質疑応答
Q:私がドイツのホスピスを視察した時、カウンセラーが大勢ホスピスに勤めていた。患者はもちろんのこと、その家族さらには働くスタッフのために、カウンセラーが必要だと思うが、どうか。
A:それは大変大切なものだ。そのためにスタッフだけのための瞑想する部屋を作ったり、ワークショップを開いたりしている。
Q:県立の看護学校に通う学生だが、患者のQOLを知るためにはどうしたら良いか。
A:痛みの症状をコントロールするといったような基礎的なものは誰もおおよそ共通しているが、もっと深い精神的なQOLについては個性的なため、本人だけでなく、家族、親戚、友人など広く情報を集めて、考えることが必要だ。
Q:ホスピスに入ると、平均3週間で亡くなるということは、痛み止めをつかうためによるものなのか。
A:そうではなく、予後が3週間位の人がホスピスに入るということだ。ドイツのアーへンでは、何カ月もホスピスに入っていた人もいた。3週間と決まったものではないし、決めるものでもないと思う。アメリカでは在宅ケアが盛んで、ナースが良く勉強している。電話でドクターの指示を聞いては、疼痛のコントロールをナース自身でやっている。
ホスピスでの自殺は聞いたことがない。それは、ホスピスでは、痛みのコントロールをしっかりやっていることと、孤独にさせないことによるものだ。 私自身は死ぬ時は自宅で死にたい。しかし、社会的な事情、たとえば核家族など、病院に入らなければならない事情もある。そのためホスピスが多く必要になるし、大病院でもホスピス的ケアができるようにすることが大切だ。
◇横浜市の公立病院における夕一ミナルケアヘの関心 (横浜市立市民病院のターミナルケア研究会について)
横浜市立市民病院では昭和63年2月から下記の趣旨の下にターミナル・ケア研究会を年二回の割りで開催し、末期医療の充実を図っている。研究会発足の趣旨内容
医療に携わる私たちは、日夜人智の及ぶかぎり患者の生命を保つことに努力しておりますが、この世に永遠の命というものがありえない以上、いかんともしがたい例に遭遇することもしばしばであります。私たちは万策つき、死に臨んだケースに対して死にいたる過程をいかにして安らかならしめるかを探求し、実践していくことは、絢爛たる近代医療の狭間を埋める重要、不可欠な医療の一分野であると確信し、院内に「ターミナルケア研究会」を設けることを思い立ちました。先進諸国の動静に照らせば、若干立ち後れの感は拭えませんが、今後努力を重ね有意義なものにしていきたいと思っております。
現在までに行われた研究会の主な内容
◎1:特別講演
「痛みに対する神経ブロックにっいて」〜麻酔科 2:ディスカッション @特別講演の内容について A本研究会の今後の方針について
◎1:「ターミナルケア院外研修の報告」〜看護部 2:ターミナルケアの予備調査
「外科における末期症例の実態」〜外科 3:ディスカッション
◎パネルディスカッションー
「重症悪性腫瘍患者のQua1ity of lifeをいかに支えるか」〜薬剤部・内科・外科・看護部・栄養係
◎呼吸困難について @呼吸困難時の対処法 A挿管 Bセデーションについて(鎮静) C事例検討
◎1:ターミナルケアにおける硫酸モルヒネ(MSコンチン)のその後 2:「告知:」を中心としたターミナルケアの諸問題 3:質疑応答
◎1:ボディソニックの応用 @ボディソニックとは(ビデオ)※ボディソニック=体感音響装置
Aボディソニックによるターミナルケアの試み 2:がん告知を中心にターミナルケアを考える
◎1:ターミナル患者に対するボディソニックの応用(続報) 2:事例報告「夫を送って」
3:ディスカッション
◎1:ターミナルケアにおける音楽療法のその後(事例検討) 2:MSコンチン・塩モヒ坐薬の使用状況 3:MSコンチン・塩モヒ坐薬を使用して(事例検討)
◎1:事例報告(鎮痛剤持続皮下注射によって疼痛緩和を図った前立腺がんの症例)
2:最近話題となっている除痛のための持続的脊推麻酔について 3:ホスピスの現場から(TBS[ニュースの森」ビデオ) 4:総括的コメント
◎ターミナルケアにおける患者応対について @母を看取った経験から A患者となった経験から
Bターミナルケアに関するアンケートの集計結果について(ホスピスを考える横浜市民の会発会記念講演会のアンケートから) C総括的コメント
横浜市立市民病院ターミナルケア研究会幹事池田典次外科部長による
◇神奈川県立がんセンターにおける
ターミナルケア研究会の歩み
種々の慢性肝疾患の経過中における患者さんのQuality of lifeが最近問題となり、その過程の中で終末期患者さんの疼痛や苦痛の軽減を中心としたターミナルケア(緩和医療)が最近社会的に取り上げられる様になった。
この様な背景のもとに、神奈川県立がんセンターにおいても、ターミナルケアの必要性について医師、看護婦および患者さんのご家族に対してアンケート調査が行われ、その結果は三集団共にターミナルケアの必要性を認める人数が過半数を占めていた。
そこで我々神奈川県立がんセンターにおいてはターミナルケア研究会を作ることとなり、平成4年8月5日に第一回の会合を持った。その際のテーマは上記アンケートの結果および、我々が先に大阪で淀川キリスト教病院のホスピス病棟の実態について詳細な講演を受けた内容の抜粋であった。
次いで平成4年10月7日の第二回研究会では、ターミナルケア病練の目的、運営方針、理想とする環境、STAFF(人員)、ボランティア等について参加者を2グループに分けて熱心に話し合われた。
第三回研究会は12月2日に持たれ、欧米のターミナルケアを中心に「暖家の会」代表の西嶋公子先生を御招きして「欧米ターミナルケアの現状と日本のこれからの課題」と題する講演を賜った。
続いて第四回研究会は平成5年2月3日に横浜甦生病院ホスピス病棟長の玉地任子先生を御招きして実際の事例検討が玉地先生の一例と当センター櫛田先生の一例について詳細に行われた。
第五回研究会は5月19日に行われ、神奈川県立平塚看護専門学校の佐藤麗子先生から夕一ミナルケア研究結果について講演をいただいた。
以上が神奈川県立がんセンターのターミナルケア研究会の歩みであり、今後も熱心に活動を続けていくつもりである。(文責=神奈川県立がんセンターターミナルケア研究会消化器部長 多羅尾和郎)
◇神奈川県立看護教育大学校がん看護課程について
看護教育大学校は、看護職の卒後継続教育機関として昭和50年4月に開校し、看護教育学科、専門看護学科、看護管理学科の3学科と、指導研究室が置かれています。専門看護学科では、母子看護、地域看護、ICU・CCU看護、がん看護および老人看護の専門教育を行っています。
ターミナルケアについての関心が高まる中、看護教育大学校ではこれまでも「慢性期看護課程」の中で「ターミナルケア」の学習の場を設けてきました。しかし、年々ターミナルケアの学習を希望する学生が多くなってきたため、平成4年度より新たに「がん看護課程」を開設しました。「がん看護課程」では、ターミナルの時期だけでなく、がんの予防や、診断のついた時から社会復帰、ターミナルに至る過程の各期の問題についての看護の知識・技術の習得を目的にしています。
学生の背景は3年以上の臨床経験を持つ看護婦で、専門病院、大学病院、一般病院から各々課題をもち入学してきました。そして、平成5年3月には、6カ月の修業期間を終え、第1回生20名を送り出すことができました。卒業後は各々の施設でがん看護の実践者として活躍しています。
教育内容の概要は下に示しました。今後もがん看護の質の向上のため、教育内容の検討を重ねていきたいと考えています。
がん看護課程教育内容
看護論
(専門看護論)⇒ ・看護論の講義、文献学習およびグループワークにより看護概念を明確にする。・がん看護における専門性と役割を追及する。
人間の理解⇒
・人間とは、人間の個別性とは何かを学び、自己と他者の関わりを体験学習する。・面接技術を学習し、各自の面接場面の分析を通して患者一看護婦関係について認識を深める。
がん患者の看護 ⇒・がん看護に必要な知識、技術を講義、演習を通して学習し、系統的、科学的な看護展開のあり方を追及する。(各ステージに応じて、食道発声、ストーマスキンケア、化学療法、疼痛コントロール、症状コントロールなどを学習する。)・がん患者の精神医学的、社会科学的問題について理解し、援助のあり方を学習する。総合科目
・医療の中に存在する問題を、バイオエシックスの立場から広く考察し、医療者としての考え方、態度について認識を深める。
臨床実督⇒
・各自の課題にそってがん患者を受け持ち、臨床実習を行う。・研究の方法、文献資料の活用について講義、演習により学習するとともに、実習で体験した事例をもとに事例検討を行い、さらに個別指導により事例研究としてまとめる。
◇現場からの報告
ホスピス病棟で出会った人びと− 横浜甦生病院
l)はじめに
今年、l月20日にホスピス病棟がオープンしてから5カ月が経ちました。一般病棟に較べますと確かに悲しみの多い病棟なのですが、その悲しみの中からでも大切なものを気づかされたり、新たな人との関わりが生まれるという喜びも感じられるのが「ホスピス」ならではといえるかも知れません。
その数々の出会いと別れをごく簡単にまとめてみました。
2)ホスピスの特長
ホスピスは悪性腫瘍の主に夕一ミナル(終末)の患者さんが入院するところです。ここでは患者さんの痛みを取ることに主眼をおいています。痛みというのは身体の痛みだけを指すのではなく、精神的・社会的な苦痛など家族の方々と協力して除痛して行くようつとめています。また、面会時間や一般病棟では考えられないお酒などの嗜好品もご本人が望めばできるだけその意向に添うようにしています。治療についても必要な治療はご相談の上行います。検査や薬等の情報も病状に合わせて行います。どの様な最期を過ごし、迎えるかの選択は患者さんご本人にあります。
3)患者集計 【期間H5.l.l〜H5.6.1現在】 入院総数30名死亡退院者数(♂9名♀9名)18名
平均在院日数30日平均年令60才 外来通院者数3名 病名 患者数肺癌 9名 喉頭癌 3名 胃癌 3名 胆管・胆のう癌3名 肝臓癌 3名 子宮・卵巣癌 3名
その他(腎・前立腺・甲状腺乳・脳腫瘍・白血病) 各l名
4)実例紹介 @Aさん 59才女性肺癌骨転移
Aさんは入院当初、右肩から前胸部にかけて「ガラスの破片がヒラヒラと落ちる様(刺さるように)に痛い」と言っていた。モルヒネの持続皮下注入法により痛みも軽減し、自宅へ帰る事もできたがAさんにはもっと大きい目標があった。それは2カ月後に控えていた次男の結婚式の日まで生きていることだった。しかし徐々に状態が悪化し、結婚式の日取りまでは難しいかも知れないと御家族に相談したところ、病室で一足早く結婚式を挙げようと言うことに決まった。「結婚式までは葬式をだすわけにはいかない」とAさんは口癖のように言っていたが、病室での結婚式の計画はAさんの気持ちを和らげ元気づけた。
結婚式の当日、白いウエディングドレスの着替えを看護婦が手伝い、病室の机と椅子のセッティングは総務の人達が総出で行い、花束も飾られた。ウエディングマーチで入場しシャンペングラスでみんなで乾杯し息子さんが「お母さん今日までどうもありがとうございました」と花束を手渡した。呼吸も荒くなりほとんど経口摂取もできなくなっていたAさんがその時ばかりは「いままで生きられたのは皆さんのお陰です」そして若いお二人には「これからは二人でしっかり生きて行くように」としっかりした口調でそういった。安
心したのかAさんはそれから入眠がちになりその3日後、みんなに看取 られ永眠された。
A Bさん 56才男性肝臓癌独身
Bさんは前病院で主治医に不信な点をしつこく尋ね「あなたは癌です、治らないのよ」と言われた。それ以降、医療不信が非常に強くなったという。Bさんは看護婦をつかまえてはいじわるな質問をして困らせては喜んでいた。「私にはよく分かりません」と看護婦が答えると「そうだ、その通り、すばらしい答えだ、医者でも分からない事を分かった振りをするのはけしからん。知ったかぶりをするのは大嫌いだ」と言った。
また訪室すると「そんなにしょっちゅう来なくていいよ、しゃべるだけ体力を消耗するから」と私達を寄せ付けないでいた。ある日、病状を聞き先生にあとどれ位生きられるかと問いただした。先生の口から「あと、3カ月から6カ月」と聞かされると「隠し事が無く本音で付き合える。雨の中の晴れ間、日が射す様な気がする」と言われた。その後看護婦には「先生は3カ月から6カ月と言ったけど僕は後lカ月位じゃ無いかと思う」「最期の時は点滴も何もしないでください。誰にも会いたく無い」と言っていた。1月24日のBさんのお誕生日にはスタッフの寄せ書きの色紙とお誕生日の歌を唄いワインで皆で乾杯した。その頃から頑固なBさんの顔がほころぶ様になった。
亡くなる2〜3日前から下肢のマッサージを好みずっと続けて欲しいと言っていた。実姉に危篤の電話を
真夜中に入れたがすぐには行けないとの事だった。看護婦が一晩中手を握り、そのまま穏やかに息を引き取られた。
BCさん 37才女性胃ガン再発
Cさんはホスピス病棟に入院した日、ご主人と大ゲンカをした。「私はホスピスなんて聞いてなかった。ホスピスには入りたくなかった」と。水曜日のホスピス外来にご主人が来院し、主治医と話しをして、この先生だったらきっといい病棟に違いないと直感され、ほぼ独断で転院を決めたのだった。
しかし、Cさんは「自分はまだ死にたくない。治療をしたいと思っていたのに」と泣きながら抗議していた。が次の日、Cさんの態度は一転した。「ここに来て良かった」「前の病院では手術後は医師もよく部屋に来てくれた。看護婦さんも処置等はとても手際良かった。だけど、もう治療出来ないとなるとみんな変わってしまった。先生たちは来なくなる。看護婦さんは優しかったけれども、もう死んで行く人という目で見るようになった。でもここでは先生も看護婦さんも励ましてくれる。私の話しも聴いてくれる。何の検査でも薬でもちゃんと説明してくれる。私の身体の事を隠さずきちんと話してくれる、それが私には一番嬉しい」
Cさんは今も病気と真正面から関っている。
CDさん 38才女性胆管ガン肺・骨転移
Dさんはとても明るくさわやかな方だった。御主人との二人三脚でうまくホスピスを利用していた。具合がよくなると退院され、先生や看護婦が訪問した。調子が悪くなるとl〜2週間入院しペイン(痛み)コントロールをした。Dさんの願いは教師である自分がもう一度教壇に立つことだった。御主人と医師、看護婦がみんなで協力し校長先生の手助けもあり一日だけその願いが叶えられた。Dさんのその喜びに回りの私達までもが勇気づけらた。今でもあの笑顔が忘れられない。
5)まとめ
患者さん達の願いは健康な人達から較べると非常に小さな願いです。「家に帰りたい」「歩きたい」「一口でいいからおいしく食べたい」「お風呂に入りたい」患者さんが望んでいることを探り出しそれをどのようにしたら実現できるか知恵を集め、患者さん、御家族、そして私達スタッフが力を合わせて支援しそのことが可能になったときの私達の喜びはなにものにも代え難いものです。そして患者さんだけでなくターミナルケアに関わる人達がいつでも出入り出来る場所(ホスピス・コミュニティー)を造ることを目指すと共に、一人でも多くの方の願いを叶えてあげるお手伝いをしたいと願っています。
私たちのホスピスのモットー †痛みからの解放 †ウソはつかない †常識を破ろう (横浜甦生病院ホスピス病棟婦長 高橋照恵)
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