広葉樹(白)      


私には、夢があります。
がん以外の病気の人々にも
入院できるホスピスを造る夢があります。


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伊能 言天(いのう げんてん)

1948年生 医師
金沢大学医学部卒業・東京慈恵会医科大学大学院中退
市立病院外科医長・私立病院副院長・病院長など歴任

2006年 3月 6日 お知らせします
2006年 3月13日 ホスピスと認知症
2006年 6月19日  認知症とガン
2006年 9月11日 重病をもつ認知症患者
2006年11月 6日 入院事情
2006年12月18日 人間の尊厳
2007年 2月 4日 認知症のホスピス 
2007年 3月 1日 帰れる人、帰れない人
2007年 4月 1日 拘束ゼロ宣言  
2007年 5月 6日 いのちの意味論    
2007年 6月 3日 認知症の治療   
2007年 7月 2日 わが父の介護小日誌 その1 
2007年 8月 5日 わが父の介護小日誌 その2  
2007年 9月 2日 今を生きる  
2007年10月 7日 命はだれのもの  
2007年11月 4日 認知症病院はホスピスそのものだ  
2007年12月 3日 延命と費用 
2008年 2月10日 ホスピスケアの原則  
2008年 8月12日 ターミナルケア    
2008年11月 9日 認知症とナース    
2009年 2月 8日 パーソンセンタードケア   
2009年 6月 9日 本人の意思    
2009年 8月 9日 これからの日本の認知症ケア    
2009年10月 4日 認知症もいいものですね    
2010年 1月 1日 秋祭り     
2010年 2月 1日 認知症患者のターミナルケア  
2010年 4月 1日 KYT評価   
2010年10月 4日 認知症ケアはこれからの社会課題  
2011年 3月 3日 6年目の課題   
2011年 5月 5日 抗アレルギー剤の作用と思われる興味ある経過をたどった患者さん   
2011年 8月 3日 患者のQOL評価   
2011年12月12日 勉強会    
2012年 5月 1日 がんのホスピスに学ぶ  
2012年 8月 2日 拘束ゼロへの挑戦  
2013年 2月 1日 夢・希望は心の糧
2013年 8月 2日 笑顔の大切さ  
2014年 2月 3日 マザー・テレサに学ぶ  
2014年 8月 1日 キュアとケア 
2015年 2月 4日 その人らしい「いのち」をサポートする 
2015年 9月 5日 『ターミナルケアにおける看取り』 
2016年 2月 6日 世界で一番恐ろしい病気は孤独です 
2016年 8月 3日 キラーストレス 
2017年 2月 6日 ホスピスケアの原則  キュアとケアの並列 
2017年 8月 8日 瞑想のすすめ 
2018年 3月25日 身体拘束をしない病院 
2018年 8月25日 『拘束ゼロ』は信じられなかった 
2019年 2月 1日 「健康的な食事」のすすめ  


2006年3月6日 お知らせします 

 当ホームページの副題が、《がんとホスピス》から、《ホスピスと認知症》に、変更になりました。

 その理由は、管理者の1人である、私・伊能が、認知症専門の病院に赴任したのを契機に、がん以外の病気の人々にも入院できるホスピスを目指したいと、考えるようになったからです。

 長年、ホスピス医療をやってこられた、山崎章郎先生も、朝日新聞のコラムで、ホスピスケアとは何かと問われれば、「自力だけでは自立することや、自分の尊厳を守ることが、難しくなってしまった人々の、自立を支え、尊厳を守り、共に生きることと言いたい。(中略)それらは、がんであろうがなかろうが、死が近かろうが、遠かろうが、等しく言える」(朝日新聞2006年3月6日)と、述べておられます。


2006年3月13日 ホスピスと認知症 

 がん患者さんのホスピスは、2006年3月現在で、全国に65カ所開設されており(資料:日本ホスピス緩和ケア協会)、年々充実してきています。
 今日、社会的にも、医療的にも、放置されているのが、認知症の患者さんといえます。これは、日本で急速に高齢化が進んだ結果起きた、社会現象といえます。

 西洋では、65才以上の人の倍化年数は、50年から100年を要しています。一方、日本では、24年と短期間に、高齢化が起きたのです。
 すなわち、65歳以上人口の割合が7%から倍の14%に達した所要年数(倍化年数)をみますと、スウェーデンでは85年、イギリスは46年、フランスでは116年を要しているのに対し、我が国の場合、昭和45年(1970年)の7.1%から平成6年(1994年)には14.1%となり、所要年数はわずか24年となっています(資料:国立社会保障・人口問題研究所)。
 このように急速に高齢化が進んだために、社会基盤が、それに追いつかず、その対策に手が回らないというところが、実情です。

 ホスピスケアを必要とする人々は、がんの患者さんだけではないことは、前述したとおりです。
 前の病院で、リューマチを長く患っている、高齢の女性がいました。リューマチのため、手指は変形して、自分で、箸も持つことはできません。さらに、病気は進行して、頚椎にも及びました。頚椎が激しく変形してしまい、頸髄が圧迫され手足は、麻痺してしまったのです。
 残されたのは、首から上の機能だけです。それでも彼女は、笑顔を失いませんでした。私が回診するたびに、「こんなになっちゃいました」と、わずかに動く手を私に見せます。私は無言でその手をさすりながら、お茶を飲みますかと、吸い飲みを口に持っていきました。彼女は、数口それを飲むと、笑顔で、「ありがとうございます」と、答えました。
 帰り際に、彼女のラジオのスイッチを入れて、放送局の、ダイアルを合わせ、枕元に、置いてあげるのが私の日課でした。彼女はそれさえも自分ではできなかったのです。「ああこれはホスピスケアだなあ」と、私はいつも思いながら、退室していました。

 認知症病棟の現場に入ってみますと、本人、家族がどれほど苦労されているかが、分かります。合併症を反復して、しかも3カ月間という入院期限に縛られ、18回も転院した患者さんがいました。本人以上に家族は、親身になればなるほど心労が激しく、介護のために、家族が倒れ、時には介護する娘さんが結婚することもできないという事例も知っています。

 認知症の患者さんと、がんの終末期の患者さんとの大きな違いは、前者は、死が目前に迫っていないこと、病気による苦痛が本人には少ないこと(他人にはそう見えるだけかも知れません)、その分、家族の心労は計り知れないことです。

 山崎先生も言っておられますように、1番大切なのは、人間の尊厳性ということだと思います。それは、がんであろうがなかろうが、死が近かろうが遠かろうがいえることなのです。


2006年6月19日 認知症とガン 

 認知症の患者さんを治療していますと、他の重篤な病気を持つ人に、多く遭遇します。認知症は頭の病気ですから、他の器官の病気があっても、全く不思議はありません。認知症が先か、他の病気が先かが、分からないこともしばしばです。すなわち、認知症が前からあり、それに、普通の人がかかるように、他の病気例えば、ガンになったり、心臓病になったりする人もあれば、ガンなどの病気があり、長期的に観察しているうちに、認知障害が出てきてしまう人もいます。

 認知障害が出てくると、一般の病院では、そのケアをする設備、スタッフの数などが足りず、ガンの治療は中断され、他の施設に転院することを余儀なくされることが、多いと思われます。

 朝日新聞の生活面、「患者を生きる」に、認知症の人でガンを発症した人の苦労談が、シリーズで載っています。(2006年6月13日〜6月18日)

 認知症が元からあったり、治療中に認知障害が出たりすると、退院させられてしまいますが、病院側からすれば、治療のできない人を入院させておくだけのゆとりは、今の医療制度下ではないのです。

 私の勤務する病棟には、そういった人が、たくさんいます。末期のガンで認知症があるために、病院を退院させられた人、末期の腎不全で認知症があるために、退院させられた人など、枚挙にいとまがありません。

 そういう人たちは、もちろん、専門的治療が必要なわけですから、当院に入院したまま、専門病院の外来に通院したり、時には転院したりして治療してもらっています。

 現代の高齢社会では、認知症を抜きにして、高齢者の病気を語れない時代に入っているような気がします。社会的ニーズが、そこにあるように思えてなりません。

 ガンなどの病気持ちの認知症の人をケアできる病院、それを目指したい気持ちでいっぱいです。


2006年9月11日 重病をもつ認知症患者 

 私の感触では、普通の病気、例えば、がんや心臓病、腎臓病の入院治療中に、認知障害が出てきた人は、治(なお)るといいましょうか、治(おさ)まるといいましょうか、そういう人が多いように思います。

 それに、そのような患者さんの家族は、治ることに大きな期待をもっていることが分かりました。それはそうでしょう。違う病気で入院治療しているあいだに、認知障害が急に出てきて、別人のようになってしまったのですから、家族にとっては、驚きであり、容易に受け入れられるものではありません。両方の病気とも治ってほしいという家族の期待は、よく理解できます。

 この半年で、私の受け持った患者さんで、2人の人が退院しました。1人は脳梗塞で、もう1人は、急性膵炎の人です。二人とも、他の病院で治療中に、認知障害が強くなった人達です。

 脳梗塞の人は、元気の頃と、まったく変わりないまでに回復しました。膵炎の人は、軽い障害はありますが、試験外泊を繰り返した結果、在宅ケアが可能と判断された人です。

 なんどもなんども、頭を下げて、お礼を言いながら、退院していかれる後ろ姿を見送りながら、私の心は、歓喜に高鳴りました。

 高齢社会になって認知症が増えるということは、認知症のみの患者ばかりではなく、普通の病気を持つ人が、認知症を発症してくる事例も増えるということです。

 ところが、今の、介護保険システムでは、包括払い、すなわち、「まるめ」のため、認知症だけに保険はきいて、普通の病気のほうには、保険がききません。治療すればするだけ、病院の負担になってしまいます。せっかく治療して良くなったとしても、病院側の負担は重く、経営を圧迫してしまいます。

 はっきり言って、病院にとっては、こういう患者さんは、歓迎せざる人たちなのです。

 かくして、重病をもつ認知症の患者さんは、一般病院、介護老人保健施設、特別養護老人ホームなど、どこに行っても門前払いされて、介護難民となっているのが実情です。

 認知症患者の医療対策は、普通の病気を持つ認知症の患者に対しても、配慮する必要があるのです。
 これを、国(厚労省)に訴えていく必要があるのです。


2006年11月6日 入院事情

 今年2月から10ヶ月間ばかり、認知症の患者を診てきましたが、その経験から得られたものがあります。

 認知症は今のところ、脳血管性、アルツハイマー型、レビー小体型などのように、病因で分類されてはいますが、これは臨床現場では、さほどプラスにはなりません。ただし、レビー小体型認知症については、その進行があまりにも早いので、家族も、医療者も、その急激な変化に驚くとともに、家族がそれを受容できないという問題が起きることは、留意しておくべき点です。

 臨床上、問題になるのは、認知症という病気そのものというより、その病気が引き起こす、社会現象です。それは、認知症の患者がどのような理由で入院してくるかという、入院理由を見ると、ある程度分かります。

 まず本人が意図して入院することはほとんどありません。家族が意図して、本人も同意するという場合がほとんどです。
 そこで当院に入院してこられた患者さんの、入院の経緯について分析してみました。

その1 認知症がひどいため、家庭で看ることができなくなって、入院となったケース

 これは、一番多いパターンです。長年にわたる介護に家族が疲れはて、ひどい場合には、そのストレスによって、介護者が病気になってしまい、共倒れ寸前の状態で、入院されるケースです。

 こういうケースでは、ほとんどの場合、適切な治療さえすれば、両者とも、改善します。家族に、しばらく休養する時間を与えてあげれば、新しい前向きな展開が、期待されます。

その2 現在、他の病院に入院しているが、長期入院できず、長期入院を希望してくるケース

 このケースには、二通りがあります。
 一つ目は、一般の精神科病院に入院していて、認知症の急性症状、例えば、不安、不穏、暴力行為などが、精神科的にコントロールできたため、より実生活に近い入院環境で、過ごさせたいと、家族が希望してくる、あるいはその精神科病院に、転院を薦められて、入院するケースです。

 認知症の患者さんも、あまりにその症状が激しい場合、例えば、他人への暴力行為、器物を破壊するような不隠状態は、精神科病院の急性病棟で、拘束下に治療しなければならないこともあります。

 特に、既往に、統合失調症などの精神科疾患のあるような人が、認知症を併発したりすると、このようなことが多くみられるようです。

 当院では、「拘束ゼロ」をうたっています。しかもさまざまな工夫をして、それを実現しています。唯一の拘束は、家族の同意をもらって行う、つなぎ服の着用のみです。

 二つ目は、他の重病のために入院していた患者さんが、入院という環境の変化などによって、認知障害を急激に発症するケースです。これは、高齢者であればよく見られることです。

 肺炎で入院し治療を受けているうちに、認知障害が出てきてしまい、点滴を自己抜去したり、徘徊したり、時には、勝手に病院から外出してしまい、警察沙汰になったりすることもあります。

 このような患者さんは、最初の病院では、治療および安全のために、患者さんの身体を拘束することが普通です。病気はある程度治癒したが、認知障害がコントロールされず、家にも帰れないし、そのまま入院を続けるわけにもいかないというケースです。向精神薬を適切に使い、見守りのしっかりした環境下にあれば、この患者さんは認知障害を発症したスピードと同じくらいの速さで、改善してきます。

その3 認知症は軽度で、近隣に適当な施設がないため、施設が見つかるまでの一時期、入院するケース

 この人たちは、相応の介護施設が見つかれば、退院されます。

 私たちの、仲間情報によると、介護施設は、数量的だけからすると、決して不足してはいないようです。その施設に適した優良(?)な患者を、施設側が選んでいるために、なかなか行き先が見つからないのが現状のようです。なるべく、健康で、薬など余分な持ち出し費用がかからず、しかも手間のかからない、そういう患者は、施設にとっては、優良な患者なのです。施設の厳しい経営を考えれば、あながち非難はできません。

その4 他の施設や病院にいられなくなったため、入院してくるケース

 他の施設に入院、入所していたが、対人関係などその環境になじめず、入院してくるケースです。

 入所者仲間に、暴力をふるって退所を余儀なくされた、ケースもあります。

 病院の慢性病棟で、介護の手が少ないため、放置されていたり、ベッドに身体拘束されていて、その惨状を家族が見るに見かねて、転院してくるケースもあります。

 保険財政がひっ迫すればするほど、この様な現象はさらに増加してくるでしょう。

その5 患者が、独居生活のために入院するケース

 認知症は軽度で、誰か世話をする人が回りにいれば、入院せずに済むケースです。しかし、ヘルパーさんの時間限定のサービスだけでは不充分で、24時間の、他人の目が必要なケースです。

 勤め先などの社会的事情で、子供と同居できないとか、家族関係がうまくいっていないなどの家庭理由で、独居生活を余儀なくされているのです。その人の認知症が次第にひどくなると、夜昼かまわず訪問される近所の人たちが悲鳴をあげ、入院させるケースです。

 認知症という病気を抱える患者さんには、このような、さまざまな個別的事情があります。それはその人が生きてきた人生の縮図であるかのように見えます。

 認知症は、医学的側面と、社会学的側面からアプローチしなければならない病気と考える、今日このごろです。

 今後さらに爆発的に増加するだろうことを予想すると、その対策は、刻下の急務です。私も気を引き締めて、毎日試行錯誤しながら、挑戦しています。


2006年12月18日 人間の尊厳 

 1980年代に、日本では、末期がん患者のための施設、ホスピスが、造られるようになりました。

 それ以前には、治療の余地がないと判定されると、とたんに、医師の関心が薄れ、末期がん患者は病院の片隅に、追いやられてしまっていました。それを“病院のゴミ箱に捨てられた”と形容されていたのです。

 治すだけが医療ではないと、医療の先達が、これらの患者に救いの手を差しのべました。それは、患者の人権運動だったのです。末期であろうと、人間の尊厳性は、何人も変わりありません。がんは治せなくても、痛みなどの症状をコントロールする医療のニーズはあったのです。
 今や日本に、100を越える数の、ホスピスが造られています。

 認知症の患者さんを診ていますと、それと同じ歴史をたどっているような感じがします。たとえ認知障害があろうと、人間の尊厳性は、認知症患者も健常者と変わりありません。しかも、認知障害は治せないとしても、徘徊や不穏などの、周辺症状はコントロールできます。周辺症状がコントロールされれば、大部分の人々は、穏やかに、社会の一員、あるいは、施設の一員として、人間らしい生活を送ることができるのです。

 がんの根治療法が進歩してきたように、認知症の根治療法も、現在研究されています。それほど遠くない将来に、認知症も、治るときがくるでしょう。

 その時までは、がん医療がたどった道と同じように、予防する、進行させない、周辺症状をコントロールする、という療法が中心となります。


2007年2月4日 認知症のホスピス 

 末期がんや、高度の心不全、腎不全などの重病を抱えた人で、認知症におちいってしまった人たちは、今の医療システムでは、行く場がほとんどありません。

 その惨状は、こういった現場にいますと、切実に感じます。家族は、まさにすがるような思いで、今すぐにでもといって、入院を希望してくるのです。

 重病の治療には、治療専門病院にかかる必要があります。しかし認知症があるために、病院からは、敬遠されてしまいます。よしんば、病院が治療を引き受けてくれても、患者本人が拒否したり、通院がままならなかったりで、治療が成立しません。

 病気が認知症だけであれば、軽症の人は介護施設、重症の人は精神科病院で、介護や治療を受けることができます。しかしそれに重病がともないますと、両方の施設ともお手上げです。それだけの、治療設備や技術がないからです。

 このような患者さんは、ほとんど受け入れてくれるところがありません。先日、当院に入院している患者さんが、向精神薬の治療により、不隠などの症状が落ち着いたため、他の軽費介護施設に転院する話が出ました。そのために、転院先施設の調査員が来られました。

 この患者さんは、軽い喘息持ちで、時々、夜中に発作を起こします。喘息の治療薬も、少し服用しています。発作は吸入ですぐ治まるのですが、調査員はその話を聞いただけで、入院をキャンセルしてしまいました。

 重病をもつ認知症患者さんには、ホスピス的発想が必要です。ホスピスの基本姿勢は、症状コントロールとQOL(生活の質)の向上だと、ホスピスにたずさわった自らの経験から私は考えています。

 重病をもつ認知症患者さん、例えば、心不全、腎不全の末期状態の患者さんの場合、認知症の治療と同時に、その病気から出てくる、浮腫、呼吸苦などの症状を薬でコントロールします。そしてなるべく穏やかな生活を過ごせるように、QOLの向上を図るのです。

 これはまさに、ホスピスケア以外の何ものでもありません。
 それを今、実践しています。費用は病院もちです。モルヒネなどの高額な薬代だけは、自己負担してもらっています。

 願わくば、厚労省認可のホスピス並みとはいいませんから、診療報酬をもう少しアップしてほしいものです。そうすれば、重病をもつ認知症患者さんにとって、大いなる福音となることは間違いありません。


2007年3月1日 帰れる人、帰れない人 

 ここでいう、帰れるという意味は、退院して、自宅に戻れることをいいます。それが出来ないことを帰れないといいます。

 帰れない人はどういう人かをみれば、帰れる人はおのずから分かりますので、帰れない人について書いてみます。

 その1 認知症が高度すぎて、在宅では介護が無理な人

 この人は病気が重いのですから、当然のことです。長期的な入院が必要となります。

 その2 独り身の人

 もともと、独居であった人で、しかも、身寄りのない人は、たとえ認知症は軽快し、個人の心身機能としては在宅が可能と思われても、独居するのは無理で、帰れないことが、多くあります。

 認知症のない人の独居の場合は、近所の人やヘルパーなど介護してくれる人、時々でも、面倒見てくれる血縁者など、周囲の人たちが支えてくれる場合は、相当、体の衰弱が進むまでは、独居が可能なことは多くあります。

 しかし、認知症になった場合は、たとえ軽快しても、独居は無理りで、独居あるいは孤独は、すぐに認知症を悪化させてしまいます。

 自宅に退院して、3日目にして認知症が悪化し、2カ月くらいで再入院した人も、このような周辺事情がありました。

 日ごろから、周囲の人々と、仲良く付き合っていくことが大切で、人は独りで生きているのではない、ということがよく分かります。

 その3 家族が引き取らない人

 このケースには2通りがあります。

 1つ目は、家族が、入院前に認知症患者から受けた心的外傷(トラウマ)が強く、引き取ることができないケースです。

 認知症患者の多くは、言いやすい、当たりやすいということがあるのでしょうが、いっしょに住んでいる家族に、暴言暴力を頻繁に繰り返します。あることないことを言って嫁をいじめる、嫁いびり、自分がどこにしまったかを忘れたのに、お前が盗んだと叱責するという、物盗られ妄想などが良い例です。

 こういう認知症の異常行動に、永くさらされると、家族自身が神経症になったり、うつ状態になったりして、神経科に通院しているケースはたくさんあります。

 そういう人たちは、当然のことですが、そのトラウマから簡単には解放されません。いくら患者の症状は軽快したからといっても、再び同じ状況が起きてしまうという不安から、患者を受け入れることができないのです。

 2つ目は、家族との折り合いがうまくいかず、帰れない人がいます。

 入院する前には、軽度の認知障害がありましたが、向精神薬によって落ち着き、長谷川式認知症スケールでも20台でした。入院中の態度、精神療法、作業療法を、観察していても、全く帰っても支障のない人なのですが、時々訪れる家族の、患者に対する言葉使いや、態度を見ていると、何かうまくいっていないなという感触を、私たちは感じました。そういう場合、無理に帰すことはせず、機が熟すのを待つのが、得策かと思っています。

 また、介護する手が足りないために、帰れない人もいます。患者の認知症は軽く見守りの介護さえあれば在宅で過ごせるのですが、同居者は会社勤めで不在であったり、病弱であったりして、介護する力がないのです。

帰れる人

 帰れる人は、患者の認知症の程度以上に、家族の理解と介護力のあることに尽きます。

 入院中の、家族の熱心さを見れば、将来、患者さんが自宅に帰れるかどうかが分かります。

 家族が、頻繁に患者を見舞ったり、外泊に連れていったりするその熱心さは、家族が介護力を有することを物語っています。

 私が受け持った患者さんで、自宅に帰ることができ、しかも、その後もうまくいっている人は、家族が、熱心で介護力を持っている人でした。患者さんの認知症は、軽度の人から、中等度の人もいました。

 例えば、病気も、認知症の程度も、ほとんど同じで、自宅に帰れた人と帰れない人がいます。病気は脳梗塞後遺症で、それに1時的に認知症が加わりました。入院治療で、それはほとんど軽快しましたが、2人の行く末は異なりました。

 帰れた人は、その奥さんや、子供たちが熱心で、介護力もあり、患者との折り合いが、うまくいっていました。

 帰れない人は、入院前に、わがままな生活態度で、家族が疲労困憊していたため、折り合いはあまり良くなく、「退院できるほど、しっかりさせなくてもよい」という希望が家族からありました。


2007年4月1日 拘束ゼロ宣言 

 拘束ゼロとは、患者の身体拘束を、いかなる時にも、行わないということです。

 認知症の患者さんは、身体機能が、重度に障害されていない限り、自由に行動します。運動を制御する脳の機能は保たれていますから、当然のことです。

 健常な人は、行動する目的や方法などの、高次の機能が、それを制御していますから、問題は起きません。

 認知症の人は、高次機能が障害されていますので、はたから見れば、意味のない行動、(本人にとってみれば、意味があります)をとります。

 典型な例は、徘徊です。入院してから、廊下を1日中、行ったり来たり歩き回り、時には、他人の部屋の中に入って、ベッドの中で寝たりします。

 夜中にこれが起きると大変です。ケアする職員が少ないために、マンツーマンでその徘徊に、付き添ったり、観察したりすることはできません。他人の部屋に入って、その人の枕元に立っていたりすると、軽度の認知症の人なら、びっくりしてしまいます。

 当院では、拘束は一切行っていません。ただ、ばんやむおえないときに、つなぎ服の着用と、点滴するとき腕を固定する拘束のみ、家族の同意をもらい行っています。

 つなぎ服の着用は、オムツをしている患者さんにすることがあります。オムツに手を入れて、排泄物をいじるからではありません。オムツを引きちぎって、食べてしまう、異食行動があるからです。オムツが喉や腸に詰まったら、生命に関わる大変なことになりますので、それを防ぐために、異食行動のある人だけにはそうしているのです。

 点滴をする場合、じっとしていられる人は、観察を強化し、時にはそばに付き添って行います。それでほとんどの人が、点滴を受けられます。しかし、これまた異所行動のある人は、点滴の針を抜いて、それを食べてしまったりするのです。これは、抜針による出血の危険もさることながら、飲み込んだ針が消化管に刺されば危険です。

 この2点以外の拘束は一切行っていません。

 私は、赴任した当初は、拘束ゼロを信じられませんでした。過去に、急性病棟に併設された、療養型の病棟に出入りしたことはありましたから、その実情は、少なからず知っていました。そこでは多くの人が、寝たきりの状態でした。それでも、拘束ゼロはあり得ないことでした。

 ましてや、歩行できたり、車椅子で動ける認知症の人に、拘束ゼロを実践するのは、果たして可能か。信じられないというより、方法が頭に浮かばなかったのです。

 ところが、やればやれるものです。経験から培った、いろいろな方法や、知恵があるものです。

 車椅子に、安全ベルトで固定していないと、急に立ち上がって、ひっくり返ってしまう患者さんが入院しました。車椅子に、付き添う人がいるときは、それを支えることができますから、ひっくり返ることはないのですが、一人でいるときは、転落してしまうことが、時々あったのです。そのために安全ベルトで車椅子に固定していました。家族は、入院する際に、開口一番、安全ベルトをしてほしいと希望しました。今まで、どの施設にいても、安全ベルトをしないという、経験がなかったのですから、家族も転落が心配だったのです。

 話し合った結果、工夫して、安全ベルトなしで、いってみることになりました。

 不慣れな私は、最初は、安全ベルトをはずして、車椅子から転落したらどうしようか、心配しました。ところが、看護師や介護士が知恵を出して工夫しました。8人用テーブルの一辺と、デイルームの壁との間に、車椅子を置いて、安全ベルトをはずして様子を見ることにしました。

 たとえ急に立ち上がっても、後は壁で支えられます。ずり落ちそうになればテーブルが支えてくれます。

 そのようにして、数日様子を見ると、安全ベルトをしなくても、車椅子に乗っておれることが分かりました。

 拘束しないということは、大変な努力と、労力が必要とされます。何よりも、その決意が必要とされます。

 夕暮れ症候群と呼ばれる患者さんが入院しました。認知障害は中等度です。夕方になると不隠になって、徘徊が激しくなります。

 不穏は、向精神薬を適切に使えば、ほぼ改善します。しかし、徘徊はなかなか簡単にはいきません。大声を出しながら廊下を歩き回ります。80代半ばの人ですので、足元は、心もとないものです。時には、転びそうになります。

 徘徊が夜中に及びますと、その観察が大変です。ベッドに入ったかと思うと、途中で起きて徘徊し出します。ベッドは電動式ですので、1番低くセッティングし、たとえベッドから落ちても、打撲程度ですむようにしてありますが、頻繁に徘徊がある場合は、目を離せません。監視モニターは、廊下とトイレには、ありますが、各部屋ごとには付いていません。

 そこで、ナースステーションの真ん前にある、デイルームに、ベッドを持ってきて、目の前で観察することにしました。徘徊が始まったら、スタッフがすぐ飛んで行けるようにしたのです。

 1週間ほどして、向精神薬の効果が出てきて、患者さんは自分の部屋に戻ることができるようになりました。

 これも、看護師や介護士たちのアイデアです。このほかにも多くのアイデアは発案されています。これには頭が下がります。

 ケースバイケースという言葉があります。聞こえは大変いいものです。ケースによって臨機応変に対応していくという意味です。しかしケースバイケースという安易な考えをもっていると、まず実行できません。誰も危険はおかしたくないし、安易な方に行ってしまいがちだからです。

 私が、駆け出しの外科医のころ、がんの病名告知という問題がありました。そのころの対応は、まさにこのケースバイケースが、金科玉条のようにいわれていました。ところが、がんを告知できた人はほとんどいませんでした。

 今日、がん治療は、格段に進歩しましたが、進行がんでは、いまなお、5年生存率はそれほど高くありません。しかし、専門病院では、100%近く、がん告知は行われています。

 これは何を意味するかといいますと、ケースバイケースという考え方を基本にしていると、場当り的な言動に陥りやすく、しかも、易き(やすき)に流れるのです。がん告知を原則とし、特別の場合のみ例外とすると決めていると、そのようになるのです。要は、基本姿勢にかかっている、といえるのです。

 拘束ゼロ宣言も、同じことです。拘束をしないと宣言して、実行することは容易なことではありません。ケースバイケースというような安易な考えでは、絶対に実現できません。ゼロ宣言は、まさにその基本姿勢を現わしているのです。


2007年5月6日 いのちの意味論 

 いのちの意味論と銘打って、人間が生きるということについて、思いつくままに、書きつづってみます。

1.人間の尊厳性

 人間の尊厳性とは、一体何をいうのでしょうか。

 私は、人間の尊厳性とは、人間の「存在そのもの」にあると思っています。

 そこで、人間とは何かという疑問がわきます。

 人間と猿との違いは、言葉を話すことが出来る、道具を使ったり、作ったりすることが出来るといわれています。しかし、私は、それは人間の持つ特性であって、その特性が猿より高等だという程度の差にすぎないと、思っています。

 人間には、猿とは決定的に異なるものがあります。奇妙な表現かもしれませんが、それは、「人間であること」なのです。

 人間は、その個体がどんな状態にあろうと、人間なのであって、猿ではありません。たとえ、個体が植物状態にあったとしても、人間であることに変わりはないのです。

 人間の尊厳性とは、まさにここにあると思います。「人間であること」、まさにそこに尊厳があるのです。

 英語は、実にうまい表現をしています。英語では、人間を、human being といいます。human doing ではないのです。

 人間は、言葉が話せるから尊いのでもなく、複雑な行動をとれるから尊いのでもないのです。「人間であること」という、存在自体が尊いのです。

 これは、人間の真髄は、魂にあるという宗教的な考えに近いものです。人間は、年齢、性別、貧富、社会的地位、健康状態に関係なく、すべての人間が、平等に尊厳ある存在といえるのです。

2.生命力

 生命力は、本来その個体が持っている固有のエネルギーです。免疫力とか、体力とかいうものは、生命力の一部分を表現した言葉です。生命力は、現代医学といえども、どうすることもできません。

 近代外科の祖となったフランスのアンブロワーズ・パレという外科医は、「われは包帯す。神、これを癒し給う」と言いました。これは、医術においても、人間にもともと備わった自然治癒力を、重視しなければならないとした金言です。

 医療は生命力をサポートするだけのもので、生命力を制御しているなどと、思いあがってはいけません。

 私の学生時代のある教授は、講義の時に、「医療は、個体の治癒力を、邪魔しないようにするものだ」と、何度となく力説されました。


 医療はどこまでこの生命力に手を染めていいのか、その技術の高度な進歩ゆえに、生命倫理の確立を、迫られています。遺伝子操作という、生命の根幹にまで到達する技術を得た今日、技術を律するべき倫理規範が、それに追い付けないでいるのです。

3.自然と人工

 「自然」という言葉は、話す人にも、聞く人にも、響きのよい言葉です。何事も自然が良い、とよくいわれます。

 しかし、よく考えてみると、それほど簡単にはいかないものです。

 人工的なものを排しては、現代生活は成り立ちません。家庭生活、交通・通信手段、企業など、すべてに、人工的なものが、使われているからです。

 特に、医学の領域では、難しいものです。医療は、まさしく人工的なものだからです。しかも、自然と人工が、密接にかかわっており、それを区分することが大変難しい分野なのです。

 例を上げてみます。
 植物状態の人がいたとしましょう。この人は、人工的に、水分や栄養を補給しなければ、生きていけません。まさしく医療なくして生きていくことができないのです。

 2002年ころのテレビ番組で、アメリカでの安楽死を追ったドキュメンタリー番組をやっていました。植物状態(といっても、彼女は両親を目で追うことができる状態でした)に陥った10代の娘を、両親が、安楽死させるという内容でした。すべての水分や栄養の補給を、絶ったのです。彼女は1カ月ほどして衰弱死しました。

 もう一つの例を、考えてみましょう。

 乳飲み子がいたとします。子供は母親から母乳をもらわなければ、生きることも、成長することもできません。乳飲み子は、お腹が空けば泣き出し、一方的に乳を与えられます。これはごく自然なことです。

 社会的な立場を無視して考えてみると、植物状態の人と乳飲み子は、他から栄養を与えられなければ生きていけないという状況は、同じです。ところが、前者は栄養補給を人工的とみなされ、後者は、自然とみなされるのです。

 医学の分野では、自然と人工という2つの事象を、対峙するものととらえるより、それらの調和をどう図るかを考えることの方が、大切だと思われます。

 同じく、すべての分野でも、人工的なものが悪いというより、人工的過ぎることが問題なのです。人工的過ぎて、自然から乖離(かいり)しすぎると、その反動が必ず現れます。自然災害、環境破壊などは、その典型的なものなのです。

4.延命

 「無意味な延命は、すべきではない」と、よくいわれます。

 それだけを聞くと、その通りだと、うなずいてしまいます。

 しかし、よく考えてみると、そんなに単純ではないことが分かります。

 「無意味」とは、価値的判断です。無意味と判断するには、何に意味があり、何に意味が無いのか、基準を決めなければなりません。

 生命に、意味、無意味という基準を作ることが果たしてできるでしょうか。

 私自身は、生命自体に、意味・価値があると考えますから、その基準を作ることはできません。さらに世の中には、さまざまな考えがありますから、なおさら、その基準を作ることは難しいことです。

 私は、患者さんの家族に話をするとき、「終末期においては、無意味な延命はすべきではないと考えますが、いかがでしょう」と、聞きます。家族のほとんどの方が、それを了承されます。

 今まで何百、いえ、何千の人に、そう説明してきましたが、話しながらも、何か心に引っ掛かるものがありました。「無意味」という言葉が、どうもしっくりとこないのです。

 無意味な延命とは、私の頭の中では、消えようとする生命を、人工呼吸器などで、少しでも引き延ばすというイメージでした。

 しかし、それを無意味と私は言い切れるのか、家族の人もそう言い切れるのかという疑問が、話しながら、いつも頭をよぎるのです。

 ところが、素晴らしい表現を知りました。この病院に赴任したときのことです。病院案内のパンフレットに、「当院では、無理な延命はいたしません」とありました。私は、はっとしました。これだと思いました。

 「無理」という言葉は、技術的判断で、価値的判断ではありません。機械的に、無理矢理、力ずくで延命しようとするのは止めようということなのです。

 この発見以来、私は、素直に、「無理な延命はいたしません」と、家族に説明することができるようになりました。


2007年6月3日 認知症の治療 

 認知症には素人の私が、認知症専門病院に内科医として赴任して、精神科の先生から、認知症の勉強をいろいろさせてもらいました。

 脳の機能障害によって引き起こされる認知障害の中で、中心的な症状、すなわち、記憶、言語、認知などの機能障害を中核症状といい、それに伴って起きてくる、徘徊、妄想、不眠、うつなどの精神症状を周辺症状といいます。

 中核症状は、進行を抑えることはできても、治すまでには至りませんが、周辺症状は、向精神薬の適切な投与で、割合容易にコントロールできるものです。

 認知症の治療は、その原因が完全には解明されていませんから、手探りの段階です。アリセプトという薬が、認知症患者に処方されて、ある程度の効果が認められています。最近では、睡眠薬であるマイスリーが、経験的に、認知能力を高めることが分かってきています。さらに、現在治験中の薬で、数年後には使えるようになる有望なものもあります。

 認知症の治療には、前述のような薬物療法のほかに、作業療法、精神療法があります。絵画療法、音楽療法、回想法、学習療法などです。

 絵画療法は、ちぎり絵や習字など、手を動かすことによって、音楽療法は、昔聞いたり覚えたりした音楽を歌うことによって、脳を刺激し活性化させようとするものです。

 回想法は、心理療法のひとつで、個人の過去を回想し、それを本人が肯定的に受け入れられるように、サポートする療法です。

 学習療法は、東北大学の斉藤隆太教授が主導する、書く、読む、計算することによって、前頭前野(前頭葉)という、記憶、思考、感情制御をつかさどる部位を、活性化させる方法です。難しいことを考えたり、難しい計算をするより、簡単な書く、読む、計算を早く行う方が、脳は活発に働くというのです。

 学習療法はまさに、認知症の患者さんにとって、うってつけの方法です。難しいことができる人は、認知症の病院などには入院しません。ところが簡単な読み書き計算の方が、脳はよく働くというのですから、これほど素晴らしい福音はありません。

 実際に行ってみました。コミュニケーションをとるのがかなり難しい状態の患者さんでも、文字を拡大してよく見えるようにして、ゆっくり分かるように説明すると、読んだり書いたり、計算するのです。それには、驚嘆しました。

 私は、最初に言いましたように、この分野には全くの素人でした。ほかの施設でどんなことをしているのか、ほとんど知りません。「認知症の病院のあるべき姿」という先入観が全くありません。

 それが、いいか悪いか分かりませんが、思い付いたことをすべて、実践しようと思いました。

 認知症などどうせ治らないから、何をやっても、無駄だという声も聞きました。私は落胆しました。治らないことに落胆したのではありません。そう決めつけてしまって、それ以上、努力しようとしないことに落胆したのです。

 まさにそれは、私が昔、体験した末期がん患者への対応と同じです。どうせ治らないからといって、ウソの上塗りで、その場しのぎで患者に対応していたのを思い出します。そして、彼らは病院の片隅に追いやられ、人知れず、亡くなっていったのです。

 治らないとしても、人間の尊厳はあり、人間として精一杯生きています。それをサポートしなくて、医療といえるでしょうか。

 それから、私は、ホスピス造りに、奮起しました。同志とともに、関東の二カ所にホスピスを開設したのです。

 認知症の患者さんも、がん患者さんと同じような歴史をたどっています。患者数が少ないうちは、社会も、医療界も、注目しませんが、次第に社会に影響を及ぼすまでに増えてくると、あわててその対策に乗り出すのです。

 65歳以上の認知症老人は、現在で150万人ほど(65歳以上の人の7%前後)ですが、このままでいくと2020年代には300万人を超え、65歳以上の人の約10%に達すると推計されています。

 認知症の専門病院のあり方を確立したいと、模索する毎日です。


2007年7月2日 わが父の介護小日誌 その1 

 私の父は、今年で94歳になります。愛知県の安城市に住んでいるのですが、3月に突然、電話がありました。横浜の私の自宅に、4月に来たいというのです。

 昨年の夏に会ったときには、まだ、足元もしっかりしていましたが、最近、だいぶ弱ったと母が言っていましたので、突然の訪問話にはさすがに驚きました。

 話はトントン拍子に進んで、4月7日に来ることになりました。私の兄が付き添って新幹線でやって来ました。私の女房と新横浜の駅で落ち合い、タクシーで自宅まで来ました。

 私は土曜日なので、単身赴任先の埼玉の病院を早退させてもらい、車で自宅に戻りました。父たちより1時間くらい遅れて帰宅しました。

 父は兄と一緒にソファーに、かくしゃくと座っていました。その夜は、兄とは10年ぶりなので、父と兄とお酒を酌み交わし、話がはずみました。そして一夜が過ぎました。

 翌朝私が9時頃起きますと、女房が昨夜の出来事を話してくれました。女房はほとんど一睡もできなかったというのです。

 ソファーに、座っていた父は、普段着を持っていっても、寝るまでは着替えることなく、スーツでいました。いざ寝る段になって、ズボンを脱いでみると、その下にモモヒキをはいていて、その中は、尿でびっしょり濡れていました。モモヒキが耐水性のものだったため、ズボンまでしみることがなかったので、気づかなかったのです。トイレに行く途中で失禁してしまうのです。

 事前に状況をある程度把握していましたので、紙オムツ(自尊心の強い父には、使い捨てパンツと呼びました)を用意しておきました。しかし、案の定、父は断固としてそれを拒みました。実家の方でも、そのために母が参ってしまうほど苦労したようです。

 夜中じゅう1時間おきにトイレに起きました。女房はその都度起こされ、後始末をして、一睡もできなかったのです。

 それに1度、ドタンという大きな音がして、戸を開けてみると、畳の上に父が倒れていました。つまずいて転倒したのです。骨折したのではないかと思うほどの音でした。幸い骨折はありませんでした。

 しかも、イビキが騒々しいのです。突然始まったかと思うと、突然とまったり、いろんな音がしたりで、うるさいやら、おかしいやらで、寝るどころではなかったようです。

 夜中じゅうトイレに起きていますから、熟睡できないためでしょう、父は朝起きるのは11時ごろです。それから朝食を食べて、昼寝もします。それでいて、夜9時にはまた床につくのです。

 翌日、私は脱腸の具合を診察しました。右鼠径ヘルニアで、外鼡径輪は、締まっていたので、陰嚢の手前で、脱腸の腫れは止まっていました。ハンカチのような布切れを折って小さなパッドを作り、脱腸が出るあたりを弾性粘着テープで圧迫固定しました。それで少し腫れは治まりました。脱腸は嵌頓しなければ、腸が引っ張られる違和感や、軽い痛みがあるくらいでそれほど害はありません。仰向けになるとすぐ腸は還納します。

 翌日も、同じように夜中は頻回にトイレに起きます。その都度、後から付いていって、垂らした尿を拭かなければなりません。そうしないと、トイレから寝室まで、床掃除をしないといけなくなってしまいます。しかも2日目の夜には、パンツを尿でビッショリ濡らしてしまい、女房が、風呂場で下半身をシャワーで洗いました。

 これが3日続きました。精神力の強い女房でも、さすがに3日間寝られないのは、こたえました。もちろん昼間もほとんど休んでいません。心身ともに疲労困憊しました。

 私は、月曜の夜には、埼玉の赴任先に出かけました。

 翌火曜日に、私の勤務先の方に女房から電話があり、その報告がありました。病院のケースワーカーに相談してみました。そういう場合はポータブルトイレが1番よく、区役所で貸してくれるというアドバイスをもらい、女房に伝えました。

 さっそく、女房が区役所に問い合わせると、1カ月間無料で貸してくれるとのことです。ちょうど1台だけ余っていたのでそれを借りてきました。

 翌日、具合を聞いてみますと、ポータブルトイレを大変父も気に入ったようです。父には、2日目にパンツをびっしょり濡らしてから、紙オムツに代えてもらいました。父も、女房に悪いと思ったのか、素直にそれをはきました。

 紙オムツに代えて、濡らしたら取り替えることにし、枕元に防水シーツを敷いて、ポータブルトイレを置きました。これまでトイレに行くまでに漏らしてしまっていたのが、枕元にあるのでほとんど漏らさずにすむようになりました。

 ただポータブルトイレの蓋を閉めるときに、バタンという結構大きな音がして、襖(ふすま)ひとつ隔てただけの隣の部屋で寝ていた女房は、その都度目を覚ましていたようです。しかし、トイレのたびにいちいち起きていく必要がなくなり、少し休めるようになりました。

 すぐいらついて怒るという、安城にいるときの父の様子を聞いて、私は精神安定剤を少量飲ませました。頭がしっかりしてるわりに、身体がいうことを聞かないので、いらつくのでしょう。眠気など安定剤の特別な副作用もありませんでした。

 トイレが夜間頻回であることで、過活動性膀胱も考えました。過活動性膀胱とは、膀胱が敏感になって、尿が少し溜ると、すぐ排尿したくなる病気です。そのための薬を、飲ませました。しかし効果は全くありませんでした。ポータブルトイレにしたので尿量が分かります。夜間に1リットルから2リットルの尿が出ているのです。これでは過活動性膀胱とはいえず、薬は効かないはずです。それで中止しました。

 女房は熟睡ができず疲れがたまって、5日目にして、ギブアップ寸前になりました。さらに、40代の中頃から、股関節変形症を患い、無理をすると股関節痛がひどくなって歩けなくなってしまうのです。父がヨタヨタ歩く時、それを支えるたびに、父の体重がかかってきます。それにポータブルトイレの運搬など重いものを持ったものですから、身体じゅうがガタガタです。


2007年8月5日 わが父の介護小日誌 その2 

 父が横浜へ遠路はるばる来たのには、3つの理由がありました。私に脱腸の診察を受けたいのと、府中にある女房の父親(故人)の仏壇にお参りしたいこと、戦前の若い頃勤めていた銀座の三越に行くことでした。紙パンツとポータブルトイレで、自信を取り戻した父は、どうしてもそこには行きたいと、疲れ切っている女房をよそに言い張ったのです。

 女房は、これ以上日が経つと、自分が倒れてしまい、父のその願いはかなえられなくなると考え、まだ自分が大丈夫なうちに、府中の実家に、連れて行くことにしました。

 4月13日に、横浜の自宅から府中まで、タクシーで2時間かけて行きました。タクシーの乗りおりも、女房が支えなければ父1人ではできませんでした。

 府中の実家には、86歳になる女房の母親が1人で住んでいます。近所の人たちは、そのあたりに家が一軒もなかったころからの知り合いで、老夫婦の面倒をみてくださいます。義父が7年前に亡くなった後も、義母が1人で暮らせるのも、近所の人達の支えがあるからなのです。

 父は仏前で、事前に用意しておいた経文を取り出して、1時間お経をあげたそうです。足は弱っているのに、頭はしっかりとしているのです。
 面倒を見る側からすると、頭が障害されて、身体は元気というのが1番大変でしょう。外に行って帰ってこなくなって警察のご厄介になることになります。

 頭がしっかりしていて、身体が中途半端に弱っているのも案外大変なものです。特に頑固な性格の人は大変です。病院入院の適用ではありませんし、介護施設の入所も本人が断固として拒否します。抵抗できるだけの力はあるのです。

 私は赴任先から翌土曜日の夜、帰宅しました。女房は介護に疲れ切っていました。そこで私が時々自分で飲んでいた、精神安定剤のセルシンを2.5ミリ、寝る前に飲ませました。すると父の起きる音で目を覚ますことがあっても、すぐまた眠れて、翌朝、久しぶりによく眠れて助かったと心底言っていました。もう動けなくなる寸前だったのです。それ以後はセルシンで、熟睡とまではいきませんが、眠れるようになりました。

 その日の夜には私が父を風呂に入れました。背部から抱えて、湯船に入れて、身体を洗いました。1週間ぶりの入浴で気持ちがいいとご満悦でした。

 父が夜中に起きるのに、足腰が弱っていますから布団では大変です。そこで簡易ベッドを買って来ました。それには小さな手すりが付いていて、それを握って起きあがると、楽に起きあがれ、隣のポータブルトイレに座ることができるようになりました。

 次の希望は銀座に行くことです。そのために、歩いて床屋まで行きました。ポータブルトイレやベッドの設置で大分楽になったとはいえ、毎日の介護に疲れていた女房には、それは難題です。父は独りでも行くといい出します。タクシーに乗るのにも介助が必要なのに、とうてい1人で銀座まで行くことは、出来ようはずがありません。

 そこで名案を思いつきました。介助してくれる人を頼めばいいと考えついたのです。そこで、区役所に相談したところ、あるNPO(非営利団体)を紹介してくれました。そこから屈強の男性を派遣してもらうことになったのです。縁とは不思議なもので、そのNPOは、私が横浜の病院で働いている頃に、協力し合っていた団体だったのです。

 当日の朝10時ごろに、その男性は家まで迎えに来てくれました。駅までは近いので歩いて行くことにしました。近いといっても健常な人の足でのことで、父のような老人には遠い距離でした。数十歩、歩いては止まり、少し休んでは、また歩くという調子でした。

 その男性は介助に精通した人で、なるべく階段のない道を前もって考えておいてくれたのです。駅は、高架になっていますので、エレベーターのある歩道橋から上がりました。電車を乗換え、希望の三越銀座店に、たどり着きました。

 建物は、三越と、その真ん前にあるお店・和光だけは、父が若い頃のままの姿をとどめているようです。玄関のライオン像の前で、足元のフラつく父を女房がわきで支えて、懐かしそうに記念写真を撮りました。

 家に戻ってきた時には2人ともぐったり疲れ、父は玄関を1人で上がることもできないほどだったようです。

 土曜日に帰宅した私は、翌日の日曜日にまた父を風呂に入れました。横浜に来るときに、父はカミソリを持って来ましたが、顎の下など見づらいところは、うまく使えないので、髭が5ミリほどに伸びていました。電気カミソリで私はそれをきれいに剃りました。

 安城の方では老夫婦だけの生活なので、数年前から、介護認定の申請を早めにするように、言っていたのですが、手つかずのままでした。4月25日に女房が安城に父を送るついでに、その手続きを済ませることにしました。

 事前に安城の市役所に、横浜の方に申請書を送ってもらい、それを書き込み、郵送しておいたのです。認定調査は4月26日に父が、27日に母が受けることになっていました。私は4月23日の月曜日の夜、埼玉の病院に出発する前、安城のかかりつけ医に、父の最近の病状をしるした紹介状を送っておきました。

 帰る当日は、兄に横浜まで迎えに来てもらいました。女房ひとりでは無理だったからです。

 安城では、段取り通りに、ポータブルトイレの設置や、ベッドのとっての取り付けなどを行い、介護認定の調査も受けました。それらの仕事を、2日間で片付け、女房は横浜に帰りました。帰宅後、疲れがどっと出て、体調が元に戻るまでに3週間を要しました。

 女房は、10年ほど前、東京の府中市に住んでいる、実の父親が脳梗塞で倒れて、病院から介護施設を転々とした時も、母親とその世話をしました。患者が80歳近くになると、病院でも施設でも、保護者は若い人が求められます。老人では理解できないことがあったり、その老人自身が病気で倒れてしまうことも十分あり得るので、法律的な意味ではなく、実務的な保護者を、子どもなどの若い人に依頼するのです。

 その時は、用事があるときに出かけることで済み、年齢が若かったこともあって、それほど大変なことではありませんでした。ところが今回はたとえ3週間という短期間だったとはいえ、心底疲れました。

 これが、老老介護といわれるように、お年寄りがお年寄りだけで看るとしたら、どれほど大変なことか、身をもって体験したのです。


2007年9月2日 今を生きる 

 認知症の人は、「今という瞬間を生きている」といった人がいます。認知症の人を見ていて、これを私も感じます。彼らは、今という瞬間を生きているのです。
 もちろん彼らは、意識的にそうしているのではないでしょう。記憶という脳の機能が障害されたため、そうしているのでしょう。

 普通の人は、過去を引き継いで、あるいは引きずって、今を生きています。その過去は失敗の過去であったり、栄光の過去だったりします。

 失敗の過去を持つ人は、後悔の念や罪悪感を引きずっています。もっと現実的にいうと、借金というものを引きずっていることもあります。

 栄光の過去を持つ人は、満足感や優越感を持ち、富や名誉という現実を引き継いでいるでしょう。

 それらの過去は決して忘れることはできず、現在を支配しています。それに、押し潰されてしまうこともあるほどです。もし忘れることができたなら、どんなに楽になるだろうかと思っている人も、私を含めてたくさんいることでしょう。

 聖書に、「すべて重荷を負うて苦労している者は、わたしのもとにきなさい。あなたがたを休ませてあげよう」(マタイ11:28)という聖句があります。過去の重荷を、解放してあげようと、キリストはいわれるのです。

 一方、未来はどうでしょう。夢みる未来もあるでしょう。不安がいっぱいの人もいるでしょう。

 私の知人に、寝るときは、明日のことは一切考えないで眠るという人がいました。聖書にも、「あすのことを思いわずらうな。あすのことは、あす自身が思いわずらうであろう」(マタイ6:34)という聖句があります。

 過去を引きずって、今を生き、不安をもって未来を迎える。このような、がんじがらめの生き方が、私たちの現実の生活ではないでしょうか。

 過去を手放し、未来の不安からも解放され、自由の気持ちで生きられたら、どんなに素晴らしいだろうかと思うのは、私ひとりのことではないでしょう。

 「今という瞬間に生きる」。

 これは、いわば悟りの境地とでも、いえるのではないでしょうか。認知症の人たちは、そういう生活をしています。


2007年10月7日 命はだれのもの 

 命は一体だれのものでしょうか。

 私は、本人のものに違いないと思っています。それは当然のことだといわれるかも知れません。ところが臨床の現場では、この問題で悩むことが多々あるのです。

 食事を喉に詰まらせて、脳障害が起きてしまったSさんがいます。最初は当然、補液を行い、抗生剤などを投与します。しかし意識のない状態が、1週間、2週間と続き、1カ月ともなると、だんだん、周辺の状況が変わってきます。

 本人は、意識がありませんから、もう結構ですとはいってくれません。私たちが、他人の命のあり方を決めなければなりません。

 この人は、意識がないといっても、呼びかけると反射的に目を開けます。植物状態なのです。

 1カ月もすると、家族は、延命はもう結構ですと、いってきます。周りのスタッフも、そう思い始めます。

 私としては、命は本人のものだから、本人が、もういいといってほしいのです。口でいえなければ、生命力で、もう十分ですと表明してほしいと、私は思うのです。

 1カ月補液で延命できた場合、一般病院では、たとえ意識障害があっても、経管栄養になります。鼻から管を入れたり、内視鏡で胃瘻を造ったりして、栄養補給をします。

 こうした医療行為は、一般病院では、当たり前の医療行為として、行われています。現代医療の、治療指針が、そうなっているからです。むしろ、しない方がおかしいし、しなければ医療訴訟になってしまうこともあります。

 しかし認知症の病院では、果たしてそうすることが、適切かどうか大いに悩みます。毎日毎日、意識のない患者に向かって、私は、「あなたはどうしてほしいのか」と、1人で、問いかけるのです。

 そういうとき、看護師が、同じように悩み、話し相手になってくれると、考えが整理されていきます。

 看護師が、はっきりとした意見をいってくれ、それが私の意見と一致したときのうれしさや安ど感は、万歳と叫びたくなるほどのものです。

 それくらい真剣に考えます。これは私の性分なので仕方ないと思っています。もっと気楽に、どうせやっても無駄だと、クールに考えられるのならいいのですが、それができません。

 一般病院では、治療は医師の指示のもとにすべてが行われます。したがって、こういう患者をどうするかは、医師のみの判断で、家族の了解を得て行われます。自動的に経管栄養になり、どうすべきかを悩むということはほとんどありません。それより、そういう患者をいつまで入院させ、次にどこに転院させるかに頭を使うのです。

 Sさんは、自分の誕生日まで、末梢からの補液2本だけで、1カ月半生き延びました。高熱が出ても、抗生剤は使いませんでした。レントゲン写真や血液検査もしませんでした。ただ、視診、聴診だけで経過を診ました。

 検査をすれば、何かしかの異常が出るのは当たり前で、それを知った上で何もしないのも、しのびなかったのです。医療内容は、最低限のものにして、なるべく自然に近い状態で観察したのです。

 誕生日が来たら、経鼻胃管に代えようと、看護師と話し合い、家族も賛成してくれました。誕生日を目安にしたのは、大きな意味はありません。本人はまだ生きようとしていると、考えたからです。

 やがてSさんは、誕生日を迎え、経鼻胃管に代えましたが、亡くなられました。家族は、その対処に、泣いて感謝しておられました。

 命は、本人のものです。本人が、命を完了すれば、死に至ります。完了しなければいつまでも生き続けます。この、生死の意味に、他人が介入することはできません。本人のみに、その意味があるのであり、他人は関われません。

 医療は、本人の命を、サポートすることがその役目です。医療によって、命が保たれているのではありません。命は、命自らで、命を保っているのです。医療はただそれをサポートしているだけなのです。私は、そう思っています。

 超党派の国会議員でつくる「尊厳死法制化を考える議員連盟」が、延命中止法案要綱案を、2007年6月に発表しています。

 死期が迫った患者が、文書で延命治療を望まないと意思表示している場合、2人以上の医師が「臨死状態」と判定すれば、栄養や水分の補給などを含む延命措置を中止できるという内容です。(付記を参照して下さい)

 これは、裏を返せば、本人が文書で、延命治療を望まないと意思表示していなければ、補液を中止できないということです。

 今までの医療現場では、補液の継続あるいは中止が、医師の裁量で行われていたことは事実です。補液の効果が、見いだせないときは、中止していたのです。

 延命中止法案が可決されれば、この補液を中止する行為は、本人の承諾がない限り、違法と見なされ、殺人あるいは、自殺幇助の罪に、問われかねないことになります。

 一方、この法案からすると、脳死あるいは脳死状態の患者も、臨死状態とみなすことができ、人工呼吸器の取り外しの件についても、同法を適用できると思われます。同法が適用されれば、今までのように、人工呼吸器をはずしたからといって、殺人罪で、医師が訴追される事例は、少なくなるでしょう。

 従って、この法案は、慎重に取り扱わないと、医療現場を混乱させてしまうきらいがあります。

 本人の、意思表示がない場合に、どうするかということを、決めておく必要があります。


付記)
 議員連盟が作成した延命中止法案要綱案の要旨は次の通り。

 【目的】この法律は患者の意思に基づく延命措置の中止等に関する手続きについて、必要な事項を規定し、延命中止等の適切な実施に資することを目的とする。

 【定義】「延命措置の中止等」とは臨死状態の患者に既に行われている延命措置を中止し、または開始しないことをいう。「臨死状態」とは、行い得るすべての適切な治療を行った場合でも回復の可能性がなく、かつ死期が切迫していると判定された状態をいう。「延命措置」とは、病気の治癒を目的としないで単に生命を維持するための医療上の措置(栄養や水分の補給処置を含む)をいう。

 【患者意思の尊重と医師の説明責任】延命中止等を希望する患者の意思は、十分に尊重されなければならない。医師は中止等をしようとするときは、診療上必要な注意を払うとともに、患者や家族に中止等の方法やそれによって生じる事態などについて、必要な説明を行わなければならない。

 【手続き】医師は、患者が延命中止等を希望する意思を書面で表示しており、かつ臨死状態と判定された場合で、患者の家族が中止等を拒まないとき、または家族がいないときは、中止等をすることができる。

 臨死状態の判定は必要な知識、経験を有する2人以上の医師(中止等をすることになる医師を除く)の判断の一致によって行われるものとする。判定した医師は直ちに判定が的確に行われたことを証する書面を作成しなければならない。

 判定に基づいて中止等をした医師は、記録を作成しなければならない。書面や記録は5年間保存しなければならない。

 【生命保険】生命保険契約において、延命中止等で死亡した者を自殺者とはみなさない。

 【罰則】判定にかかわる書面や延命中止等の記録を作成せず、もしくは虚偽の書面、記録を作成した者は50万円以下の罰金に処する。



2007年11月4日 認知症病院はホスピスそのものだ 

 2か所のホスピス造りに携わった私は、ホスピスの芯は、ハードすなわち建物や設備をいうのではなく、ホスピス精神、ホスピスケアというソフトをいうのだと思います。

 山崎章郎先生は、長年のがんのホスピス診療の経験から(ホスピスとは一般的に、がん患者のための施設を指します)、「ホスピスケアとは何かと問われれば、自力だけでは自立や尊厳を守れなくなった人々の、自立を支え、尊厳を守り、共に生きることと言いたい。それらは、がんであろうがなかろうが、死が近かろうが、遠かろうが、等しく言える(2006年3月朝日新聞)」と、含蓄ある言葉を述べておられます。

 認知症専門病院での1年半あまりの経験から、私は、認知症病院は、まさに広い意味でのホスピスだと感じています。認知症の人ほど、自力のみで自らの自立や尊厳を守れなくなった人は、いないからです。

 ホスピスケアの特徴は、@本人の意思を大切にすること、A苦痛などの症状をコントロールすること、BQOL(生活の質)を大切にすること、があげられます。

@本人の意思

 本人の意思については、それを的確に表明できる人が、認知症といえるかどうかの基本的な問題にかかってきます。入院すること自体が、本人の意思でないことも多くあります。

 重度の人は、入院する意味が理解できませんので、家族の要望で入院することになります。逆に軽度の人は、入院を拒否しますから、時には、ホテルに泊まろうと家族に誘われ、来院することもあります。

 がんの患者さんの場合は、身体はがんに侵されていても、頭ははっきりしていますから、本人の意思を明確に表明できる人がほとんどです。それができなければ、ホスピスでは入院の対象になりません。

 しかし認知症の場合は、出来る限り本人の意思を尊重するにしても、自ずから限界があるのは当然です。その代わりに、家族が大きな役割を担うのです。

A症状のコントロール

 重病を合併している場合を除いて、認知症の患者さんは、苦痛はあまり感じていないように見えます。しかし軽度の人の場合は、なぜ自分はこんなふうになってしまったのか、なぜここ(病院)にいなければならないのか悩んで、うつ的になったり、思うようにならない心身に、いらだったりします。それらの症状は、向精神薬でコントロールできます。

 転倒して骨折したり、食事を誤嚥して肺炎になったりもします。それも治療します。

 認知症も末期になると、まるで食べるのを忘れたかのように、食事も取れず衰弱していきます。余りに死に行く時の苦しみが強いときは、モルヒネを少し使います。数日で眠るように亡くなっていかれます。臨終の苦しみだけは、無くしてあげたいと思うのでそうしています。

BQOL

 認知症の患者さんのQOLが何かは、大変難題です。本人がはっきりと、意思をいえないことと、いえてもおいそれと実行できないからです。

 帰宅願望の強い人がいます。口を開くと、「帰らせていただきます」と言うのです。だれでも我が家が一番と思うのは当然で、帰宅願望はあって当たり前です。しかし、家におれない事情があったればこそ入院したのですから、おいそれとはそれをかなえてあげられません。

 QOLとは何かを模索する毎日です。

 「2006年11月6日 入院事情 」でも書きましたように、入院することになった経緯がみんな違っています。それによって、各人各様のゴールがあります。

 この病院が、終(つい)のすみかとなる人にとっては、厳しいリハビリは適切ではありません。なるべく楽しく、生き甲斐を見いだせるようにしてあげることが大切です。

 ある程度症状が治まれば家に帰れる人、すなわち、家族の受け入れのある人は、リハビリや試験外泊を重ねて、退院できるようにしていきます。こういう人は、目標がはっきりしていますし、入院期間も限定されますので、たとえ厳しくてもリハビリに耐えることができます。

 作業療法士OTや、精神保健衛生士PSWの人たちは、リハビリ室で、10名から20名の参加者に対して、絵画療法、音楽療法、回想法、学習療法などの色々な治療をしています。

 様々な経緯で入院し、色々な病状の人々が、同じ病棟で入院生活を過ごしています。その人たち個人個人にとって、適切なQOLを提供できればいいのですが、なかなかそうはいきません。

 例えば、読書が好きな人に、新聞や本を提供すると、異食症のある人が、それを持ち去り食べてしまうこともあります。個室は観察室しかありませんので、書物などの私有物は持ち込めません。個室を造らなかったのは、「孤独は認知症の温床」という基本理念があったからです。

 デイルームの隣に、広いリハビリ室が各階にありますので、将来、そこに図書などを設置できたらと思っています。

 オープン当初、いろいろな人たちが一堂に会するデイルームでは、無言の会議(私が命名しました)がもたれていました。みんながテーブルを囲んで向き合ったまま、何もしゃべらずに静かに座っているのです。スタッフが窓際の壇上に立って、歌や体操の指揮をとれば、半分くらいの人たちがそれに応じてくれます。しかしそれがないと、無言の会議が続いていたのです。

 私が一般病院に勤めていたころ、外来に来るおばあさんが、「老人ホームに見学に行ったら、入居者がひな壇のように並んでいるのを見て、こういうところに入るのは嫌だと思った」と、よく言っていたのを思い出します。この光景が、それなんだなと、思いました。

 病棟が落ち着けば落ち着くほど、これが目立ちます。大声を出したり、動き回る人がいれば、他の人がそれに反応して、「うるさい」と叫んだり、「そんなことしたらだめだよ」と注意したりして、デイルームは逆に活気付くのです。

 しかし最近では、スタッフが、考案したゲームをみんなでやるようになりました。体操、懐かしのメロディー、風船バレーボール、ペットボトルボーリング、紙製の玉入れ、お手玉ホッケーなどなど、いろいろなゲームを手作りで考案しています。スタッフの素晴らしいアイデアには、頭が下がります。
 また、誕生会や月例の催し物には、ボランティアの方々が、バイオリンやピアノなどの演奏会を開いてくださっています。いろいろな工夫を凝らして、楽しい生活の場となるように、努力しているのです。



2007年12月3日 延命と費用 

 私の父を介護して気づいたことがあります。直接介護したのは、3週間くらいでしたが、その後、女房が、安城の方に時々出かけたり、電話したりして、父と、その介護をする母を、訪問診療、訪問看護、ヘルパーさんの手配をして、サポートしてきました。

 それでも次第に父のADLは低下して、寝たきり状態となりました。自分にも介護が必要なほど腰の悪い母が、食事を食べさせたり、オムツをかえたりして、疲労困憊してきました。

 ショートステイに月に一度行くことにして、すこしでも母を休ませることにしました。それも二ヶ月と続きませんでした。老老介護は無理と判断した私たちは、病院か施設に入院させることにしました。

 しかし、施設はすぐには入れませんし、病院も急性病ではないので、療養型病棟のような慢性病棟に入院するしかなく、これまたすぐには入れません。

 介護付有料老人ホームも考えました。ひとまずそこに入所しておいて、老人保健施設や特別養護老人ホームの順番が来たら、そちらに移るようにすることを考えたのです。

 そこで有料老人ホームを当たってみました。

 ところが有料老人ホームは、入居金1000万円、介護費月20万円以上と、とても高額のものでした。裕福でもない両親には、いくら計算しても、そのお金は捻出できません。

 ここで我が身のこととして、高齢者が施設で生きていくには、大変なお金がかかるものだと痛感しました。

 施設や慢性病の病院には、入居金こそありませんが、毎月の実費が、15万から20万円くらいかかります。余命の目安が立っている場合は、計算が出来て、総計いくらくらいが必要かがだいたい分かります。ところが、目処も立たない場合、特に認知症で、身体は元気な人であったりすると、10年、20年ということもあり得るのです。その費用は、患者本人かその身内が財産家でなければ、支払えるものではありません。

 施設や病院に入院できる人は、選ばれた一部の人たちです。招かれざる人たちは、おそらくその10倍はいることでしょう。その人たちは、いかにも聞こえの良い「家族の手による在宅介護」という、ひっ迫する保険財政救済政策の犠牲者となるか、入院の順番待ちとなっているのです。

 介護を受ける高齢者が、単身の場合は、ある程度の不動産などの財産があれば、本人か、または保護者が、それを売却するなどして、財産を使い切って、施設に入ることが出来ます。しかし、夫婦とも高齢である場合は、残される人の余生も考えなければなりません。全てを使い切ってしまったら、残された配偶者は、暮らしてゆけません。

 当院に入院される方々は、本人がそれだけの財産をお持ちか、血縁者が出し合って、入院されています。しかしその負担は大変大きいはずです。

 そこにさらに治療行為を行って費用が増せば、ますます大変な負担です。入院中に、新たな病気が発症して治療が必要になった場合、これこれの費用がかかりますがよろしいでしょうかと、保護者に聞いてあげることも、親切なことと思うようになりました。

 「経済的に大変なので、これ以上の延命治療は結構です」とは、なかなか家族からはいえないからです。

 そのために、私としては、どうしてほしいのかはっきりと希望をいってほしいと思います。患者本人は、よほどうつ状態にある人でなければ、生きたくないと思っている人は少ないでしょう。

 ですから、家族としてどう思うのか、どうできるのかを本音でいってほしいし、こちらとしても聞いてみたいと思うようになっています。

 その答えは、家族によってまちまちです。それは、立たされた事情が、皆違うから当然のことです。できるだけのことをやってほしいと希望する家族もいますし、ほどほどでいいという家族もいます。そのどちらでも私たちはおかしいとは思いません。

 どちらでも構わないから、はっきりといってほしいのです。そうすれば、人間の尊厳性というもっとも基本的なことは、ないがしろにせず、経済的な側面も考慮に入れて、いろいろなやり方を工夫してあげられるのです。


2008年2月10日 ホスピスケアの原則 

 2006年2月にオープンした当院は、今年で3年目に入ります。

 3という数は、「石の上にも3年」、「3度目の正直」ということわざがありますように、物事の仕上げ・締めくくりを意味していると私は思います。

 数には、それぞれ意味があります。1年目は、先駆者として新しいものを作り出す時。2年目は、継続は力なりといわれるように、それを継続します。この時、ともするとマンネリ化します。3年目は、それを仕上げる年なのです。これを何度も反復しながら、物事は前進していきます。

 この正月に読んだ本の中に、アメリカのホスピスについて書かれていました。アメリカには、現在4100か所のホスピスがありますが、その入院対象は、日本のようにガンだけではなく、認知症も対象になっているのです。日頃から、認知症のホスピスを主唱する私にとっては、わが意を得たりという思いでした。

 そこで、認知症のホスピスケアという観点から私見を述べてみます。

 ホスピスケアの原則には、次の3つがあります。

1 尊厳を守る

2 症状コントロール

3 QOLの重視

1 尊厳を守る


 ホスピスの先駆者山崎医師も、患者の自立を支え、尊厳を守る事が、ホスピスケアの基本であると述べています。

 人間には、いかなる状態にあっても、人間であるという尊厳があります。それを守ることは、医療者の第一の努めです。

2 症状コントロール

 症状コントロールは、周辺症状といわれる徘徊や不穏、うつなどの症状を、向精神薬でコントロールします。

 さらに、転倒して骨折したり、食事を誤嚥して肺炎になったりすれば、それらも治療します。

3 QOLの重視

 QOLは、クウォリティ・オブ・ライフの略で、生活の質をいいます。QOLの重視とは、延命という量的なものより、生活の質的な面を大切にしようとするものです。

 認知症の患者さんのQOLが何かは、大変難しい問題です。例えば、帰宅願望の強い人に、おいそれと帰宅を許可するわけにはいきません。

 リハビリ室やデイルームでは、ちぎり絵、習字などの作業療法や、風船バレーボール、ペットボトルボーリング、お手玉ホッケーなどなど、スタッフが考案したいろいろなゲームを、みんなでやっています。

 また、誕生会や月例の催し物には、ボランティアの方々が、楽器の演奏や日本舞踊などを披露してくださっています。いろいろな工夫を凝らして、楽しい生活の場となるように、努力しています。

 QOLの重視は、3年目の最も重要なテーマとなるでしょう。

 ホスピスケアを実践するには、キュア(治療)とケア(看護・介護)が、並列でなければなりません。

 治療病棟はピラミッド型です。トップにいる医師の指示のもとに看護師・介護士が動きます。ところがホスピスは、ケアが中心ですから、キュアとケアを並列とし、両者の合意で行うことが大切だと私は考えています。

 3年目の今年、くれぐれも「3日坊主」にならないように、努力したいと思っています。


2008年8月12日 ターミナルケア 

 Mさんは、2006年11月に車椅子に乗って入院されました。スマートな体型で、金縁のメガネをかけた品のある顔立ちのかたでした。彼は10年ちかく、レビー小体型認知症を病んでいました。

 レビー小体型認知症は、パーキンソン病とも似た運動機能の障害をもたらします。歩行障害のために、車椅子生活となり、食事を取るのも、ぎこちなさがうかがえる様子でした。

 しかし、話しかければいつもにこにこ答えられて、決して声を荒げたりすることの無い紳士でした。

 今も思い出されます。それは昨年(2007年)の春のことでした。病院のバスハイク(患者さんと職員がバスでハイキングにでかける行事)があり、Mさんもいっしょに、近くの公園に出かけました。

 公園に着くと、車椅子を下ろし、総勢30人ほどで、独歩の人、車椅子の人がいっしょに散歩しようとしたとき、Mさんの乗っていた車椅子が、故障しているのに気付きました。前輪が壊れていて、地面に擦ってしまうのです。これを操作するには、前輪を浮かして後輪だけで車椅子を押さないと、動きません。Mさんを担当していた女性の看護師さんは、後輪だけでMさんの車椅子を動かす力がありませんでした。そこで私が、Mさんの車椅子を押すことになったのです。

 車椅子の後ろに立って、ハンドルに体重をのせて、前輪を浮かし、人力車のようにして、「ゆらゆら揺れて、舟みたいですね」と笑いながら公園を散歩しました。

 桜はすでに散っていましたが、所々に咲いた花を見ながら、いろいろと話して散歩しました。公園の中央につくと、みんなでお茶とお菓子の休憩をとりました。

 そういう出来事が、1年前の春にありました。

 それから、Mさんは、特別、変わったこともなく、入院生活を過ごしておられましたが、今年(2008年)の1月初旬(1月8日)、突然、食事が取れなくなりました。飲み込むことができなくなったのです。そして間もなく(1/17)、気道も閉塞気味になり、いびきをかくような、苦しそうな呼吸になったのです。

 1週間くらいの間に、その症状は、急激に進行しました。あまりに急激なその変化に、私は驚き、頭部や頚部のCTなどで調べてみたのですが、レビー小体型認知症の病気自体が進行して、嚥下障害や舌根沈下などの症状が出てきたものと診断しました。さらにそこに、肺炎も合併してしまい、その苦しそうな息づかいは、はたから見ていても、見るに忍びないものでした。

 それから、Mさんをどうケアしたらいいかは病棟の大変な問題でした。昏睡状態にある人であれば、なるべく自然に看取ってあげるのが良いと思われますが、知的機能は以前とあまり変りなく、会話も理解でき、短い言葉で質問に答えることもできます。

 残された医療的な処置は、気管切開および胃瘻造設だと思われました。

 そこで1月19日、奥さんと息子さんたちと話し合いました。そこで出された結論は、10年近くこの病気と苦闘してきた患者本人を思うと、もうこれ以上、つらいこと、苦しいことはさせたくないというのが、家族の意見でした。年齢が68歳とまだ若いことが私は気がかりでしたが、家族のその気持ちは、察するにあまりあるものでした。

 その結論を得てから、私たちスタッフは話し合い、ターミナルケアを行おうと決めました。

 ターミナルケアは、決して、がんの患者さんだけが、対象ではないのです。すべての病者の終末期には、ターミナルケアが必要とされるのです。Mさんこそ、ターミナルケアを必要とされる時でした。

 呼吸はますます苦しそうで、痰がのどに詰まり、吸引しなければ、血中酸素飽和濃度は、80%台に落ち込みます(正常は95%以上)。まさに10分ごとに、痰を吸引しました。いびきのような呼吸の苦しさを軽減するのに、マスクで酸素を与えながら、空気の1番通りのいい体位を工夫しました。片方の肩に枕を差し込み、顔を少し斜めにすると、息の通りがよいことが分かりました。

 食事が取れない分は、点滴で補いました。Mさんに話しかければ、短い言葉ですが、答えることができます。「苦しいですか」と問うと最初のころは、「大丈夫です」と答えておられました。元来、がまん強いかたで、みんなに心配かけまいとする心遣いがありました。しかし、次第に呼吸障害が強くなると、「苦しい」とあえぐようにいわれるようになりました。

 それでも、時には、アイスクリームが食べたいと希望されることもありました。私たちはなるべく自然体で、人間的な看取りを考えていましたので、それを許可しました。奥さんが、スプーンで、ゆっくり口の中に入れてあげ、わずかですが、食べることができました。その後は、吸引がさらに大変になりました。食べた物が、のどの奥に溜まり、痰も増えたためでした。

 2月19日、奥さんと息子さんたちが相談して、その苦しさを緩和できないか話しにこられました。「ターミナルケアでは、このような場合は、モルヒネを使って、緩和することができます。モルヒネの投与により、苦痛は緩和され、かつ時には呼吸状態も落ち着くことがあります。ただしそれによって、痰を吐き出せないために、死が早まることもありえます」と、私は話しました。

 家族はモルヒネの使用を望まれました。家族は、苦しまないようにだけしてほしいという希望をいわれました。

 私たちは、がんでない患者さんに、このような形で行う、ターミナルケアは初めての経験です。

 これは、91年に起きた東海大学の安楽死事件にも似た状況なのです。東海大学の安楽死事件は、多発性骨髄腫の患者が、けいれんを起こし、あまりにも苦しそうなので、家族が主治医に対して楽にしてやってほしいと懇願し、主治医は、一気に注射すれば心停止を来たすと分かっている塩化カリウムを静注して、心臓を止めてしまった事件です。

 私はこれと同じことをしてはならないと思い、どうしたらいいかみんなで考えました。きちんと生命維持の処置を行いながら、苦痛を緩和するということを家族やスタッフに、宣言しました。患者の生命維持にとって、不可欠な酸素や水分、栄養は十分投与することを心がけたのです。

 そしてモルヒネの投与を始めました。最初は速効性のある、アンペック坐薬を使いました。

 それを10mg使うと、強過ぎたのか、眼が上転して意識が遠のきました。家族はその急変に、驚かれました。そこで半錠に減らして様子を見ました。それを数日間試してみて、容態が落ち着いたところで、2月27日に、モルヒネに似たデュロテップパッチという貼り薬を、胸に張ることにしました。デュロテップパッチは貼り薬で、薬を飲めない患者さんにも使うことができる有用な鎮痛剤です。1枚で3日間効き目が持続し、4日目にそれを貼り替えます。

 幸いにも、それがちょうどうまくマッチして、Mさんの呼吸は落ち着きました。しかし、気道の閉塞状態は、改善することはなく、頻回の喀痰吸引をよぎなくされました。

 意識は、傾眠がちになりましたが、大きな声をかければ、開眼される状態でした。

 その処置をしてから10日ほどして、突然、呼吸状態が急変し、脈が乱れ、ついに心臓が停止しました。デュロテップパッチで、苦痛を緩和したために、最期は眠るように亡くなられました。

 M さんの生き様をとおして、私たちは、たくさんのことを学ばせていただきましたし、ターミナルケアのあり方も学ばせていただきました。



 
息子さんに、上記文章の掲載許可をお願いしましたところ、ご快諾いただき、さらに追伸文もいただきましたので、ご本人の同意を得て、以下に掲載させていただきます。

 父の闘病中は、先生と病院のスタッフの方々にとてもよくしていただき、いまでも深い深い感謝の気持ちが絶えることはありません。母も兄妹も同じ気持ちでいます。

 先生は五十肩だそうですが、母に聞いた話では父も五十肩には苦しんだそうです。両肩に症状が出てしまい、一人でワイシャツを着ることもできなかったときもあったようですが、整体に通い、いつしか良くなったそうです。

 僕も母も、いまも何かにつけて父のことを思い出してしまいます。

 父が亡くなったことは、母にとってはとても厳しいことだと思いますが、仏壇やお墓の準備など、忙しく動いていたことが良かったのかもしれません。最近になって、ようやく落ち着きを取り戻したように思います。

 お話をいただきましたホームページ掲載の件ですが、母とも相談しましたところ、ありがたいお話だということになりましたので、是非ともご掲載ください。きっと父も喜んでくれると思います。

 ずっと仕事に打ち込んでいた父でしたが、僕たちが子供の頃には、忙しい合間をぬって、キャンプや旅行、釣りなどに家族揃って出かけていました。本当にいい思い出をたくさんつくってくれました。

 きっと父は一生懸命だったのだと思います。生真面目で、話下手でしたが、やさしい人でした。いまでも思い出すことばかりです。

 モルヒネを投与する件については、僕が母に勧めました。先生からご提案を受けた際、母は深く悩んだようですが、医師である友人達にも何度も相談しましたし、アドバイスもたくさん受けました。彼らが日頃感じている、なかなか患者さんや家族に言えない「本当のこと」を聞いていたのも良かったのかもしれません。

 母とは時間をかけ、何度も話をしましたし、母も納得した上で「お父さんにも理解してもらえるだろう」というのが最後の判断でした。

 僕は父とはいろいろな確執もあり、たくさんの話をしてこれたわけではないと思います。それだけに後悔もたくさんありましたし、何もしてあげられなかったという思いばかりが残りました。

 けれども、きちんと最後のコミュニケーションを取れる時間を与えてもらうこともできましたし、父の気遣いとやさしさを最期にあらためて感じることもできました。家族として、人として、父を見送ることができたと思いたいです。

 こういう思いでいられるのも、先生や病院のスタッフ皆様の支えがあってのことだと思います。僕たちが知らないところでのご苦労も、たくさんあったかと思います。本当にありがとうございました。


2008年11月9日 認知症とナース 

 病院に、Iさんという80歳の男性患者さんが入院されました。口腔がんの手術を受けたため、じょうずにしゃべることができないのですが、しかし必死で語ります。もちろん認知症もあるのですが、その構音障害が、認知症の程度を倍化させているように、見えました。

 Iさんは、入院するとすぐ職員に相手構わず、借用書を書かせました。過去の生活上でその手の関係のトラブルに苦しんだせいだろうと、私たちは考えました。職員はその求めに応じて、借用書を書いてあげました。私も2枚ほど書きました。

 構音障害のため、ことばがはっきりしませんので、なぜ、借用書が必要なのかは、聞いてもよく理解できませんでした。しかしそれを書いてもらうと安心した顔つきになり、借用書のIさんと呼ばれて、みんなからしたしまれていました。

 咀嚼や嚥下も障害されていましたので、誤嚥性の肺炎を2度患いました。それも抗生剤の治療で乗り越えました。しかし、肺炎を起こすごとに体力は弱っていきました。

 そして、1年ほどして亡くなられました。亡くなられたその夕方、2人のナースが遺体の死後処置を行いました。それを終えると、2人とも目を真赤にしてナースステイションに帰ってきました。涙ながらに処置をしていたのです。私はそれを見て胸が熱くなりました。そこまでこの患者さんに思いを込めてくれたことに、感謝せずにはおられませんでした。

「どうもありがとう。これほどまでIさんを慈(いつく)しんでくれてありがとう」

 臨終のときは、ナースに「ご苦労様でした」とだけ語るのが通常ですが、私は自分の患者を大切にしてくれたことに心から感謝して、そういったのです。

 認知症のような慢性的な病気の患者には、医師よりも、ナースの方が、思い入れが強いと私は感じています。医師は、治すことには熱心ですが、治せないと分かったとたん、興味が薄れてしまいます。

 その点、ナースは、治療が必要なときは、注射や、投薬、採血と、忙しく働きます。治らないと分かっても、手をゆるめることはありません。その時こそ、ナースの本領であるケアが、発揮される舞台だからです。いいとこ取りの観の強い医師よりも、母親のような包容力や、優しさ、温かさのあるナースに、私は敬意を表します。

 当院のナースは、認知症ケアの質の向上に大変熱心です。それには頭が下がります。認知症ケアの在り方について、いろいろな研修会によく出かけます。私は、そのナースから教えてもらっています。

 イギリスのトム・キットウッド教授が提唱したパーソン センタード ケアという認知症の人の尊厳を守るケアの仕方が、最近取り入れられてきています。それを当院でも、実践していこうと勉強を始めました。

 イギリスは、先進的なアイデアを提起する国です。今では世界に広まっている近代ホスピス運動も、1960年代イギリスで始まりました。

 当院に入院してくる患者さんのほとんどは、この病院がついの住みかとなります。50代の人もいます。60代の人もいます。そういう方は、これからどれだけ生きられるかは分からないにしても、人生の大きな部分をこの入院生活で過ごさなければなりません。

 どのようにしてあげることがその人のQOL(生活の質)となるのか、それを真剣に考え実行していかなければならない時に来ていると、私は考えています。

 パーソンセンタードケアでは、認知症の人達の心理的ニーズには、くつろぎ、自分らしさ、結びつき(愛着、こだわり)、たずさわること、共にあること(社会との係わり)があり、それが満されている状態は良い状態で、そうでない場合は良くない状態だといっています。

 ホスピスケアでいうQOLを、パーソンセンタードケアでは、前述した、良い状態、良くない状態というようにいっていると、私は解釈しています。

 認知症の患者さんにとって、そのQOLとは何かを、模索する毎日です。

 このパーソンセンタードケアという考え方が、そのヒントを教えてくれるものと私は期待して、勉強しています。


2009年2月8日 パーソンセンタードケア 

 昨年の2月、開院3年目にあたり、私は「病院の質の向上に努めよう」という話をしました。

 この3年間私は、患者さんのQOL(生活の質)の向上をはかるために役立つものはないか、自分流にいろいろと試してみました。

 私のカルテを見ると、その試行錯誤の変遷が見られます。学習療法に始まって、さまざまなQOLの評価法など、いろいろ試しました。ところが残念ながら、当院の患者さんの質の向上に役立つものを、いまだ見つけられずにいました。

 当院のナースたちは勉強熱心です。私が帰るとき、駐車場に車がいっぱい並んでいるのを見ては、今日も勉強会をやっているなあと感心しながら帰っています。

 最近ナースから、教わりました。パーソンセンタードケアというケアのあり方です。

 パーソンセンタードケアは、イギリスのブラッドフォード大学のトム・キットウッド教授が提唱した、認知症の人の尊厳を守るケアの方法です。

 トム・キットウッド教授は、1960年ケンブリッジ大学で自然科学の学位取得後、神学を学び、1962年聖職位を授与されています。その後ウガンダで教鞭をとりながら、学校牧師を勤め、帰国後、ブラッドフォード大学で教授職につきました。

 イギリスは、先進的なアイデアを提起する国です。今では世界に広まっている近代ホスピスも、1960年代イギリスで始まりました。

 パーソンセンタードケア(その人を中心としたケア)の基本は、浅学のそしりをまぬがれませんが、私の理解するところでは、認知症の患者さんは、認知障害を患った一人の人間であり、それは、他の病気例えば、がんや糖尿病を患った患者さんと全く同じ、一人の人間に変わりはないというものです。

 現代社会は、知的機能が重視されている社会ですから、知的障害があれば極度に劣った人間として、評価されてしまいます。一人の人格として認められないことさえ起きかねないのです。

 その象徴的なことが記されています。

 一般の診療では、認知症の患者さんは、いろいろな話し合いの場からは、カヤの外に置かれます。例えば、医師とその家族が、患者さんの治療方針などを話し合う場合、その場からは外されてしまいます。本人には理解できないからという理由からです。それは確かかも知れません。しかし、パーソンセンタードケアでは、あえて、患者さんをその中に入れて話をするのです。そこには一人の人間として、応対しようという姿勢が出ています。

「目からウロコですね」とナースに言われました。その通りです。やっと役に立つものに出会えた思いです。

 その内容はなかなかハイレベルのものです。しかし、考え方の基本は、やろうとさえ思えば、今すぐにでも実践できるものです。

 パーソンセンタードケアという意味合いは、プロブレムセンタード(問題中心)、あるいはディジーズセンタード(病気中心)と、対比して使われていると私は解釈しています。

 徘徊を例にとってみますと、プロブレムセンタードでは、徘徊を問題行動としてとらえます。パーソンセンタードケアの考え方では、問題行動と見るのではなく、患者さんの不安の表現だと見るのです。その不安をどのようにして軽減してあげるかを、重視するのです。いっしょに手をつないで歩くことも一つの方法です。

 両者の考え方は一見すると似ていますが、どこに焦点をあてるかという点では違っています。

 私はこの考え方に出会うまえには、いろいろ悩みました。ほとんど理解できない人にどう対処したらいいのか分からなかったからです。

 食事を喉に詰まらせて植物状態になった患者さんがいました。点滴で栄養を補いましたが、私は毎日、ベッドサイドで、「どうしてほしいのか答えて下さい」と患者さんに問いかけました。

 それは、私の信条(信仰)である「人間には魂がある」という考えからです。植物状態であっても魂は聞いているという思いで、「もし希望があるなら、何らかの形で示してください」と問いかけていたのです。

 パーソンセンタードケアという考え方を知って、私は小躍りしました。

 このケアの考え方が、認知症ケアの向上に大いなる貢献をしてくれるものと期待し、私は自分流に実践しようと思っています。



2009年6月9日 本人の意思 

 私は、本欄の「2008年2月10日 ホスピスケアの原則」のところで、ホスピスケアの基本は、尊厳性の尊重、症状のコントロール、QOLの尊重の3つにあると書きました。

 しかし、本音をいえば、「本人の意思の尊重」が、第1に上げられるべきだと常々思っていました。

 そう思いながらあえて私は、「尊厳性の尊重」と表現しました。というより、それしか表現方法が、私の頭に浮かばなかったのです

 ホスピスケアは、山崎章男先生がいわれるように、「自立と尊厳を自力だけでは保てなくなった人を支えること」と確信してはいましたが、認知症患者さんのホスピスケアにかかわってからは、そう自分に言い聞かせるように努めていました。言い聞かせるようにといったのは、認知症の人の場合は、ガンの人とは、事情が少し違っているからなのです。

 癌患者さんのホスピスケアの場合、「本人の意思を尊重すること」を原則の第1に上げます。本人の意思イコール人間の尊厳といっても過言ではないほどです。

 ところが、認知症の高度な人の場合、本人の意思を尊重しようとしても、コミュニケイションが成り立たず、患者さんのいっている内容が理解できなかったり、健常者のものとはかけ離れた意思であったりもするのです。

 例えば、話の中に、すでに亡くなってしまっている人が現在進行形で登場したり(幻覚)、実際には起きてはいないことを確信していたりします(妄想)。それに基く意思は、はたして尊重されるべきものか現場では大いに迷います。これで私は悩み続けていました。

 本人の意思の尊重。これは医療に関わるすべての行為で、最も大切なコア(核)となります。尊厳死や臓器移植の問題でも、それが長年、論議されているのです。

 その基本ともいうべき「本人の意思の尊重」をどう取り扱えばいいのか、認知症という病気に取り組んでから、私は悩み続けていました。最も大切で基本的な本人の意思を、認知症の人の場合は、どう対応すれば良いのか。時には、ベッドサイドで意思表示のできない植物状態の患者さんに対して、「あなたはどうして欲しいのか教えてください」と、回診するたびに、傍らに座って小声で問うたものです。

 そこに、一筋の光を見出したのが、パーソンセンタードケアという考え方です。

 意思とは、それが会話や文章によって表現されるように、知的な要素が強い言葉ですが、当然、感情的側面も持っています。認知症の人は、知的な障害はあっても、感情的機能の多くは、残されています。

 パーソンセンタードケアでは、その感情的側面を重視しているのです。行動は、意思の表現です。言葉を飛び越えた意思の表現ともいえます。書いたり、話したりできる人は、意思の表現は、よほどの緊急事態でない限り、言葉によってなされます。その後に、行動が起きます。

 言葉を適確に使うことのできない認知症の人にとっては、言葉を飛び越えて、行動が意思の表現になることが多々あります。

 認知症の人において本人の意思を尊重するということは、とりもなおさずその人の感情やその行動の意味するところを読み取って、それを尊重するということになるのです。

 この考え方を知ってから、認知症の人に対するホスピスケアという私の視点が、整理されたのです。



2009年8月9日 これからの日本の認知症ケア 

 今年の6月、私の担当する病棟では、発熱や肺炎の患者が続出しました。何らかの感染症がまん延したと思いますが、その時はまさに野戦病院のようで、点滴瓶や氷枕を持って、みんな走り回っていました。その目まぐるしさに、私も目を回したほどです。

 そこまで忙しいと、質の向上などと声高に叫べる状況ではありませんでした。そんな嵐もやっと過ぎ去ったようです。

 当院が開院して4年目を迎えましたが、この3年間を振りかえりますと、そういった嵐は必ず反復するようにやってきます。いくら待っていても、いつも平穏だという時機はやっては来ないように思うように私はなりました。落ち着いたらやろうと思っていたら、その時機はいつまでも来ることはないでしょう。

 7月号の病院機関紙“ノアの爽風”に、2病棟師長さんが、川越の方でパーソンセンタードケア(以下、PCCと略します)の実践を準備していることを書いておられました。それを読んで私は、敬意と期待で心を躍らせました。

 PCCはイギリスの、トム・キットウッド教授によって提唱されたケアのあり方で、98年に本として出版されています。残念ながら、キットウッド教授はその翌年に亡くなられました。その遺志を継いだ人々がPCCの完成と普及を始めました。

 ホスピスケアも、1960年代後半にイギリスで興りました。80年代に日本でもスタートしましたが、本格的に取り上げられたのは、90年に入ってからです。今日では、日本全国の病院で実践されています。

 当院の看護師・介護士も、その勉強を始めています。それに触発されて、私も勉強しています。彼らから、PCCのセミナーはどこも満席であると聞くと、日本でも今後、認知症ケアのあり方は、PCCになっていくものと私は思います。

 浅学のそしりを免れませんが、PCCの基本は、そのマインド(精神)にあると私は思います。患者さんを認知症という病気を患った1人の人間として対し、その人らしくあるようにサポートするマインドがその基本なのです。これ自身はそんなに難しいことではないと思います。心の持ち方しだいで、変えられるものです。

 その象徴的な事柄が記されています。椅子から立ち上がろうとする患者さんに、“座っていなさい”とか“立ってはダメです”というのではなく、“座っていてもいいですよ”と声掛けをすることが上げられています。命令的でも否定的でもないのです。

 “座っていてもいいですよ”。

 この一言で、患者さんも職員も、心の有り様が変わると思われるのです。

 その機運が盛り上がるのを、一日千秋の思いで、私は待っています。


2009年10月4日 認知症もいいものですね 

 このことばは、認知症の旦那さん(Fさん)を看取られた奥さんのことばです。

 Fさんは84才の男性でした。当院に入院するほんの少し前、大学病院で肝臓がんと診断され、余命半年と宣告されました。

 本人は、中等度の認知症があったとはいえ、病名を聞いたショックで錯乱状態になりました。

 家族には当たり散らし、病気ノイローゼのようにそればかりを気にして、

「病院、病院」

と毎日のように叫び狂いました。時には奥さんに暴力を振るうほどになったのです。

 家に居るのは無理で、2006年4月に当院に入院となりました。

 入院のとき、

「いろいろ検査しましょう」

と、検査入院の名目で入院してもらいました。

 案の定、入院すると直ちに病気の心配をしてきます。鎮静剤を処方して、検査を3日くらいに1件づつとゆっくりと進めました。すべての検査を終えるのに、3週間くらいかかりました。本人が入院生活に慣れるためと、精神的に落ち着くために時間が必要だったからです。

 検査結果が出るたび、本人に説明していきました。本人は素人ですからもちろん専門的な内容は理解できません。ただ、がんだといわれたことが、心に突き刺さっているのです。

 頭部CTの結果を説明することになりました。その写真をシャーカステンにかけて、

「これはFさんの脳です。おおむね大丈夫ですよ」

といったところ、

「大丈夫ですか。それはよかった」

と大変喜んだのです。

 話していくうちに、彼の認知症はそれを間違える程悪くはありませんでしたが、どうも脳と肝臓を取り違えているようでした。

 本人は、どこのがんだったのか忘れたのかも知れません。大丈夫ならよかったですと満足げにいって、話は終わってしまいました。

「あなたの悪いところは、脳ではなく肝臓ですよ」

とわざわざ寝た子を起こすようなことをいうこともあるまいと思い、その場は終えました。

 腹部CTとエコーをやりますと、肝臓の右葉に大きさ、6〜7センチの腫瘤を認めました。肝門部から、わずかにはずれたところにありました。そのCT写真をシャーカステンにかけて本人に説明しました。

 CT写真上の患部を示して、

「これが腫瘍ですよ」

と、本人がどう反応するかを探りながらゆっくりと話をしました。

「はあ、そうですか」

 Fさんはそんなにおどろく気配もありません。

 「病院で静養しましょうね」

というと、

「よろしくお願いします」

と平然と答えられ、それ以上の追及はありませんでした。ちょうど入院して3週間ほど経って、鎮静剤で精神が安定していたのだと思います。家族にその様子を報告すると、驚いておられました。

 入院後1カ月ほどして、急に悪感戦慄が起こり、39度の高熱をきたしました。私はいよいよ腫瘍が肝門部という肝臓の急所に浸潤して、胆管炎を起こしたと考えました。もしそうなら急激に黄疸が出現し、敗血症を来して死亡してしまいます。

 家族にその説明をし、抗生物質を投与しました。家族も予後半年といわれていますから、覚悟しておられました。ところがその熱も数日で治まり、またすっかり元気になりました。以前のように食事が取れ、椅子に座ってホールのテーブルにつくことができるようになったのです。高熱は、がんの浸潤による胆管炎によるものではなかったのです。

 それからは、どこに病気があるか分からないほどの元気さでした。

 その後1年以内に、2回ほど肝臓のCTを撮りましたが、がんはその都度大きくなっていました。2回目の時には、右葉の半分を占めるほどの大きさでした。

 ところが痛みも肝障害も全くありません。それ以降CTを撮ることはやめました。かえって、がんが増大しているという先入観があると、その病気を中心に考えてしまいます。症状コントロールに徹するために、症状が出ない限り検査をすることはしませんでした。

 やがて認知症は進み、家族の顔も分からなくなりました。会話はできるのですが、内容が支離滅裂で、われわれには理解できないものでした。

「調子はどうですか」

と聞くと、

「そこへ行ったらだめなんですね」

 ときにほんの一瞬通じることもありましたが、ほとんどがこんな調子でした。

 がんノイローゼになったときと比べると、格段に穏やかな表情で、われわれには理解しにくい話を、テーブルの友人と話しています。奥さんはじめ家族の方は、面会しているときは、本人は何か分かっているような感じがするといわれました。

「認知症もいいものですね」

 ある時、帰り際に奥さんがいいました。入院する前に困り果てていたその苦労と、その時とは比べものにならない平穏な夫の姿を見てそういわれたのです。

 以後、時々下肢のむくみがひどくなり、利尿剤で治療したことはありましたが、大きな出来事はなく、穏やかに毎日を過ごしておられました。

 入院後3年3カ月の2009年7月に亡くなられました。

 その1カ月前から、食欲が無くなり、寝込むことが多くなりました。しかし苦痛の訴えは最期までありませんでした。2週間前ころから黄疸が出現し、眠るように他界されたのです。

「ここに来て、ほんとうに良かったと思います」

と、家族の方たちは感謝しておられました。

「認知症もいいものですね」ということばは、印象的で今も私は忘れられません。


2010年1月1日 秋祭り 

 当院では、毎年10月に秋祭りを催します。2009年は10月17日に開かれました。午後1時から、2時間半ほどのひとときでした。

 職員は全員参加し、患者さんもほぼ全員で、家族も患者さん1人につき数人来られますから、総勢400人くらいの大集団のお祭りです。ボランティアの方々も参加して下さいました。

 職員が分担して、お祭りの定番である綿菓子やお汁粉、焼きそばなどいろいろな屋台店を出しました。子供たちも来ますので、金魚すくいなどの遊技店もそろえました。

 会場の真ん中には、専用の舞台が設置され、各病棟がそれぞれ企画した踊りや歌などを披露します。そこに患者さんも加わりました。笑顔で幸せそうに歌ったり踊ったりしている患者さんを見ると、その家族は驚き感激します。

 毎日、忙しくケアに走り回っているスタッフが、これだけの準備がよくできたものだと驚嘆します。

 私は、テント下の患者家族席を呼びかけて回り、来てくださった家族にお礼を言います。患者さんは家族に囲まれて、日頃口にすることもできない綿菓子やお汁粉を喜んで食べています。昔、子供の頃、運動会でお昼に家族と一緒に食事を取っている懐かしい光景のようにも見えました。

 1人の男性の患者さんのところに来ました。90歳の方で、車椅子に乗って家族の差し入れたお汁粉をおいしそうに食べていました。

「おいしそうですね」

 本人はにこにこしてうなずきました。この方はこの数カ月間、どんどんと認知症が進み、呼びかけに対してほとんど声を出すことがなくなってきていました。ただ、うなずくのみです。

「家族の皆さんがこんなに来てくださったのですから、ありがとうと言いましょうよ」

と、私が大きな声で言いますと、しばらくして

「ありがとう」

と、はっきりとしかも大きな声で言いました。それを聞いてみんな感激しました。拍手が起きました。よほどOさんは、お祭りで心が高鳴っていたのでしょう。

 その高鳴りは、1週間ほど残っていました。回診して私が「こんにちは」と言うと、「こんにちは」と答えられるのです。

 職員の奉仕に近い努力がもたらした、すばらしい思い出です。




2010年2月4日 認知症患者のターミナルケア 

【言葉の定義】

 最初に、ターミナルケアという言葉の意味合いから考えてみたいと思います。

 人間の終末期におけるケアを表現する言葉に、ターミナルケア、ホスピスケア、緩和ケアという言葉があります。

 これらはいずれも終末期医療のあり方を言い表す言葉で、ほぼ同じ目的と内容を意味していますが、言葉のもつ歴史と使われ方に微妙な違いがあります。

 「夕ーミナルケア」は、1950年代−60年代の欧米の文献に登場しました。終末期医療を総称する一般的な言葉として使われています。死が間近な人に対する看護、終末期のケア一般のことを意味します。

 「ホスピスケア」は、主としてイギリスで70年代に使われはじめ、英語圏の文献では「ターミナルケア」に徐々にとってかわるようになっています。そして、むしろ終末期医療一般を指すものというより、イギリスの聖クリストファー・ホスピスに始まり、世界的に普及しつつある終末期医療への新しい取り組みを象徴する言葉として使われるようになっています。

 「緩和ケア (Palliative care) 」は、70年代後半からイギリスで使われはじめ、80年代にカナダを中心に使用され、アメリカ、オーストラリアなどに伝わりました。ホスピスケアとほぼ同義語として使われていますが、ホスピスケアの考えを核として考え方を広げたもので、がんのみならずエイズなどほかの不治の病気に対しても適用されています。

  いずれもケアの内容に、本質的な差異はありません。(出典:ホスピスQ&A【48】ターミナルケア、ホスピスケア、緩和ケアの違いは何ですか?)

 これらのケアは、がん患者が主な対象となりますので、終末期という言葉には、余命わずかというニュアンスが含まれています。厚労省の定義では、余命がおおむね6カ月と見込まれる時を、終末期といっています。

 一方、認知症の場合は、患者の余命は患者さんそれぞれで十人十色です。急速に悪化する人もいれば、発症して10年経過するという人もいます。余命が短いというニュアンスが強いターミナルという言葉は、認知症の場合はより厳密に使うべきです。

 本欄「お知らせします」でも書きましたように、長年、ホスピス医をされている山崎章郎医師が「自力だけでは自立することや、自分の尊厳を守ることが、難しくなってしまった人々の、自立を支え、尊厳を守り、共に生きることと言いたい。(中略)それらは、がんであろうがなかろうが、死が近かろうが、遠かろうが、等しく言える」といわれますように、ホスピスケアや緩和ケアは、必ずしも終末期にだけあてはまるものではないと考えられます。

 すなわち、元来ホスピスケアは、終末期にある人のケアをさしていましたが、長い時間を経て、深くそのケアを経験していくうちに、病気の種類や重症度、余命の長短、年齢の老若に関係なくホスピスケアは成り立つという考え方の変遷が、ケアする人たちにあったからだと思われます。
 
 それに対してターミナルケアという場合は、余命が短いという終末期にある場合を前提としていると考えられます。

 以上のような観点から言葉の定義を整理します。

 認知症の緩和ケアといった場合は、患者の認知症が重くなって、他人のサポートなくして自立できなくなったときから、緩和ケアは始まります。(認知症の緩和ケアについては、「ホスピスケアの原則」で書きました。)

 それに対して、認知症のターミナルケアという場合は、さらに重症化して死期が迫っていることが、その前提となります。

 三宅貴夫医師の論文では、認知症患者のターミナルとは、第1に、コミニュケーションがまったく成立しなくなったとき、第2に、食事の経口摂取がまったくできなくなった時と、定義しています。

 従って、認知症の場合は、通常のケアは緩和ケアもしくはホスピスケアといい、三宅医師定義の2条件を満たしたときにターミナルケアと、区別して使うべきと考えられます。(パーソンセンタードケアは、認知症という病気の特性から考え出された、独特な認知症の緩和ケア方法と考えられます。)

【認知症の緩和ケア】

 緩和ケアの特徴は、@本人の意思と尊厳を大切にすること、A苦痛などの症状をコントロールすること、BQOL(生活の質)を大切にすること、があげられます。

@ 本人の意思と尊厳を大切にする

 ホスピスの先駆者山崎医師も、患者の自立を支え、尊厳を守る事が、緩和ケアの基本であると述べています。

 知情意的存在である人間において、知的機能が障害されても、それは認知症という病気によるものであって、何ら人間の尊厳性が毀損されることはありません。

 本人の意思については、認知症のためにそれを的確に表明できないという問題があります。

 がんの患者さんの場合は、身体はがんに侵されていても、頭ははっきりしていますから、本人の意思を明確に表明できる人がほとんどです。それができなければ、ホスピスでは入院の対象になりません。

 認知症の場合は、重度の人は、入院する意味が理解できませんので、家族の要望で入院することも多々あります。逆に軽度の人は、入院を拒否しますから、時にはホテルに泊まりに行くと家族に誘われ、来院することもあります。

 したがって認知症の場合は、出来る限り本人の意思を尊重するにしても、自ずから限界があるのは当然です。その代わりに、判断は家族が大きな役割を担うのです。

A 症状をコントロールする

 入院して間もない時は、居場所が変わったために、不隠に陥ることが多くあります。さらに、なぜ自分はこうなったのか悩み、うつ的になったり、いらだったりもします。

 症状コントロールは、そのような周辺症状といわれる不穏や徘徊、うつなどの症状を、向精神薬でコントロールします。

 転倒して骨折したり、食事を誤嚥して肺炎になったりすれば、それも治療します。

BQOLを大切にする

 QOLは、クウォリティ・オブ・ライフの略で、生活の質をいいます。QOLを大切にするということは、延命という生命の量的なものより、質的な面を大切にしようとするものです。

 認知症の患者さんのQOLが何かを知ることは、大変難しい問題です。

 しっかりと観察し、時間をかけないと、的確な個別のQOLを見出し、実行する手助けはできません。

 リハビリ室やデイルームでは、ちぎり絵、習字などの作業療法や、風船バレーボール、ペットボトルボーリング、お手玉ホッケーなどなど、スタッフが考案したいろいろなゲームを、みんなでやっています。

 また、誕生会や月例の催し物には、ボランティアの方々が、楽器の演奏や日本舞踊などを披露してくださっています。いろいろな工夫を凝らして、楽しい生活の場となるように、努力しています。

【認知症のターミナルケア】

 次に、認知症のターミナルケアについて考えてみます。

 前述しましたように、認知症患者のターミナルとは、第1に、コミニュケーションがまったく成立しなくなったとき、第2に、食事の経口摂取がまったくできなくなった時をいいます。

 認知症のターミナルケアでも、症状コントロールが必須です。終末期にあるため、痛みや呼吸苦など、さまざまな苦痛は生じます。その苦痛を極力、取り除く処置が必要になります。死に行く時の苦しみが大変強い時には、モルヒネを使うこともあり、臨終の苦しみだけは緩和するということが、ターミナルケアでは大変大切です。

 次に、経口摂取が出来なくなったとき、選択肢は3通りあります。

 まず、胃瘻造設(PEG)があります。長期的に経口摂取が出来なくなれば、今では胃瘻造設は内視鏡的に比較的簡単にできますので、通常の医療では、ほとんど自動的に行われます。

 2番目は、静脈注射で栄養を補給する方法です。

 3番目が、介助による経口摂取を極力試みながら、自然の経過を看守ることです。

 胃瘻造設(PEG)は、治ることが見込まれる時や、局所的な障害、例えば脳梗塞を起こして、局所的に嚥下が障害されたときなどは、大変有効な手段です。

 しかし、認知症のターミナルの時は、脳機能障害が極度に進行した病態ですから、植物状態に近い病状になります。それにPEGを造設することが、適切かどうかは慎重に検討しなければなりません。

 認知症医療に携わって間もないころ、私はこのような患者さんに遭遇しました。70代のアルツハイマー型認知症の女性で、入院時は歩行ができました。しかしその進行は極めて早く、半年ほどで歩行も経口摂取もできなくなりました。会話ももちろんできる状況ではありません。

 私は初めての経験でもあり、あまりに急速な進行なので、一般医療の延長の考え方で、胃瘻を造設しました。その時は1時的に栄養補給ができて安心したのですが、それから2年あまり、呼びかけても全く反応はないという植物状態が続きました。しかも栄養補給をしても病気は進行しますから、全身は骨と皮だけの見るも無残な姿となりました。

 家族も最初は、PEGの造設に賛成してくれましたが、時がたつうちに、余りに変わり果てた姿に、心を痛めるようになりました。しかしいったんこういう処置を始めると、途中で止めることができなくなるのです。PEGからの栄養補給という延命手段があるのに、それを中止するというのは、安楽死に当たるのです。

 この経験をしてから私は、PEGはターミナルの時には勧めないことにしました。なるべく、介助による経口摂取と点滴を行い、看守ることにしました。

 意思の疎通もなく、経口摂取もできないで認知症のターミナルステージでは、なるべく自然の生命力をサポートすることが良いことと考えます。医療行為は最低限にして、生命力が自然と枯れていくのを看守るのです。

 いかなる病気であれ、そのターミナルステージで注意すべきことは、積極的安楽死といわれる手段をとってはならないことです。積極的安楽死とは、例えば、筋弛緩剤を投与するなど心臓や呼吸を止める操作によって、死期を早めることをいいます。現在の日本では、安楽死は法律で認められていません。

 超党派の国会議員でつくる「尊厳死法制化を考える議員連盟」が、延命中止法案要綱案を、2007年6月に発表しています。

 死期が迫った患者が、文書で延命治療を望まないと意思表示している場合、2人以上の医師が「臨死状態」と判定すれば、栄養や水分の補給などを含む延命措置を中止できるという内容です。

 これは、裏を返せば、本人が文書で、延命治療を望まないと意思表示していなければ、補液を中止できないということになります。

 今の医療現場では、補液の継続あるいは中止が、医師の裁量で行われていることは事実です。補液の効果が見いだせないときは、医師の判断で中止しています。


 前記の延命中止法案が可決されれば、この補液を中止する行為は、本人の承諾がない限り、違法と見なされることになります。

 これはまだ法律として成立していませんが、このところをよく踏まえて、私たちはターミナルケアを慎重に行う必要があります。(この実例は、本欄「2008年8月12日 ターミナルケア」で書きました)




2010年4月1日 KYT評価 

 当院では、医療事故の防止策として、KYT(危険予知トレーニング Kiken Yochi Training)評価という手法を取り入れています。

 医療KYTは、産業界で開発されたKYTを医療界でも活用できるように改変したもので、医療事故の減少をはかり、患者さんに安心な医療を提供できる環境を作るために組み立てられたものです。

 看護介護スタッフが実施していますので、詳細は分かりませんが、私の知る限りで説明してみます。

 まずある出来事が発生したとき、その場に関係したスタッフが、時間、場所その様子などを記載した報告書を提出します。

 その報告書を元に、スタッフたちがインシデントレポートKYTを書きます。

 インシデントレポートKYTは、次の4つのラウンドからなっています

 第1ラウンドは、「どんな問題があるか」というテーマで、その出来事に関する問題点を、気付くままにすべて列記します。

 第2ラウンドは、「これが問題のポイントだ」というテーマで、第1ラウンドで上げた問題点から、より重要と思われるものを絞っていきます。

 第3ラウンドは、「あなたならどうする」というテーマですが、内容が第4ラウンドと重複するところも多いので、当院では省略しています。

 第4ラウンドでは、「私はこうする」と題して、それに対する対処法をあげていきます。

 具体的に記してみます。患者さんの転倒が起きたとします。

 第1ラウンドでは問題点と思われることすべてを列記します。他の患者さんにかかわっていて、見守りが手薄になった。突然歩きだしたので追いつけなかった。スタッフ間の連係不足で、見守りするスッタフ数が少なかった、などなど考えつくものを全て上げます。1つの出来事についてだいたい10項目ほど上げられています。

 第2ラウンドでは、そのうち重要と思われるものを半分ほどに絞り込みます。

 第4ラウンドは、その問題点に対してどう対処するかを考えます。見守りは必ず複数で行う。突然動く可能性の高い患者さんには、なるべくスタッフの手の届く場所にいてもらう。持ち場を離れるときは他のスタッフに声をかけてその代わりを立てるなどの対処法を考え出します。

 個々の事例のKYT評価を各病棟師長がまとめて、毎月開かれる医療安全管理委員会でその結果を報告します。

 この対処法を実践してもさらに事故が起きるときは、KYT評価を反復して行い、内容をバージョンアップしていきます。

 このKYT評価を導入して3年ほど経ちますが、これによるアクシデント防止効果は絶大なものがあると私は思います。実際、転倒骨折などが、当院と同内容の認知症病院と比べて当院は格段に少ないという事実があります。

 この有益なKYT評価も、少なからず時間と労力が必要になるという欠点があります。書き慣れるほどアクシデントが多発しては話になりません。時々起きるためにその記載勝手が分からず、当事者は四苦八苦して書いています。その努力に頭が下がります。

 3年もたちますとほぼ問題点は出つくした感じがします。そしてそれに対する防止策もほぼ決まったものになります。それでもゼロにならないのは、いくら注意しても防ぎようのない限界があるからです。(この話は「患者の拘束は絶対にしない」という当院の基本方針を前提としています。拘束すれば転倒などの事故はほとんど防止されるのは当然です)

 例えば、病室内で自分で車椅子に乗ろうとして転倒することがあります。介助でしか乗れない人はスタッフがその都度を介助しますが、そういう人は転倒しません。自分で車椅子を動かせる人はこの様なことが時々起きます。スタッフが全病室に張り付いて見守るわけにはいきませんから、これは防ぎようがありません。これを防ぐには、患者さん自身では移動できなくする(拘束)か、目の届くところにベッドを置く方法しかありません。拘束は絶対に当院ではしませんから、後者を実践しています。

 人数の少ない夜間帯は、そういう人はナースセンター近くの病室、時にホールにベッドを置いて見守るのです。

 私はこのKYT評価というのを見ていて、以前、ある本で読んだ、バス会社の安全運転教育のことを思い出します。事故が多発して困ったバス会社が、事故防止の対策を練ったのです。会社は2通りの方法を考えました。

 その1つは、ある教育機関に専門の講師を依頼し、安全運転の講義をしてもらいました。もう1つは、職員みんながグループになってどうしたらいいのか議論し、その方法を自分たちで決めたのです。

 実際に実行してみますと、後者の方が断然効果が高かったのです。自分たちで考え決めたことは守ろうという意識が働くからです。専門講師による講義は、右耳から左に抜けていくようなもので、自分のこととするという意識が高まらなかったのです。これは心理学的にも実証されています。

 KYT評価はその内容自身にも意味がありますが、さらに重要なことはそのプロセス、すなわち自分たちで考えその方策を考えるというプロセスが大事で、それが良い効果を生んでいると私は思っています。

 ですから問題点とその対策法は出つくしたとしても、それはそれでいいのです。そのプロセス自体が事故の再発防止に働くからなのです。



2010年10月4日 認知症ケアはこれからの社会課題 

 病院新聞7月号の医学トピックス欄に、「今年3月に開催された第8回英国緩和ケア学会で、高齢化する成熟社会の課題を『認知症』とし、今後の主な研究対象を『認知症の緩和ケア』とする」とありました。

 これまでのがんを対象とする緩和ケア方法はほぼ確立したと見られ、これからは認知症の緩和ケアを主な研究対象にするというものです。これを見ましても、認知症ケアの社会的ニーズがますます高まっていることがうかがえ、当院の社会的役割もさらに大きくなるものと考えられます。

 オープンして4年8カ月がたち、当院はかなり優れたケアを提供できるまでになったと自負していますが、さらなる向上のために私は次のような課題を思いつきます。

@患者さんの尊厳を大切にする

 これは私たちの基本的な心構えです。患者さんは認知症を患う「人」であることを、再認識したいと思います。

 ある患者さんが亡くなりました。2人のナースが死後の処置を終えてステーションに戻ってきました。目には涙をいっぱい浮かべていました。患者さんへの2人の愛情に私は胸が熱くなりました。

A話し方、接し方のさらなる向上

 パーソンセンタードケアでは、患者さんへの話し方として、否定語、命令語は使わないとしています。「立ってはいけません」ではなく、「座ってていいですよ」というのです。ちょっとした気遣いが、患者さんの気持ちやその場の雰囲気を大きく変えてくれます。

 昨年暮れに私の義母が、インフルエンザの予防接種に当院を初めて訪れました。建物の広さと美しさに驚いていましたが、それにも増して、職員みんなの笑顔がすごく印象的だといっていました。また介護施設のテレビ番組で、建物以上に職員の人柄が入所を決める際の大切なポイントだと指摘していました。

 これらは、私たち一人ひとりの心構えで実行できることだと思います。

BQOLの工夫

 QOLとは生活の質をいいますが、認知症の場合、病気の程度によりQOLが全く異なります。私たちが患者さんをよく観察する必要があります。リハビリ室やデイルームでは、色々な作業療法やスタッフ考案のゲームをやっています。ボランティアの方々が、楽器の演奏などを披露してくださっています。出つくした感はありますが、認知障害が軽い人のための工夫がまだ残っているように思います。患者さんみんながテーブルで作業しているときの、あの生き生きとした表情には驚きます。


 参照 ・ホスピスケア−がんと認知症


2011年3月3日 6年目の課題 

 この2月で当院は6年目に入りました。オープン1年目はゼロからのスタートですから、連日新規入院という慌ただしい日々で、試行錯誤が続きました。「体力がもつかなあ」と、院長と顔を見合わせたことを懐かしく思い出します。

 川越の先輩病院の指導、各部署のスタッフの努力によって、ほとんどのことは5年間に完成したと思っています。

 この正月に私が今年の目標を考えていたときに、残された課題があることに気付きました。それは患者さんへの応対(接遇)です。

 病院新聞新年号を見ますと、偶然にも、常務理事が『今年は、「看護・介護の原点に戻る」ことを基本にして「認知症患者への接し方」を徹底して教育するよう、教育担当師長にお願いをしました』と述べておられます(決して口裏を合わせたわけではありません)。

 当院スタッフの工夫によって、患者さんの精神身体ケアのやり方はほぼ確立しています。例えば、歩行が不安定な人には必ず付き添う、ホールの見守りは1人では絶対しないなど、様々な経験を反省してやり方を確立しました。その結果、ほとんどアクシデントといえるようなものはなくなりました。

 残された課題が患者さんへの応対です。これは基本中の基本ですが、患者・職員双方の性格や生育生活歴などが深く関わっているので、なかなか難しいものです。

 私はナースステーションでスタッフのやり取りを聞いています。研究会などに参加して勉強している人も多くいますから、大変参考になります。

 1例を上げましょう。

 患者さんが、

「今日、退院します」

(もちろんそれは許可の出ていないものですが)といって来ました。

「そう、それはおめでとう。よかったですね」

というスタッフの返答。

「今すぐ帰らせてもらいます」

「今からお昼ご飯ですから、それを食べてからにしたらどうですか」

「そうですね」

と患者さんは納得して席に戻ります。

 こういうやりとりは、決して患者さんの尊厳を傷つけず、しかもウソをついているわけでもありません。構えず自然に応対できるようになれば、素晴らしいことです。

 これをどうのようにして構築していくかとなると、そうとうの努力が必要になります。

 私は、当院で取り入れているKYT(危険予知トレーニング)という方法が、1つのヒントを与えてくれているような気がします。みんなで考え、みんなで工夫するのです。

 6年目になるこの1年間は、それを目標にしたいと思っています。



2011年5月5日 抗アレルギー剤の作用と思われる興味ある経過をたどった患者さん 

 当院に入院中の男性患者さんで、偶然ともいうべき内服治療にて、興味ある経過をたどった人がいました。

 その患者さんはY.Oさんといい、71歳の男性です。2009年8月に脳梗塞を発症し、当院には血管性認知症として2010年7月8日に入院しました。

 紹介状には、2009年11月頃から、いつも閉眼している、声を出さない、無表情、急に立ち上がる、車椅子ごと転倒する、時に大声を出すなどの症状が記載されていました。

 入院当日には、精神科医が問いかけても、他の方角を見つめたまま、問診には全く反応しませんでした。

 入院時の改訂長谷川式簡易知能評価スケール(HDS-R)は、検査員の声かけに反応悪く、評価不能で0点でした。

 入院以後徐々に病院の生活に慣れてきて、車椅子の生活ではありましたが、時々立ち上がったり、大声で怒鳴ったりしていました。

 7月13日には医師の話かけに、簡単に応じています。

 しかし、病気の進行は激しく、月単位で精神身体の諸機能が低下していくのが分かりました。

 2011年2月には、介助で車椅子に座っていることはできても、テーブルを前にした車椅子上でじっとしているだけで、身体が斜めに傾いてしまう状態でした。

 食事は全介助で摂取し、時には、口からヨダレがたれてしまい、会話は全くできません。呼びかけても、1点を見つめているだけで、反応はありませんでした。

 その時のNMスケール(N式老年者用精神状態尺度)は0点でした。

 2月17日、躯幹に湿疹ができていたため、皮膚科の医師が、ステロイド外用薬とメキタジン(商品名ゼスラン)3rを1日2錠処方しました。

 その他の内服薬や処置はその前後に全く変えていません。

 服用を開始して4日目の2月20日から、急に話し出すようになりました。興奮した様に大声で話し出したのです。

 しかも話す内容は、でたらめではなく、こちらの質問に対してきちんと答えるのです。

 2月21日のカルテには次のような精神科医との会話が記されています。

「Oさん」−「はい」

「お名前は?」−「私ですか?」

「そうです」−「Oです」

「下の名前は?」−「Yです」

「好きなことは?」−「野球」

「好きな球団は?」−「巨人」

「誰が好きですか?」−「別所」

 表情も、ヨダレを垂らしていた時のような無気力な顔付きから、すっきりと引き締まった顔付きになりました。

 こちらとしては驚くばかりで、「一体これはどうしたんだろう」とスタッフ全員が驚きの声を上げました。

 私はその変化を来した日の前後に変えた治療やケアの内容をカルテで探しましたが、皮膚科の投薬以外に何もありませんでした。

 その変化は一時的なもので、すぐ元の状態に戻ってしまうだろうと観察しておりましたが、1週間、2週間たっても戻りません。それどころかどんどんADLは改善し、食事を自分の手で食べたり、車椅子に座ってではありますが、ホールでの体操をみんなに合わせて一緒にやるのです。また、発声練習や合唱も、リーダーの合図に合わせてやるのです。

 4月20日施行のNMスケールは15点でした。

 皮膚科の薬であるゼスラン錠に、そういった精神神経作用があるのかどうか調べてみました。

 ゼスランは、フェノチアジン系の薬剤で、抗ヒスタミン作用を目的として皮膚科領域で主に使われています。フェノチアジン系薬剤は抗精神病薬として使われる薬剤ですから、精神神経作用はあるとみても良いと思いますが、ゼスランについてどの薬説明書を見ても、副作用に眠気が出ることがあるというくらいで、この患者さんに起きた現象を説明できる内容の記載はありませんでした。

 このような興味ある経験をしてから、皮膚炎のある患者さんには、未知なる精神神経作用も期待して、ゼスランを処方しようと考えています。




2011年8月3日 患者のQOL評価 

 QOLはクウォリティ・オブ・ライフの略で、生活の質をいいます。

 認知症患者さんの病状評価には、長谷川式簡易知能評価スケール(HDS-R)やN式老年者用精神状態尺度(NMスケール)などがあり、当院でもそれらを活用していますが、認知症患者さんの治療というよりホスピスケアを主眼とする当院では、認知機能の評価以上にQOL評価がより大切になります。

 パーソンセンタードケアー(PCC)には、DCM(Dementia Care Mapping)という評価方法があります。これは認知症ケアの質の改善を目的とした行動観察手法ですが、5分毎に6時間程度評価するという大変ハードなもので、専門の担当者がいないと実施は困難といえます。

 そこで私はPCCの文献を拾い読みして、自分なりの評価法を作りました。

 患者の状態を評価する項目に、@くつろぎ Aふれあい B表現 C笑顔 D会話 E活気 の6項目を、独断で選出しました。それを毎日観察して、0点から2点までの評価点数をつけます。

 @くつろぎとは、患者さんがホールや自室にいる時、くつろいだ状態かどうかを表情や態度で見ます。例えば、テーブルについて穏やかにテーブルメイトと話している状態ならば、2点をつけます。

 Aふれあいは、患者さん同士やスタッフとの間に、ふれあいがあるかどうかを観察します。喧嘩も1つのふれあいといえますが、評価は低くしています。

 B表現とは、自分の感情を表現できているかどうかを見ます。喜怒哀楽の感情をよく表出できていれば、高く評価します。たとえよく怒るにしても、自分の感情を表現できているとして1点をつけます。

 C笑顔は、日常の生活で笑顔がどの程度あるかを見ます。会話しているときに笑顔が出る。あるいは独りでいるときも穏やかで笑顔があれば高く評価します。

 D会話については、少し厳密にその内容を見ます。全く受け答えができない場合は0点です。きちんとした内容で受け答えができれば1〜2点と高めの点数をつけます。受け答えは出来ますがその内容がでたらめなときは、点数を少し下げます。

 E活気とは生き生きとした活発さで、表情や行動などにハキや元気があるかどうかを見ています。

 これらの項目をだいたい1週間に1項目づつ評価し、カルテに点数と簡単な説明を記載しています。

 これが臨床にどの程度役立つかはまだ分かりませんが、この評価項目の視点から患者さんの状態を観察すれば、QOL評価につながると思って実施しています。



2011年12月12日 勉強会 

 当院では教育委員会が主催して、毎月勉強会を開いています。毎回60人近い看護師・介護士が参加します。
 そしてその後には、職員集会を持って話し合っています。その熱意には敬服します。
 それ以外でも、感染症委員会、安全管理委員会、拘束ゼロ委員会などなど委員会が10以上あり、毎日何がしかの会議が持たれています。慢性病院でこれほどまでに熱心に会議を開催しているところは、あまり見かけないのではないでしょうか。
 2011年12月2日に「疾患の理解」と題して私が講義をしました。当院は精神科の病院ですが、しばしば急性病も併発し、内科的疾患なら当院で治療していますので、その基本について講義しました。
 今回はそのレジメを掲載します。


『疾患の理解 : 心不全腎不全・脱水症・イレウス
 


心不全 心臓の血液拍出が不十分(心臓の収縮力低下)で、全身が必要とするだけの循環量を保てない病態。心不全の症状は、主にうっ血によるもの(肺水腫、全身浮腫)

基礎疾患 心筋梗塞・心筋症・弁膜症

治療  静脈うっ滞を改善する利尿薬(ラシックス)。心臓の拍出量改善の強心薬(プレドパ注=イノバン、ジギラノゲン)。 血管拡張薬(硝酸イソソルビドテープ

注意点 浮腫が大腿まで来た、脈・呼吸がおかしい、SATがいつもより低い→要注意


腎不全 腎機能が低下した状態。呼吸困難や心不全などの症状が現れ、進行すると尿毒症になる
  
基礎疾患 腎炎・糖尿病性腎症など

治療 腎機能低下の原因を取り除きつつ、水分及び血中老廃物の過剰蓄積を防ぐ。(ラシックス、カリメート、クレメジン細粒=マイライン) ⇒ 症状の進行で人工透析治療が必要となる

注意点 尿量は?(正常500 - 2,000mL/日)。浮腫増大。脈・呼吸がおかしい。残尿に注意

     (正常尿量は500 - 2,000mL/日。乏尿=1日の尿量が400mL以下。無尿=100mL/日以下。
      24時間無尿になると尿細管閉塞する。
12時間排尿無い時 → 導尿する。
      膀胱容量 250〜600ml)


イレウス(腸閉塞) 腸管内容の肛門側への移動が障害される病態

 機械性イレウス 腸管内に生じた腫瘍などの物理的な狭窄によるもの

 機能的イレウス(麻痺性イレウス) 腸管の運動障害(麻痺)によるもの

治療 @絶食 A経鼻胃管(イレウス管)で腸内容を吸引 B輸液C無効な場合は手術適応となる

注意点 いつもよりお腹が張っている。腸の音はどうか(金属音)。吐物に便臭


脱水症 体内の水分量が不足した状態(水分喪失量に対して水分摂取量が不足することによって起こる)

原因 発熱・下痢・嘔吐

治療 @電解質を含んだ水分を経口摂取 A輸液

注意点 舌(舌は見える筋肉→萎縮は脱水)・ツルゴール(皮膚緊張度)の低下・採血


病気の時に観察すること(肺炎の例)

@経口摂取の可不可 (3日以上の絶食はなるべくしない)

Aインアウトバランス(IN OUT BALANCE) 体内の水分の出入りのこと

 IN:点滴・輸血量、薬の量、飲水量、食事量など身体に入るもの

 OUT:出血量、尿量、汗の量など身体から排泄されるもの

    

《水分量目安》
@ 輸液量=尿量+700ml(体重60kgの人)〔700ml=不感蒸泄900ml−代謝水200ml〕

A 成人 輸液量  40〜50 (ml/Kg/day)

B 通常の高齢者の必要水分摂取量は1日1000〜1500ml

C 平熱で室温が28度の時、不感蒸泄は約15ml/kg/日。体温が1度上がるごとに15%増える

 例)体重が60kgの人

 平熱の時の不感蒸泄 → 15x60=900

 38.5度まで発熱した時の不感蒸泄 → 900x1.15x1.15=1190

 38.5度まで発熱があった場合は、300mlの水分を余計に与える

補)体液量 成人男性 体重の60% 女性 男性の8割
年齢とともに減少していく(新生児で約78%。4歳くらいで成人とほぼ同じ。老人は約50%)


Bバイタルサイン

  血圧・脈拍・体温・尿量・SAT(SpO2)・表情(活気)・舌(舌は見える筋肉→萎縮は脱水)・ツルゴール(皮膚緊張度) ⇒ 活気は顔に出る

SpO2 (%)酸素飽和度 75 89 94.5
PaO2 (mmHg)動脈血酸素分圧 40 60 80

 *SAT(=SaO2酸素飽和度)⇒経皮的動脈血酸素飽和度(パルスオキシメーターを使って得られたSaO2の近似値を「SpO2」といいます) 
 * 平常時のSpO2を基準とすることが大切 例)肺動脈血栓症の患者

C血管確保

Dイソソルビドテープ貼付(硝酸イソソルビド)  冠循環改善作用(心保護作用)・末梢血管拡張作用(水分貯留作用)

 外傷,熱傷,感染などの侵襲が生体に加わると,微小血管の透過性 が亢進し,血漿成分が間質(いわゆるthird space)へ漏出する

 ⇒ 48時間経つと,血管外に漏出した水分が血管内に再度戻ってくる(リフィリング現象)。患者の腎機能が保たれていれば,尿量の増加,血圧や中心静脈圧の上昇などがみられる。しかし,この現象に気づかず,輸液量を減らさないと,肺水腫を招く危険性がある

EO2投与 低酸素血症=ルームエア呼吸下でPaO2<60 mmHgまたはSpO2<90%

 吸入器具としては、鼻腔カニューレ(nasalと通称されることが多い)、単純なフェイス・マスク、リザーバー付きのフェイス・マスクの3種が多用される。それぞれの器具を使用した場合の吸入酸素濃度(FiO2)は下表のとおり

鼻腔カニューレの場合 酸素マスクの場合 リザーバー付マスクの場合
100%酸素流量(l/min) FiO2(%) 100%酸素流量(l/min) FiO2(%) 100%酸素流量(l/min) FiO2(%)
1 24 5 40 6 60
2 28 6 50 7 70
3 32 7 60 8 80
4 36 9 90
5 40 10 99


F喀痰吸引

Gネブライザー

HBSチェック 感染症では血糖値が上昇する⇒血糖を上げる作用のあるインスリン拮抗ホルモンや炎症性サイトカインが増加、インスリンの作用が低下。 BS<70 または >400mg/dl  ⇒ Dr 上申


《まとめ》

@浮腫が大腿まで来た、呼吸がおかしい、SATがいつもより低い要注意

A3日以上の絶食はなるべくしない

B12時間排尿無い時 → 導尿する。24時間無尿は致命傷。残尿に注意

C38.5度まで発熱があった場合は、300mlの水分を余計に与える(舌の萎縮は脱水)


D平常時のSpO2を基準とする

E
急変の2日後に、また山が来る

FBSチェック 急性病時は血糖値が上昇する(特にDM気味の患者に注意)


G自分の手が体温計(器具に頼る前に、自分の五感を働かせる)





2012年5月1日 がんのホスピスに学ぶ 

 前にも書きましたが、2010年の英国緩和ケア学会では、高齢化する成熟社会の課題を「認知症」とし、今後の主な研究対象を「認知症の緩和ケア」に当てるとしました。これは、これからのホスピスケア(緩和ケア)の主な対象が、認知症にあることを示唆しています。

 過去にがんのホスピスに従事した経験から、そこで私が学んだことを簡単に記してみます。

 認知症のホスピスケアの原則はがんの場合と変わりなく、@人間の尊厳性を大切にするA苦痛などの症状をコントロ−ルするBQOL(生活の質)を大切にする、があげられます。

 私が注目する点は、がんのホスピスケアでは、患者さんだけでなく家族へのケアを重視し、患者さんに対するのと同じくらい家族のケアも大切にするという点です。がんのホスピスに来る家族は、患者さんと同じくらいに、がんという病気に対して切実な思いで向き合っています。

 それ故、患者さんが亡くなった時には、家族にとって大きな喪失感や悲嘆をきたします。遺族が悲しみを上手に乗り越えていく手助けをすることがホスピスケアの基本の一つです。

 具体例を上げてみます。がんのホスピスでは、患者さんの死亡後でも半年毎に家族に手紙を書いたり、年1回家族会を開いたりしてそのケアをしています。

 また、患者さんが亡くなると必ず、「お別れ会」という短時間の集いを病室で開きます。死後処置を終えてから、スタッフと家族が遺体を前にして集まり、思うところを数分ずつ語り合うというものです。全員が涙にくれることもあります。悲しみ泣くということは、別れの悲嘆を軽減するといわれ、グリーフケア(グリーフとは悲嘆の意)の一環としてお別れ会が持たれているのです。

 当院での「家族が大切」という言葉のニュアンスはこれと少し違います。キーパーソンとして患者さんの保護者的な役割を担っていただくというものです。

 認知症患者さんの家族の場合も、入院前に経験した患者さんの不隠や、暴言、暴力などが強ければ強いほど、その期間が長ければ長いほど、家族は強いストレスを受け、それがトラウマとなって残っています。それを思い出すと、容易には患者さんの受け入れ(外泊など)が出来ないという家族も時折見かけます。

「この病院に入院する前は(患者さんに)怒鳴られてばかりだったのに、大変穏やかになり私に笑顔を見せてくれます。それだけでも感謝です」と嬉しそうにいわれる家族にお会いすると、「家族も共にケアする」というがんのホスピスの基本を思い起こします。



2012年8月2日 拘束ゼロへの挑戦 

 10年近く前、ある病院の慢性期病棟で、拘束をいっさいしないという試みのドキュメンタリー番組が、テレビ放映されました。私は急性期病院にいましたので、「頑張っているなあ」というくらいの気持ちで見ていました。番組では、その試みは今の人員では困難だという結論でした。

 セントノア病院には、「拘束はしない」という基本方針があります。拘束すれば、他患とのつながりが希薄になり、認知症がより早く進行するという見解に基づいています。

 当院の拘束ゼロへの挑戦は、どこからかそのノウハウを借りてきたのではありません。それはまさに新しい試みであり、恐ろしいほどの努力が必要とされました。

 まずは建物の設計から始まり、マンパワーの増員、拘束を無くす手法の検討などなど、まさに、血のにじむような努力が必要だったのです。

 当院の開院まもない頃、ある男性患者さんが入院してきました。入院時に診察室で家族と話していると、家族は、患者の安全のために拘束を強く希望したのです。オープンして間もないころなので、私も当惑しました。

「当院では拘束しないというのが病院の決まりですから、それはできません」どう対処したら良いものか、そこで話が膠着しました。

 しばらくして医療福祉相談員の「拘束なしでまずやってみましょう。それからまた考えましょう」という一言で、入院が決まりました。

 その患者さんは車椅子を自分で操作できましたので、今まで何度も自分の足で蹴り上げて後方へ転倒し、後頭部を強打していたのです。

 入院してからしばらくの間、テーブルと壁の間に車椅子を置いて、たとえ転倒しても大事にいたらないようにして観察しました。そうしたら、車椅子にオーバーテーブルを装着すれば大丈夫なことが分かりました。本人もそれが気に入って、そのテーブルの上に両手を置き、食事をしたり物をいじったりして、自由にホールや廊下を動き回ることができました。それで1度も大きな事故を起こすことがありませんでした。

 それから6年経った現在、家族の承諾のもとにやむを得ず行う拘束は、四点柵のみです。寝ていて、ベッドの上で動き回る人は四点柵をつけないと何度も転落してしまいます。実際にはこの四点柵対応すらほとんど行われておらず、そのスキルは6年前に比べて格段に進歩したのです。

 それで事故が多発しているかといえば、そうではありません。直近の集計を見ますと、平成24年6月の転倒発生件数は4件(全病床168床)なのです。

 そのためには、スタッフの大変な努力が必要とされています。歩行もおぼつかないのに、1日中、歩き回る人がいます。その場合は絶えずスタッフ1人が付き添います。日中は、病棟中央のホールにおおむね全員の患者さんが出ていますが、その要所に監視役のスタッフを置いて、転倒の危険が見られたときは、すぐ飛んで行けるようにしています。

 夜中は、スタッフの数も減りますので、観察が必要な人は、ナースセンター脇の個室にベッドを持ってくるようにしています。

 このようなたゆまぬ努力をしても、残念ながら転倒などの事故はゼロにはなりません。そこでもし事故が起きたときには、KYT(危険予知トレーニング)評価という手法を取り入れて、その都度、防止策を講じています。

 拘束ゼロへの挑戦は、ゼロになるまでこれからも続くのです。



2013年2月1日 夢・希望は心の糧 

 2006年2月にオープンした当院は、今月で8年目に入ります。7年という歳月の間に、「拘束ゼロ」「褥瘡ゼロ」への挑戦をかわきりに、医療事故防止から、様々な病気の治療、院内感染対策にいたるまで、すべてといっても過言ではない出来事に遭遇しました。試行錯誤のうえそれらを克服し、そこから学んだ多くのことをマニュアル化して、病院実務のスキルを向上させてきました。

 実務に習熟する(慣れる)ということは大切なことです。不慣れなため失態ばかりしていては困ります。しかし慣れるということは、ともすると、マンネリ化につながります。マンネリ化に陥ると、そこで進歩が止まり、技術的なその日暮らしの生活が始まるのです。

「慣れること」と「マンネリ化」は、どこが違うのでしょうか。一見すると両者はよく似ていますが、より高い目標を目指そうという意識があるか否かに違いがあると、私は思っています。

「目標を持つ。夢を持つ」ということは、大切なことです。絶え間ない進歩をもたらすからです。まさに「食事は体の糧、夢・希望は心の糧」なのです。

 厚労省の推計で、認知症の高齢者が昨年時点で300万人を越え、この10年間で2倍という、政府の予測を大幅に上回るペースで増加していることが分かりました。厚労省はいやおうなしに、新たな認知症対策を迫られています。

 日本の政権が交代し、医療福祉政策はまたもや改変されることでしょう。新しい政策に連動するように、医療界も厳しい局面に立たされるかも知れません。

 8年目の今年も、ますます増大する社会ニーズにこたえるべく、当院の設立理念たる「医療と福祉の融合」という原点を再確認して、みんなで知恵を出し合い、高い理想を追いかけたいと思っています。




2013年8月2日 笑顔の大切さ 

 今年4月から、当院のケア専門士会発案で『忘れてはならない患者応対の18ケ条(栃木県看護協会研修会資料から引用)』を当院では実践しています。

 毎月、18ケ条の1条ずつを順に、その月の目標として掲げて、毎朝唱和し、実践しているのです。

 すべて有益な内容なので、全項目を列記してみます。

「第1条 患者さんに与える第一印象として、清潔感ある身だしなみに気をつける」

「第2条 “あいさつはコミュニケーションの第一歩。職員から先に患者さんに届ける」

「第3条 患者さんの安心感のために“表情”に気をつける」

「第4条 患者さんと話をする時(話を聞く時)は、必ず顔(目)を見て応対する」

「第5条 業務をしながらの言葉がけは相手に届かない(“ながら応対”はしない)」

「第6条 場所や手順などの“案内”は、患者さんの分かりやすさに気を配る」

「第7条 応対の最後には、必ず相手が理解したかどうか確認する」

「第8条 職員同士の私語やくだけた様子は、患者さんに不快感を与える(場所をわきまえる)」

「第9条 多くの患者さんから『見られている』という意識を持って行動する」

「第10条 患者さんにものを渡す時は「相手の受け取りやすさ」に配慮する」

「第11条 患者さんとの応対の中で職員がとる動作には、必ず言葉を添える」

「第12条 患者さんを「待たせた」ことへの配慮の言葉は、表情、態度など全身で気持ちを込めて届ける」

「第l3条 患者さんの話を聞く時は、聞いている姿勢をきちんと示す」

「第14条 “馴々しい言葉”“子供扱いした言葉”“指示的な言葉”は使わない」

「第15条 患者さんの年齢や状態に合わせたプラスαの配慮を心がける」

「第16条 患者さんによって(相手によって)応対に差をつけない」

「第17条 周りの患者さんの“耳”にも気を配る」

「第18条 患者さんの家族の感情にも配慮する」 

 どの項目も、当院のケア向上に役立つものばかりです。この内、第3条について今回は述べてみます。

 第3条の付説には、「病院で作り笑顔は必要ありません。“微笑み”だけでも気持ちは十分伝わります。患者さんの顔をきちんと「見て」、温かな思いやりの表情を届けましょう」と、「笑顔の大切さ」をうたっています。

 患者さんにしろスタッフにしろ、笑顔は心身のプラスエネルギーの表れです。スタッフの笑顔は、それだけで患者さんの心を癒すといっても過言ではありません。

 笑うこと自体が心身のリフレッシュにつながり、免疫力が向上することが医学的に証明されているのです。

 笑顔は一朝一夕にできるものではありません。作り笑顔でないなら、なおさらのことです。

 笑顔も訓練が必要なのです。まず気持ちの持ちようの訓練、そして鏡を見て最高の笑顔をつくる訓練を、毎日するのです。

 世には笑うためのセミナーがあるほどで、多くの人が料金を払って、そこに参加しています。

 笑顔は、スタッフにとっても患者さんにとっても、極めて大切なものといえるのです。


2014年2月3日 マザー・テレサに学ぶ 

 この2月で当院は、オープンして9年目に入ります。10年近い歳月が経つと、国の財政から人ロ構成、社会保障に至るまで、様々な社会環境が変わり、それに伴なって当院に対する社会的ニーズも変化してきています。それに即応できる私たち医療者の柔軟さや意識変革が、より必要とされる時代に入っているといえるでしょう。

 この10年近い経験から、当院への絶対的な社会的ニーズは、@認知症のホスピスケアAがんなどの重病を併せ持つ認知症患者さんのケア にあると私は思っています。これが、当院のこれから果たすべき社会的役割であると見ているのです。

 さて今回は、認知症のホスピスケアに関連して、「マザー・テレサ」について述べてみたいと思います。

 マザー・テレサは、ケアのお手本だと私は思っているのです。彼女は若い頃、修道院で地理を教えていました。三十代半ばのある時、「カルカッタの貧民を救え」と、イエスキリストに招聘された彼女は、カルカッタに独り赴き救貧所を作り、路上に倒れた人々を一人二人と連れてきて、世話をしたのです。

 「あなたはどうして、こんな私に良くしてくれるのですか」助けられた老人が尋ねました。

 「あなたを愛するからです」マザーはそう答えたのです。老人は「ありがとう」と微笑むと、その翌日亡くなりました。

 マザー・テレサは活動の中でいつも、 「肝腎なのは、どれだけのことをしたかではなく、あなたの行いに、どれだけ愛をこめたか、私たちのおくりものがどれだけ愛にねざしているかが大切です」と訴えています。病む人々も神の分身であり、そのような気持ちで愛を込めなければならないと、彼女はいうのです。

 マザー・テレサの行いは、私たち医療者のお手本だと私は思っています。患者さんと向き合った時に抱く思いや、なす行為は、私達自身の内なる思いの表れです。その時、自分はどういう思いをもつだろうか、どういう行為をなすだろうかと絶えず自問自答して、患者さんに接することが大切だと思います。

 毎日の仕事を通して、私達は自分自身を成長させています。仕事上で起きる様々な出来事によって心は育まれ、人間性も成長していくのです。大局的にいえば、それが人生を生きる私達の大きな目的でもあるといえるのです。

 9年目に入り、さらなるケアの向上と自分自身の成長を目指して、毎日の仕事に励みたいと思っています。


2014年8月1日 キュアとケア 

 昨年12月に各国の保健担当大臣らがロンドンに集まり『主要国(G8)認知症サミット』が開催されました。

 日本政府は、その「G8認知症サミット」の後継イベントとなる国際会議を「新たなケアと予防のモデル」をテーマとして、11月5〜7日に東京などで開催することを決めています。

 このように認知症は、日本だけでなく国際社会にとって、緊急の対策を必要とする重要な課題になってきているのです。

 オープンして10年近い歳月が経つと、様々な社会要因が変わり、それに伴なって当院に対する社会的ニーズも変化しています。

 当院への絶対的な社会的ニーズは、@認知症のホスピスケア Aがんなどの重病を併せ持つ認知症患者さんのケア にあると私は思っています。これが、当院のこれから果たすべき社会的役割であると見ているのです。

 「認知症のホスピスケア」と「がんなどの重病を併せ持つ認知症患者さんのケア」は、一見すると、「ケア中心」対「治療中心」といった相克する内容に見えますが、ベースは同じです。

 ホスピスケアの原則には、1尊厳を守る 2症状コントロール 3QOLの重視の3つがあります。「認知症のホスピスケア」は、その3原則のうち「QOLの重視」が主体となり、「がんなどの重病を併せ持つ認知症患者さんのケア」は「症状コントロール」が中心になるということが違うだけなのです。

 ホスピスケアを実践するには、キュア(治療)とケア(看護・介護)が、並列する体制でなければなりません。

 治療中心の一般病棟の体制は、ピラミッド型です。トップにいる医師の指示のもとに看護師・介護士が動きます。ところがホスピスは、ケアが中心ですから、キュアとケアを並列にし、両者の合意で行うことが大切だと私は考えています。キュアはドクターの専門分野、ケアは生活の質(QOL)の専門家たるナース・介護士の分野だという視点で、両者の合意をもって事をなすのです。

 点滴を例にとると、その是非をドクターは生理学的に考えます。ナースは患者の生活の質の面から考えます。両者で議論し合い、点滴する方が患者さんにプラスになると判断された場合に、実施するのです。

 当院に対する社会的ニーズが変化する中で、たえずその変化を敏感に察知し、即応できる私たち医療者の心構えが、より必要とされる時期に入っているといえるでしょう。


2015年2月4日 その人らしい「いのち」をサポートする 


お母さん

あなたが倒れてから1年6ヶ月

やっと 車イス生活に慣れ始めたようですね

これからは もうずーっと車イス そして他人の手を借りて生きていく

この生活をやっと全身で受け入れられたのですね

今までは

私があなたを食堂のテーブルまで送ったり ベッドまで送ったりしてから帰ってきていました

この前からは あなたが私をエレベーター前まで送り

ドアが閉まるまで見届けてくれます

気を付けてねと言って

その後で あなたは 左手で車イスをこいで食堂へ行くのですね

施設での生活に慣れてきたお母さん

嬉しいはずなのに 涙があふれ出ました

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 これは野陽子さんの詩集『母へ』の中の一篇です。(注:野陽子は私の妻です)

 2年半前、義母は脳梗塞で倒れました。右片麻痺が残り、現在近隣の老健に入所しています。

 最初に入った老健は街なかにあって、自然の風景はいっさい見られませんでした。空調がきいていますので、施設内に季節感はありません。

 自然の日が入らないため、空気は何となくよどみ、陰気な感じが私にはしました。人工の光はいくら明るくしても、太陽の光のぬくもりをかもし出すことは出来ません。

 食欲が無くなり、個室に入り点滴を受ける毎日になりました。次第に衰え、幻覚が出てきたのです。

 少し食べられるようになった時機に、郊外の老健に移りました。田園の中にあって、遠くには富士山も見えます。車イスで外を散歩すれば、田植えや稲刈りを目の当たりにすることが出来ます。そばに小学校があり、元気に叫ぶ子供たちの声が聞こえて来ます。

 日増しに元気を取り戻しました。今では介護タクシーを使って、公園に行ったり、外食したり、時折りわが家を訪れるまでになりました。

 義母の娘(私の妻)は、昨年暮に、長年書きとめていたものをまとめ、手書きの詩集を『母へ』と題して出しました。

 それを、施設のケアマネージャーさんやスタッフの皆さんに送ったのです。

 ご返事をいただきました。お礼の言葉が添えられていました。

「私たちはこれほどまでに大切にされている方々をお世話しているのだと教えられ、介護の原点をあらためて思い起こしました」

 すべての人がそうであるように、患者さんやその家族には、それぞれの人生の中で刻まれた特別な想いがあるのです。その想いを大切にして、その人らしい「いのち」をまっとうされるようサポートするのが、ホスピスケアの要点の1つだと思っています。

 認知症は、糖尿病やがんなどの患者数を上回るほどに年々増加し、政府は1月27日、国を挙げて認知症の施策を推進する「新オレンジプラン」を発表しています。

 10年目の2015年、当院の社会的使命が認知症のホスピスケアにあることを再認識して、心新たに歩もうと思っています。


2015年9月5日 『ターミナルケアにおける看取り』 

 ターミナルケアの大切な役割に、「看取り」があります。「自然に」「安らかに」「人間らしく」が、ターミナルケアにおける看取りのキーポイントだと思います。

 この看取りのために、キュア(治療)とケアの技術を駆使して、症状のコントロールをします。キュアの面でいえば、栄養補給、薬や酸素の投与、胸腹水の排液、喀痰吸引などの技術があります。全く経口摂取が出来なくなった時、一日500mlの補液が、浮腫を生ずることなく倦怠感を軽減するといわれています。苦痛や倦怠感には、モルヒネなどの鎮痛剤とステロイド剤をじょうずに使うことが大切です。

 ホスピス医時代に、肺がんが肺全体に転移して、今にも窒息しそうに苦しむうら若い青年に、モルヒネと麻酔薬を静注したことがあります。眠るように亡くなられました。

 認知症の患者さんは、徐々に衰弱していくことが多いので、あまりモルヒネの適応になることはありません。この十年間で、十人ほどに私は投与しました。

 患者さんの家族が死を受容できない時は、受容できるよう心理的なフォローをしたり、受容の時を待つこともあります。

 看取りの時、ナースが涙ながらに死後の処置をしているのを、当院でよく見受けます。私はそれを見てまた感動するのです。患者さんへのナ―スの強い思い入れに、主治医として感謝するのです。

 ホスピスでは患者さんが亡くなると、患者さんを囲んで、スタッフや家族が、十五分間ほどのお別れ会をします。これは、グリーフケア(グリーフとは悲嘆の意)の一環として、おこなわれています。当院ではお別れ会はしていませんが、私は、家族の皆さんやスタッフと一緒に、黙祷をささげています。最初の頃は、死亡の宣告をすると、すぐにモニターの片付けや処置の準備をしていましたが、今ではその前に全員で黙祷をささげています。その時私は、「魂は神のもとへ、肉体は大地に帰ります」とお祈りしています。

 ホスピス医の平方眞医師はいいます。「緩和ケア病棟(ホスピス)ができる前は、私たち医療者が最善を尽くしてできるだけのことをして看取ったとしても、『あそこの病院はお父さんが最後につらい日々を過ごしたところだから、なかなか足が向かない』と言う家族が多くいました。しかし、緩和ケア病棟ができてからは、患者さんが亡くなって一週間ほどの間に、ほとんどの家族が『お世話になりました』と挨拶に来てくれるようになりました。」

 当院でも、家族に感謝される看取りを、これからも目指したいと思っています。



2016年2月6日 『世界で一番恐ろしい病気は孤独です』 


世界で一番恐ろしい病気は孤独です。

この世の最大の不幸は、貧しさや病ではありません。だれからも自分は必要とされていない、と感じることなのです。

平和は微笑みから始まります。

大切なのは、どれだけ多くを与えたかではなく、それを与えることに、どれだけ愛をこめたかです。


 この言葉はマザー・テレサのことばです。

 認知症のホスピスケアを目指す私たちに、大きな示唆を与えてくれています。

 マザー・テレサは、キリスト教信仰においても保健医療においても、私の生涯の教師なのです。

 私は以前、途上国への医療協力に参加していた関係で、マザー・テレサとお話しする機会がありました。

 私たちが設立した国際保健医療学会の基調講演を、マザー・テレサにお願いすることになったのです。

 事務局長をしていた私は、彼女が来日した折りお会いすることになり、東京のカトリック教会に出かけました。

 教会ではミサがありました。

 マザー・テレサは、一般の参加者に混じって礼拝室の一角に座ると、静かにお祈りをしていました。

 ミサが始まりました。すると、神父さんが出てきて、説教をするのです。マザー・テレサは参加者といっしよにそれを聴いていました。

 私はマザー・テレサが説教するものとばかり思っていたのですが、ミサは神父が執り行うことに決まっているようです。

 ミサの後にマザー・テレサにお会いしたのです。

 教会の執事の案内で、彼女はやって来られました。

 相手が高名な方でもあり私は緊張しておリましたが、私たちに会うやいなや、握手の手を差し延べ、満面に笑みを浮かべて彼女は応対してくださいました。

 私はマザー・テレサの真横に座り、招請状を手渡し英語で趣旨を説明したのです。

 彼女は招請状を見ながら、若造の私の話にじーっと耳を傾けてくれました。

 そのあまりの慕わしさに、初対面というのに、私はずうずうしくも彼女の肩を抱くようにしてお話ししてしまったのです。

 そんな慣れなれしいしぐさにも、顔色一つ変えるでもなく、子供のようにニコニコしながら、話しをされるマザー・テレサでした。

「2年後だと私は生きているかどうか分かりませんよ」

 あの独特な笑みを浮かべて、茶目っ気たっぷりにそう話されました。

 残念ながら基調講演は実現しませんでしたが、マザー・テレサとお話しする機会をいただき、私の生涯の記念になったのです。



2016年8月3日 キラーストレス 

 2016年6月放送のNHKスペシャル「キラーストレス:そのストレスはある日突然死因に変わる」は、 大変興味深いものでしたので、それをまとめてみました。

 ストレスがたまると脳にある扁桃体が過剰反応し、自律神経系が活性化した状態になります。

 その結果、心身ともに疲弊し、ストレス性のうつ病などに罹患しやすくなってしまいます。

 扁桃体が過剰反応しないために今すぐできることが3つ上げられています。

@定期的な運動

30分程度の運動を週に3回ほど行います。

Aコーピング(coping)

 「このストレスにはこの対処法が自分に合っている」と思うものを、どんなに小さなものでも紙に書き出します。実際にストレスを感じた時に、その対処法を試みて、その効果を評価します。 効果があったものを随時利用します。

 コーピングの例として、宇宙飛行士の古川さんが、ISS(国際宇宙ステーション)に滞在していた時のものが紹介されました。

 「家族とネットで話す」「同僚が育てていた小麦の育つ様子を観察する」「無重力空間でキャッチボールをする(自分でボールを投げて自分で取る)」

 など、オリジナルのストレス対処法を見つけてコーピングしていたそうです。

Bマインドフルネス瞑想(Mindfulness Meditation)

 早稲田大学熊野宏昭教授が、宗教性をなくしたマインドフルネス瞑想を紹介しました。

 マインドフルネスとは「今、ここ」だけに集中するという意味で、近年アメリカでも注目が高まっています。

 マインドフルネス瞑想は、10〜15分間の瞑想から始めるのが良いそうです。

(1)背筋を伸ばして、両肩を結ぶ線がまっすぐになるように座り、目を閉じる

(2)呼吸をあるがままに感じる

(3)わいてくる雑念や感情にとらわれない

(4)身体全体で呼吸するようにする

(5)身体の外にまで注意のフォーカスを広げていく

(6)瞑想を終了する

 ハーバード大学での実験では、瞑想プログラムを始めて8週間後に、身体の不調35%、心の不調40%の改善を見、脳のMRI検査で、扁桃体の5%縮小と海馬の5%増大が認められました。

 私も毎日数回瞑想をしています。大学の実験で瞑想により海馬の増大が見られたのですから、認知症の予防になると思って私はやっています。

 私の場合は、瞑想を始めて5〜10分もすると、閉眼の視野に、青い炎がたくさん出現します。

 5分間ほどその炎を眺めてリラックスし、瞑想を終了しています。


2017年2月6日 ホスピスケアの原則 キュアとケアの並列 

 世界的に見ると、「ホスピスケア(緩和ケア)=ガン患者のケア」は、もはや非常識となっています。

 米国では、ホスピスケアを受けた人の内訳は、第1位がガン36.5%、次いで認知症15.2%なのです(2014年)。

 一方わが国では、97%をガン患者が占め、非ガン患者はわずか2.5%にすぎません(2011年)。

 わが国のホスピスケアの施策は、だいぶ世界に遅れをとっているといえるのです。

 ところで、ホスピスケアの原則には、1 患者の尊厳を守る 2 症状コントロール 3 QOLの重視の3つがあることは、ご存じのとおりです。

 ホスピスケアを実践するには、ピラミッド型の急性病棟とは違って、キュア(治療)とケア(看護・介護)が並列型の体制でなければなりません。

 以前、急性病棟とホスピス病棟を兼務したことがあります。

 多忙すぎて、両棟の診療を完璧に遂行することは不可能でした。そこでホスピス病棟では、治療の大枠を指示すると、あとはナースに任せたのです。

 するとどうでしょう。それまではドクターの指示を受けなければ動けなかったのに、自分たちの裁量でやれるようになったので、ナースは水を得た魚のように生き生きと仕事をするようになったのです。グッドアイデアを多数案出したのです。まさに怪我の功名でした。

 またこんなこともありました。

 2つの病棟は異なる病棟ですから、スタッフの陣容も全く違います。

 ある時、ホスピス病棟で患者さんの食事を指示することがありました。スタッフに、「どんな食事がいいだろうね」と尋ねると、「軟らかい方がいい」「肉より魚が好きそう」「辛目の味がいい」などなど、たくさんの意見が出ました。「あなた達に任せる」といって私は急性病棟に呼ばれて行きました。

 ちょうどその時、急性病棟でも同じようなことがあったのです。 高齢の患者さんで何とか食べさせてあげたいと思い、 ナースに「食事はどんなものがいいだろうね」と尋ねました。すると、「それは先生が考えることですよ」という返事が帰って来たのです。

 ほんの10分くらいの間に起きた両棟のこの違いに、唖然としたのです。

 当院に衰弱した高齢の患者さんが入院しました。まもなく熱が出て腎不全になったのです。

 3週間、できるだけの治療を施し、幸いにも腎不全を脱しました。

「これからはケアさんたちの出番ですよ」

 ケアさんの試行錯誤が始まりました。

 点滴を打っていますから、点滴をぶら下げたまま、車椅子に乗せてホールに出しました。

 3週間ベッドに寝ていた患者さんは、ホールの雰囲気に刺激されて表情がきりっと引き締まりました。

 ベッド上にいた時は何をあげても吐き出してしまうのに、話しかけながらゆっくりと差し出すと、飲み込んでくれるようになったのです。

 何が食べられるか手をかえ品をかえいろいろ工夫し、時には食堂にとんで行っておにぎりを作ってみました。

 間もなく点滴はなくなり、ホールでみんなと一緒に体操をやるまでに回復したのです。

 2月で12年目に入る当院は、これからも、キュアとケア並列型のホスピスケアを目指します。


2017年8月8日 瞑想のすすめ 

 2016年の8月3日、本欄で健康を蝕むキラーストレスについて書きました。

 ストレスがたまると脳にある扁桃体が過剰反応し、自律神経系が活性化した状態になります。その結果、心身ともに疲弊し、ストレス性のうつ病などに罹患しやすくなってしまいます。

 扁桃体が過剰反応しないために今すぐできる対処法が次の3つ上げられています。

@定期的な運動

Aコーピング:自分がワクワクするストレス対処法を見つけて使う。宝くじ7億円当たったら?というのもあり

B瞑想

 ハーバード大学での実験では、瞑想プログラムを始めて8週間後に、身体の不調35%、心の不調40%の改善を見、脳のMRI検査で、扁桃体の5%縮小と海馬の5%増大が認められました。

 さらに最近、瞑想、ヨガ、気功などに、炎症を抑制する効果があるという研究結果も出ています。

 私は認知症予防に毎日数回瞑想をしています。

 オーソドックスな瞑想のやり方は次のようなものです。

1.静かな場所で楽に座る 2.目を閉じて意識を呼吸に向ける 3.自分が何を思うかを一歩下がったところから観てみる 4.何も考えないようにする

 私独自の瞑想法を紹介します。

@姿勢:姿勢は自由。寝転んでやる、タンスなどにもたれて座位でやるなど、自分が リラックスできる姿勢でやります。私の最も瞑想しやすいのは入浴時で、バスタブにもたれて両膝を立てた座位でやります。

A環境:明るさ、音、寒暖、時間など、ストレスの無い環境でやります。

B呼吸:基本的には、鼻で吸って口で吐くといわれていますが、やりやすい呼吸法で構いません。吐ききるまでゆっくり吐きます。

C手順:

1)目をつむると目の前2メートルくらいのところに木目調や網目様の壁が出現します。( 修得に3年かかりました)

2)その壁をぼんやりと眺めます。

3)呼吸に意識を向けてゆっくり数え、息を吐き出した時に、「いーち」「にー」とカウントします。(これを数息観という)

4)雑念が出たら、雑念のパレードを見ているように眺め、決して深入りはしません。

5)そのまま眺めていると、そこに風景動画が現れます。例えば青天にそびえる山々、波の打ち寄せる海岸、小川の流れるせせらぎなどの風景です。

6)それを眺めて楽しみます。時には、「綺麗な山々が見えます」などと、眠ってしまわないために解説します。

7)5分ほど眺めていると、青色や黄色の丹光が見えてきます。(丹光とは閉眼で見える光のことで、気功用語→図)

8)丹光をしばらく眺めていると、それが炎に変わります。炎は視野の中で広がったり縮んだり、あるいは線香花火のように躍ったりします。

9)これを瞑想の終着点としています。全経過15分くらいです。

 瞑想の専門書には、さらにその炎の中に入って一体化するようにと書いてありますが、私はまだその中には入れません。

丹光の図




〈続く〉



2018年3月25日 身体拘束をしない病院 

 この2月で、当院はオープンして13年目に入りました。

 昨年(2017年)の秋、精神科病院における「身体拘束」がマスコミで話題になりました。以下の記事は、YOMIURI ONLINE 2017925日に掲載されたものです。

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《精神科、増える身体拘束長時間縛られ心に傷》

 日本の小中学校で英語を教えていたニュージーランド人の男性(27)が、精神科病院で身体拘束を受けた後、急死した問題は海外でも大きく報じられた。

 この10年で身体拘束が急増したのはなぜか。原因すら分からない現状を改めるため、厚生労働省研究班による実態調査がようやく始まった。

 日本で身体拘束を受ける患者は2014年6月30日時点で1万682人。10年前の約2倍になった。だが、海外では身体拘束を避ける取り組みが進んでいる。

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 当院はオープン以来、「身体拘束は一切しない」という基本姿勢を掲げ、今日まで貫いてきました。

 マスコミで話題になっている折り、「身体拘束はしない」という当院の基本姿勢に共感した日経メディカルという医学雑誌の取材を、昨年の暮れから受けています。

 スタッフ全員がアイデアを出し合って実践しているその取り組みに、取材記者は驚嘆の声を上げていました。

 追ってその取材記事は、同誌に掲載される予定になっています。

 彼は主に緩和ケアを担当している記者でしたが、取材の時、

 「厚生労働省は20179月に、第7回「がん等における緩和ケアの更なる推進に関する検討会」を開催し、循環器疾患の患者に対する緩和ケアの提供体制の在り方を検討するワーキンググループの設置を決めました。当面は心不全に焦点を当て、慢性閉塞性肺疾患なども含めた慢性疾患の緩和ケアについて議論を進める方針です」と言っていました。

 つまり、今まで、「がん」に限られていた日本の緩和ケアの対象を、公的にも広げていこうとする趨勢にあるというのです。

 前にも書きましたように、世界的に見ると、「ホスピスケア(緩和ケア)=がん患者のケア」は、もはや非常識かつ時代遅れとなっています。

 イギリスでは、英国緩和ケア学会で、高齢化する成熟社会の課題を『認知症』とし、今後の主な研究対象を『認知症の緩和ケア』とする、とありました。

 米国では、ホスピスケアを受けた人の内訳は、第1位がガン36.5%、次いで認知症15.2%なのです(2014)

 2025年の認知症患者は、700万人(65歳以上の5人に1人)を突破する見込みです(厚生労働省の推計)。

 これから激増する認知症の緩和ケアを目指す当院は、身体拘束をしない病院として、さらに磨きをかけていきたいと思っています。




2018年8月25日 「拘束ゼロ」なんて初めは信じられなかった 

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日経メディカルOnlineに連載された、伊能言天(いのうげんてん)に対する取材記事を、掲載しました。
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◎重度の認知症患者を診るということ◎ 2018/2/15

「拘束ゼロ」なんて初めは信じられなかった

 「赴任当初、『拘束ゼロ』は信じられなかった」――。認知症専門病院で、内科医として認知症の診療に当たる伊能言天(いのうげんてん)医師は、こう振り返ります。重度の認知症患者が入院する同病院は、2006年の開院当初から「拘束ゼロ」に取り組み、試行錯誤を繰り返しながら今日に至っています。

 数週間前、ある精神科病院から紹介がありました。家族(夫)から、当病院に転院させてほしいという希望があったとのことでした。患者は50歳代の女性でした。激しく動き回るために、ベッドに縛り付けられていました。旦那さんが見るに見かねて、拘束しない当院に入院を希望してきたのです。

 当院は2006年の開院当初から「拘束ゼロ」に取り組んできました。
 
 私は赴任当初、「拘束ゼロ」は信じられませんでした。過去に、急性期病棟に併設された療養型病棟に出入りしていたことがありましたので、身体拘束の実情は少なからず見聞きしていました。多くの患者さんは寝たきりの状態でしたが、それでも拘束ゼロはあり得ないことだったのです。ましてや、歩行ができる、あるいは車椅子で動ける認知症の患者さんに対しても、拘束ゼロを実践できるものなのか。信じられないというよりは、拘束しないで済む方法が頭に浮かばなかったのです。

 ところが、なのです。やればやれるものです。「拘束ゼロなんか無理」と勝手に決めつけて思考停止に陥っているだけなのです。その意味では、事務局長が開設当初から「拘束ゼロ」を理念に掲げたことは英断でした。

 では、重度の認知症の患者さんを、どのように工夫して見守るかです。

 おむつの中に手を入れて排泄物をいじる、おむつをちぎって口に入れる異食行為がある、あるいは高齢者に多いのですが掻痒感の強い湿疹があるため掻き壊すという事例があります。これらの症状の強い患者さんには、家族の了解を得て、上衣と下衣が一体となった「つなぎ服」を着ていただくことがあります(いわゆる拘束着と言われるものではありません)。

 こんな時ですら、スタッフ間の話し合いを重ねます。着用理由、着用期間について、主治医と精神科医の確認、了承のもとに実施しています。これが当院のルールなのです。着用期間はできるだけ短い日数とし、一日のうち夜間のみにするなど着用時間も制限しています。

 もう一つ難渋することに点滴治療があります。肺炎、尿路感染症などによる高熱を出された患者さんへの治療は、まず、食べられる人であれば、内服薬や坐薬、クーリングなどを試みます。

 やむなく点滴を要する患者さんで、つながれていることを嫌うため安静治療が困難な場合は、短時間で済む工夫、あるいは気を紛らわす工夫をします。ベッドから離れて車椅子で行ったり、話しかけながら手をつないで点滴したりすることもあります。

 嚥下機能の低下は、認知症の重症化の大きな特徴です。当院は“生きることは食べること”の考えを尊重しています。ですから、重症の患者さんには、食事形態を変える、時間をずらす、ゼリー状にする、味を加える、凍らせてみるなど、食べることができるように促す工夫もしています。

◇安全ベルトなしでも車椅子に乗っていられるように◇

 「拘束ゼロ」の宣言があったからこそ、様々な知恵が生まれ工夫が凝らされてきました。例えば、車椅子に安全ベルトで固定していないと、急に立ち上がる、転倒・転落する、という理由から前施設で車椅子に拘束されていた方が入院してきました。当院への入院の際、家族は安全ベルトをしてほしいと希望されました。ご家族にしてみれば安全ベルトをしないで車椅子に乗ることはなかったので、転倒・転落が心配だったのです。 

 当院ではスタッフの話し合いで、この患者さんの看護・介護プランを立てました。まず、立ち上がりのある人という情報を共有し、見守りを強化しました。例えば、デイルームの中央の見守りやすい所(ナースセンターの近く)を、この患者さんの席とします。近くで見守る中で、この患者さんの立ち上がる意味(理由)を見つけます。そうすると、立ち上がる理由はトイレに行きたい、歩きたいなどが多いことが分かるのです。

 このように患者さんのペースに合わせて見守ったので、車椅子に固定をすることなく患者さんは新しい環境に慣れていきました。

◇夕暮れ症候群と呼ばれる患者さん◇

 認知機能障害が中等度のある患者さんの場合、夕方になると「家に帰らなくては」という思いが強くなって、不穏になり徘徊が激しくなりました。いわゆる夕暮れ症候群です。

 当院では向精神薬の投与も拘束の一つと考えています。ですから、まず声掛けを徹底し、患者さんの訴えを傾聴します。気分転換になればと、お茶や甘味の飲み物を一緒に飲んだりもします。すると、夕ご飯が来れば落ち着くことが分かってきました。そのことを患者さんに伝えると、落ち着く時間が増えていきました。

 このような症状に暴力が加わり、他に方法がない時は、少量の向精神薬を要することもあります。しかし、徘徊は簡単には改善しません。大声を出しながら廊下を歩き回ります。

 この患者さんは80歳代でしたので、足元は心許なく、時に転びそうになります。

 徘徊は夜中に及ぶこともあります。そんな時は見守りが大変です。自分のベッドに入ったかと思うと途中で起きてまた徘徊します。電動式のベッドは、一番低い位置にセッティングし、ベッドから落ちても打撲程度で済むようにしています。それでも徘徊が頻繁になることもあり、目が離せません。

 ある時は、ナースセンターで甘味の飲み物を飲みます。ラムネの偽薬で「眠れますよ」と声掛けをすることもあります。こんな時も、患者さんの行動パターンを理解し、「日中を活動的に、夜は眠る」というリズムを目標に、生活のリズムを整えることが大切です。それには患者さん自身を知り、その情報をスタッフが共有することが何より大事です。

◇今も自由に動き回るが、スピードはゆっくりに◇

 冒頭に紹介した患者さんですが、前医では両手・両足・体幹の抑制を受けていましたので動きが想像できます。当院入院時は、拘束を受けていたため歩行困難な状態でしたが、車椅子に離床させ様子を観察していると、立ち上がったり、ずり落ちたりなど、一時も落ち着いた状態がとれませんでした。3日目には歩き出し、アッという間に動きが激しくなりました。

 一日中、食事の時ですら、早足で激しく動き回っていました。スタッフはずーっと付き添いました。これを繰り返すうちに、患者さんの行動パターンが分かってきました。そして自由に病棟内を動けるように解放することで、少しずつ落ち着いてきました。

 今も自由に動き回っていますが、スピードはゆっくりとなり、危険行動がなくなって、スタッフの付き添いも不要となりました。結果、ご家族の安心と笑顔に出会えました。

 もちろん、ハード的な面でも対応できているのです。病棟は閉鎖病棟となっていますから、自由に外に出ていくことはありません。それから、病棟の端から端まで70mほどの距離があり、廊下の幅も広いので、開放感の感じられる空間の中を歩き回ることができるのです(写真)。ソフト面では病棟スタッフが我慢強く見守り続けているのは、言うまでもありません。

〈続く〉


2019年2月1日 「健康的な食事」のすすめ」 


 今回は、「科学的根拠に基づく本当に体によい食事とは」というテーマで書いてみます。昨今、超高齢社会を迎えて、BSテレビを見ると高齢者向けサプリメントの宣伝が目白押しです。丸焼きしたすっぽんの粉末をサプリとして販売しているのを見ると、真偽のほどは別にして、その商魂たくましさに驚愕します。

 健康おたくの私は、健康にとって最も大切なものは食事であると常々思っています。私たちにとって「健康的な食事」とは何でしょうか。議論百出ですが、それらに個人的体験談も多く、科学的に実証されているか否か不明なものもあります。

 津川友介 UCLA大学内科学助教授は、日本で氾濫する健康情報に対して、警鐘を鳴らしています。医学情報の信憑性に問題があるというのです。津川友介医師の見解をまとめてみます。

 医学情報には、@医師や専門家の個人的経験や意見 A観察研究 Bランダム化比較試験 Cメタアナリシス(多くの研究データを集計して統計学的に分析する方法)の順に科学的実証性が高く(つまりCが最も高い)、日本では、@の個人的な根拠から出版される書籍が多くあることが、情報混乱の原因の一つと考えられるとのことです。

 Cに当たる、複数の質の高い研究で健康に良い(=脳梗塞、心筋梗塞、がんなどのリスクを下げる)と言うことが科学的に証明されている食品は、

(1)オリーブオイル

(2)ナッツ類

(3)魚

(4)野菜と果物(フルーツジュースではダメ)

(5)食物繊維を多く含む雑穀類

(6)その他(コーヒー、ダークチョコレート等)

の6つです。ここで注意が必要なのは、新鮮な果物をそのまま食べれば体に良いのですが、精製されてフルーツジュースになると糖の塊になってしまうので逆に体に悪くなってしまいます。

 逆に、健康に悪いということが複数の研究で明らかになっている食品は、

@加工肉(ハム、ソーセージ等)

A赤い肉(牛肉、豚肉等)

B糖質(炭水化物を含む)

です。

 日本でも以前は、食事の摂取量を減らしてがまんさせる「根性論的な栄養指導」が行われてきました。しかし、数多くの行動科学や行動経済学の研究から、がまんさせることが正しい戦略ではないことは明らかになってきました。がまんばかりさせてもストレスになって、いずれは爆発して食べ過ぎてしまうことが多いことは、ダイエットでリバウンドしてしまうのと同じで明らかです。このような理由から、現在ではがまんばかりさせる栄養指導よりも、食べる内容を「置き換える」栄養指導の方がより効果的であると考えられます。健康に悪い食べ物を健康に良い食べ物と置き換えれば良いのです。つまり赤い肉と炭水化物を減らす代わりに、上記の5つの食べ物(オリーブオイル、ナッツ類、魚、野菜と果物、雑穀類)をお腹いっぱいになるまで摂取すれば良いと考えられます。

 私・伊能は、上記の健康に良い食品に加えて、化学物質(農薬、成長促進剤、抗生物質、防腐剤、化学調味料、食品添加物)を使っていないものを選んで食べています。


〈続く〉


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