(1)【はじめに】
当院オープン時(2006年2月)の挨拶で、私は開口一番、認知症のホスピスを造りたいということをいいました。当時、認知症が果してホスピスの対象になりうるかということに、一抹の不安を私自身持っていましたが、私個人の目標として、そのように宣言したのです。それが時が経つとともに、だんだんと現実味を帯びてきました。
まず第一に、アメリカでは、ホスピスの対象に認知症が入っていることを知ったときです。小躍りして喜んだのを覚えています。
さらに、ホスピス医の山崎章郎医師が、「ホスピスケアとは、自力だけでは自立することや自分の尊厳を守ることが難しくなってしまった人々の、自立を支え、尊厳を守り、共に生きること。それらは、がんであろうがなかろうが、死が近かろうが、遠かろうが、等しくいえる」といっておられます。
すなわち、長年ホスピス医をされている山崎医師が、がんの人たちだけでなく、自力だけでは自立することや自分の尊厳を守ることが難しくなってしまった人々すべてをケアすることが、ホスピスケアだといっておられるのです。
週刊医学界新聞( 第2879号 2010年5月17日)の記事によると、2010年3月に開催された第8回英国緩和ケア学会で、高齢化する成熟社会の課題を「認知症」とし、学会の今後の主な研究対象を「認知症の緩和ケア」に当てるとしました。これまでのがんを対象とする緩和ケア方法はほぼ確立したと見られ、これからは認知症の緩和ケアを主な研究対象にするというものです。
このように、ホスピスケアの対象ががん患者から認知症患者に向けられていることを見ましても、認知症ケアの社会的ニーズがますます高まっていることがうかがえ、 当院の社会的役割の大きさを痛感します。
(2)【言葉の定義】
人間の終末期におけるケアを表現する言葉に、ターミナルケア、ホスピスケア、緩和ケアという言葉があります。
言葉のもつ歴史と使われ方に微妙な違いがありますが、いずれも終末期医療のあり方を言い表す言葉で、ほぼ同じ目的と内容を意味しています。
ターミナルケアは、1950年代から60年代にかけて使われ始めました。「死の瞬間」を書いたキュブラー・ロス医師が、そのはしりといえるでしょう。
ホスピスケアは、1970年代にシシリー・ソンダースという医師が、イギリスのロンドンに近代ホスピスの礎となる聖クリストファーホスピスを造ってから、その言葉はよく使われるようになりました。
緩和ケアという言葉は、70年代後半から使われています。
ホスピスケアの対象は一般的にはがん患者が主なので、ターミナルという言葉には、余命わずかというニュアンスが含まれています。厚労省の定義では、余命がおおむね6カ月と見込まれるときとしています。
認知症の場合は患者の余命は不定なので、認知症におけるターミナルという言葉は、より厳密に使うべきです。
三宅貴夫医師の論文*では、認知症患者のターミナルとは、第1に、コミュニケーションがまったく成立しなくなったとき、第2に、食事の経口摂取がまったくできなくなった時と、定義しています。(*三宅
貴夫:老年精神医学雑誌10巻10号 Page1225-1229(1999.10)
従って、 @認知症のホスピスケアは、患者が自立できなくなったときから始まり、Aターミナルケアは、さらに病状が重症化して死期が迫ったときのケアをいう、と区別すべきと思われます。
この文面を見た同僚医師から「コミュニケーションが全く成立しなくなったときというのはどういう状態をいうのか」という質問を受けました。確かに、全く成立しないときとは判断が難しいところです。例えば認知症の患者さんは相当進行しても、呼びかければことばにならなくても振り向いたりうなずいたりします。こういう状態は、全くコミュニケーションが成立しないと見るのでしょうか。
一方、これをコミュニケーションが成り立つと考えた場合、認知症のターミナルは、死亡直前の時しかないということになります。
その質問を受けてから、私もそのへんはもう少し煮詰めるべき問題だと思いました。
(3)【がんのホスピスケアの特徴】
ホスピスは、建物などのハード面と、施設内で提供されるソフト面からなっています。
厚労省はホスピスを緩和ケア病棟と呼び、
資料1のような施設基準を設けています。

私たちはソフト面では、キュア(治療)とケアのπ型体制と呼んでいました。(πの字の横棒が患者を、2本の縦棒が医師とナースを表しています)
急性病棟は、迅速な対応が必要とされますから、医師を頂点としたピラミッド体制が必要ですが、ケア中心の病棟では、医師とナースが共同で患者を支えるπ型体制でなければなりません。
私がホスピスを始めたときには、まだ、厚労省認可緩和ケア病棟というものがありませんでした。したがって、ホスピス専門というわけにはいかず、一般病棟と兼務していたのです。ホスピス病棟と一般病棟を兼任すると、その忙しさは半端ではありません。
それで私は、治療の大枠を指示すると、細かいことはナースにすべて任せました。例えば、モルヒネの投与の際も、モルヒネの持続皮下注入器というのがありますが、麻薬処方箋を書いてその開始と初期投与量は指示しますが、微量調整はナースに任せました。その方が、患者の痛みの具合を見ながら、リアルタイムで調整できるからです。
そのような体制にしましたら、ナースはまさに水を得た魚のように、生き生きと仕事をするのです。ケア中心の病棟では、医師が指示しなければ動かないという体制では、患者さんのニーズを満足させることはできません。
5階がホスピス病棟でしたので、たとえば食事について、カロリーとか水分量など内容を大まかにナースに指示します。お粥がいいか米飯がいいかなど細かいことはすべてナースに任せます。ナースは患者の飲み込み具合、嗜好、食欲などを勘案して食事内容を自分たちで考えていくのです。
ある時そういう指示を出した後すぐに、2階の一般病棟に降りていきました。急性病の入院患者がいて、すでに急性期は過ぎていたのですが、あまり食事が取れないのでどういう食事を出したらいいのだろうかと、私も困ってナースに相談しました。返ってきたことばは、「それはドクターが決めることですよ」という言葉でした。
ほんの10分前に5階であった出来事との余りに大きな乖離に、私は唖然としました。それだけ、意識の持ち様によって医療姿勢が変わるということです。
ホスピスケアの三原則は、@本人の意思と尊厳を大切にする、A苦痛などの症状をコントロ−ルする、BQOL(生活の質)を大切にする、があげられます。
@ 本人の意思と尊厳を大切にする−−−人権を守る
80年代、末期がん患者の状況を、 "病院のゴミ箱に捨てられた"と形容していました。
私も昔は外科をやっていましたのでよく分かるのですが、治療の余地がある患者は、毎日回診し、よく診察します。しかし末期となって、ほとんど治療の余地のなくなった患者は、なるべく避けるようになるのです。下手に病名を知られては困るし、しつこく追及されても困るので、少し顔を出すと早々に退室するのです。それがまさに、ごみ箱に捨てられたという状況だったのです。
ホスピス運動は、そういった捨てられた末期患者の人権運動だったのです。
本人が意思を明確に表明できなければ、原則として、ホスピスの入院の対象にはなりません。病名の告知を受け、ホスピスへの入院であることを了解していなければならないのです。
また、治療のインフォームドコンセント(十分な説明を受け、同意すること)も、ホスピスでは大切にされています。
胃がんの高齢男性患者が、食事が取れなく倦怠感が強くて寝込んでいました。私が、「点滴をすると楽になりますよ」といっても、「薬は嫌だ」と頑として拒否します。それを3日間かけて説得して、やっと1本点滴することになりました。点滴をしてみると体が楽になることを、その時初めて本人は知りました。それからは、点滴をして欲しいときは自分からいってくるようになったのです。
人間の尊厳を守るという考えの中に、人工的なものより自然であることを大切にするという考えがあります。
スパゲティー症候群という言葉があります。これは現代医療を象徴する言葉です。お皿に盛られたスパゲティーをフォークですくい上げると、何本ものスパゲティーがフォークから釣り下がります。現代医療では終末期になると、点滴の管、酸素の管、導尿の管、モニターのコードなどなど、患者は管だらけになってしまいます。その悲惨な光景をスパゲティー症候群と揶揄したのです。
終末期においては、人工物による無理な延命はやめ、なるべく自然なかたちで看取ってあげるのが、ホスピスケアの精神なのです。
A 症状のコントロ−ル(
資料2)
症状コントロ−ルを的確にすることからホスピスケアは始まります。激しい苦痛を取り除いて上げることが先決なのです。
20代の男性でした。肺がんによるがん性リンパ管症という、肺全体ががん細胞で埋め尽くされてしまう恐ろしい病状でした。窒息するほどの呼吸困難のためにベッドに横たわることもできず、オーバーテーブルにうつ伏せのように寄り掛かっていました。持続的な血管確保ができないために、大腿静脈からIVHのカテーテルを挿入することになりました。鎖骨下静脈にアプローチして、肺でも傷つけたりすれば即死状態になるからです。しかし大腿静脈から挿入するにしても、横になることができないので、座ったまま挿入する必要がありました。これは私の医療経験でも初めてのことです。
幸いすぐに挿入できましたが、苦しいためにいっときもじっとしておれず、それは壮絶な闘いでした。それから数日してその方は亡くなりました。
ホスピスというと、なにか穏やかな平安なところというイメージがあります。もちろんそういう場面がほとんどですが、今のような壮絶な苦闘も時としてあるのです。
症状コントロ−ルの中心は、ペインコントロ−ルです。ペインコントロールには、身体的、精神的、霊的なものがあります。
身体的なペインというのは、がんの侵襲による身体の痛みのことです。精神的なペインとは、死への恐怖、家族との離別の悲しみ、自分が死んだら家族はどうなるかという心配などです。霊的ペインは宗教的な言葉で、死後はどうなるのかなどの不安や苦悩です。
その中で、身体的なペインコントロールについてまとめてみました。
1)麻薬ではないインテバン、ボルタレンなどのNSAIDSをまず使います。
2)1)で効かないときに、モルヒネより少し弱いソセゴンとかレペタンを使います。麻薬ではないので使いやすいという利点があります。
3)2)でもダメなときに、モルヒネを使います。モルヒネは麻薬管理が厳しいので、処方の出し方、薬の管理など扱い方がやや煩雑という欠点があります。
モルヒネには、便秘・吐き気・眠気の三大副作用があります。
モルヒネを安易に使うと、このような副作用のために、患者がこの薬は絶対嫌だと先入観を持ってしまいます。1度そういう先入観を持つと、なかなかそれを使うことができません。最初からその副作用を出さないように、モルヒネと同時に副作用を抑える薬を使うのです。そうするとモルヒネの良い面のみが現れ、患者は安らかになることができます。
4)ホスピスケアの妙技:モルヒネとステロイドを使いこなす。
モルヒネとステロイドを上手に使いこなすことが、ホスピスでのペインコントロールの妙技だと思います。
ある日外来をやっていると、近々がんセンターに入院予定の女性が、私の外来に初診で来ました。なぜかというと、がんセンターの入院日前にあまりも末期状態で苦しくなったために、当面の苦しみを緩和してほしいと希望して来たのです。患者を診ると、車椅子の上でぐったりと横たわっていました。表情は苦痛でゆがみ、言葉も出ないほどの衰弱ぶりでした。
私は早速入院させ、モルヒネの持続皮下注を指示してから、また午前中の外来をこなしました。外来を終えてから、入院したその患者を診に行きますと、何とベッドの上でラジオを聞いているのです。ラジオを聞けるというのは、よほど心身の余裕がないと出来ません。 モルヒネを上手に使うと、それほど素早く苦痛状態を緩和してくれるのです。
また、最近食欲がなくてほとんど食事を取っていないといって、ある高齢の患者さんを家族が連れて来ました。私は、点滴の中にステロイドを少し入れました。
昼に入院させて夕方家族が来てみると、その老人は夕食を全部食べていました。それを見た家族は、「なんで!これはどうしたの」と驚いていたのです。それほどまでにステロイドの効果には絶大なものがあるということです。
ホスピスケアでステロイドを使うことを経験してから、私はステロイドを比較的よく使うようになりました。外科をやっていたときには、ステロイドというものはほとんど使ったことがありません。大変恐い薬だというイメージを持っていました。
しかし経験則から、ステロイドを上手に使うと、3日でその反応が出ることを知りました。3日の内に大変良い反応をして病気が良くなっていく人は、そのまま治っていきます。反対に3日しても全く反応の無い人は、まもなく死亡します。その中間で、少しは反応するが良くなったり悪くなったりする人は、月単位で死亡します。これは私が得た経験則です。
同僚医師にそれを話すと、それは凧(タコ)のようだというのです。凧とは実にうまい表現だと思いました。凧を揚げるときに、いくら揚げようとしても地面を擦って揚がらないものもあります。その反対に、1度揚げると大空に高く舞いあがって、そのまま舞い続けるものもあります。
B QOLを大切にする
QOLは、クウォリティ・オブ・ライフ(Quality Of Life)の略で、生活の質をいいます。QOLを大切にするとは、生命の量より、質を大切にしようというものです。
痛みがとれると、心身に余裕が生まれ何かをしたいという事になり、QOLが大切になるのです。
QOL向上の方策として、ホスピスでは、面会・外出・外泊は自由にする、ホスピスから会社へ通えるようにする、個室のミニキッチンで好きな食事を作れるようにする、適度なアルコールは許可する、色々な行事・法話・結婚式・生前葬などの機会を提供する、などがあります。
会社の社長さんでしたが、肺がんで末期状態でした。まさに息たえだえで、チアノーゼ(皮膚が青紫色を帯びること)が出ています。会社を息子さんに継がせたいために、ホスピスから会社に通いました。会社から帰ると、酸素吸入をしてぐったりとベッドに横たわります。その引き継ぎを終えてから、3日して亡くなられました。
お坊さんに法話をしてもらったり、牧師さんに説教をしてもらったりしています。それは、会堂という小さなホールで、患者さんの自由参加で行ったのです。
プライベートタイムを保証しようということで、ドアノブにプレートを下げることにしました。ホテルによくある、Don’t disturbというものと同じです。もしそのプレートがかかっているときは、いくら回診といってもドクターも入ることができません。一般の病院ですと医療者優先です。たとえ患者が裸になっていても、時をかまわず入室します。急性病ですからそれは仕方ないことですが、ホスピス病棟では患者のプライベートな時間を作ってあげようということで、そういうアイデアを出し好評でした。
ホスピスには、「人は生きてきたようにしか死んでいけない」という金言があります。
60代の甲状腺がんの男性でした。甲状腺がんが気管と頸椎に食い込んで、声も嗄声(させい=かれ声)となり、四肢も麻痺をきたしていました。そういう状態になってもその人は、神田に行って金の延べ板を買って来いと娘さんに命じていました。病床でそれを眺めていたいというのです。
もう1人の人は天理教の人でしたが、日ごろから社会に奉仕することを生き甲斐としていました。その人は、看板などにペンキで字を書く職人さんだったので、病院中の必要なところのプレートすべてに字を書いてもらいました。それを快く引き受けて下さいました。
今にも死ぬかも知れないという状況にあってもかくのごとくで、人は急には変わることができないというこの金言の意味がよく分かります。
(4)【認知症のホスピスケア】
認知症のホスピスケアの原則もがんの場合と変わりなく、@本人の意思と尊厳を大切にすること、A苦痛などの症状をコントロ−ルすること、BQOL(生活の質)を大切にすること、があげられます。
がんと認知症のホスピスケアの相違点を表にしてみます。
表
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が ん
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認知症
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病 因
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概ね解明
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未解明
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治療法
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概ね確立
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未確立
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余 命
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6カ月以内
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不定(ターミナル:コミュニケーション、経口摂取不可)
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患者の意思
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明 確
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不明確(家族が代行)
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症状コントロール
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ペインコントロールが主
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周辺症状のコントロールが主
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QOL
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本人の希望が明確
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不明確
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家 族
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熱心(家族のケアも必要)
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様 々
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@ 本人の意思と尊厳を大切にする
知情意的存在である人間において、知的機能が障害されても、何ら人間の尊厳性が毀損されることはありません。
本人の意思については、がんの患者さんの場合と違って、認知症のためにそれを的確に表明できないという問題があります。
認知症が重度の人は、入院する意味が理解できず、家族の要望で入院することが多々あります。逆に軽度の人は入院を拒否しますから、時にはホテルに泊まりに行くと家族に誘われ、来院することもあります。
認知症の場合は、出来る限り本人の意思を尊重するにしても、自ずから限界があるのは当然です。その代わりに、家族が大きな役割を担うのです。
A 症状をコントロ−ルする
入院して間もない時は、居場所が変わったために不隠に陥ることが多くあります。さらに、なぜ自分はこうなったのか悩んでうつ的になったり、いらだったりもします。
症状コントロ−ルは、そのような周辺症状といわれる不穏や徘徊、うつなどの症状を、向精神薬でコントロ−ルします。
転倒して骨折したり、食事を誤嚥して肺炎になったりすれば、それも治療します。
B QOLを大切にする
認知症の患者さんのQOLが何かを知ることは、大変難しい問題です。本人の方から希望を出すことが少ないからです。
しっかりと観察し時間をかけないと、的確な個別のQOLを見出し実行する手助けはできません。
リハビリ室やデイルームでは、ちぎり絵、習字などの作業療法や、風船バレーボール、ペットボトルボーリング、お手玉ホッケーなどなど、スタッフが考案したいろいろなゲームを、みんなでやっています。
また、誕生会や月例の催し物には、ボランティアの方々が、楽器の演奏や日本舞踊などを披露してくださっています。いろいろな工夫を凝らして、楽しい生活の場となるように努力しています。
表中の家族の欄について追記します。認知症の場合の家族が大切という意味は、本人には判断能力が乏しいから、家族が判断しなければならないという意味です。
一方、がんのホスピスにおける家族が大切という意味は、それとは異なります。患者と同じくらい家族のケアも必要だということです。ホスピスに来る家族は、患者と同じあるいはそれ以上に病気に対して切実な思いで向き合っています。その分、患者が亡くなった時には、家族にとって大きな喪失感や悲嘆をきたします。患者が亡くなった後も、その悲しみをフォローしてあげるというのがホスピスケアの考え方で、患者の死亡後でも半年毎に家族に手紙を書いたりしてフォローしています。
(5)【認知症のターミナルケア】
前述の通り、認知症患者のターミナルとは、第1に、コミュニケーションがまったく成立しなくなったとき、第2に、食事の経口摂取がまったくできなくなった時をいいます。
1) 認知症のターミナルケアでも、症状コントロ−ルが必須
認知症のターミナルケアでも、症状コントロ−ルが必須です。終末期にあるため、痛みや呼吸苦など、さまざまな苦痛は生じます。その苦痛を極力取り除く処置が必要になります。死に行く時の苦しみが大変強い時には、モルヒネを使うこともあり、臨終の苦しみだけは緩和して上げるということが、ターミナルケアでは大切です。
当院で出来る麻薬による除痛方法は、@ アンペック坐薬(1時間で効果が出る)5〜10r 1日2〜3回 A @が無効または長期のとき デュロテップパッチ(半日で効果が出る)2.5mg(=アンペック坐薬30〜60mg/日の強さ) 3日間毎交換 です。
麻薬処方の出し方は、麻薬処方箋に記載し、さらに同じ内容をカルテの医師経過記録に赤字で書きます。
当院で私は、モルヒネを5人ほどに使いました。
1人の人は、心不全の末期の高齢女性で、余りに呼吸が苦しそうなので、デュロテップパッチを張りました。そして1日で安らかに亡くなりました。そのとき私は、苦しいときにはデュロテップパッチを使ってくださいと指示を出しておきました。看護師が患者の苦しみを見て、その指示を実行したのです。
その看護師の勇気に私は感銘しました。自分の判断で、その使い始めを決めるというのは大変勇気がいります。私の経験の中で、モルヒネを開始して亡くなるまでの時間が、数分という例がありました。そういうときはあまり気持ちのいいものではありません。殺してしまったような気持ちになるからです。
レビー小体型認知症の患者さんが、だんだんと病気が進行して、喉の周囲の筋肉が弛緩してしまい、嚥下は障害され、呼吸の際にも気道がふさがれて窒息様な息使いになってきました。認知症は中等度ですので、話せば分かります。ベッド上で、頭の向きを変えるなど工夫して、何とか気道は通っていましたが、次第にそれも無理になってきました。家族に患者を救うには気管切開しかないという話をしました。
家族は泣きながら、「10年もこの病気で本人は苦しんでいます。これ以上傷をつけてまで、延命させたくありません」といわれました。私はモルヒネのことを話しました。ホスピスではこういう場合には、モルヒネで本人の苦しみを取りますという話をしましたら、家族はそれを希望しました。そこで少しづつモルヒネを使って、その苦しみを取っていきました。本人は最後まで意識はありました。モルヒネを使ってから2週間ほどで亡くなられました。
2)経口摂取が出来なくなったときの選択肢は @胃瘻造設(PEG) A静脈注射 B自然の経過を看守る
経口摂取が出来なくなったとき、選択肢は3通りあります。
まず、胃瘻造設(PEG)があります。長期的に経口摂取が出来なくなれば、胃瘻造設は内視鏡的に比較的簡単にできますので、一般医療ではほとんど自動的に行われます。
2番目は、静脈注射による栄養補給です。
3番目が、介助による経口摂取を極力試みながら、自然の経過を看守ることです。
胃瘻造設(PEG)は、治ることが見込まれる時や、局所的な障害、例えば脳梗塞などで局所的に嚥下が障害されたときなどは、大変有効な手段です。
しかし認知症のターミナルは、脳機能障害が極度に進行した植物状態に近い病状になります。それにPEGを造設することが適切かどうかは、慎重に検討しなければなりません。
認知症医療に携わって間もないころ、私は次のような患者さんに遭遇しました。70代のアルツハイマー型認知症の女性で、入院時は歩行ができました。しかしその進行は極めて早く、半年ほどで歩行も経口摂取もできなくなりました。会話ももちろんできる状況ではありません。
私は初めての経験でもあり、あまりに急速な進行なので、一般医療の延長の考え方で胃瘻を造設しました。その時は1時的に栄養補給ができて安心したのですが、それから2年あまり、呼びかけても全く反応はないという植物状態が続きました。しかも栄養補給をしても病気は進行しますから、全身は骨と皮だけの見るも無残な姿となりました。
家族もPEGの造設に賛成してくれましたが、時がたつうちに、余りに変わり果てた姿に心を痛めるようになりました。しかしいったんこういう処置を始めると、途中で止めることができなくなるのです。PEGからの栄養補給という延命手段があるのにそれを中止するというのは、安楽死に当たるのです。
この経験をしてから私は、PEG造設はターミナルの時には勧めないことにしました。介助による経口摂取と点滴を行い、自然の経過を看守ることにしました。
意思の疎通もなく、経口摂取もできないで認知症のターミナルステージでは、なるべく自然の生命力をサポートすることが良いことと考えます。医療行為は最低限にして、生命力が自然と枯れていくのを看守るのです。
ここで注意すべきことは、いかなる病気であれ、積極的安楽死といわれる手段をとってはならないことです。積極的安楽死とは、例えば、
筋弛緩剤を投与するなど心臓や呼吸を止める操作によって、死期を早めるものをいいます。現在の日本では、安楽死は法律で認められていません。(
資料3)
当院では、「当院入院中の医療行為についての確認書」に、「無理な延命はしない」とうたい、入院時に署名してもらっています。
(6)【今後の改善点−パーソンセンタードケアに学ぶ】
私は当院のナースに教えられて、パーソンセンタードケアを少し勉強しました。パーソンセンタードケアは、認知症に特化されたホスピスケアだと私は思っています。
パーソンセンタードケアの考え方の基本は、認知症の患者さんは認知障害を患った1人の人間であり、それは他の病気例えば、がんや糖尿病を患った患者さんと全く同じ、1人の人間であることに変わりはないというものです。
現代社会は、知的機能が重視されている社会ですから、知的障害があれば極度に劣った人間として評価されます。1人の人格として認められないことさえ起きかねないのです。
パーソンセンタードケアの本の中にその象徴的なことが記されています。一般の診療では、認知症の患者さんは、いろいろな話し合いの場からはカヤの外に置かれます。例えば、医師とその家族が患者さんの治療方針などを話し合う場合、その場からは外されてしまいます。本人には理解できないからという理由からです。それは確かかも知れません。しかし、パーソンセンタードケアでは、あえて患者さんをその中に入れて話をするのです。そこには1人の人間として応対しようという姿勢が出ています。
パーソンセンタードケアでは、患者さんへの話し方として、否定語、命令語は使わないとしています。「立ってはいけません」ではなく、「座ってていいですよ」というのです。ちょっとした気遣いが、患者さんの気持ちやその場の雰囲気を大きく変えてくれます。
パーソンセンタードケアを本格的に実践するのは、当院ではなかなか難しいと思われます。特に、DCM(Dementia Care Mapping)という評価方法は、相当な時間とマンパワーがないと出来ません。しかもそれを評価するということは、その評価項目に見合ったケアを実践していることが前提になります。それは、簡単にできる内容ではありません。
私はその中から、有用なもの6項目(くつろぎ・ふれあい・表現・笑顔・会話・活気)を独断で選択し、患者の病状評価に使っています。
(7)【終わりに】
ホスピスケアについて、がんの場合と認知症の場合を対比しながら述べてみました。
私がホスピスに関係して20年余り、認知症にかかわって4年半が経ちました。その総括を兼ねてこの文章を綴りました。
ホスピスケアは一見すると簡単そうに見えますが、目には見えないマインドやスピリットが重視されるという奥の深さがあるので、なかなか満足できるところまで到達できません。
これからもさらなる研鑽が必要なことを痛感しています。