlCUに収容された。僕は当時lCU勤務だったがJがストレッチャーにのせられてICUに入ってきたとき、僕に向かって弱々しく片手を挙げて悲しそうに笑ったのを憶えている。

  翌日、完全に意識の明瞭になったJは、回診にきたH教授に心配そうに手術の結果を訊ねた。教授は少し考えた後に、腹腔内に転移が無数にあったこと、試験開腹に終わったことを静かな口調で淡々と話した。そばで聞いていた僕にはJの顔を正視できなかった。まさに死の宣告である。Jは黙って説明を聞いていたが、やがて一言ぽつりといった。「Then,l am a ghost.(それじゃ、もう俺は幽霊だ)」重苦しい沈黙が続いた。ICUの医師もナースも一瞬その動きを止め、この青年医師に下された苛酷な運命の鉄槌を皆で受けとめているようだった。

  やがてH教授は静かに言葉を続けた。「君の命 はあと数カ月だよ・・・傷がもう少しよくなったら、 故郷に帰り給え。そこで残された生活を大切に過 ごすんだ・・・いいね…。」Jは何度かうなずくと、 それでも「Thank yor for everything」といって ベッドから腕を伸ばして教授と握手した。H教授 はICUの部屋を出ると、眼鏡を外してそっと涙 をふいた。

  僕はこの出来事の中にほんとうの勇者をみたと思った。ほんとうの勇気とはこれだと思った。真実を伝え、真実を知ろうとする者、そのいずれにも悲壮な決意をもった真摯な姿があると思う。

  Jはその後、故郷のバージニアに帰り、三カ月の後、新妻Pに見守れながら死んだという。後から考えると、JがH教授に言った最後の言葉、Thank you for everythingのeverythingの中には、自分のために尽くしてくれた感謝の気持ちの他に、真実を語ってくれたことに対する感謝の意味がこめられているように思えてならない。

 Jが故郷でどのようにして過ごしたかは知らない。だが、「三カ月あれば悔いのない死に方ができる」と言っていたJの別れの言葉を思うと、彼はその三カ月の間になつかしい故郷の家で、それまで一緒に過ごした愛妻や両親、兄弟、友人達と、充実した日々を送ったに違いない。

  あれから二十数年、最近は日本でも癌宣告に対する考えが随分変わったように思う。それは患者も医療に参加する権利があるという社会的認識が次第に強まってきたことにも原因がある。

  瀕死の重症患者に対しては、医師ですら最善の治療法は何か、と迷うことが少なくない。恐らくこの場合の最善の治療とは、医師と患者が十分に話し合った上で、なるべく患者の希望に添った治療を行うことであろう。患者の意向を無視して、奇蹟に近い状態改善を期して行う手術などは、いかに救命のためとはいえ、医師の独善的な行為にすぎない。

  この場合、もし患者に十分な判断能力があれば患者の意向を聞くべきだろう。そのためには患者に正確な情報を与える必要がある。患者に正しい状況判断をさせるために、偽りのない情報を知らせなければならない。これは、特に死期が迫った重症患者には重要な問題となる。

  死期が迫って、あと生きられる期間が限られていることを知った患者は、家族や親しい友人知人と貴重な時間を精一杯大事に使って生きるだろう。つまらぬテレビ番組にかけがえのない時間を浪費する愚かさは決してしないと思う。死に行く者と生き残る者との間に、いたわりとなぐ慰めと哀惜をこめた、それこそが真剣な言葉や行為のやりとりがあるに違いない。

  死が近いことを知らせないのは、こうした貴重な時間を患者から奪ってしまうことになる。もし患者が真実を知りたいと考えているのなら、医師は事実を患者に伝える義務がある、と思う。

  ただその一方では、死期を知らされた患者は死の恐怖という極めて深刻な問題と真正面から対決しなければならない。死期を知らされた患者は、生き残る者には恐らく想像もできないような孤独感と恐怖感を味わうに違いない。キューブラ・ロス氏の著書「死ぬ瞬間」には、患者が死の宣告をうけそれを避け得ないものとして受容するまでの心理的な過程が、詳しく記載されているが、それは恐らくすべての人々が死を宣告された時に示す反応なのであろう。この恐怖と孤独に苦悩することが、患者を苦しめるだけだという判断から、多くの医師は、死の過程にあるという事実を患者に告げたがらない。しかしそれは、前述のような場合を考えると必ずしも患者の意向に添わないのである。

  人にはそれぞれ自分の死に方を選ぶ権利がある。だから、死期が迫っているという事実を知らずに死ぬのもよいし、残された生きる時間を知って最後を十分に悔いなく過ごしたいというのもよい。

  死を考える…。最近しばしば話題になるトピックである。ただ、以前のように死の宣告は絶対のタブーとして、医師がかたくなに口を閉ざしている時代は過ぎたと思う。もちろん、欧米と日本では宗教的にも死に対する考え方にも大きな違いはある。それでも患者によっては、死の近いことを告げてあげるべきなのである。

  医療は病を癒すための手段である。だが医療の力で病を治しえなかったとき、医師は患者のために何をしてあげられるか。医師自身もこの問題について、つねづね考えておく必要があろう。−

  アメリカでも昔は告知しなかったのですが、いまでは殆ど100%告知をするようになったといいます。それは、告知をしなかったということで、 後で患者さん側から訴えられるケースが多くなり、医師達は、それもこわくて告知率があがったといわれています。100%の裏にそんな話があるとは、アメリカらしいと思いますが、日本では、こんな理由で告知してもらいたくありません。

  現実には、患者さんを前にしてその人がどこまで知りたいと思っているかということを知る、探る努力をしなければいけないと思います。いまよく使われる言葉に“知る権利”というのがありますが、逆に“知らないでおく権利”を持っている人もいるのです。「私は絶対に知りたくない」という人がそうです。しかし、それはその人の考え方だし、人生観であるかも知れないので、尊重しなければいけないことだと思います。

 告知の問題、その是非ということもなかなか難しい問題なのです。 “小さな親切、大きなお世話”という言葉が流行りました。こちらで良いと思っていろいろしてあげても、相手には余計なことで、大きなお世話だというのですね。面白い言葉ですし、よくわかりますね。常に相手の立場を考えなければ、“親切”も、“おせっかい”になってしまう。医療の場合にも、これに近いことがしばしばおこります。それからいま、老人とか福祉とか言われるなかで、ボランティアのあり方などにも関連しますね。

  患者さんのお見舞いに行くのも、行っておかないとまずいとか、自分の気がすまないから行くとか、そういう見舞ではなく、本当に相手が喜んでくださるだろうかと考えて、行くことが大切なんですね。お見舞いに行くことも親切ですが、時と場合によっては、行かないことも親切なんです。

  医師として、看護婦として、最善をつくしているつもりで一生懸命やっておりましても、患者さんや家族側の立場で考えると、不満だというような例もあると思います。

  一昨年、この会で講演された柏木先生が、最近ある会で引用されている例があるのですが、この例は非常にわかりやすし、、そしていろいろな問題をふくんだ例だと思いますので、柏木先生のお許しを得ていないのですが、あとでお許しをいただくようにして、紹介させていただきたいと思います。

  これは、ホスピスではなく、大病院の一般病棟でのターミナルケアのお話です。

  この患者さんは57歳の主婦で癌の末期でした。病名も、自分の死が近いことも、よく知っておられた方だったそうです。35歳の長男が、非常に熱心に看病しておられました。だんだんと弱ってきて、あと数日の命かなというところまできたとき、この長男が、医師に「母を連れて帰りたいと思います」と申し出たのです。医師はちょっとびっくりして、同時にまさかそんなことを考えていたとは思わなかった。もうあと3日ぐらいで難しくなるかなというときだったんですね。ちょっとためらっていたら、その長男は「母もそれを望んでいるのです」と。すぐ患者さんの所に行くと、患者は小さな声で、「先生、私を家に帰して下さい」と言われた。医師は、その裏に「先生、どうぞ私を家で死なせて下さい」という気持ちをくみとりました。「わかりました。どうぞお帰り下さい。いざという時には、私がお宅に参りますから…」ということで退院なさった。このような状態で退院すると、死期が早まることは確実ですね。でもせめてl日でも2日でも、慣れ親しんだ家庭という環境で過されることは、良いと思っていたわけです。

  ところが、帰宅してから3時間後に電話が鳴り、 息子さんからで、母の呼吸が不安定なので恐縮ですがというのでした。すぐ駆けつけたのですが、 すでに呼吸は停止していた。医師としては、もう少し全身状態を改善して、せめてl〜2日家で過 ごしていただくようにしてからお帰しするべきだったと非常に後悔したといいます。看護婦と一緒に 処置をして、すごすごと帰りかけた時に、長男が来られて「先生、帰して下さってありがとうござ いました。母は帰ってきてから、本当に穏やかな顔になって、いつも寝ている部屋に横になり、3 人の孫を一人一人枕元に呼んで手を持って別れの言葉を言いました」。そして「自宅での3時間は、 病院での3日間よりも、母にとっても私達にとっても、ずっと良かったのです」と言われたそうで す。医師もそれを伺って、やっとこれで良かったのだという気持になったそうです。

  それから1週間ほどして、その長男夫婦があいさつに来られ、長男の方は、実は2年前に父親をある大学病院で腎臓癌で亡くしたこと。その時に非常につらい思いをしたという話をしてくれたそうです。それまでは、そんな話を少しも出されなかったそうです。この長男のお話には、5つの問題となる点があります。

  第一は、「父は痛み苦しみながら死を迎えた。こんなに医学が発達しているのに、何故父の痛みがとれなかったのか末だに疑問である」ということで、この苦痛に満ちた死、特に痛みを持ちながら父親は亡くなられたということ。

  第二は、医師が忙し過ぎるのか、何が原因かはわからないが、状態が悪くなるにつれて医師の病室への訪問回数が減り、医師とのコミュニケーションが殆どできなかったこと。

  第三は、最後のころになって、家族がずっと付き添いたいにもかかわらず、その大学病院の規則なのか、家族が付き添うことが出来なかった。末期になってその家族が付き添えないというのは、どう考えてもおかしいと思うこと。

  第四は、病名が告知されていなかったこと。これは長男が、出来れば父に病名を告げていただいて、納得の上で治療して欲しいと医師に申し入れたが、反対され、この病院では、病名は告げないことになっていると言われた。これでは、全部納得して治療を受けたいという患者が、その病院に入ったら非常に困ることになる。父親は最後まで[何故治らないんだ」と言いながら、本当にやるせない、せつない死を遂げた。どう考えても、やり過ぎの医療が行われていたように思う。もう治らないことがわかっていながら、亡くなる日までかなり強い抗癌剤が投与され、父親は癌そのものの苦しみに加えて、抗癌剤の副作用である吐き気や全身倦怠感に悩まされたこと。

  第五は、臨終が近いということで呼ばれて、せめて最後の場面に父親の手を握りながら送りたかったが、心停止がきかけた時に、家族は全員病室から外に出され心マッサージが始まった。私たちは、そんなことはもうして欲しくなかったが「止めて下さい、先生」と、どうしても言えなかった。そして、完全に死を迎えてから家族が呼び込まれて、臨終の宣告をうけた。癌の末期で亡くなる人に、どうして心臓マッサージなどをするのか。これはどう考えてもやり過ぎの医療ではないだろうかと思ったこと。

  この話を聞くと、本当にそのどれもが良くわかるし、本当にそうだなあと思います。これが実際にあった例だとしますと、今考えられている終末医療というものの問題点が非常によく出ていますね。

  ここで、私は思うのですが、患者であるお父さんには、苦しみ、不安、悩みが沢山あった。それに患者さん自身が最初から納得のいく治療をうけていない。それに病名を告知されていないという問題もからみます。病院のどの患者にも告知しないというやり方も。いまは、このような病院はないと思いますが、ちょっと考えてしまいますね。

  また、末期になったとき、家族が付き添わせてもらえないという不満。これは大病院だと大部屋の場合、他の患者さん達もいる中で難しい点があるとは思いますが、最後は個室に移すとかの方法をとっているところが多いですね。あるいは、前の例のように、家に連れて帰るという方法もあるわけです。

  それから、臨終が近いときに親の手を握りながら送りたかった。しかし家族は全員外に出されてという不満ですね。これも難しい問題ではあります。ご承知のようにホスピスであるとか、大病院でも事前に十分な話し合いがなされていたような場合を除けば、やはり医療の第一線ですから、あきらめずに最後まで努力するというのは当然のことだと思います。途中で匙を投げてしまうような(実際にはそうでなくても)そう見えるような対応は、やはり問題が残ることになります。一方最後まで全力をつくして欲しいと願う家族からみると、最後に何もしてくれなかった、冷たい、などという声にもなりかねませんし…。でもそんな外見的なことだけではなく、医療側の立場から申しますと、最後まで全力を傾けたい家族のためにも少しでも長く生きて欲しいという純粋な考え方も大きく影響していることも事実であります。

 私の知っている例でも、医師も看護婦も、何としても死なせたくないと、出来ることはすべてやった。それでも患者さんは亡くなった。あとで、ナースステーションに戻って、人の死という大きな真実の前に、きっと自分達の無力、非力を悔しがっていたのだと思いますが、涙を流していた若い医師や看護婦をみたことがあります。悲壮な感じさえしました。私は、これも大切なことだと思います。そんな敗北感、何もしてあげられなかった、そんな悔しさは、きっと次の医療のためのステップになると思うのです。同じ人間同志のすることでも、考え方、あり方には違いがあります。人と人の問題の難しさですね。ヒューマニズムとでも言いますか、その原点をどこに求めたら良いのだろう、と考えることがあるのです。しかし、ここで気付くことは、最も中心となるべき患者さん自身が、どうして欲しいと願っているか、ということを医師も家族も知る必要があるということです。そのためには、まだ元気なときに、もし自分がそのような立場におかれたら、どうして欲しいかなど、家族達とお互いに話しあっておくことが大切です。

  話し合うといっても、お年寄りの中には、「とんでもない。縁起でもない。やめてよ!ああくわばらくわばら」と落語のような純日本的お年寄りもまだいらっしゃいますね。そのあたりは、やはりうまく話しをすすめてゆくということになりますかね。

  医師ももちろん、患者さんとの対話のなかで、前にも申しましたように、知る、探る努力をしなければいけないのですね。

  これらの例のような不満は、しっかりと話しあうことで、解決できる筈のことだと思います。そして患者さんに十分納得してもらって、同意を得ながら進んでゆくことが今求められている。あるいは必要であるということがわかります。とは申しましたが、医療の世界も、ある意味では、世の中の縮図かも知れないと、私は思います。お医者さんも、患者さんも、看護婦さんも、十人十色といいますか、いろいろですね。楽しい人、暗ら〜い人、やたら明るい人、わがままな人、横柄な人、オバーな人、高圧的な人がいたりして…。面白いですね。

  以前、胆石の患者さんで、こんな人がいました。あれは痛いそうですね。 「痛い痛い、もう駄目だ、何とかしてくれ」とどなり放しで…。呼ばれた医者も看護婦も手がつけられない。そのうち「こんなに痛いんならもう死んだ方がましだ、先生、薬で楽にしてくれ。殺してくれ!」なんて。鎮痛剤を少し多くうって、嘘のように痛みがとれますと、こんどはケロリとして「看護婦さん、今日はきれいだねえ」とか「今夜のおかずは何だい、飯はまだか…」みんな怒ってしまって、あいつ何考えてるんだ!

  こうなると患者さんの言うことも、当てになりませんね。これでは本人が安楽死を希望しているなんて言えませんね。

  これは、患者さん本人が言っているのですが、いわゆる終末医療的なことになりますと、患者さんは何も言わない、言えないのに家族だけが、わかっていてというようなケースもありますね。患者は痛がっている、苦しがっているんだ、何とかしてくれ、楽にしてやってくれという例です。

  医師側の説明も足りないのかもしれませんが、家族も感情的になってまいりますし、これは大変です。医師も人間ですしね。

  医師の方で、病状を説明して、これは苦しいのではなく、意識がないのだから痛みも一などと、医学的に説明しようとしても「あんたに何がわかる」とか「私達は肉親だ。他人のあなたに何がわかるか」というようになってまいります。まあ無理もないのですがこういう発想は少くありません。人間は感情の動物だからですね。

  一度こじれてきますと、医師に対する不信感ともなりますし、医師側も困った家族という感じを持ってしまう。人間同志の悪い部分が出てしまいます。こじれますと、患者不在といいますか、大変困ったケースになってゆきます。もし患者さんが、いろいろわかるのでしたら、間に入って本当に淋しい思いをしているでしょうね。

  医師も家族も、その苦しみや辛らさを一緒に分ち持つ心が大切だと思うのです。

  皆さんの記憶にまだ新しいと思いますが、東海大学であった安楽死事件というのがありました。まだ係争中なので多くを言うことは控えなければなりませんが、この事例は、終末医療のあり方などを世に問うことにもなりましたし、安楽死問題をふくめて世論をひきおこしました。

  この「ホスピスを考える横浜市民の会」もこの事件を契機に発足したと聞いております。

  ところで安楽死という言葉がありますが、これは一般には、痛みなど肉体的苦痛がひどく大変苦しんでいる患者さんで、しかももう治らないと考えられているときに、楽になっていただくという意味から死なせるというような理解ですが、これは大変多くの問題を含くんでいます。世界中でまだ安楽死を容認い法律化したところはありませんし、もしやれば日本では積極的安楽死というのは殺人というように法的に考えられます。

  東海大学のケースも、若い医師が一人で悩み家族との間のやりとりで絶望的になり、遂にあのような医療、治療とは言えない方法で死んでいただいたというものですが、ここまでの事件にしない方法はいくつもあったと考えられ、大変残念な事件でした。そして、終末医療においてチーム医療の大切さを教えられたものです。この若い医師に、多くの情状の余地はあるにせよ、その行為の違法性ということで殺人で起訴されました。

  昔から癌などで痛み苦しむ患者さんに、モルヒネなどをどんどん打って痛みを止めることは行われている訳です。消極的安楽死という人もおりますが、痛みをとるために薬をうつ、その重なりでその派生的な結果として死期が早まることはあるわけです。しかし、これは罪とはならない。許されるとされています。そこには苦しんでいる患者が、薬をうち、痛みがとれほっと安堵する。たとえひとときでもそこには治療による安らぎがあります。倫理学の立場でも、二重交換の原理というようですがこれは認められるとされているそうです。しかしこの該当患者に対して、治療の目的にならない危険な薬品を用い方、注射方法を危険化して、即時に死亡することがわかっていて、しかも死を期待して与えることは許されないことと思います。

  安楽死という言葉は、昔から使われているので すがその行為性に問題があるとして、なかなか行われないのが実状といえます。そして似ていますが、非なるものとして尊厳死というのがあります。

  最近新聞等でも尊厳死の問題が報道されております。これも国の委員会で決めようとしていても、まだ論議の余地、例えば栄養補給の中止などを認めようとする傾向にあるようですが、これを問題視する意見も多く、さらに検討されることでしょう。

  むかし“赤ひげ”という映画がありました。江戸の末、小石川療養所の話で、ここの先生が赤ひげ先生。原作は山本周五郎でしたか。このなかで、癌の末期患者に痛みを訴えられ、医療のあり方と、その対応に悩む若い医師に諭すように言う赤ひげ先生の言葉があります。「そんなとき、医者は薬で患者の苦痛を取り去るだけなのだ。そして患者に仕方のないことと思わせることが医療なのだ」というのです。仕方のないこと、江戸時代のことですから、人権とか生き甲斐とか、今日でいうQOL(クオリティ・オブ・ライフ)などという考え方は表に出なかったのでしょう。仕方のないこととあきらめるしかなかったんですね。

  私だけの一方的な見方かも知れませんが、今日のホスピスなどはこれをさらに大きく前進させて、痛みを緩和させながら、その残された生を人間らしく、その人の生活の質を、あるいは生命の質を考え、時には生きるということ、また死ということを考えたり、やり残したことをやったり、最後まで人間らしく生きるのを援助する、そんな方向に向かったのではないかと思います。

  尊厳死というのは、基本的にはいままで終末の医療についても医師側に全てを任せていた訳ですが、末期状態でいたずらな生命の引き伸ばしは、患者の尊厳を失わせ、不必要な痛みや苦しみをもたらすことがあるということで、そういう状態になった時、自分はそういう死に方はしたくないと考えることから、積極的な治療を拒否し、死んでゆくという考え方であるといえましょう。

  それは、生前発行の遺言書といいますが、(リビングウィルという言葉を使います)まだ元気なときに、病気になったときの治療に関する特殊な遺言を自分の意志で文書化し、意思表示しておくわけで、医師もこれを尊童するというやり方です。

  もっと平たく言えば、終末の積極的医療は、人間の尊厳を損なわないとか、自分らしく死にたいとか、いろいろな要素があってよいのでしょう。

  アメリカの駐日大使をなさっていた親日家で知られるライシャワーさんも、尊厳死を選ばれたと聞いております。カリフォルニア・サンディエゴの病院で、これ以上積極的な医療はしないで欲しいと意思表示をされて、最低限の栄養補給のみで亡くなられたそうです。日本でも心臓外科の大家で有名な榊原先生もそうでした。お弟子さん達が懸命にやっているのをみて「もうそろそろいいだろう」とおっしやったとか

  いま終末医療ということを中心にお話ししているわけですが、これも広義の医療というなかの一部であると思います。医療というものの精神、基本となるものは変わりませんが、その時代や人の考え方や進歩に伴う医療の流れ、そんなもののなかでやはり試行錯誤が行われていることは確かです。

  私、このごろ考えるのですが、本来医療というものは、その人の持つ寿命を全うできるように、サイドから強力にサポートするものだと思います。不幸にして途中で病に倒れた人のために、何をしてさしあげられるかと考がえるものだと思います。

  その意味では、医療というのは、言葉が適切ではないかも知れませんが、人の命を預かる非常にレベルの高いサービス業であると思うのです。臓器移植なども、いろいろ論議はありますが、あって良い医療法の一つと思っています。

  患者さんの立場からみると、終末医療でのホスピスや尊厳死、一般医療での治療法や手術法、果てはやがて可能となるかも知れない臓器移植も、医療という分野が、多くのメニューを揃えて活動しているともいえるのではないでしょうか。

  そこで、どれをとるか、患者さん自身のために十分考慮され、賢い選択があるべきなのだという見方も出来るのではないかと思うのです。勿論信頼できる医師に相談しながらでも良いわけですね。

  人には生きる権利もありますし、また死ぬ権利 もあるといいます。この死ぬ権利を行使することを人生の敗北ととるか否か。これもまたそれぞれ の考え方で、その人その人の人生観があるのかもしれません。

  強い苦痛を伴う病気に侵され、治癒の見込みがないとされた時、人はどう考えるでしょうか。最後まで医学や医師を信じて病苦と戦う人、これも人間として素晴らしい生き方でしょう。あるいは少なくとも苦痛を緩和してもらい、自然にゆだねるのも一つの考え方でしょう。いづれにしても、自分自身で考えて、自分のしっかりとした判断で行なわれるべきなのであろうと思います。人は生きてゆくために、自己の確立ということが、本当は必要なのだと思うのです。

  しかし、人間は弱いものともいいますね。気持ちとして、心でそう思っても頼れるものが欲しい、そんなときが誰にでもありますよね。家族、友達、 あるいは宗教。そういうものにすがりたくなるのかも知れません。特に病気になって、末期だと分かった時などそうでしょうね。

  フランスの諺に「涙でぬれた手で、パンをこねた人にしか、本当のパンの味はわからない」というのがあります。実際に病気になった人にしか、この気持ちはわからないのかも知れません。私がいま勤務しているセンターで、多くのお年寄りと接する機会が多いのですが、その淋しさは、いたわりとか、福祉とか、医療者たちの励ましとか、いろいろと周囲で行っても、充たしきれないものがあるのだろうとよく思います。

  マザー・テレサの言葉に「貧しい弱い人に必要なのは、言葉ではなく行為です」と言うのがありますね。それは優しい言葉をかけるだけではなく、誠意をもった行為、手を握ったり、身体をだきしめたり、手をとって一緒に歩いたり、しっかりと眼を見て話したり、具体的な愛のある行為を細やかにしてあげることだと思います。そしてケアする人を信頼してもらうことが必要なのでしょう。

  その一方、医学とは何であるかを研究するだけでは不十分です。医学はいかにあるべきかを真に追求しなければならないのだと思います。 終末医療の考え方もそうです。私達が学んだころの医学は、病気を解明しどうやって治すか。これでした。勿論この考え方は、今後もとても大切です。これがあったからこそ、今日の進歩した医療があるのだと思います。しかし、どうしても治すことのできない病気を持った方への対応には、確かに反省しなければならないものを多く持っていたと思います。

  昔の医療では、あるいは今もそうかも知れませんが、よく嘘をつきました。癌の末期などで、もうやせ細った患者さんに対して、告知もできないまま「今日は元気そうですね。顔色がいい。少し良くなったのかな」たしかに励ましかも知れませんが、よくこんな嘘が言えたものですね。

 でも医師達も一生懸命だったんでしょう。告知しないという方向が生んだ悲劇かも知れません。死期が迫った時も、最後まで希望を捨てず、一日でも一分でも長く生きて欲しい。むしろそんな感覚で必死だったと思います。無駄な治療かも知れないとどこかで考えつつもですね。

  外国では、天に召されるという言葉をよく使いますが、死ということも宗教的基盤が強いですから、納得理解されやすし、ようです。日本では天に召されるという感覚は、まだあまりなじめないですね。

  いま終末医療という中で、大きくクローズアップされているのが、ホスピスであろうと思います。緩和ケア施設です。もう先が見えているそんな人が苦痛をできるだけ取り除いてもらいながら、死ぬまでの期間を、人間らしくといいますか、最期までいのちの質の高い生活を送るのですね。これもいいと思いますね。日本では、まだまだ少なくて、もっともっとホスピスが出来なければいけないのだと思います。そしてこのホスピスが宗教的基盤のうすし、日本で、日本人に適した日本的ホスピスを模索して下さることも、また大切なことだと思っています。

  長い間、いろいろと、とりとめのないことをお話してしまったように思います。お話し申し上げた中に、何か一つでも皆さんご自身の中で思い当たること、一緒に考えてくださるようなことがあれば、私にとりまして太変嬉しいことでございます。

  きょう、私は結論を出しておりません。あくまでも皆さんへの投げかけであります。このあとパネラの方々のお話も伺えると思います。きょうのテーマは、いま皆さんに直接ふりかかっていることではないかも知れませんが、いつか通るかもしれない道のような気がいたします。ご自身のためにも、ご家族のためにも、考えてみる必要があることではないかと思うのです。

  医療はサービス業とか、医療が多くのメニューを提供しているとか、不謹慎な表現だったかも知れませんが、どうぞご容赦下さいますよう。例えば臓器移植が医療として可能になったとした時、これが必ずバラ色であるかどうかも今は言えません。しかし、これを受けようとするか、自分はそうまでして生きたくないとするか、私たちの自由です。自分の信念で好きな道が選べるのですね。終末医療に対してもそうだと思います。日ごろ、折りにふれて考えてみて、もし癌になったら、もし終末状態になったら、告知という問題も含めて、自分はどうしようと、そんなことを考えていただきたかったし、そしてそのためには、賢い患者としての選択、その人らしい選択ということが大切なのだと思います。

  私、ちょっとキザですが、男の、いや人間としての美学とでもいいますか、人生最後の幕は、自分の手で引いてみたいものだと思っています。これは自殺ということではありませんので誤解なさらないように。人にはいろいろな考え方があります。ですから幕引きは、人によって違うことでしょう。

 
ここで一つ大切なことは、人は必ず死ぬものであることを認識し直し、その時までをしっかりと生きることだと思います。そして人に好かれ、人に尽くすには、美しいこころが大切でしょう。

  世界中にミニスカートを流行らせたあのマリークワントが「女性の美しさは、化粧でも服装でもない、心の持ち方だ」といっております。これは、単に女性にだけではなく、老人にも、病める人にも言えることであろうと思います。

  人は、生きるために生まれてきたと申しました。 これは私の基本です。最後まで生きる意欲を捨てないで、人間らしい、私らしい生き方をしたい、 そう思います。生きるということは素晴らしいことですね。辛いことがあっても、苦しいことがあっ ても、またいつか、きっといいことがあるでしょう。

  歩いてきた道をふり返って、そのどこかにその人なりにキラリと光るものが、あるいはそんな時期が見つけられれば最高ですね。光るもの、それはなんでもいいのだと思います。私は立派に子供を育てた。家族を守った。人を愛した。人を救った。人のために尽くした。よく勉強したなあ。どれでもいいですね。それが人生なのでしょう。

 冒頭に申し上げました。人間は素晴らしい卓越した生物だと。知恵を持っている。創造力を持っている。あの自然の申し子である。科学を発展させ文化を築いてきた。

  私達は、自然に逆らわず、その一部となり科学にふりまわされることなく、人間としての尊厳を守らなければならないと思います。そして自然と、科学と人間の間に調和が保たれるよう努カしなければならないと考えます。

  最後に、よく年をとりますと、もう下り坂などと言う方がおられます。私はそうは思いません。人生はいつものぼり坂を、一歩一歩上ってゆくものだと思うんです。上って、上って、上りつめてゆく。それが人生というもので、その、のぼりつめたところに、静かな死があるのかも知れません。

  今日ご参加の皆さんも、どうぞこの坂道を上って上っていただきたい。そして、その頂点の死に辿りつくまで、素敵な、悔いのない人生を歩いてくださると嬉しいですね。そしていつまでもご健勝で過ごされますよう祈りながら、私の話を終わらせていただきたいと思います。何だか、とても元気な終末医療になってしまいました。

 ご静聴、ありがとうございました。





パネルディスカッション

あなたならどう考える−終末医療

パネラーのご紹介
〈司会〉 谷荘吉 横浜甦生病院副院長 同ホスピス病棟長  ホスピス病棟長として、家庭的な安らぎのあるホスピスケアを目指している。「生と死を考える会」の副会長としてターミナルケアの重要性を提唱する。

〈パネラー〉

池田典次 ワシン坂病院副院長 前横浜市立市民病院外科部長 昨年自費出版された「中古外科医」の中でも死にゆく人々へのこだわりを心の旅日記として綴られた。市民病院の外科部長としてご活躍の当時からターミナルケアの大切さを痛感されている。

岩田利子 日本児童家庭文化協会相談員  現在、主婦、カウンセラーとしてご活躍であるが、 5年前病魔にみまわれた時の心境、そして貴重な体験を通しての発言。

紺野美沙子 女優  女優として数々の賞を受賞。女優業として忙しい中、シリーズ報道スペシャル「白衣の天使…密着 24時」では平成5年度民放連報道部門優秀賞を受賞。エッセイ集を出されるなど才媛ぶりを発揮されている。健康な時に思うこと…。

西丸與一 横浜市総合保健医療センター長 横浜市立大学名誉教授 法医学の第一人者として死を見つめ人生を語る。基調講演での提言に続き「生と死」を考える。

本橋久彦 神奈川県立がんセンター外科第三科部長  現在のがん治療の最前線、特に日本人に多いとされている胃癌治療の現状と臨床医として当面する課題など問題点を追及する。

パネルディスカッション

司会:それでは、「あなたならどう考える−終末医療」というテーマで、これからパネルディスカッションを始めたいと思います。今日は大変多数の方々にご参加いただきまして、誠に有り難うございます。只今は、西丸先生の素晴らしい基調講演をお聴きすることができ、非常に感動いたしました。

  はじめに、パネラーの方々の簡単なご紹介をさせていただきます。まず、本橋久彦先生は、胃癌の手術のことなら、私に任せておけ、とおっしゃる程に、胃癌の治療に関しましては、日本一といっても過言でないほどに、優秀な外科医でございます。現在は、県立がんセンターの外科第三科部長を務めておられます。本日は、胃癌の治療の最先端についてお話ししていただくことになっております。本橋先生宜しくお願 い致します。

本橋:本日は、「あなたならどう考える一終末医療」と題するパネルディスカッションにお招きいただき有り難うございました。私の場合は、外科医という立場から、胃癌の治療として、現場ではどのようにしているのかをお話ししたいと思っております。(拍手)

司会:次に紺野美沙子さんをご紹介致します。 紺野さんは、じつは、西丸先生の、「法医学教室の午後」というご著書がベストセラーとなりまして、それが映画化されました時に、法医学教室の有能な助手の役を演じられたご縁で本日特別にご参加いただいたわけでございます。「健康な時に思うこと」と題してお話しいただくことになっております。

紺野:こんにちは。パネルディスカッションに参加するのは初めての経験ですので、非常にお聴き苦しい点もあるかと思いますが、横浜市民の一人として参りました。(拍手)

司会:次に西丸先生、さらに何か一言、いやもっとお話し下さい。

西丸:くどくまた出て参りました、申し訳ございません。(拍手)

司会:それから、今日は、癌を患われ手術をされて、現在は元気にご活躍中で、日本児童家庭文化協会の相談役としてカンウセラーをしていらっしゃる岩田利子さんにご参加いただきました。

岩田:私は病気をしたと申しましても、もう5年 前になりますので、その頃の緊張感とか、危機感などはかなり薄らいでおります。この会場の中には、現在闘病中の方もいらっしゃるのではないかと思いますので、私如き者が代表で良いのかと思いながら、私の場合には、ということでお話させて頂きます。(拍手)

司会:次に、たまたまと申しますか、岩田さんの手術を担当された主治医の、横浜市民病院の外科部長をされていましたが、現在はワシン坂病院副院長の池田典次先生をご紹介致します。

池田:今は新進外科医からは少し遠ざかった「中古外科医」でございます。本橋先生とディスカッションをしたいと思います。(拍手)

司会:ご紹介はここまでに致しまして、最初に本橋先生のお話をお聴きしますが、私ども、終末医療と申しますと、すぐターミナルケアとかホスピスとかを考えますが、西丸先生のお話の中にもありましたように、1分1秒でも 長生きをしたいという方もありますし、これでもか、これでもかと癌と闘って治療をして行く立場もあります。そこで、この企画を計画している時に、最後まで諦めずに治療をしている医者はいないだろうかと探しましたところ、本橋先生のことを知り、お願いした次第でございます。胃癌ならここまで治せるという最先端のお語をしていただきます。

本橋:私がパネラーとして選ばれましたのは、癌の末期状態に対し外科の立場からどのように考えているのか、現場の意見を求められていると思います。

  末期の癌の患者さんにQua1ity of 1ifeの観点から緩和医療について議論される様になったのは1987年の第25回日本癌治療学会 でメインテーマに取り上げられてからだと思います。

  癌の治療の進歩により生存期間は延長するものの「治癒」に至る決定的な治療法が見い出せない現在、緩和医療の必要性は認めてはおりますが、私個人は治療を重視、積極的に胃癌の外科治療、化学療法を行っております。その理由として3点ございます。

  第1の理由としては、末期の患者さんに対して治療の限界は感じてはいるものの、まだ、治療の可能性を信じていることです。

  第2の理由としては、末期の癌患者さんの痛み、嘔吐等の激しい症状は癌の浸潤、転移によるものが多く、これら症状を緩和するには対症療法では効果は少なく外科的また、化学療法によって改善することが多いことです。

  第3の理由としては癌を治療している過程で、どの時点で緩和医療、末期医療にするのかの判断がむずかしい事です。 私が現在尚、末期の癌の患者さんに積極的に治療をしていることを理解していただくために、神奈川県立がんセンターに於ける胃癌の治療の現況、治療成績を述べさせていただきます。

  神奈川県立がんセンターは、1963年神 奈川県立成人病センターとして設立、1986年がんセンターと名称を変えて30年になります。この30年間に3827例の胃癌の 手術を行っています。92年、93年の年間の手術例は200例を越えております。全 手術例のうち1180例は早期胃癌で約30 %をしめております。

  この数年は年間の手術例のうち約半数が早期胃癌です。これは、最近の診断学の進歩、検診の普及を裏付ける数字になっております。
  1970年から1974年までを前期、1 988年から1992年までを後期としてそれぞれ5年間の胃癌症例について比較検討し た累積生存率をみますと、5年生存率では前期55%、後期72%です。後期の生存率が 有意に高くなっております。手術療法のみの前期、手術に補助療法として免疫、化学療法をおこなった後期との差と考えます。

  次にがんセンターに於ける、胃癌の治療方針を大まかに説明します。進行度は癌の深さ、浸潤、リンパ節転移の程度、腹膜、肝臓への転移の有無によって決定されます。いずれの進行度でも治療の主体は手術です。胃癌の手術で大切なことは、どの範囲までリンパ節を郭清するかです。標準の術式の郭清は二次リンパ節郭清ですが進行度によってはその範囲の範囲は広がります。リンパ節転移、癌の浸潤、他臓器への転移例では合併切除を伴う拡大手術が必要となります。進行度U以上の癌では手術後に再発予防のため補助化学療法をおこなっています。最も進行した進行度Wの癌でも可能な限り切除、止む得ず転移巣を明らかに残した非治癒切除では、転移巣を標的とした化学療法、放射線療法を行っています。

  治療成績をみてみますと進行度Iで93%、 Uで77%、Vで49%、Wで8%となっております。手術のみの時期に比較し進行度U、 Vで1O%、Wでも数%上昇しております。 今後は進行度V、Wの生存率を少しでも上げて行くことが胃癌の治療の向上につながると考えます。胃癌では3年再発がない例ではそ の後の再発の頻度は進行度にかかわらず低くなります。手術、補助療法によって治癒したと判断された例でも残念ながら30〜40% の症例が再発しております。次に、手術から再発までの平均の日数と、再発からの平均生存日数をみてみますと、再発した部位により再発するまでの日数は多少変わりますが、1 年から1年6ヵ月の間が再発が最も多いことを示しています。再発からの生存期間は4〜 7ヵ月平均で6ヵ月となっております。この再発後の生存期間は厚生省が示した末期医療の期間3〜6ヵ月と一致する結果になってお ります。今後、この再発と診断した時期を治療の方針とするのか、緩和医療を選択するのかの判断を私共、外科医に問われることになろうかと思います。私共は、再発時でも全例に生存期間の延長を目的として治療をおこなっています。

  再発胃癌の治療としては、外科治療、免疫化学療法、放射線治療です。これに大切な事は、栄養管理、症状のコントロールです。外科的治療では、可能な限り切除、不可能な場合でも腫瘍量を少なくする減量手術を行っています。胃癌再発で最も多い腹膜再発では、腹水貯留のほか、腸管の器械的狭窄による通過障害、それに伴う嘔吐、腹痛等の、症状が多く認められます。この様な症状は薬剤によるコントロールはむずかしく外科的に切除、バイパス手術、人工肛門造設、また、腹膜転移を抑える化学療法が必要となります。

  最近、腹膜再発の予防及び、治療に用いるリザーバーを皮下に埋め込み、そこに注射針を刺し、これより抗癌剤を注入する方法があります。このリザーバー装着の利点は抗癌剤の注入を繰り返し行えることです。これによって外来での腹膜転移の治療が可能になります。皮下埋め込みのため入浴も可能です。このリザーバーを用い6回の化学療法をおこなった 癌性腹膜炎の患者さんの治療前後の細胞診所見をみますと、治療前の腹水には明らかな癌細胞がみとめておりますが、治療後の所見では炎症細胞のみになり、腹水も消失しております。また、リザーバーをそけい部皮下に装着、カテーテルを大動脈に挿入して、動脈から抗癌剤を注入、肝再発、リンパ節再発に対し治療を行います。リンパ節転移を標的として、胃癌の病巣周囲に抗癌剤を吸着した活性炭(墨汁)を注入、活性炭液が細いリンパ管 を通って胃と離れた大動脈周囲のリンパ節に到達し黒く染まります。黒染めされたリンパ節内で活性炭に吸着された抗癌剤が徐々に放出されています。このようにして、リンパ節転移を標的とした治療を行っております。

  私共が進行、再発胃癌に対し有効と考えている多剤の抗癌剤による化学療法では、CDDP(白金製剤)を動脈、静脈、腹膜のルートで投与しております。16例におこなって おりますが著効1例、有効8例と56%の有効率を示しております。また、全例に全身状態を示すPerformance statusがグレードアップしております。QOLの評価でも化学療法 によって改善することを示しています。

  この化学療法を行った症例の累積生存率をみますと、他の治療群と比較し50%、生存 では1OO日と明らかな差が認められますが、 500日前後では、同等の低い生存率になっ ております。これは化学療法で完全に消失、また、縮小した癌が再度腫大進展したことによると考えられます。
  このことは、現在の化学療法の限界を示唆しております。今後この限界を越え、更に生存期間を延長するには投与方法の工夫、新しい抗癌剤の開発、免疫療法の研究が望まれます。

  今後の癌の治療にQOLは不可欠の条件と なっていくと思います。

  QOLを考慮した外科治療、化学療法は年々進歩し、その結果についても評価されて行くと思います。しかし患者さんの立場からみたQOLをどのように評価するかということ になりますとむずかしい問題です。

  緩和医療、末期医療をおこなっていくには「告知」はさけて通れないと思います。私は初回手術時には、半数以上の患者さんには、「癌」と告知しておりますが、再発時には、症状、治療方法を説明しておりますがはっきりした「告知」はしておりません。治療は患者さん、家族の方々との信頼関係を大切にして行っています。 (※スライドを交えてのご説明でしたが、スライドを掲載できなかったことをお詫びします。)

司会:大変素晴らしいお話を有り難うございました。やはり、こうした癌との闘いとも申しますか、医療サイドでの闘いがなければ、医療の進歩はない訳ですが、そうかといって、どう治療しても、どうしようもないという病状があります。今の本橋先生のお話を受けて、池田先生にお話をして頂きます。

池田:終末医療あるいは末期医療という言葉は、今日専ら癌についてのみ用いられる傾向にありますので、本日も癌、なかんずく最も身近な消化器癌について考えてみたいと思います。まず、終末期あるいは末期とは、一体どの 時期を指すかといいますと、ある看護学教科書にのっている定義では、「ターミナル・ステージとは、あらゆる集学的治療(集学的治療という言葉も最近、癌の治療などによく用いられますが、平たくいえば、あらゆる知恵をしぼった治療という意味です)によっても 治癒に導くことができない状態で、むしろ積極的な治療が患者にとって不適切と考えられる状態を指し、通常、生命予後が6ヵ月以内 と考えられる状態」と記されております。

  消化器癌が診療されて、どのような経過でターミナル・ステージに入っていくかを、図 1によってみていただきましょう。現在、少 なくとも消化器癌については、切除手術が最も有力な治療手段であることは、外科医の手前味噌でなく、広く認められていることであります。大本の癌と転移のありそうなリンパ節を十分切除して治癒が期待できるという意味の治癒切除ができますと、ターミナル・ステージとは、関係が薄くなります。しかし、再発が皆無というわけにはいかず、図1のよ うな経過をとる場合もあります。姑息的手術というのは、「大本の癌あるいはその転移巣がとりきれていない手術、つまり治癒が期待できない非治癒切除術」とか、胃癌ならば 「大本の胃癌に手がつけられず、癌を残したことによる胃の通過障害を除くだけの胃腸吻合のようなバイパス術」「切除不能の直腸癌による大腸の通過障害を回避するだけの人工肛門の造設」、「胆道を塞ぐ癌による黄疸だけを除く手術(量近では減黄術といいます)」といったようなものが入ります。

 このような手術例は早晩ターミナル・ステージに入らざるをえません。もちろん、「手術が全く不能であったり、手術を拒否した例」については、言うまでもありません。結局、「いわゆる根治手術ができたと思われた例でも再発したもの」、「姑息的手術や手術不能例」は、最近かなり進歩したと考えられる手術以外の有力な免疫化学療法や放射線療法によって若 干の修飾は受けるにせよ、余程の奇跡でもない限りターミナル・ステージヘと進まざるをえません。

  図2は、各種の消化器癌に切除手術が 行われた場合の遠隔成績で、最新の学会雑誌に千葉大の二外から発表されたもの であります。過去、30年間を1O年毎に区切り、 生存率を比較してありますが、大腸ガンの成績は以前から最もよく、胃癌の成績 は最近顕著に向上しております。しかし、食道癌、膵癌などの成績はあまり向上し ているとは、思えません。とは言っても、2, 30年前ならば切除を諦めてしまったような 例にも最近の先端技術を駆使した大手術によって切除が可能となった例が出てきていることも事実であります。さて、最近、切除後の遠隔成績が著しく向上している胃癌においても、一旦、再発した場合には、本橋先生のお話しの中にあったように、再切除、免疫化学療法などを含む先端医療が強力に行われることになります。しかし、再発例のほとんど全例が死亡しており、再発してからの生存日数は121日から最長212日となっており、奇しくも、ターミナル・ステージの定義にある、死亡前6ヵ月という期間にほぼ相当しており ます。

 私は、再発例に対しても本橋先生が敢然として積極的治療を施されていることに惜しみない敬意を表しますが、既に「進行してしまった癌」や「再発した癌」に対しては、いかに先端医療といえども思ったほどの成果をあげていないのが現状ではないか、と考えております。そして、今日の著しい進歩をとげた先端医療の癌治療への最大の貢献は、診断力の強化によって早期診断を可能とし、再発の少ない治癒切除例を増やした点にあると考えております。

 ターミナル・ステージに入ることが確実な例、すなわち「治癒切除後の再発例」、「姑息的手術に終わった例」、「初めから手術不能であった例」に対しては、ターミナル・ステージにあるものとしてターミナルケアを 主体とし、ガン撲滅を目指した再切除を強行したり、副作用が不可避である化学療法を行って結局死に至るまでQOLを無視した苦痛を 与えることは厳に慎むべきではないでしょうか。先端医療を過信し、癌撲滅にこだわり、これをターミナル・ステージに持ち込んだことによる悲劇は、しばしばみ られますが、最近では色々と喧伝された逸見さんがその好例といわねばなりませ ん。報道によれば逸見さん自身が胃癌再発を知らされた時点から先端医療を過信、 あるいは過信させられたばかりに悲劇の主となってしまったようであります。結 局、再手術から死に至るまでの逸見さんにQOL、すなわち「日常生活の質」か らみてプラスの面があったでしょうか。

 彼の場合は自らの決断によるので良しと しても、ときに患者自身の意志の反映なしに、ただ周囲の者の先端医療に対する過信からこうした悲劇のおこることもあります。ターミナル・ステージは、患者さん個人に残された貴重な人生の一部でありますから、これを最高のものにすることが、人間尊重の上から極めて重要であります。QOLを高める ためには、患者さん自身が行われるべき医療について十分説明を受け、個人的な希望にそった納得のいく内容を選択するといった欧米先進国風のやり方が合理的であり、わが国でもその方向に動いていくものと思われます。私自身は、告知ということに始まるこうしたやり方によれば、すべて患者さんが納得しているので、以後の対応が医療側にとって極めて容易になることをしっていながら、その安易さに走らず、日本式のア・ウンの呼吸で患者さんとともに悩む方を採ってきました。しかし、今後は次第に時代の波にのって欧米風のやり方に変えていくことになると思います。

  というのは、あくまでも、ターミナル・ステージにおいては、 図3に示したように、限られた存命期間中、患者さんの意向にそってQOLをできる限り 向上させるには欧米風の方法しかなく、医療者として心掛けるべき事だと思うからであります。しかし、そうは言いながら、いまだに癌の告知や予後を患者さんにあからさまに伝えることに私が躊躇しているのには、もう一つの理由があります。それは、欧米をはじめ多くの諸外国と異なり、わが国の大部分の人が信ずべき宗教をもっていないという現実であります。私は今日までわが国では非常に特異なケースとして、信仰厚きキリスト教徒が人生の一大事である死を安易に受け止め、希望をもってこれを乗り越えていったのを目の当たりにしており、宗教が死を克服する上で偉大な力を発揮することを認めております。わが国では特殊な病院を除いて、病院に教会があったり、臨終の場に司祭が駆けつけるといった光景はみられません。現世即応型の宗教的基盤しかもたない国民性に照らし、わが国で死を覚悟した患者が対象となるホスピス・ケアが果たして今後どの程度定着するか、私は非常に疑問に思われます。最近、折角わが国に設けられたホスピスに新たな癌治療が受けられる、と思って入所してくる末期患者がかなりあるとの情報もこれを裏付けていると思われます。

 キリスト教に限らず、霊魂不滅の確固たる信仰のないわが国民が精神的安定を得て、人生最後の一時期にQOLを満足な ものとすることは困難と云わざるをえません。頼るものがなく、死と向かい合った精神的に不安定な状態に先端的癌治療への過信がつけ込んで、ターミナル・ステージにおいて最も尊重すべきQOLを無残にも低下させてしま うことが危惧されます。私自身、迷える日本人の一人でありますが、死後生の確信さえあれば末期患者さんに言って力づけたいと思った言葉は、次のようなものです。「あな たの体は、もうこの世では修復不能です。別に死んだからといって、あなたがなく なってしまうわけでもないのですから、一度死んだ体を捨てて楽になりましょう」 しかし、これを口に出せる自信はありません。

  宗教的基盤に乏しく、形而上的思考の 余裕なき現代日本において、予期せぬ死の訪れの恐怖を克服し、ターミナル・ステージのQOLを高からしめる方法として、当面思い当たるのは、常日頃から死を覚え、馴れ親しんでおくことでありましょう。この中世の挨拶で用いられていたという「memento mori、死を忘れるな」ということこそ、死に対する免疫療法として役立つではないでしょうか。(拍手)

司会:大変に大胆なご発言で、何か、本橋先生のお話は、説得力があって、先生のお話を聴くともっともだと思いますし、また、池田先生のお話をお聴きすると、これももっともと思い、迷ってしまいます。 ところで、こうした問題は、患者さんがあっての問題ですので、ここで、患者さんのお立場で、その体験のお話を岩田さんから伺いたいと思います。

岩田:お二人の先生の非常に科学的なお話の後に、少し情緒的かなと思いますが、私は本橋先生のお話しを聞きながらなぜか、手塚治虫のブラックジャックを思い出しました。ブラックジャックというのは、非常に天才的な外科医で大抵の病気は手術で治してしまうのです。世界中から、ブラックジャックにこういう病人を治して欲しいと依頼が来まして、お金を積まれれば、彼は治す訳ですが、その患者のなかにはとにかく、生きていても社会に役に立たないのではないかと、かえって、害になるのではないかという人もいれば、自分で自死といいますか、この世に絶望して自分で死を選んだ人もあります。それでも、ブラックジャックは、全て手術をして蘇生させてしまう訳です。蘇生した後でブラックジャックは、本当に生かして良かったのだろうかと、その患者にとって死ということも、一つの選択であって、そのまま死なせた方が幸福だったのではないかと、自然のサイクルとは違ったことをしているのではないかと、非常にジレンマに陥って苦しむ訳です。

 私は現代の終末医療の抱えている問題というものを、ブラックジャックのジレンマと同じところにいるのではないかと思うのです。私自身は直腸癌だったのです。もしかしたら、人工肛門をつけるようになるかも知れないということで、とにかく手術もいやだったし、病院を拒否しまして、半年近く自然療法などをしました。痛みが耐えられなくなりまして、市民病院に行きました時には、もしかしたら、直腸だけでなく膀胱も子宮もそれから、仙骨の周りにも癌が拡がり、肝臓の方にも移転しているのではないかと、非常に悪い状態だったのです。そのことを、私と夫とは、何かあったら話し合いをするということでしたので、夫から病気のことは、全部私の耳に入っているのですけれども、その時は、私は、冷静に受け止めようと思いながら、とにかく混乱状態でした。ブラックジャックの場合もそうなのですが、先程、西丸先生が仰ったインフォームド・コンセントは、どちらかというと、医療の場では患者よりも医者の方が優位に立っている。医者と患者とのアンバランスを是正するために作られたものではないかと思うのです。私の場合は、主治医が池田先生でした。池田先生は、患者一人一人の、人柄というか、人格を大事にされる先生で、私の同室の患者さんの中には、池田先生から、「何々さん、春ですよ、花が一杯咲いていますよ」と話しかけられただけで、生きる希望を持ったという方もいらっしゃいます。

 私は、本橋先生のおっしゃる最先端の医療技術はとても大事だと思いますが、その前に患者と医師が、同じ立場で、同じ場所で話し合えることがこれからの医療には必要ではないかと思います。患者にも色々ございまして、それを冷静に受け止める人もいるかと思えば、絶望感に陥る人もいるかも知れませんが、ただその受け止める土台を作りながら、やっぱり貴方の病気はこうなんだと、ちゃんと説明する必要があるんだなと思います。先程、池田先生が仰ったもうこれは治らないなという患者には、心の中では「貴方の身体はこの世では修復不能です」とまで考えていらっしゃるのかな、それでは、先生の仰る「貴方は宗教をお持ちですか」という質問は何だったのかなと思います。(笑) 患者は、非常に猜疑心も強くなっておりますし、先生の一つ一つの言葉に左右されることもあります。ですから、その前の信頼関係、とにかく先生が患者の側に近寄って欲しい。患者とナースの関係というのは、非常に近い関係ですが、先生は一つ先の方にいらっしゃる。

 池田先生は、部長先生でいらっしゃいましたがとても良い人柄の方でした。それでも、私にとりましては、雲の上の存在の方でした。私はこのように元気にしていただいて感謝しております。ただ、この病気をすることで、自分の死ということを身近に考えるようになりまして、そのことは、夫婦の間で、私の夫とも、始終語りあっているテーマになっております。退院して直ぐに、私は夫と二人で、尊厳死協会に入りました。もう一つ、私は腎バンクとアイバンクにも入った訳ですが、それには、夫との間に少しいさかいがございました。夫の方は、アイバンクに入ることに抵抗がございました。私は、あの世に行きまして、亡くなって先に行った人達に会えるという楽しみがあるとしきりに言っているのですが、夫の方は、目を取られちゃったら、あの世に行った時に会いたい人が探せないじゃないかというのです。ですが、私は、こちらで探さなくても、あちらへ行けば、岩田さんよく来ましたねと、迎えてくれますよと話しあっているのです。私は病気をすることで、非常に家族との位置関係が良くなったし、信頼関係もできたし、それから死ということを何時も自分の問題として考えられるようになった。もし、今度再発して、池田先生が「貴方の身体はもうこの世では修復不能ですよ」と言われたら、迷わずにホスピスを選ぼうかなと、そんなふうに思っております。(拍手)

司会:体験に基づいた、心にしみるお話しでした。次は紺野美沙子さんからお話しを伺いますが、紺野さんは女優としてすでに非常に有名ですので、私が特別にご説明するまでも有りませんが、最近、シリーズ報道スペシャルという番組で、「白衣の天使・密着24時」という 放送番組がございまして、グループの方々と一緒に、平成5年度の民放連放送部門の優秀賞を受賞されました。おめでとうございます。

  紺野さんには、健康な方の代表として、美しくて、賢明で、健やかでというお立場で私たちが癌になって、もうどうにもならないようになって、この終末医療の事を考えるのではなく元気な時にこう考えたいという点についてお話しをお願い致します。

紺野:大変身に迫る皆様のお話しの合間で、コマーシャルを見るような気楽な気持ちで聞いていただければ、と思います。

  私の職業は、様々な時代のいろんな人達の生き方を自分のこの身を使って、表現することなんですけれども、私が一番この仕事をしていて楽しいと思うことは、もちろん虚構の世界なんですけれども、その人物になりきることで、いろんな人生を疑似体験できるという楽しさが有るんです。ちょっと少し欲張りに人生を生きることが出来る、そういう楽しさがあります。

 よく、紺野さんは、役作りする時にどんなことをなさるんですかと聞かれることがあるんですが、例えば、有能な法医学教室の助手の役をするには、実際の助手の方のお話しをお聴きしたり、本を読んだり、似たような題材を取り扱った映画を観たり、色々あるんですが、先ず考えることは、もし自分がドラマの中の役柄の立場に置かれたら、どうするだろうか、その役を自分の方へ引き寄せて考えるんですね。

  今回はホスピスの話ということで、もし自分が不治の病に罹ったら、どうするだろうか、ということを何となくこのひと月くらいおぼろ気に考えてきたのですけれども、タベ夫と告知をして欲しいか、延命治療をどうするか、そんな話をしたんです、理想的には、西丸先生が先程の講演の中で、自分の人生の幕は、自分でひきたいと、おっしゃいました。勿論、私もそう思います。伊丹十三監督がお創りになった「大病人」という映画があります。その映画の中で、癌に侵された主人公は、お医者様と看護婦さんと、そして愛する人達に囲まれて、強い信頼関係の中で自分の家で最期を迎えるんですね。そういった最期というのは、理想だし、自分も最期まで自分らしさや人間らしさを失わずにいられたらいいなと思います。残念なことに、終末のことは全く想像がつかない、その時になってみなければ、わからないとしみじみと思いました。どんなに、頭ではわかっていても、やっぱり、その時になってみないとわからないことだらけなのだと思います。

 例えば、私は親になったことがないので分からないのですけれども、自分の子供を持ってみて初めて、親の大変さや有り難みなどがわかるのだと思います。 話は、大きく変わりますが、最近仕事をしていて、そういうことだったのか、とわかるようになってきたことがあります。私は18 歳の時に、初めて、映画の仕事をしたのですが、それから、所謂、大女優さん、美人女優さんと何度もお仕事をさせていただいて、その度に不思議に思ったことは、女優さんも、年齢を重ねる毎に、化粧をする時間が長くなるんですね。(笑)素顔を見せなくなるので す。先輩の女優さんが、帰る時に、お疲れさまでしたと挨拶されて、どちら様だかわからなくて、(笑)今の方どなただったかしらっ て、言ったら、隣にいたスタッフに、何言ってるの、女優の何とかさんじゃない。さっきまで一緒にお芝居していたじゃない、と言われてしまいました。余りにも化粧した顔と素顔とが違うので、わからなかったのですね。 (笑)そもそも大女優さん達は、化粧の時間 が長くって、2時間くらいかかるんです。それで、化粧している過程を見せないように、個室で化粧されることが多いんですね。どこをどのようにお化粧するのに2時間もかかる のかなって、私は若い時にとても不思議でした。撮影現場に現れて、本番を撮るまでに、何度も何度もテストをするんですね。大抵の大女優さんは、お付きの人が、大きい化粧ケースを持っていて、テストが終わる度に、鏡に向かって、お化粧直しをなさるんですね。どうして2時間かけてお化粧したのに、撮影 現場に来てまた直さなければならないのかなって、不思議だったのですけれども、私も三十路の声を聴きまして、少しでも若々しく、美しく映りたいと、女優根性というか、女心というか、そういう気持ちが分かりかけて来ました。多分、もしかしたら、私の化粧もこれから年齢を重ねる毎に、厚くなって行くのかなって、思ったりもしているんです。

  ですから、今、私がどんなに考えても、自分が人生の終末を迎えた時の気持ちは多分わからないと思うし、ただ、普段思うことは、やはりそういう人達の痛みが分かる自分でありたいなと思うんですね。やっぱり、必ず何時かは自分にもあることというのを忘れないようにしたいと思います。私が好きだなと思っている言葉に「情は他人の為ならず」という言葉があるんですけれども、最近では二通りの解釈があるようでして、「他人に情けをかけることはその人の為にならないから、よくないことだ」と思っている若い人が多いらしいのです。しかし、「愛を与えれば、何時かその愛が廻り廻って、自分に帰って来る」という考えもあり、何となくそういうものではないかと、私は思うんです。

  私の母は、母の母である祖母を3年間、自宅で寝たきり老人だったのですが、付きっきりで介護をしていました。そういう姿を中学生の時見ていますから、自分も何時かはそういうふうにしなくてはいけないんだなと思いますし、もし自分が終末医療を受けることになって、良いケアを受けたいなと思ったら、自分が若くて、元気なうちに、何かそういう愛の貯金のようなものを自分でしておかないと、いざ自分がそういう立場になった時に、戻ってこないんじゃないかという気がしているんです。こういうホスピスの問題は、今日皆んなで話合って、何らかの結論が出るようなものではないと思いますけれども、こういった機会を与えられたことは、私はとても嬉しく思っていますし、一人でも多くの人が、興味と関心を持つということは、とても大切なことだと思います。(拍手)

司会:大変有り難うございました。何か、キラッと光るものがあったように思います。

  西丸先生は、基調講演で十分にお話して頂きましたが、まだまだ言いたいことがおありりではないかと思います。西丸先生ご自身のお考えをお聴きしたいものです。「あなたならどう考える一終末医療」、西丸先生、本音の所をお話しいただけたらと、思います。最期の幕引きをどうするのか、などお聞かせいただけますでしょうか。

西丸:本音ですか、今日はそんなのやるって言わなかったではないですか。(笑)困っちゃい ましたね。本音の幕引きの前にですね、先程時間の関係で申しあげられなかったことがあります。人の心をどうやって捉えるかと言うこともとても大切だし、これは、医療をする側、受ける側という以外に、ここに今日お集まりの皆様は、時には、医療者の代わりになるということがおありになると思うんですね。身内に病気の方がおられると、この人が何を考えているか知りたい。健康な夫婦だって、相手が時には、何を考えているのか、お互いに考えることがあります。

  看護学校でいろんなお話をして、良い看護婦さんになって欲しいという時に、一つの例を申し上げます。毎朝、検温というのがあります。その検温の時に、「おはよう」って入って行って、体温計を受け取って、「ああ…何度ね、咋日はどうでした」という時に、患者さんが「昨日はよく眠れなかったの」と言ったとします。その時に、看護婦さんは、「そう、困っちゃったわね、じゃあ、先生に言って、薬出してもらいましょう」と言って帰って来る。こういう時に、ここまでいえば、50%ですね。「そう、眠れなかったの。眠らなければだめよ」と帰って来れば、20%に なってしまう。そこで私は思うんですけれど、その時にもう一歩踏み込めないかと。眠れなかったと言われたら、「そう、困ったわね。辛かったでしょう」と言えないか、これで70%。一緒になって「どうして眠れなかったんでしょうね」と考える気持ちを持ちなさい。これで80%。どうして100%じゃないん ですか、とよく言われて、貴女が、もっと美人だったら、100%だよと言ったら、叱ら れるでしょう。(笑)

 人と一緒に歩いて行く、そういう時の姿勢をよく考えるんです。 ある患者さんが「痛い、歩くと足が痛い」と言った時、「歩かないとだめよ。歩けなくなっちゃうから」といって、歩かせますね。そうすると、患者さんは歩きながら、お医者さんや看護婦さんに怒られるから、いやいや歩く訳ですね。いやいや歩かされるから、歩けるようになるんですね。そのつらいことを避けてしまうと、本当に歩けなくなってしまいます。そんな時に歩きながら、「看護婦さん、今何時ですか」と聴くんですね。「何時よ」って言ったら、また歩くんですね。そして、1O分もしないうちに、「看護婦さん、 今何時ですか」その時に何でそんなことを聴くのかしらということを考えたことがありますか、と言うんです。その人にとっては、時間の経過が遅いんですね。

  その人から見ると、30分歩かないとだめよ、と言われそれが、1時間にも2時間にも感じられる。ただ、看護婦さんは、時間を教えて、変なこと聴く人ね、と言うのでは、それでおしまいになってしまう。人の心の裏をどうやって知るか、これは私達がやがて、まだまだ先だと思っていますが、終末医療になった人が、すぐ身近にいて、看護するときに、そういう考え方が何処かにあった方が良いのではないかと思うんです。ケアする時の心とでも言うんでしょうかね。ここで、キュアとケアという言葉が出てくるんですが、私達は、病気に対して治療を積極的にやって行くこれは、キュアですね。ところがキュアというものが、もうだめなんだと言う時に、今度はケアという言葉が生まれてきます。私思うんですが、キュアがだめだから、ここからケア。先程の生と死と同じなんですね。そうでなくては、キュアの時からケアが始まっていなければいけない。キュアが出来なくなって、だんだん小さくなっていった時に、ケアというものが、反対に大きくなって行く。そんなような形で、キュアとケアがあるのだと思うんです。そして、先程も申しましたが、本橋先生が大好きなんです。やっぱり、迫力がありますね。(笑)この迫力で患者が負けます。

  要するに、「だめだよ」「しっかりしろ」そういう激励というのが、愛の鞭としての方法が幾つもありますね。その一つとして、僕は、やっぱり本橋先生の様な方がいてくださらないと困ります。かと思うと、超越してしまって、もうだめだよ、と言いながら、楽な道考えようね、と言うような考え方もいいと、これもあると思うのです。やっぱり、私は、男がいて、女がいて世の中が成り立つように、陽と陰があったり、強と弱があるように、私達はその真ん中にいて、その中からチョイスして、両方を上手に使い分けながら賢く生きて行くというふうに思うのです。本橋先生のような考えがなければ、癌の治療に対する医学は敗北してしまいますし、病気はこれからも出るでしょうし、患者さんも増えるでしょうし、そういう時に、医学がそこでストップしてしまっては、いけないと思うんですね。だから、やはり学術的に或いは、いろんな経験的にもっともっと進めて行く強い推進力がないと、私達は安心して医療に身を任せられませんし、その医療がどうしてもだめという時に、次の終末医療ということが考えられる訳でして、やはり、私は車の両輪の様に、医療という道を歩いてほしいと思うのです。それに乗っている患者さんは、自分の中で考えていくのが良いのではないかなとこの頃思うのです。それからまた、四角四面な考え方ではなくて、いろんな考え方を飛躍させるために、もっと広い考え方を持つように訓練するのがいいと思うんですね。

 この間ある新聞を見ていましたら、面白い話が出ていました。学校の先生が生徒に、氷が溶けたら何になると質問したところ、真面目な生徒達はみんな、「H20」、「水」と答えました。ところが、 その先生は、そうじゃない、氷が溶ければ春になるなんて呑気なことをいっていました。飛躍といいますか、ユーモアのあるような、ゆとりでしょうかね。終末医療にもゆとりが必要だと思っております。それに似た例でございますが、私が、大学在職中に、非常に頭の固い教授がおりました。私自身が柔らかすぎていけないんですけれども、その教授が 「今の学生は勉強しない」と、ものすごく怒っているんですね。確かに、医者になるんですから勉強してくれないと困るんですが、教養課程で物理などしっかりと学んできた筈なんですが、手を抜いたりしてた人もいるんです。ある教室では、どうしても物理学の知識が要る。色々聴いてみても何も分からない。大変怒りまして、試験をするということになって、医学部に入って来た学生に物理の試験をしました。「人工衛星の構造について記せ」、という試験でした。皆困って真面目に構造など自分なりに考えたことを書きましたが、一人だけ、変な答えを出しました。「極秘である」と書きました。(笑)これは、大変に物議をかもしました、私はいいんじゃないと申しましたが、その教授はカンカンに怒りまして、休学処分とか。でも、私はその学生を救う方向で動きまして、まあいいじゃない、ウイットがあるじゃないといいまして、救ってもらいました。その学生に感謝されましたが、その学生は今は実に良い医者になっています。

 ですから、やはり、ゆとりといいますか、飛躍があって欲しいと思うのです。もう明日が見えているという状況の中で、非常に緊張した、ひょっとしたら糸が切れてしまうような治療ではなく、もっとゆったりとした、たとえ、先が分かっていても、そういう治療を受けたい、そういう生活がしたい、それがQO Lかも知れません。さっき、谷先生に本音をいえと言われましたが、どんな幕を引くか、幕たって高い幕も、安い幕もある。私自身は、大変身勝手でして、死は怖いんですね。だからどうしよう。そのためには、楽に死にたい。ところがうまく行くかどうか分かりません。楽か苦しいのか分かりません。死というものを怖くないものにしたい。私はとっても楽天家なんです。人は生まれ変わるものだと自分で思うようにしているんですね。今度生まれ変わる時には、ハンフリーボガードのようになりたいとか、紺野美沙子のようになりたいとか、そんなふうに考えた方が気楽で、今までやって来たことで、失敗したなとか、やり損なったなあとか、そういうことを今度は埋めて、もっと違う時点でやってみたい。

 私には弟がいまして、若いときに失いましたが、母がいつも言っていました。弟は本当にハンサムだった。可愛かった。それに較べて、おまえは…。と言われながら育ったものです。今度は、良い男に生まれてきたいと思います。そんな事を考えて、少し死を楽に考えたいと思います。やっぱり、見苦しい死に方をしたくないなあ。痛みを取っても取らなくても、やはり自分が納得した死に方を選びたいですね。同時に誰からも惜しまれたい、人間欲ですね。その為には、美しい心を持って、人に尽くしたい。「情けは他人の為ならず」かも知れませんが、まあ、そんなことを考えながら、まだ準備段階ですけれども、最期のきれいなところだけ、“美しく幕を引く所だけ" 出来ているんです。そこへ行くには、まだまだ先だと思っていますから、この辺でお許しを頂きたいと思います。

司会:現在山を登りつつあって、まだ頂上まで達していないと、西丸先生はおっしゃっておりますが、これからを期待いたしたいと思います。

  それでは、皆様のご意見を拝聴したところで、これからは、少しパネラー同志の間で、話し合いをしたいと思います。

  本橋先生、後の方々のお話しを聴かれて話したいことがおありではないかと思います。最初に口火を切って頂けませんでしょうか。

本橋:パネルディスカッションに呼ばれました時に、実は、谷先生、池田先生に西丸先生は私の先輩で、教えを受けた関係がございます。今日は、私は積極治療のことを話しました。実際現場でやっていまして、本当に告知が出来るかどうか、疑問に思っています。再発という時期には、ターミナルケアのことは考 えておりません。何とかして治療をすることを考えます。特に、胃ガンの場合には、食べられない、癌性腹膜炎、肝転移、いずれにしても、食べ物が通らないんですね。そこで、治療をしますと、化学療法など行ってみますと、QOLが上がってくる。緩和ケア病棟と 言うところで、症状コントロールと言いますが、なかなか難しいことで、ただ症状を安らかにしているだけであって、治療には、全くなっていないと、私は思います。やはり、何らかの治療を施さない限り、この癌の末期症状は改善されないのではないかと、何時も思っています。がんセンターの全部の医師がそうしているわけではないので、これは、私個人の意見なのですが。現場の立場から、告知することは、大事な事ですが、告知しない医師の立場も理解してもらいたいなあと、思います。告知しないで治療して行くという、精神的につらい立場もあるんです。

  それから、もう一つよく患者さん、家族、医師の信頼関係のことが言われますが、その家族の方の意見と言っても、非常に違うんですね。患者さんがどう考えているのか、例えば、患者さんでも、配偶者の意見と、肉親、血の繋がっている兄弟の方の意見では、全く違うことがあります。どっちを取っていいのか、ということも迷いますし、それなら、治療ということを考えて、結果的に巧くいけば、家族の方も納得してくれる訳ですね。そんなことを現場で感じております。

司会:さきほど池田先生がそんなことをしても無駄じゃないかとおっしゃった部分があるんですけども、いや、無駄じゃない、こんなに立派に生きていらっしゃるといった患者さんのご経験がおありのようですけれども、そうした症例のお話をして頂けませんでしょうか。

本橋;池田先生のお話では、再発の時点で、緩和 ケア、末期医療の方に持って行くということですけれども、500日前後ぐらいで悪くな るというのは、データー上のことで、私達は何故やっているかというと、あのデーターに基づいてやっている訳ではないんです。1例 づつ見て行きますと、その中には、2年、3 年と生きて行かれる方がおられるんです。 1例、1例の積み重ねをして行きませんと、治癒という方向には向かって行かないと思います。胃癌の治療は、6合目まで来たかなと 感じております。この6合目から7合目に行く峠を何としても越えないことには、治癒ということにはならないと私は思っています。今の手術的には、どんな手術も可能です。逸見さんのことを、さっき、池田先生が言われましたが、あれだけの手術は可能なのです。その手術の善し悪しの問題は、話が別だと思います。

  1950年代から、胃癌の化学療法が出始 めたんです。せいぜい、まだ、40年位で、本当にその結果を出すのは、早いと私は思います。2000年頃には、治せると言われて いました。それを考えますと、進歩は遅いなと思いますが、私自身は、今後もやはり、告知の問題を全く考えていない訳ではないのですが、治療の方向でやってみたいなと思っております。

司会:今、ちょっと告知の話がございました。 岩田さんの方で、ご主人といろいろ会話をされているようですが、もう一度患者さんのお立場から告知はしてもらったほうが良いとか、しない方が良いとかいうご意見をお聞かせ頂けますか。

岩田:告知の間題は、本当に難しい問題だと思います。一人一人その人の育って来た生育歴とか、その人のもっている精神構造とか、全部が違う訳ですから、一概には言えないと思いますけれども、ただ、日本の場合は、その宗教的な基盤がないということもありまして、死を必要以上に恐れているところもあるのかなあと思います。「人間はおかしなものだ、実態が分からないくせに、本能的に死を恐れる」と言ったのは、確か、ヘミングウェイだと思うんですけれども、ただ本当に実態の分からない死を恐れるというのは、やはり、生きたいという願望があるんだろうと思うんですよね。で、私は生きたいという願望を少しでももっている方には、やっぱり、告知というのは、酷かなあという感じも致します。

 話を伺っていると、告知の問題は、どうしても、生者の論理で死に行く人の立場というふうにはなっていないのじゃないかな。だから、本当に告知したら、キュブラ・ロスのいう5段階、否認から、怒り、それから、取引、抑鬱、受容という段階を経て、スムーズに受け入れていかれるのではないかと、思います。それを何処で、どうするかが問題です。私には、信仰的なものがありまして、術後のコバルトとか、苦しいときでも、何となく、賛美歌を歌って切り抜けたというところもあります。そういう、基盤のない方には何か土台を作る、その土台を作るのは、ナースとか、病院にカウンセラーみたいな方を置いて徐々に患者さんとの会話を深めていくことが出来れば良いと思います。それが出来るまでは、私は告知の問題は、今、一概に結論を出せるかなあと、とても不安です。

司会:有り難うございました。池田先生いかがですか。

池田:全く、岩田さんのおっしゃる通りだと思います。先程申し上げましたように、日本には宗教的基盤がありません。クリスマスは、キリスト教で、お正月とかは、神道でやりますし、一番の問題は、死んでも生きているということが確認出来ればいい訳ですね。宗教に限らなくても、最近流行っている霊能者の宜保さんとか、俳優の丹波さんとか、勇ましい方の言葉でも、救われる人があるのではないかと思います。少しでたらめの様ですけれども、あの人達は、それなりの役をしていると思います。

司会:有り難うございました。さっき、西丸先生と話していましたが、死が怖いという話で、池田先生は宗教的基盤によって、また、岩田さんの話もそうですが、あの世の夢があれば死は怖くないという考え方もおありかと思いますが、この辺はいかがお考えでしょうか。

西丸:さっきああいう言い方をしましたけれども、やっぱり、死は、怖いですね。恐らく、今の世の中が良ければ良いほど、死はいやなのでしょうね。ただ、病気になったとき告知をして欲しいとか、私自身に言われた場合に、まだ、若干迷いがあるんです。でも、やはり、いろいろ考えてみると、私自身は、告知をしてもらいたいと、最近思うようになりました。ちょっと両先生に、お聴きして見たかったのですが、池田先生は、癌であるということを告知したことがありますか、患者さんに。

池田:習慣的な言い方なのですが、ごく早期といわれる時には、昔みたいに、胃潰瘍ですよなんていっても、今は、そんなら薬でやって下さいと言われてしまいます。しかたがありませんから、貴方のは、一部、悪い細胞がみつかりました、というぐらいは、さりげなく話します。

西丸:どんな告知のされ方をするんだろうかと、それが一寸心配なんです。今、おっしゃったのは、大変難しい問題なんですよね。なんでもかんでも言ってしまえば良いというものでもないんですね。よく似ているんですが、長い人生の中で自分の過去を持ったりすることがありますよね。その時にこの話は、不謹慎かも知れませんが、学生同志が結婚することになって、その女性の方には、色々な過去があった。男の人は知らないんです。でも、女の人の方は、それを全部言わないで嫁ぐのが、その人に悪いと思い、自分が、今までやって来たことをみんな言ってしまったのですね。男の人は、その日から苦しみ始めるのですね。だから、告知と、一寸似ているなと思うんでですね。ただ、その言われ方にもよるんでしょうし、言わないでおいた方が良かったという事もあるでしょう。時間がかかりますのであまり言えないのですが、色々なものを通して、私自身は、やはり、この頃言ってもらった方が良いと思うようになりましたね。やはり、時間がかかりますね

司会:「知らぬが仏」というのもありますね。まあ、そういう意味で、考えますと、さっき、紺野さん色々とお話しされたんですが、私達よりも、人生体験と言うか、疑似体験を豊富にお持ちになっておられると、思いますが、そういうお立場でどういうふうにお考えになられますか。

紺野:そうですね。さっき、患者さんが猜疑心が強くなるというお話しがありましたけれど、やっぱり、告知されないということは、お医者さんも、家族も、嘘をつき、それで、患者さんの方も、猜疑心の塊になりながら、最期の時を迎えてしまう、ということですよね。そういう中では、私は分からないんですが、本当の信頼関係というものが、生まれ難いのではないかと思います。私は、自分の病気が何であるかを知りたいと思いますし、こういう病気だから、こういう治療をするのだ、こういう治療法もこういう治療法もある。どっちにする。そういうものも、自分で出来たら選びたいと思います。ただ、命の期限を知るのは、やはり、怖いなと思います。もし、余命 3ヵ月でも、3年位に、言っておいて欲しい なって思います。死刑囚じゃないんですけど、それは明日かも知れないと思いながら、そういうのは、耐えられなのではないかという気がします。

司会:告知がターミナルケアの出発点になろう かと思いますが、賛否両論があると思います。西丸先生がおっしゃられるように、私達の頭はあまり固いといけませんので、柔らかくし、色々な思考過程があり、最終的には自分の人生の幕引きをするには、ある程度、自分がどういう状態にあるのか、知っていたいと思います。池田先生に、宗教をお持ちですかと聴かれたら、「自分はかなり難しい病気になったかな」って察知することが大事なのかなと思いました。

  それでは、どういう医療を選択するかと言うのは、場面で色々あると思いますが、本橋先生のように、そんなに諦めないで、どんどんやった方が良いというお考えもあろうかと思います。また、患者さんがもうどんな治療を受けても自分は治らない病状だということに気づくということが非常に重要だと思います。気づかれて、「先生、そういう酷な手術はいやだ」、と言われた時に、なおかつ、本橋先生はいやそんなことないよっておっしゃられる場合もあると思います。その辺補足をしていただけませんか。

本橋:先程、池田先生のスライドで、再発という時期からターミナルの時期まで、少し時間のずれがありました。ターミナルの前に緩和ケアをお考えのようですが、その時期、これは、癌の種類によって大分異なると思います。例えば、乳癌だとか、骨の癌だとかですと、非常に再発してからの時間が長いので、かなりの患者さんとのコンタクトがそれなりにとれて、それに対して考える余裕があると思います。ところが、消化器癌とか胃癌、肺癌とか、ラッシュに来る場合には、中々、告知して、緩和ケアに入る時間の余裕が無いと思います。確かに、ある時点では、言わなければいけないと思います。さっき、紺野さんが信頼関係だけで出来ますかといわれましたが、それは、医者の対応だと思うんですね。がんセンターの場合は、私共は、手術からその後の経過観察迄、一人でやる訳です。ですから、かなりその辺の信頼関係は持っているように思います。いろんな問題が生じるというのは、信頼関係が薄くなっていて、問題が起きて来るのではないかと思います。

 現時点で、私自身には、まだ、はっきりいって、宣告した時に、果たして自分にどのくらい対応出来るか、という自信が持てないんですね。そういう自信が持てれば、告知の問題も考えてはいるんですが、まだ、すこし、自分の人生修行が、ここにおられる先輩の先生方と違って、ないものでもう少し、今のような考え方でやりたいと思います。ただ、再発して、治療が駄目になった時、その期間は短いのです。先程、生存期間が6ケ月ということでしたが、そのう ちに、4ケ月くらいまでは、治療効果もあるのですが、後の2ケ月くらいは、難しいケー スが多いです。ターミナルの時期になった時に、私も告知という問題も考えて行きたいと思います。ただ、その時点で、告知された時、本当にそれで、患者さんが納得するかという問題がありますね。自分の生き方を考えるんだったら、なんで、先生もっと早い時期に、告知してくれなかったんだということになる。そうしますと、再発の時期に、告知しなければいけないのかなと、その辺のところが、今後非常に問題になろうかと思います。

司会:いわゆるお任せ医療と言いますか、ドクターサイドで提示したメニューの場合、患者さんと医師との関係が信頼があると、本橋先生がお薦めになるんでしたら、「是非、じゃあ、そうして下さい」と患者さんも納得なさるでしょう。一つのお任せ医療ですね。現在は、そのお任せ医療が出来ない、つまり、本橋先生のように、立派な先生ばかりではなくて、任せ切れない医療が、やはり問題になってきて、それがこういうターミナルケアとかホスピスケアにつながりがあると思うですけれど、そういう点で、西丸先生、如何でしょうか。

西丸:さっきから聴いて、難しいなと思うのは、谷先生が専攻しておられるデスエデュケーションといいますか、死の教育が、日本人には小さい時からありませんね。私も、死なんてことを言うと縁起でもないとか、葬儀屋さんの車が通ると後ろ向いたりなんかして、そんな時代に育ったんです。やはり、今聴いてみますと、終末医療あるいはホスピス等を利用するにしても私達が、良い終末を迎えるためには、告知が前提となります。その告知があって、自分もそれを知り、納得する。そして、良い最期の人生を歩きたい。そんな気持ちに変わって行くと思うんですね。ところが今、本橋先生がおっしゃるように、やたら告知するということの是非論がありますし、告知する人、される人のキャラクターから、条件も、いろいろあると思うんですね。

 だから、医療する立場から終末を考えますと、告知をしておきたいと思います。受ける患者さんの側から見ましても、そういうものを受けたいならば、告知されてた方が、確かに、すんなり入っていける。中には、告知を受けないで、癌だとはっきり分からないで、ターミナルで、ホスピスに来られる方もあると聴いています。そういう場合には、非常に難しい問題が起こって来る。ですから、私達は、告知を受けるというのは、あたかも、死の宣告ということとイコールです。癌の告知を受けた場合に、私達は、治る場合も勿論ありますけれども、一般的な考え方からすると、「貴方は、癌の細胞が見つかりましたよ。それが、今後、どうなるかは分かりませんが、この癌の細胞が薬で消えることもあります」とか言われても、頭の中では、真っ白で、そのうち、死んでしまうのではないかと考えるんじゃないかと思います。だから、病気で、癌になるという不運は避けられませんから、元気なうちに、死というもの対して、目を背けないで、死の準備教育の必要性を感じます。イギリスの小学校の教科書には、死についてのことが出て来るんです。日本の教科書ですと、わざわざ死を避けています。しかし、やはり、身近な人が死ぬことによって、おじいちゃんは、おばあちゃんは何処にいったのということから始まって、死ということを、しっかりと教える。

 死は、我々全員に何時かは来るものだし、私達人間が、どんなに威張っていても、最後にどうしても、受けとめなければいけない一つの試練であるということを、小さい時から知って行く。そうすると、死に対する恐怖が、少し減って来るのではないかと思います。一方でそういうことを論じながら、一方では、元気な時から、そういうものを怖がらない。そして、人間として、自然の中で何時かは来るものとして、知ってもらう、そういう教育の方が、むしろ大事ではないかと思いますね。

司会:そういう意味では、先程、西丸先生からも、岩田さんからも、尊厳死とか、リビングウィルとかのお話がございましたけれども、如何でしょうか。本橋先生の方から、お一人ずつ、ご意見を伺わせて頂けますか。

本橋:尊厳死の問題ですか。もう少し修行して考えてみたいと思います。

司会:紺野さん、如何でしょうか。夕べご主人と話し合いをされたとか。どちらかが、そうなった時には、お互いに、こういうふうにしようというようなお考えの、何か会話がございましたでしょうか。

紺野:夫は、もう、先に行くと決めつけてますから、自分の手を握って安らかに行かせてくれと言ってましたけれども。そうですね、でも、やはり、楽に死ねたらいいなと思いますけどね。それが本音です。

司会:西丸先生はいかがですか。

西丸:僕はもうしゃべり過ぎたからあんまりいわない方が良いと思いますが、でも、尊厳死ということは僕は好きです。見栄っぱりですし、ちょっぴりきざなもんですから。私の中では、末期になってきて、スパゲティ症候群というんですか、鼻とか口とかに管を通されて、人が来ても分からない、それでも生きている。そういう中で、最期に言いたい事も言えないで、死ぬのは辛い。それでも、私はまだ生きるかも知れないと、信じながらそれを受けているのは、もっと辛いですね。それから、 「あいつ最期は惨めだった」なんて言われるのもいやですし。それ以前に、自分の意思で、もう駄目と分かったら、ライシャワーみたいに生きたかった、そんなふうに思うんです。あんまり、早まったことはしたくないんですね。まだ、助かる見込みがあるのに、殺してくれなんて、恰好良くいうのは、馬鹿ですから、その辺を十分に見極めることが大切です。私は、幕引きと一緒に、尊厳屋という感じの方に移行しつつあるんですね、今まだ、結論が出せません。紺野さんの旦那さんじゃないけれど、紺野さんに手を握られたら、最期まで生きてたいなんていうかも知れません。

司会:西丸先生の方が先かも知れませんから、最期の時には、紺野さんに来て頂いて、手を握って頂いてですね。

紺野:駆けつけます、先生。

司会:岩田さん、先程、尊厳死協会に入られたというお話でした。参考のためどのような手続きで、どうすれば、入れるのかを教えて頂けますか。

岩田:私の場合は、お友達がたまたま尊厳死協会に入っておられました。その方のご主人が、非常に素晴らしい死に方をなさった。その影響を受けまして、夫と二人で入った訳です。尊厳死は、結局、無駄な治療はしないで、もう、そう長くはないと決まったら、自然死をさせて欲しいという趣旨の会なのです。私自身は、西丸先生と違って、余り、死後のことを考えたことがないし、紺野さんのように美しく生まれ変わりたいとか、そんなこと考えなかった。西丸先生のお話を伺って、私も生まれ変わる時には、もう少し美人に生まれ変わろうというように、少し希望をもった訳なんです。私の場合は、私の病気を機会に、夫と死についてとことん話し合う機会が増えたということです。また、私自身が千葉敦子さんとか中島みちさんとか、癌で亡くなられた方と、それから現在活躍していらっしゃる方もいらっしゃるんですが、そういう方の書物に非常にひかれて、読みあさったということもございます。その中で、「死の認識があってこそ身辺の整理が出来る」という千葉敦子さんの言葉に私はひかれております。いつ来るか分からない死は平等に来る訳ですけれども、そのいついつ死ぬか分からない認識があってこそ、今をより良く生きれるのかなと思います。ですから、告知されたことで、家族との時間を大切にしながら、思い残すことなく死ぬほうが、私は良いかなと思います。

西丸:一寸いいですか。尊厳死協会に入られましたね。その時に、リビングウィルというか、そういうものをお書きになって残しておられますね。今、おっしゃった中で、そういう時に、自然死を望むということでしたね。日本での尊厳死に対する考え方として最低限必要な栄養補給、そういうものも中止するということが出てきます。それは、今まで尊厳死協会に入っておられた方が考えておられたことと、一寸、方向が違うというような意識をお持ちですか。

岩田:私の認識では、先程、先生がおっしゃったように、スパゲティ症候群、全身に管を付けなければ、生きられない状態、それから、植物状態でもう死を待つだけの、そういう時に、その方がそれでも、生きていたいかどうかということが、問題になると思います。それで、リビングウィルというのは、生前の遺言と言いまして生前に、自分はこうなった場合には、延命治療はしないで欲しいということを書き残すということなのです。それは、本人の見極めなのかなと私は思っています。

司会:具体的に、手続きは、どのようにするのですか。

岩田:電話でも手紙でもよろしいんですが、申し込みますと、申し込み用紙というのがまいります。それをじっくり読んで、賛同の場合は、署名して、出すんです。会員証があります。

司会:公的というか、医療現場で、それを認められてないというか、私達ホスピスでは尊厳死協会の方が来られますと、私は尊厳死協会の会員ですから、こういうふうにして下さい、と申し出があって、そのようにしておりますが、それが受け入れられない医療現場があると思うんですが、どうでしょう。

岩田:法的な力は持ってない訳ですから、とても難しいと思いますけれども、社会の態勢・動きは、尊厳死の方に向いているんじゃないかなと思ってますし、この数年で会員が倍、倍に増えています。その事実は、一つの力になるのかなあと思います。

池田:尊厳死については、特に考えたことは、有りませんが、結局これも告知が関係してくると思います。この間、週刊誌に出ていたのですがあと3ヵ月と言われたら、貴方ならどう するというのが有りましたが、永六輔さんとかが言っているんですが、実にまだ良く分かってないですね。死ぬということがね。私もさっきから、宗教だとか言いまして、本橋先生にたてついているようなんですけど、実際、私も昔は、新進気鋭だったんですね。今になってみますと、やはり、少し考えが変わって来ました。市民病院の私の前の部長の渡辺先生も(私の前の助教授)積極的治療が主でしたが最後はどうしていたかといいますと、患者さんのそばに行って、手を握ってね、「しっかりしろよ」とか、そういうふうになっちゃっうんですね。

 そうしますと、市のほうで、大体これは、定年じゃないかということですね。 (笑)私も同じでした。本橋先生はまだ、定 年に遠いですから、やっぱり、もう少し頑張っていただきたいと思いますね。決して私がたてついている訳じゃなくて、それにプラス、もう少し、宗教的というか、精神的な支えを加えて頂けるといいですね。これは、本橋先生にお願いするよりも、看護婦さんとか、そういう方にお願いしたいと思うんですね。今、恐怖心があるのは、死後の世界とか、確信のないことがあるからでしょう。では、どうすれば良いかと言いますと、さっき、西丸先生が言われたように、しょっちゅう考えていることが必要だと思うんですね。これは、昔から、メメント・モリという有名な言葉がありますけど、死を覚えよとかね。毎日、死ぬと思って生きてれば、幸せなんですから、その点は、是非これから実行して頂くと、これは、免疫が出来るんですね。(笑)是非やって頂 かないと、日本のように宗教をもたないものにとっては…。まあその、宜保さんだか、丹波さんだかも、あまり信じないという人には、免疫療法しかないんですね、(笑)宜しくお 願いします。

司会:素晴らしいお話しでした。そろそろ時間になりました。本橋先生には、大変悪役をお願い申し上げました。最後にその悪役の弁明をして頂けますでしょうか。

本橋:私もこうして話してみまして、現在、確かに、告知もしないし、治療ばかりに専念して来ました。これが、良いか悪いかは、今後の判断に任せるしかありませんが、今、社会的な趨勢として、70%位の人が告知を希望さ れていることも私は承知しております。その告知が果たして、どの程度の告知を望んでいられるのか、非常に難しいと思います。特に、その予後の事まで含めて、告知をして欲しいのか、それから、病名だけを知りたいのか、その辺の判断もこれからしなくては、いけないなと思っております。告知のことを勉強しまして、経験を通しまして、これからそんな方向で、社会的要請に応えるように努力したいと思います。ただこれからも、治療に専念することは、事実です。

池田:谷先生に伺いたいんですけど、当然のように、リビングウィルとかいってますけど、これは、遺書と言うことですか。遺書は、生きているときに書くんで、何も、リビングと言わなくても、いいんではないですか。それは、どういう訳ですか。

司会:それは、不治そして、末期の症状になった時、安らかな人間らしい自然死を遂げるために、意識がなくなってしまってからでは、自分の意思表示が出来ないので、意識がはっきりしている時に書き記す末期医療についての要望書(尊厳死の宣言書)という意味です。 一般の遺書と違ってその人が生きているうちに効力を発揮するものです。さすがに、池田先生は、中古外科医では無くて、まだまだ新進気鋭の外科医だと思います。(笑)

 司会が少ししゃべり過ぎた所もあったかと思いますが、パネラーの皆様方の大変素晴らしいお話しを聞けたので、大成功だったと思います。どうも、先生方、本当に有り難うございました。

質疑応答

Q(女姓):2年前に肺癌の手術をしました(右 肺の2/3を摘出)現在は元気にしておりますが、再発をして末期になった時にはホスピスケアを受けたいと思いますが、その費用はどのくらいになるのか説明をして下さい。

A(谷):ホスピスに入院された時の費用は二通りあります。まず厚生省で認可されている施設の場合、健康保険法で定額制で1日33,000円の医療費の内、その人の健康保険による負担額で 1割、2割、3割等の負担になります。もう1 つホスピスケアを実施している施設でも厚生省の認可がされていない施設では、一般病院と同じ診療点数の個人負担分となります。治療費の他に部屋代の負担があります。これはそれぞれの施設によって違います。

(男性):友人で病名を知らないで治ると信じている人がいます。ヘビースモーカーだったのですが3年前は食道癌。そして今度は大腸です。本人は癌で死ぬとは思ってはいませんから、告知されなくて幸せに死んで行くんであれば、それはすばらしいことで全て告知をする必要はないと思います。私は死ぬことは怖いです。死後の世界は自分で描いている方が良いと思うのですが、どうでしょうか。

A(本橋):最近重複癌が増えています。転移癌と違いまして、治る可能性を含めて予後がいいと言えます。その方は転移ではありませんから治るような感じですね。

A(西丸):知らないで楽しく出来れば、一番良いことだと思います。先生が患者さんによって告知するべきかどうか、十分に考慮する必要があります。それから、死後の世界はどうだか、わたしは、まだ行ったことがないんで良く分かりませんが、(笑)科学的に医学的に色々言ってしまうと、身も蓋も無い世界だと思います。今まで生きて温かかった人が、冷たくなって腐っちゃう。腐るといけないから、規則があって埋葬したり、火葬して無くしてしまう訳ですね。死んでしまった人は、全く考えることは出来ませんし、物体になってしまうんですね。私は死体を沢山扱って来ましたが、死んでしまえばただの物という考え方はいやでした。やはり、亡くなっても人間なんだと思っていたかったんです。でも、最後に焼いてしまってどうなってしまうかというと、全くバニシング、消えてしまうんですね。だから“生きているうちが花"ということがありますけども。或いは、そこまで追求しないで、やはり、死後の世界は、奇麗な薔薇があって、そこに、奇麗な人がいてなんて考え自分の中で自分の都合のいい自分の好みの世界を描いていただく方が幸せなんじゃあないかなって私は思います。

Q(男性):我々の小学校のころは教育で修身というのがありました。先程西丸先生は英国では死について教えていると言われましたが、日本でも小学校で死に対する教育をお願いしたいと思うのですが、行政でもっと力を入れてほしいと希望します。

A(西丸):私も同感です。ぜひ会場の皆さまも小さい時からデス・エデュケーション(死の準備教育)を受けられるようまとまって行政にお願いしてほしいです。

Q(女性):母が(57才)今胆管癌の可能性が 高いと言われて手術をすることになったのですが告知するか迷っています。父は母が先に死ぬことに不安がって私にいろいろ話すのですが、受け止めきれない部分があります。父と母で病気や死について話してほしいのですが、父が恐怖に思っているので、私がそんな話にどう関っていったら良いのか不安に思っているのですが、アドバイスをいただけますか。

A(岩田):とっても辛いお話しで、私も今本当に何て申し上げたら良いかなあと思っているんですけども、きっと、ご主人が奥様に言えないと言うのは、それだけ奥様を大事にしていらっしゃる。とにかく死んで欲しくないと言う気持ちがものすごくお強いからだと思うんですよね。お母様に、病名や病状を受け入れられるような生活的な基盤というか、精神状態があるかどうかなんですが。お母さんの心の中にも知りたいと、聴きたくないの両方の気持ちの葛藤があると思います。ある心理学の本で読んだのですが、最初は、自分は癌ではない、なるはずがないと <否認>の段階から、癌でもいいけど初期のうちに治るように祈る<取引>の段階。それか抑うつ状態になって、どうせ私はもう死ぬんだからというようなプロセスを経て、最後には<受容>という感じで自分の死を受けとめる。そして、でも死ぬまでは自分の命として大事にして行こうと思うと書かれてありました。お母様も葛藤の最中だと思われますが、ご家族のみなさんがお優しいから支えていただいて、いつかはご自分で受け入れて下さるのではないかと思います。役割はお父様がお辛らければ娘の貴女でもいいんじゃないですか。がんばって下さいね。 (講演会終了後も岩田さんからのアドバイスを受けられた)

Q(女性):父が一般病院で終末期を迎えております。ホスピスはケアをしてくれる場所だと思っていたのですが、家族に対してはどうなのか、又告知の際患者も家族も動揺すると思うのですが、告知の時にこそ関っていただきたいと思うのですが、今のホスピスはどのような方向に向かっているのかお尋ねします。

(谷):厚生省認可施設の協議会が昨日大阪で行われましたが、そこでもホスピスでは患者さんだけでなく家族の方も一体としてケアすることの大切さが話し合われました。ホスピスに入院するにあたって、告知の問題も初期の時代には告知をされている方に限られていた施設が多かったようですが、日本での現状はそうも行きませんで、告知されてない方もお受けしております。ご入院されてからご本人が悟られたり、何かのことで分かってしまう場合もありますが、それでも仕方がないという条件でご入院いただくことになっています。もちろん、その時はご家族の方々と一緒に患者さんの精神的なフォロ一のお手伝いをします。(現在、西群馬病院ホスピスではきちんとご自身が自分の運命をご存じの方に限られております)

(女性):父が2年前に脊椎腫瘍で手術をした んですが、生活が仕事中心なのですが、今後又そのような生活習慣が続くと再発の原因となりますでしょうか。

(本橋):生活が再発に影響するとは考えないで良いと思います。逆になるべく社会復帰をすることで本人のQOLの立場からも仕事をする 方が良いと思ってます。

司会(谷):残念ながら時間が参りました。今日の問題はここで結論は出ませんが、これを機会に色々考えて、地域社会の中でより良い生活が出来るようにということでがんばって参りたいと思います。本日はパネラーの皆様方本当にありがとうございました。





閉会のことば
鰍ゥながわ文化センター常務取締役 千賀瑛一

 本日はホスピスを考える横浜市民の会の公開講演会にご出席いただきまして、ありがとうございました。約四時間、基調講演、ならびにパネルディスカッションを行いましたが、それぞれのお立場から非常に大胆なご提言、あるいはご意見があったと思います。時には医学界のレベルの高い方から、内部告発とも思われるようなご発言もありました。最後には会場の方々からも現場での悩み、苦しみ、体験がストレートに話されたと思います。残念ながら時間が足らずパネラーの先生方、そしてご出席の皆様に申し訳なく思っています。この公開講演会はすでに年一回の企画で二回行われております。一回目、二回目をふり返って見ますと、国内、国外のホスピスの現状について勉強しました。又、今回もいろいろとり上げられましたが“デスエデュケーション”いわゆる死に臨んでの教育などについても学んで来ました。

 さて、今回は終末医療を考えるということで本格的な討議、議論をお願いしました。皆さんいかが受けとめられたでしょうか。最後に谷先生が司会のお立場から「結論がでない」と言われましたが、この講演会のテーマについて結論がでないと言うことは、テーマの本質を言い表しており、象徴的に物語っていると考えています。通常この種のシンポジウム、フォーラムでは、結論なり、まとめなり結びの言葉がある訳でございますが、この講演会では、結論はでませんでした。むしろこの場で投げかけられた“生と死”に関するテーマを皆さんご自身がそれぞれ持ち帰っていただいて、考えていただきたいと思います。今後ともホスピスを考える横浜市民の会にご支援をお願い致します。





アンケート

 アンケート配布総数…800名

  アンケート回収総数…530名
 回収率…71%
  (男性97名女性385名不明48名合計530名)
@これまでに自分の死について、お考えになったことがありますか。
はい471名(89%)いいえ59名(11%)(男性:はい81いいえ16)(女性:はい348いいえ37)(不明:はい42いいえ6)
A家族で自分たちの死について話し合われたことがありますか。
はい304名(58%)いいえ220名(42%)(男性:はい52いいえ45)(女性:はい225いいえ155)(不明:はい27いいえ20)
B回復困難なとき、死をどこで迎えたいと思われますか。
a:病院24名(4%)b:ホスピス229名(39%)c:自宅310名(52%)d:その他27名(5%)
C命が限られていると分かった場合、医療者に望むことは何ですか。(複数回答可)
a:徹底的に治療を行い、延命の可能性を見つけて欲しい。29名(3%)
b:痛みや、辛いことだけコントロールしてほしい。425名(49%)
c:精神的なケアを重視してほしい。355名(41%)
d:何も治療しないでほしい。30名(3%)
e:その他33名(4%)
D病名の告知をどう思われますか。
〔自分の場合〕告知して欲しい
(早期)はい468名(95%)いいえ24名(5%)
(末期)はい407名(91%)いいえ41名(9%)
〔家族の場合〕(本人に対して)告知して欲しい
(早期)はい386名(87%)いいえ60名(13%)
(末期)はい276名(70%)いいえ116名(30%)
Eこれまでホスピスをどのように理解していましたか。
a:死を待つところ。49名(8%)
b:末期癌の人が入るところ。107名(17%)
c:痛みや辛い症状をコントロールして、日常生活を送るところ。425名(67%)
d:全然知らなかった。13名(2%)
e:その他39名(6%)

アンケートに寄せられた感想
・西丸先生の語りかけにとても心打たれた。臨床の場で、教育の場で、スタッフや学生と、そして自分自身のこととして終末ケア、死についてこだわり、考え続けていきたい。 (50歳代・女性・看護教員)
・自分の死は自分で選択できる病院が多くなってほしい。 (50歳代・女性・看護婦)
・4年前にがんの告知を受け手術をした。その時の主治医は、池田先生のように患者の心を大切にして下さり、染色の仕事を病室(個室)に持ち込んで、作りかけの夢を仕上げることができた。告知されたことも、人間崖っ淵に立たされるとその落ち込みをバネにしてかなり強くなれる、と自分の体験や病友の姿をみて思った。 (60歳代・女性・主婦)
・母を胃癌で亡くした。告知されておらず、本当の話のできないつらさを味わった。自分の人生は、最後まで自分自身で見つめていきたい。 (40歳代・女性・主婦)
・今、終末期を迎えようとしている肺ガンの母に、告知をどうするか悩んでいる。今日の講演を聴いて、よい方向に向けて主治医と相談していきたいと思った。 (30歳代・女性・主婦)
・最後は愛(思いやり)だと思うが、健康で平常の生活を送ることのできる幸せを、強く感じた。 (60歳代・女性・主婦)
・保健所の訪問看護婦ですが、最後は自宅でという方が増えている。どのように関わっていけるか今日の講演は心に残るものだった。 (30歳代・女性・看護婦)
・笑って死について話し合えるうちに、自分の中に死への準備が出来て行くと感じた。 (40歳代・女性・無職)
・今まで思っていたターミナル・ステージは重いものだったが、今日のお話で少し柔らかく考えて行けそう。“死”も尊厳ある“生”だと思う。 (20歳代・女性・学生)
・医療として患者が求めるのは、現状の改善であると思う。それは個人によって違うと思うが患者側から発生するもので医療者側が規定してはいけないと思う。 (20歳代・男性・医大生)
・Dr本橋の真剣で積極的な治療への意欲に(自分の考えとは反対ですが)とても感動し、興味深く思った。 (20歳代・女性・看護学生)
・宗教のない日本でターミナルケアは難しいというのは医療者側の言い訳に聞こえる。これこそ考えなくてはいけない問題だ。 (10歳代・女性・看護学生)
・ホスピスは告知後の人生のあり方が前提だと思うが、宗教観ではなく死生観だと思う。真実を土台に患者とのコミュニケーションをつくることの意味を考えさせられた。 (40歳代・男性・医師)
・毎回参加しているが、回を重ねる毎に充実した会に発展している。一人でも多くの人々の関心を得られるような会にしてほしい。 (40歳代・女性・看護婦)
・ホスピスの必要性を強調した講演にして欲しい。行政に対して、これから取り組むべき問題点を出してほしい。 (40歳代・男性・公務員)