広葉樹(白)  
  要 覧 − ホスピスとは

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ホスピスとは
2007年
ホスピスを有効に利用しない米国医師
終末期患者の延命治療の差し控え・中止にどう対応するか
2008年
第6回日本臨床腫瘍学会学術集会ランチョンセミナー Medical Oncologistが知っておきたい緩和・支持療法
第49回日本神経学会 筋萎縮性側索硬化症(ALS)患者の治療決定プロセスにおける倫理を探る
生命予後不良な新生児の「看取りの医療」 「命をいつくしむ医療」への発想転換を
オーストラリア、子どもホスピスを訪ねて
死を前にリビング・ウイル示す、「賛成」6割超える 余命半年「延命」1割
「安楽死」の瞬間を放送へ 英テレビ、自殺美化と批判
テレビに賛否の意見相次ぐ 英国の「安楽死」放送
尊厳死の法制化を訴える 厚労省・終末期医療懇談会で関係団体をヒアリング
2009年
がん患者「死後の世界」「生まれ変わり」信じる割合低く 東大が死生観調査
植物状態のイタリア人女性死亡 延命停止後、国民に衝撃
尊厳死,意思決定に影響せず医師も守れる法整備は可能か リビング・ウィルを巡り議論
終末期医療を考える…「どう生きる」医師と話そう 医療ルネサンス 仙台フォーラム
安楽死は緩和ケアの障害とはならない ベルギー,安楽死法施行後の調査から
望む「最期」を求めて 尊厳死 関心高く
ホスピスの説明を受けていない末期がん患者多い 医療提供者とのコミュニケーション不足が一因
2010年
ホスピスは不要の時代に
医師は,死に対する"心"を涵養しつつ地域の実情に合った医療・介護システムの構築を
死に場所なら英国が一番、英調査
延命治療中止の妥当性は「司法だけで結論出せぬ」 川崎協同病院事件を巡りシンポ
「抗がん治療が終了してから緩和ケア」の時代は終わった 米RCTで早期からの緩和ケアが生存期間延長にも寄与
リビング・ウィルの普及・医療現場への浸透などを提言 厚労省・終末期医療のあり方懇談会、報告書案取りまとめ
緩和ケア様変わり 選べる食事、就寝・起床時間も自由
2011年
ICUの終末期医療に大差 宗教や文化,医師の姿勢などが影響
医師の宗教観が終末期医療に影響
子のみとり、向き合い 小児がん患者支援団体、終末期ケアの手引き作成
重病の子癒すホスピスを 湘南の森の古民家で開設へ
食の喜びへ凝らす工夫
死んでみないとわからない!? 台湾、医療系専門学校に「死亡体験カリキュラム」を開設
命のともしび
子ども終末期医療:本人の意思尊重 学会が指針案、「治療中止検討」明記
重度の認知症には緩和ケアを 「介護オアシス」に延命効果
延命治療中止7%の病院が経験 回復困難な子どもの患者
日本胃癌学会で終末期の緩和ケアについて見解
ホスピス:八鹿病院、開設6年 余命、その人らしく 高水準の緩和ケア スタッフ一丸、心癒やす
最期を選ぶ 終末期医療を事前指示
県立12病院が「緩和ケア研修」 若手医師に義務化
終末期患者の積極的安楽死,受容できる腫瘍内科医は10%以下 韓国,国立がんセンターの研究
緩和ケアの充実を目指し,現状を踏まえた議論を−第83回日本胃癌学会
「高齢者の終末期の医療およびケア」に関する「立場表明」,改訂案を発表 日本老年医学会,Q&Aを追加し個別ケースにかかわる疑問に答える
治す医療から生活を支える医療へ 第16回日本緩和医療学会開催
〜進行肺がん高齢患者の終末期医療〜米とカナダでパターン異なる
疾患トレンドを探る
高齢医学 多職種連携と合意形成の仕組みを
尊厳死=Living Will(LW)の普及運動は患者の人権尊重の運動
東日本大震災で感じた“ゆがみ”解消の一助のために 終末期医療に関する本人の意思確認カードを作りました
今さらながらの死生観(前編)「死」を知らない医師
2012年
医療の未来を見据えた100歳の提言 聖路加国際病院 日野原 重明 理事長
余命1年未満患者への薬剤の致死量処方を提言,英自殺幇助委員会
法令化求め枠組みを提示
中央社会保険医療協議会 緩和ケア病棟、「評価機構」の認定なくても可 チームによる「外来放射線照射診療料」も新設
韓国の「臨終の質」は世界32位
終末医療―医師と一般人はなぜ選択が異なるのか
第56回日本未熟児新生児学会
新生児医療 患児に最善の利益となる選択を
第30回日本蘇生学会 招待講演
延命治療中止の医療倫理〜米国では患者の自己決定権は終末期医療にも適用される
延命措置の「不開始」で、医師を免責- 超党派議連が法案原案を提示
全日病が調査、「必要」だが認知度低く 終末期ガイドライン、現場への普及進まず
第26回札幌冬季がんセミナー 子供を持つがん患者に支援を
米国ホスピスボランティア最期のときまで
延命措置の「中止」でも医師免責 超党派議連、尊厳死法案で二案を提示
緩和ケア 「治す」から「生きることを支える」へ
診断時から治療終了後も続くケア 第17回日本緩和医療学会開催
都道府県拠点病院に「緩和ケアセンター」設置へ--厚労省・検討会
医療講座・死生学入門 福岡のNPOが開催、参加者を募集
尊厳死:医師の処方による末期患者の自死、米マサチューセッツ州で合法化へ
尊厳死法案、臨時国会への提出目指す
基調講演「ホスピスマインドを語り合う」地域社会の中でケアの循環を
緩和ケア推進検討会が中間とりまとめ がん診療連携拠点病院に緩和ケアセンターを整備
「尊厳死法制化」は医療格差の拡大を招きかねない―川口有美子氏インタビュー回答編
進行がん患者 死亡直前のICU収容や院内死亡の回避が高い終末期QOLと相関
〜オランダの安楽死法〜 2010年の安楽死率および医師幇助自殺率は法施行前と同等
日本救急医学会、終末期医療についての調査結果を公表 人工呼吸の中止、水分・栄養補給の制限や中止に依然抵抗感

ホスピスを有効に利用しない米国医師
 ハーバード大学Brigham and Women's病院(ボストン)のGail Gazelle博士は,ホスピス・ケアは多くの点で医師と患者の双方から誤解されたままであるとする見解をNew England Journal of Medicine(NEJM 2007; 357: 321-324)に発表した。これは医師にホスピスの有効な利用法を説明することを目的としている。

ホスピス・ケアの半数は癌患者

 その問題の 1 つは,米国医師の多くは,ホスピス・ケアを癌以外の患者に考慮しないことである。米国では,ホスピス・ケアは癌ばかりでなくアルツハイマー病,あるタイプの肺疾患や心疾患の患者にも適用される。さらに,さまざまな疾患で引き起こされる衰弱でもホスピス・ケアが受けられる。例えば,肺炎,上部尿路感染症,敗血症,進行性の体重減少,嚥下障害,進行性で深在の褥瘡性潰瘍などである。

 ボストン地域のホスピス数か所の医療ディレクターを兼任しているGazelle博士は「現状でも,ホスピス患者の半数近くは末期癌患者である。そのほかは,約40%が心疾患の末期患者,認知症末期患者,衰弱者,肺疾患,脳卒中患者である」と述べている。

短い利用期間

 もう 1 つの問題は,米国医師はホスピス・ケアを余命数か月の患者に考慮せず,余命数日の患者が当てはまると考えていることである。つまり,多くの患者は現在の慣習的な時期よりもっと早くホスピスに転院されるべきである。

 ホスピスでは 6 か月間以上のケアを受けられるが,患者の利用期間の中央値は26日間で,米国内のホスピスでは患者の 3 分の 1 が残りの人生の最後の週にホスピスに紹介され,転院している。このため,2005年には120万人以上の患者がホスピス・ケアを利用したものの,その多くは妥当な期間より短かった。

 ホスピスへの入院が遅くなる原因には,病院側が不治の病の終末期患者に治癒のための治療を行うことが挙げられる。さらに,ホスピスに入る患者は,蘇生拒否した患者でなければならないという誤った見解も原因の 1 つである。Gazelle博士は「しかし,入院が遅れる最も重大な原因は医師自身の考え方であろう」と指摘している。

ホスピス・ケアの認識に誤解

 では,医師自身のどのような考え方が問題となるのか。第 1 に,米国医師の多くは,患者の死は自分たちの診療の失敗とみなしていることである。第 2 に,ホスピスのことを切り出したら,患者の望みを壊してしまうと恐れることで,これはQOLを向上させるより生存期間を延長するように努力するのが正しいと医師が考えているためである。第 3 には,米国医師は望みのない状態であることを患者に伝える際に思いやりのある対応をするための適切な訓練を受けていないことである。

 Gazelle博士は,第 4 の点が最も重大とし,「ホスピス・ケアは不治の病の進行期に直面したときに,できる限り患者が快適に生きられるよう援助する目的でデザインされたケアであるのに,米国の医師はホスピス・ケアは死が迫ったときのための最後の手段と考えていることだ」と指摘している。

メディカルトリビューン 2007年11月15日
終末期患者の延命治療の差し控え・中止にどう対応するか
前田 正一 (東京大学大学院医療安全管理学准教授)

 終末期医療に関する公的指針がないなかで,医療現場が延命治療の差し控え・中止の問題に適切に対応するには,どのような知識が必要なのか。治療の差し控え・中止が許容される要件,踏襲すべき手続きについて,医療現場が事前に把握しておくことが重要だ。

 では,治療の中止は一切できないのかと言うと決してそうではない。現時点でも,治療の中止・差し控えはなされている。治療の中止などが許容されるためには,(1)治療中止が許容される基準(2)踏襲すべき手続き―の2点について,その内容を正確に把握し,慎重に判断するとともに,その結果を記録に残しておくことが重要になる。

 東海大学事件,川崎協同病院事件、いずれの事件においても,(1)患者が末期状態にあるか(2)治療行為の中止を希望する患者の意思があるかが問題となった。

 終末期医療の現場では,家族から早い時点で治療の中止を求められることもある。患者の意思が把握できない場合には,通常は家族のなかから代諾者を選出し,代諾者が同意した医療を実施する。ただし,延命治療の中止ができない場合でも,代諾者が治療の中止を希望することがある。この場合,医療機関は患者の最善の利益を判断して医療を進めることになる。

 チームで終末期医療の進め方を検討する場合,各医療従事者は積極的に発言すべきであり,そうでなければチーム医療が成立しない。また,患者本人の意思が不明で,家族が判断できない場合,医療チームや倫理委員会で判断して延命治療を中止できるとした。

 日本救急医学会は,昨年10月に救急医療において延命治療を中止する要件や手続きをガイドラインとして学会レベルで初めて示した。終末期について,(1)不可逆的な全脳機能不全(2)生命維持に必須な臓器の機能不全が不可逆的で,移植などの代替手段もない(3)有効な治療法がなく,数日以内に死亡が予測される(4)回復不能な疾病の末期であることが,積極的な治療開始後に判明―の4つに分けて定義した。ただ,朝日新聞社が行ったアンケートの結果では,救急救命センターの多くが指針の採用を見送っているという。

 指針の内容が正確に医療現場に伝わっていないと思われるため,指針の内容について学会による解説集などがあれば,正確な理解に基づく検討が進むのではないかと思われる。

メディカルトリビューン 2008年5月1日
第6回日本臨床腫瘍学会学術集会ランチョンセミナー Medical Oncologistが知っておきたい緩和・支持療法
向山 雄人(癌研有明病院 緩和ケア科)

 従来,がんの化学療法を行う場合は入院が必須であったが,近年,副作用の少ない抗がん剤の開発により,外来での化学療法が可能となった。患者は自宅での生活を続けながら治療を行うことができるようになり,QOLの向上も期待されている。その一方で,外来で治療を担当する医師は疼痛管理の経験が少ないために,患者の痛みに対して十分な配慮が行きとどかないこともある。

がん緩和医療は抗腫瘍治療と並行して行うべきもの―早期からの緩和ケアの導入を―

 がん緩和医療・緩和ケアに関し,「緩和医療は終末期のみの医療である」といった誤解が患者のみならず医療者の側にもいまだに存在する。世界保健機関(WHO)によれば,緩和ケアは終末期だけではなく早い時期から抗腫瘍治療と並行して開始するものとされている。実際の臨床においても,早期からの適切な緩和ケアによって退院や化学療法の再開に結びつく場合や,逆に抗腫瘍治療の効果によって,例えば鎮痛薬の減量など,いわゆる苦痛に対する治療を軽減できる場合もあり,両者はボーダレスな関係にある。

 緩和ケアにおいて薬物療法は重要な位置を占めることから,『がん薬物療法専門医』にとっても,痛み,呼吸困難感,消化管閉塞などに適切に対処することが求められる。

 進行・再発期のがん患者に合併する消化管閉塞は,嘔気・嘔吐,腹部膨満感,腹痛などの消化器症状をきたし,患者のQOLを著しく低下させる。このような消化管閉塞に対し,薬物療法としては消化管分泌抑制作用を有する抗コリン薬(臭化ブチルスコポラミンなど)やステロイド,制吐作用のあるドパミン受容体拮抗薬(ハロペリドールなど)が用いられてきたが,近年,ソマトスタチンアナログ製剤であるオクトレオチドの有効性が数多く報告され,本邦では2004年に「進行・再発癌患者の緩和医療における消化管閉塞に伴う消化器症状の改善」について保険適応が承認された。

 消化管閉塞の治療について,消化管閉塞と診断された場合には早い時期にオクトレオチドによる症状軽減を積極的に検討し,同時に手術適応を判断するのが望ましい。

―骨転移を有する場合には,ビスホスホネートや放射線治療を含む集学的治療が重要―

 乳癌,前立腺癌,肺癌などにおいて高頻度に認められる骨転移は,著しい骨痛や病的骨折,脊髄圧迫による神経症状を伴うとされる。

 最近,1年以上の予後が期待される症例に対して,高いQOLを維持しつつ可能な限りがんと共存するための戦略を指す「予防的がん緩和ケア(protective cancer palliative care)」が重要視されてきている。このような観点からも骨転移に対する集学的治療の必要性が高まっている。骨転移を有する患者に対しては,WHO方式がん疼痛治療法に加え,放射線治療やビスホスホネートの併用など,積極的な治療が求められている。

メディカルトリビューン 2008年5月22日

第49回日本神経学会 筋萎縮性側索硬化症(ALS)患者の治療決定プロセスにおける倫理を探る

〜終末期医療のガイドライン〜人工呼吸器外しは危険


 仙台往診クリニックの川島孝一郎院長は,厚生労働省の終末期医療の決定プロセスのあり方に関する検討会の委員を務めた経験から,昨年5月にまとめたガイドラインについて,「現在の法律では死ぬ権利は認められない」などの重要項目を解説,難治性疾患の終末期を考えるうえでの今後の課題を示した。

エビデンスを超えた議論を

 川島院長は「終末期医療の決定プロセスのあり方に関するガイドライン」について「検討はまだ始まったばかりで結論には達していない」との認識を示したうえで,(1)ものの見方には多様性があるので,終末期を限定することはできない(2)緩和医療ですべての痛みは鎮静を含めて緩和できるので,積極的安楽死は対象としない(3)人工呼吸器を外すことは崩壊行為に当たり危険である(4)死ぬ権利は権利として認められない―などを重要項目として提示した。

 同院長は,各重要項目について具体的な例を挙げて次のように解説した。

(1)人間の意思がいかに瞬間的に変わるかを例示。温かいまぶしい太陽を見ていても,目の前をカラスが横切れば,一瞬にして不吉な気持に変化する。また,植物状態にある人間をかわいそうだと思っても,本人にとっては生きているという「仕事」を100%行っている存在であり,脳死状態の人でも家族にしてみれば,存在しているだけで意味があるのかもしれない。人間は調和した全体のなかで生きている存在なので,終末期を限定することはできない。

(2)現在の日本では医師に知識があれば鎮静を含め,すべての痛みは完全に緩和できることを患者に伝えなければならない。患者が絶え難い肉体的苦痛を持つことはありえない。

(3)人工呼吸器は装着したとたん,全身に酸素を供給する特殊な存在となるので,それを外すことはその全体を崩壊させる行為に当たる。着けたものを外すという足し算引き算的考え方をすべきではない。

(4)日本の法律には生きる権利はあるが死ぬ権利はない。もし死ぬ権利を認めたら,死を希望していない人に対しても死ぬことが強制されたり,具体的な死の方法を決めなければならなくなるなどの危険性があるため,慎重に考えなければならない。

すべての治療を緩和ケアに QOL向上のためのケアを考える

 (独)国立病院機構新潟病院の中島孝副院長は「延命治療か死かという選択ではなく,すべての治療は全人的苦痛の緩和であるという緩和ケアフレームに変えていく必要がある」と述べ,今後神経学会として倫理の問題への議論を深めていく必要性を訴えた。

多専門職種がチームで

 中島副院長はまず,治療法が確立していない難病は,現代医療の科学モデルであるEBMやクリティカルパスのみを当てはめることが不可能で,医学教育や診療報酬体系のなかで十分に扱われていないことを指摘し,患者が「なおらない病気なら生きていくのはつらいし,意味がない」と考えたとき,本人や家族,医療者がどう対応したらよいのか,羅針盤がない状態では医療を続けられなくなる可能性があると問題提起した。

 そのうえで,同副院長は「無駄な延命治療か尊厳ある死か」という葛藤をやめる方法として,緩和ケアモデルの有用性を強調した。緩和ケア概念のなかでは,「死」を受容するのではなく,死に至る病気とともに生きることを肯定する。治療は身体的苦痛や障害,心理的苦痛,社会的苦痛や問題,霊的苦痛を含めた全人的な苦痛に対する緩和療法として位置付ける。つまり,治療のあきらめイコール死,あるいは治療からターミナルケアに180度切り替えて延命治療を行わないという考え方ではなく,診断時点から緩和ケアが始まるという考え方である。このモデルに従えば,必要な治療やケアは無駄な延命治療ではなくなり,不安が消え,苦痛が解消され,死に至る病気や難病とともに生きることを肯定できるようになる。

 特定疾患患者の生活の質の向上に関する研究班が2007年度にまとめた「ALSの包括的呼吸ケア指針」では,緩和ケアフレームへの変更を明確に示している。それによると,ALSの呼吸器ケアは呼吸器装着を延命治療と考えるのではなく,緩和療法と位置付け,呼吸理学療法,摂食嚥下サポート,理学療法,作業療法による日常生活動作(ADL)の調整,痛みのコントロール,スピーチセラピーによるコミュニケーションサポート,心理療法,ケースワークなど多専門職種ケアとしてチームで行っていく方針が示されている。

 そのうえで,同副院長は「自分に合った緩和ケアに関する自己決定はケアチームとの交流のなかで行われ,病態の変化,ケア内容,時間の変化によって内容は常に変化していくもの」という,QOL向上のための新しいインフォームド・コンセントの考え方を提示。「医療のなかの問題を倫理問題に替えるのではなく,ケアを深める議論をすべき」と述べ,本来の緩和ケア概念を正しく普及することに積極的に取り組んでいく姿勢を示した。

メディカルトリビューン 2008年8月7日
生命予後不良な新生児の「看取りの医療」 「命をいつくしむ医療」への発想転換を

船戸 正久  淀川キリスト教病院小児科部長

 最近,生命予後不良な新生児の治療方針を巡って,新生児医療に携わる病院の8割以上が治療の差し控えや中止を経験しているとの調査結果が報告されており,わが国でも「過剰な延命治療」を見直す動きが広がりつつある。淀川キリスト教病院では生命予後不良な状態に陥った児の治療指針として,1998年10月に「新生児の倫理的,医学的意思決定のガイドライン」を作成した。同ガイドラインは,それぞれの症例に対する医療チームの治療方針と,家族との話し合いの長年の蓄積から生まれ,同院倫理委員会の承認を得て作成された。

「やりすぎの医療」は非倫理的

 1986年の朝日新聞で「仮死のまま新生児2年半」という記事が掲載された。この児は,他院で重症仮死状態で出生後,新生児集中治療室(NICU)での治療のために東京国立小児病院に搬送された。しかし,治療のかいなく意識も呼吸も回復不能な状態が続いたまま人工呼吸器で2年半生かされており,今後の児の治療を巡り,両親「安らかに逝かせて」・病院「外せぬ人工呼吸器」の間で深刻な対立が続いた。この事件は,淀川キリスト教病院において生命予後不良な新生児の倫理的問題を考える直接の契機となった。

 船戸部長は「近年の医療技術の急速な発展は,従来救命不能であった重症患者に対しても医学的に介入し,時に完治できるようになった。一方,生命予後不良で回復不能な末期患者に対しても機械的な延命が可能な時代になってきた。特に1950年代から60年代にかけて急速に発展した人工呼吸器を代表とする生命維持装置の開発は,生命至上主義に基づく延命治療に大きな貢献をした。しかし,この事実は,同時に患者の『生と死』が今までのように自然な形で経過するものではなく,発達しすぎた医療技術によって操作できる人工的な過程に変わってしまったことを意味する」と指摘する。これは,新生児医療の分野も例外ではなくなっている。

倫理的許容範囲を示す

 船戸部長らは「より人間らしい医療とは?」という観点から,同院の小児医療に携わる職員63人にアンケートを行った。その結果をもとに,他の病院ではどのような考えかを知るため,大阪の新生児診療相互援助システム(NMCS)に属する30施設の職員427人にアンケートを行った。その結果,「もし自分の子供であったならどうしますか」という問に対しては,治療の中止が167人と最も多く,次いでわからないが119人,緩和的治療が108人,積極的治療が59人の順であった。

 東京女子医科大学母子総合医療センターの仁志田博司教授らは,医学的意思決定における具体的な治療行為の分類を行った。Class Aはあらゆる治療を積極的に行う,Class Bは手術,血液透析など大きな負担のかかる一定限度以上の治療を制限する,Class Cは現在行っている以上の治療は行わず,一般的養護に徹する,蘇生術は試行しない,Class Dは人工呼吸器を含めたこれまでのすべての治療を中止するという分類である。船戸部長らはClass Aを積極的医療,Class Bを制限的医療,Class Cを緩和的医療,Class Dを看取りの医療と定義し,NICUにおける具体的な倫理的,医学的意思決定に応用している。

意思決定後の対応に配慮,家族中心の緩和ケアが大切

 同ガイドライン導入後の変化について,船戸部長は「看取りの医療を導入したからといって,必ずしも死亡率は増えておらず,むしろ減少している。同時に最期のとき,児の最善の利益を医療チームと家族が率直に話し合うようになってClass A(積極的医療)の適応は徐々に減少し,Class C(緩和的医療)またはClass D(看取りの医療)が増えてきた。そして倫理的許容範囲のガイドライン作成(1998年)以後は,ほとんどがClass CまたはDで亡くなっている」とし,同時に「最後は家族,特に母親の胸で児が息を引き取る率が年々増えている。過剰と思われる蘇生医療は差し控えられ,ほぼ100%母親の胸で看取られている」と付け加える。

 では,もしClass CやDを適応した場合,その後の対応をどうするか。患児への配慮としては,最高の緩和ケア,痛み,不快,QOLなど,家族への配慮としては,死の受容に対する準備教育,面会時間や個室,快いスキンシップやケアへの参加などを挙げる。また,看取りへの配慮としては,できれば家族全員の立ち会い,最後は家族,特に母親の胸のなかでの看取り,家族の希望により信頼できる宗教家などの立ち会いを挙げ,「将来的には家庭での看取りということも課題となる」と同部長。死後への配慮としては,十分な悲しみの表出,死後処置への参加,記念撮影や形見の品,お別れ会などを挙げる。

胎児緩和ケアの研究も必要に

 一方,最近,胎児診断が大きくクローズアップされている。2004年に米国のLeuthner SRは,胎児診断後の新しい選択肢として,「胎児緩和ケア」の概念を紹介している。

 船戸部長は「今後胎児診断が飛躍的に進歩することが予想される。そうなると,胎児治療の可能性を探索すると同時に,Fetus as a patient,Fetus as a humanとして,その人権と尊厳を大切にする胎児緩和ケアの選択肢の研究も新たなテーマとなってくるだろう」と展望する。

メディカルトリビューン 2008年8月28日
オーストラリア、子どもホスピスを訪ねて
 「死生学」を専門とするアルフォンス・デーケン上智大名誉教授が9月上旬、医療関係者らの研修としてオーストラリアのホスピスを訪れ、日本にはない子ども専門のホスピス2施設も視察した。同行取材から、子どもの終末期医療についてオーストラリアの現状を報告する。

 子どもホスピスは英国が起源で、82年にオックスフォードに「ヘレン・ダグラス・ハウス」ができたのが始まり。英国には50施設以上あるとされ、オーストラリアには3施設ある。視察したのは、最大の都市シドニーにある「ベア・コテージ」と、メルボルンにある国内最古の「ベリー・スペシャル・キッズ」。

 子どもホスピスの対象は、がんに限らず、回復を見込めないさまざまな病気の子どもたち。付きっ切りで介護する家族も支える。最期を迎える場として利用するケースはむしろ少なく、入院先を離れて地域に帰り、家庭で最期を迎えるための手助けをするのも大切な役割だ。施設の名称や看板に「ホスピス」の文字はなく、暗さや苦しさを連想させる言葉は使わない。

 その1つ、シドニー北部の海水浴場に近い丘の上にある「ベア・コテージ」は、シドニーの民間子ども病院が01年に開設した。施設名には「キャンプ場のコテージのような感覚で楽しんでほしい」との願いが込められ、入り口では愛くるしい大小のクマのぬいぐるみが出迎える。施設で暮らす犬「スクーター」もスタッフの一員という。

 生後すぐから18歳までの子どもが滞在し、今年8月までに347人を受け入れた。神経の難病や神経筋疾患が全体の4割超で、小児がんや脳性まひなどの先天性障害が続く。ここで最期を迎えた子どもは一部で、家族で短期宿泊する「レスパイト」や、子どもと死別した家族が対象の「悲嘆ケア」もある。

 終末期の滞在期間に制限はないが、レスパイトなどに使う場合は最長8日間。介護する親の精神的・肉体的負担の軽減と、家族で過ごす限られた時間を大切にするため、家事はすべて職員やボランティアが代行し、24時間手当てや精神ケアが受けられる。子どもに対しては、遊びを通して病気や障害から気持ちが解放されるよう取り組む。同じ病気を持つ子どもを集め、ボランティアがキャンプに連れていくこともある。

 第2の家庭として利用してもらうのが理念で、宿泊料や食事代など費用はすべて無料。建設費約10億円と年間約1億7000万円の運営資金のほとんどは地域住民らの寄付で賄われ、不足分は子ども病院が補てんする。

 施設には、子どもの個室10部屋と、家族も寝泊まりできる2部屋がある。部屋では医療行為はせず、処置室を使う。共用スペースにはテレビやDVDを楽しむ視聴覚室、おもちゃの倉庫のほか、温水が循環する小型プールのある「スパルーム」がある。

 スパルームには水のせせらぎが響き、「ハイドロセラピー」と呼ばれる癒やしに利用される。外出が難しい車いすの子どもには、気分転換の効果があるという。

 別棟の「クワイエット・ルーム」にはプライバシーを保つため防音設備があり、親が思い切り怒りや悲しみをぶつけ、大声で泣くことができる。子どもが親と離れて1人で遊ぶ時間に使うこともできる。「悲嘆ケア」にも必要という。

 シドニー郊外に住むヘレン・カニングハムさんは5年前から、寝たきりの娘ナタリーさん(8)と年4回ほど利用している。「食事や薬をあげることからおむつ交換まで、素晴らしい介護を受けている。バルコニーで夜空を眺める時間を持てることで心が安らぐ。もし子どもをみとるなら病院ではなく、ここがいい。安らかな気持ちになれるでしょう」と話した。

m3.com 2008年10月20日
死を前にリビング・ウイル示す、「賛成」6割超える 余命半年「延命」1割
 死期が迫ったときの治療方針を事前に書面に示す「リビング・ウイル」に賛成する人が6割を超えることが厚生労働省のアンケート調査で分かった。自分が余命半年以内の末期状態になったとき、延命治療を望むのは10人に1人だった。

 調査は今年3月、一般国民5000人と医師ら医療従事者9000人を対象に実施。終末期医療のあり方を考えるために5年ごとに行われ、今回は3回目で、全体の46%が回答した。

 それによると、リビング・ウイルに「賛成する」と回答した一般は61・9%で、過去の数値をいずれも上回り最初の98年に比べ14・3ポイント増えた。医師は79・9%が賛成した。このうち、「法制化すべきだ」と答えた一般は33・6%にとどまり、「医師が家族と相談し、その希望を尊重する」との考えは62・4%に達した。ただし、医師では法制化を求めたのが54・1%と過半数に達している。

 一方、自分が治る見込みがないと告げられた場合、延命治療を望むのは一般が11%、医師は7%。家族の場合では、一般で24・6%、医師で11・6%となり、自分の2倍程度に増えた。

m3.com 2008年11月13日
「安楽死」の瞬間を放送へ 英テレビ、自殺美化と批判
 英テレビ局が、自力で呼吸ができなくなる原因不明の病を患い、2006年に「安楽死」した英国人男性の死亡の瞬間を初めて放送する予定だと発表、自殺を美化するとの批判を受けている。

 スカイニューズ・テレビが12月10日午後9時(日本時間11日午前6時)から放送する。安楽死は英国では違法とされており、スカイ側は反安楽死の活動家らの批判に対し「男性が放送を望んだ」と反論している。

 番組は議会でも取り上げられ、ブラウン英首相は「微妙な問題で放送の規制当局が判断する」と答弁した。

 この男性=当時(59)=は5カ月の闘病の末、一定の条件下で安楽死を認めているスイスの病院で、妻が見守る中、タイマーを使って人工呼吸器を止め「自殺」した。

m3.com 2008年12月11日
テレビに賛否の意見相次ぐ 英国の「安楽死」放送
 英スカイニューズ・テレビが12月10日、2006年に「安楽死」した英国人男性の死亡の瞬間を予定通り放送した。視聴者の関心は高く、賛否さまざまな意見が寄せられた。

 肯定派からは「何年も苦しんで亡くなった夫を思い出した。状況によっては自ら命を絶つ権利を持つべきだ」との意見が寄せられたが、「安楽死を撮影することには同意できない。恥を知れ」などの批判的な声も上がった。

 英国では最近、けがをしたラグビー選手が安楽死することを選び、これを手伝った両親が法的責任を問われない見通しとなったことで議論を呼んだ。その直後とあって、安楽死に反対する団体が「視聴率を稼ぐ悪質な試みだ」と反発を強めている。テレビ局側は「人々が関心を高めているテーマについて議論を刺激するのは重要だ」などと弁明した。

m3.com 2008年12月11日
尊厳死の法制化を訴える 厚労省・終末期医療懇談会で関係団体をヒアリング
 12月15日,厚生労働省(厚労省)の第2回終末期医療のあり方に関する懇談会が開かれ,日本尊厳死協会など5団体からヒアリングが行われた。同協会理事長の井形昭弘氏は,尊厳死の法制化をあらためて訴えた。

 同懇談会の目的は,患者の意思を尊重した望ましい終末期医療のあり方を検討することで,2回目の今回は終末期医療に関係の深い5つの医療・患者団体の代表者が参考人として招致され,意見を述べた。

 日本尊厳死協会は1976年の発足以来,リビング・ウイル(尊厳死の宣誓書)を介して自分の死様に関与できる権利,自然に死を迎えられる権利を主張してきた。井形氏はそのような活動を通して,尊厳死は国民の間に少しずつ受け入れられつつあることを指摘。厚労省が2007年に公表した「終末期医療の決定プロセスに関するガイドライン」でも,本人の意思を最大限尊重することが盛り込まれている。

 しかし,同氏によると,ガイドラインどおりに終末期医療が実施され,延命措置の不開始や中止が選択されたら,現状では医師の法的責任が問われる可能性があり,尊厳死の普及を阻んでいる。このような状況に対して,同氏は「本人の意思に反して延命措置が続けられるのは,第三者の価値観の強制で人権問題としても許されるべきではない」と主張。尊厳死を法制化し,安らかな死の権利が守られる社会の重要性を強調した。

メディカルトリビューン 2008年12月16日
がん患者「死後の世界」「生まれ変わり」信じる割合低く 東大が死生観調査
 がん患者は一般の人に比べて、死後の世界や生まれ変わりなどを信じない傾向が強いことが、東京大の大規模調査で明らかになった。また「望ましい死」を迎えるために必要なこととして、がん患者が健康時と変わらない生活を望んだのに対し、医師や看護師がそれを期待する割合は低く、認識の差も浮き彫りになった。

 調査は、がん患者の死生観を知るため東京大の研究チームが昨年1月から1年間かけて実施。東大病院放射線科に受診歴がある患者310人と同病院の医師109人、看護師366人、無作為抽出した一般の東京都民353人の計1138人が協力した。患者は75%が治療済みで、治療中の人は20%だった。

 「死後の世界がある」と考える人の割合は一般人の34・6%に対しがん患者は27・9%、「生まれ変わりがある」は一般人29・7%、患者20・9%で、患者の割合が目立って低かった。生きる目的や使命感を持つ割合は患者の方が一般人より高く、「自分の死をよく考える」という人も患者に多かった。

 「望ましい死」に関しては、患者の多くが健康な時と同様の生活を理想とし、「(死ぬまで)身の回りのことが自分でできる」(93%)「意識がはっきりしている」(98%)--などを望んだ。一方、医療関係者はこれらについての期待がそれぞれ30-40ポイント低かった。また、「さいごまで病気とたたかうこと」を望む患者が8割に達したが、医師は2割にとどまった。

m3.com 2009年1月14日
植物状態のイタリア人女性死亡 延命停止後、国民に衝撃
 17年前の交通事故で植物状態となり、家族の要請で2月、延命措置を停止されたイタリア人女性、エルアナ・エングラロさん(38)が9日、北東部ウディネにある入院先の病院で死亡した。延命停止をめぐっては、ローマ法王庁(バチカン)を抱える同国の世論を2分していただけに国民は衝撃を受けている。

 入院先の病院は既に栄養補給管からの栄養と水分の補給を止めていた。直接の死因は不明だが、延命停止処置が影響したとみられる。

 延命停止を求める家族の訴えは昨年、最高裁で認められた。中道右派ベルルスコーニ政権は、事実上の安楽死として反発するバチカンなどの意向に配慮し、延命停止を阻止するための緊急政令を閣議決定した。

 しかし、左派出身のナポリターノ大統領は政令に署名せず無効になったため、同政権はあらためて延命停止阻止の法案を国会に提出、審議が始まっていた。

 エングラロさんの死は9日、審議中の上院で発表され、議員らが黙とうした。

m3.com 2009年2月10日
尊厳死,意思決定に影響せず医師も守れる法整備は可能か リビング・ウィルを巡り議論
 4月14日,厚生労働省で第4回「終末期医療のあり方に関する懇談会」が開催された。

 尊厳死には,現場の医療従事者にとって刑事罰のリスクがある以上,ガイドラインとともに法整備は必要という声がある一方で,法整備の副作用として,患者の意思よりも“法”に基づいた理論で意思決定が左右される危惧もある。

 また,尊厳死の意思決定で最も重要なのは,患者本人の意思だが,議論のなかではその意思確認の難しさも示された。

 終末期医療における尊厳死についての議論では,現在,医師,法学者も一定のコンセンサスに至っていない状況だ。

 一方,医療現場では,患者・家族から尊厳死を望む意思も実際に示されている。

 厚労省が2007年に公表した「終末期医療の決定プロセスに関するガイドライン」では,そうした患者本人の意思を最大限に尊重することを主眼としており,本人,家族,医療ケアチームなど,徹底した合意主義の重要性を示している。

 しかし,実際の医療現場では,リビング・ウィルや患者家族との話し合いにより尊厳死の意思を示されても,実際にどのような行為が刑法に抵触するのかが不明なことで,ニーズに応えることが困難なことも指摘されている。

 こうしたことから,医療従事者からは,ガイドラインに併せ,尊厳死にかかわる医療従事者を守るための法整備を求める声が上がっている。

米国の意外な実態 法整備はなされている一方で,法より医療倫理を尊重

 そうしたなか,「国民の多くはリビング・ウィルには賛成なのに,なぜその法制化には消極的か?」という疑問も呈されており,東京大学大学院法学政治学研究科教授の樋口範雄氏は「不明確な法の伝える明確なメッセージ」と題した発表を行った。

 同氏は,米国の法を専門としており,リビング・ウィルの法制化が行われている米国における,尊厳死にかかわる法解釈の実情について紹介した。

 まず,米国のロースクールの教材であるcasebookのなかから,37歳の肺がん末期患者から「化学療法とペースメーカを止めてくれ」という意思を示された医師からの相談について紹介。casebookでは,「(院内の)倫理委員会で相談しなさい」と助言をしており,これが法律家としての最善の答えとして示されており,「嘱託殺人という類の記述につながっていない」という。

 また,同様に米国の医師国家試験問題のなかから次のような問題例を示した。

 事故に遭った男性が,人工呼吸器を装着されて集中治療室(ICU)に運び込まれ,脳死状態と判断された。男性はドナーカードを所持しており,臓器提供の意思表示が明示されていた。しかし,臓器移植チームが家族に連絡を取ったところ,臓器提供に反対された。どうすべきか?

 これに対する正答は「家族の意思を尊重し臓器提供をやめるべきである」というもので,樋口氏は「米国では法律上,脳死を死としており,臓器提供は本人(だけ)の意思によると明記されているが,(米国では)法律だけで医療は動いていないことが示されている」という。

 また,米国では,法と医療(倫理)の役割は異なり,後者こそ重要だと考えられているとし,リビング・ウィル法の適用がなくても,(1)患者本人の意思を尊重,(2)うつ病や自殺願望の場合は別,(3)問題があれば倫理委員会でも相談?といった点に従って医療の方針が決まり,法に頼る態度は取られていないと述べた。

 さらに,米国では,リビング・ウィルをつくる人は少数で,つくっている人でも適用除外例も多いのが実態だという。

メディカルトリビューン 2009年4月16日
終末期医療を考える…「どう生きる」医師と話そう 医療ルネサンス 仙台フォーラム
 どうやって、自分らしい最期を迎えるか。納得できる理想的な最期とは――。「終末期医療を考える」をテーマとした「医療ルネサンス仙台フォーラム」が5月21日、仙台市青葉区の電力ホールで開かれた。終末期医療や在宅ケアに詳しい3人の専門家が、自らの取り組みや意見を紹介しながら白熱した議論を交わし、集まった600人余りの市民は、真剣な面持ちで聞き入った。

◇ パネルディスカッション ◇

パネリスト
 名古屋学芸大学長、井形昭弘さん

 仙台往診クリニック院長 川島孝一郎さん

 穂波の郷クリニック・ゼネラルマネジャー(宮城県大崎市) 大石春美さん

コーディネーター
 前野一雄・読売新聞東京本社編集委員


◆医療の役割
 ――患者が死の間際に満足感を得られれば理想的ですが、医療はどんな役割を果たせるのでしょうか。

 井形 痛みが解決しても、死んだらどうなるのかなどの精神的な悩みは尽きません。健康寿命を全うして、その人なりの安らかな最期を迎えられるように支えるのが医療の責務でしょう。これからの医療倫理には、延命がその人の幸せにつながるのかという視点が必要です。

 ――医療が逆に最期の瞬間の満足を妨げているところはありませんか。

 大石 満足は、自分の運命を受け入れ、悔いのない生き方をした先にあります。でも、医師や看護師に遠慮して、意思表示ができなかったという話もよく聞きます。患者が胸の内を素直に伝え、新しい自分や感動を発見できるような環境作りが大切です。

 ――患者の希望を実現するために、どんな努力を心がけていますか。

 川島 死の瞬間は、自分では知ることができません。つまり満足な生は経験できても、満足な死かどうかは判断できない。だから、患者と腹を割って一生懸命話し合い「ああよかった」と共感できる生き方を探していく。その積み重ねの中で、ある日、死が訪れると考えています。

 ――「こんな最期を迎えたい」と自ら提案する患者はいますか。

 大石 きょう会場にみえた筋萎縮(いしゅく)性側索硬化症の佐々木すみ子さんは、人工呼吸器をつけない道を選びました。地元の中学校で講演し、生の意味を問いかけるなど挑戦の日々を続けています。どう死ぬかではなく、どう生きるか。その勇気に感動するばかりです。

◆「在宅」支援
 ――自宅での最期を望んでも、現実には「やむを得ず病院で」という方も多いのでは。


 井形 高齢者は、最期はやはり住み慣れたところを望みます。国はこうした要望に応えるため、新しいタイプの高齢者住宅の充実を推進しています。高齢者住宅は医療と福祉を完備し、最期まで自分らしい生活をサポートする。みじめな死を迎えるような事態は、いずれなくなるはずです。

 ――在宅医療を普及させる上で課題は。

 川島 国は2006年に「在宅療養支援診療所」という制度を作りました。しかし、実際には、在宅医療にたどりつけずにいる人が大部分です。その原因は、生きることを十分に説明しない医者にあります。説明が不十分なまま、リビングウイルを作成するのは本末転倒で、安易に同意してはいけません。

 ――日本の家庭では、死は話題から遠ざけられがちです。本当にそれでいいのでしょうか。

 井形 延命を拒否するのではなく、徹底して続けてほしいというのも、またリビングウイルです。重要なのは本人の意思を尊重することです。考えが変われば撤回や変更もできます。みなさんが健康なうちに、家族ともよく話し合いながら、ぜひ自分の死について考えてみて下さい。

読売新聞 2009年6月18日

安楽死は緩和ケアの障害とはならない ベルギー,安楽死法施行後の調査から
 ブリュッセル自由大学終末期医療研究グループ(ブリュッセル)のLieve Van den Block博士らは,2002年にいわゆる「安楽死法」が制定されたベルギーでは,同法の施行後も緩和ケアを受ける患者は減少していないことが示されたとBMJ(2009; 339: b2772)に発表した。

安楽死を合法化

 これまでの研究から,終末期には生命の短縮を伴う医学的判断が下されることが多いことが明らかにされている。つまり,致死的な薬剤の使用や,継続的な鎮静薬の投与,または症状緩和のための薬剤投与の強化など,結果的に死期を早める処置がなされているということである。

 ベルギーでは,2002年に安楽死が合法化されたが,緩和ケアを実施する医療体制の整備も進んでいる。Van den Block博士らは,2005〜06年のベルギーにおける突然死を除く死亡例2,000件を分析した。今回の研究は,終末期の意思決定と実際に受けた終末期医療の関係を初めて明らかにした大規模研究である。

 患者のうち32%は85歳以上で,男女比はほぼ半数ずつ,死因の43%はがんであった。がん患者では他の疾患の患者に比べて,死の幇助として食物や水分を投与せずに鎮静薬の処方量を増やして鎮静状態が維持されることが多い傾向にあった。

 死の直前の3か月間にスピリチュアルケアを受けた患者は,ほとんどまたは全く受けていない患者に比べ安楽死または医師による死の幇助を選択する傾向にあることも示された。これらの知見は,安楽死と緩和ケアは決して矛盾するものではなく,互いに相補の関係にあることを示している。

 さらに集学的な緩和ケアを受けた人ほど,症状緩和を目的とした投薬を受け,食物や水分を摂取せずに鎮静薬の処方量を増やして鎮静状態を保つことで死期を早めていた。また,こうした患者では総じて死期を早める終末期医療を決断する傾向が見られるなど,集学的な緩和ケアと生存期間を短縮する医学的な意思決定には関連が認められた。同時に,終末期医療における意思決定と緩和ケアは相反することなく両立することが示された。

 しかしこれらの知見は,ベルギーでは緩和ケアを受けることのできない患者が,患者自身または第三者の意思によって,過度に安楽死または医師による死の幇助を選択しているという懸念を完全に払拭するものではない。

 同博士は「他国でも同様のことが言えるか否かについてはさらに研究が必要だが,結果は,それぞれの法的状況や緩和ケアシステム,臨床現場における安楽死の在り方や考え方などに左右されると考えられる」と指摘する一方で,「医師による死の幇助が容認されている米オレゴン州では,医師による死の幇助を選択した人の多くがホスピスケアを受けていた。また,法制化によりホスピスへの紹介転院が増加し,医師に対する緩和ケアトレーニングが普及したと報告されている」と述べている。

メディカルトリビューン 2009年10月1日
望む「最期」を求めて 尊厳死 関心高く
 尊厳死について考える県民との懇談会(県医師会主催)が4日、南風原町の県医師会館で開かれた。「尊厳ある生」「尊厳ある死」を考える会に約350人が集まり、一部の聴衆が会場に入りきらないほど関心の高さをうかがわせた。

 日本尊厳死協会おきなわの源河圭一郎代表、国立病院機構沖縄病院の石川清司院長、那覇第一事務所の永吉盛元弁護士、かじまやークリニックの山里将進院長が尊厳死、緩和ケア、法律、在宅医療のそれぞれの立場から終末期の問題について講演した。その人らしい最期を迎えるために行政、医療、県民自身が取り組むべきことなどを話した。

 主催者の予想を大きく上回る参加者に急きょ、別室にモニターを設けて開催した。質疑応答では終末期医療、在宅介護に関する質問が多数寄せられた。「緩和ケアを受けたいが、必ず尊厳死協会に入らないといけないのか」という質問に対し、源河代表は「必ずしもその必要はない。主治医にいざというときは延命を断るということを申し出ておけばいい」と答えた。

 「在宅でのみとりを進めるには何が必要なのか」という質問に山里院長は「国は在宅を推進するが、増加する有料老人ホームではみとりの経験がないなど、現場は受け入れる準備はできていない。計画見直しも必要」と話した。また「家族の側は在宅を望まないことも多い」という指摘に対しては「少ない介護力でも支援できる仕組みがあればよくなる。例えば日中だけ預ける『デイホスピス』があるが、経営的に厳しく広がらない」など終末期を自宅で過ごすための現実的な支援が必要とした。

 会場からは「教育の場で人間の命について教える必要がある」「医療の側と話し合う機会が必要」などの要望もあった。

琉球新報 2009年10月5日
ホスピスの説明を受けていない末期がん患者多い 医療提供者とのコミュニケーション不足が一因
 ハーバード大学のHaiden A. Huskamp博士らは,進行がん患者の多くが診断後4〜7か月の間にホスピスについて医師などと話し合いをしていないことが明らかになったとArchives of Internal Medicine(2009; 169: 954-962)に発表した。

話し合ったのはわずか半数強

 ホスピスから恩恵を得る患者は少なくないが,その一方でホスピスに関する話題は患者の末期まで出なかったり,全く話し合われないこともしばしばある。しかし,進行がん患者では早期にホスピスを検討するのは有益であることが多いと考えられる。

 例えば,ホスピスでは侵襲性の低い治療が行われるため,患者はよりよいQOLを得ることができる。

 医師が患者に対してホスピスを紹介することは重要である。しかしHuskamp博士らが米国内の複数の地域でステージIVの肺がん患者1,517例を対象とした研究では,転移がんと診断された患者の多くは,診断後の4〜7か月間に医療提供者とホスピスについて話し合っていないことがわかった。

 同博士らは「医師とのコミュニケーションを増やすことで,ホスピスへの患者の認識不足や予後に関する誤解に対応できる」と考えている。また,ステージIVの肺がん患者の生存期間中央値は診断から約4〜8か月であるため,ホスピスについての話し合いを診断後4〜7か月以内に行うことが適切としている。

 診断の約4〜7か月後に患者または患者の代理人にインタビューを行ったところ,インタビュー後2か月以内に死亡した患者でホスピスについて主治医と話し合いが行われたのはわずか53%で,生存期間がより長い患者ではこの割合はさらに低かった。

 既婚者,パートナーと同居の患者,化学療法を受けている患者,貧困者,マイノリティ人種,英語が話せない患者などでは,医師とホスピスに関する話し合いを持たない傾向が見られた。

予後の考え方も影響

 自分の余命が2年未満と考えている患者では,余命がより長いと考えている患者と比べ,ホスピスについて話し合うことがかなり多いことがわかった。この結果から,医師は患者と予後についてのコミュニケーションを有効に行っていないことや,予後の説明を十分に理解させていないため,患者が自身の予後を楽観視している可能性が示唆された。

 疼痛または呼吸不全が最も重度の患者と,重症度が低い患者では,ホスピスについての話し合いに差異は見られなかった。

 余命の延長より疼痛緩和を希望した患者の4分の3強は,ホスピスについて主治医と話し合ったことが一度もなかった。話し合いの欠如は患者に原因があるわけではないようで,患者の4分の1強は蘇生不要(DNR)を希望していたにもかかわらず,医師と話し合う機会が得られなかった。

 末期医療に関する話し合いは,感情的になりやすく時間もかかる。そのうえ努力が報われないなど,医師にとって容易ではない。また,話し合いを遅らせたり,全く話し合いに応じない患者もいる。

 話し合われたとしても,ホスピスのすべての側面が十分に説明できるわけではない。医師とDNRについての話し合いをした患者のうち,ホスピスについても話し合った患者は,わずか3分の1であった。このことから,患者と医師が話し合いのチャンスを逸していることがうかがわれる。

メディカルトリビューン 2009年10月29日
ホスピスは不要の時代に
 大阪市北区の総合病院「北野病院」(七百七床)の副院長で消化器外科医の尾崎信弘さん(54)は「ホスピス(緩和ケア病棟)が将来とも必要だろうか」と意表を突くことを言った。

 わが国のホスピスは、診療報酬上の優遇もあって1990年代初頭から全国に広がった。ホスピスの果たした役割は大きい。以前はがん末期などで痛みのあるのは当然とされていたが、ホスピスでの医療用麻薬などの適切な使用で多くの場合、最期まで苦しまなくてすむようになったからだ。

 「治療手段が限られているときには、すぐに緩和ケアをするしかなくなってしまう。だが治療法はどんどん増え、治療と緩和ケアを同時に行う時代にきている」と尾崎医師。「どんな病棟であっても緩和ケアが適切に行えればいいわけです」と強調する。

 最近のがん治療は各診療科の協働作業になってきた。治療の選択肢が広がったのはいいが、担当医がコロコロ代わることで"見捨てられた"と不安を抱く患者が増えてきたという。

 北野病院では外科医の尾崎医師らが手術後の患者について、必要に応じて院内の緩和ケアチームに疼痛緩和をしてもらうが、主治医としての責任を最後まで果たす方針を貫き、患者の不安解消にも努めている。

 緩和ケアが広範に行われ、医療スタッフによる支援体制が充実し、ホスピスが不要になる日が待ち遠しい。

東京新聞 2010年1月6日

医師は,死に対する"心"を涵養しつつ地域の実情に合った医療・介護システムの構築を
新春対談
唐澤人    日本医師会会長
羽田澄子氏 1926年生まれ.フリーの記録映画作家


 新春に当たり,今回は,記録映画監督として,『痴呆性老人の世界』などの作品を通して,高齢者医療や終末期医療などに関しても,さまざまな問題提起をしてこられた羽田澄子氏を迎え,世界に類を見ない少子高齢社会を迎えた日本の医療・介護・福祉が抱える問題点と進むべき方向性等について語っていただいた.

 唐澤 近年,高齢化が進み,医療や介護の必要な方が増える一方で,看取りについても医療界の問題かと思っています.私ども医療担当者は,医学・医術の進歩による卓越した医療技術という"技"をもって奉仕することが大事ですが,最近,全人的な医療の必要性も感じています.

 しかし,医療あるいは医師側からの従来の考え方では対応しきれない高い壁もあります.そこで,羽田先生が映画を通して示されている,医療や介護についてのお考えを伺いたいと思います.

 羽田 最初にお断りしておきたいのですが,私は医学・医療の専門家ではなく,普通に暮らしている人間として自分が感じた矛盾や問題を,私の専門である映画を通して問題提起してきました.ですから,全く素人の視点での話,ある意味で普通の人間の率直な意見ということでご了解いただければと思います.
 
 唐澤 はい.そういう視点から言っていただくのが大事だと思っています.ところで,お正月が来るといろいろなことを思い出しますが,私は昭和17年生まれですので,終戦後で3〜4歳だったのですが,先生は,何かお正月の思い出がありますか.

 羽田 私は大正15年,旧満州の大連生まれで,会長より大分年上なものですから,強く印象に残っているのは,戦前の小学校から女学校時代,家が旅順にあった頃の豊かなお正月のことです.母がお重に詰める日本のお節料理とは別に,家の近くの中国料理店に注文し持ってきてもらう,大きなお皿にいろいろな料理がセットされたお正月料理のおいしさが非常に印象に残っています.それに,今とは違い,知り合いや隣近所にお年始のごあいさつ回りをするという風習がありました.

 当時は,女の子は着物を着せられていたのですが,母が結構ハイカラな人で,決して着物をつくってくれず,お正月は一番いい洋服を着て,お客様が見えるのを待って,おいしいごちそうをいただくのがとても楽しみでしたね.

 唐澤 確かに,お正月になると親類縁者や日頃付き合いのある人が集まって,にぎやかに過ごした時代がありましたが,最近は,家族だけで三が日を過ごす家庭が多くなったようですね.昔は,お年玉をもらったり…….カルタ取りや福笑い.男の子は,たこ揚げやすごろく.

 羽田 そう,お年玉をもらい,カルタ取りやすごろく,羽根つきもしましたね.

 唐澤 今は,お正月ならではの遊びや風習を,あまり見かけなくなりました.しかし,大陸は少し奥に入ると大変な寒波に襲われるそうですから,寒かったでしょうね.

 羽田 南の方でしたから,暖かくて,いちばん寒くても零下10度ぐらいでした.

 唐澤 元気で活発なお嬢さんでいらしたのですか.

 羽田 いえ,私はあまり丈夫ではなく,体操とかスポーツは至って苦手で,それほど活発ではありませんでした.

 唐澤 学生時代は,日本で過ごされたのですね.

 羽田 そうです.自由学園に入り,家が大連だったので,3年間寮に入っていました.

 唐澤 学生時代や岩波映画に入られた頃の思い出は何かありますか.

 羽田 学生時代は太平洋戦争真っただ中で,敗戦の年の卒業です.寮では食べ物がほとんどなく,ひどい生活をしていました.最後の一年間は学徒動員として中島飛行機製作所で零戦のエンジンをつくり,私は旋盤工でした.敗戦の年の三月,卒業式で空襲があり,記念写真もない時代でした.卒業後,大連の家まで,普通なら三泊四日のところを十日以上かけて,やっと帰りました.

 三年たって引き揚げて,本籍地の静岡で出版社に勤めたのですが,東京に出たくて,国会議事堂のすぐ脇にあったGHQのチャペルセンターに勤めました.その時,自由学園の恩師の羽仁説子先生が,私を岩波書店に引っ張ってくれたのです.

 当時,文字文化では岩波書店がトップでしたが,岩波茂雄氏の「これからは映像文化の時代に入る」という遺志を受けてつくられた,雪の研究で有名な北海道大学の中谷宇吉郎博士の研究室(岩波映画製作所の母体)に,スタッフに入らないかと声が掛かったのです.実は,映画はよく分からなかったのでお断りしたのですが,「本の編集はどうでしょう」と言われ,『岩波写真文庫』の編集スタッフとして,中谷宇吉郎研究室に入ったのです.

 当時中谷宇吉郎研究室には,写真の世界では非常に有名だった名取洋之助さんが岩波写真文庫編集長で,それと,私を誘ってくださった羽仁説子先生の息子さんで映画監督の羽仁進さんが,映画をやりたいということで入っておられました.

 最初は編集をしていたのですが,映画の部署が忙しくなり,そちらのスタッフに引っ張られ,やり出したらおもしろいものですから,映画の仕事をするようになったのが,この世界に入ったきっかけです.

 唐澤 私も映画のことは全く分かりませんが,映画をつくるのは大変だと思います.実は,岡本喜八監督,みね子御夫妻は,私の親の患者さんだった関係で,非常に親しくしてくれて,生田(いくた)の自宅へ行きますと,制作とか構想の途中なのか大変なご苦労をされているのが分かりましたから.

 羽田 私は,ドキュメンタリー映画で,岡本喜八さんは劇映画ですから,いろいろな点で違いがありますけれど,映画づくりは確かに大変ですよね.

医師本来の使命と終末期医療

 唐澤 先生がつくられた映画,『痴呆性老人の世界』『安心して老いるために』『終わりよければすべてよし』などは,われわれ医療界が今後考えていくべき,さまざまな問題を提起されています.しかし,これらの問題を乗り越えていくことは非常に難しいとも感じます.

 終末期医療では,生きるとか死ぬということは,その人の問題なのでしょうが,医療担当者としては,健康になって,もう一度復帰していただきたいというのが本来の使命であり,そのために自分の持てる知識や技術を提供するわけです.しかし,ご本人の考えよりも,使命だけを強調してやっていくのは,いかがかなとも言われており,その点は見直さなければならないと思っています.

 ただ,終末期医療でもホスピス医療でも,何か助ける道はないのかと徹底的に努力するのが医師の使命であり,最初からホスピス医療とか終末期医療に積極的に取り組むことは,「医療放棄」などと批判を浴びかねず,医師側としては,なかなか踏み切れない難しいところがあります.

 ドキュメンタリー映画は,恐らく許可は取られるのでしょうが,目の前に起こっている現実を映像化してつくられるわけで,いろいろなものが込められているはずですが,われわれは何を感じ取ったらいいのでしょうね.

 羽田 何を感じ取ったらいいかという質問は困りますね.その作品が訴えていることが問題であって,きちんと訴えられれば,きちんと感じてくださるわけですから,それは作品の問題であって見る方の問題ではないですよね.

 唐澤 確かに印象に残る映像は,全部頭に残っていますね.『赤ひげ』という作品も,本だと忘れてしまいますが,映画の映像だけは消えませんから,すごいですよね.

 羽田 おっしゃるように映像の力は非常に強くて,"百聞は一見にしかず"と言いますが,本をいっぱい読むよりも,パッと見た映像一つで分かってしまう.だから,ある意味で,映画をつくるというのは責任があると思います.

 今まで映画制作のなかで,どのくらい医療の仕事にかかわってきたか思い返してみましたら,岩波映画製作所が1964年に,日本医師会の企画で,『TV医学研究講座』というテレビ番組をつくったのですが,その時の会長は武見太郎先生でした.私は,当時,御茶ノ水の医師会館に伺って,武見先生が世の中で言われているほど怖い先生だとは知らずにお話ししていたのです.

 私がつくったのは,「脳出血」「神経症」「分裂症」など数本で,それが医学にかかわった最初です.1960年代の後半で,日本の医学がすごい勢いで進歩し,まさに医学に対する信頼感が高まるところでした.

 唐澤 昭和30年代からは,日本の経済が成長し,医学が急速に進歩した時代ですね.

 羽田 いくつか医学の番組をつくりながら,「なんて医学はすごいのだろう」と,大きな信頼感を持ったのです.それぞれの専門分野がものすごく進歩していく途中だったと思います.

 その後,全然違う仕事に入ったのですが,その医学に対して私が基本的な疑問を持ったのは,十年もたたない1972年,私の妹ががんで亡くなった時です.原発部位が卵巣にあり,腹腔内全体に転移していたことが解剖で分かりましたが,初めはお腹が腫れてしまい,何だか分からなかった.がんだということで入院し,数カ月で亡くなったのです.その時,最終的に痛みが非常にひどくなって…….

 唐澤 痛みがひどかったのですね.

 羽田 ええ.モルヒネを打ってくださるのですが,数時間でまた痛がるので,「何とかしてください」とお願いすると,「体に悪いからもう打てない」と言われるのです.私は驚き,痛みに対応する医療がないことを不思議に思いました.

 それから,最後に,もうだめかなと思った時に,私たち家族は部屋から出され,お医者さんがベッドに飛び乗って,妹の体を押しつけている.多分,心臓マッサージだと思うのですが,しばらくして,「ご家族の方,どうぞ」と言われて入ったら,妹は死んでいました.私は,その時,医療は人を生かすことに集中し,どうやっても生きなかったことで終わりになる思想しかないのだと思いました.

 人間はどんなことをしても死ぬ.そして医療は最も死に対応している学問であり,技術であるわけです.しかし,いくらやってもだめだったということでしか死を考えていないことに,非常に疑問を感じました.

 人間が死ぬ時に,最も身近に存在する医者が死について何も考えていないのはおかしいのではないかと思ったのです.でも,お医者さんは,尊敬すべき,何か怖い存在でもあり,そんなことを言える親しいお医者さんも身近にいなかったので,私はそれを飲み込んだまま,何十年も過ぎてしまったわけです.

 唐澤 がんの末期医療については,検討が重ねられ,日本医師会でも,『がん末期医療に関するケアのマニュアル』(平成元年9月15日発行)や『がん緩和ケアガイドブック』(平成20年3月発行)等の冊子を作成し,会員に配布するなどして,がん医療の水準の向上を図って努力をしているところです.

介護・福祉に対応するシステムの重要性

 羽田 その後,さまざまな傾向の作品をつくっていくなかで,私が再び医療に向かうきっかけとなったのが,『痴呆性老人の世界』という作品でした.

 今は「認知症」と言いますが,1982年当時の「痴呆症」には対応する薬もなく具体的な治療方法もない状況で,ある製薬会社から認知症に対する介護のあり方を考える学術映画をつくりたいという話が岩波映画に来たのです.それを私が担当することになり,監修者で,当時聖マリアンナ医科大学教授だった長谷川和夫先生が,「認知症に対して非常にすばらしい対応をしているから」と紹介してくださったのが,認知症の方が50人くらい入院している熊本のK病院でした.下見で10日,撮影で約1カ月いたのですが,私は,認知症がどんなものか全く知らなかったので,人間がこんなふうになってしまうと知り,本当にショックでした.院長の室伏君士先生は,「確かに認知症は治らないが,介護の仕方で状態は改善出来る」と言われ,介護をする人は,落ちていく知能ではなく,残っている情緒を見て対応しなさいというのが大原則でした.

 物忘れがひどくなり,自分が何をしたか忘れてしまった人は,「さっき言ったじゃないの」とか「また同じことを言って」と,家の人に悪いことの指摘しかされず,何度も怒られて,だんだん精神不安になり,異常行動が増えてくる.それで,手に負えなくなって病院にくるわけですが,K病院では,お医者さんも看護師さんも,お年寄りが何をやっても絶対に否定的な言葉を使わないのです.

 そこにいる人は何をやっても決して怒られない.怒られないということは,自分の存在は否定されていないということで,精神が落ち着いて穏やかに暮らせるようになる.ですから,知能は衰えてくるけれど,落ち着いて静かな終末を迎えることが出来るわけです.室伏先生は,「ここでは薬はほとんど使いません.早ければ1週間,遅くても1カ月,頑張ってそういう対応をしていれば,みんな落ち着いてきて,症状が改善される場合もあります」と言われました.それが分かるような映画を撮りたいとつくったのが,『痴呆性老人の世界』です.

 実は,この映画をあるお医者さんに見ていただいた時に,「一体どこの施設ですか.病院なのですか」と聞かれたので,「ええ,病院です」と答えたら,「病院なのに,何の治療もしていないじゃないか」と言われたのです.私は,ハッとしました.つまり,お医者さんの意識のなかでは,介護が治療に結び付いていない.なぜ介護を重要視しないのだろうと不審に思い,また,宿題で抱えたままになりました.

 当時,お年寄りや認知症の方を抱えて困っている家族はたくさんいたのですが,どうしていいか分からず,世間体もあって,みんな黙っていました.上映会には,家族など,大勢の人が見に来られました.つまり,封鎖されて社会問題になっていなかった認知症の問題が,この映画によってオープンになっていったのです.

 私は,全く想像もしていなかったのですが,上映会がきっかけとなって,「いつだれがなるか分からない.その時こういう介護が必要なら,福祉の問題として考えないといけないのではないか」という話し合いの場が,あちこちで起きてきたのです.逆に私がそこから勉強したのは,認知症への対応が分かるだけではどうにもならない,つまり,対応出来ない家族が大勢いるということでした.どこの地域でも,介護に対応出来るシステムが要ると痛感し,『安心して老いるために』という映画をつくることになったのです.

 実は,『痴呆性老人の世界』をつくった後,特別養護老人ホーム(特養)がもっと必要だと思ったのですが,そこでは必ずしも私が描いたような対応をしていない.社会が対応出来るようにと考えて,良い施設を探し歩いて見つけたのが,岐阜県池田町のサンビレッジ新生苑で,『安心して老いるために』は,すべて池田町で取材することになりました.

 その頃は,どこの特養も封鎖的で,玄関や認知症のお年寄りがいる所は必ず閉まっているのです.閉めると可哀想ということで,新しい設計の特養のなかには,廊下がぐるぐる回れるようになっていて,認知症のお年寄りが同じ所を1日中歩いているという施設もありました.

 唐澤 現在,多くの痴呆対応の病棟は外へ出られず,ぐるぐる回る回廊になっていますね.

 羽田 そうです.それを見て悲惨な気持ちになりました.ところが,サンビレッジ新生苑では,玄関もデイルームのベランダの戸も開いていて,認知症で徘回する人は出て行ってしまう.すると,徘回する人ごとに"徘回専門パート"というアルバイトの担当者がいて,ずっと一緒に歩いて,くたびれた頃帰ってくる.K病院より一歩進んだ対応をしていたのです.

 さらに,当時,福祉が進んでいると言われていた,アメリカやスウェーデンなどの福祉先進国に行こうと考えました.アメリカは,老人が住むすばらしい地域が出来ていたのですが,その地域だけでしたので,国全体として対応していたスウェーデンに行って取材したわけです.

 唐澤 福祉先進国としては,北欧のスウェーデンやデンマークが有名ですね.

 羽田 ええ,デンマークは認知症の人は病院に入院させている状況でしたが,スウェーデンではモタラという所でグループホームが成功したと話題になっていました.映像で日本にグループホームが紹介されたのは,『安心して老いるために』が最初だと思います.まだ日本では,「グループホーム」という言葉がなく,私は映画のなかで「グループハウス」と言っていますが.

 実は,グループホームを取材して,とてもうれしかったのです.というのは,K病院では,あれだけ落ち着いているのに,夕方になると,みんな「そろそろ家に帰ります」と言ってナースの所に来る.自分が家にいるとはだれも思っていない.どうしたらいいのだろうと考えていました.

 それが,モタラのグループホームでは,みんな自分の家にいると思って落ち着いているのです.日本とはけた違いに多いスタッフが家族として対応し,台所で料理をつくったり,みんなで一緒に食事をしたりと,家庭的な雰囲気をつくり上げていて,認知症の人にはこういう対応が必要なのだと強く感じました.

 1990年に『安心して老いるために』が完成する数カ月前に,厚生省(当時)が「高齢者保健福祉推進十カ年戦略(ゴールドプラン)」を発表し,それと前後する形でしたので,多くの方が見てくださいました.

終末期医療で問われる医師の"心"

 唐澤 認知症の方の介護から,福祉システムのあり方へと,「老いを支える」というテーマの作品をつくってこられたわけですね.そして,『終わりよければ すべてよし』をつくられた…….

 羽田 はい.そのうち,ほとんどの人が終末期には病院に運ばれていた特養のサンビレッジ新生苑に,緩和ケアに対応出来る医師が常駐するようになって,80%の人が施設で最期を迎えるようになり好評だというのです.その頃には緩和ケア病棟が出来て,がんの終末期についても問題になっていました.

 そして,富山県の射水市民病院で人工呼吸器を外したために患者が亡くなったということで病院長が謝罪会見をしたとの報道を見て,私がずっと抱えていた医療に対する不信感のようなものが表立って問題視され,話し合っていい雰囲気が出来てきたなと感じました.これがきっかけでつくったのが,『終わりよければ すべてよし』です.それまでは,人間の死についてあれこれ言うのは僣越ではないか,知識もないし,ものが言えないという感じでしたが,私も80を越したから,何を言われてもいいという気になってつくったのです.

 先ほど,会長のお話を伺って,お医者さんは,責任を負わされ,何かあったら訴訟を起こされるのですから,やれるところまでやろうと考えるのは当然ではないかと思いますが,やはり,医学,医療が死をどうとらえるかということを,教育しなければいけないと思うのです.

 これは教育だけで済む問題ではなく,お医者さん一人ひとりの決意というか,思想の問題です.はっきりした思想をきちんと持っているお医者さんであれば,患者さんは納得するし,たとえ訴訟が起きたとしても,対応出来るのではないかと思います.そういうことを考えて欲しいと思ってつくったのが,この映画なのです.

 唐澤 今の先生のお話に,今後,日本の医療・介護に求められることが全部現れているように思います.世の中が動かなければいけないと思いますし,医師には,やはり教育が大事なのですが,どうも抜けていますね.

 ホスピスや緩和ケアなど終末期に医療提供をする場合は,知識,書物,哲学,倫理だけでなく,宗教など何か心を支えるものがないと無理だろうと思います.

 これからは,われわれ医師の専門団体としても,ここを出発点として生かしていきたいと思います.インフルエンザのワクチン接種などにおける"ブースター効果"ではありませんが,決意とか志といったものが,最後は誓いのようなものになって広まれば,大きな力になっていきます.

 医療においては,学問や医療技術も大事だけれども,死に対する"心"を培うことの重要性を先生にご指摘いただいたような気がします.

 羽田 私などが言うのは僣越ですけれども,本当に一人の患者として,お医者さんに期待することです.

 唐澤 そのとおりだと思います.私も,一昨年に脳外科,8年くらい前に消化器で2回の手術を受けています.顧みて自分が医療を受ける患者という立場になると,複雑なものがありますね.

 しかし,みんなの気持ちを大きく動かすというのは大変なことですが,映画は,映像が気持ちを広げていきますから,そういう点はいいですね.
 羽田 そうです.『痴呆性老人の世界』をつくった時の反響を見て,「ああ,映像の仕事をしていて本当によかった」と思いました.

 唐澤 これから800万人といわれる団塊の世代も高齢者といわれる年代に達し,看取りや介護が必要となってきます.さらに,認知症の方も増加してきますから,世の中がどう対応していくかは大きな問題です.もう政治とか政局だけの時代ではないということを,国民の皆さんにも何とか気付いて欲しいのです.

 私はいつも,「地域の皆さんが気付いて取り組んでくれないといけない」と話しているのですが,まだ認知症とか精神障害といった方々に対して地域社会の思いは向いていないのが実情ですね.

 羽田 そうですね.でも,『痴呆性老人の世界』をつくった時から見たら,認知症問題への認識は非常に広がってきたように思います.

 今では,呆けたと言っても,そう不思議がらない時代になりましたからね.

 唐澤 脳血管性の認知症は防げるかも知れませんし,それは医学的な大きな命題です.

 しかし,発症された方をどうするかということも大事で,認知症に限らず,われわれ医療者が,地域の医師会等を中心にして,国民のニーズに応えられるような,地域の実情に合った医療・介護システムの構築を推進していくべきだと考えているのです.

 医療・介護・福祉の分野で,どのような役割を果たしていくか,今,問われているのではないかと思います.
 本日は本当に,ありがとうございました.

日医ニュース 2010年1月20日

死に場所なら英国が一番、英調査
 死を迎えるのに最適な国は英国――英誌「エコノミスト(Economist)」の調査部門「エコノミスト・インテリジェンス・ユニット(Economist Intelligence Unit、EIU)」が14日、このような調査結果を発表した。

 EIUは、経済協力開発機構(OECD)加盟30か国とその他10か国の医師・専門家などを対象に、終末期医療に対する国民意識、トレーニングの有無、鎮痛剤の使用状況、医者・患者間のコミュニケーションの透明性などを基準とし、「クオリティー・オブ・デス(QOD、死の質)」を評価した。

 英国は、政府による終末期医療サポートや、ホスピス間のネットワークが充実している点が評価され、40か国中トップに立った。2位にはオーストラリア、3位にはニュージーランドがランクイン。アイルランド、ドイツ、米国、カナダもトップ10入りした。

 デンマーク22位、フィンランド28位など、富裕国とされる国の複数がランキング下位20位と低評価を受けたほか、ワースト10にはポルトガル、韓国、ロシアが入った。最下位はインドだった。(日本は高額な医療費と医療に従事する人員の不足がたたり、23位と低い評価だった)

■富裕国での終末期医療整備が急務

 EIUは、「最先端の医療システムを有する富裕国」でも医療制度に終末期医療を組み込んでいない国が多いと指摘。人の寿命が延び、高齢者が増え続けるなか、こうした国々で終末期医療の需要が急激に高まるとの見通しを示した。

 また、緩和医療は病院だけで行われるべきものではないこと、自宅での死を選ぶ人が多いことを挙げ、自宅介護士の育成を強化するよう薦めている。

AFPBB News  2010年07月15日

延命治療中止の妥当性は「司法だけで結論出せぬ」
川崎協同病院事件を巡りシンポ
 最高裁の上告棄却で終結した川崎協同病院事件では,延命治療中止の妥当性を法廷で裁くことの難しさがあらためて浮き彫りにされた。市民と医療を考えるシンポジウム実行委員会のシンポジウム「川崎協同病院事件から医と法を考える」は7月18日,東京都内で開かれ,事件の当事者となった医師の家族や看護師,法律の専門家などが医療とシステムが異なる司法が医療行為の是非を結論付けることに無理があるなどとする意見を発した。人として死ぬことを尊重する行為が「犯罪」と見なされる現状では,医療従事者の重圧と苦悩は限界に来ている。

判決で延命治療中止の適法基準は示されず

 川崎協同病院事件は,1998年11月に同病院に心肺停止で運ばれた喘息患者への処置に端を発する。患者は蘇生し人工呼吸器は外れたものの気管内チューブは残されたままで昏睡状態は続き,重症気管支炎などで予断を許さない状況となった。主治医の須田セツ子氏は患者家族とのやりとりを経て,延命治療中止のため筋弛緩薬を投与した。それから3年後,内部告発から殺人容疑で同氏が逮捕,起訴される事件に発展した。

 一審の横浜地裁判決では殺人罪の成立を認め,懲役3年,執行猶予5年を言い渡した。二審の東京高裁判決では延命治療の中止が家族の要請で決断されたものと認定して減刑したものの,有罪は変わらなかった。最高裁まで争われたが昨年(2009年)12月に上告棄却。延命治療の中止を巡り医師が殺人罪に問われた事件で最高裁が判断した初のケースとなったが,延命治療の中止が許される基準は示されなかった。
「国家が刑罰で威嚇してまで守りたいもの」とは

 須田セツ子氏の兄弟でシンポジストを務めた慶應義塾大学大学院発生・分化生物学教授の須田年生氏は「裁判官は理念的,理想的な考えで裁判に臨んでいる。この点が現実乖離の司法判断を招いた」と振り返った。

 弁護士で国立がん研究センターがん対策情報センター研修専門官の大磯義一郎氏は,刑事訴訟では「実際にあった事実と訴訟上の事実が異なってしまうため,司法が医療に介入するには限界がある」との見解を示した。続けて「国家が刑罰で威嚇してまで守りたい利益はなんなのか。終末期医療で守られるべきは,乱用で失われる生命である」と訴えた。

 亀田総合病院(千葉県)泌尿器科顧問の小松秀樹氏は,超高齢社会では同事件に類似する問題が増加すると指摘し,「ぎりぎりの努力をせずにあきらめることにも正しさはあるのではないか」と提起。医療行為の妥当性は「法律のように演繹的,原理的に考えるのではなく,個々の状況に合わせて考えるべき」と主張した。

多様な感覚,感情が生じる現場を法で規定できるか

 都内の病院に勤務する医師の濱木珠恵氏は,腹膜播種で余命わずかだった患者の手術を断念した事例を紹介した。手術を受けさせられなかったことが心に引っかかっていたが,遺族からは「最期のお別れができた」と感謝されたという。同氏は謝辞を受けたことを意外に感じたものの,医師として貴重な経験が得られたとし,「医療現場でしか感じ取れない感覚や感情があるのに,法律で一くくりに規定すべきでない」と強調した。

 コメディカルの立場からも意見があった。看護師の恒松佳代子氏は,ある患者が看護師とコミュニケーションが取れていたときに延命治療の拒否を明言していたが,看護師が医師に伝えても聞き入れてもらえなかった事例を解説した。「看護師が患者の意思を記録し,それをもとに医療者間の意思統一を図るべきでないか。職場内で看護師が発言できる環境を整える必要もある」と求めた。

 須田セツ子氏の診療を受けていた患者の家族である斎藤武敏氏は,患者と医師の関係に言及した。同氏は診察に当たる須田氏の姿勢に対する患者の信頼は厚かったとし,「医師が患者の目線に立ち,患者のためを思っているのかということを患者は敏感に感じ取っている。それが感じられれば信頼関係は生まれる」と話した。

 司直の手がどこまで医療に介入すべきなのかという議論は,多様な考えや不安定な政局などの影響で具体策を講じるには至っていない。医療従事者が患者のためを思って人間らしく死ねる手助けをすれば有罪になる恐れが高い以上,国民に必要な医療行為と司法判断の方向性を早急に見出さなければ,医療萎縮の流れは止まらない。

メディカルトリビューン 2010年7月20日

「抗がん治療が終了してから緩和ケア」の時代は終わった
米RCTで早期からの緩和ケアが生存期間延長にも寄与
東札幌病院副院長・化学療法センター長 平山 泰生

研究の背景:固形がんでは緩和ケアの重要性が認識されてきている

 多くの手術不能あるいは再発固形がん患者は,薬物療法により数か月の延命は得られるにせよ最終的には死亡する。死亡する前には通常がんは大きくなっており,それにより各種肉体的苦痛に曝されるとともに,精神的苦痛は診断時から一貫して続く。一時的に「がんは縮小しましたよ」と言われるときはあるにせよ,全体を通しては増大することのほうが多く,後半はさまざまなバッドニュースを聞きつつ死を迎えることとなる。がん薬物療法を受けている期間は「人生の最後の生活」そのものなのである。

 こういった視点に立つと,固形がん薬物治療における緩和医療の占める位置は重要であり,中核を成すと言っても過言ではない。

 今回,肺がん患者で診断早期から緩和ケア介入をした群のほうがQOLは良好で,生存期間も延長したとの米国のランダム化比較試験(RCT)の結果が報告されたので紹介する(N Engl J Med2010; 363:733-742)。

研究のポイント:早期からの緩和ケア群で良好なQOLおよび生存期間中央値延長

 新たに転移性非小細胞肺がんと診断された外来患者において,診断後の早期の緩和ケア導入が,治療転帰と終末期医療に及ぼす影響を検討した。

 これらの患者を,がんの標準治療に早期緩和ケアを組み合わせて行う群と,標準治療のみを行う群のいずれかにランダムに割り付けた。ベースラインと 12週目のQOLと気分を,がん治療の機能評価・肺(Functional Assessment of Cancer Therapy-Lung;FACT-L)尺度と,病院環境における不安と抑うつ尺度(Hospital Anxiety and Depression Scale)を用いて評価した。主要アウトカムは,12週目におけるQOLの変化とした。

 ランダム化の対象となった151例のうち,27例が12週目までに死亡し,107例(残りの患者の86%)が評価を完了した。早期緩和ケア群のほうが,標準治療群より QOL が良好であった〔FACT-L尺度(0〜136点で,スコアが高いほどQOLが良好であることを示す)の平均スコア98.0点 vs. 91.5点,P=0.03〕。また,早期緩和ケア群のほうが,抑うつ症状を呈する患者が少なかった(16% vs. 38%,P=0.01)。

 終末期に積極的治療を受けた患者は,早期緩和ケア群のほうが標準治療群より少なかったにもかかわらず(33% vs. 54%,P=0.05),生存期間の中央値は早期緩和ケア群のほうが長かった(11.6か月 対 8.9か月,P=0.02)。

私の考察:緩和ケアの分野でも積極的に臨床試験を

 抗がん治療が終了してから緩和ケアを行うという時代は終わった。世界保健機関(WHO)が2002年に発表した緩和ケアの定義は「生命を脅かす疾患による問題に直面している患者やその家族に対して疾患の早期より,QOLを改善することである(一部略)」として早期からの緩和ケアの必要性が示されているが,今回初めてそれが実証された。

 本研究における緩和ケアの実際は「NCP Clinical Practice Guidelines for Quality Palliative Care, Second Edition, 2009」に示されているが,日本医師会の「がん緩和ケアガイドブック2008年度版」に示されているような通常の緩和ケアにカウンセラーによる密接な精神的ケアが加わったようなものである。

 精神的サポートによる生存期間の延長は以前から報告されており(Cancer2008; 113: 3450-3458),機序は明らかとは言えないが,がん医療における緩和ケアの重要性は,データとして証明されつつある。エビデンスの確立に必要なのは臨床試験である。

 がん薬物治療の分野では,RCTの重要性が医師に十分認識され,日本での第U相,第V相臨床試験の実施数も増加しているのは喜ばしい。しかし,緩和医療の分野での日本の臨床試験が非常に少ないのが残念である。倫理的な困難を乗り越え,生物統計学者に相談して各種多施設RCTを企画してもらいたい。

 テーマはたくさんある。例えば,倦怠感の薬物療法については特に,日本で汎用されるステロイド薬が本当に倦怠感改善に有効なのか,などである。根拠(エビデンス)と言われる過去の論文を見てもエンドポイントは倦怠感(fatigue)にはなっていないのである(「がんの倦怠感に精神刺激薬が有効」参照)。

 一方,早期からの緩和ケアを重視するあまり,治癒的治療の障害となるようなことはあってはならない。私が冒頭で「固形がん」と限定したのは薬物でなおることがまずないからである。

 非固形がん,例えば,血液腫瘍や小児肉腫では状況が異なる。悪性リンパ腫の抗がん薬治療において疼痛コントロールのためのオピオイドを増量したために便秘となりビンクリスチンを減量せざるをえないのであれば,医師は「善人の顔をした死神」でしかない。治癒的治療に関しては,「時には患者に我慢を強いる必要がある」のもやむをえない。早期からの緩和ケアにおいては,そういった長期的生存率も考慮に入れた総合的判断が必要とされるだろう。

メディカルトリビューン 2010年8月27日

リビング・ウィルの普及・医療現場への浸透などを提言
厚労省・終末期医療のあり方懇談会、報告書案取りまとめ
 10月28日、厚生労働省・終末期医療のあり方に関する懇談会(座長:町野朔・上智大学法学研究科教授)は、報告書案を取りまとめ、内容に大筋で合意した。今後、字句の変更・補足、項目立ての調整などを行い、厚生労働大臣に提出する予定。終末期医療のあり方については、1987年以来、5年ごと(初回のみ7年)、4期に渡って一般国民・医療福祉従事者への意識調査と、それに基づく検討が重ねられてきた。今回の報告書は、2008年3月に実施した調査(客体数:1万4402人)を踏まえてまとめたもの。

 調査結果を受け、懇談会は、(1)終末期医療に関する患者・家族、医療福祉従事者の情報格差の解消、(2)緩和ケアを提供できる場の拡大、緩和ケアに関わる医療福祉従事者における正しい知識の普及、「緩和ケア=死を迎えること」とのイメージの払拭と治療・緩和ケアを同時並行で行う「パラレルケア」の浸透、(3)リビング・ウィルと終末期のあり方を決定する際のプロセスの充実、(4)家族ケア・グリーフケアの議論推進、(5)患者が意思を表明できない、または判断できなくなった状況における判断代行者等のあり方の検討や、国民の終末期医療に対する関心の向上、などの必要性を提言。報告書取りまとめ後も、終末期医療のあり方について引き続き検討を行い、より良い終末期医療を実現するための具体的な方向性の提示を実現するよう要望した。

 調査結果からは、以下のような傾向が明らかになった。

@ 終末期医療に対する関心は高い(80-96%)が、延命治療について家族で話し合ったことがある人は半数程度(48-68%)であり、十分に話し合ったことがある人は少ない(3-7%)

A 延命治療について家族と話し合いをしている人の方が、延命治療に対して消極的な傾向が見られる

B リビング・ウィル(書面による生前の意思表示)の法制化について、一般国民は法制化に否定的な意見が6割を超える一方、医師・看護職員は意見が二分している

C 延命治療に関して、51-67%の人が医師と患者の間で十分な話し合いが行われていないと考えている

D 医療福祉従事者の間で、終末期状態の定義や延命医療の不開始、中止等に関する一律な判断基準については、「詳細な基準を作るべき」との意見と「一律な基準ではなく医療・ケアチームが十分に検討して方針を決定すればよい」との意見で二分している

E 「WHO方式癌疼痛治療法」についてよく知っている医療福祉従事者は少なく(20-31%)、前回調査に比べてやや減少している

 会議の冒頭、大谷泰夫・医政局長は、「終末期医療については、国民の関心が高く、個人の価値観も多様化している。容易に結論を得ることのできない問題も多いが、厚労省としては、重要な問題と捉え、今後も終末期のあり方について、国民の意識調査を行いながら検討を重ねていきたい」と挨拶。池上直己・慶應義塾大学医学部医療政策・管理学教室教授は、資料「延命医療に関する一般市民の意識と遺族の評価」を提出し、延命医療に関し、病院で死亡した患者の遺族調査の結果と、同地域における一般住民の意識調査の比較を紹介。「一般住民も患者の遺族も、家族の延命医療の意向を知っていたのは全体の半分以下。延命医療については遺族の方が肯定的であり、医師が意向を聞くと評価する割合が高かった」として、「延命医療について検討する際には、一般国民だけなく、遺族の体験を聞くことが重要」と指摘した。

 樋口範雄・東京大学大学院法学政治学研究科教授は、「終末期には、大雑把に分けて、救急医療のように短期間のもの、癌など比較的中期に渡るもの、高齢による疾病など長期に渡るもの、という3区分がある。それぞれについて個別の議論を行うとともに、日本医師会や日本救急医学会・日本癌学会・日本老年病学会など、関連する学会のガイドラインを比較検討してはどうか。また、緩和ケアの充実度の実態や、情報格差の解消において必要とされている情報の種類・量、グリーフケアの実例、またリビング・ウィルについて、現在実際に患者に記述してもらっている病院がどれくらいあり、どのような問題があるか、どのような形で活用されているか・いないかなど、現場における具体的事例などを収集し、研究班などで議論を深めることが望ましい」と要望した。

 このほか、「終末期医療に関する情報格差の解消は重要だが、一方で、医療・技術の高度化・専門化により情報格差の拡大は必然。すべての判断が患者本人・家族の選択・決定に委ねられ、情報が押し寄せられるようになると、既に危機的状況にある患者・家族に、過大な負担になりはしないかと危惧される。書類の申請・手続きなどだけでも膨大な手間になるだろう」(伊藤たてお・日本難病・疾病団体協議会代表)、「そもそも"終末期"という言葉は適切なのか。終末期がなく即死する人、障害があったり植物状態であっても現に生きている人はいて、"終末期"という明確な実態があるわけではない」(川島孝一郎・仙台往診クリニック院長)、などの意見も上った。

m3.com 2010年10月28日

緩和ケア様変わり 選べる食事、就寝・起床時間も自由
緩和ケア様変わり 選べる食事、就寝・起床時間も自由 (1)

 看取りや薬物治療のイメージが強い緩和ケアが様変わりしている。今月18日にオープンした大阪府の和泉市立病院・緩和ケア病棟は「がんと闘う患者さんにリラックスしてもらう環境をつくることも役割」と、体調によって選べる多様な食事を用意。起床・就寝時間、家族の出入りを自由化し、ペットの面会も検討しているという。

◆畳部屋やネットも

 緩和ケア病棟は空病棟の2フロアを改築し、16室に22ベッドを配置。病院のユニホームを淡いピンク色に新調し、各部屋を部屋番号ではなく花言葉で区別した。畳部屋も用意し、風呂は家族と入れるように家庭風呂に近い、落ち着いたデザインだ。インターネットが利用できる情報閲覧室や談話室なども設けた。

 特に「食べることが生きる力になる」と病院食に力を入れている。「緩和ケア特別食」として他病棟の食事に比べ、各品を少量にする代わりに、好きなものを少しでも食べられるよう品数を倍に増やした。患者が食材を持ち込んで調理もできる。「治療に疲れたときに心身の状態を整えてもらうため、普段の生活に近づけるよう心がけている」と看護師長の川口いずみさん。こうしたアイデアには患者へのアンケートも反映されているという。

 川口さんは看取りとはほぼ無縁だった助産師。産科で多くの家族と接した人あたりの良さが買われ、「患者さんや家族の気持ちをほぐしてほしい」と病院から頼まれたという。

 同病棟では抗がん剤の副作用で味覚が変わったり、舌がしびれたりするなど食事が取りにくくなった患者向けに、ここ数年注目を浴びている「ケモ食(化学療法食)」を用意した。患者へのアンケートから選んだたこ焼きや団子、サイダー、みつ豆など十数種類を提供。患者の体調変化に合わせた、きめの細かいサービスが行われている。



緩和ケア様変わり 選べる食事、就寝・起床時間も自由 (2)

◆不安取り除く

 こうした環境を患者が有効に生かすためには「症状コントロールや精神的な不安を取り除くことが必要」(福岡正博・同病院がんセンター長)として、抗がん剤などの副作用や緩和ケアに通じた医師や看護師、ソーシャルワーカーらが常時相談にあたっている。

 順天堂大学医学部付属順天堂医院の山口聖子・がん治療センター看護師長は「緩和ケアは、がんの治療の説明時に専門家が立ち会って不安を取り除くところから始まる。しかし、ともすれば患者さんは内に閉じこもってしまいがちで、ケアを困難にしてしまうケースもある。ケアを受けたいと思わせる雰囲気づくりは重要だ」と指摘する。

 患者支援団体「がんと共に生きる会」(大阪市北区)の浜本満紀さんは「患者の行動を制限しないのは、症状コントロールと患者とのコミュニケーション能力に自信があるということ。常に患者の方を向いてくれているという安心感を感じる」と評価している。

MSN産経ニュース 2010年10月31日


ICUの終末期医療に大差
宗教や文化,医師の姿勢などが影響
 ワシントン大学呼吸器内科・救急医学科のJ. Randall Curtis教授らは,集中治療室(ICU)における終末期医療の差と,医師と家族の考え方や姿勢が終末期医療に及ぼす影響について検討し,その結果をLancet(2010: 376; 1347-1353)に発表した。同教授らは「医師は“型通りの手順”になりかねない生命維持装置の取り外しの決定に関して十分に注意すべきこと,また臨床医は生命維持装置の取り外しを迫る施設からの圧力を警戒しつつ,同時に患者が望まない医療を行うことがないよう留意しなければならない」としている。

集学的連携に遅れ

 救命医療において患者が最新の生命維持治療を受ける場所がICUである。救命医療は高額で多くの医療資源を必要とするが,重篤な多臓器不全があっても生命を維持することができる利点がある。しかし,同時にICUの死亡発生率は高く,終末期医療が頻繁に行われる場所でもある。ICUでは生命維持に重点を置くため,質の高い終末期医療の提供が難しく,臨床医にとって救命と終末期医療の提供を同時に行うことは大きな負担となっている。

 ICUの終末期医療に差が生じる理由としては宗教,文化,ICUの医療体制,終末期医療に対する医師の姿勢,疾患の重症度,ケースミックス分類,予後と将来のQOLに関する医師の予測などの違いが挙げられる。

 Lancet同号のSeries of Critical Careに掲載された論文では,人口の高齢化によりICUの終末期医療の需要は増大するとしている。米国では全死亡の5分の1がICUで発生しており,85歳までは年齢が増加してもこの比率は減少しない。同論文では「社会と国家は増大しつつある高齢者人口,特に生命を脅かす慢性疾患を有する高齢患者に適切な救命治療を提供する必要がある」と述べている。

 終末期医療と医療チームとの連携には地域差がある。例えば,21カ国の集中治療専門医1,961人を対象に行われたアンケートでは,「家族のいない患者について終末期医療の検討に看護師を含める」と答えた医師は北欧と中欧で62%であったのに対し,南欧では32%,日本では39%,ブラジルでは38%,米国では29%にすぎなかった。終末期医療に関して集学的連携が進んでいないことは,ICUで働く臨床医における燃え尽き症候群,うつ病,心的外傷後ストレスの増加に関連している。

家族の関与の程度にも地域差

 欧州17カ国,37のICUで行われたETHICUS試験によると,終末期の意思決定に関する家族との話し合いは南欧(47%)より北欧(84%)と中欧(66%)で一般化していた。家族の関与についてはインドの100%,香港の98%,レバノンの79%,スペインの72%からフランスの44%まで大きな差が見られる。

 Curtis教授らは「終末期医療に関して,医師は現代社会における多様性と複雑性を認識し,状況に合わせてアプローチする必要がある」と述べている。同教授らが提案するICUにおける意思決定アプローチでは,まず医師が予後を評価する。次に,家族の役割を評価し,この2段階に基づいて最終的な取り組み方を決める。医師は患者や家族と共同で意思決定を行うが,その際,患者の状況や家族の好みに合わせて修正すべきである。

 同教授らは,ICU医療チームと患者家族とのコミュニケーションを成功させる要素として(1)私的な話し合いの場を確保する(2)医師が家族から質問を受ける(3)患者を見捨てないことを家族に確約する(4)患者自身が好む治療と価値観を重視する?といった点を挙げている。

 死が予測される人だけでなく,ICUの患者全員にとってコミュニケーションは重要である。同教授らによると,逆説的ではあるが,生き延びた患者の家族の方が,死亡した患者家族よりICU臨床医とのコミュニケーションに満足していないという。

宗教による影響も大きい

 生命維持の開始保留または停止に関して,医師の間で考え方が異なる。ある研究結果によると,北欧では死亡の47%が生命維持の保留または停止後であったが,南欧では18%のみであった。

 宗教は臨終と死亡,終末期医療に対する考え方を左右する重要な決定因子で,患者,家族,臨床医の宗教が関係する。例えばETHICUS試験の結果では,医師がユダヤ教(81%),ギリシャ正教(78%),イスラム教(63%)の場合,治療は停止されるより継続されることが多いが,医師がカトリック(53%),プロテスタント(49%)あるいは無宗教(47%)の場合は停止されることが多い。宗教はまた,広く受け入れられているとはいえ,普遍的ではない脳死の受容を決定する重要な要因でもある。

 Curtis教授らは「ICUで発生する死亡数は増加しつつあり,生命維持の開始保留または停止に関する重要な決定を行う上で,有益な信頼できるエビデンスや指針が欠如している」とし,「こうした治療の停止は,他の手順と同様の臨床手順である。このような決定はICUで働く臨床医にとってルーチンの手順となりうるため,臨床医は生命維持の停止を求める施設からの圧力を警戒しなければならない。生命維持装置を停止する決定の理論的根拠を医療記録に残すべきである」と述べている。

 同教授らは「終末期医療に関して可能な限り世界的に意見を一致させるには,これらの問題を国際的なフォーラムでオープンに検討していく必要がある。あらゆる地域において,品の高い救命医療を提供するためには倫理的な意思決定,集学的チームにおけるコミュニケーションと連携,患者とその家族との効果的なコミュニケーション,チーム内と患者・家族との対立点の確認と解決に重点を置いた訓練が不可欠である」と結論付けている。

メディカルトリビューン 2010年12月2日

医師の宗教観が終末期医療に影響
 ロンドン大学のClive Seale教授は,臨床医の宗教観が終末期医療に与える影響を検証したところ,無神論者あるいは不可知論者の医師では,終末期の鎮静治療など末期患者の死期を早める治療を行う可能性が,深い信仰心を持つ医師に比べて約2倍高いことが分かった。詳細はJournal of Medical Ethics(2010; オンライン版)に発表された。また,信仰心のあつい医師は,鎮静薬を使用した治療について患者と話し合うことが少ないことも示された。

直近の死亡症例を検証

 Seale教授らは,英国の医師8,857人を対象に郵送によるアンケートを実施した。対象となった医師の専門には,特に終末期医療の意思決定に携わることの多い神経科医,高齢者ケア,緩和ケア,集中治療,病院専門医,一般内科医など幅広い領域が含まれた。

 アンケートでは,直近の死亡症例について,最期まで鎮静薬を持続的に使用したかどうか,また,その治療を選択することで死期が早まる可能性があることを患者と話し合ったかどうかを尋ねた。同時に,自身の信仰や民族性,医師による死のほう助,あるいは安楽死に対する考え方を調査した。およそ4,000人が回答し(回答率42%),うち3,000人が死亡症例の治療について報告した。

 回答者のうち多数を白人医師が占めており,これらの医師では信心深いと回答した割合が最も低かった。医師の専門と信仰の関係を見ると,高齢者医療の専門医は他の専門医と比べてヒンズー教徒やイスラム教徒が多く,緩和ケアの専門医には他の専門医に比べてキリスト教徒,白人が多いほか,「信心深い」と自認している医師が多い傾向にあった。

安楽死やほう助死の賛否にも影響

 死を早めることを予期,またはある程度意図した意思決定をするか否かは,医師の専門に大きく関係していた。こうした意思決定を行うと回答した医師は,緩和ケア専門医に比べて病院専門医でほぼ10倍だった。

 また,専門にかかわらず「信仰心がほとんどない」または「信仰心が極めて薄い」と自認している医師では,こうした死期を早めることを予期,またはある程度意図した意思決定を行うと回答した数が「信仰心が極めてあつい」または「信仰心がかなりあつい」と自認する医師のほぼ2倍であった。

 最も信心深い医師では,終末期医療の意思決定について患者と話し合ったことがあると回答した人が,他の医師に比べて著明に少なかった。

 こうした姿勢は死のほう助や安楽死の法制化に対する支持にも反映されており,緩和ケア専門医と信心深い医師は,強固な反対の姿勢を示した。

 アジア系と白人の医師では,死のほう助や安楽死の法制化に対する反対の姿勢が,他の民族グループに比べて緩やかであった。

 Seale教授らは「医師の価値観と臨床における意思決定との関係について,認識を深める必要がある」と結論付けている。

メディカルトリビューン 2010年12月9日

子のみとり、向き合い 小児がん患者支援団体、終末期ケアの手引き作成
 小児がんのため余命が限られた子どもの親に必要な心構えなどを示した手引き「この子のためにできること 緩和ケアのガイドライン」を患者支援団体が作成、12月19日に大阪市で開かれるシンポジウムで発表する。あえて「死」に踏み込んだ国内では例のない冊子は、子どもをみとった家族や医療関係者らの経験の結晶ともいえる内容となっている。

 「がんの子供を守る会」(東京都)を中心に、小児がん治療や緩和ケアに携わる医師・看護師、ソーシャルワーカー、養護教諭、子どもを亡くした家族らが協力して作った。「子どもにとっての死」「親や家族ができること」「痛みの軽減」「ターミナル(終末)期の過ごし方」など10項目を、B5判16ページにまとめた。

 末期がんの子どもが抱える恐怖や苦痛、寄り添い方にはいろいろな形があると説明している。子どもの思いを尊重するのが最善とし、そのために家族・医療チーム・学校の教師らがよく話し合うべきだと指摘する。病気の子どものきょうだいへの配慮や死別後の悲嘆(グリーフ)への向き合い方も考える内容だ。

 子どもの緩和ケアについて、医学書や体験記などは出版されているが、家族にも医療者にも通じる心構えを分かりやすく説く資料はこれまでなかった。年明けから、全国の専門医や保健所、特別支援学校などに配布する。家族には治療開始時に他の書類と一緒に医師から手渡すなど、ショックにならない形で手に入れられるよう工夫するという。

 作成に携わった同会のソーシャルワーカー、樋口明子さんは「子どもが亡くなる可能性を考えるだけで罪悪感を覚える親もいる。子どもの思いに寄り添うため、親や医療関係者がよく話し合ってほしい」と話す。

 シンポは19日午後3時、大阪市北区中之島5の大阪国際会議場で。問い合わせは同会(03・5825・6311)。

m3.com 2010年12月19日

重病の子癒すホスピスを 湘南の森の古民家で開設へ
 小児がんなどの重い病気や障害と闘う子どもたちが宿泊できる"子どものホスピス"を神奈川県大磯町に2012年秋に開設しようと、小児科医やNPO法人のメンバーらが準備を進めている。

 湘南の海を一望できる高台の古民家を再利用した施設の名称は「海のみえる森」。こうした施設は日本初といい、運営する財団法人の理事甲斐裕美さん(41)は「子どもたちが自然に触れ、生きる力を養える場所にしたい」と話している。

 甲斐さんによると、子どものホスピスは重い病気の子らと家族が安心して休養するための医療ケア付き宿泊施設で、英国から各国に広まった。未整備の日本では、在宅で世話をする家族は緊急時などの子どもの預け先がない上、心身ともに休まるときがないという。

 そうした家族の負担を軽減する「第2の家」をつくろうと、小児緩和ケアに取り組む細谷亮太聖路加国際病院(東京)副院長らが発案。命の大切さを考える授業などの活動をしている東京のNPO法人理事長の甲斐さんが、亡き義父の残した古民家3棟を提供し、09年に施設を運営する財団法人が発足した。

 がんとエイズの患者しか入院できない日本の緩和ケア病棟(ホスピス)とは違い、海のみえる森では重症度にかかわらずさまざまな状態の子を受け入れる。開設後は看護師が常駐し、当面は親子で年7日間程度、宿泊できる施設を目指す。

 「大磯は農家や漁師など地元の人が協力的なので、ミカン狩りや地引き網を体験する機会もつくりたい」と甲斐さん。森での木登りや、近くの海岸で磯遊びもできる。

 現在は、親子で泊まれる宿泊棟などのバリアフリー工事をする一方、体験宿泊を受け入れ中。

 昨年12月上旬、全身が動かなくなる難病を患う長女理子ちゃん(8)を連れて体験宿泊した千葉県松戸市の水沢実さん(44)は「病気の子を持つ家族は家にこもりがち。こうした施設を増やしてほしい」と期待した。

m3.com 2011年1月7日

食の喜びへ凝らす工夫
 特別養護老人ホーム、ブルーバレイの管理栄養士の中尾有佳子さんが「主菜のチキントマトクリーム煮です」とスプーンで軽くすくった。野菜のジュレとフォアグラのムース、スモークサーモン、七面鳥のムース入りロワイヤル……。

 昨年12月11日、クリスマスツリーが飾られた神戸ポートピアホテル(神戸市中央区)の広間。10卓の丸テーブルを家族連れがそれぞれ囲み、フレンチのフルコースを楽しんでいた。

 一見、普通のパーティー。違いは、老化や病気、腫瘍などでのみ込む能力が低下した「嚥下障害」の人向けの嚥下食ということだ。

 単なる流動食とは少し違う。とろみをつけたりムース状にしたりして、軟らかいが口の中である程度固まりになってのみ込めるよう工夫されている。

 兵庫医療大の野崎園子教授がホテルと協力して2009年から企画し、今回で2度目。患者から「たまには外食を」との声を聞いたことがきっかけという。介護施設の入居者も訪れた。

 パーキンソン病に伴う誤嚥性肺炎に苦しんできた宮野嘉男さん(81)は、妻の幸子さん(76)と2人で訪れた。普段はうまくのみ込めず、食事を残すことも多いが、この日は完食。

 「楽しみで、前日からネクタイ選びに悩んでいたんですよ」と目を細める幸子さん。その横で嘉男さんは「ネクタイなんて締めるの、久しぶりだからね」と照れた。



 嚥下食は、近年進化を遂げている。主役の一つはミキサーをかけた食材をプリンのように固めるゲル化剤だ。

 神戸市灘区青谷町2丁目にある特別養護老人ホーム「ブルーバレイ」でコンソメスープをいただいた。以前ならミキサーにかけられた具がスープと混ざっていたが、ニンジンとキャベツがゲル化剤で固められた状態で入っていた。確かにそれぞれの味がした。

 管理栄養士を務める中尾有佳子さん(35)は「おいしいものは誤嚥を防ぐ」が持論。雰囲気もおいしさの要素と考え、行事や季節ごとに特別なメニューの食事を提供する。

 昨秋にすしバイキングをしたときのこと。普段は嚥下食しか食べない利用者が、ホタテの握りずしに、すっと手を伸ばした。中尾さんは居合わせた介護士と仰天。注意深く見守った。しっかりのみ込むのを見届けた。「好きなものなら食べたいし、食べられるんだ」。胸が熱くなった。



 取材の最後に、養父市八鹿町の八鹿病院の緩和ケア科(ホスピス)を訪ねた。計20床。末期のがん患者が、残された人生の時間を過ごす。

 毎朝、各部屋を管理栄養士がまわり、体調を見つつ、その日の昼食と夕食の希望をとる。メニューには昼夜それぞれ21品の写真が並ぶ。ビフテキやうな重、お造り定食や海鮮の陶板焼きなどレストラン顔負けの内容を誇る。どれを選んでも一食の値段(260円)は変わらない。一番人気は鍋焼きうどんだそうだ。

 同病院の栄養管理科技師長の渡辺善利さん(54)は「メニューに載っていない献立も材料の都合が付くようだったら対応する」と話す。

 とりわけ人気で、特別な料理は、卵かけご飯という。サルモネラ菌やカンピロバクターによる食中毒の心配があり、病院での提供はきわめて困難な生卵。八鹿病院でも緩和ケア科以外の病棟では出さない。殻の上からアルコール消毒した上で、30分以内に食べてもらう。

 一昨年の春先、全く食欲が出ず、ふさぎ込んでいた70代の大腸がん患者の男性がいた。「卵かけご飯、食べませんか」。渡辺さんの提案に男性の顔色がぱっと明るくなった。「おいしい」と食べる姿に、妻と息子が涙ぐんだ。1カ月後に他界する間際まで、食生活を楽しんでいたという。

 「自分たちが出した食事が、患者さんの人生の最後の食事になる。出来る限りのことをしたい。後悔しないように」

アサヒ・コム 2011年1月7日

死んでみないとわからない!? 台湾、医療系専門学校に「死亡体験カリキュラム」を開設
 死んで初めて命の尊さを知る! 台湾仁徳医護専科学校(以下仁徳医専)は世界で初めて死亡体験カリキュラムを開設し、12月8日に公開発表会を行った。学生は実際に遺言状を書き、入棺、出棺、埋葬等の死亡のプロセスを体験することができる。

 報道によると、仁徳医専は2009年に職業専門クラスにライフケア事業学科を設置し、2010年、台湾教育部(文科省に相当)から補助金500万台湾ドル(約1400万円)を受け、「葬儀実務教学センター」を設立した。センターではグリーフケア、終末期ケア、各種斎場等の専門教室以外に、10の特製棺桶が設置されている死亡体験室があり、学生は完全な死亡のプロセスを体験することができる。

 仁徳医専ライフケア事業学科助教の邱達能氏によると、死亡体験カリキュラムはまず生死教育導入として「実践前教育」を行い、その後、学生は遺言状を書き、死に装束に着替え、遺影を撮影してから棺桶に入る。指導教官の指導により、肉体と自分の生涯に別れを告げ、本物の遺体のように葬儀師が自身のために行う入棺、出棺、埋葬等の一連のプロセスを体験する。

 邱達能氏によると、学校がライフケア事業学科を設立した目的は、各方面で活躍できる葬儀師の育成である。学生の棺桶の中での体験時間は10分ほどでしかないが、「間近に死を感じ、相手の立場に立って考えることができるようになる」そうだ。死者や遺族を更に尊重し思いやり、命の価値を自ら体験することで、葬儀サービスの向上につながっていくと言う。

 指導教官の羅那氏は、死亡体験カリキュラムは医学、心理学、宗教などの角度から死を見つめるだけでなく、「死の下の意識」という意識概念に達することができると言う。葬儀業に従事する者は儀式を完璧に執り行うだけでなく、「死者の感覚」を尊重することが更に重要なのである。

 死亡体験カリキュラムを受けた看護学科の林さんは、「棺桶に入ったあの瞬間、たくさんのことをまだやり遂げていないことを思い出して、すごく残念に思った」と語る。体験が終わって「復活」した後、もっと1分1秒を大切にしないといけないと思ったそうだ。

 また、学校側は、目下、部外者も死亡体験プログラムに参加できると表明した、将来的には地域、各種団体、更には民間企業にまでその対象を広げ、より多くの人に他とは違った「いのちの教育」を受けてほしいとしている。

ロケットニュース24(β) 2011年1月8日

命のともしび
 「自然な死を」変わる意識

 回復が見込めず、死が近いとわかったら、どんな治療やケアを受けたいか。

 厚生労働省が2008年、一般の人たちを対象に実施した調査によると、死期が6カ月以内に迫っている場合、71%の人が延命医療を「望まない」「どちらかというと望まない」と回答した。

 一方で希望するのは、「苦痛を和らげる」が52%で最多。「延命医療を中止して、自然に死期を迎えさせる」が28%で、割合は10年前の同様の調査から倍増した。

「患者を生きる そのままで」で紹介した磯辺紀子さんは、管による栄養補給といった措置を拒み、娘の家で亡くなった。

 90年代に80万人台だった国内の年間死亡数は、03年に100万人を超した。2020年代には150万人台と推計されている。

 医師の措置で生命を終わらせる「安楽死」や「人工呼吸器取り外し」の事例が表面化し、いわゆる終末期医療に注目が集まった。最近は「患者にとって、どんな最期が望ましいか」に焦点が移ってきている。

「終末期」とは具体的にどんな状態をさすのか、実は明確な定義はない。「延命」についても、何が延命にあたるのかははっきりと決まっておらず、人生の終わりをめぐる議論が本格化するのはこれからになる。

 厚労省の人口動態統計によると、日本人が亡くなる場所は、かつては医療機関より自宅が多かった。それが76年以降は逆転。09年には医療機関で亡くなった人が81%、自宅は12%だった。国は06年、24時間体制で往診する医師への診療報酬を手厚くする「在宅療養支援診療所」の制度を作り、在宅への支援を進めている。ただ、地域によって診療所の数や質にはばらつきがある。

 最期を家で迎えるための支援のしくみとして、医師の往診や訪問看護、場合によっては介護保険を利用した訪問入浴やヘルパーのサービスなどがある。終末期医療に関する厚労相の懇談会が昨年末にまとめた報告書は、医療に加えて、患者の生活を支えるしくみを含めた情報の普及を課題にあげた。

 懇談会座長の町野朔上智大教授は「まず医療や福祉にかかわる人が、終末期医療についての正確な知識を持ち、わかりやすく説明することが必要。一般の人も、末期になっても条件次第で家で過ごせることなど、理解を深めてほしい」と話す。


 もう終末期…? 戸惑う家族

 脱水の症状で2010年10月に三重県内の病院に入院した87歳の笠間一男さんは、水分や栄養の補給でいったん回復したように見え、一時は退院への期待もあった。だが、入院4日目の17日に38度を超す熱を出し、それからは話をほとんどしなくなった。

 補った水分の量は、自分でとっていたよりずっと多かった。このため一男さんはたんがからみ、吸引が必要になった。

「父は終末期なのか」

 長男の睦さん(52)は、迷っていた。通常の脱水なら、1、2日の点滴で回復するはず。今回はただの脱水とは違うことが、医師の睦さんにはよくわかっていた。

「死期が迫っている場合、延命措置は断る」。一男さんが書いた事前指示書の写しを、担当医に渡していた。でも、いまがその「延命を断る」時期なのか、どうか。

 一男さんが指示書を作ろうと思った直接のきっかけは、09年7月、妻と一緒に青森県の友人夫妻を訪ねたときだった。同年代のその男性は、脳梗塞の後遺症で2年以上寝たきりだった。呼びかけても反応はなく、鼻から管を通して栄養を送り込まれていた。

 一男さんはこの旅を終えてすぐ、インターネットで調べ、指示書を書いた。自分にとっての最期を強く意識したようだった。

 睦さんは、一男さんが口から食べることができなくなっても、退院して家で療養できるよう、胃に穴を開けて栄養を送る「胃ろう」を検討していた。一男さんの状態に合わせ、介護保険の変更申請もした。「最期は自宅で」が、一男さんの願いだった。

 だが、容体は悪化した。入院6日目の10年10月19日、脈が異常に速まる頻脈が出た。血圧が下がり、意識もはっきりしなくなった。

 睦さんの迷いは、続いていた。

「本当に『終末』と納得できたなら、迷わず指示書に従う。でも、指示書があることと、家族が『終末期』と認めることは別問題だ」。睦さんはそう考えていた。

「プルルル」

 21日午前7時ごろ。睦さんが犬の散歩から家に戻ると、居間の電話が鳴った。表示された相手先の市外局番は、一男さんが入院する病院のものだった。

「ああ、何かある」

 電話をとると、やはり夜勤明けの看護師からだった。


 呼吸停止の連絡 最期を実感

 2010年10月21日朝。津市の笠間睦さん(52)が自宅の電話をとると、87歳の父、一男さんが入院する病院の看護師からだった。

「お父さんの脈拍が30くらいで、呼吸が止まっています。お母さんには連絡がつかないのですが、すぐに来てもらえますか」

 睦さんは「これは無理だ。もう助からない」。父の死が間近だと、初めて実感した。

 死期を延ばすためだけの措置は一切しない。睦さんは、一男さんの希望を記した事前指示書の写しを病院に渡していた。一方で、「回復の可能性があるならば、人工呼吸器を着けてほしい」と頼んでもいた。

 ごみを捨てに実家の外に出ていて、病院からの電話に出られなかった母(85)のところに、睦さんが車で立ち寄り、一緒に病院に行くことになった。実家への途中、睦さんはいったん車を止めて母に電話し、頼んだ。

「呼吸器を着けるか着けないか、病院で迷っているかも知れない。時間ないし間に合わへんから、お母さんのほうから『本人の希望もあり、着けなくていい』と伝えておいて」

 母と合流し、2人で病院へ。入院から8日目の朝だった。「早かったな」と睦さんが言うと、母は「早かったね」と答えた。

 実家から5分ほどで、病院に着いた。がらんとした個室のベッドで、呼吸と心臓が止まった一男さんが寝ていた。点滴や導尿、酸素マスクはしたままだった。睦さんらの到着を受け、医師が死亡を確認した。

 午前8時10分。死因は肺炎だった。

 母は、一男さんと結婚して57年目だった。夫にはもっと生きていてほしかった。でも、入院の後半はたくさん、たんが出て、苦しそうだった。かわいそうだった。

 医師の睦さんは、ずっと迷い続けた。もし、指示書がなかったら――。きっと、呼吸器を着けていただろう。

 そして今回、わかったことがある。

 家族というのは、最後まで希望を捨てないものなんだ。「終末期」だと受け入れるには、一定の時間がかかる、と。

 自身の患者の家族に意向を聞くとき、「難しい判断ですよね」と自然に口にできるようになった。

 父が渡してくれた事前指示書は、いまも睦さんの手元にある。書くのに使ったパソコンも、しばらくは実家の居間にそのまま、置いておくつもりだ。


 普段から話し合って

 病気で回復が見込めず、死が迫ったときに備えて、治療についての希望を示しておく書面が事前指示書だ。「リビングウイル」(LW)とも呼ばれる。考えが変われば、登録をやめたり書き換えたりできる。

 よく知られているのは、1976年設立の日本尊厳死協会(事務局・東京)が始めた「尊厳死の宣言書」。死期を遅らせるための延命措置や、いわゆる植物状態が数カ月以上続いた場合の生命維持を断る内容で、本人が署名、押印した原本を協会が保管し、コピーを家族らに持っていてもらう。約12万5千人が登録している。会費は年間2千円。

 実際の医療現場では、本人が望まない過剰な医療を受けたり、してほしい治療が受けられなかったりすることがある。書面があれば、そんな事態を避けられる可能性がある。

 一般を対象にした厚生労働省の08年の意識調査では、LWを作っておき活用するという考えに賛成したのは62%。10年前の同様の調査から14ポイント増えた=グラフ。

 独自の書式を用意する病院も出てきた。

 全日本病院協会の書式の場合、輸液や経管栄養など六つの医療行為について、希望する、しないを選ぶ。加入する約2200病院の参考にしてもらうために作った。

 国立長寿医療研究センター(愛知県大府市)の書式は、本人が判断できない時に主治医が相談すべき「代理人」を明記し、終末期を迎えたい場所を選んでもらうのが特徴だ。

 聖路加国際病院(東京都中央区)の書式では、「人工呼吸器、(心停止した時の)心臓マッサージなど最大限の治療を希望する」「水分補給も行わず最期を迎えたい」などの五つの中から、自分の考えに最も近い項目にマルをつけてもらう。待合室に置いている。

 ただ、これらはそれぞれの病院にかかる患者を対象にしていて、書面がない病院を利用する患者は接する機会がない。そのため、存在すら知らない人も多い。

 書面は患者の治療方針について、家族が医師と話し合う助けにもなる。とはいえ、本人の意思を「その時」に突然示されても、家族は戸惑うかも知れない。

 聖路加国際病院のLWを作った林章敏・緩和ケア科医長は「書面はあくまで、本人の希望を知るための一手段。書いて終わり、ではなく、普段から家族らと希望を話し合い、考えを深めてほしい」と話す。

アサヒ・コム 2011年1月16,21,22,23日

子ども終末期医療:本人の意思尊重 学会が指針案、「治療中止検討」明記
 日本小児科学会(五十嵐隆会長)の倫理委員会作業部会は、重い病気やけがを抱える子どもの終末期医療に関する指針案を作成した。年齢にかかわらず、本人の気持ちや意見を最大限尊重することを原則とし、治療中止や差し控えを検討する事態を認める一方、方針を決める際の留意点や手順を示している。

 終末期医療をめぐっては07年に厚生労働省が患者本人の意思決定を基本とする指針を発表したが、子どものルールはなかった。同学会は会員や一般の意見を聞いた上で年内の正式決定を目指す。

 指針案は、医師や看護師らの医療者が子どもに分かりやすく説明し、子どもが自分の気持ちや意見を自由に発言する機会を確保するとともに、両親(保護者)はその意思を尊重して治療方針を決めることを求めている。

 治療の差し控えや人工呼吸器の取り外しなどの治療中止については、子どもの最善の利益にかなうと考えられる場合に「提案できる」と明記した。ただし、両親と医療者の納得いくまでの話し合い▽決定過程への多くの医療者の参加▽判断根拠の書面への記録−−などの点検項目を提示した。さらに虐待の有無について、関係機関と協力して確認する、としている。

 ただし、治療中止・差し控えと判断する基準は、子どもの病気や状態が患者で違いが大きいことを背景に、明記すると機械的な治療中止の判断が起きかねないとの理由で定めなかった。

 同学会は一般の意見を聞くため、2月26日午後1時半、早稲田大井深大記念ホール(東京都新宿区)で公開討論会を開く。問い合わせは学会事務局(03・3818・0091)。

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 ■解説
 ◇「年齢」線引き示さず 現場には裁量広く

 富山県射水市の病院で起きた末期患者の人工呼吸器外し問題(09年に医師は不起訴)を受け、厚生労働省が07年にまとめた終末期医療の指針は、主に大人を対象に検討していた。一方、回復が見込めないまま、集中治療室にいる子どもがいるのも現実だ。また、08年に国立成育医療センター(当時)は、家族の同意を得て心肺停止が予想される小児30人の治療中止を実施したと公表。透明性を確保するルールが必要になっていた。

 日本小児科学会は子どもにとって、客観的にも最善といえる治療の保障を目指した。指針案は、子どもの「気持ち」を尊重して方針決定の当事者に加え、両親、医療者を含む関係者全員が話し合い、納得できる意見の一致を目指す手続きや点検項目を提示している。

 子どもの意思の確認法は、子どもの終末期医療の課題だが、指針案は年齢についての線引きはしなかった。子どもの発達や病状は一様ではなく、状況に応じて「ケース・バイ・ケース」に対応することが子どもの最善の利益になるとの判断からだ。同じ理由で、回復力が高いとされる子どもの治療の中止・差し控えの基準も定めていない。その結果、説明の仕方など現場の裁量に委ねられた点も多い。

 指針案作成の意義について、担当者は「子ども本人、両親、医療者が後悔しない手続きを示せた」と話す。同学会が指針作りに乗り出したことは、ぎりぎりの判断を迫られていた医療現場にとって朗報になるとみられるが、同時に小児科医の間には「安易な治療中止をもたらさないようにすべきだ」との声は残る。指針案をきっかけに議論を深めることが求められる。

毎日jp 2011年1月27日

重度の認知症には緩和ケアを
「介護オアシス」に延命効果
 重度の認知症患者は自分の症状を十分に伝えることができないため,医師も介護者も患者の状態を把握しにくい。そこで,ケルン大学病院緩和ケアセンターの老年精神科医であるKlaus Maria Perrar博士は,こうした患者に対するケアについて「現時点では,認知症は治癒不可能な疾患であるため,終末期には緩和ケアを行うべきで,患者が苦痛に感じている症状を見極めて,その症状を予防・緩和するとともに,不要な医学的介入を減らすことが極めて重要である」と第8回ドイツ緩和医療学会議で指摘した。

経過とともに患者の考え方は変わる

 Perrar博士によると,認知症患者は,疾患の経過とともに自身の病気に対する感じ方が変わってくるという。初期段階では脳機能が正常なときもあり,その際に自身の知的能力が劣っていることに気付き,苦しむ患者が多い。しかし,認知症が進行すると,多くの患者が幸福感を抱くようになり,中には発症前よりも満足感を得る患者もいる。つまり,進行するにつれ,多くの患者が楽観的となり,自分が健康で魅力的であると思うようになる。ただし,このような経過は十分な介護態勢が整っている場合にのみ認められる。

 また,同博士は「進行とともに新しい情報を蓄積できなくなり,時間の概念も薄れていく。それに伴い,自身の生命の有限性や死についての知識も次第に失われていく」と説明。実際,同博士はこれまでに,老人ホームに入所している重度の認知症患者が親しい肉親の死に直面した後に,一時的に取り乱すことはあっても,すぐに元の生活に戻る様子を目にしている。

 同博士らは,これに伴う重要事項として「患者が発症前にリビングウィルなどの形で示した意思表示か,それとも発症後でも,ある程度自主性が保たれている状態での意思表示のどちらを尊重すべきか」といった問題を挙げている。

 一方,「認知症をすべて同一に扱うのは間違いである」とも指摘。認知症というと,発症率が最も高いアルツハイマー型認知症を思い浮かべるが,つらい妄想や幻覚などの精神症状を特徴とするレヴィ小体型認知症などもあり,それぞれ経過も異なる。例えば,アルツハイマー型では認知能力が何年にもわたり徐々に低下するが,まれに見られるクロイツフェルト・ヤコブ病では認知症は長引かず,2〜3年で死に至る。また,脳血管性の場合は,認知症が段階的に悪化し,安定期が長く続くといった特徴があり,この型では自殺率が高いという。

 現在,認知症の終末期に関するデータはほとんどない。患者自身の病識と理解が失われていくため,苦痛を感じる症状について知ることが困難で,また現時点では,苦痛の度合い(疼痛は分かるかもしれないが)を測定する有効な機器もなく,憶測するしかない。そのため,同博士は「今後,終末期前と終末期における認知症の診断法が改善され,それにより予後が向上することが切に望まれる」と強調した。

「介護オアシス」という解決策

 ドイツでは近年,重度の認知症患者に対する新たなケアの形態として「介護オアシス」が試みられている。重度認知症患者は,言語による意思疎通が全く,あるいはほぼ不可能で,寝たきり,またはほとんど身体を動かすことができないため,介護度が最も高くなる。「介護オアシス」では,こうした重度認知症患者 6〜8人がカーテンや壁の一部で仕切られた大部屋で共同生活し,ケアスタッフが14時間常駐する。

 現在,その評価が行われているが,既に発表された報告によると,患者の注意力は高まり,栄養状態も改善され,筋緊張と精神的緊張も低下する。介護スタッフの目も患者に届きやすく,通常の施設より満足感が得られていた。また,家族は患者を預けることで負担が軽くなったと感じているという。さらに,複数の追跡調査では,このような形態で介護を受けた患者の方が長生きすることも確認されている。

メディカルトリビューン 2011年1月27日

延命治療中止7%の病院が経験 回復困難な子どもの患者
 救命したが回復が見込めない子どもの救急患者に、投薬量を減らしたり人工呼吸を止めたりする「延命治療の中止」をしたことがある病院は7%、投薬量を現状より増やさないなどの「差し控え」は34%が経験したとの調査結果を、阪井裕一国立成育医療研究センター総合診療部長らの研究班が26日までにまとめた。

 今後そうした患者の家族に、選択肢として治療中止や差し控えを示す可能性があるという医師は、60%以上だった。

 終末期の子どもに延命治療を続けると、子どもの尊厳を冒す場合もあると考える医師もおり、研究班は、その一端がうかがえる結果とみている。

 調査では、中止や差し控えに関する法律や指針などの公的システム整備を求める声が強く、治療の選択を判断する医療現場の戸惑いも浮かび上がった。

 研究班は2009年、日本小児科学会と日本救急医学会の約950の専門医研修施設にアンケート。498施設から回答があった。

 過去3年間に、臨床的に脳死と判断した15歳未満の子どもがいたのは37%。延命治療の中止経験は7%で5例以上が5施設、差し控えは34%で10例以上が20施設あった。



もっと知りたい ニュースの「言葉」

延命治療(2007年2月16日)終末期の患者に対し、人工呼吸器や人工心肺装置を装着したり、栄養補給をするなど生命維持のための処置を行うこと。治療を中止する際の判断基準や医療機関の手続きを定めたガイドラインについて、厚生労働省は昨年9月/(1)/患者の意思尊重を基本とする/(2)/治療について患者と合意した内容を文書化する/(3)/主治医だけでなく他の医師や看護師を含む医療チームが治療方針を決める―などを柱とした原案を公表。同省の検討会が原案を基に議論を続けている。

延命治療中止(2006年6月15日)人工呼吸器や栄養補給など生命維持処置を含めたすべての治療を止めることで、毒物の投与などによる「積極的安楽死」と区別して「消極的安楽死」ともいわれる。自然な死を望む患者が自分の意思で治療を拒否した場合を「尊厳死」と呼ぶ。東海大安楽死事件の横浜地裁判決は「治る見込みのない病気で死期が迫り、家族らによる推定も含め本人の意思があること」などを許容条件として挙げたが、医療現場にはより具体的な指針を求める声が出ている。

47NEWS 2011年2月25日

日本胃癌学会で終末期の緩和ケアについて見解
埼玉医大・奈良林氏

 がん医療の進展は目覚ましく,新たな治療法の登場だけでなく緩和ケアの理念も少しずつ普及し,医療者の意識を高めることとなった。一方で,実臨床においてはスタッフ数の充足やシステムの改編など個々の医療機関によってばらつきがあり,理想と現実との間に大きなギャップが存在する。第83回日本胃癌学会総会(3月3〜5日,青森県三沢市)の特別企画シンポジウム「化学療法後の切れ目ない医療の実践」ではこうした状況を踏まえ,緩和医療科,消化器外科,化学療法科,それぞれの専門的立場から率直な意見が発表された。その中で,埼玉医科大学国際医療センター緩和医療科教授の奈良林至氏は,がん薬物療法に携わる腫瘍内科を経て緩和ケアに専従している経験から,「化学療法後の医療にスムーズに移行するために」と題し,終末期の緩和ケアについて見解を述べた。

終末期への不安―「自宅で看取られたい」は11%

 “緩和ケアは,がんの診断時から始まる”との理念は広く医療者に普及してきたが,現実には多くのがん患者がその恩恵にあずかれていない。特に,進行がんではいずれ積極的な治療を終了せざるをえない時期が来るが,そこで身の置き場をなくしてしまう患者が少なくない。例えば「余命6カ月以内の末期状態」という状況下で,「療養場所」として自宅を希望する者は63.3%に達するも,「看取りの場」として自宅を希望する者は10.9%に減少することが示されている(厚生労働省2007年度調査)。

 その主な理由は「介護してくれる家族に負担がかかる」(79.5%),「病状が急変したときの対応が不安」(54.1%)であり,緩和ケアにおける医療者の支援が不十分であることを示唆している。

 奈良林氏は,治療終了後の医療へ切れ目なく移行するためには,まず「患者の不安を解消しなければならない」と訴えた。

病院医が調整役を

 上記調査でも取り上げられたように,治療終了後の医療,すなわち終末期の緩和ケアを提供する場としては,自宅,地域の緩和ケア病棟,地域の病院・診療所などがある。奈良林氏は,これらの施設は「患者さんの状況に応じて適切に選択されるべき」であるにもかかわらず,現状では“選択する”には至っていないと指摘し,その理由をいくつか挙げた。

 患者の希望は一様ではない。「最後まで治療継続したい」という人もいれば,「負担なく家で過ごしたい」と希望する人もいる。患者の希望に沿った緩和ケアのためのキーパーソンは病院医であるとし,同氏は「(多くの医療職の)調整役として,病院医の尽力が不可欠」と強調した。

メディカルトリビューン 2011年3月22日

ホスピス:八鹿病院、開設6年 余命、その人らしく 高水準の緩和ケア
 スタッフ一丸、心癒やす
 公立八鹿病院(養父市八鹿町)に末期がん患者らの人生の最期をみとる緩和ケア病棟(ホスピス)が開設されて6年。医師や看護師、理学療法士、医療ソーシャルワーカー、薬剤師、ボランティアがチームとなって昼夜を問わずケアにあたっている。

 「患者と家族の心を癒やすのが私たちの仕事」と岩佐加奈子看護師長。抗がん剤治療などはしないが、痛みや精神的な苦痛を取り除き、余命をできる限りその人らしく過ごせるよう支援し、年間120〜130人を送っている。

 「看護師の力が発揮できるよう、医師と話し合いを重ねます。スタッフが心を一つにして患者を見送る。みとった家族とスタッフの関係は続き、遺族が集まる年1回のお茶会には多くの人が集まって思い出を語り合います。やりがいは大きいです」

 八鹿病院のホスピスは全国的にも高いレベルにある。宮野陽介院長は、千葉県船橋市で開かれた全国緩和ケア指導者講習に参加し、その水準に「確信が持てた」という。

 6年間(05年4月〜11年3月末)で受け入れた患者は延べ23235人。「開設当初は“死ぬ場所”と思われていましたが、ホスピスがどのような場所か理解が深まり、患者も家族も思いが変わってきました」と宮野院長は話す。

 最上階の11階に高級ホテルのようなロビーや快適な個室、グランドピアノの生演奏を聴けるホールなどがあり、食事も面会も自由。暗い雰囲気はみじんもない。

 09年9月から入退院を繰り返している女性は「のんびりと自由気ままに過ごしています。頼れる医師や看護師がいてくれるので安心して過ごせます」と話し、屋上庭園に実ったミカンを摘み取った。

毎日jp 2011年4月18日

最期を選ぶ 終末期医療を事前指示
 大分市で一人暮らしの小野千江さん(75)は、毎年元日、便箋にペンを走らせる。人生の最期を迎えた時にどんな医療を受けたいか、をつづるのだ。

 〈1〉無駄な延命治療はしない〈2〉苦痛の緩和は最大限やってほしい〈3〉植物状態になったら一切の生命維持装置を外し、「胃ろう」(腹部に穴を開けて、胃にチューブで栄養を送る方法)は拒否する――。

 全く同じ内容を3枚書き、1枚は自分用に保管、2枚は近所に住む2人の息子に渡し、「その時が来たら医師に見せて」と頼む。こうした文書は「事前指示書」などと呼ばれる。

 7年前。末期がんの夫は、1年足らずの闘病生活の末に亡くなった。自分も高血圧や突発性難聴、ひざの痛みなどを抱え、最期の時を考えるようになった。

 心配なのが胃ろうだ。以前、近所の女性が認知症で食べられなくなり、胃ろうにするかどうかで家族間の意見が分かれた、と聞いた。

 「胃ろうで病気が良くなるならいいが、寝たきりでただ息をしているだけならつらい。自然な死を迎えたい」。そんな思いで指示書を書くようになった。

 東京都港区の会社社長高山智(さとし)さん(54)の母親、和子さん(享年83歳)は、糖尿病が悪化し、昨年2月に右足を切断した。認知症だが会話で意思疎通できたため、高山さんが病気の見通しを説明すると、「延命措置は望まない」と言う。

 6月に病院で胃ろうを勧められた際、母の希望を伝えて断ったが、医師は「何もしないなんて、江戸時代じゃあるまいし」と言い、理解してもらえなかった。

 結局、母は胃ろうの代わりに鼻からのチューブで栄養補給を受けたが、苦しそうで嫌がった。やがて肺炎になり、翌7月に亡くなった。

 ちょうどそのころ、医療ルネサンス「平穏死を考える」で、「私の生き方連絡ノート」を知った。終末期医療に関心を持つ医療者らで作る「自分らしい生き死にを考える会」が、自由記述式の事前指示書として考案、今は市販されている。

 高山さんはすぐに10冊を購入、友人にも配った。自分は「延命措置は望まない」などと希望を書き込み、家族とじっくり話し合った。

 「もっと早くこうしたノートがあれば、母の時に役立てられたのに」

 終末期医療の大きな問題の一つは、本人の希望が不明な場合が大半を占めることだ。そんな中、最期の医療を自ら選び、周囲に伝えておく「事前指示」が、少しずつ広がりつつある。

YOMIURI ONLINE 2011年5月23日

県立12病院が「緩和ケア研修」 若手医師に義務化
 がん患者らの痛みに寄り添える医師を育てるため、兵庫県立がんセンター(明石市)など県立全12病院は本年度から、研修中の若手医師に「緩和ケア研修」受講を義務付けた。義務化は全国初という。がん治療に携わる医師全員の受講を国が求める中、緩和ケア浸透に向けた取り組みとして注目されそうだ。

 緩和ケア8 件研修は、県立12病院で学ぶ臨床研修医(定員計48人)の初期研修2年目の必修科目とし、本年度は37人が、県立がんセンターなど5病院で6月から順次開かれるプログラムに参加する。

 研修では、医療用麻薬の投与や、終末期に現れる症状など基礎知識を学ぶ一方、患者の声に耳を傾ける大切さが実感できるようグループワークを取り入れる。また、末期がんを告知する医師役と患者役を演じる「ロールプレー」を通じ、患者の立場を体験する。

 国は2008年、がん対策推進基本計画に基づき、各地の「がん診療連携拠点病院」に緩和ケアの研修会開催を義務付けた。全国で10万人ともいわれるがん診療医師全員に受講を呼び掛けるが、これまでに修了したのは約2万人という。

 県立がんセンターの西村隆一郎院長は「肉体的、精神的な痛みが理解できる医師は、がんに限らず患者が望む医療を提供できる。医師としての基礎を学ぶ時期に研修を受ける意義は大きい」としている。

【緩和ケア8 件】 命を脅かす疾患と向き合う患者と家族の「生活の質(QOL)」改善を目指す処置。治療初期から並行して進めるのが理想とされる。薬による痛みや倦怠(けんたい)感のコントロール▽告知後の悲嘆への対処▽死期を迎える精神的苦痛の緩和などを指す。

神戸新聞NEWS 2011年5月29日

終末期患者の積極的安楽死,受容できる腫瘍内科医は10%以下
韓国,国立がんセンターの研究
 がんなどで終末期を迎えている人が,生命維持を目的とした医療措置を中止するか,あるいはさらに踏み込んで積極的安楽死を選ぶか−立場の違いでかなり答えが違うことが予想される問題を議論するには,まずその違いを認識することも重要だ。このたび,韓国から3,000人強を対象とした調査結果が韓国・国立がんセンターのYoung Ho Yun氏らにより報告された。

 それによると,「生命維持を目的とした治療」などに対し,受容できると回答した腫瘍内科医の割合は一般の人とほぼ同等だったが,「積極的安楽死」「医師による自殺幇助」は,10%以下とかなり低い割合にとどまっていた。

患者,一般市民の約半数が積極的安楽死を「受容できる」

 Yun氏らによると,韓国では,2009年に最高裁が尊厳死を支持する判決を示すまで,終末期医療のあり方に関する社会全体での議論はあまり行われてこなかったという。一方,病院で死を迎えることが多くなっているなかで,終末期医療に関する研究のほとんどは安楽死(euthanasia)や医師による自殺幇助(physician-assisted suicide)だけだと指摘。

 そこでがん患者やその家族(family caregiver),腫瘍内科医,一般市民らが終末期の死に際し,どのような医療を本当に必要としているか,意識調査を行った。

 がんセンターおよび同国内16の総合病院で診療を受けているがん患者(1,242人),その家族(1,289人)および腫瘍内科医(303人),同国内の統計ガイドラインに基づき抽出された一般市民1,006人が調査対象となった。

 調査の結果,「無益な生命維持治療の中止」「積極的な疼痛コントロール」については,いずれのグループも90%前後が受容できると答えていた。

 一方,「積極的安楽死」および「医師による自殺幇助」に対してはがん患者本人と一般市民の約半数が受容できると答えていたのに対し,患者家族はそれぞれ約40%と低くなり,腫瘍内科医ではそれぞれ10%に届かない結果となった。

 今回の結果に対し,安楽死に対する受容率は欧米に比べ若干低く,その背景には欧米とアジアの個人,家族間の意思決定システムの違いがあるのではないかと考察。一方,腫瘍内科医が安楽死や自殺幇助に消極的なのは,欧米の国々と同様としている。

メディカルトリビューン 2011年5月31日


緩和ケアの充実を目指し,現状を踏まえた議論を−第83回日本胃癌学会
 がん医療の進展は目覚ましく,新たな治療法の登場だけでなく緩和ケアの理念も少しずつ普及し,医療者の意識を高めることとなった。一方で,実臨床においてはスタッフ数の充足やシステムの改編など個々の医療機関によってばらつきがあり,理想と現実との間に大きなギャップが存在する。三沢市で開かれた第83回日本胃癌学会〔会長=三沢市立病院(青森県)・坂田優院長〕の特別企画シンポジウム「化学療法後の切れ目ない医療の実践」〔座長=埼玉医科大学国際医療センター緩和医療科・奈良林至教授,がん・感染症センター都立駒込病院・佐々木常雄院長〕ではこうした状況を踏まえ,緩和医療科,消化器外科,化学療法科,それぞれの専門的立場から率直な意見が発表された。


〜緩和医療科〜

終末期に不安―「自宅でみとられたい」は11%

“緩和ケアは,がんの診断時から始まる”との理念は広く医療者に普及してきたが,現実には多くのがん患者がその恩恵にあずかれていない。座長の奈良林教授は,がん薬物療法に携わる腫瘍内科を経て緩和ケアに専従している経験から,終末期の緩和ケアについて,患者の不安を解消しなければならないとの見解を述べた。

病院医が調整役を

 近年では,がんに伴う身体症状や精神症状を和らげるための緩和ケアは,がんの診断時から治療と並行して行うべきとされている。一方で,特に進行がんではいずれ積極的な治療を終了し,全面的な緩和ケアへ移行せざるをえない時期が来るが,奈良林教授は,そこで身の置き場をなくしてしまう患者が少なくないのが現状であることを紹介した。

 例えば「余命6カ月以内の末期状態」という状況下で,「療養場所」として自宅を希望する者は63.3%に達するにもかかわらず,最終的な「みとりの場」として自宅を希望する者は10.9%に減少することが示されている(厚生労働省平成19年度調査)。さらに,その主な理由は「介護してくれる家族に負担がかかる」(79.5%),「病状が急変したときの対応が不安」(54.1%)であり,積極的な治療が終了した後,すなわち終末期の緩和ケアへ移行するための医療者の支援が不十分であることが示唆された。

 同教授は,緩和ケアへ切れ目なく移行するためにはまず,「患者の不安を解消しなければならない」と訴えた。終末期の緩和ケアを提供する場としては,自宅や地域の緩和ケア病棟,地域の病院・診療所などがあるという点に触れ,これらの施設は個々の患者の状況に応じて適切に選択されるべきであるにもかかわらず,現状では“選択する”には至っていないことを指摘した。同教授はその理由として,「医師(病院医)が,患者・家族の意向を把握していない」,「医師(同)が,在宅でどのような医療を提供できるのかを理解していない」,「医師(かかりつけ医)が,抗がん薬治療終了後の患者の受け入れに必ずしも積極的ではない」などの問題点を挙げた。

 患者の中には最後まで治療継続したいという人もいれば,負担なく家で過ごしたいと希望する人もいる。終末期において医療に求めるものは個々の患者によって異なる。医療者にとって重要なことは,患者に自己決定の機会を与えることと,それぞれの希望を把握しておくことであるという。

 同教授は,患者の希望に沿った緩和ケアのためのキーパーソンは病院医であるとし,「再発したとき,抗がん薬治療を終了するときは,患者の希望を確認する良い機会」と述べ,「多くの医療職の調整役として,病院医の尽力が不可欠である」と強調した。


〜消化器外科〜

“理想の緩和医療”に真の担い手を

 わが国ではがん診療において外科医が外科治療以外の業務も広く担ってきたという背景がある。一般病院や愛知県がんセンターで消化器外科医として多くのがん治療を行ってきた名古屋大学消化器外科の小寺泰弘准教授は,自身の経験と率直な見解を交えて,消化器外科医が現在がん医療の場でどのような役割を果たしているかを紹介した。

タフな外科医にも限界はある

 小寺准教授は発表の冒頭で「実は,こんなことを話すべきではないのかもしれない」と前置きした上で,いまだに全国の多くの病院で「外科医は手術に加えて診断や化学療法を担い,各科の麻酔から救急や熱傷の対応まで広く担当している」と指摘した。

 例えば,同准教授が勤務していた地方中核都市の一般病院では,他科の麻酔をこなし毎日必ず1人が当直し,加えて担当患者のみとりも行っていたという。当然,休息の得られないまま通常勤務に戻る機会も少なくないため,術中に「視野が悪いな」と思い顔を上げたら外科医が2人,立ったまま寝ていたこともあったとのことである。患者からすれば「手術をしてもらった医師に,緩和ケアを含めて最後まで診てもらいたい」という気持ちがあるかもしれないことを認めながらも,「外科医にもやはり限界はある」と述べた。

 また,患者をみとった後に,外科医は主治医として死亡確認や死亡診断書の作成以外に,死後の処置や遺体の搬送,焼香まで行うが,がん患者数の増加に伴い,みとりの件数も増えるため不眠不休で就労せざるをえない日も出てくる。業務の主体であるはずの外科手術に影響しかねない状況であり,同准教授は,患者を丁重に見送ることは人間として当然の行為だと思いつつも,「外科医として優先すべきことは何かと考えるようになった」と述べた。

 疲労の度合いと外科手術におけるミス発生には,関連が示唆されている。同准教授によると,近年では患者への負荷が低いため内視鏡下手術の件数が急増しているが,開腹手術と比べて「さらに集中力が必要だ」と言う。シミュレーターを用いた検討では,睡眠不足によるエラー発生や課題達成に要する時間の延長が報告されており(Lancet 1998; 352: 1191),外科医が不眠不休のまま手術を行うデメリットは看過できないと訴えた。

 同准教授は緩和ケアの理念について大いに賛同するとした上で,「狭義の外科医は,やはり手術療法を極めるのが最も重要な責務」と指摘。他の業務と並行して完遂できるほど,手術も終末期医療も簡単な内容ではなく,「理想の緩和医療のためには,真の担い手が必要」とし,「皆さまの病院の外科医を大切に」とまとめた。


〜化学療法科〜

「最後まで闘病したい」という患者にも応える

 現在のがん薬物療法は,臨床試験によってエビデンスの確立された治療法が無効となれば,期待される余命にかかわらず治療終了となることが多い。座長の佐々木院長は,がん薬物療法の第一線で活躍してきた経験から,現在日本で承認されているがん治療薬を上手に用いることで「最後まで治療を続けるという選択肢もありうる」と報告した。

分子標的治療薬の維持治療に可能性

 がん・感染症センター都立駒込病院は,総合病院ながら1975年に化学療法科を設置した病院である。同院の化学療法科には,セカンドオピニオンを求めて来院する患者も多いという。佐々木院長は,2009年に行われた東京大学病院による死生観調査でも,「最後まで病気と闘う」を選択する割合が,がん患者の81%に対して医療者では19%であったことに触れ,医療者と患者の視点が異なることはたびたび示唆されていると指摘した。

 さらに,同院長はこの数値に触れた上で,同院セカンドオピニオン外来における最大の受診理由が,「治療抵抗性と言われた。緩和しか治療法はないのか」と,治療法を求めての来院であったことを紹介〔34%(219例中75例)〕。さらに,そのうち40%(75例中30例)が実際には救援治療として保険適応内化学療法が可能であったことから,「医療者は,標準治療がないなら緩和ケアのみ,と結論してしまってよいのか」と疑問を投げかけた。

 同院長は,分子標的治療薬の登場により「死が近くとも,希望する患者には継続して治療する有用性がエビデンスとして成立する可能性がある」とし,切除不能大腸がん患者を対象に行われた2件の臨床試験(BRiTE試験,ARIES試験)を紹介。両試験では,たとえ増悪しても分子標的治療薬を継続投与することで生存期間の延長が得られる可能性が示されている。また,同院呼吸器内科で行った肺がん例の検討においても同様の結果が得られたことを報告した。

 同院長は「化学療法中止で納得される患者さんはそれでよい。しかし,無治療で死を待つのはつらいという患者さんもいるのだ」とし,こうした患者に手を差し伸べる選択肢として分子標的治療薬への期待を述べた。

メディカルトリビューン 2011年6月16日

「高齢者の終末期の医療およびケア」に関する「立場表明」,改訂案を発表
日本老年医学会,Q&Aを追加し個別ケースにかかわる疑問に答える
 日本老年医学会は「高齢者の終末期の医療およびケア」に関する“立場表明”から10年を経た今年(2011年),同学会第53回学術集会(6月15〜17日,東京都)のシンポジウム「高齢者の終末期の医療およびケア:『立場表明』10周年にあたって」で改訂案を発表した。新たな試みとしてQ&Aを追加し,医療現場で生じる個別のケースにかかわる疑問に答えようとしている。今後,同学会の公式サイトを通じて学会員からコメントを募集し,最終案をまとめるという。

「最善の医療およびケア」を受ける権利を擁護・推進するための11の立場を表明

 同学会倫理委員会委員長の飯島節氏(筑波大学大学院人間総合科学研究科教授)によると,今回の改訂の意図は,この10年間の社会情勢の変化や関連領域のガイドラインの発表を受け,より実情に即した立場表明とすることであった。

 改訂案では,立場表明を出す目的を,すべての人が有する「最善の医療およびケア」を受ける権利を擁護・推進することと定義。同学会の11の立場を次のように記している。

立場1.年齢による差別(エイジズム)に反対する
立場2.個と文化を尊重する医療およびケア
立場3.本人の満足を物差しに
立場4.家族のケアも対象に
立場5.チームによる医療とケアが必須
立場6.死の教育を必修に
立場7.医療機関や施設での継続的な議論が必要
立場8.不断の進歩を反映させる
立場9.緩和医療およびケアの普及
立場10.医療・福祉制度のパラダイム変換を
立場11. 日本老年医学会の役割

 それぞれの立場には「論拠」が示され,終末期医療の実態に即して前回の立場表明から一歩踏み込んだ内容も盛り込まれた。立場1では,「最善の医療およびケア」を強調する一方で,胃瘻造設を含む経管栄養や気管切開,人工呼吸器装着の適応は慎重に検討されるべきとし,治療の差し控えや治療からの撤退にも言及している。

 また,立場6「死の教育を必修に」は今回の改訂で明確化された項目。医療・福祉職者への教育だけでなく国民に対する啓発が必要であり,「終末期における最善の医療およびケア」について発信していくことは,同学会が社会に負う「責任」としている。

Q&Aは学会員から募集,随時更新していく

 飯島氏によると,2001年に発表された立場表明は「終末期の定義」がマスコミでたびたび引用されるなど話題を呼んだものの,具体性がないという会員からの意見が多かったという。そこで今回の改訂では,医療現場で生じる医療従事者,患者,家族の疑問に日本老年医学会が回答するQ&Aが追加されることになった。

 同氏は,次のような例を挙げた。

 例えば,あらゆる代替医療が否定することは,患者個々の価値観の尊重と矛盾しないかという質問には,「(立場2の主旨は)終末期の医療やケアであっても,単に経験などにもとづいて恣意的に対応することは許されない,という医療者のあるべき姿を示すものです。場合によっては,患者や家族の切なる願いをかなえるために代替医療を受け入れる場合もあります」と回答。

 また,本人が告知を望んでいるのに,家族が告知を望まない場合の対応については「なぜ病名を知りたいのか,なぜ知らせたくないのかをそれぞれから聞き出す必要があります。(中略)病名告知にかかわるご家族の不安を取り除き,最終的には本人の意に添えるよう努力するべきです」と答えている。

 今後は,改訂案を同学会の公式サイトに掲載し,学会員からコメントを募集。その結果を理事会に諮り,最終版をまとめて公表する。Q&Aについては,学会員からの質問を随時募集して倫理委員会で議論し,回答ができたところから発表していく予定だという。

 シンポジウムの最後には質疑応答が行われた。会場からは「最善の医療と患者の意思は異なる。立場1と立場2をただ並べるだけでは分かりにくい」,「緩和医療に関して,痛みの予防を入れたらどうか」,「医療処置の決定にかかわる法律の問題がある点に触れるべき」,「自然死を含め,個人の意思を反映する医療をつくってほしい。世論の後を追いかけるだけの立場表明にならないように」などの意見が次々に出された。

 司会の植村和正氏(名古屋大学医学部総合医学教育センター教授)はそういった意見に対し,「例えば,自然死には倫理の問題でなく法的問題が存在し,それを無視するステートメントではいけない。学会員の皆さまには欲求不満が残る立場表明になるかもしれない。そのためにも,個別性のある現場の医療から疑問点を引き出し,Q&Aを蓄積し,随時更新していくことが,課題の共有につながるのではないか」と提案した。

メディカルトリビューン 2011年6月23日

治す医療から生活を支える医療へ
第16回日本緩和医療学会開催
 第16日本緩和医療学会が7月29−30日,蘆野吉和大会長(十和田市立中央病院)のもと,さっぽろ芸術文化の館(札幌市)他にて開催された。開催テーマは「いのちをささえ いのちをつなぐ 緩和ケア――病院から地域へ」。ますます加速する高齢・多死社会の進展のなかで,医療全体をとらえなおし,緩和医療の果たすべき役割を考えるべくさまざまなプログラムが用意された。

QOLを低下させる神経障害性疼痛の克服をめざして

 末梢や中枢神経の直接的な損傷,圧迫や機能不全によって生じる神経障害性疼痛は,触覚刺激で灼熱痛や刺すような痛み,電撃様痛など激烈な痛みを誘発する。帯状疱疹後神経痛や糖尿病性神経症,悪性腫瘍の脊髄や神経叢への浸潤などが代表的だが,モルヒネにも反応しにくい難治性の慢性疼痛であり,患者のQOLを著しく低下させることから有効な治療法が模索されている。シンポジウム「神経障害性疼痛のメカニズムからマネジメントまで」(座長=長崎市立市民病院・冨安志郎氏,星薬科大・鈴木勉氏)では,近年明らかになってきた神経障害性疼痛のメカニズムや診断・治療について最新の知見が語られた。

 津田誠氏(九大大学院)は,神経障害性疼痛のメカニズムについて報告した。神経が障害されるとグリア細胞の一つ,ミクログリアが活性化され,細胞間情報伝達物質であるP2X4受容体が過剰に発現。これにより,脳由来神経栄養因子であるBDNFが放出され,痛覚二次ニューロンのCl−くみ出しポンプの発現低下を引き起こし,通常抑制性の神経伝達物質であるGABAが興奮性として作用。このような流れで触刺激が疼痛を引き起こすという。

 さらに氏らは,神経障害性疼痛の維持に重要な役割を果たすアストロサイトの増殖にミクログリアの活性化が関連していることを解明。今後の創薬におけるターゲットとなる可能性を示唆した。新たな創薬を進める一方で,氏らは既承認薬から新規作用を見いだし早期の臨床適応をめざす「エコファーマ」を提唱。その一例として,SSRIなどの抗うつ薬が神経因性疼痛を抑制するとの研究結果を示した。

 住谷昌彦氏(東大病院)は,神経障害性疼痛の診断・評価,薬物療法について概説。氏は「神経障害性疼痛患者は人口の7%程度」というフランスの疫学研究結果を提示し,日本においても潜在患者がいる可能性を示唆した。薬物療法に関しては,日本ペインクリニック学会が本年7月に発表し,氏も作成にかかわった「神経障害性疼痛薬物療法ガイドライン」を紹介。本ガイドラインでは,非がん性神経障害性疼痛の第一選択薬には三環系の抗うつ薬とプレガバリン(商品名 リリカカプセル)が推奨されている。鎮痛効果の高いオピオイドは長期的投与の安全性が確保されていないため,生命予後が長い非がん性の患者では第三選択薬となっている。

 さらに氏は,神経障害性疼痛が従来モルヒネ抵抗性とされてきたことについても触れ,オピオイドが有効な症例もあると指摘。その上で,頓用を避ける,オピオイドとプレガバリンとを併用する,頻回なスクリーニングを行うなど,薬物依存の予防への十分な配慮を求めた。

 瀧川千鶴子氏(KKR札幌医療センター)は緩和ケア医の立場から,神経障害性疼痛のマネジメントについて発言。氏は,神経障害性疼痛の原因には,手術や化学療法,がんの浸潤,さらに併存疾患など多面的な要素があるため,既往歴,痛みの部位,性質,程度などをベッドサイドで詳細に聴取し,経過観察を怠らず,多職種でかかわる重要性を強調した。さらに薬物療法については,安易なオピオイドの投与・増量に警鐘を鳴らし,鎮痛補助薬と併用しながら慎重に管理すべきと説いた。鎮痛補助薬についても副作用は避けられないことから,各薬剤のメリット・デメリットを熟知し,患者の背景,病態に応じた投与を心がけることを呼びかけた。

 薬剤師の佐野元彦氏(埼玉医大総合医療センター)は,抗がん薬による末梢神経障害について,予防,治療ともに有効な方法が確立していない現状を説明。白金製剤の1つであるオキサリプラチンに関しては,Ca/Mg投与によって末梢神経障害の発生頻度の減少が期待されているものの,これを検討したCONcePT trialでは「大腸がんのFOLFOX療法の奏効率を低下させる」との中間解析結果によって試験中止となり,明確な結論は出ていないと述べた。また氏は,評価基準として用いられているNCI-CTCAEとDEB-NTCの一致率が低いこと,末梢神経障害の発現率や改善率の評価に差があることを明らかにし,評価に当たっては患者の自覚症状の重要性を強調。医師,看護師,薬剤師によるカンファレンスを毎週行い,シームレスな緩和ケアに努めていると結んだ。

多死社会をいかに乗り切るか

 パネルディスカッション「超高齢化・多死の時代への準備」(座長=北大名誉教授・前沢政次氏)では,これからの社会の変化に医療がどう対応し,転換していくか議論された。

 在宅医療の草分け的存在である黒岩卓夫氏(医療法人社団萌気会)は,国が提唱する地域包括ケアシステムを,医療・介護・予防・住まい・生活支援サービスが切れ目なく提供されるシステムと評価。生活を支える24時間ケア体制と,中小病院・有床診療所・無床診療所との連携強化が要となると述べた。氏らは医療者の研修の場,多職種の仲間づくりの場,住民が健康について学ぶ場として「地域医療魚沼学校」を設立。住民と医療機関が双方向的にかかわり合う新たなコミュニティへ期待感を示した。

 島崎謙治氏(政策研究大学院大)は,人口構造の変容からみた医療政策の課題を概説。氏はこれからの医療の在り方として,全人的な医療,生活そのものを支える医療,尊厳ある看取りの医療への転換が求められていると強調。さらに,患者の自己決定の重要性が高まっていることに触れ,専門家の助言や支援が必要だとし,医療の切れ目をつなぐ役割を担う家庭医を推進すべきではないかと提案した。

 辻哲夫氏(東大)は,都市部での急激な高齢化と死亡者増加を見据え,在宅医療の普及を提言。多くの医師が臓器別専門医として育っていること,医師1人では在宅医療を担えないという認識があること,病院と地域をつなぐ適切なコーディネーターがいないこと,患者が病院依存的であることなど,現状の問題点を挙げた。それを踏まえ,現在千葉県柏市と協働で進めている超高齢社会時代のまちづくりプロジェクト(柏プロジェクト)を紹介。在宅医療・看護・介護サービス拠点の開設や開業医に対するon the jobの研修プログラムの開発などを紹介した。

 大島伸一氏(国立長寿医療研究センター)は"病苦に対する共感"という人間的な営みとして始まった医療は,技術の高度化,人権の確立,社会の巨大化・複雑化に伴い技術的な営み,社会的営みに変わっていったと指摘。超高齢社会を迎えた今,在宅医療が核となり,医療・介護・福祉が連携した"治し,支える"医療が求められていると,医療界の変革を促した。

週刊医学界新聞 第2941号 2011年8月22日


〜進行肺がん高齢患者の終末期医療〜
米とカナダでパターン異なる
 米国立がん研究所(NCI)保健科学・経済学部門のJoan L. Warren博士らは「米国の進行性肺がんの高齢患者では,カナダ・オンタリオ州の高齢患者と比べて病院や救急診療室の受診回数は少ないものの,化学療法を受けている割合は高い」とする研究結果をJournal of the National Cancer Institute(2011; 103: 853-862)に発表した。

異なる医療保険システム

 米国もカナダも高齢患者を対象とする公的医療保険制度が整備されているが,終末期医療の補償範囲は異なる。米国では一定の基準を満たした患者に対してはメディケアがホスピスケアをカバーする。一方,カナダで最も人口の多いオンタリオ州では,米国のホスピスに相当するプログラムはないが,急性期の入院施設や外来,在宅医療により緩和ケアを提供している。

 Warren博士らは,米国の地域がん登録であるSEER(Surveillance,Epidemiology and End Results)プログラムとメディケアのデータ,オンタリオ州のがん登録データを用いて両国の終末期医療を比較した。

 1999〜2003年に非小細胞肺がん(NSCLC)で死亡した65歳以上の患者を抽出し,死亡前5カ月間の保険請求データを分析。化学療法や救急医療室の受診歴,入院,診断から死亡まで6カ月未満の短期患者と,同6カ月以上の長期患者の支持療法歴に関するデータを収集した。

 両国とも終末期医療サービスの利用率は高く,死亡前1カ月間の利用率は突出していた。オンタリオ州の高齢患者の入院率と救急診療室の利用率は,米国の高齢者に比べて有意に高かった。

カナダでは半数が院内死亡

 オンタリオ州では,大多数の短期患者が自宅で最期を迎えたいと希望していたが,在宅死を希望する短期患者のうち,院内死亡率は48.5%と米国の20.4%の2倍以上高いという結果だった。

 死亡前の5カ月間に化学療法を受けていた米国の高齢患者の割合は,オンタリオ州の高齢患者に比べて有意に高かった。

 研究グループは,この知見は米国では医師はより積極的な治療を行い,患者はより集中的な治療を受けることが多いという大方の見方を裏付けるものだと指摘している。

 米国の高齢患者にはホスピスサービスを利用するという選択肢があるが,オンタリオ州の高齢者にはそれがない。Warren博士らは「オンタリオ州ではホスピスサービスがないことが,入院率や救急診療室の受診率と院内死亡率の高さにつながっている可能性がある」と指摘している。

 さらに「これらの知見は,医療政策立案者や為政者に対して終末期医療の現状を提示するとともに,医療サービスやプログラムの在り方に変革を促すきっかけとなるかもしれない」と結論付けている。

意思決定の質向上が共通課題

 ダートマス医療政策・臨床診療研究所(米ニューハンプシャー州レバノン)のDavid Goodman博士は,同誌の付随論評(2011; 103: 840-841)で「終末期医療は米国とカナダ・オンタリオ州との間の違いだけでなく,米国内あるいはカナダ国内でも地域によって異なる」と説明。その上で,「重要なのは患者がそれぞれに見合った多様な医療を希望している一方で,こうした声は埋もれがちだということだ。社会全般における平均的な患者の希望が,個々の患者の希望とニーズを示したものだと決め付けてしまうと,終末期医療の質を向上させることはできないであろう」とコメントしている。

 同博士は「最も望ましい形の終末期医療とは,患者が意思決定プロセスに参加できるケアだ」と指摘。「やみくもにホスピスケアや緩和ケアの利用率を高めるようなシステム改革を進めることが解決策ではない。積極的な治癒的ケアや支持療法,緩和ケアなど現行のケアを患者がどのように感じているかについて理解を深めるとともに,患者が十分な説明を受けた上で選択できるように,意思決定の質を向上させることが肝要である」と述べている。

メディカルトリビューン 2011年8月25日
疾患トレンドを探る
高齢医学 多職種連携と合意形成の仕組みを
 超高齢社会の到来が目前に迫っているわが国では,高齢者をめぐってさまざまな問題に直面しており,早急に対策が求められている。リハビリテーション(以下リハビリ)の対応や退院までの道筋を付けること,そして希望する終末期を迎えさせるための合意形成など,医療従事者や専門家はより良い手法を確立すべく,日夜,患者への対応と研究に追われている。今回は,高齢患者の問題に焦点を当てた。対処法の確立や普及が急がれる嚥下障害のリハビリに関する連携と終末期の退院前連携,患者の意思表示が難しくなった際の合意形成について,3人の専門家に聞いた。

Transdisciplinaly Team Approach/嚥下障害リハビリにおける医師の役割
椿原 彰夫 氏


 高齢者の肺炎の多くは誤嚥の関与が示唆され,嚥下障害への対策が急がれている。川崎医科大学リハビリテーション医学の椿原彰夫教授は,嚥下障害のリハビリには医師や看護師,理学療法士(PT),作業療法士(OT),言語聴覚士(ST)などさまざまな職種が垣根を越えて連携するTransdisciplinaly Team Approach(TTA)が不可欠と訴える。医師や歯科医師はTTAでのまとめ役になるか,リーダーとはならなくても他のスタッフの業務を適切に評価することが求められるとしている。

食べる行為で得られる満足感

 嚥下障害のリハビリについては,そもそも医学生への教育機会が少ないために,未整備の部分が小さくない。例えば重度の嚥下障害患者に胃瘻を施行した後は,リハビリに積極的ではない医師も少なくないという。椿原教授は「栄養問題をクリアできても,リハビリによって何かを食べられるようになるかもしれないし,少しでも食べる行為を実感させることが患者の満足感に影響するはず」と説く。

 嚥下障害のリハビリでは,医師や看護師以外にも多くの専門職種が日常的にかかわっている。しかし,単なる見守りや情報交換を密に行うのみでは不十分で,同教授は「専門職種間で足りない治療を補完し合うTTAが重要になる」と話す。さらに,TTAの成功条件として(1)治療目標を明確に設定する(2)機能の帰結予測が可能である(3)各構成員の役割が決定されて相互に尊重し合う(4)適格なリーダーがいる(5)知識と技能向上のシステムがある?ことを挙げる。

 入院患者の在宅生活を想定して畳の上で歩く訓練は,どの職種が行うべきかという疑問と同様に,嚥下障害治療にも境界線が不明瞭な部分は必ずある。どの職種が何をするかは,状況に応じてチーム内で検討することが望ましい。同教授は,TTAでリハビリ介入ができれば「患者の状況や環境に応じた最良の治療が提供でき,チーム構成員の能力も向上し続ける」と説明する。

 TTAの有用性は,日本摂食・嚥下リハビリテーション学会が多施設共同研究で実証している。嚥下障害が認められる脳血管障害患者でTTAによる摂食機能療法で介入した124例(介入群)と非介入群27例を対象に,摂食嚥下機能の変化を調査した。

 介入群で継続して調査に参加できた69例を臨床的重症度分類で見ると,初回の2.86±1.13から最終回には4.62±1.63へと有意に改善していた。一方,非介入群は初回2.52±1.29,3カ月後の評価では2.81±1.44と有意な変化はなかった。摂食状況レベルは介入群が初回2.54±1.41,最終回6.07±2.42で有意に改善したのに対し,非介入群はそれぞれ1.38±0.86,2.52±2.27と有意差は認められず,TTAによる介入の有効性が明らかとなった。

 同大学で行われているリハビリ患者への具体的な介入例としては,嚥下造影の評価には担当医や放射線技師だけでなく,STや看護師なども加わっている。同教授は,学生教育の行き届いているSTの役割について「基本的には嚥下機能の評価を行ったり,検査時にも同席して細かく指示を出したりすべき」と考えている。嚥下訓練も看護師やPT,OTらが補完し合いながら実践する。TTAの最適な実施のために重要なカンファレンスやミーティングを適宜開催している。

要に位置する医師に必要な能力

 リハビリのためにさまざまな職種が融合するチームの中で,医師はどのような役割を果たすべきか。椿原教授は「すべてを医師が自らこなすのは難しいが,検査を行ったり,スタッフに指示を出したりするなどリーダーとしての役割を果たすことになる」と説明する。さらに,「TTAにかかわる医師や歯科医師は単に存在するだけでは意味がない。機能の帰結を正確に予測でき,治療に対する明確な責任を負わなければならない」とも付け加える。

 嚥下障害のリハビリが取りざたされ始めてから,同教授はTTAの重要性を感じていたが,スタッフの理解を得るのは簡単ではなかったという。従来にない方法論を用いることに対するスタッフの反応はやむをえないが,「TTAがうまくいかない要因の1つには,医師の姿勢がある」と指摘する。同教授は「『医師とその他大勢』という独善的な態度を変えなければ,連携はうまくいかない。問題があれば即座に改善点を指摘することは重要だが,スタッフの行為を否定するだけでなく,成功例の称賛も重要であることを忘れてはならない」と高いマネジメントとコミュニケーション能力が求められるとした。

 一方,嚥下リハビリの専門医がいない施設で非常勤などの立場としてTTAに加わらざるをえない医師や歯科医については,「必ずしもリーダーとしての立場を担う必要はない」と話す。その場合は,「スタッフの意見に耳を傾けてから指示を与えるというスタンスでいいだろう」との見方を示す。ただし,「医師はスタッフに治療を任せるにしても,よく分からないからと嚥下機能の評価も適切にできないようでは,チームはゴールを見失いかねない」と注意を促している。

 同教授によると,リハビリを十分に教育する医学部・医科大学は,現在30校ほどしかない。超高齢社会が目前に迫る今,嚥下障害をはじめ高齢者に適切なリハビリを行える医師の需要が急激に高まっている。日本摂食・嚥下リハビリテーション学会や日本リハビリテーション学会,全国回復期リハビリテーション病棟連絡協議会での研修,講演など,学校以外でも学習できる場は設けられており,耳鼻咽喉科医や内科医などの参加者も増えている。同教授は「リハビリ科の医師の需給比は,他科と比べても悪い。学べる機会はたくさんあるので,希望者はできるだけ参加してほしい」と呼びかけている。

理想の看取りは“オーダーメード”の発想で
緩和ケアの事例から考える
山口 聖子 氏


 在宅や病院など看取りの場所はさまざまあるが,わが国では一面的な看取りが推進されてきた感が否めない。順天堂大学浦安病院がん緩和ケアセンターの山口聖子看護師長は「理想の看取りはオーダーメード的な発想で行い,実現させるには経済的な評価と地域情報の取りまとめが不可欠」と指摘する。緩和ケアの事例から,超高齢社会に備えた退院前連携のヒントを探った。
在宅看取り「必ずしも最良でない」

 山口師長が昨年まで勤務していた同大学順天堂医院では,退院支援チームと医療サービス支援センター,がん治療センターがスクラムを組み,高齢者やがん患者などの退院支援を行っている。退院支援チームは月1回病棟を回診し,担当スタッフから退院困難事例の相談を受けたり,時には直接支援を行ったりしている。現場の努力だけでは対応できない状況にあれば,院内の医療連携委員会で改善方法などを提言する。

 病棟回診時の相談件数は2009年4月〜10年7月で474件あり,うち87件が症状の悪化や歩行困難などの理由で1回の相談や支援では解決しなかった。同院では患者が入院する際に,退院時を見据えたスクリーニングを行い,退院支援の計画を組み立てている。2010年2〜10月にスクリーニングした1万966例では約95%の患者が支援を必要とせず,約3%は病棟や診療科での対応で退院し,チームの直接支援が必要だったのは2%程度だった。

 同師長がチームでの退院支援を行うケースの大半は終末期の患者で,自律性の尊重を重視する。患者が病状を正しく理解し,自身で過ごし方を考え決めることができるよう,できるだけ早期からの情報提供を行っている。また,家族にも同様に働きかけ,患者と家族が今後の過ごし方を話し合う機会をつくるよう勧めている。患者の退院に際する業務連携を始める前には患者や家族が描く退院後の過ごし方とその理由を確認し,在宅ケア移行後も担当する医療機関と順天堂側との連携は継続されることも伝え,患者が抱える不安を取り除くようにしている。

 看取りについて,患者と家族の意見が異なることがしばしばある。同師長は「どちらを選ぶかと意見を戦わせるのではなく,家族が患者の自律性を尊重する気持ちになれるよう働きかける」と話す。そして得られた患者と家族の希望を院内の担当医に伝えて話し合わせ,方針決定へと導く。在宅での看取りは国策として推奨されたが,同師長は「必ずしも在宅での看取りが最良の選択肢にならないこともある」と考え,在宅ありきの説明は行っていない。

 在宅ケアなどを行う医療機関と連携する病院の立場としては,「連携先の正しい情報と“ゴール”の共有が欲しい」と訴える。特に在宅療養支援診療所の看板を掲げていても,いったん患者を受け入れながらすぐに病院へ投げ返す施設も少なくない。

 わが国の在宅ケアの現状では,人材の資質によらざるをえない側面もあり,人の異動で施設の力量が大きく左右されたり,患者の居住区が2次医療圏外で初めて連携する施設が増えたりするケースもある。同師長は「連携先の正確な情報が集約されていないため施設または担当者個人が調べるしかなく,それではあまりにも非効率的」と嘆く。

 患者の退院によって診療・管理のバトンを他施設に渡すことになるが,患者の望みは往々にして変化するものであり,途中で希望が変わることもある。「バトンを渡した医療者には患者の希望は変わるものという前提でゴールを考えてもらわないと,ゴールの共有には結び付かない」と連携強化を訴える。

 個別の問題としては,独り暮らしの場合に病状管理や生活支援体制を確認するが,家族が高齢だったり,精神疾患を発症していたりした場合に医師や看護師,ケアマネジャーなどがグループで対応する在宅医療施設の方が包括してサービスの提供ができることから,家族の事務的負担が少ないという。患者・家族と担当医の意向が乖離するケースも少なくなく,支援チームによる助言や支援が必要となってくる。

オーダーメード的なアプローチを

 それぞれの患者・家族のニーズに沿った支援は欠かせない。病院と診療所で用いる在宅用の医療機器(器具)が異なる場合は,いったん診療所に移し,そこで器具の取り扱いを指導した上で在宅に移行させることが多い。患者が2次医療圏外で生活するならば,バックベッドのために訪問診療が可能な有床診療所に依頼する。希望の看取り像は同じでも,最期にたどり着くまでの道のりは人によって大きく異なることから,山口師長は「ターミナル期こそオーダーメード的なアプローチが求められる」と分析する。

 在宅移行に伴う連携は緩和ケアだけでなく,高齢者医療でも多くの問題をはらむ。同師長は,連携を成功させるために担当者同士の意思疎通を書類のやりとりで終わらせず,できるだけ対面か電話などで直接話すようにしている。また「患者や家族の思いは常に変化するという前提で耳を傾け,連携相手に尋ねたいことがあれば率直に聞く」ことで,不測の事態を未然に防いでいるという。

 ターミナル期にある患者の在宅移行には充実した支援体制が欠かせないが,こうした業務に対する評価は高くない。同師長は「連携業務に費やす時間は長く,看護サマリーに診療報酬は付かない。個人任せではいつまでも恒久的な仕組みはできず,経済的な裏付けを必要としている」と訴える。さらに,地域の連携すべき相手の情報にはばらつきがあり,「効率的に必要な情報を共有するにはシステム化が必要」と話す。

末期認知症患者へのAHN,医師9割が「困難」
合議型の日本らしい終末期医療を
会田 薫子 氏


 認知症末期で経口摂取が困難となった患者への人工的な水分・栄養補給(Artificial Hydration and Nutrition;AHN)を導入する決断について,医師会員の9割が難しいと感じていることが,日本老年医学会の調査で分かった。調査を担当した東京大学大学院人文社会系研究科グローバルCOE「死生学の展開と組織化」特任研究員の会田薫子氏は,英米式の自律尊重型ではなく,時間をかけて合意形成を成す日本らしい終末期医療が必要と指摘している。

「幸せな人生の終え方」という考え

 同調査は2010年度厚生労働省老人保健健康増進等事業の一環として実施。会田氏は「『生命は延ばすべきもの』と考えるのみでは,患者は本当に望む最期を迎えられないのではないか」と行き過ぎた延命措置に疑問を投げかける。また,問題解決の方向性を「『助ける』,『助けない』の二元論ではなく,死というよりも幸せな人生の終え方ととらえて議論しなければならない」と訴える。

 調査対象は日本老年医学会の医師会員4,506人で,昨年10〜11月に郵送による無記名の自記式質問紙で実施し,有効回答は1,554人(同回答率34.5%)であった。回答者のうち男性は84%で平均年齢は53.8歳,平均臨床経験年数は27.2年。専門科は多い順に一般内科,老年科,循環器内科,神経内科,総合診療科であった。主たる現在の勤務先は一般病院32%,大学病院18%,診療所17%,療養病床10%,老人保健施設6%だった。

 末期の認知症患者とのかかわり方は,45%が日常的にあり,36%がかかわるときもあると答えた。AHN導入の意思決定にかかわった経験は68%があるとした。その経験者に,意思決定にどの程度難しさを感じたかを尋ねたところ,「非常に大きい」16%,「ある程度」46%,「少し困った」27%で,89%がなんらかの難しさを感じていることが分かった。

 困難と感じる理由(複数回答)については,「本人意思が不明なこと」が73%と最も多かった。続いて,経口摂取の継続を検討するものの「肺炎や窒息の危険があるため」としたのが61%,「家族の意思が不統一である」が56%だった。また,AHNを差し控えることについて51%が,行うことに33%が「倫理的に問題がある」と感じ,45%が「判断基準が分からない」ことを挙げた。同氏は「AHN導入に際しては,やはり困難な場面に直面しているとの率直な思いが表れているのではないか。難しい判断を迫られているというのが現実だろう」との見方を示し,判断責任全般が医師に帰する現状に警鐘を鳴らす。

 選択肢の示し方が治療の今後を大きく左右するが,摂食困難な患者の家族に胃瘻を「ほとんど常に示す」とした医師は53%で,末梢点滴も同様,経鼻経管は44%だった。一方,可能な限り経口摂取で対応し,AHNは行わないという選択肢をほぼ毎回示す医師は34%で,状況に応じて示す選択肢を選ぶ傾向にあった。

 いったんAHNを導入したものの,中止に至るケースも少なくない。AHN導入後の中止経験を尋ねたところ,44%が「ある」と回答した。その理由(複数回答)には,下痢や肺炎などの医学的理由が68%と最多で,43%は家族の希望によって中止を決断した経験を有していた。ほかには医師としてAHN継続は患者の苦痛を長引かせてしまうことから中止を判断したのが23%,医療チームとしての判断が21%だった。また,AHN継続が患者の尊厳を侵害するとして医師個人で中止を決めたのが14%,医療チームとしては13%に上り,AHN導入後も患者のために葛藤している状況が浮き彫りになった。

 導入後のAHN中止に対し,心配材料も少なくない。経験者にAHN中止で想定される問題を尋ねると,33%が「マスコミが騒ぐ」と答え,事件に発展しかねない風潮に懸念を感じていた。次いで29%が「法的に問題がある」,21%が「倫理的に問題がある」と考えていた。

末期のAHN差し控えは「緩和ケア」

 AHNは食事の代替であるため,差し控えは餓死させることに相当すると考える医療者もいる。しかし会田氏によると,末期の認知症患者にAHNを導入しないことは,生理学的に緩和ケアの作用をもたらすと指摘する論文もある(Printz 1988,Sullivan 1993,Ahronheim 1996,植村 2000)。それらによると,患者にとって苦痛の少ない最期のためには「AHNは不要」であり,「AHNの差し控え,中止は倫理的に妥当」である。同氏は「AHNを必要とする患者の大半は,時間がたつほど意思表示や経口摂取ができなくなる。そうなる前に,人生の最期の段階をどのように生きたいか,患者を中心に話し合っておくことが大切」と話す。

 同氏は「患者本人と家族が,本人にとって最善の人生の終え方を緩やかに導き出せる意思決定のガイドラインが必要」と提唱する。実際,日本老年医学会のワーキンググループは患者本人と家族のより良い終末期の選択を手助けする「意思決定プロセスノート」の試作版を作成している。同氏は「医師側だけに最期の選択を任せていてはいけない」と述べ,終末期の在り方を考える医療者の学会や委員会に,患者側も加えるべきとの考えを示した。

 終末期における自律尊重の姿勢が強い米国では,医師など専門家には情報提供を求める程度で,決めるのは本人かその代理人という傾向があるという。しかし,同氏は「この方法は日本にはなじまない。日本人は医療者にも一緒に考えてもらいたいとの思いが強いため,専門家がサポートする形で合議を進め,じっくりと合意を形成する仕組みが求められる」と指摘している。

メディカルトリビューン 2011年9月8日

尊厳死=Living Will(LW)の普及運動は患者の人権尊重の運動
大田 満夫 国立病院機構九州がんセンター(福岡市)名誉院長/日本尊厳死協会副理事長

 20世紀後半の医学医療の進歩はめざましく,人工呼吸器,人工透析,化学療法,栄養補給などの延命治療も大いに発達しました。そのため治る見込みの失われた終末期の患者が,安らかに自然死をしたいというささやかな希望をも無視され,辛い延命措置で苦しむ状況が生じてきました。疼痛対策の進歩により,末期がん患者でも肉体的痛みのために安楽死を考える必要はなくなってきました。ただ日本のがん患者の一部が,いまだに痛みで苦しんでいる現実は医師の怠慢や未熟によるもので悲しいことです。

 インフォームド・コンセント(IC)がないと,検査も治療もできない医療環境となり,安楽死事件の判決も患者の自己決定を最優先する方向に進んでおり,LWを登録する日本尊厳死協会の会員は12万5千人になっています。それでも日本国民の千分の1に過ぎません。

尊厳死とは何ですか?

 尊厳死とは,不治で末期の患者が本人の意思に従い,生命維持措置による延命治療を断りますが,痛みの除去などの十分な緩和ケアを受け,人としての尊厳を保ちつつ,安らかに自然死を遂げることです。日本尊厳死協会は,死を早める積極的安楽死や自殺幇助を尊厳死とは考えていません。人工呼吸器や人工透析などの延命措置の中止は,一見死期を早める行為となり得るため,違法と考える医師も多く,尊厳死に原則賛成であっても,中止するのをためらう医師は少なくありません。当協会は,延命措置なしには生きられない状態は終末期と考えており,延命措置の中止や差し控えは,患者に尊厳死希望の意思さえあれば,殺人や積極的安楽死とは根本的に異なると考えます。

 次に植物状態患者への対応が問題です。持続的植物状態とは,医学的には遷延性の意識障害をいい,3か月以上の治療にも拘らず,意思の疎通,自力運動,自力摂食が不可能で,尿便は失禁状態,眼球は動いても意識できない状態にあることですが,死は迫ってはいない状況も多いのです。日本では,脳卒中や外傷,交通事故,あるいは脳の手術後などに植物状態に陥る人も多く,大病院で3千人,一般医療施設まで全国的にみれば3万人位いると推定されます。

 日本学術会議もかような長期生存の植物状態患者に対する対応は,医療倫理上,社会経済的にも避けて通れぬ重要な問題として,「死と医療特別委員会」を設置して検討し,1994年に植物状態患者の医療中止の3条件を出しました。(1)患者が回復不能の状態にある,(2)意識のあった時に,患者が尊厳死希望の意思を表明,(3)延命治療の中止は担当医が行う,でした。終末期医療の対象に植物状態患者を是非とりあげて欲しいのです。世界のLWをみても,殆どすべての国でとりあげています。

尊厳死の法制化運動

 日本尊厳死協会の考えを込めた法律要綱案は,2003年の暮に坂口力厚生労働大臣に提出されました。しかし立法には,内閣提出法案と議員提出法案の2つがあり,当協会は議員立法をめざしました。超党派の「尊厳死法制化を考える議員連盟」(中山太郎初代会長)が立ち上がりました。生命倫理が絡む立法は,倫理観に基づく考え方が多岐にわたるので,国民的合意の形成が大切です。議員連盟は2005年より2007年まで9回の議員総会で関係団体からヒアリングを行いました。日本医師会,日本弁護士連合会,全日本病院協会,各宗教団体(仏教,キリスト教,神道など),日本救急医学会などの十数団体の代表が出席して尊厳死立法に賛否の意見を陳述されました。

 議員連盟も全国会議員に「尊厳死の選択について」のアンケートを行いました。回答は111名で,多くが「延命措置をしない選択」,「医師の免責」を認めていましたが,家族の反対の場合には答えが三分しました。これらを踏まえて議員連盟は,2007年の議連総会で「臨死状態における延命措置中止に関する法律要綱」案を発表しました。植物状態には色々問題があるので外されました。この議連の臨死状態での法律要綱案の主な骨子は,(1)患者の意思に基づく延命措置中止の手続き等を規定し,中止等の適切な実施に資する,(2)患者が延命措置中止の意思を文書で示し,2人以上の医師が「臨死状態」と判定すれば,栄養・水分補給を含む延命措置を中止できる,でした。

 しかし,この議連の要綱案は,日本医師会と日弁連の意見書でストップしました。日本医師会の意見は「尊厳死法制化に国民的合意が得られているかは甚だ疑問。このような状況での法制化は医療現場の混乱を招く」でした。日本尊厳死協会は,尊厳死の条件がそろっていれば,医師は免責されるように努力しているのです。最近の大きな安楽死事件は殆ど内部告発によるものです。また私共の主張は,終末期に尊厳死をしたいと考える人の権利・主張を守って欲しいだけで,延命治療を受けたい患者はどうぞ最大限受けたらよいのです。

メディカルトリビューン 2011年9月22日

東日本大震災で感じた“ゆがみ”解消の一助のために
終末期医療に関する本人の意思確認カードを作りました
加納三代(慶応義塾大学SFC研究所上席所員(訪問)、精神保健福祉士、社会福祉士)

 脳梗塞などでいわゆる植物状態となり、物言わぬまま横たわる患者さんを前にして、「この方は果たして今の状態を本当に望んでいるのだろうか」と、臨床医なら誰しも一度は自問したことがあると思います。自らの意思を示せなくなった場合に備えて、あらかじめ医療に対するリクエストを明らかにしておいてほしい。私の夫は宮城県の内陸部のある病院に勤務しているのですが、東日本大震災を体験して改めてその重要性を痛感しました。

 災害時には、日頃表に出ない“ゆがみ”が顕在化します。避難所に身を寄せていた方が、寒さや慣れない環境のためにみるみる体調を崩し、夫の勤務先にも次々と搬送されてきましたが、その多くは、脳卒中の後遺症や認知症で寝たきりとなり、意思の疎通ができない高齢者でした。避難所の救護班からの紹介状には「津波で一家9人が流され行方不明」「本人はこの家で唯一の生存者」などと書かれてありました。胸が痛みましたが、何より困ったのは、家族がいなくなったために、患者さん自身の希望や意思の情報が入手できなくなっていたことです。

退院患者を引き受けない病院、家族

 次々に送られてくる患者さんを受け入れるためには、状態が落ち着いた患者さんから順々に退院させる必要があります。といっても、近くの病院や介護施設はどこも被災者で満員でしたし、たまたま見つかった施設からも「手がかかるから胃ろうにして」とか、「貴重な療養病床を提供するのだから、収益が上がるように気管切開や中心静脈栄養などで医療区分を高くしてくれたら受ける」など、厳しい条件を示されることもあったのです。また、夫の勤務先の事例ではありませんが、今回の震災後には下記のような話をよく耳にしました。

(1)家族と連絡が途絶えた

 介護施設が全壊して避難したものの食事を摂れなくなり、体調を崩して入院した、認知症のある方のケースです。意思の疎通ができないので、対処方針を相談するために家族をやっとのことで発見。しかし、「避難所で体調を崩した」「車が流されて交通手段がない」などと、面談の日をずるずると延期されてしまいました。電話で来院を催促したところ、「そもそも延命治療なんかこの人は望んでいない」と吐き捨てるように言われて音信不通に。果たして本人の意思がそのとおりなのか確認できないので治療の中止もできず、家族とコンタクトできないために病院からの行き先も決まらず、長期入院を余儀なくされてしまいました。

(2)医療費が無料なので病院から引き取らない

 病状が安定した慢性疾患の患者さんの話です。「入院して医療を受ける必要性がなくなったので退院です」と伝えたところ、本人も家族と暮らせることを楽しみにしていました。しかし、家族が「家が水をかぶったので行き場がない。介護施設だと病院並みのケアが受けられるか心配。このまま入院させてほしい」と譲りません。ところが看護師に話を聞いたところ、家族の本音は『月額20万円の障害年金が入ってくるし、身体障害者1級で医療費は無料なので、病院にこのまま入れておいた方が面倒がない』とのこと。自宅も床下浸水にとどまっており、家族は普通に生活しているそうでした。本人の希望などお構いなしです。退院調整も不発に終わったため、結局先が見えないまま病院にとどまることになり、本人は塞ぎこんでしまいました。

(3)世間体から家に引き取らない家族

 余命がわずかな患者さんについて、「最期は家で過ごしたいと言っていたから」と奥さんが自宅に連れて帰ろうとしました。ところが駆けつけた親族から「家で死なせたらご近所様に笑われる」「病院で逝かせてやるのが幸せだ」「家で亡くなって検視にでもなったら警察が来る。パトカーが停まってるなんて格好がつかない」などと押し切られて断念せざるを得ませんでした。奥さんが「嫁の話なんかだれも聞き入れてくれない。本人が書類で希望を残してくれていたら違ったのかな」とぽつりとこぼしたそうです。

終末期の意思表示の位置付けのあいまいさ

 今回の震災を通じて私たちは、「安定した日常も突如として終わる」ことを身を持って知りました。また、突然襲ってくる自然災害によって医療機関や家族から見放されてしまう可能性があることも悟りました。だからこそ、「治療によって回復が見込めなくなったとき、自分はどのように医療を行ってほしいのか」という意思を、形として残しておく必要性を痛感したのです。

ドナーカードを模した「終末期医療意思表示カード」(表面)。

 理想主義だと笑われるかもしれませんが、医療は患者さんの希望を叶えるためのものだと私たち夫婦は考えています。自分で意思表示ができなくなった時に、医療機関や介護施設、家族や他人の都合で生かされることを望まず、「自分の最期ぐらいは自分の意思で決めたい」という患者さんの想いがあれば、尊重されるべきでしょう。

 裏面。療養場所のほか、延命に関連する9点について、希望を記載できるようにした。サイズは一般的な名刺と同じ。

 私たち夫婦のそんな思いを形にしたのが、臓器提供の意思を表すドナーカードを模した「終末期医療意思表示カード」です。もちろん、終末期医療について希望を伝えるための書類は、ネットを探せばいくらでも見つかります。ただ、無料で簡単に書け、携帯できるタイプは発見できませんでした。今回作ったカードならば、サインをして丸を付けるだけで最低限の意思が表示できますし、気が変わったらいつでも書き直せます。ただ、高齢者にとっては字が小さいかもしれませんし、紙幅の関係で個々の医療行為についての説明もありません。内容についても十分練られていない面もありますが、もしもの時のことを家族でよく話し合っていただくための素材にはなると思います。

日経メディカル オンライン 2011年11月8日

今さらながらの死生観(前編)
「死」を知らない医師
 私の受け持ち患者が、不本意にも次々に亡くなられていく。筋萎縮性側索硬化症(ALS)で人工呼吸器の装着を希望しなかった患者、パーキンソン病で終末期を迎えた患者、若年性アルツハイマー病を苦に自殺した患者、難治性てんかんに胆嚢炎を合併し播種性血管内凝固症候群(DIC)を併発した患者…。

 永遠に尽きることのない「死」について、医師として人間として延々と繰り返している自問自答の一端を紹介したい。

 いわゆる“死生観”に、正解はもちろんない。100人寄れば100通りの回答があることも十分承知しているが、私のような仕事をしていると、個々の“人の死”というものに迅速に反応する一方で、どのような死も画一的に扱いたくなりがちだ。シビアに死を見つめようとする一方で、頭の中だけで軽率に解釈してしまう。

 正直なことを言えば、私はこのような仕事をずっとしているわりには、死がどういうものかをいまだに理解していない。恥ずかしいことだが、死の対処の仕方を知らない。

 医師として、生死を判断し、死亡宣告はできる。しかし、自死志願者に対して何を言ってあげたらいいか分からないし、天に召されようとしている人に何をしてあげたらいいか、まったく思考は追いつかない。

 つまり、私は“職業的医術師”というだけであって、感覚的には死を遠ざけている。人間の死を理解した医師という“人間的死術医”(勝手に私が創った言葉だが)とは、ほど遠い。

 当たり前だが、人の数だけ「死」がある。今後、死は確実に、そして大幅にその数を増やし、存在感を肥大化させていく。近い将来、日本人の2人に1人は癌で死亡するようになるといわれている(心筋梗塞はその半分で、脳卒中は半分弱)。

 それが何を意味するかといえば、「緩やかに確実に進行する病が急増し、それに伴いはっきり予見できる死が増える」ということである。さらに、余命もかなりの精度で算出可能になる。人々の切望している“正確な情報”が、医療の分野にも浸透してきた代償である。

 私たち医師は、「個人の尊厳の尊重」という名目の下、多分に「聞いていなかった」というトラブル回避のため、告知や余命などの情報開示に躍起になっている。「お医者様にお任せいたします」は「患者様がお決めください」へと主客が変換し、「癌という病名さえ告げられなかった」ものが、「癌で5年生存率は10%です」などと告げられるようになった。そして結局、手立てがなくなれば、「悔いのない人生を過ごしていただくために、病気と向き合ってください」と言い放つ。

科学は死を癒やさない

 当たり前のこととして勘違いしていけないのは、「どれほど科学が進化・発展しようとも、死を克服することはできない」ということである。

 医学は科学から成り立っているが、医療という技術は経験を拠り所とした仮説である。「目的が違う」と言われれば、その通りかもしれないが、臓器移植や再生医療、ゲノム情報の利用といった先端医療が、人の死を変質させることはない。さらに言うなら、長寿の秘訣や生きがいが強調されればされるほど、死に直面したときの安息は得られにくい。

 脳という臓器は、精神活動や運動、知覚を司り、ものごとを記憶して再生する。人間の知性と感性は脳によって支配されている。だから、私たち脳・神経内科医は「脳は唯一移植できない臓器である」と誇らしげに語る。しかし、裏を返せば、死んでしまえば誰も引き取り手のない、ましてや他者の中で生きることもない臓器ということである。

日経メディカル オンライン 2011年11月9日

医療の未来を見据えた100歳の提言
聖路加国際病院 日野原 重明 理事長
 昨年10月に満100歳の誕生日を迎え,なお現役医師として臨床現場に立ち,講演,執筆など幅広いジャンルでの活躍で知られる聖路加国際病院(東京都) の日野原重明理事長。今は新しい10年先に向かうスタートラインに立った心境という。早くから予防医学の重要性を説き,「成人病」に代わる「生活習慣病」 という新しい言葉を提案。また,ターミナルケアの普及にも尽力するなど,日本の医学の発展に寄与してきた。そこで,時代を見つめてきた“人生の達人”に, 高齢社会との向き合い方,医療の将来像,人生の哲学を披露願った。

文化・伝統の継承と医療情報の提供の両面から貢献を果たす

─理事長は100歳を過ぎた今も,現役の医師としてエネルギッシュに活動を続けておられます。時代の証言者の立場から,豊かに老いることの意味,長寿・高齢化社会を迎える日本の未来像についてお話しいただけますか。

 現在,日本にいる100歳以上の高齢者の数は3万9,000人を上回ります。半世紀前は,たかだか100人にも満たなかったのに,今では世界で最も長寿 の人が多い。全体の8割を女性が占め,男性は2割にとどまっている。全体の半分は要介護者で,自立ができていないのですね。これでは困りますから,生き生 きとした高齢者を育成する必要がある。遠からず韓国が,次に中国が人口の高齢化に直面します。一歩先んじた日本は,高齢化に向けて上手に対応しなくてはな りません。

─具体的にはどのような方策がありますか。

 10年前,(財)ライフ・プランニング・センターに設立した「新老人の会」は,75歳以上のシニア会員,74歳以下のジュニア会員,20〜60歳までの サポート会員を合わせ,1万1,000人の会員を超えるまでになりました。国内の39カ所に加え,ハワイやメキシコにも支部があって,会員は日本の文化や 習慣,戦争体験を次の世代に伝える一方で,身心両面の健康情報を提供し,医学・医療の進歩に貢献するヘルス・リサーチ・ボランティアの役割も受け持ってい ます。会員同士の勉強会,趣味やスポーツのサークル活動も盛んで,10月16日に三重で開催したジャンボリーには8,000人が参加しました。そこでは, わたしの100歳の誕生日を祝って150人もの会員がフラダンスを披露してくれました。

 やはり,いろいろな活動を積極的に行うことで,幸福感も高まって,健康状態も良くなると思います。できるだけ多くの人が幸福感を持って暮らしてほしいものです。

「いのちの授業」を通じ,小学生たちとエネルギーをやりとり

─診療,講演,執筆など,多忙な生活を送られていますが,その元気の秘訣はどこにあるのですか。

 おっしゃる通り,わたしの1日は,会議や打ち合わせ,面談,病棟回診,講演,原稿執筆などで午前中から夜までスケジュールはいっぱいです。しかし,わた しには疲れというか,倦怠感がない。朝は爽やかに目覚める。けれども,100歳になったのを機に,深夜まで原稿を書くのをやめ,12時には床に就こうと決 めました。また,わたしはここ5年ほど10日に1回のペースで各地の小学校に出かけ,「いのちの授業」に取り組んでいます。子供たちに「君たちの命はどこ にあるの」と聞くと,たいていは心臓に手を当てる。心臓は酸素と栄養を持った血液を脳や手足や内臓に送るポンプであって,命ではない。命は目に見えない。 君たちが持っている時間も目に見えないし,触れることもできない。時間と命は似ていて,君たちにはそれが使える。小さいうちは自分のためにだけ時間を使っ てもよいけれど,大きくなったら何に使うか考えなくてはならない。そういうふうに自分の時間をどう使っていくかということが,生きているということなのだ と説明すると,彼らはちゃんと理解してくれるのですね。5年前の著書『十歳のきみへ−九十五歳のわたしから』が英語,中国語に訳出されて以来,海外の子供 たちからも素晴らしい感性にあふれた手紙が届くようになりました。これから大人になる世代が命の意味を知り,世界に平和をもたらす先駆者になる,それがわ たしにとってのゴールです。わたしは教室で子供たちと接することによって,子供たちからたくさんエネルギーをもらっているわけです。

─65歳以上の年代のがんの罹患率は今や2人に1人といわれています。先生は早くからターミナルケアの重要性を指摘しておられましたが。

 医学の限界を知り,死を安らかに迎えるための医療が必要だという考えの下,ターミナルケアに力を入れてきました。1993年に富士山を望む神奈川県中井町に日本初の独立型ホスピスとしてピースハウス病院を設立しました。

 ターミナルケアは,大きく変わりましたね。少し前までは末期のがん患者の身体的な痛みや苦しみを取り除き,気持ちを落ち着かせ,静かに人生の終わりを迎 えてもらおうという考え方が主流でした。しかし,最近では,最先端の放射線治療などが登場し,かつては治療法もなく亡くなっていた患者さんを数カ月〜数 年,延命させられるケースも見られるようになってきました。例えば,先日亡くなった米国アップル社の創業者の1人,スティーブ・ジョブズ氏にしても,膵臓 がんの切除手術から始まって肝臓を移植し,あれこれ手を尽くして8年間持ちこたえました。効果的なメソッドが使えるのに,この流れに背を向ける理由はあり ません。ホスピスケアでも治療をあきらめさせる代わりに,「いくつか方法はありますよ,それを使いましょうか」と提案する機会が増えました。

ナースプラクティショナリーが導くプライマリケアの進化

─日本の医療の将来像について,どのような考えをお持ちですか。

 医療テクノロジーこそ進歩したものの,医療制度はこの数十年,ほとんど進展がない。麻酔科,産科,小児科の医師不足が解消される気配もありません。医師 だけに許された診断や治療といった医療行為がナースにも可能なら,事態は一変するはずです。医師の仕事とナースの仕事は3分の2が重なり合う。X線技師や 検査技師などの仕事も同様です。そうしたオーバーラップした仕事を互いに分担し,協力しながら対応するチーム医療こそが望ましい。米国やカナダは40年も 前にナース麻酔師(Nurse Anesthetists)が専門医の監督の下,独立して麻酔を行う体制を整えていて,現在では米国で実施される手術のうち約8割でその人たちが活躍して います。そこで,聖路加看護大学大学院の修士課程にこれまでの助産師に加え,麻酔師の養成コースを設置する計画を立てました。また,50年前から指摘し続 けてきたように,日本のプライマリケアは海外に比べ,かなり遅れている。特にへき地では限られた医療機関に患者が集中し,十分な医療サービスができなく なっているばかりか,配属された医師も数年を経ずして交代してしまう。その打開に向け,なるべく早いうちにプライマリケアに従事できるナースプラクティ ショナーをつくりたい。人口3万人ぐらいの自治体を対象に,スーパーバイザー役の医師と協力して実績を積み上げていくつもりです。医学界をはじめ反対は多 いでしょうけれど,地域住民には味方になってもらえるものと確信しています。

「寿命が続く限り,全力で生きる」をモットーに

─長年,支えとなってこられた奥様の認知症,さらに急な病に直面し,葛藤されるご様子が電波に乗り,多くの共感を呼びました。奥様への接し方で心がけていらっしゃる点をお聞かせください。

 本当に死というものを身近に感じました。家内とは68年前に結婚して以来,良き伴侶であり,3人の息子を育て上げた良き母,そしてわたしの仕事をサポー トしてくれる献身的な秘書でした。今は92歳になりますが,20年前に右の肺に早期のがんが見つかって切除している。左の方の肺も気胸を患ったせいで呼吸 機能が低下していた。脳が酸素不足に陥って認知力が落ち,言葉を出せなかったのですね。けれども,酸素を補ったらコミュニケーションが戻ってきました。 100歳と92歳という高齢の夫婦ですし,お互いの寿命があるから,いつ死ぬか分からないと覚悟し,与えられた今日を全力投球して生きよう,それがわたし の人生論です。生きがいを持ってとにかく精一杯やってみる。「上を向いて歩こう」というあの歌がわたしは好きですね。

メディカルトリビューン 2012年1月5日

余命1年未満患者への薬剤の致死量処方を提言,英自殺幇助委員会
法令化求め枠組みを提示
 英国の自殺幇助に関する委員会Commision on Assisted Dyingが,余命1年未満の末期患者を対象に本人が希望した場合には医師が薬剤の致死量処方を可能にする提言を行ったとして,CMAJのFor the record欄が取り上げた(CMAJ 2012年1月12日オンライン版)。同委員会は安楽死や自殺幇助の合法化の必要性を訴えるとともに,明確な枠組みを提示しているという。

“適用患者評価は医師2人以上で”“最終作業は患者本人が”

 CMAJによると,これまでもたびたび議論されてきた末期患者の安楽死や自殺幇助をめぐる問題に対して,同委員会の報告書は「今なお自殺幇助は,それを 求める人や,求められる可能性に対してプレッシャーを感じている人にとって,安全策が講じられていない」と問題視し,「現行の法律および政策は末期患者と 医療者にとって不当である」と批判した。

 そこで同報告書では,余命1年未満の末期患者を対象に,安楽死を希望する場合は医師が薬剤の致死量処方を許可する法律を策定すべきと主張。主に次のような自殺幇助に関する法令の枠組みを提示した。

 明確に定義された患者の適用基準を設ける(2人以上の依存関係のない医師が評価)
 可能であれば患者をよく知っている医師が処方し,患者と家族をサポートする
 薬剤の致死量処方は, 不正使用や盗難から可能な限り安全に管理する
 自殺幇助を希望するのは治療に関する選択肢の説明を受けた患者とする
 自殺幇助を希望する患者本人が自身の命を絶つための最終作業を行う

 2人以上の医師が評価する患者の適用基準については,(1)症状が進行性で治癒不可能であり,今後12カ月以内の死亡が見込まれる末期状態,(2)他者 からの強要ではなく,患者本人の自発的な意志による希望であることの証明,(3)患者本人が情報に基づく選択が可能な精神状態 を挙げた。

 さらに,医師に対して,自殺幇助を希望する患者が時宜にかなった処方(最短2週間。ただし,余命1カ月以内では最短6日)を受けられるよう,細心の注意を払いながらも,迅速に対応すべきとしている。

 なお,同報告書では,英国立臨床評価研究所(NICE)が自殺幇助における薬剤の致死量処方について手引き書を作成することを要請している。

メディカルトリビューン 2012年1月16日

中央社会保険医療協議会
緩和ケア病棟、「評価機構」の認定なくても可
チームによる「外来放射線照射診療料」も新設
 中央社会保険医療協議会総会(会長:森田朗・東京大学大学院法学政治学研究科教授)が1月30日に開催され、1月27日に続き、「個別改定項目について(その2)」を議論した(資料は、厚労省のホームページに掲載)。

 30日の総会で、最も活発な議論が展開されたのが、緩和ケア病棟の施設基準の見直しだ。現在は「がん治療連携の拠点となる病院もしくはそれに準じる病院 であること、または財団法人日本医療機能評価機構等が行う医療機能評価を受けていること」という要件があるが、これを削除し、医師の人員基準をはじめ、他 の施設基準を満たす病棟であれば、「緩和ケア病棟入院料」や「緩和ケア診療加算」が算定できる案を示した。緩和ケアの推進が目的だ。

 全日本病院協会会長の西澤寛俊氏は、「緩和ケア病棟の対象となる医療機関を増やすことはいいが、第三者の評価は大事なので、何らかの形で残せないか」と 提案。連合総合政策局長の花井圭子氏は、「第三者機構の評価を受ける要件を残してほしい。日本の医療を客観的に評価しているのは、この機構であり、患者が 医療機関を探す時に役立つ。評価を受けることをむしろ推進する立場に立つべきであって、(認定の)ハードルが高いからと言って削除するのは、患者の視点に 欠けている」と述べ、要件を残すよう強く求めた。

 一方、国立がん研究センター理事長の嘉山孝正氏は、「日本医療機能評価機構ががんのことを評価できるとは思っていない」と指摘、緩和ケア病棟のそれ以外の施設基準で質は担保できるとした。

 そのほか、様々な意見があったが、厚労省保険局医療課長の鈴木康裕氏は、「緩和ケア病棟の施設基準に限らず、第三者評価は重要だが、認定病院等に限定し ていることが、緩和ケア病棟の数を限定している要因になっている」と説明、結局、「認定に準じる病院」との表現を加え、「がん治療連携の拠点となる病院も しくはそれに準じる病院であること、または財団法人日本医療機能評価機構等が行う医療機能評価を受けていることもしくはそれに準じる病院であること」とい う解釈に幅を持たせる表現に落ち着いた。

 緩和ケアをはじめ、がん診療関連は、「充実が求められる分野」、つまり点数の引き上げが予定されている分野。外来緩和ケアも、専門の医師を配置する場合の点数がアップするほか、医療用麻薬の4剤について、処方日数の制限を14日から30日に緩和するなどの改定を行う。

 さらに、放射線治療推進のため、「外来放射線照射診療料」を創設。放射線治療医不足の現状を踏まえ、医師が毎回診察しなくても、医師の指示で看護師や診療放射線技師等がチームで毎回観察することで放射線照射を実施する体制について、点数を新設する。

 がん関連の主な改定項目は以下の通り。

◆緩和ケアの推進
・緩和ケア病棟および緩和ケア診療加算の施設基準の変更(算定対象は、「がん治療連携の拠点となる病院もしくはそれに準じる病院であること、または財団法人日本医療機能評価機構等が行う医療機能評価を受けていることもしくはそれに準じる病院であること」に)。
・小児緩和ケア推進のため、「がん性疼痛緩和指導料」、「緩和ケア診療加算」、「外来緩和ケア管理料」を新設。
・「がん性疼痛緩和指導管理料」について、緩和ケアの経験を有する医師が指導管理を行った場合を新たに評価。
・コデイン(内用)、ジヒドロコデイン(内用)、フェンタニル(注射剤)、フェンタニル(経皮吸収型製剤)の4製剤の医療用麻薬について、処方日数を14日から30日に緩和。 

◆がんの診療連携の充実
・「がん診療連携拠点病院加算」は、がん患者だけでなく、「がんの疑い」の患者の紹介の場合も算定可能に。
・がん診療連携拠点病院において、紹介患者が入院に至らず、外来化学療法等を受けた場合の「がん治療連携管理料」を新設。
・「がん治療連携計画策定料」は、「入院中に策定」した場合に算定が可能だったが、「入院中または退院から30日以内」に策定した場合、「計画の変更」を行った場合でも算定可能に。
・「リンパ浮腫指導管理料」は、手術を実施した医療機関だけでなく、それ以外の医療機関で2度目の指導を受けた場合も算定可能に。
・「がん患者カウンセリング料」は、転院を受け入れる医療機関でも算定可能に。 

◆「外来放射線照射診療料」の新設
・外来放射線照射実施計画に基づき、1週間におおむね5日間の放射線照射を受ける患者に対し、医師の指示による看護師や診療放射線技師等のチームによる毎回の観察を評価。
・放射線治療医(放射線治療の経験5年以上)が勤務している、専従の看護師と診療放射線技師がそれぞれ1人以上勤務していることなどが要件。

◆小児入院医療管理料における放射線治療の評価
・小児入院医療管理料の包括範囲から、放射線治療を除外。

m3.com 2012年1月30日

韓国の「臨終の質」は世界32位
 慶尚北道(キョンサンブクド)のユンさん(66)は昨年1月末、腎臓がんという診断を受けた。ソウルの病院で抗がん治療と放射線治療を受けたが、効果は なかった。家族と連絡が途絶えて久しく、一人で苦労しながら過ごしていたが、寒くなり始めた昨年10月、知人の助けを受けて首都圏の療養院に移った。療養 院側は鎮痛剤を与えているが、末期患者を管理する専門家ではないため、痛みを調節するのが容易でない。

 2010年にがんで死亡した人は7万2046人。末期がん患者に最も必要なサービスは痛みの調節だ。抗がん治療はそれほど意味がない。痛みを調節しなが ら人生を整理することが重要だ。専門家の相談を受けたり、瞑想・ヨガなどで心理的な安定を維持しなければならない。こうしたサービスを緩和医療(ホスピ ス)という。

 末期がん患者のうち緩和医療を受ける人は9%にすぎない。ユンさんのようにきちんとした医療サービスを受けられない人は32.4%にのぼる。40.7% は高麗人参やキノコ類などの食事療法や代替医療に頼っている。国立がんセンターががん死亡者の遺族1664人をアンケート調査した結果だ。

 末期がん緩和医療サービスは全国44機関(725病床)で提供している。国立がんセンターホスピス緩和医療事業課のチェ・ジンヨン研究員は「緩和医療先 進国の英国は人口100万人当たり50病床を保有する」とし「この基準を適用すれば韓国では2500病床が必要となるが、現在はまだ29%しかない」と指 摘した。

 ソウル大病院の許大錫(ホ・テソク)教授(血液腫瘍内科)は「病床が不足しているうえ、現在も延命治療を好む雰囲気があり、‘死の質’が落ちる」と述べ た。末期がん患者の痛みの管理には麻薬性鎮痛剤が使われる。世界保健機関(WHO)によると、韓国国民1人当たりのモルヒネ使用量は1.2ミリグラムで世 界62位。1位のオーストリアは153.4ミリグラムだ。ソウル大病院の許教授は「麻薬性鎮痛剤はほとんど末期がん患者が使うが、使用量が少ないというの は患者がそれだけ苦痛を受けて亡くなっているということ」と話した。

 シンガポール慈善団体のリン財団によると、韓国の「臨終の質」は世界32位という。保健福祉部は今年、全国44カ所の緩和医療専門機関に23億ウォン (約1億7000万円)を支援することにした。亜洲(アジュ)大病院が追加された。来年は一般病院も要件を満たせば末期がん患者を対象に緩和医療ができる よう診療報酬点数を出す計画だ。

中央日報 2012年2月7日

終末医療―医師と一般人はなぜ選択が異なるのか
ケン・マーレイ
 何年も前、尊敬を集める整形外科医であり、私のメンターでもあるチャーリーは、胃に「塊」を見つけた。全米で最も良い外科医の1人は、それをすい臓ガン と診断した。その外科医は、患者の生活の質は低下するものの、5年生存率を3倍――5%から15%に――に引き上げられる手術を手掛けていた。

目を引くのは、医師が受ける治療の多さではなく、少なさだ

 しかし、68歳のチャーリーは、手術には見向きもしなかった。翌日、彼は帰宅し、診療をやめ、病院には二度と足を踏み入れなかった。家族と時間を過ごす ことに集中したのである。数カ月後、彼は家で亡くなった。彼は、化学療法も放射線治療も外科手術も受けなかった。メディケア(米高齢者向け医療保険制度) は彼の治療費にほとんど使われなかった。

 言いたくはないことではあるが、医者も死ぬ。ここでの彼らの特徴は、大半のアメリカ人より、いかに多くの治療を受けているかではなく、いかに「少ない か」である。医者は、病気の進行について正確に理解しており、どんな選択肢があるのかを知り、受けたいと思う治療はどんなものでもたいてい受けられる。し かし、どちらかといえば、医者の最期は静かで穏やかだ。

 医者が、一般の人よりも生に執着がないというわけではない。しかし、彼らは、近代医療の限界について家族と常日頃から話している。その時が来たら、大掛 かりな治療はしない、ということを確認したいのだ。たとえば彼らは、もう最期という時に、心肺蘇生救急(CPR)を施され、誰かに肋骨を折られたくはない (CPRの正しい処置で肋骨が折れることは十分にある)。

 医師が終末期の決断で何を望むかについて、ジョゼフ・J・ガロ氏らは、2003年に論文にまとめた。調査対象となった医師765人のうち、64%が、自 分が再起不能となった場合、救命の際に取るべき措置と取らない措置を具体的に指示していた。一般人の場合、こうした指示を行う人の割合はわずか20%だ。 (ご想像の通り、高齢の医者の方が若年の医者よりもこうした「取り決め」をする傾向にある。これは、ポーラ・レスター氏らの調査に示されている。)

 医者と患者の決断には、なぜこのような大きなギャップが存在するのか。これを考えるうえで、CPRのケースは参考になる。スーザン・ディーム氏らは、テ レビ番組で描かれているCPRについて調査を行った。それによると、テレビではCPRの件数の75%が成功し、67%の患者が帰宅できた。しかし、現実の 世界では、2010年の調査によると、9万5000件以上のCPRのうち、1カ月以上生存した患者は8%に過ぎなかった。このうち、ほぼ普通の生活を送る ことのできた患者はわずか3%だった。

 昔のように、医者が信ずるに従い、治療を行った時代とは異なり、今は患者の選択が基本だ。医師は、患者の意志をできるかぎり尊重しようとする。が、患者 に「あなたならどうしますか」と聞かれると、医師は答えるのを避けてしまうことがよくある。我々は、弱者に意見を強要したくない。

 その結果、むなしい「救命」治療を受ける人が増え、60年前よりも自宅で亡くなる人が減った。看護学のカレン・ケール教授は、「Moving Toward Peace: An Analysis of the Concept of a Good Death(安らぎへの動き:良い死という概念の分析)」という論文のなかで、美しい死というものの条件をいくつか挙げ、なかでも「やすらか」で「抑制さ れたもの」であり、「終わりを迎えたと感じ」、「回りの人々や家族がケアに関わっている」ことが重要だと指摘した。現代の病院は、こうした点をほとんど満 たしていない。

 患者は、終末医療について書き記すことにより、「どう死ぬか」について、はるかに多くをコントロールすることが可能だ。大半の人々は、税金から逃れるこ とはできないことはわかっているが、死は税金よりももっと辛い。アメリカ人の圧倒的多数が死の適切な「取り決め」をできないでいる。

 だが、そうともかぎらない。数年前、60歳の私の年上の従兄であるトーチ(彼は、懐中電灯の光をたよりに家で生まれた)が発作に襲われた。結局、それは 肺がんによるもので、もう脳に転移していることが判明した。週3〜5回、化学療法のための通院など、積極的な治療を行って、余命は4カ月ということだっ た。

 トーチは医者ではない。しかし、彼は、単に生きる長さではなく、生活の質を求めていた。最終的に、彼は治療を拒否し、脳の腫れを抑える薬だけを服用することにした。そして彼は私のところに引っ越してきた。

 その後8カ月間、それまでの数十年ではなかったと思うくらい、楽しい時間を一緒に過ごした。彼にとっては初めてのディズニーランドに行った。家でゆった りと過ごした。トーチはスポーツ好きだったので、スポーツ番組を観て私の手料理を食べるのが大好きだった。彼は、激しい痛みもなく、はつらつとしていた。

 ある日、彼は目を覚まさなかった。3日間、こん睡状態が続き、そして亡くなった。その8カ月間の彼の医療費は、服用していた1種類の薬だけで、20ドル程度だった。

 私自身について言えば、主治医が私の選択肢を記録している。そうすることは簡単なことだった。多くの医師にとってもそうだろう。大掛かりな治療はなし。やすらかに永眠する。私のメンター、チャーリーや従兄のトーチのように。また、数多くの私の医者仲間のように。

(筆者のケン・マーレイ医師は、南カリフォルニア大学の家庭医学の元臨床准教授。この記事は、ウェブサイトのソカロ・パブリック・スクエアに発表されたものを編集した)

ウォールストリートジャーナル日本版 2012年2月27日

第56回日本未熟児新生児学会
新生児医療 患児に最善の利益となる選択を
 新生児医療では,何が最善の利益となるのかを患児に代わり周囲が意思決定することになり,倫理的,法的,社会的な問題に直面することが少なくない。東京 都で開かれた第56回日本未熟児新生児学会(会長=東京女子医科大学母子総合医療センター・楠田聡教授)のワークショップ「新生児の声の代弁者」(座長= 早稲田大学先端科学・健康医療融合研究機構・河原直人研究院准教授・主任研究員,名古屋市立大学大学院新生児・小児医学分野・加藤稲子氏)では,家族支援 を行う現場の主治医,患児の家族,医事法制の研究者など多方面からの発表が行われた。

医療側と患者・家族の共同意思決定を
家族参加型のチーム医療が不可欠
法の過剰介入は避けるべき
子供には医療,親には子育て支援を

医療側と患者・家族の共同意思決定を

 母子愛育会総合母子保健センター愛育病院(東京都)新生児科の加部一彦部長は,新生児医療における意思決定の在り方について講演。「医療現場では依然と して医師から患者への一方的なコミュニケーションが行われているが,本当に必要なのは相互コミュニケーション。ガイドラインやマニュアルで安易に決定が急 がれることがないよう,十分な話し合いに基づく共同意思決定を行うことが重要」と訴えた。

相互コミュニケーションが重要

 加部部長はまず,インフォームド・コンセントについて(1)医療側からの適切な情報の開示(2)情報の患者による理解(3)患者の自己決定能力の確認 (4)患者が決定を行う際の自由意志・自発性の尊重(5)患者の同意〜の流れが必要であると説明。「インフォームド・コンセントを“取る”という言い方を する若い医師や研修医が多いが,本来の意味を十分に理解していないことが分かる。コミュニケーション能力が不十分な医療スタッフと,はっきり意思表示がで きない患者との間で,新たな“お任せ医療”が出現しているのではないか」と問題提起。さらに「ただ情報を分かりやすく伝えるだけでなく,医師と患者が情報 を共有し,相互理解を図ることが不可欠」と述べた。

 また,2004年3月に厚生労働省成育医療委託研究班が公表した「重篤な疾患を持つ新生児の医療をめぐる話し合いのガイドライン」に関して,「多職種の 参加を前面に打ち出した点が画期的。意思決定の結論よりもプロセスを共有することに意義があることが強調されている」と述べた。

 さらに医療スタッフと患者が共有する情報の中には,正しい医療情報だけでなく,医療ミスなど診療内容にかかわる事実や都合の悪いニュース,人生観や生命 感も含まれることを指摘。「双方向のコミュニケーションによる情報の共有が相互理解を生み,医療不信が払しょくされ,人を人として扱う温かな医療が実現す る。ガイドラインやマニュアルに頼る安易な意思決定を急ぐのではなく,現場での話し合いを支える環境づくりが重要」との見解を示した。

家族参加型のチーム医療が不可欠

 名古屋市立大学大学院新生児・小児医学分野の伊藤孝一氏は,重篤な疾患の代表的な存在である18トリソミーについて,最近10年間の同院新生児集中治療 室(NICU)での経験と,チーム医療での緩和医療の実践報告から「予後不良な疾患では家族参加型のチーム医療が不可欠」と述べた。
18トリソミーで緩和医療を選択

 伊藤氏は,18トリソミーの予後を調べるため,2001年1月〜10年12月の10年間に同院NICUに入院した18トリソミー19例(男児8例,女児 11例)を対象に後方視的に臨床経過を検討した。対象の概要は,平均在胎週数36.2週,平均出生体重1,615.4g,帝王切開率68.4%,院外出生 36.8%,出生直後の健康度を示すApgarスコアの中央値は1分3点,5分6点。手術施行は6例。生存率は1カ月80%,6カ月20%,1年10%。 生存退院率は32%であった。

 さらに同氏は,緩和医療を選択した18トリソミーに対して同院NICUが取り組んだチーム医療の実践例を報告した。

 症例は在胎37週で出生の女児。29週で羊水過多を指摘され,33週で同院産科を紹介された。羊水細胞染色体検査で18トリソミーと診断,両親,祖母, 新生児科医師,産科医師との話し合いの結果,「外科的な治療は望まないが内科的治療の範ちゅうで治療を希望する」との意向に基づき37週で経腟頭位自然分 娩にて出生。出生直後に母親に抱かれた後,気管内挿管されNICUへ入室,呼吸管理を開始した。肺炎を併発し,日齢79で死亡するまで,母親はほぼ毎日面 会に訪れ,人工呼吸管理下で抱っこや沐浴も行った。呼吸障害が進行し,肺炎も合併して厳しい状態の時期,チームで話し合い,病院屋上庭園への散歩を提案。 前日にはスタッフと一緒にてるてる坊主をつくって,晴天の下,医師,看護師が同伴して初めての屋外への散歩が実現した。家族は終始笑顔で写真やビデオ撮影 を行った。児が亡くなったのは,その3日後。家族は厳しい現状を受け止め,児とのかけがえのない時間を過ごすことができた。

 同氏は「予後不良な疾患の患児には家族参加型のチーム医療が不可欠。患児と家族がより充実した時間を過ごすために何ができるかを一緒に考えていくことも大事」と述べた。

法の過剰介入は避けるべき

 法律家の立場で発言した早稲田大学大学院法務研究科の甲斐克則教授は,小児の終末期医療について「子供の最善の利益を具現化するための判断は,ケースバイケースで対応せざるをえない。この領域で法が前面に出過ぎるべきではない」との考えを示した。

家族を含むチームで判断

 甲斐教授はここ数年の小児の終末期医療についての研究から,諸外国の取り組みについて報告した。米国医師会のルールでは(1)治療が成功する可能性 (2)治療の実施および不実施に関するリスク(3)治療が成功した場合に生命が延長される程度(4)治療に付随する痛み,不快さ(5)治療実施の場合と不 実施の場合に予想される新生児のQOL〜の5つが考慮されるべき項目として挙げられている。1989年に国連総会で採択された児童の権利に関する条約(日 本は1994年に批准)では,児童の最善の利益の重要性が指摘され,子供の最善の利益は家族の最善の利益から独立したものとして位置付けられている。世界 医師会オタワ宣言でも,子供の最善の利益が第一義に考慮されるべきこととされ,不必要な診断行為,処置および研究からすべての子供を擁護することとされて いる。

 小児のみとりを考える上では,家族の役割が重要となる。これについて,同教授は「両親の判断が子供に著しく不利益を与える場合など法的規制が介入せざるをえない場合もあるが,あまり法律が介入し過ぎない方がよいという立場をとっている」と述べた。

 重度障害新生児と延命処置の差し控え,中止に関しては「実際にはケースバイケースで判断せざるをえない。例えば治療を進めていくうちに状況が変化するこ とはいくらでもある。人工呼吸器を装着し,その後外したら殺人になるといった機械的な判断はすべきではない。治療を中止した医療者に刑を科すことは法の過 剰介入になると思う」との考えを示した。

 今後の日本でのルールづくりについては「両親を中心に,医師,看護師,法律家,生命倫理などの専門家が加わり,チームで慎重に判断していくことが大事。チームが決定したことを法は尊重するというスタンスが重要」と述べた。

子供には医療,親には子育て支援を

 患者家族の立場で講演した亀井智泉氏は,周産期のトラブルから植物状態になった長女を12年前に4歳で亡くした経験から,「長野県立こども病院では4年 間,医師,看護師,多くの人がチームでわが子の命を支え,わたしたちを親として育ててくれた。NICUは福祉の場でもある。子供には医療を,親には子育て 支援が必要」と述べた。

1人の人間としてかわいがってほしい

 亀井氏の長女・陽菜ちゃんは,周産期のトラブルから胎便吸引症候群による低酸素性虚血性脳症となり,出生直後から人工呼吸器を装着,家族を中心とした同 院のチームに支えられ4年間を生きた。亀井氏は毎日,搾乳して母乳を届け,ベッドサイドに寄り添った。スタッフは陽菜ちゃんを患児としてではなく,1人の 人間として心からかわいがった。

 亀井氏は「信頼するスタッフだったから苦しい情報でも受け止められ,親として逃げない主体性のある判断ができた。仁あるスタッフに支えられて幸せだった と思う」と当時を振り返った。また,重篤な新生児をケアする医療スタッフに対して「母親は,元気な子が産めずに母親失格だという自責の念にかられているこ とを知ってほしい。母親として何かがしたいという気持ちに応えてほしい」と,親がチームの一員として主体的にケアにかかわる環境づくりの必要性を強調。 「わが子が生きていることを共に喜び,たくさんかわいがってほしい。NICUは福祉の場でもある。子供には医療を,親には子育て支援が必要」と述べた。同 氏は陽菜ちゃんの入院中に次女を出産,現在は3人の娘に恵まれている。

メディカルトリビューン 2012年3月1日

第30回日本蘇生学会 招待講演
延命治療中止の医療倫理〜米国では患者の自己決定権は終末期医療にも適用される
 米国ではルーチンの医療行為として定着している人工呼吸器停止などの延命治療の中止だが,わが国では大きな議論となり,医師の刑事責任を問う事件にも発 展する。コラムニストの李啓充氏(元ハーバード大学助教授)は,同学会の招待講演で「日本は35年以上前の米国と酷似した状況」とし,米国に現在のルール が確立するまでの経緯を紹介した。

米国の歴史を変えた2つの裁判

 1975年10月,後に米国を揺るがすことになる裁判が始まった。遷延性植物状態となった21歳の女性カレン・クィンランの両親が娘の人工呼吸器を外す よう,訴訟を起こしたのだ。裁判は「呼吸器につながれてまで生かされ続けたくない」という元気だったころの娘の意思は,憲法で保障された「患者の自己決定 権」だとする両親に対し,「呼吸器外しは殺人で医療倫理にも反する。彼女の呼吸器を外すことは安楽死の合法化に道を開く」という主治医側の拒否の姿勢が争 点となった。当時は証言に立った医師たちも人工呼吸器外しにはこぞって反対する状況だった。

 一審判決(高等裁判所)は医師側の主張を認めたが,控訴の結果,州最高裁は歴史的な裁決を下した(1976年3月)。(1)命を守る義務と患者の自己決 定権の保護の優先度は,侵襲程度と予後のバランスで考えるべきであり,回復の見込みのない患者に対して,本人の意思に反する侵襲の大きな延命処置を続ける のは不合理(2)incompetentな患者の自己決定権も妨げられるべきでなく,本人をよく知る家族による意思の推定は合理的〜という理由の下,7人 の判事全員一致で「患者が治療を拒否する権利は憲法で保障されており,呼吸器を外す行為は殺人罪でない」という判決を下し,同時に医師を訴追の恐怖から解 放させる「倫理委員会」を病院内に設置することを推奨した。

 もう1つの大きな裁判が1988年3月に始まったクルーザン事件。交通事故の後遺症で植物状態となったナンシー・クルーザンの家族が事故後4年目に「経 管栄養の中止」を病院に申し入れたところ,「呼吸器外しの要請は受けるが,経腸栄養は外せない」と裁判となった。先のクィンラン判決後,呼吸器外しは全米 でルーチンとなっていたが,病院があるミズーリ州の州法では経管栄養は医療行為ではなく,中止は自己決定権の及ばない「違法」と定められていたほか,延命 中止の根拠となる本人の意思についても確実な証拠を求めていた。

 最終的に連邦最高裁に持ち込まれた同裁判は,州法を合憲とし,家族側の敗訴に終わったが,同時に(1)患者が治療を拒否する権利は憲法が保障した権利 (2)経管栄養も医療行為〜という画期的裁定が行われ,後のやり直し裁判につながった。判決後に「ナンシーは植物状態になり管につながれ生かされたくない と言っていた」という複数の証人が出現したことを受け,「明瞭かつ確固たる証拠」とし,1990年12月,州検認裁判所は経管栄養中止の命令を下し,ナン シーはその2週間後,絶命した。

安楽死・殺人と混同する矛盾

 李氏は以上を紹介した上で,「米国における議論は,終末期医療においていかに患者の権利を守るかに尽きる」と評し,会場に向けて1つの文を呈示した。「“治療”を開始しなかったり,中止した場合,確実に死ぬと分かっていても,患者には“治療”を拒否する権利がある」

 1982年8月,米ロサンゼルス郡検事局が,延命治療を中止した2人の医師を「殺人罪」で告発するという全米初の事例があった。2被告は術後,昏睡状態 となった患者の延命治療を家族の要請と同意の下に中止するという「当時地方医師会と法曹団体との協議の上で作成されたばかりのガイドラインに従った処置」 を行ったわけだが,一審公訴棄却,二審訴追妥当後の州控訴審(三審)は,告訴不当の裁定を下した。

メディカルトリビューン 2012年3月15日

延命措置の「不開始」で、医師を免責- 超党派議連が法案原案を提示
 超党派の国会議員でつくる「尊厳死法制化を考える議員連盟」(会長=増子輝彦・民主党参院議員)は3月22日に総会を開き、15歳以上の終末期患者が、 栄養や水分の補給を含む延命措置の「不開始」を希望する場合、医師が措置をしなくても、その法的責任を問わないとする「終末期の医療における患者の意思の 尊重に関する法律案」(仮称)の原案を示した。同議連は2005年に発足し、民主、自民、公明など与野党の国会議員112人が参加しているが、原案を出し たのは今回が初めて。

 同案は、書面などで患者の意思表示があることを前提に、2人以上の医師が、「行い得るすべての適切な治療を受けた場合でも、回復の可能性がなく、死期が 間近」と判定した場合に限り、担当医が延命措置を行わなくても構わないと明記。終末期患者の傷病の治療や疼痛の緩和については、「延命措置」の対象外とし たほか、現在行われている延命措置の中止は含まれない。

 医師の民事、刑事、行政上の責任は問わないとする一方、延命措置を始めない場合、医師は患者または家族に説明し、理解を得るよう努めるとした。

■日医、日弁連などから慎重論相次ぐ

 この日の総会では、日本医師会や患者団体、日弁連などからヒアリングを行ったが、各団体からは同案への反対意見や慎重論が相次いだ。

 日医の藤川謙二常任理事は、「(延命措置の)差し控えだけを法律化することが、本当に意味があるのか。中止の問題も含めて、やはり非常に境界が難しい」 と指摘。その上で、「終末期で度重なる訴訟が起こるのはとんでもない」との危機感を示し、慎重な議論を求めた。

 また、障害者団体「DPI日本会議」の三澤了議長は、「なぜこのような法律が必要なのか。誰のために必要なのか」と反対の考えを強調。日弁連の人権擁護 委員会医療部会の平原興部会長も、同案に反対の立場を表明した上で、「意思表示の撤回の方法や、その有無の確認も含め、過去の意思の表示から、いかに現在 の本人の意思を判断していくのか」と問題提起した。

 一方、日本尊厳死協会の副理事長で内科医の鈴木裕也氏は、「医学の進歩によって、医師主導型の行き過ぎた医療が進んだ」とし、患者のQOLの観点から、 制度の必要性を指摘。また、同協会の常任理事で、同じく医師の長尾和宏氏は、「尊厳ある生を支えながらも、あくまで患者さんの意思、基本的人権を尊重した い」と述べた。

 同議連では、今国会への法案提出を目指しているが、増子会長は「拙速に法制化する考えは全くない」とし、「それぞれの政党にお持ち帰りいただいて、われわれが出した案をご検討いただいた上で、最終的な取りまとめに入りたい」と述べた。

医療介護CBニュース 2012年3月22日

全日病が調査、「必要」だが認知度低く
終末期ガイドライン、現場への普及進まず
 終末期ガイドラインは必要だが、知っているものも利用しているものもない―。全日本病院協会(全日病)が病院などを対象に実施した調査で、終末期ガイドラインが普及していない実態が明らかになった。

 全日病は2011年度、病院や介護保険施設などを対象にアンケートを実施。そのうち病院(427カ所)、介護老人福祉施設(325カ所)、介護老人保健 施設(200カ所)、介護療養型老人保健施設(32カ所)、グループホーム(638カ所)、訪問看護ステーション(319カ所)の合計1941カ所から回 答を得た(回収率27%)。同時に、各施設に所属する職員(医師、看護師、介護士など)、患者の家族に対してもアンケートを行い、職員7869人、家族 5215人から回答を得た(回収率は22%、15%)。

 終末期ガイドラインの必要性について施設ごとに聞いたところ、「あった方がいい」と答えたのは、病院(409カ所)の62.8%、介護保険施設(546 カ所)の73.4%、グループホーム(625カ所)の71.4%、訪問看護ステーション(318カ所)の67.6%。医療や介護の現場で広く終末期のガイ ドラインが求められている実態が明らかになった。

 射水市民病院(富山県)の呼吸器外しなどがきっかけとなり、関係学会および団体は相次いで終末期ガイドラインを整備した。06年には日本集中治療医学会 が「集中治療における重症患者の末期医療のあり方についての勧告」を、07年には厚生労働省が「終末期医療の決定プロセスに関するガイドライン」を発表。 その後も日本医師会や日本救急医学会、全日病などが終末期についてガイドラインを策定した。

 しかし、これらのガイドラインが医療や介護の現場には普及していない。既存の終末期ガイドラインを知っているか、職員に聞いたところ、「知っているガイ ドラインは特にない」と答えたのは、病院職員(1870人)の64.1%、介護老人福祉施設職員(1347人)の74.3%、介護老人保健施設職員 (812人)の75.5%、介護療養型老健職員(149人)の75.6%、グループホーム職員(2348人)の79.9%、訪問看護ステーション職員 (1326人)の68.2%に上った。厚労省のガイドラインの認知度は比較的高かったものの、「知っている」のは病院職員(1870人)の19.6%が最 高だった。

 終末期ガイドラインの利用実態を聞くと、「利用しているものはない」と回答したのは、病院(408カ所)の66.7%、介護保険施設(536カ所)の 47.2%、グループホーム(613カ所)の52.5%、訪問看護ステーション(310カ所)の63.9%。終末期ガイドラインが複数あっても、現場での 認知は進まず、利用もされていないことが示された。

 また、終末期ガイドラインに明記すべき事項を職員(7852人)に聞いたところ、「意思確認できない場合の対応」が64.7%と最も多く、次いで「本人 の意思確認の方法」と答えたものが50.6%に上った。例えば厚労省のガイドラインでは、いずれの事項についても触れられていることから、存在自体の認知 が進めば現状のガイドラインが活用される可能性もある。

 臓器不全や肺炎などの非癌疾患を持つ患者については、施設側と家族側の終末期に関する認識のズレが大きいことも明らかになった。施設に入っている患者に ついて、施設と家族それぞれに終末期だと思うかどうかを聞いたところ、癌では、施設が終末期だと思っている患者(120人)のうち、家族も終末期だと思っ ていたのは90.8%。これに対して非癌では、施設が終末期だと思っている患者(148人)のうち、家族が終末期だと思っていたのは79.7%。非癌で は、癌に比べて終末期の予後予測が難しいことなどから、認識のズレが大きくなったのではないかと考えられる。

 この調査研究は、厚労省の2011年度老人保健事業推進費等補助金で全日病が行った「終末期の対応と理想の看取りに関する実態把握及びガイドライン等のあり方の調査研究」。詳細は全日本病院協会のウェブサイトで公開されている。

日経メディカルオンライン 2012年4月26日

第26回札幌冬季がんセミナー 子供を持つがん患者に支援を
 近年,大腸がんや乳がんなどでは40〜60歳代と比較的若年の罹患者が増加している。チャイルド・ライフ・スペシャリスト(CLS)で,北海道大学病院 腫瘍センターの藤井あけみ氏は,子供を持つがん患者の支援活動について報告。「子育て世代のがん患者の多くが,子供にどう向き合ったらよいのか悩んでお り,こうした親子双方への支援が求められている」と述べた。

知らされないと不安やストレスに

 CLSとは,病気の子供,病気の親を持つ子供を精神・心理社会的に援助する人で,1950年代に米国で誕生した。現在国内に25人,全世界で約 4,000人が活動する。藤井氏は同院の緩和ケアチームに所属し,がんの初発時,治療期,終末期を通じて,子供を持つ患者からの相談に応じている。

 米国では,親ががんになった場合,子供にとって有益な情報として,(1)病気はがんという名前(Cancer)(2)がんは伝染しない(not Catchy)(3)がんになったのは誰のせいでもない(not Caused)〜の3Cが考えられている。CLSは,危機的な状況にあっても子供を「力のある存在」ととらえ,子供が自らの力を発揮できるよう支援すると いう。

 同氏によると,親の異変について,たとえ幼児でも何かを感じており,その事実を受け止める力がある。子供は,知らされないとのけ者にされたと感じ,しば しば実際以上に悪い事態を想像し,自分のせいで親が病気になったと思う。不安やストレスが,不眠,食欲不振,不登校として表面化することもある。

ピアサポートのサロンを月2回開催

 親が子供に病気について話すときは,子供の年齢や状況に応じて理解しやすい言葉を使い,学童期以上では身体図などを参照するとよい。事前に伝えたい内容をメモし,落ち着いて話せるタイミングと静かな場所を選ぶ。集中力が途切れたら休憩し,子供が聞く姿勢になるまで待つ。

 子供が安心できるためには,学童期までは親とのスキンシップが重要になる。親の入院などの変化があっても,特に乳幼児では,親族などが育児や家事を代行 して日常生活がある程度保たれることが望ましい。思春期では,親の変化に戸惑いながらも親を気遣い平然と振る舞う傾向があり,同じ境遇にある仲間の存在が 困難を乗り切る助けになる。

 藤井氏らは昨年5月に,ピアサポートの一環として,「わかばカフェ」という子育て世代のがん患者のためのサロンをスタートさせた。毎月第2・4月曜日の 午後2〜4時に開催し,30〜50歳代の女性を中心に7〜8人前後の参加がある。また,親の見舞いに来た子供の個別ケアや同じ境遇の子供同士が交流できる 場をつくるなどの支援活動を行っている。

メディカルトリビューン 2012年5月10日

米国ホスピスボランティア最期のときまで
資金集めから遺族のケアまで

 死がいつも近くにあるホスピスの現場。日本ではまだ閉ざされたイメージがあるかもしれない。だが、ホスピス先進国アメリカでは、多くの市民がボランティアとして関わっている。

 アメリカ、エッグハーバータウンにあるアトランティホスピスでは、ボランティアが重要な役割を担っている。

 活動の内容は、患者の訪問、年に数回のイベントの準備、資金集めなど。また数人ずつ、近隣の遺族のもとを訪ね、グリーフサポートもする。参加するボランティアは、グループごとに専門的な研修を受ける。

 先月、ボランティアの表彰式が行われ、これまで3000時間以上活動してきた145人に記念品が贈られた。

大切なのは患者への敬意と明るさ

 なかでも患者の訪問には一番やりがいを感じるというボランティアが多い。10年に渡り活動してきたハワードさん(81)はいう。

「ホスピスといっても、いつも死について話しているわけではありません。患者さんと歌ったり、祈ったり、家族のことを話したりしています。そんな時間がう れしくて、いつの間にか、私のほうが患者さんに会いたくてここに通うようになっていました。大切なのは患者さんに敬意を持って、そしてつねに明るく接する ことです」。

最期にひと言を告げて

 ボランティアが患者の死に立ちあうケースも多い。コーディネーターのホペさんは、そのときが来たら、何かしら患者に言葉をかけてほしいと話す。

「言葉かけがあれば、患者さんは最期に自分のことを気にかけて世話をしてくれた人がそこにいることに気づきます。それだけのことでも満たされ、安らかに眠りにつくことができるのです」。

チャリティニュース 2012年5月14日

延命措置の「中止」でも医師免責
超党派議連、尊厳死法案で二案を提示
 超党派で組織する「尊厳死法制化を考える議員連盟」(会長・増子輝彦民主党参議院議員)は6月6日の総会で、「終末期の医療における患者の意思の尊重に関する法律案(仮称)」について、二つの案を公表した。

 両案とも、終末期にある患者の意思を尊重するために、延命措置に関する意思決定ができることを法律で定めるとともに、法律が定める条件に合致した対応をした医師を免責することが目的。

 両案の相違はその対象にある。延命措置は、(1)延命措置を開始しない場合(不開始)、(2)人工呼吸器の取り外しなど、現に行っている延命治療を中止 した場合――が考えられる。今年3月に公表した原案では、前者に限られていたが、(2)も対象に加える案が新たに出された。またそれ以外の部分も、3月の 原案から一部修正された。

 6日の総会では、日本医師会と日本弁護士連合会へのヒアリングが行われたが、いずれの団体からも現時点では、尊厳死の法制化について支持は得られなかった。

 日医副会長の羽生田俊氏は、「延命措置の不開始だけを対象にするだけでは不十分であり、延命措置の中止が加わった点は進歩した」としたものの、「尊厳死 を法律で規定することにより、医師と患者の信頼関係に基づきこれまでやってきた現場に混乱が生じかねない。法律から外れた対応をした場合に、法律に則って いないとされ、医師が責任追及されることがかえって懸念される」との考えを示した。さらに、延命措置の定義も医療者の間でも必ずしも明確ではない上、厚生 労働省や各学会の終末期医療に関するガイドラインが普及しているとは言い難いこと、一方で患者側においてもリビング・ウィルが浸透しているとは言えないこ とから、さらに慎重な議論が必要だとした。

 日弁連人権擁護委員会副委員長の増子考徳氏は、「尊厳死の法制化に反対」と明言。その理由として、「患者の自己決定権は、あらゆる医療の場面で尊重され るべきであり、何も終末期に限るものではない。しかし、今は患者全般の自己決定権を保障する法律はない。これを保障する法律を作れば、終末期における自己 決定権だけを取り出して法制化する意味はない」と述べ、「患者の権利法」「医療基本法」のような医療全般にわたる法律を作ることこそが求められるとした。

 次回会議では、障害者関連の団体に対するヒアリングを行うが、障害者関連団体も尊厳死の法制化には反対しており、今後も議論の難航が予想される。増子会 長は最後に、「拙速は避け、国民的な理解を得た上で、議員立法を目指したい」と挨拶。会議後、「今国会が延長されなければ、今国会への法案提出は難しい。 しかし、延長されれば今国会、せめて今の議連の議員の任期が切れる前には法案を提出したい」とコメント、また6日の二案のいずれを採用するかは、今後の議 論次第であるとしている。

「終末期」は2人以上の医師が判断

 尊厳死の法制化は、日本尊厳死協会などが支持しているものだ。6日に公表された二案は、前述のように法律の対象を「延命措置の不開始」のみとするか、「延命措置の中止」も加えるかで異なる。

 以下、共通部分を見ると、「終末期」は、「患者が、傷病について行い得るすべての適切な医療上の措置(栄養補給の処置その他の生命を維持するための措置を含む)を受けた場合であっても、回復の可能性がなく、かつ死期が間近であると判定された状態にある期間」と定義。

 終末期医療に関する患者の意思決定はあくまで「任意」。障害者団体などから懸念の声が上がっていたことから、「生命を維持するための措置を必要とする障 害者等の尊厳を害することがないように留意しなければいけない」と明記している。また、国や地方公共団体に対して、終末期医療に関する啓発などに必要な施 策を講じるよう求めている。

 延命措置の「不開始」あるいは「中止」ができる条件は、(1)患者が自らの意思を書面等で表示、(2)「終末期」の判定は、主治医を含む2人以上の医師が行う――など。また「不開始」あるいは「中止」の意思は、いつでも撤回できるとしている。

 この条件を満たし、医師が延命措置の「不開始」あるいは「中止」のした場合、「民事上、刑事上および行政上の責任(過料に係るものを含む)は問われないものとする」と規定している。

 6日の総会では出席議員から、「医師が免責される条件に該当するかどうかが、後から言い争いになることはないのか」との質問が出された。これに対し、議 院法制局は、「どんな法律でも、その要件に該当するかどうかが争われることはあり得る」とし、今回の法律案でも同様だとした。日医副会長の羽生田氏も、仮 に法律が制定されれば、「現実的には、十分に説明して、同意書を取り、対応していくことになるだろう」との考えを述べた。

m3.com 2012年6月7日

緩和ケア 「治す」から「生きることを支える」へ
コメンテーター 十和田市立中央病院 事業管理者 蘆野吉和 氏

 がんが日本人の死亡原因の第1位になったのは1981年であるが,それ以降もがんによる死亡者数は増加の一途をたどっている。現在,日本人の2人に1人 はがんに罹患し,3人に1人はがんで死亡するといわれている。がんは脳卒中や心筋梗塞のように急死する疾患ではなく,多くは一定期間を経て悪化し,がん化 学療法などの有効な治療手段が尽きる終末期を迎えて死亡する。そのため,疼痛などの症状のコントロールを目的とする終末期緩和ケアが極めて重要になる。長 年のライフワークとしてがんの終末期医療に取り組んできた十和田市立中央病院(青森県)の蘆野吉和氏(前院長,現事業管理者)に,プライマリケアにおける 緩和ケアについて聞いた。

緩和ケアの原点はホスピタリティー

 がん患者が増加していることへの対策として,2007年に厚生労働省は「がん対策基本法」を施行し,その中で緩和ケアの普及を強く打ち出した。これに よって,全国各地の地域がん診療連携拠点病院で緩和ケア研修会などが盛んに実施されるようになり,参加したことのあるプライマリケア医も少なくないと思わ れる。しかし,これにより緩和ケアが普及しつつあるかというと,蘆野氏は「まだまだそうはいえないのが現状」と言う。「疼痛コントロールなどの知識や技術 は多少身に付けたという医師は多いのだろうが,それは緩和ケアの表層的な部分。緩和ケアを本当に提供するのであれば,もっと深い理念を学ぶことが大事」と 同氏は指摘する。

 確かに緩和ケアというと,一般的にイメージされるのは疼痛コントロールで,例えば非オピオイド鎮痛薬やオピオイドの使い方といったことである。もちろ ん,こうした知識や技術も必要であろうが,ただし,それを身に付けただけでは緩和ケアを学んだことにならない,と同氏は言う。では,同氏が学ばなければな らないという緩和ケアの理念とはどういうことなのか。同氏は「緩和ケアの原点はホスピタリティー(温かみ,思いやり,優しさ,おもてなし,寄り添い)であ り,医療の原点そのものである」とし,その基本理念として(1)1人1人の人間の生き方を支える(2)楽に生きることを支える(3)家族や介護者を支える (4)チームで支える−の4つがあるとする。

生活の質の向上を目的とした医療への転換

「1人1人の人間の生き方を支える」とは,がんならがんという病巣だけに目を向けるのではなく,その病巣を持っている人を“患者”ではなく自分と同じ“人 間”として対応し,その病巣があることで起こる生活上の不便さなどをできるだけ少なくすることを,医療的な視点で,本人との相談の上で対応することを意味 する。

「楽に生きることを支える」とは,どのような病状であれ,可能な限りさまざまな苦痛を取り除き,楽に生を全うできるように支援することを意味する。そのた めには,病状に関する情報提供,決して見放さないことを保証する体制づくり,在宅ケアにおける生活支援体制の整備などが重要になってくる。

「家族や介護者を支える」とは,がん患者と同様に大きな不安,苦悩,苦痛を感じている家族もケアすることを意味する。そうして家族と一緒にケアをしていく体制を取ることで,家族による看とりを可能にさせる。

「チームで支える」とは,医師,看護師,薬剤師などの医療職,およびケアマネジャー,ヘルパーなどの介護職が,それぞれの視点で患者本人や家族のニーズを把握した上で,連携して必要な支援を提供することをいう。

 蘆野氏によると「これまでの日本の医療は,疾患を治すことを目的に,健康を目標として,病院中心に発達してきた」。しかし,この考え方では,がんの終末 期のように治療手段が尽きたところでは,もはや十分な対応が取れなくなる。そこで,同氏は「これからは生活の質の向上を目的に,自立を目標として,生活の 場を中心とした医療に転換していく必要がある」と言う。

 なお,以上のような考え方は,ただがんの終末期にだけ当てはまるわけではない。がんというのは慢性疾患の1つで,全ての慢性疾患は,やがては治療手段の 尽きる終末期を迎える。だとすれば,緩和ケアの理念の持つ医療のパラダイムシフトは,全ての慢性疾患に当てはまると言ってよいだろう。「これからますます 日本の超高齢社会は進展していくが,それは治らない疾患を持つ人が多くなっていく時代といえる。このような時代に向けては,どうしても治すための医療から 生活を支える医療への方向転換が必要で,これが緩和ケアの理念であるといえる」と同氏。

緩和ケアの担い手としてのプライマリケア

 緩和ケアが生活の場を中心とした医療でなければならないとしたら,プライマリケアはまさにその場であるといえる。「これまでも,緩和ケアがうまくいって いる場は,がん専門医のいる病院よりも,きめ細かい在宅ケアが行われているプライマリケアであることが多かった」と蘆野氏。「これからの緩和ケアの担い手 としては,むしろ,プライマリケアこそが主役になるべき」とも提言する。

 がん診療の担い手としてのプライマリケア医は,病院勤務医に対して,幾つかのアドバンテージを持っている。まず,プライマリケア医は日ごろから患者と親 しく接し,その生活習慣や職業,家族歴などを知っているため,がんのリスクを見積もりやすい。そして,リスクが高いときには検診・精査を勧めやすく,患者 にも受け入れられやすい。また,がんに罹患した場合に告知を希望するかどうかといった話も,プライマリケア医なら,良い頃合いを見て持ちかけることができ る。

 患者にがんが発見された場合も,既往症や併発症などについてよく知っているのはプライマリケア医である。したがって,「プライマリケア医は患者をがんの 専門医に紹介するにしても,全てを委ねるのではなく,できるだけ自分も加わるようにすべき」と同氏。「がん専門医にとっても,プライマリケア医からの情報 は貴重」と言う。

 がん専門医の下で治療が行われている間は,できるだけ経過を把握し,患者と専門医との橋渡し役を務める。患者と専門医だけだと,患者は専門医に遠慮して 聞きたいことも聞けないということがあるが,プライマリケア医を介してなら,それができる。また,患者の家族もプライマリケア医になら,何かと相談しやす い。「患者と家族にとって,最も不安を抱かせ,また,それが解消されないと医療不信にも陥らせかねないのが,医療へのアクセスが途絶えること。それを防ぐ 意味でのプライマリケア医の役割は大きい」と同氏。

在宅ケアに必須のチーム医療

 専門医の下でのがん治療が終わった後は,もちろんプライマリケア医が医療の中心になるが,その際に疼痛をはじめ呼吸困難,嘔気・嘔吐のコントロールなど,緩和ケアの具体的な知識や技術が必要になってくる。

 プライマリケアでがん患者の緩和ケアを行うようになると,どうしても欠かせないのが在宅ケアである。しかし,1人のプライマリケア医の行える在宅ケアに は限りがある。そこで,看護師,ケースワーカー,ケアマネジャー,ヘルパーなどとの連携が重要になる。蘆野氏の経験では「特に緩和ケアに習熟した看護師, ケアマネジャーとタッグを組むことができれば,医師の負担は大きく軽減される」と言う。

「緩和ケアでは,最終的には患者の死を看とることになるので,何かつらいことばかりがイメージされがち。しかし,その一方で,「患者の生き方を支えた」と いう充実感もあり,また,患者の生き方から学ぶことも多い。幅広いプライマリケア医が,本当の緩和ケアを知り,実践してくれることを望みたい」と同氏は結 んだ。

SUMMARY

 緩和ケアの原点はホスピタリティーであり,医療の原点である

 緩和ケアの基本理念として,(1)1人1人の人間の生き方を支える(2)楽に生きることを支える(3)家族や介護者を支える(4)チームで支える−の4つが挙げられる

「治す医療」から「生きることを支える医療」への転換という緩和ケアの理念は,今後の医療全般に必要なパラダイムシフトでもある

 緩和ケアの担い手の主役になるべく,プライマリケア医はさまざまなアドバンテージを有している

メディカルトリビューン 2012年6月28日

診断時から治療終了後も続くケア
第17回日本緩和医療学会開催
 第17回日本緩和医療学会が6月22−23日,神戸国際展示場他で開催された。「医療者にできることは,患者に関心を持ち,寄り添い続けること」と講演 で語った松岡順治大会長(岡山大大学院)のもと,「ひろく ふかく たかく」という大会テーマが掲げられ,多くの演題が発表された。本紙では,サバイバー シップと,早期からの緩和ケアが議論されたプログラムのもようを報告する。

がんを治すだけの時代から次の時代へ

松岡順治大会長


 がん患者と医療者が同じ壇上に並んだパネルディスカッション「サバイバーシップという考え方――がん治療を終えてからも ひろく ふかく たかく」(座 長=聖路加国際病院・山内英子氏)では,まずMDアンダーソンがんセンターのLewis Foxhall氏が,がんサバイバーのQOLを高めるために同院で実施している「サバイバーシップクリニック」について発表した。ここでは,再発防止を中 心とした患者へのケアだけでなく,プライマリ・ケア医や看護師,ソーシャルワーカーへの教育も行っている。また,後遺症や治療に関する研究も盛んだとい う。氏は,がんサバイバーシップはがんの治療成績や患者のQOLを高める新興分野だとし,一層の発展に期待を寄せた。

 がんサバイバーの立場からは,桜井なおみ氏(NPO法人HOPEプロジェクト)と小嶋修一氏(TBSテレビ)が登壇。まず桜井氏は自身の経験から,がん と診断された患者は,病になる以前にあったさまざまな役割を喪失することによって,自身の根源的な存在が傷つくスピリチュアルな痛みを感じていると説明。 参席した医療者に向けて,患者の生き方を共に支援してほしいと訴えた。一方で,こうした痛みは自分の生きる意味を問いなおすための貴重なキャンサーギフト でもあると,前向きな見解を示した。

 続いて発言した小嶋氏は,がんサバイバーは医療者にとって“生きた教科書”であると強調。氏は,がんの再発を疑って受診した病院で,検査を先送りにさ れ,強い不安と不信を感じた経験から,患者の不安を少しでも取り除くには即時即断の検査・手術が重要との考えを示した。また,患者の経験談には治療改善の ヒントが多くあると主張し,患者の声に耳を傾けるよう医療者に求めた。

 医療者の立場からは三氏が登壇。博愛会相良病院の看護師である江口恵子氏は,同院で取り組んでいるサバイバーシップケアプログラムについて発表した。患者同士が互いの体験を語り合ったり,病や治療について学ぶことで,安心して治療に前向きに臨むようになったと述べた。

 医師の下山理史氏(国立病院機構名古屋医療センター)は,時には患者よりもその家族のほうが強い不安を抱いている場合があると指摘。同センターが設けたピアサポーターによる相談会や,患者や家族が語らうサロンなどの取り組みについて報告した。

 最後に乳がんの専門医である山内氏は,「患者らしくではなく,あなたらしく」というメッセージを伝えつつ,エビデンスだけでなく患者一人ひとりのナラティブに基づいた治療を行うことを提案した。

 その後のディスカッションでは,がんサバイバーであり医療者でもある参加者から,「医療者はいまだにがんサバイバーを医療行為の対象としか見ていない傾 向がある。医療者の考える“良い枠組み”に患者を押し込んではいないか」という問題提起がなされた。これに対し山内氏は,今後は医療者と患者という二項対 立ではなく,双方がひとつになっていかなければならないことを強調し,そのためには医療者が患者の就労問題に関与するなど具体的なアクションプランを実行 していく必要があると述べた。

早期からの緩和ケア導入を

 WHOの新定義(2002年)で「早期からの緩和ケア」が謳われてから10年,その機運が徐々に高まりつつある。2012年度からの新たな「がん対策推 進基本計画」においては「がんと診断されたときからの緩和ケアの推進」が重点課題のひとつとされ,緩和ケア研修体制の見直しや提供体制の整備を図ることが 個別目標として明記された。

 また海外においては,がん患者のQOLに関する論文が年々増加している。中でも関心を集めたのは,転移性非小細胞肺癌患者に対する早期緩和ケア導入の効 果を示したJennifer S. Temel氏らの論文だ(N Engl J Med. 2010[PMID: 20818875])。今学会では,マサチューセッツ総合病院がんセンターにおいてTemel氏とともに支持療法研究グループを率いるWilliam Pirl氏を招聘し,講演とパネルディスカッションが企画された。

 インターナショナルレクチャー「早期からの緩和医療」においてPirl氏は,「緩和医療は積極的治療とホスピスの間のギャップをどう埋めるのか?」と問 題提起。モデルケースとして,看護師による電話カウンセリングによる介入が主体のENABLEプロジェクト(JAMA.2009[PMID: 19690306])のほか,前述の論文の研究デザインを報告した。この研究では,新たに転移性非小細胞肺癌と診断された患者151人を「癌の標準治療」 群と「癌の標準治療+早期緩和ケア」群に無作為に振り分け,前者は患者・家族や腫瘍内科医の要望があった場合のみ,後者は月に最低1度は緩和ケア医が介 入。その結果,一次エンドポイントである12週目のQOL変化においては,早期緩和ケア群のほうが有意にQOLが良好だった。また二次エンドポイントとし て,早期緩和ケア群において抑うつ症状が改善したほか,生存期間の延長までもが認められたという。

 質疑応答では,「なぜ早期緩和ケアによって生存期間が延びたのか」という点に質問が集中した。Pirl氏は「(この研究デザインで)その理由まではわか らない」と前置きしつつ,早期緩和ケア群では終末期において化学療法を中止する時期が早い傾向にあり,このことが生存期間の延長に寄与したという仮説を提 示。また一方で,延命の効果にばかり焦点を当てるべきではないとも述べ,QOL改善こそがより重要な結果であると強調した。なお現在他の転移性肺癌や消化 器癌において同様の研究が進行中と述べ,さらなる知見の集積に期待を寄せた。

 続くパネルディスカッション「がんと診断された時からの緩和ケアの実践のために――がん治療と緩和ケアの両立」(座長=JA高知病院・曽根三郎氏,岡山 大大学院・藤原俊義氏)では,Pirl氏と日本の演者6人が自施設における早期緩和ケアの取り組みを報告。Pirl氏が腫瘍内科医との密接な連携による外 来緩和ケアの試みを紹介したほか,日本からは院外薬局との勉強会や看護師による質問紙スクリーニングなどの取り組みが報告された。

週刊医学界新聞 第2986号 2012年7月16日

都道府県拠点病院に「緩和ケアセンター」設置へ--厚労省・検討会
 緩和ケア推進検討会は7月11日、厚生労働省が示した「緩和ケアセンター構想」を大筋了承した。各拠点病院に「緩和ケアセンター」を整備しようというもので、まずは都道府県拠点病院での整備を目指す。

 緩和ケアチームと緩和ケア外来の連携、緩和ケア診療情報の集約・分析など、緩和ケアについて院内横断的な取り組みを進めるのが目的。

m3.com 2012年8月2日

医療講座・死生学入門 福岡のNPOが開催、参加者を募集
 東日本大震災で多くの人の命が奪われたことをきっかけに、死について考えようと、福岡市のNPO法人「患者の権利オンブズマン」(理事長・池永満弁護士)などは「医療講座 死生学入門」を開催する。天神チクモクビル(中央区天神3)などで全3回、参加費は各500円。

 講座は第1回(10月27日)が死生学研究者で作家の波多江伸子さんが講師の「笑う終活講座」▽第2回(12月1日)外科医の二ノ坂保喜さん「死を見つ めて生きる〜在宅ホスピスの現場から」▽第3回(来年2月23日)元山口大医学部教授の谷田憲俊さん「日本人の死生観の変遷を振り返る」。

 問い合わせは同オンブズマン事務局092・643・7579。

m3.com 2012年8月2日

尊厳死:医師の処方による末期患者の自死、米マサチューセッツ州で合法化へ
 自分の意思と信条に基づいて生き、そして死ぬことはおそらく、人間が持つ最大の自由だろう。しかし、その自己決定権と安心感が、治療者としての医師の役割や、究極的には生命の価値と衝突するとしたらどうだろうか?

マサチューセッツ州で尊厳死が合法化の見通し

 マサチューセッツ州の住民は、来たる11月、こうした問題を考えることになりそうだ。病状末期の人々に、自分の命を終わらせるために処方された薬を自己投与することを可能にする法案の住民投票が行われるからだ。成立すれば全米で3番目の州となる。

「尊厳死法」を支持する人々は、薬を処方される患者自身以外の人がこの薬を投与することは出来ないのであるから、この行為は医師が幇助する自殺とは呼べな いと訴える。しかし、反対派の人々は、死期の迫った高齢者や障がい者、貧しい人々が、治療費を抑えるために家族や相続人から圧力を受ける可能性が出てくる 懸念があり、そうした人々の命を危険にさらすことになると主張している。

尊厳死は安楽死か

 オレゴン州は1994年、終末期にある患者が死期を早める薬を処方してもらうことを認めた。ワシントン州が2008年にこれに続いた。マサチューセッツ 州の住民投票はワシントン州の法と事実上同一であり、オレゴンの法を下敷きにして作られていると、「マサチューセッツ尊厳死連合(The Massachusetts Death with Dignity Coalition)」の広報責任者ステファン・クロフォード(Stephen Crawford)氏は言う。

 2009年にはモンタナ州の最高裁判所が、医師が幇助する自殺は州法や判例に違反しないという判決を下したが、同州には公式な尊厳死法はない。

 この法律は、ある重要な点において、安楽死や医師が幇助する自殺とは違う、とマサチューセッツ尊厳死連合は言う。すでに病気で死期の迫った患者が、自分 の生命を終わらせる薬を自己投与しなくてはならない、という点だ。医師はそのために必要となる薬を処方することは許されるが、患者の求めがあったとしても そうする必要はない。

 しかし反対派は、尊厳死法は医師自殺幇助と変わらない、終末期の人々はそれを実行するためにさえ手助けを必要とするだろうからだ、と言う。「誰かが診察 の予約を取らなくてはなりません。誰かが薬局にそういう薬を取りにいかなくてはなりません。こういう薬が自宅で、監視もなく投与されうるのです。これが本 当に自発的な行為と言えるでしょうか」と、尊厳死法に反対する「選択は幻想(Choice is an Illusion)」の代表でワシントンの事務弁護士、マーガレット・ドア(Margaret Dore)氏は言う。中には弱い立場の患者たちを危険にさらす可能性を持つ条文も含まれているという。

「滑りやすいロープ」

 オレゴン、ワシントンの法に規定されているように、マサチューセッツの法案でも、患者は処方箋を手に入れる前に一連の条件を満たさなくてはならない。終 末期の患者で顧問医師が余命6か月以下との診断をしていること。また、顧問医師は患者が健康に関して決定を行い、それを伝える能力が精神的にあることも認 定しなくてはならない。さらに、薬の請求は、15日の間隔をあけ、2度にわたって、文書で主治医に対して行う必要がある。また、家族や主に看護を担当して いる人でない証人が2人必要だ。

 条件は厳しいように見えるが、防護策を犯した医師に対する罰則が明文化されていないことが問題だと反対派のドア氏は述べる。また、家族や介護者から、治 療費がこれ以上かからないよう死を選ぶよう勧められるなどという圧力がかかることが、さらに心配なのだという。

 こうした点をマサチューセッツ尊厳死連合のクロフォード氏にぶつけたところ、「滑りやすいロープ、つまり一度始めてしまえば事態を止めることはできないという議論は、長年にわたって反対派が主張してきましたが、裏付けはないのです」という返答だった。

 実際、オレゴン州公衆衛生部のデータによれば、尊厳死を利用した患者の大部分は白人で、教育のある、経済的にも安定して保険にも十分加入した人々だっ た。また、件数自体も少ない。14年間で596例で、転移性のがんに苦しみ、死が迫っているという明確な診断が出た人々がほとんどだ。

 しかし、少なくとも1件は、さらなる治療ではなく死へ向かうことになった例があった。2008年、末期の肺がんを患っていたオレゴン州のバーバラ・ワグ ナーさんが、オレゴン保険プランによる自分の健康保険では主治医の処方した月4,000ドルの薬物治療をカバーしきれないが、尊厳死に必要な薬の料金はカ バーできることを知り、後者を選んだのだ。この例は全米に議論を巻き起こした。

「自己投与」のあいまいさ

 法案支持者たちは、尊厳死は、自分の命を終わらせる薬を自分で投与できなくてはならないのだから、幇助自殺とは法的に区別できるとする。患者はそうした薬を、物理的に自分の体に入れることが出来なくてはならないのだ。

 しかし反対派の人々は、がん患者は別として、ALS(筋委縮性側索硬化症)の人たちがこの法律に基づいて死を選ぶことを疑問に思っている。この病気が進行すると筋力や協調運動機能が低下し、歩いたり動いたり、飲み込むことさえ出来なくなってしまうからだ。

 マサチューセッツ法の規定は法的にあいまいだと、反対派のドア氏は指摘する。患者は生命を終わらせるのに必要な薬を「自己投与してもよい」という表現に なっている。「しなくてはならない」とは重要な違いだ。また、同法ははっきりと「このような手続きは自発的で」と述べているが、「自己投与」とは法的に は、薬を単に経口摂取することでもありうる、とドア氏は言う。「経口摂取には『自発的な行為』は必要ありません。これは自分の選択の問題だと言いますが、 法にある通りだと、選択は保証されていないのです」というのが彼女の主張だ。

 一方、マサチューセッツ尊厳死連合のクロフォード氏の主張は、条文では薬を投与できるのは患者だけだと明確に述べられている、というものだ。「薬は自己投与されなくてはなりません。それが条文の規定です。それだけです」と彼は言う。

オレゴン、ワシントンでは大多数が支持

 尊厳死が合法化されている2つの州では、少なくとも住民の70%が同法に好意的な意見を持っていることが、ナショナル・ジャーナルとリージェンス財団の行った2011年の世論調査で明らかになった。

 マサチューセッツの人たちも同じ意見のようだ。以前には、医師の処方による自殺は法制化に至らなかったが、最近の世論調査の結果では、同州が東海岸で最 初に尊厳死を合法化する州になりそうである。パブリック・ポリシー・ポーリングの行った最近の調査では、住民の58%が尊厳死に賛成票を投じるとしたのに 対し、反対と答えたのは24%にとどまった。

IBTimes 2012年9月4日

尊厳死法案、臨時国会への提出目指す
「尊厳死法案、臨時国会への提出目指す」画像  超党派の国会議員でつくる「尊厳死法制化を考える議員連盟」(会長=増子輝彦・民主党参院議員)は7日に役員会を開き、今国会への法案の提出を見送り、 各党内で引き続き調整を進めた上で、今年秋にも開かれる臨時国会への提出を目指す方針を確認した。

 議連は7月末の総会で、15歳以上の終末期の患者に対する延命措置について、経管栄養や人工呼吸器の装着など、新たに延命措置を実施しないとする「不開 始」を対象とした「第1案」と、現在行われている措置の「中止」も含めた「第2案」をまとめ、今国会への提出に向け、それぞれ党内手続きを進めることを決 めた。

医療介護CBニュース -キャリアブレイン 2012年9月7日

基調講演「ホスピスマインドを語り合う」
地域社会の中でケアの循環を
医師 山崎 章郎氏

 外科医として16年、その後15年施設ホスピス、今は7年間在宅ホスピスをしている。外科医8年目の83年、アメリカの精神科医故キューブラー・ロス氏の『死ぬ瞬間』という本に出合って人生が変わった。

 外科医の頃、患者さんが亡くなりそうなときに延命措置を提案したが、ほとんど断られた。われわれ医者は、当事者にとって必要なことを確認していないと気付いた。

 人間は身体的、社会的、精神的、そしてスピリチュアルな存在。スピリチュアリティは人生の危機に直面したとき、生きる力や希望を(1)宗教など自分の外 の大きなもの、または(2)自己の内面〜に求める機能を持つ。スピリチュアリティが機能すれば、病気に翻弄(ほんろう)されない自己の存在意義を見いだす ことができる。

 スピリチュアリティを働かせるのに必要なのがコミュニケーション。末期がんで家に戻ってきた患者さんに、狭くなった十二指腸を広げる治療を提案したが、その患者さんは「それをやっても私の病気は治らないでしょう? 私はこのまま家にいたい」と言った。

 「私は余命いくばくもない」と嘆く患者さんで「どうしたいですか?」と聞くと「家族に迷惑を掛けるかもしれないが家にいたい。毎日孫に会いたい」と言って、ニコニコと孫の自慢話も始める人もいた。

 05年から地域の中に出掛けていく在宅ホスピスケアを始めた。手伝ってもらっているボランティア80人のうち、2割が亡くなった方の遺族。自分たちが受 けたケアを他の人にもしようと、地域の中でケアが循環している。われわれが目指すのは、最後まで住みたいと思える地域社会だ。

 課題は、在宅療養を開始したときには余命わずかで、半数の人が1カ月以内に亡くなること。延命が目的であると、患者さんが理解して病院で治療を受けているか危うい。人生の最後くらい、医療の管理から解放される生き方を考えてもらってもいいのではないか。

 家族の介護力の限界などで、在宅を諦めて入院する人もいる。多くの人は介護さえできれば入院しなくて済む。緩和ケア病棟は、在宅ケアを補完する役割になっていくのが望ましい。

やまざき・ふみお 1947年福島県生まれ。91年聖ヨハネ会総合病院桜町病院(東京都小金井市)ホスピス科部長。2005年「ケアタウン小平」を開設し、在宅医。著書に『病院で死ぬということ』ほか多数。

WEB TOKACHI 2012年9月11日

緩和ケア推進検討会が中間とりまとめ
がん診療連携拠点病院に緩和ケアセンターを整備
 厚生労働省は第5回緩和ケア推進検討会を9月26日に開き、緩和ケアチームがより積極的に癌診療に関わることができるよう、がん診療連携拠点病院などに「緩和ケアセンター」を整備することなどを求めた中間とりまとめ案を大筋で了承した。

 中間とりまとめは、癌と診断されたときからあらゆる患者に緩和ケアを提供できるようにするための方策をまとめたもの。現状の緩和ケア提供体制を強化する ため、がん診療連携拠点病院などにおいて、緩和ケアセンターを整備することを求めた。同センターには緩和ケアチームや緩和ケア外来の運営に加え、地域の医 療機関との連携調整や緩和ケア関連研修会の運営、緩和ケア診療情報の集約などを行う機能も持たせる。

 緩和ケアセンターには、在宅で療養する癌患者の疼痛症状が増悪した際などに、緊急に対応できる機能も求める。例えば、緩和ケア病床のない拠点病院などに おいては、一般病床の一部を緊急緩和ケア病床とし、疼痛の緩和を目的とした緊急入院ができる体制を作ることなどを想定している。

 また、癌診療における身体的苦痛の評価が徹底されるよう、がん診療連携拠点病院には、外来時の問診表に「疼痛等の身体症状」の項目を設けたり、カルテの バイタルサインの欄に疼痛の項目を設けることなどを推進する。精神心理的苦痛に対する緩和ケアの提供を充実させるため、癌診療に携わる看護師に研修を行う ことや、看護師による継続した相談支援を行う体制を整備することも求める。

 中間とりまとめは、近日中に最終版が確定し、厚生労働省の健康局長に提出される。厚労省は2013年度の概算要求で、新規事業として「がんと診断された 時からの緩和ケアの推進」に8.2億円を計上している。この事業で、がん診療連携拠点病院に緩和ケアセンターを整備したり、同センターに緊急緩和ケア病床 を設ける計画だ。

日経メディカル オンライン 2012年9月27日

「尊厳死法制化」は医療格差の拡大を招きかねない―川口有美子氏インタビュー回答編
 前回は、「尊厳死の法制化を認めない市民の会」呼びかけ人・川口有美子氏インタビュー「『尊厳死法制化』は周囲の人間から”自殺を止める権利”を奪う」を掲載いたしました。今回は、読者からいただいた質問や意見に川口氏が答える回答編をお届けします。

「尊厳死法」に基づいた政策の数々は、医療費の調整(縮小)機能

―前回の記事に対して、「尊厳死法が成立したとしても、そんなに影響があると思えませんでした」「法制度化されたら尊厳死しなければならないわけではない のだから、尊厳死に反対する人は、法が出来ても自分は同意しなければいいだけの話では」といった感想が寄せられています。現状の法案の問題点について、も う少し詳しく教えていただけませんでしょうか?

川口氏:まず、超党派の「尊厳死法制化を考える議員連盟」が、民主主義を逸脱したやり方で法案を上程、議会を通そうとしているところに問題があります。

「尊厳死法制化を考える議員連盟」の増子会長は、2つの法案は各党に持ち帰られ、検討されていると言っておられましたが、「尊厳死の法制化に反対する会」 が行った国会議員対象のアンケート調査によれば(近々発表されるようです)、各党で検討された様子はなく、議連の議員の多くは深く考えず、お付き合いで議 連に名前を連ねていているだけのようです。

 各党の厚生労働委員会での審議もなく、法案を公表しパブリックコメントを求めるなどの手続きも通さずに、次の臨時国会に上程決議しようと言うのは、あまりに乱暴なやり方ではないでしょうか。

そもそも人の尊厳をどう考えるのか。そして「終末期」をいつからと考えるのか。

 これは定義できないものです。「亡くなって振り返って、あぁあの時からが『終末期』だったのだと初めてわかる」と尊厳死協会副会長の長尾氏も言っています。それを法制化で一律に定義しようとしているわけです。

「法律ができても影響はない。嫌なら使わなければいい。好きに治療を続ければいい」と言われるのですが、法律に従わない人は、「血税を使って無駄な治療を している人」「利己主義者」「非国民」のレッテルを貼られるようになるでしょう。国家として、一律に「延命処置」「終末期」を定義し、しかも健康なうちに 定義通りに死ぬことを自ら誓わせることになります。

 これを全体に普及させ、守るべき道徳として広めること。それが法制化です。この死に方を手本として、子どもから高齢者にまで徹底して定着させ、守らせるためのあらゆる施策が講じられるようになります。

 法案をざっと見ていきましょう。

 法案1法案2の第三条「終末期の医療について国民の理解を深めるために必要な措置を講ずるよう努力」、第十一条「国及び地方公共団体は、国民があらゆる 機会を通じて終末期の医療に対する理解を深めることができるよう、延命措置の不開始(第一案)と中止(第二案)を希望する旨の意思の有無を運転免許証及び 医療保険の被保険者証等に記載することができることとする等、終末期の医療に関する啓発及び知識の普及に必要な施策を講ずるものとする。」とあります。

 これで地方公共団体は、法律を積極的に広めるための事業を行うことになるので、学校や病院などでは、終末期の人工呼吸器や胃ろうなどの治療を断る旨を書 きおくことを積極的に推奨していくことになります。しかも満15歳以上に適応するとあり、免許証や保険証の裏に記載させるというのですが、これでは書き換 えは非常に困難です。

 第十二条では「厚生労働省令への委任」、附則3では「この法律の施行後三年を目途として、この法律の施行の状況、終末期にある患者を取り巻く社会的環境 の変化等を勘案して検討が加えられ、必要があると認められるときは、その結果に基づいて必要な措置が講ぜられるべきものとする」とあり、厚生労働省におい て、時代の情勢に則して3年ごとに見直していくのです。

 つまり、日本経済に連動した医療費削減の切り札として、この「尊厳死法」に基づいた政策の数々は、高齢者、障害者などの社会的弱者に対する医療費の調整(縮小)機能の役割を負うことになります。

―医師側に掛かる負担を指摘する声もありました。「今、医者の判断で延命措置を止めると、医者が殺人を犯したことになりかねない」という意見です。この点 については、どうでしょうか?法制化されていない現状において、どのように「尊厳死」が進められているのかとあわせて教えてください。

川口氏:現在でも、治療の不開始による「尊厳死」は実施され、胃ろうや呼吸器の中止も行われていますが、きちんと話し合いがなされていれば、問題になるケースは少ないです。

 医師が殺人罪に問われるのは、家族に説明もせず同僚に相談もせず、これらを独善的に行った場合。病院の勤務医は激務の上、毎日大量に救急搬送されてくる 病人にベッドを効率よく空けなければならない。そんな医師の責務を軽減し、独断を避けるために、国は「終末期医療の決定プロセスに関するガイドライン」を 2007年に策定し、多職種による相談体制や家族の同意に基づく医療を推奨しました。これで医師が一人で決定、ということはなくなるはずです。

「終末期医療の決定プロセスに関するガイドライン」

 しかし、このたびの法案の第四条、第六条はこれにも逆行しています。

 医師2名で終末期を判定できることにしているからです。他職種や家族との「信頼関係に基づき」とはあるが、合意形成の義務については書かれていません。 これは手間を省き、少数の医師で末期を決定し治療の停止もできるよう効率化を狙ったもののようではないかと考えられます。

 尊厳死の法制化により、入院時には必ずや法律に則って「延命治療」を断る旨を一筆書かされるようになるでしょう。(「延命治療」と判定するのは本人でも家族でもなく病院ですが)。

 そのようにしておけば、家族が合意していないのに尊厳死させても医師は免責になります。

 加えて本人が「臓器提供カード」も携帯していれば、治癒の可能性があっても、人工的に「尊厳死させる」ことになりかねません。たとえば、交通事故等で意 識不明の15歳の子どもの家族が、積極的な治療を要求している場合でも、少年の従前の意思に従い、一切の治療をせず「脳死」に持ち込み、その臓器を取り出 してよいのかは、議論の余地があるところです。

尊厳死法制化は「医療格差」の拡大を招く可能性も

―高齢者の延命の問題とあわせて、経済を含めたリソースの観点から、尊厳死の必要性を主張する意見もありました。「治療を待つ人の精神的・肉体的負担を減 らすためには、医療全体のボリュームを減らすことを考えなければならない」「延命を続けることで、家族の負担は増し、自治体や国の負担も増す。家族は財産 をすりつぶし、国の財政は悪化する」といった意見です。この点については、どのようにお考えでしょうか?

川口氏:先日、石原伸晃氏もテレビで、「日本経済の立て直しのためには終末期医療対策が必要、そのために自分は尊厳死協会に入る」と言っていましたが、これは尊厳死の法制化が国の経済対策の特効薬と見なされている証拠です。

 この法律により、国が終末期を3年ごとに見直し、定義し直して統制ができるので、費用対効果のエビデンスがない疾患や障害のある高齢者には保険の適応を切り詰めていくこともできます。

 これが進めば、日本の誇る国民皆保険制度もイギリスのNHSのように、公的保険で受けられる治療の範囲は狭まり内容もお粗末になります。終末期でなくて も胃ろうを増設してもらえなくなり、透析その他の高額医療は保険で受けられなくなる。嫌なら高価なプライベート診療を選択しろということになり、医療格差 は拡大するでしょう。適切な医療を受けられない人がいても自業自得という社会になっていきかねません。

 国民に積極的に尊厳死を選択させることで医療費を切り詰められる、というのではなく、私たちの安心安全のためには、その人ごとに過不足のない医療を届けられるようにしていく。そのための法制度を考えるのが、政治の役割ではないかと思うのですが。

―本日はありがとうございました。

プロフィール 川口有美子(かわぐち・ゆみこ):「尊厳死の法制化を認めない市民の会」呼びかけ人。2005年日本ALS協会理事就任。2009年ALS/MND国際同盟会議理事就任。

BLOGOS 2012年9月28日

進行がん患者
死亡直前のICU収容や院内死亡の回避が高い終末期QOLと相関
 ダナ・ファーバーがん研究所(DFCI)心理社会腫瘍学とハーバード大学(ともにボストン)精神疾患学のHolly G. Prigerson准教授らは,進行がん患者の終末期QOL向上に寄与する因子を検討し,Archives of Internal Medicine(2012; 172: 1133-1142)に発表した。それによると,入院や集中治療室(ICU)収容の回避,不安の軽減,祈りや瞑想,施設の牧師によるケア,治療に対する医 師と患者の協力関係が,高いQOLと相関していた。

9項目から成る予測因子のセットを特定

 患者のがんがもはや治癒不能になった場合,ケアの焦点は延命から終末期のQOL改善に移行することが多い。しかし,今回の研究の背景情報によると,終末期QOLの予測因子に関して,これまで一貫したデータは存在しなかった。

 そこで,筆頭研究者で今回の研究実施時にDFCIの研究員であったBaohui Zhang氏は,人生最期の1週間におけるQOLに関し,最も優れた予測因子の組み合わせを特定するために今回の研究を実施。その結果を用いて,末期患者 のQOL改善に向けた医療介入の有望な標的を見極めようと試みた。

 今回の研究はCoping with Cancer Studyの一環として,2002年9月1日から2008年2月28日に実施された。対象は,DFCIなどの施設の進行がん患者396例(平均年齢約59 歳)とその介護者で,登録から死亡までフォローアップ(中央値4.1カ月)した。

 さまざまな予測因子の組み合わせを検討した結果,

(1)最期の週におけるICU収容(QOLの低下と関連)
(2)院内死亡(QOLの低下と関連)
(3)登録時評価における患者の不安(QOLの低下と関連)
(4)登録時における患者の宗教的祈りや瞑想の程度(QOLの上昇と関連)
(5)がん治療施設
(6)最後の週における経管栄養使用(QOLの低下と関連)
(7)病院やクリニックの牧師によるケア(QOLの上昇と関連)
(8)最後の1週間における化学療法(QOLの低下と関連)
(9)治療に対する患者と医師の協力関係(QOLの上昇と関連)

の9項目から成る変数セットにより,最期の1週間におけるQOLのほとんどを説明することができた。

 同氏は「終末期のQOL不良を規定する最も重要な因子は,院内死亡と最期の週におけるICU収容であった。したがって,費用のかかる入院を回避し,入院 患者を自宅もしくはホスピスに移す試みにより,終末期の患者のQOLが改善する可能性がある」と述べている。さらに「今回の研究では,ベースラインにおけ る患者の不安感の強さも,終末期QOL不良の有力な予測因子であった」と指摘している。

看過されてきた終末期QOL

 Zhang氏は「患者の不安を軽減し,黙想を奨励し,パストラルケア※を取り入れる。また,治療に対する患者と医師の協力関係を育み,不要な入院や延命治療を回避することで患者は最期の数日を最も安らかに過ごすことができる」と結論付けている。

 米国立加齢研究所(NIA)所内研究プログラムのAlan B. Zonderman,Michele K. Evansの両博士は,同誌の付随論評(2012; 172: 1142-1144)で「これまでのがん医療では末期がん患者における終末期QOLの問題は看過され,効果的だが細胞毒性を有する新しい介入法の開発に目 が向けられてきた。疾患の全経過にわたって一貫性のあるがん治療戦略を立てる上で,終末期QOLの研究は欠かせない。それにもかかわらず,この領域におけ る研究はあまりにも不足している」と指摘している。

 さらに「現在,複雑で多様ながん治療戦略の開発や導入が着々と進んでいる一方で,終末期QOLに大きく影響する因子に関しては,いまだ明確に定義できて いないのは意外である」と述べ,「今回の研究は,米国臨床腫瘍学会(ASCO)の声明と同じく,進行がん患者に対する緩和ケアの早期導入を支持するもので ある」と付け加えている。

※患者やその家族の「心」を専門的にケアすること。具体的には霊的ケア(スピリチュアルケア)および宗教的ケアが中心となる

メディカルトリビューン 2012年10月18日

〜オランダの安楽死法〜
2010年の安楽死率および医師幇助自殺率は法施行前と同等
 安楽死が合法化されているオランダにおいて,安楽死法施行前後の安楽死および医師の幇助を受けた自殺(医師幇助自殺)の動向を検討したところ,2010 年の安楽死率および医師幇助自殺率は,同法施行前の水準と同レベルであることが自由大学医療センター(アムステルダム)のBregje D. Onwuteaka-Philipsen教授らが行った横断研究で明らかとなった。詳細はLancet(2012; 380: 980-915)に掲載された。

施行前後の20年間の動向を検証

 オランダでは2002年に,一定の条件を満たせば安楽死および医師幇助自殺を認める安楽死法が施行された。今回の研究により,2010年の安楽死率および医師幇助自殺率は,2002年の同法施行前と同レベルであることが分かった。

 2002年の安楽死法施行後,2005年には安楽死率および医師幇助自殺率がいったん低下したが,医師幇助自殺を希望する患者の増加などを背景 に,2005年から2010年にかけて再び上昇した。しかし,2005年に低下したために2010年の安楽死率および医師幇助自殺率は2002年の同法施 行前と同レベルだった。

 Onwuteaka-Philipsen教授らは,オランダ統計局の死亡登録データを分類し,終末期の意思決定が患者または医師によってなされた可能性 のある症例を同定した。その後,それらの症例を担当した医師に調査票を送付し,投薬中止などの決定を医師が行ったかどうか,あるいは患者の死を早めるため に薬剤を投与したかどうかなどについて調査した。回答から2010年における安楽死率および医師幇助自殺率を推計し,1990年から2010年にかけての 安楽死および医師幇助自殺の頻度の推移を検討した。

合法化で透明性高まるか

 分析の結果,2010年における安楽死あるいは医師幇助自殺の件数は推計4,050件で,オランダの全死亡数の3%を占めた。そのうち77%が「安楽死に関する地域審査委員会」に報告されていた。この割合は2005年とほぼ同等で,安楽死法の施行前よりも高かった。

 Onwuteaka-Philipsen教授らは「安楽死法の施行について不安視する声もあったが,安楽死が合法化された国々では,患者の明確な希望がない状態で医師が患者の死を幇助するケースは増加しておらず,オランダにおいて有意に減少している」と指摘している。

 患者が明確に安楽死を希望した場合,医師が致死薬を投与する安楽死と,安楽死を望む患者の意思表明を受けて医師が致死薬を処方し,患者が自ら投与する幇 助自殺が合法化されているのは,世界でもオランダ,ベルギー,ルクセンブルクの3カ国のみである。幇助自殺については,スイスおよび米国のオレゴン,モン タナ,ワシントンの各州で認められている。

 オランダでは,安楽死や医師幇助自殺を選ぶ若年患者やがん患者が多く,ナーシングホームや病院よりも一般診療所で行われていることも,今回の研究で明らかになった。また,患者背景については20年間ほぼ変わらなかった。

メディカルトリビューン 2012年11月1日

日本救急医学会、終末期医療についての調査結果を公表
人工呼吸の中止、水分・栄養補給の制限や中止に依然抵抗感
 日本救急医学会救急医療における終末期医療のあり方に関する委員会は2012年11月5日、「救急医療における終末期医療に関する提言(以下、ガイドラ イン)」に対する救急医療従事者の意識の変容について、アンケートの結果を発表した。ガイドラインを出してから5年が経過し、認知度は高まっているもの の、現場での適用については依然課題が残る状況が明らかになった。

 このガイドラインは同学会が2007年11月に公開したもので、1年後の2008年には救急科専門医を対象として認知度や適用状況の調査を行っている。 今回結果を発表した調査は、ガイドラインの公開から5年が経過し、救急医療の従事者に意識の変容があったのかを調べる目的で行われた。調査期間は2012 年5月8日から20日までの13日間。対象は、救急科専門医658人と救急医療に従事する看護師77人。

 まず、「ガイドラインの内容を知っているか」の設問には、救急科専門医の82.4%が「内容をよく知っている」または「おおむね知っている」と回答。2008年の調査時の73.3%を大きく上回り、ガイドラインの認知度が高まっていた。

 「終末期の状態にあると考えられる患者の診療にガイドラインを利用しているか」の設問には、救急科専門医の24.8%が「大いに取り入れている」または「取り入れている」と回答。2008年の調査時の21.7%を若干上回る結果となった。

 同学会のガイドラインでは、終末期と判断される患者については、家族の総意などを確認した上で延命措置を中止することができるとしている。その上で、延 命措置の中止や積極治療をしない方法として、人工呼吸の中止、人工透析を行わないなど4つの方法を提示している。「こういった方法について許容できるか」 を聞いた設問では、方法によって許容できる度合いが異なる傾向が示された。

 具体的には、「人工透析、血液浄化などを行わない」「人工呼吸器設定や昇圧薬投与量など、呼吸・循環管理の方法を変更する」については、許容できると肯 定的に回答した救急科専門医は多く、それぞれ83.2%、76.9%を占めた。一方で、「人工呼吸、ペースメーカー、人工心肺などを中止、または取り外 す」「水分や影響の補給などを制限するか、中止する」という方法については、許容できると肯定的に回答した救急科専門医が、それぞれ42.5%、 67.0%。抵抗感を持つ救急科専門医が少なくないことが分かった。こうした傾向は、08年の調査時と大きく変化していなかった。

 これまでの5年間にガイドラインを適用しようとした症例があるかどうか聞いた設問には全体の20.5%が「適用しようとした症例があった」と回答。08年の調査時の13.8%に比べて増加した。

 ただし、「適用しようとした事例がなかった」と答えた471人(71.6%) のうち、253人(53.7%)は「適用する意図がなかった」と回答した。

 「適用しようとした事例がなかった」471人の中で、「適用したかったが、できなかった」と回答したのは114人(24.2%)。適用できなかった理由 (複数回答可)は、「家族の意見がまとまらなかった」(86人、13.1%)、「法的な問題が未解決である」(73人、11.1%)、「医療チーム内の意 見がまとまらなかった」(53人、8.1%)などだった。

 今回の調査では、ガイドラインの認知度は高まっているものの、現場への浸透には課題が残る結果が示された。

日経メディカル オンライン 2012年11月26日