Vol.2     


私には、夢があります。
がん以外の病気の人々にも
入院できるホスピスを造る夢があります。


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ホスピスと認知症Vol.1


伊能 言天(いのう げんてん)

プロフィール
1948年生 医師
金沢大学医学部卒業・東京慈恵会医科大学大学院中退
市立病院外科医長・私立病院副院長・病院長など歴任

2019年 8月 3日 拘束ゼロ実現のための合言葉は「KYT」  
2020年 2月 1日 植物状態の人がしゃべり出した  
2020年 8月 1日 ステロイド剤は妙薬  
2021年 2月 1日 激動の2021年 外側から内側に入る 自己変革  
2021年 8月11日 家族の罪悪感
2022年 2月21日 その患者さん、私大好きです
2022年 8月 1日 良い思い出作り
2023年 2月 1日 医療はアート
2023年 8月 1日 食べることは生きること
2024年 2月 1日 認知症のホスピスケア


2019年8月3日 拘束ゼロ実現のための合言葉は「KYT」

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日経メディカルOnlineに連載された、伊能言天に対する取材記事を、掲載します。
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◎重度の認知症患者を診るということ◎ 2018/3/8

 拘束ゼロ実現のための合言葉は「KYT」
 インシデントリポートと対処法検討の繰り返しが鍵

 拘束ゼロ実現のためにスタッフが交わしている合言葉が「KYT」――。認知症専門病院で日々、内科医として認知症の診療に当たる伊能言天氏は、危険予知トレーニング(KYT)こそが「拘束ゼロ」の決め手だと断言します。

 例えば、患者さんが病室内で自ら車椅子に乗ろうとして転倒することがあります。介助がないと乗れない場合は、スタッフがその都度、介助します。ですから介助が必要な人は、転倒しません。自分で車椅子を動かせるような人に、転倒のリスクがあるわけです。

 スタッフが全部の病室に張り付いて見守ることはできませんので、室内での転倒を完全に防ぐことはできません。完璧を期すなら、患者さん自身では移動できなくする、つまり身体拘束をするか、あるいは目の届くところにベッドを置いて見守るしかありません。当院では拘束ゼロを掲げていますから、当然、後者の対応を実践しています。つまり、スタッフの数が少なくなる夜間帯では、転倒リスクのある人をナースセンター近くの病室に移したり、時にはステーション隣の急性期医療室や、まれには、目の前にあるホールにベッドを置いたりして見守るのです。

 こうした対応が普通にできるようになったのには、理由があります。その1つがKYT(危険予知トレーニング)評価です。

 当院では早い段階から、転倒などの医療事故防止策として、KYT評価という手法を取り入れています。産業界で開発されたKYT評価を医療界でも活用できるように改変した「医療KYT評価」です。これは、医療事故を減少させ、患者さんに安心で安全な医療を提供できる環境を作るために組み立てられています。

 院内で実施しているKYT評価はこんな具合です。

 まずある出来事(インシデント)が発生した時に、その場に居合わせたスタッフが、時間や場所、出来事の様子などを記載した報告書を提出します。これを基に、スタッフたちがカンファレンスをして「インシデントリポートKYT」を書きます(図)。

 インシデントリポートKYTは、以下の4つのラウンドから構成されます。

 第1ラウンドは、「どんな問題があるか」というテーマで、その出来事に関する問題点を洗い出し、気づくままに全てを列記します。

 第2ラウンドは、「これが問題のポイントだ」というテーマで、第1ラウンドで挙げた問題点から、より重要と思われるものを絞り込んでいきます。

 第3ラウンドは、「あなたならどうする」というテーマですが、内容が次の第4ラウンドと重複する点も多く、当院では省略しています。

 その第4ラウンドでは、「私はこうする」と題して、出来事に対する対処法を挙げていくのです。

《患者さんの転倒が発生した場合の対応とは》

 具体的にみていきましょう。

 例えば、患者さんの転倒が発生したとします。第1ラウンドでは、問題点と思われる全てを列記します。すると、「他の患者さんに関わっていて、見守りが手薄になった」や「突然歩き出したので追いつけなかった」、あるいは「スタッフ間の連携不足で、見守りするスタッフ数が少なかった」などが挙がります。1つの出来事に対して、だいたい10項目ほどが挙がっていきます。

 第2ラウンドでは、このうち重要と考えられる問題点を半分ほどに絞り込みます。そして、第4ラウンドでは、絞り込んだ問題点への対処法を考えます。この場合は、「見守りは必ず複数で行う」「突然動く可能性の高い患者さんには、なるべくスタッフの手の届く場所に居てもらう」「スタッフが持ち場を離れるときは、他のスタッフに声を掛けて自分の代わりを立てる」などが対処法となります。

 病院全体としては、こうした個々のインシデントリポートKYTとその評価を各病棟師長がまとめて、毎月開かれる医療安全管理委員会で報告し、共有しています。

 対処法を実践してもさらに事故が起きるときは、KYT評価を反復して行い、対処法の向上を図っています。

 私は、KYT評価の医療事故防止効果は絶大なものがあると思っています。実際に転倒による骨折などは、当院と同様の認知症専門病院と比べて、当院は格段に少ないのです。

 欠点と言えば、少なからず時間と労力が必要になるという点でしょうか。たまに起きる様々な出来事について、どのように記載していいか勝手が分からず、当事者は四苦八苦しています。その努力には頭が下がります。

 でも、こうした努力が積み重なることで、様々な出来事に対する対処法が蓄積されていきます。当院で発生した問題点は、ほぼ出尽くした感があります。病院として、どんな問題に対しても対処できる力がついたと言えます。

 「拘束ゼロ」を掲げる当院では、その実現のための努力が日々続いています。

 私自身はこのKYT評価を見ていて、以前ある本で読んだバス会社の安全運転教育のことを思い出します。バス事故が多発して困った会社が、事故防止の対策を練りました。会社は2通りの方法を実施しました。

 1つは、ある教育機関に専門講師を依頼し、安全運転の講義をしてもらいました。もう1つは、職員みんながグループに分かれて、どうしたら事故を防げるのかを議論し、対策を自分たちで見つけていったのです。

 どちらが、効果があったと思われますか? 後者の自分たちで対策を練ったほうが断然効果が高かったのです。自分たちで考えて決めたことは、必ず守ろうという意識が働いたからです。専門講師による講義では、自分の問題とする意識が高まらずに終わったのでした。

 KYT評価は、その内容自体に意味がありますが、さらに重要なのは、そのプロセスです。自分たちで考え、対策を考えるというプロセスが大事で、それがよい効果を生んでいると私は思っています。

 このシリーズを終えるにあたって、一言申し上げたいと思います。「緩和ケアは、全ての病気の終末期、あるいはもっと拡大すれば、人生の終末期には必ず必要となる」と、私は思います。1回目で私は、認知症のホスピスを目指していると書きました。今後ますます、認知症の患者さんは増えていきます。認知症ホスピスの普及は、焦眉の急だということを強調させていただき、結びの言葉としたいと思います。




2020年2月1日 植物状態の人がしゃべり出した


 驚くことが起きたのです。植物状態の人がしゃべり出したのです。

 Tさんは80歳の独身女性でした。若い頃は日本舞踊の教師をされていました。

 もの忘れが始まったのは15年前で、東京の専門病院でアルツハイマー型認知症ADと診断され、 内服薬の治療を受けていました。

 病院に通院しながらヘルパーの支援を受けて独居生活を続けていましたが、突如、心不全を起こして入院となりました。まもなく心不全は軽快し退院許可が出ましたが、 一人暮らしは無理なため、当院に紹介入院となったのです。 (図1)

   図1 頭部CT

 入院時は、歩行や食事は自力ででき、コミュニケーションも普通に取れていました。

 やがて病状は進行し、4年後には完全な寝たきり状態となりました。呼びかけに対して発語は全くなく、わずかに見つめる、驚く、笑みを浮かべるていどの意識状態、いわゆる植物状態となったのです。食事は全介助で食べられていました。

 そんな中、ある時(1月10日)突然、片マヒを伴う昏睡に近い意識障害を起こしました。

 インシュリン(糖尿病の治療)を毎日注射していましたが、血糖は159mg/dlで、低血糖による昏睡ではありません。頭部CTを撮り、出血の無いことから脳梗塞と診断しました。

 血管ルートを確保し、ポタコールRをメインに、 グリセオール200ml+シチコリン500mg+ソルコーテフ200mgを点滴静注しました。

 翌日意識は回復しましたが、酸素飽和度(SpO2)が毎分2リットルの酸素投与下で80%と低下しました。

 胸部レントゲン検査から、 急性心不全を合併したと診断しました。利尿薬(ラシックス)の静注、フランドルテープ( 硝酸イソソルビド貼付剤)40mg貼付の追加治療を行い、2日後にはSpO2は94%以上(毎分2リットルの酸素投与下で)に改善しました。

 そして1週間後には大むね全身状態が落ち着き、 嚥下機能は良好でしたので、 1月19日に経口摂取を開始したのです。(図2)


 ここまでは、脳梗塞や心不全の普通の経過です。

 ところがです。

 それから2カ月ほどたって、驚くことが起きたのです。

 脳梗塞を起こす直前は、呼びかけに対して発語が全く無かったのが、なんと!話し始めたのです。

 その流れを時系列的に書いてみます。

┌−−−−−−−−−−

1月10日 片マヒを伴う昏睡に近い意識障害を起こした。

3月5日 「Tさん」の呼びかけに、 「はい」と返事をした。

3月15日 話しかけると、 どもりながら少し答える。

4月13日 自分でコップを持って水を飲む。

4月27日 「オヤツ食べたの?」と聞くと、「うん、 自分で食べた」と笑って返事をする。

5月25日 再び意識障害を起こしたので、 初回とほぼ同じ内容の治療を4日間施行した。(図2)

5月30日 「名前は?」と聞くと、 フルネームで正しく答えた。

6月19日 スタッフといっしょに、 歌「東京音頭」をそらで歌っていた。そして扇子を手渡すと自分で振っていた。

└−−−−−−−−−−

 ここまでくると、ことあるごとに、「Tさんがこんなこと言った」とナースが驚いて私に報告してくれました。

 なんと!植物状態の人が、そらで「東京音頭」を歌ったのです。日本舞踊の教師をやっていた方なので、昔の歌は頭にしっかり残っていたのでしょう。他に、「青い山脈」も口ずさんでいました。

 私は嬉しくなって、タブレットに昭和の歌をダウンロードして、毎日枕元で聞かせました。

 あまりに熱心なので、

「先生は、Tさんに恋してるんだ」

 スタッフはそうつぶやいていました。

 その後、 日によって起伏はあるものの、 同じような状態が続きました。

 しかし、 長期の寝たきり状態のため両下肢は拘縮をきたしていて、 生活すべてに介助が必要でした。

 やがて高熱を伴う尿路感染症を3回起こし、全身の衰弱をきたしました。そして8月23日に亡くなったのです。

 植物状態の人が話し出したのは単なる偶然か、はたまた神のいたずらか。

 大テ―マの出現です。

 全く話せなかった人が話し出すのを見て、治療薬に何かあるなと私はにらんだのです。

 Tさんに投与した薬を調べてみると、補液や抗生剤、ビタミン剤を含めて、13種類ありました。

 さらに保管庫に行ってカルテを調べました。当病院の入院患者で過去に脳梗塞を起こした人を調べてみたのです。すると 20人余りの患者さんがいました。

 その時の治療法を書き出してみると、グリセオール、シチコリンのみの投与で、ソルコーテフ(ステロイド剤)を投与した例はありません。

 そこで、13種類の薬のうちでも、グリセオール、シチコリン、ソルコーテフの3剤に注目し、それ以後、同じような意識障害をきたした患者さんに、この3剤治療を行ってみたのです。

 10人近い患者さんに投与しましたが、一人を除いて全ての人に、発語機能(話す機能)に改善が見られました。効果が見られなかったこの一人は、発症して13年の若年性ADの患者さんで、完全な植物状態の人でした。

 私が今勤める病院の患者さんは、多くが重度の認知症です。なので治療効果の判定には難渋します。

 というのも、重度の認知症患者さんが脳梗塞を合併すると、それ自体が致命傷になってしまうからです。よしんば救命できても、多くに重い後遺症が残り、廃人になってしまうことも多々あるのです。

 軽症の認知症患者さんにこれらの薬剤投与を行えば、もっとはっきりした結果が出ると期待しています。

 もっか認知症に有効な治療法がない現状において、最前線にある病院にとっては、この私の経験は朗報になるだろうと思っています。




2020年8月1日 ステロイド剤は妙薬

 この6月にオックスフォード大学は、新型コロナの重篤患者の3分の1が、ステロイド剤「デキサメタゾン」の投与により救命されたと発表しました。

 私はステロイド剤を治療に愛用しています。そこで少々専門的になりますが、ステロイド剤の使用経験を書いてみます。

 私が医師になった1970年代は、ステロイド剤があまりに汎用されたため、副作用、例えば高血糖、免疫低下などが問題視され、安易なその使用に警鐘が鳴らされた時代です。

 先輩から、ステロイド剤の危険性を口すっぱく教えられたために、ステロイド剤拒否の治療観を私は持っていました。

 ところが臨床でその優れた効果を経験するたびに、抵抗はなくなっていきました。

 実例を書いてみます。

 ホスピス医療をやっていた時の事です。救急で来院した瀕死の方(終末期乳がん)が、ステロイド剤(リンデロン2mg)とモルヒネを皮下注射した数時間後に、ニコニコ笑ってラジオを聞いている姿には驚愕しました。

 脳炎疑い(高熱と意識障害)の患者さんは、髄液検査の結果の出る前に、抗生物質とソルコーテフ(ステロイド剤)500mgの静注を行い、翌朝、意識は正常になっていました。

 高度の認知障害のあるおばあさんが肺炎で入院し、抗生物質にステロイドを混ぜて治療しました。肺炎はすぐ治り、1カ月ほどした頃、認知障害は全く消えてしまいました。

 その他にも数え切れない患者さんにステロイド剤を使いましたが、ほとんどの人が素晴らしい効果を示しました。この病院でも、100人以上の高齢者に使いましたが、効果はあっても副作用は全く見られませんでした。

 長年の経験を通して、私はその効果にある種の法則があることに気付きました。

 ステロイド剤は使い始めて3日もすれば、患者に何らかの反応が出ます。@反応がほとんど見られない場合は、そのまま早々(1週間位)死に至ります。A反応が一時的には見られるが、打ち切るとすぐに減衰する場合は、活力の起伏を繰り返して数カ月後に死に至ります。B反応がすこぶる良好でみるみるうちに回復する場合は、終了しても活力が回復し完全に病気は治癒します。(凧(たこ)揚げの様に似ていることから「ステロイドの凧の法則」と命名)

 この法則を頭に入れておくと、病気の予後が大むね推測でき、家族に病状説明をする時、大変役立ちます。

 ステロイド剤は、料理でいえば「隠し味」のようなものです。他に手立てのない時には、使ってみられることをお勧めします。

 私の使い方を簡記します。

 一番の適応は、肺炎などで39°C以上の高熱が出て敗血症を思わせる時です。抗生物質の点滴ボトルの中に、ソルコーテフ200mgを加え3日間連注します。その後100mgに減らして2〜3日行い1週間未満で終了します。その際にはH2ブロッカー(ファモチジン)を同時に使用します。つい最近重症肺炎の患者さんに、隔週に3クール投与し完治させました。副作用は全くありませんでした。
 
追記:終末期患者の緩和ケアには、リンデロン2mgを経口投与または点滴注射します。倦怠感が取れ食欲も出ます。苦痛にはフェントステープ(フェンタニル)を併用します。

 私が注意している副作用を書いてみます。

@興奮:ステロイド剤は興奮作用があり、これが元気づけをして、生体の回復を早めていると私は思います。

A高血糖:糖尿病、耐糖能障害のある人は特に要注意です。私は血糖が400を超えたらインシュリン使用を考慮しています。

B胃潰瘍:ステロイド剤を長く使用しているとステロイド潰瘍ができてきます。H2ブロッカーを必ず併用します。

C免疫抑制:パルス療法のように高容量のステロイド剤を使うと、1週間でリンパ球が減少し、易感染となります。1クールを1週間未満で終了します。

続く〉




2021年2月1日 激動の2021年 外側から内側に入る 自己変革

 今年2021年は、新型コロナに対する世界政策のために、政治、経済、教育、医療、などが大きく変化していきます。

 私はこれらの現象は、世界が今新しく変わろうとしている産みの苦しみだと思っています。もっと大変なことが今後起きてくるかもしれません。

 そういった外側の世界の変化に対して一喜一憂することなく、自分の内側の世界を見つめようと努力しています。コロナ禍のステイホーム奨励をいいことに、精神修養、(1)瞑想と(2)心のブロック解除に励んでいます。

(1)瞑想 これは、4章不思議系大好き<25-0>『瞑想のすすめ』に書きましたが、加筆修正して再掲します。

 ストレスがたまると脳にある扁桃体が過剰反応し、自律神経系が活性化した状態になります。その結果、心身ともに疲弊し、ストレス性のうつ病などに罹患しやすくなってしまいます。

 扁桃体が過剰反応しないために今すぐできる対処法が次の3つ上げられています。

@定期的な運動

Aコーピング:自分がワクワクするストレス対処法を見つけて使う。宝くじ7億円当たったら?というのもあり。

B瞑想

 ハーバード大学での実験では、瞑想プログラムを始めて8週間後に、身体の不調35%、心の不調40%の改善を見、脳のMRI検査で、扁桃体の5%縮小と海馬の5%増大が認められました。

 さらに最近、瞑想、ヨガ、気功などに、炎症を抑制する効果があるという研究結果も出ています。

 私は認知症予防に毎日数回瞑想をしています。

 オーソドックスな瞑想のやり方は次のようなものです。

1.静かな場所で楽に座る 2.目を閉じて意識を呼吸に向ける 3.自分が何を思うかを一歩下がったところから観てみる 4.何も考えないようにする

 私独自の瞑想法を紹介します。

@姿勢:姿勢は自由。リラックスできる姿勢がいいでしょう。私は寝転んでやります。

A環境:明るさ、音、寒暖、時間など、ストレスの無い環境でやります。

B呼吸:基本的には、鼻で吸って口で吐くといわれていますが、やりやすい呼吸法で構いません。吐ききるまでゆっくり吐きます。

C手順:

1)目をつむると目の前2メートルくらいのところに木目調のスクリーンが出現します。何も見えない人は、暗い視野下方に丘の様な黒い影があることに気付いてください。

2)それをぼんやりと眺めます。

3)呼吸に意識を向けてゆっくり数え、息を吐き出した時に、「いーち」「にー」……とカウントします。(これを数息観という)

4)雑念が出ても放っておき決して深追いはしません。

5)そのまま眺めていると、そこにぼんやりした風景が現れます。例えば夕日に映える雲、青天下の山々、波打つ海岸などの風景です。

6)それを眺めて楽しみます。時には、「綺麗な山々が見えます。どこの山でしょうか」などと解説します。

7)5分ほど眺めていると、青色や黄色の丹光が見えてきます。(丹光とは閉眼で見える光のことで、気功用語)

丹光




8)丹光をしばらく眺めていると、それが炎に変わります。炎は視野の中で広がったり縮んだり、あるいは線香花火のように躍ったりします。私はその青い炎に語りかけ、次第にそれが祈りとなります。

青い炎

 


9)これを瞑想の終着点としています。全経過20分くらいです。

☆瞑想の方法については、「天空の庭先 https://arcangel.jp/spiritual/meditation-and-prayer/way-of-meditation/ 」 が大変参考になります。

(2)心のブロック解除

 心のブロック解除とは、自分自身の成長を妨害している不安・心配・恐怖などの心的なブロックを除去することをいいます。

 こうありたいと思う自分に、そうでない今の自分を変えていく方法です。

 心理学に「自律訓練法」という方法がありますが、それの簡便な方法です。

 自律訓練法は手技も複雑で、時間も30分くらいかかります。((^ω^)⇒3章<21-1>癖(くせ)その3 自律訓練法 を参照してください)

 最も簡単な方法は、イメージで、部屋の天井に付いている電球を交換する方法です。変えたいと思う自分をイメージして今付いている電球を外し、それをゴミ箱に捨てます。そしてこうありたいと思う自分をイメージして新しい電球をポケットから取り出し天井に付け替えます。これだけです。変えたい自分に気付くたびに、すぐこれを行います。 1分くらいでできます。

 具体例を上げます。他人の目を気にしすぎる自分が嫌で変えたいと思ったら、その時の自分をイメージします。例えば体中が目玉ばかりの自分の姿です。そして天井の電球を外しゴミ箱に捨てます。その後にそれを気にしない自分をイメージして新しい電球をポケットから取り出し天井に付け替え、輝くのをイメージします。イメージは自分で描けるものなら何でもかまいません。 しっかりとイメージするのが成功の秘訣です。

 これはどんなことにも利用できます。嫌だと思う性格、嫌な思い出、恐れる自分、後悔している自分など、変えたいものなら何でもオーケーです。 やり方が簡単な割には効果があります。試してみてください。

 私はこの簡単な方法に加えて、もっとしつこい思いには、 気功を利用しています。

 変えたいと思う自分が現れたら、手のひらの氣感で後頭部辺りに感じる自分の「氣」の塊(かたまり)を手でつかみ出して、それをゴミ箱に捨てます。

 こうありたい自分をイメージして手のひらに新しい氣を溜めて、その新しい氣を後頭部に放り込んでいます。

 さらに強い思いの時は、(1)に書いた瞑想中の青い炎の祈りで書き換えています。

 またさらにトラウマのような強い思いは、橋本ドクターがやっているように、人形に私の氣を転写して、それを天賜気功でもらった氣で癒しています。これは説明が長くなりますので、橋本Drご提唱の天賜気功(てんしきこう) HP(http://tenshikikou.from.tv/index.html) を参照してください。





続く〉





2021年8月11日 家族の罪悪感

『人の一生は重荷を負うて遠き道を行くがごとし』

 これは徳川家康の遺訓です。

 すべての人が、それぞれの人生の課題(重荷)を背負って生きています。

 病院ではたくさんの患者さん、その家族と出会います。

 私は患者さんの課題をともに背負って、その人生を完結させて上げられたらと念じながら、病院の日々を過ごします。

 ある日、85歳の認知症の女性患者Tさんが入院しました。

 認知症は中等度で、不安神経症に近い病状でした。

 病院のルールで、入院して2週間が経つと、患者さんの入院生活の様子をキーパーソンに話します。

 キーパーソンは50歳の娘さんでした。

 病状説明はナースセンターの一角にある診察用デスクの前で行います。

 キーパーソンの娘さんが入ってきました。

 入院時もそうでしたがやや暗い表情です。

 入院時検査の結果や入院後の生活の様子を一通り説明しました。

「何かご質問はありませんか」

 そう私が言うと、娘さんはおもむろに語り始めました。

「本来は私が自分で看るべきなのに、病院に入れてしまって……。何か罪悪感のようなものを感じます……

 身の上話をいかにも申し訳なさそうに話されます。

 娘さんは患者Tさんの養女でした。

 小さい頃に両親と死別し、Tさんの養女として育てられたのです。

 Tさんが80歳になるまでは、娘さんはいっしょに暮らして面倒をみていました。

 ところが認知症がだんだんひどくなり、働いている自分では世話することができなくなって、この病院に入院させることになったのです。

 それで罪悪感を感じていたのです。それは当の本人でなくては分からない、複雑な心境なのです。

 一通り話され娘さんが目を落としたその時、ふと私がホールに目をやると、彼女の肩越しに、ちょうどTさん(お母さん)がテーブルの仲間たち数人と笑いながら話しているのが見えました。

 私はそれを指差して、

「あそこを見てください!」

 娘さんは後ろを振りむき、しばらくホールのお母さんを見つめていました。

 私はそこで言いました。

「あんなに楽しそうに笑顔で話しているのですよ。よくご覧になってください。あなたは素晴らしい贈り物をお母さんに上げたのですよ」

 娘さんはだまって聞いていました。

「罪悪感など少しも持つ必要はないと思います。逆にこんなにいいことをしてあげたと自分を褒めてあげてください」

 その言葉を言い終わる頃に、娘さんの顔つきが少し変わるのが分かりました。

 暗い表情が少し和らぎ、穏やかな顔になったのです。

「ありがとうございました。これからもよろしくお願いします」

 そう言われて帰って行かれました。

 それからまた2週間ほどして、お母さんに面会に来られた際、 ぜひ私に話がしたいと娘さんはナースセンターにやって来られました。

 その時の表情は満面の笑顔でした。憑き物が取れた、とでも言えるような軽やかな表情だったのです。

「あの時、話を聞いて心が晴れました」

 本当に嬉しそうに話されます。

「お母さんのケアは私たちに任せて、ご自分の納得できる人生を歩んでください」

 何度も何度もお辞儀して帰って行かれる姿が、目に焼きついています。

 それから娘さんは、働いてお母さんの生活費を稼ぎながら、度々面会に来られていました。

 3年後、娘さんに看取られてTさんは亡くなられました。

 もう一人、罪悪感にさいなまれたキーパーソンがいました。

 50歳の男性です。

 74歳の母親Sさんが重度の認知症になって当院に入院しました。

 キーパーソンはその次男さんで、Sさんの入院後は、週に1回くらい面会に来ていました。

 彼自身も慢性腎疾患の持病を持っており、一般病院に通っています。

 ある時Sさんが、血性の嘔吐をしたので、禁食にして点滴の治療をしました。キーパーソンにその病状説明のために来てもらいました。

 病状説明を終えた後に彼は言いました。

「母親が認知症になり始めた頃、自分は仕事で家を離れていて看てやることができませんでした。

それで母親の病気の発見が遅れて、こんなになってしまったのです。

その自分が許せなくて……

 うつ向いて申し訳なさそうに話されます。

 私は持論をとうとうと語りました。

「この病気は早期発見が難しい病気で、こうなったのはあなたのせいではありません。

そんなに自分を責めることはないですよ。自分も病気を背負っている状況で、こうして毎週面会に来てお母さんを世話してあげているのですよ。

責めるどころか自分を褒めてあげなさい。

いくら過去のことを悔やんでも過去を変えることはできません。いつまでもその過去の出来事に執着するのはやめましょう。それよりも過去の出来事から得た教訓を大切にして、出来事そのものは手放しなさい。今日から新しい一歩むを踏み出すのです」(豆知識)

 話している最中に、

「うわあ、こんな素晴らしい言葉、聞いたことがありません」

 そう叫んだのは、同席した師長さんでした。いたく感動してくれたようです。わが病棟師長さんは感激家(かんげきか)でユニークな人です。(←(ω) 余談です)

 キーパーソンは静かにうなずいて聞いていました。

 それから1カ月ほどして、年1回病院で催される秋祭りに彼は参加してくれました。

 明るい表情で言いました。

「あの時の話、ありがとうございました。今は前向きに考えるよう努力しています」

 すべての人はそれぞれの人生の課題を背負ってそれぞれの道を歩んでいます。徳川家康の遺訓のとおりです。

 私たち医療者は、その課題を完結させて上げるべく、患者さんやその家族に対峙していると思います。

 私はキリスト者として魂の存在を信じています。回診をしながらそれぞれの患者さんの魂に呼びかけます。

「あなたはどうありたいのですか」

豆知識

 手放す方法については、「心のブロック解除」の方法があります。

 心のブロック解除とは、自分自身の成長を妨害している不安・心配・恐怖などの心的なブロックを除去することをいいます。

 こうありたいと思う自分に、そうでない今の自分を変えていく方法で、
心理学の「自律訓練法」の簡便な方法です。

 最も簡単やり方は、イメージで、部屋の天井に付いている電球を交換する方法です。変えたいと思う自分をイメージして今付いている電球を外し、それをゴミ箱に捨てます。そしてこうありたいと思う自分をイメージして新しい電球をポケットから取り出し天井に付け替えます。これだけです。変えたい自分に気付くたびに、すぐこれを行います。 1分くらいでできます。



続く〉




2022年2月21日 その患者さん、私大好きです

 人間誰しも相性というものがあります。簡単に言えば好き嫌いですね。

 ご多分にもれず私にも、人一倍(←いや二倍)強固な、相性の良し悪しがあります。


 医者として仕事をしていると、患者さんとの相性があるのです。

 患者さんもよく承知していて、相性の合わない医者の外来には来ないものです。

 今勤務する病院では、それぞれの患者さんにはケア担当者がつきます。

 うまく人員配置されたもので、みんな上手に患者さんをケアしています。

 うちのスタッフは愛情深い人が多く、患者さんを身内のように大切にします。

「うるさい!あっちへ行け」

 興奮した患者さんがスタッフを怒鳴ります。

「怒鳴るのはいけないでしょう」

 下手するとパンチがとんでくる至近距離に対座して、スタッフがこんこんと諭(さと)します。

「よくぞあんな風に相手出来るなあ」

 感心するばかりです。

 時には私のすこぶる苦手な患者さんがいます。相性が合わないのですね。

 そういう時にスタッフが、

「その患者さん、私大好きです」

というのを聞いて驚嘆します。

「うわー、すごい愛情だ。まいりました」

 人を愛せるというのは、その人の心の度量に関わっています。つまり愛せるだけの愛情があるということですね。

 私の愛読書である『神との対話」1巻164ページには 次のようなことが書いてあります。

┌−−−−−−−−−−
 経験をいちばん直接的に、力強く、純粋に実践できるのが人間関係という場だ。それどころか、ひととの関係なしにはその実践は不可能だ。

 他がなければ、あなたも無だということを覚えておきなさい。自分以外の他との関係があるから、あなたは存在する。それが相対性の世界というものだ。

 このことをはっきりと理解すれば、そしてしっかりと把握すれば、すべての経験を、すべての人間的出会い、とりわけ個人的な人間関係をうれしいと思うようになる。
└−−−−−−−−−−

 現実世界は相対性の世界です。男―女、陽子―電子などの陽と陰、大―小、長―短、熱―冷、ここ―あそこ、わたし―あなた、など、相対するものによって成り立っています。

 人間はこの相対性の世界の中で、自分以外の存在と相対することにより、生活活動をしています。

 その相対する関係の中でも、人間同士の関係つまり人間関係は、家庭、学校、会社、社会などさまざまな所に存在し、最も濃厚で大切な経験の機会を与えてくれるものなのです。

 人間は、この人間関係の中で提供される様々な出来事に対応し、自ら選択、決断することによって自分を表現し、自分自身を創造、成長させていくのです。

 ですから、すべての人や物を愛せる人は、相当の愛情深い人といえるのです。愛情薄い私など、反省しきりの毎日です。この歳になっても、です。

 その反省の時、心のブロック解除法を私は使っています。

 心のブロック解除とは、自分自身の成長を妨害している不安・心配・恐怖などの心的なブロックを除去することをいいます。

 心理学の自律訓練法の簡便な方法です。

 こうありたいと思う自分に、そうでない今の自分を変えていく方法です。

 最も簡単な方法は、イメージで、部屋の天井に付いている電球を交換する方法です。変えたいと思う自分をイメージして今付いている電球を外し、それをゴミ箱に捨てます。そしてこうありたいと思う自分をイメージして新しい電球をポケットから取り出し天井に付け替えます。これだけです。変えたい自分に気付くたびに、すぐこれを行います。

 具体例を上げます。

 他人の目を気にしすぎる自分が嫌で変えたいと思ったら、その時の自分をイメージします。例えば体中が目玉ばかりの自分の姿です。そして天井の電球を外しゴミ箱に捨てます。その後にそれを気にしない自分をイメージして新しい電球をポケットから取り出し天井に付け替え、輝くのをイメージします。イメージは自分で描けるものなら何でもかまいません。

 これはどんなことにも利用できます。

 嫌だと思う性格、嫌な思い出、恐れる自分、後悔している自分など、変えたいものなら何でもオーケーです。大事なことは、しっかりとビフォア・アフターの姿をイメージすることです。

 これが案外効くのですよ。試してみてください。





2022年8月1日 良い思い出作り

「母はこの病院に来て幸せでした」

 お母さんをこの病院で看取った息子さんの言葉です。

 彼のお母さんは80代の認知症で、精神科病院から転院してきました。

 誤嚥性肺炎を繰り返して、その都度、一般病院の内科に移っては、治療を受けていたのです。

 多動が見られ、精神科病院入院中は、完全に拘束されていました。

 息子さんが拘束された母親を見かねて、当院に連れて来たのです。「一切の拘束はしない」というのが当院の基本理念だからです。

 誤嚥をするので点滴で栄養をまかない、いっさい、口からは食べていませんでした。

 入院してから栄養補助食をスプーンで試してみますと、確かに気管に入ってしまいます。 激しくむせるならまだしも、むせないで、SAT( 酸素飽和度)が下がります。嚥下機能だけでなく咳反射も弱っているのです。

 吸引すると、それがほとんど引けてしまいます。

 顔の向きをいろいろ変えてやってみてもダメで、点滴を続けざるを得ませんでした。

 ナースが食事介助する様子を見ながら、私はふと思いました。

 上半身を起こすだけではなく、身体全体を側臥位にしてみたらどうかと思ったのです。

 昔、私は胃内視鏡をやっていました。喉頭(ノド)を内視鏡が通過する時、先端は、中央の気管入口から左右どちらかに寄って食道に入っていくのです。 つまり、 側臥位にすると、気管よりも、 食道の方に入っていくのではないかと思いついたのです。

 45°くらいの半坐位で、かつ左を下にする側臥位にしてみました。

 側臥位で食べさせることなど、みんな初めてです。

 栄養補助食をスプーンで飲ませました。

 するとごっくんと、むせなく飲めたのです。

 ナースが喜んで飛んできました。

「飲めましたよ」

 思わずみんなで万歳をしました。

 それが分かってからというもの、半坐位、左側臥位で飲ませることにしました。

 と言っても、口からだけで十分な栄養を補なうことはできないので、点滴と併用しました。

 本人も飲めると笑顔になります。

 嬉しいのです。

 こちらの言うことに、うなずくようになりました。

 入院の時、心配気に付き添っていたお子さん2人に、その姿を見せて上げようと思いました。

 動画に撮って送りました。

 2人は大喜びでした。

 ちょうどその頃、コロナが流行りだしていたので、面会はできませんでした。

 そこで、笑顔が出て、わずではあってもコミュニケーションのとれる時に、母親との良い思い出を作ってもらいたいと思い立ち、病院にお願いして、特別な面会をセッティングしました。

 ところが、です。

 面会前夜に患者さんは脳梗塞を起こしてしまいました。昏睡状態になったのです。

 治療はすぐしたのですが、意識は戻りませんでした。

 翌朝、午後の面会をくり上げ、すぐ来てもらうことにしました。

 2人にその病状を断腸の思いで説明しました。

 泣いていました。私たちも泣きました。

 その後、2人はお母さんに病室で面会しました。

 呼びかけると手を握り返してくれたと、娘さんは喜んでおられました。

 その3日後に亡くなられました。

 遺体をお見送りする時に、息子さんは、感涙にむせびながら長男としてお礼の挨拶をされました。それが冒頭に書いた言葉です。

「皆さんありがとうございました。母は、 ここに来て幸せでした」

 患者さんと家族に良い思い出を作ってあげることは、私たち医療者の大切な仕事だと、私は思っています。





2023年2月1日 医療はアート

 2023年も色々なことが起きる激動の年となるでしょう。何が起ころうと、自分軸をしっかり保ち、希望を持って歩みましょう。

 ちょうど1年前の2月には、 当院でコロナの院内感染を経験しました。

 その時、「医療は技術であり芸術である」と私は実感しました。

 私の担当する第2病棟(当時総数55人)は、5日間で感染者が50人にのぼりました。

 オミクロン株は確かに感染力が強力であることは間違いありません。

 病院のコロナ対策ルールで、病棟スタッフは1度病棟に入ると、夜、退勤するまでは病棟から出られません。1日中、病棟内で過ごしたのです。

 スタッフ全員が病院で用意されたN95マスクや防護服などを着用して黙々と働いていました。

 防護服は色がブルーなのでひときわ目立ちます。スタッフが患者さんの集まるホールを行き交う光景は、まさに戦場の病院のようでした。

 私は若い頃、タイのカンボジア難民キャンプで診療したことがありますが、その時よりはるかにひっ迫した情景でした。

 師長のてきぱきした指示で、 みんなたんたんと働いていました。

 感染発症から5日目までに、第2病棟スタッフ24人中半数の12人がコロナに感染し、6日間の自宅待機となりました。スタッフの半数が欠勤となったのです。

 半数が欠勤となると、病棟は回らなくなります。他の病棟からスタッフの応援をもらいました。

 医者の私は重症化しそうな患者の治療が主な仕事でした。重症の患者は少ないのでその治療をすればあとは医者の仕事はありません。

 といってもスタッフたちは病棟を走り回っています。私は少しでも手伝おうと、時間があれば電話番をやったり、処方箋などを運ぶ運搬係をやりました。

 それをやりながら、私はスタッフたちの行動を見ていました。

 自分も感染するかもしれない状況下で、黙々と師長の指示に従って患者のケアをしている姿は、美しくもあり、神々(こうごう)しくもありました。

 「医療はアート(芸術)である」といわれます。真摯に生命と向き合う姿はまさにア―卜であり美しいと私には映ったのです。

 医療技術と愛情が一つになると、医療は芸術の域に達すると私は思います。医療者はそこに到達するのを目標にしたいものです。

 今年もそれを目標に頑張ろうと思っています。




2023年8月1日 食べることは生きること

 私は大学時代に、精神修養と称して1週間断食を2回やったことがあります。

 聖書に「人はパンのみにて生きるにあらず」とあるからです。

 1
週間、水のみで生活すると腹は減りますね。(当たり前)

 その時、悟ったのは、「人はパンのみにて……」ではなく、残念ながら「腹が減っては戦ができぬ」でした。(トホホ)

 食べるということは生きることの基本であり、生きる喜びの基本です。

「何なら食べられるか」

「どうしたら食べられるか」

 日々の診療で、これを私は大切にしています。

 つまり、食べられるようにすることを、診療の目標にしているのです。

 食欲が回復すると、病気もそれにつれて回復します。

 一
例を上げてみます。

 85歳の女性です。

 原病は統合失調症で、それに認知症が加わり、薬も食事も全て拒否して、吐き出してしまいます。

 一般病院では点滴以外なすすべなしとして、点滴をしながら当院に入院しました。

 当初、このような患者を当院で看られるかどうか議論しました。

 点滴は末梢からですから、早々(そうそう)に血管が駄目になり、そんなに長くは点滴はもちません。

 このままなら、点滴が入らなくなった時点で、この人の命はなくなるのです。

 そういうタイムリミットのある状況で、どうやって食べさせるかをみんなで考えました。

 統合失調症で、食べ物に毒が入っていると思い込む被毒妄想があると、意図的にすべてを吐き出してしまうのです。

 どうしようもありません。

 そこで、精神科のドクターがセレネースを1アンプル筋注することにしました。

 統合失調症の被毒妄想を少しでも軽くして、拒食を軽減しようとしたのです。

 それが少し奏功しました。

 すぐに吐き出したり、口をつぐんでしまったりして完全に拒絶するのではなく、少しは口の中に入れるようになったのです。

 ところがです。

 歯が左の奥歯のみしかありません。なかなか物を噛み砕くことができません。

 栄養補助食を与えますが、甘いものが嫌いで、舌で押し出してしまいます。

 好き嫌いが激しいのです。

 いろいろな物を試しました。

 ナースが自分のポケットマネーで、せんべい、饅頭(まんじゅう)、おかきなどを買ってきて与えてみました。

 なぜそんなお菓子を買ってきたかとナースに聞いたら、ある時ひとこと患者さんが、

「おかき」

と叫んだそうです。

 それを聞いて、そういう類のものなら食べるかと思い、買ってきてくれたのです。

 いろんな菓子類を試しました。

 床頭台の上や引き出しの中には、お菓子の袋がたくさんありました。

 その中で、ヒットしたのが、

「かっぱえびせん」

だったのです。

 これを左の奥歯の方に押し入れると、カリカリと噛んで食べるのです。

 いちどきに50本食べました。最高記録は63本です。

 私もやってみました。30本くらい一気に食べました。

 10本くらい食べると、少し口が乾きます。そこに栄養補助剤を注入するのです。

 テレビのコマーシャルで、

「食べだしたら止まらない、かっぱえびせん」

 これは本当ですね。

 患者さんの食事摂取表には、かっぱえびせん30本、アミノプラス(栄養補助剤)1本というように、毎日書いてありました。

 かっぱえびせんで、生きることができたのです。

 残念ながら3か月後、誤嚥性肺炎を起こして亡くなられました。

 何なら食べられるかを根気よく探した一例でした。




2024年2月1日 認知症のホスピスケア


 私は現在、認知症専門の精神科病院(S病院)に内科医として勤務しています。

 1990年代私は、関東初のホスピス病棟(緩和ケア病棟)を2か所に造りました。

 当時、日本のホスピス病棟数は、全国に10か所に満たない状況でした。(今は400か所余りあります。)

 そして今は、認知症のホスピスを自認するこのS病院で働いています。

 当病院では昨年(2023年)7月から、2006年のオープン以来といえる業務の見直しを行なっています。患者さんのQOL(生活の質)向上を図るのが目的です。

 そこで認知症のホスピスケア(緩和ケア)について、私の経験したところを述べてみます。

 ホスピスケアの特徴は、@「人間の尊厳」を大切にする、A苦痛などの症状を緩和する、BQOL(生活の質)を大切にする、があげられます。

@ 「人間の尊厳」を大切にする

 ホスピスの先駆者山崎章郎医師は、「患者の自立を支え、尊厳を守る事が、ホスピスケアの基本である」と述べています。

 たとえ認知症となって知的機能が障害されても、何ら「人間の尊厳」が毀損されることはありません。

 そういう認識を私たちは持っていなければなりません。

A 症状を緩和する

 不穏や徘徊、うつなどの認知症の周辺症状は、精神科的に緩和します。

 さらに入院生活で、転倒して骨折したり、食事の誤嚥で肺炎を起こしたりすれば、内科的、外科的に治療します。

 臨床検査は、症状緩和に役立つものをやることが得策です。

 入院時には、すべてのベースとなりますから、血液尿検査から、頭部CT、レントゲン検査、心電図をとります。

 入院中の検査については、症状を緩和するのに役立つ時のみ検査をし、過剰な検査は避けます。

 認知症が高度に進行すると、終末期に入ります。終末期は、@コミニュケーションがまったく成立しなくなったとき、A食事の経口摂取がまったくできなくなった時をいっています。

 終末期では、なるべく自然の生命力を大切にし、無理な延命を避けることがベターと考えられています。

 死に行く時の苦しみが非常に強い時には、モルヒネを使うこともあります。

BQOLを大切にする

 QOLは、quality of life(生活の質)の略です。「QOLを大切にする」は、延命という生命の量的な側面より、質的なものを大切にしようというものです。

 ホスピスケアの主たる目的はここにあります。この度の業務見直しも、このQOL向上に目標があります。

 そのためには、限られたマンパワーと時間をいかに適正に配分するかが鍵となります。

 以前から、診療の記録に要する手間や時間が多大であることが指摘されています。

 なるべくそれらを簡素化して、その分を患者さんのケアに回すのが得策です。

 例えば今回の見直しでは、バイタルは毎日測りますが、異常のないときは体温表(記録紙)に記載しないことにしました。週1回のみ記載します。

 法律的に、体温表に毎日記載しなければならないという規定はないのです。

 もちろん異常があったときには、きちんと記載します。

 これは私の長い医療経験の中でも初めての試みです。

 最初のうちはおっかなびっくりでしたが、いざやってみると全く支障がないことが分かりました。

 認知症患者さんのQOLを知ることは難しい課題です。しっかり観察しないとサポートはできません。

 リハビリ室やホールでは、作業療法や月例の誕生会、スタッフが考案したゲームなどを、みんなでやっています。

 毎日午後には、各病棟が順番に、1階ホールに出向いておやつタイムを持っています。

 いろいろ工夫を凝らして、楽しい生活の場となるように努力しています。

 適切なホスピスケアを実現するには、キュア(治療)とケア(看護・介護)が、並列でなければなりません。

 一般病院の治療病棟は、トップにいる医師の指示のもとにケアが動くというピラミッド型です。ホスピス病棟はケアが中心ですから、キュアとケアの合意で行う並列型が大切だと私は考えています。

 この度の業務見直しは、今までどこもやったことがない医療の挑戦です。職員全員で知恵を出し合って、実りあるものにしたいと思っています。

続く〉


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