広葉樹(白)   
バックナンバー2015/1/4〜2016/1/6

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2015年1月4日 掲載
延命措置中止の指針…家族へのケア盛り込む
コラム「聴診記」医師が落語「患者に笑いを」
患者目線でがん告知を 獨協医大で医師向けに研修
病棟で遊びのボランティア 子どもたちに笑顔の時間を 全国ネットも始動 「医療新世紀」
終末期医療に意思表示「事前指定書」済生会熊本病院が導入
2015年2月4日 掲載
最期、患者の意思を尊重して
小児ホスピス、横浜に 6歳次女亡くした田川さん呼び掛け、チャリティーコンで資金
治療と仕事の両立困難65% がん対策で内閣府調査
「がん哲学外来」石巻赤十字病院始める 病気の不安を和らげるため医療スタッフとがん患者らが語り合ったメディカルカフェ
2015年3月4日 掲載
<どこまでがテレビが扱えるテーマなのか> テレビは終末期ケアの現場を取材できるのか?
「終末期、医療者が考え発信すべき」、3学会合同ガイドライン 集中治療医学会、「終末期」定義めぐり議論も
患者の生活支える医療へ 全国在宅療養支援診療所連絡会
2015年4月5日 掲載
認知症患者の緩和ケアで鍵握る苦痛評価法とコミュニケーション シリーズ「非がん患者の緩和ケア」こぼれ話
日野原重明氏肝いりのホスピス、休止へ 定額制で経営難
心のケア編 「プログラム」 リラックスで免疫力高める
医療維新 NHKの癌医療に関する番組を見て
心のケア編 「チャプレン」 生きる苦しみともに向き合う
2015年5月5日 掲載
がん対策、治療は納得でも情報提供に課題 推進基本計画の中間評価案、患者評価も盛り込み
医事雑感 物語の重要性 ご近所のお医者さん
出版:滋賀県立成人病センター・堀さん 緩和ケア医が見つめた「いのち」の物語
オーストラリア発祥の認知症ケア「ダイバージョナルセラピー」とは?
医事雑感 アドヒアランス ご近所のお医者さん
非がん患者の緩和ケア 心不全 介入時期逃さず緩和ケアを上乗せ
がん患者同士の交流の場「がん哲学外来」「がん哲学外来の核心」と題したシンポジウムを開催
がん患者のつらい症状 医師への説明をアプリで支援 ウェルビーのサービスを塩野義が採用
2015年6月5日 掲載
なぜ、医者は自分では受けない治療を施すのか
緩和ケア施設では土日や祝日に死亡者が多い!? ドイツの施設利用者8,390名を調査
低用量モルヒネは心不全患者の呼吸困難を安全に緩和する
シリーズ 非がん患者の緩和ケア 筋萎縮性側索硬化症 モルヒネで意識保ちながら苦痛軽減
緩和ケアの始まりは終わりの始まりではない モルヒネ大量投与=死期が近いは誤解 緩和ケアのホント
がん社会はどこへ:追い込まれた「リタイア」
がん社会はどこへ:働き続けたい 告知されても辞めない
NTT東日本関東病院 がん患者の心身サポート 安らぐ在宅での療養支援
「親の看取り」 介護疲れでうつを発症することも…
2015年7月5日 掲載
「もしも、一つだけ願いが叶うとしたら?」 がん患者と健康な人に、同じ質問をした結果
がんに負けない患者力 林和彦「緩和ケアとは、がんであることを忘れられる時間をつくること」
終末期医療のタブー!? なぜ欧米にはいない「寝たきり老人」が、日本は200万人もいるのか?
がん宣告からわずか2週間。「死の恐怖」を振り切った妻 ドキュメント 妻ががんになったら
がん患者の子供を救うため、髪を長く伸ばした少年たち
がん闘病! なぜ人は「増やす健康法」にはまるのか? ドキュメント 妻ががんになったら
2015年8月5日 掲載
「あきらめることでは決してない」専門医からのアドバイス コミュニケーション技術の高い医師にかかった患者は、不安や抑うつが少なく満足感が高い
終末期医療の国民議論を 多死時代へ、創成会議
看取りコミュニケーション講師・後閑愛実さん 自分の最期、元気なうちに家族と話そう
お金がかかる、おひとりさまでは無理…は思い込み? 在宅医療7つの誤解
平方眞の「看取りの技術」 看取りで困っていませんか?
患者のニーズに応じた緩和医療を 第20回日本緩和医療学会学術大会開催
緩和ケアチームの活動手引きを公表 日本緩和医療学会
2015年9月5日 掲載
在宅でも医療用麻薬の持続注射は十分可能!
独自指針で手続き明確化延命中止 重層的に判断救急の現場、模索続く
がん患者の生命予後予測,4種類の指標の精度は70%以上 緩和ケア,入院,在宅の3環境で検討
「自宅で最期を迎えたい」という親のためにできること
連載:終活Q&A 大病を患った家族に余命を告げるべきか
終末期がん患者のせん妄リスクに“強い眠気” ステロイドによる多施設共同前向き観察研究
後悔のない最期を迎えてもらいたい
がん患者の悩みに寄り添うプロの「伴走者」 医療コーディネーターを知っていますか?
2015年10月4日 掲載
延命治療をやめた重度認知症96歳女性 死の直前に周囲にお礼
遺言書ではない、エンディングノートの「法的な拘束力」はどの位あるの?
なぜ「がん難民」は生まれる? 医師が指摘する2つの理由
質の高い在宅ケア実践目指す 訪問看護師の役割増大 教育研修会に多数の応募
緩和ケアのため医療連携 「イメージ変え情報提供」
欧米に寝たきり老人はいない
臨床腫瘍医と緩和ケア医,お互いの理解不足が浮き彫りに
2015年11月5日 掲載
終末期のがん治療は変わるか!?京大が生存率を80―90%の精度で予測する手法開発 最適な治療を提供。客観的な判断基準としての活用目指す
末期がん宣告から13年。命をつないだレシピとは? 『奇跡のシェフ』出版プロジェクト始動
“在宅死”が増えても医療費削減にはならない 自宅での安らかな最期を
医師への「ある質問」ががん患者の終末期の判定に有用? ASCO関連シンポで発表
総合的保健政策に緩和ケアの統合を リエン財団が死の質改善で呼びかけ
40兆円超えた医療費 終末期医療の効果的な実施を 立ちはだかる尊厳死問題
緩和ケアは患者に寄り添う医療そのもの 抗がん薬などの治療との併存も可能
なかにし礼氏、がん再発で葬儀準備も奇跡の完治「がんが消えた」
緩和ケアにおいて薬剤師さんに望むこと
終末期医療について考えよう!
症状緩和だけじゃない!緩和ケアに必要な技術
「がん離婚」なぜ妻ががんになったら夫は別れたがるか
2015年12月3日 掲載
家族システムと早期からの緩和ケア “患者家族”への介入が,患者の生命予後延長に寄与する?
死の直前に見る夢は 米研究
医者は自分にどんな「がん治療」をとる? 99%が抗がん剤を使わず
「リビングウイル」初の県民調査 賛成6割超えるも作成は2.6%
がんになる前の自分に伝えたい、10のこと
「老親の介護をする人に、がんが多い」
2016年1月6日 掲載
室蘭で緩和ケアテーマに公開講座 音楽でストレス軽減
米国で進む 小児がんの苦しみや辛さを和らげるセラピードッグの研究
在宅医療に取り組む看護師から見た遠隔診療
自宅で死をむかえるのは難しいのか 自宅で死の瞬間をむかえること…みんなはどう考えている?
69歳の僧侶・内科医が余命3か月のいま、考えていること語る
創成会議、終末期医療は「選択の仕組み作り」が必要
お正月は大チャンス!「エンディングノート」について話し合おう

延命措置中止の指針…家族へのケア盛り込む
 延命措置を望まないと思われる患者の意思を尊重するため、日本救急医学会など3学会は、治療の差し控え・中止の手続きを示した「終末期医療に関するガイドライン(指針)」を作った。

 家族との話し合いでは、悲しむ家族の心のケアを医療チームに促すなど、従来の各学会の指針や提言の内容を充実させた。

 延命措置の中止については、過去に医師が殺人容疑で書類送検された経緯があり、いまだに混乱を恐れて中止できないという医療機関が一部にある。このため同学会や日本集中治療医学会、日本循環器学会は、これまでに示した指針や提言をまとめ、より丁寧に現場の疑問に答える形の新しいガイドラインを作った。

 医療チームにより「治療をしても回復できない」と診断された患者の意思が分からない場合は、家族などと話し合い、患者にとって最も良い方針をとるのが基本とした。延命措置の差し控えをする場合も、苦痛を和らげる治療は続けることを明示した。

 また、家族が悲しみを十分に表す時間や機会を設けるように医療チームに配慮を求めた。

 3学会が今月公開したホームページ(日本救急医学会はhttp://www.jaam.jp/index.htm)では、ガイドラインの背景や経緯をまとめた資料、一問一答のQ&A集も掲示した。

m3.com 2014年12月1日

コラム「聴診記」医師が落語「患者に笑いを」
 17日夜7時前、九州がんセンター(福岡市南区)の2階会議室で開かれた「寄席」。にわか仕立ての高座に、出ばやしとともに登場したのは福岡素人落語会会長の杉本理恵さん(51)だった。

 着物に帯、足袋などを身に着けて出演。扇子と手ぬぐいの小道具もきちんと用意して古典落語の「鈴ケ森」、新作落語の「動物園」を絶妙の語りと動作で披露。集まった入院患者ら約50人を笑いの渦に巻き込んでいた。

 まるでプロの落語家のような杉本さんの本職は、この病院の消化器肝胆膵内科医長。肝臓がんが専門の医師で、この日の寄席ではこんなこともおっしゃっていた。

 「動物園」の枕(前置き)では―。「笑うちゅうことはとても体にええですねぇ。ちょっと専門的な話をさせてくださいね。NK細胞ちゅうてね、笑うと、この細胞が元気になるんですねぇ。NK細胞ちゅうのはがんを殺す細胞なんです。ですから、皆さんが笑えば笑うほど、体の中でどんどんどんどん、がんが死んでいくんですね」

 「動物園」が終わって―。「しっかり笑っていただいて、がん細胞を殺しましたかねぇ〜。皆さんのご全快をお祈りいたしております」

 父親が落語を聞くのが好きだったことから、自身も小学生のときから落語に親しんだ。九州大学医学部に進んで、九大落語研究会に所属。卒業して医師になっても落語を愛し、九州の各大学の落研OBらでつくる福岡素人落語会に約15年前に入会し、発表会などの活動を続けている。

 今回の九州がんセンターでの寄席も、杉本さん自らが企画。外出が難しい入院患者らに楽しんでもらえればと、自身が九州がんセンターに着任した2009年から年2回のペースで続けている。この寄席には、福岡素人落語会の仲間数人にも協力してもらい、一緒に交代で落語を披露している。17日に加勢した同会事務局長の高田康治さん(49)は「医療だけでなく、落語でも患者さんを支えようとしている杉本さんをすごいなと思うので、協力しています」と話す。

 この日の寄席は杉本さんが2席、高田さんが1席演じて計約50分で終了。入院患者らは会場を出るとき「おもしろかった」と口にしたり、杉本さんと握手したりしていた。

 杉本さんは、九州がんセンターでの寄席に関して「闘病中のがん患者さんであっても、生活を楽しんでもらいたいとの思いでやっています。笑うことが体にもいいのだ、という話をすれば、患者さんは、笑いをより大切にしてくれるはず」と話す。この寄席、入院患者から回数を増やしてほしいとの要望が強く、今後は年3回にしていくという。

m3.com 2014年12月2日

患者目線でがん告知を 獨協医大で医師向けに研修
 「あなたはがんです」と知らされることは患者にとって大きな衝撃で、医師の伝え方によって闘病中の精神状態が大きく左右されるとされる。そのため、患者目線に立った対応を身に付けようとする動きが医師の間で広がりつつある。獨協医大は今月、医師対象に研修会を開催。研修の前後では患者への対応に大きな変化が見られた。

 「検査結果をお伝えします」。受講者は医師役となって話を切り出す。「予後の悪いがん」と聞いた模擬患者は「もう駄目っていうことですか」と迫真の演技で迫る。空気が張り詰めた瞬間、「はい、そこまで」。進行役のファシリテーターが中断し、「やりとりを振り返りましょう」と意見を促す。

 同大が実施したのは、日本サイコオンコロジー学会による「がん医療に携わる医師に対するコミュニケーション技術研修(CST)」。予後の悪いがん、積極的治療の中止といった「悪い知らせ」を伝えるシナリオに基づき、ロールプレイ方式で進める2日間のプログラムだ。

 CSTの最大のポイントは、情緒的サポート。一方的な説明は禁物。患者が気持ちを整理するための適切な沈黙や、「家族の将来が心配」といった患者の個人的な背景にも配慮した言葉掛けが求められる。

 受講した医師たちは臨床での告知を数多く経験しているが、初日は戸惑う場面が多かった。「患者からの質問に答えるだけで、気持ちに配慮していなかったことに気付いた」との反省も。しかし2日目には「患者の話を傾聴し、情緒的サポートも十分」とファシリテーターの石川和由同大腫瘍センター緩和ケア部門長も驚く変化が見られた。

 患者の精神的苦痛を和らげる「緩和ケア」はがん対策基本法(2007年)で重視され始めたが、「まだ新しい分野で、きちんと目が向いているとは言いがたい」と研修会主宰者の山口重樹同大麻酔科学講座主任教授。「こういった研修を通して、医師1人1人の変革を広げていければ」と話している。

m3.com 2014年12月2日

病棟で遊びのボランティア 子どもたちに笑顔の時間を
全国ネットも始動 「医療新世紀」
 入院中の子どもは家族や友達と離れ、つらい治療に向き合わなければならない。付き添う親も、不安や疲労を募らせていく。そんな子どもたちの遊び相手となり、楽しい時間を提供するボランティアが、全国の小児病棟で増えている。子どもたちに笑顔を、親にはつかの間の休息をもたらす活動だ。各地のボランティアが交流する「全国小児病棟遊びのボランティアネットワーク」も昨年発足し、人材育成や社会への情報発信などを目標に動き始めた。

▽親も気分転換

 「こんにちはー」。週末の静かな病棟に明るい声が響く。11月下旬、東京・新宿の国立国際医療研究センター病院。NPO法人「病気の子ども支援ネット 遊びのボランティア(通称ガラガラドン)」の男女メンバー14人が、入院中の子どもたちを訪ねてきた。

 1〜6歳の男の子4人の病室で、クリスマス用飾りの工作が始まる。作業に熱中していた男児(6)は「上手だね」とメンバーから口々にほめられ、ちょっと得意顔だ。ぜんそくで何度か入退院を繰り返しているため、院内での遊びは経験済み。今回も「いつ来るかな」と心待ちにしていたという。母親(32)は「本人だけでなく私も気分転換できました」と感謝の言葉を口にする。

 小児がんで長期入院している子どもたちの個室では、点滴用の管を付けた手でおもちゃ遊びをする子や、メンバーとのすごろくゲームにはしゃぐ子も。笑顔が広がり、予定の1時間半はあっという間に過ぎていった。

▽医療の高度化

 「遊びは子どもの健全な発達に欠かせません。しかし、病院という閉鎖的な環境では十分に遊ぶことが難しい」とガラガラドン理事長の坂上和子(さかうえ・かずこ)さん(60)は語る。

 ガラガラドンの設立は1991年。もともと新宿区民の子どもを対象に病院を回る訪問保育士だった坂上さんが、保育士仲間5人とともに立ち上げた。以来20年以上、毎週土曜日に同病院への訪問を続けている。この間、2006年にはガラガラドンをNPO法人化。現在の登録ボランティアは約70人に上る。メンバーには教師や保育士、学生に加え、子どもを亡くした親も含まれる。

 医療の高度化で医師や看護師の負担は増えるばかり。時間をかけて子どもたちと向き合う余裕はない。一方で子どもたちは、苦しい検査や治療に耐えながら、それでもなお、遊びを求めてやまない。「医療スタッフができないことを、横から支えるのが私たちの役割です」と坂上さんは話す。

▽信頼獲得を

 だが、ただ遊べばいいというものではない。病院という特殊環境で事故や感染をいかに防ぐか。活動には的確な状況判断とスキルが求められる。

 この日も冬場に流行するRSウイルス感染症の子どもが多かったため、プレールームでの集団活動を急きょ病室ごとに変更。メンバーも感染防止用のガウンや手袋を着用し細心の注意を払った。

 看護師の乾瑶子(いぬい・ようこ)さん(28)は「メンバーはプロ意識が強い。子どもの年齢ごとにどんな遊びが発達を促すかも分かっている。とても助かっています」と信頼を寄せる。

 昨年1月、坂上さんをはじめ、神奈川、愛知、鹿児島の各県で活動に取り組む4人が発起人となり初の交流集会を開催。9団体27人が参加し、全国ネットを設立した。さらに今年2月の第2回集会には100人近くが詰めかけ、活動の広がりを感じさせた。今後は国や自治体にも働きかけ、遊びのボランティア普及に努めていく考えだ。

 「ボランティアを受け入れてくれない病院もまだまだ多い。信頼を得るには、活動の質をより高めていく必要があります」と坂上さんは話す。

m3.com 2014年12月9日

終末期医療に意思表示「事前指定書」
済生会熊本病院が導入
 「終活ブーム」もあり、終末期医療について自らの意思表示をしておく「事前指定書」への関心が高まりつつある。済生会熊本病院(熊本市南区近見)は2010年から希望する入院患者らを対象に導入。徐々に利用が広がっている。

 「口で食べられなくなっても胃ろうによる栄養補給はしない」「呼吸状態が悪化したときに気管挿管はしない」...。このような希望を事前指定書で示していた80代後半の女性が12年2月、同病院を退院した。

 今年8月まで再入院することなく宇城市の介護施設で生活。徐々に口から食事ができなくなってからも積極的な治療はせず、静かにみとられたという。

■治療の選択肢

 同病院では事前指定書の使用を10年度から試行。11年6月から本格的に導入した。12年度に68人、13年度に66人が利用するなど、試行開始から今年3月までの4年間で利用者は177人に上った。

 事前指定書に法的な根拠はないが、「不治かつ末期の状態」で本人が意思表示できなくなった際に、家族や医療チームが本人の意向を尊重した治療を選べるようになる。

 同病院では、実際に記入するかどうかは患者・家族の判断だ。入院患者のうち、(1)肺炎など6カ月以内に病状の悪化や再発が予想される人(2)長期療養が必要な人、などを主治医の判断で選び、本人や家族に病状を説明。併せて、事前指定書の役割や容体が悪化した場合の治療の選択肢を伝えている。

 説明に同席している川上ゆり看護師は「事前指定書とは何ですか、という反応が多い。まだ認知度は低いが、説明を受けた人の9割は記入しています」。

■高齢者の救急搬送

 患者や家族が記入できる項目は▽人生の終わりを迎えたい場所▽容体の急変時に、救急車の依頼や心臓マッサージ、気管挿管・人工呼吸器などを望むかどうか▽意思表示できなくなったときに主治医が相談すべき相手―など。考え方が変わったら書き換えも可能だ。 こうした取り組みを進める背景には、救急搬送される高齢者の増加がある。同病院の救命救急センターには年間に約9千人が救急搬送されており、ほぼ半数を75歳以上の高齢者が占めている。

 中には、助かる見込みの少ない心肺停止の状態で介護施設などから救急搬送されるケースも。ただ、心肺停止に対する救命処置では、1分間に100回ほどの速さで心臓マッサージが必要。胸骨が5センチ沈むほど圧迫するため、老衰した患者は骨折の危険性もあるという。

 救命救急センター長の前原潤一医師は、重症の肺炎などで高齢患者が搬送されてきた場合にもジレンマを感じるという。「何もしないと数時間で亡くなる可能性がある。本人の意向が不明なら、寝たきりの人にも人工呼吸器の装着などをすることになる」と話す。

 終末期に、こうした苦痛を伴う処置を本人が望んでいたのかどうか―。救命医療の現場では悩みが尽きないという。

■きっかけづくりに

 同病院の中尾浩一副院長は「急性期病院に搬送されてきた場合は救命が求められるが、そこまでの処置を望まない人もいると思う」と指摘。「終末期や死については、さまざまな考え方があると思う。事前指定書があることで、患者・家族が深くコミュニケーションを取るきっかけになれば」と話す。

 在宅医療に取り組む医師約80人でつくる「熊本在宅ドクターネット」も独自の事前指定書を活用し、普及を進めている。

 事務局の田島和周医師(田島医院長)は「指定書を書き残すことが目的ではない」と強調。「本人が意思表示していなければ、家族の判断も難しい。記入する場合は1人で書き込まず、主治医の話を聞き、家族と検討してほしい」と話している。

m3.com 2014年12月9日

最期、患者の意思を尊重して
主婦 土橋聰子(山梨県 67)

 がんの手術から2年たった母が体調不良になった。「あと1、2カ月の命」と診断された。

 90代という高齢である。以前から本人と家族で話し合っていた通りに、私たちは「自然な死を迎える」という選択をした。

 ホスピスを希望したが、医師はまだその時期ではないと言う。入院して栄養剤の点滴が始まった。腕の針の痕は痛々しく、足はむくみ、夜間に眠らせるための注射が打たれた。苦しみを長引かせているだけのようで、つらかった。

 家族で探したホスピスに転院を決めたのが40日後。点滴は外され、拘束もとれた。母の表情は穏やかになった。まもなく身体は衰えて死を迎えたが、これが自然の姿なのだと、私たちは納得して受け入れた。

 母がたどった経過から強く思うのは、終わりのときの主人公は誰かということだ。尊重されるべきは患者側の意思ではないのか。医療側の判断が先行したことに疑問を抱いた。

 「延命はしてほしくない」と宣言書をしたためていた母なのに、ぎりぎりまで苦しみを長引かせたことが残念でならない。

m3.com 2015年1月10日

小児ホスピス、横浜に
6歳次女亡くした田川さん呼び掛け、チャリティーコンで資金
 ◇6歳次女亡くした田川さん呼び掛け

 病気などで余命を宣告された子供が家族と最期の時間を過ごせる「小児ホスピス」を横浜市に作ろうという運動が、6歳の次女を脳腫瘍で亡くしたNPO法人理事長、田川尚登さん(57)の呼び掛けで進んでいる。昨年8月に設立準備委員会を発足させ、資金約2億円を定期的に開くチャリティーコンサートの収益や募金で賄いたい考えで、その第1回コンサートを23日午後7時、西区の県立音楽堂で開催する。

 田川さんは1997年9月、次女はるかちゃんが脳腫瘍で「余命半年」であると医師から宣告された。本人に残された時間を楽しく過ごさせてあげることや家族との思い出を作ってあげたいと考えたが、翌年2月にはるかちゃんが亡くなってからも「娘の希望をどれだけかなえられただろうか」という思いをずっと抱いていたという。

 娘と同じ境遇にある子供のために何かできないだろうかと2003年、志を同じくする仲間とNPO法人「スマイルオブキッズ」を設立。娘が入院していた県立こども医療センターの近くに患者家族のための滞在施設「リラのいえ」を開設し、センターに入通院する子の兄弟や姉妹の預かり保育なども担ってきた。

 小児ホスピスは82年に英国で始まったとされる。医療・福祉・教育の専門家らのボランティアが寄り添って残された時間を共に過ごし、子供が亡くなる際のみとりや遺族のケアにもあたっている。現在は世界中に広がっているが、国内には淀川キリスト教病院(大阪市東淀川区)など数カ所しかない。

 田川さんは「子供の思いをかなえて家族のフォローもできる、我が家のような施設を」と小児ホスピス建設への思いを募らせていった。同NPOが13年に元看護師の女性から遺産1億500万円を寄付されたことをきっかけに昨年8月、設立準備委員会を結成。熱心な働きかけで医療・音楽関係者や地方議員など約30人が賛同者となった。

 場所は未定だが「子ども医療センターや市大病院に近く、海が見えて自然豊かな環境を」と金沢区の公有地での建設を希望している。温かみのある木造にしたい考えで、家族も一緒に宿泊できる個室5床を用意し、広いリビングに食堂、調理室、みとりの部屋などを備える計画だ。

 建設や運営のための資金として3年後までに少なくともあと2億円を集めることを目標にチャリティーコンサートやイベントを開き、賛同者や支援者集めを進める。20年の施設完成を目指す。田川さんは「多くの人に小児ホスピスの必要性を知ってもらいたい」と話す。

 23日は同NPO副理事長で活動を支援するピアニスト、関孝弘さんのリサイタルでショパン「別れの曲」などを演奏する。これまでの経過と小児ホスピスの完成イメージについての発表もある。午後6時開場。前売り5000円、当日5500円。購入はチケットぴあかアテナ・ミュージック(03・6416・8570)。

m3.com 2015年1月13日

治療と仕事の両立困難65% がん対策で内閣府調査
 内閣府は17日付で、がん対策に関する世論調査結果を発表した。がん治療や検査のため2週間に1回程度、通院しながら働く環境が整っているか聞いたところ「そう思わない」「どちらかといえばそう思わない」の回答が計65・7%に上った。2013年1月の前回調査より3・2ポイント減ったものの、がん治療と仕事の両立が依然困難とみられている実情が浮き彫りとなった。

 厚生労働省は10年の国民生活基礎調査を基に、働くがん患者を32万5千人と推計している。今回の世論調査の担当者は「仕事と治療の両立には職場の理解が必要だ。がんになっても働き続けられる状況にしたい」と強調した。

 がん治療と仕事の両立が難しい理由は「代わりに仕事をする人がいないか、頼みにくい」が22・6%で最多。「職場が休みを許すかどうか分からない」(22・2%)、「体力的に困難」(17・9%)、「精神的に困難」(13・2%)、「休むと収入が減る」(13・1%)の順となった。

 がん検診の受診率が40%程度と欧米に比べて低い理由を複数回答で尋ねたところ「受ける時間がない」が48・0%で、前回調査(47・4%)と同様にトップだった。「経済的な負担」を挙げた人は前回から3・5ポイント増えて38・9%だった。

 政府に求めるがん対策(複数回答)は「医療機関の整備」が64・9%に上った。これに「がん検診」(56・5%)、「専門的医療従事者の育成」(55・3%)、「就労が困難になった際の相談・支援体制整備」(53・4%)が続いた。

 調査は昨年11月に全国3千人を対象に面接で実施し、60・0%の1799人が回答した。

m3.com 2015年1月19日

「がん哲学外来」石巻赤十字病院始める
病気の不安を和らげるため医療スタッフとがん患者らが語り合ったメディカルカフェ
 石巻市の石巻赤十字病院が、がん患者と家族の心に寄り添う「がん哲学外来」を始めた。主治医以外の医師が個別に応対する面談と、くつろいだ雰囲気で医療従事者と情報交換する「メディカルカフェ」の二つの手法で対応。通常の診療とは異なるスタイルで病気に関する不安の軽減を図る。

 初めての哲学外来は1月21日に設けられ、面談には患者の家族が訪れた。金田巌院長が約50分間、悩みに耳を傾け、哲学者の言葉を引用し前向きな気持ちになれるようにアドバイスした。

 一方、健診センターであったカフェは60〜70代の患者ら6人が参加。看護師や薬剤師ら7人とテーブルを囲み、コーヒーを飲みながら約2時間談笑し合った。

 女性患者(66)は「和やかで話しやすかった。薬について薬剤師から教えてもらい、少し不安がなくなった。次も参加したい」と話した。

 精神的な苦痛を緩和する哲学外来は、順天堂大医学部の樋野興夫教授が2008年に始めた。現在は全国で40カ所以上に広がる。石巻赤十字病院は昨年9月に樋野教授が講演したことがきっかけで、導入を決めた。

 厚生労働省の人口動態統計などによると、日本人の2人に1人はがんにかかり、3人に1人が死亡している。一方で治療の進歩に伴い患者の5年間生存率は上がり、ケアの重要性が増している。

 金田院長は「哲学外来は従来の医療だけで解決できない分野に手を差し伸べられる」と意義を強調する。今後は月1回ペースで開設を予定している。

河北新報ONLINE NEWS2015年1月31日

<どこまでがテレビが扱えるテーマなのか>
テレビは終末期ケアの現場を取材できるのか?

高橋正嘉[TBS「時事放談」プロデューサー]

 テレビ番組を作る時には、真摯にテーマを取り上げなければならない場合がある。

 それが人の生き死にかかわるような難しいテーマだと、笑いに落とし込んだり、深入りせずに逃げたりすることも出来なくなる。課題を指摘し、行政や責任者に何とかしろ!といえる時などはまだ良い。逆に「こうしたらうまく行きますよ」と役に立つ情報が流せる時も、それはそれで良い。

 しかし、深刻なテーマの場合、役立つ情報がないことが多い。

 それは日常生活と似ているかもしれない。日常生活では多くの場合「解決してくれる人」がいるわけではない。文句を言っても始まらないことの方が多い。この「普通のこと」がテレビは苦手なのだ。つまり、人生というやつが苦手と言っても過言ではない。

 ホスピス(終末期ケアを行う施設)が日本でも関心を持たれ始めた頃のことだ。アメリカのコネティカット州でホスピスを撮影したことがある。日本にはまだ、ホスピスと呼べるようなものはなかった。当時の日本では、癌であったとしても、それを告知されることは珍しく、ホスピスを作るとすれば病院の付属でしか考えられない頃だった。

 癌には死のイメージが直結し、告知すべきはどうかが大きなテーマになっていた。

 宗教の門題もあるのかもしれないが、アメリカでは、患者が終末をどうのように迎えるかが研究テーマになり、いくつものホスピスが作られていた。この頃、「死ぬ瞬間」などの本を出していたキューブラー・ロスがよく読まれていたことが影響しているのかもしれない。

 もちろん日本でも、「死」についてさまざまな研究がなされていた。「死」をどのように「受容」したら良いかが大事なテーマになっていた。だが、日本ではそれは現実の話にはなっていなかった。あくまで医療行為の話だった。「治ることがない」ということは医療にとってつらいテーマでもあったわけだ。

 そして、筆者は「ホスピスとは何か?」というような入門編みたいな番組を作った。夜の10時から1時間の番組である。コネティカット州のホスピスでは、痛みの緩和がメインのペインクリニックなどの取材をした。しかし、これは結局、医療行為である。ホスピスが必要なのはこうした医療行為でなく「どう安らかな死を迎えるのか」といった精神の世界のことである。

 だが、ここでは「カウンセリングはどうする?」「ボランティアの役割は?」というような本質とはかかわらないことしか取材できなかった。いや踏み込めなかったと言ったほうが良いかもしれない。

 もちろん、何人かの患者さんの取材もした。その時、年配の男性が言った言葉が印象的だった。60代の男性だと思えたが、実はもっと若かったかもしれない、彼が言うのは、「夜が怖い」ということだった。

 「独りになり、夜がくるとこのまま、朝を迎えられないのではないかという恐怖がやってくる」

というのだ。彼の言い方は静かだった。

 夜をどう撮ったらよいか、これが難しいテーマになった。ホスピスには深夜の静寂はない。いろいろな声がする。時にすすり泣きであったり、明るい笑い声も混じり、あるいはうめき声だったりする。眠れない人がたくさんいるのだ。だが、彼の言っている闇は「とてつもない静寂」を意味するように聞こえた。

 いつまでも深夜の撮影をするわけには行かなかった。撮影すること自体、彼らにとっては苦痛でもある。その場に長くいることも出来ない。

 そのホスピスのすぐ近くに、大きな銀杏の木があった。黄色が鮮やかでちょうど色づいた葉が散り始める時だった。銀杏の黄色は普段日本で見る黄色よりずっと深い。そしてそれは、屋根を越えるような高さだった。筆者はこの銀杏の木を撮影した。完成した番組では夜のシーンの後にこの銀杏の画を挿入した。

 放送が終わった後ある人に「銀杏の木が印象的でしたよ。きれいだった」といわれた。これは妙にうれしかった。

 どうしてもペインクリニック、あるいは告知、そういった医療行為を追いたくなる。だが、ホスピスはそうした医療が届かなくなった人々のターミナルケア(終末期ケア)をどうするかだ。現状を紹介すればするほど、患者たちから遠くなっていくように思えた。すると、ますます無機的な取材になっていく。

 結局、患者たちの内面にはとても踏み込めなかった。難しいだけではない。その回答も持ち合わせていない。取材できたものが「銀杏の木」だったわけだ。「銀杏の木」はたぶん患者たちが毎日見ていたであろう。筆者はその木が美しいと思った。

 あの番組を制作してから30年も経った今も「銀杏の木」を見るとあのときの取材を思い出す。

 今、医療の水準は格段に上がった。絶望が早い段階でやってくるのではなく、医療行為の最後まで希望を失わせない仕方になっている。だが、その先にやってくる精神をどうケアするかという課題はあの頃と同じく克服されていないテーマであり続けているのだろう。

 どこまでテレビが扱えるテーマなのか、それを判断するのは難しい。しかし、眠れない夜はどんな夜なのか、微に入り細に入り取材することがテレビのテーマであるとはやはり思えない。戸惑いは今も変わらない。

 たぶん、映像の役割はこの人生というやつの中にもあるのだろうが、いつまでたっても難しい。

 だが、一方では映像にとって人生とは、もっとも取材すべき対象のような気もする。表情やしゃべり方など人生を想像できるものを最も映すことが出来る方法のようにも思えるからだ。それは活字より向いているかもしれない。

livedoor ニュース 2015年2月2日

「終末期、医療者が考え発信すべき」、3学会合同ガイドライン
集中治療医学会、「終末期」定義めぐり議論も
 日本救急医学会、日本集中治療医学会、日本循環器学会の3学会が合同で策定した「救急・集中治療における終末期医療に関するガイドライン」に関するパネルディスカッションが2月10日、第42回日本集中治療医学会学術集会で開かれた。講演者が各学会や看護師の視点からそれぞれ合同ガイドラインについて説明した上で、今後の課題などについて討論した。

 ガイドライン作成に携わった、医療法人社団美心会黒沢病院脳卒中センター・救急部の佐藤章氏は、合同ガイドラインを公表する意義について「医療者が自ら考え、発信することで社会からの信用が得られると思う」と指摘した。

 質疑応答では、医療現場がどのようにガイドラインを解釈し、実践していくかについて、フロアから質問が出た。

 終末期の定義についてガイドラインでは「適切な治療を尽くしても救命の見込みがないと判断される時期」と記載されているが、その期間は示されていないため、その解釈を問う声のほか、「慢性期疾患の患者はガイドラインに含まれないのか」「医療チームだけでの終末期の判断は難しいのではないか」といった質問や意見、「他の学会もガイドラインに加わってほしい」といった要望も出た。

 座長を務めた、筑波大学医学医療系救急・集中治療部の水谷太郎氏は最後にガイドラインの普及と検討の継続を訴えた。

3学会合同でガイドライン策定

 ガイドラインは日本救急医学会、日本集中治療医学会、日本循環器学会の3学会合同で2014年11月に発表され、救急・集中治療における終末期の判断基準や対応の具体例を挙げて示した。

 2007年に日本救急医学会が発表した終末期医療に関する提言を基に、2011年から日本救急医学会と日本集中治療医学会が協議を開始、2013年から日本循環器学会が加わって3学会合同ガイドラインとして検討が重ねられてきた。

 今回のパネルディスカッションでは、佐藤氏が救急医療、静岡県立総合病院の野々木宏氏が循環器、岡山大学大学院救急医学分野の氏家良人氏が集中治療、山口大学大学院医学系研究科臨床看護学分野の立野淳子氏が看護師の視点からそれぞれの分野とガイドラインの関わりなどを説明した。

医療者が考え、社会に発信

 佐藤氏は、合同ガイドラインを公表する意義を説明した上で、急性終末期医療において患者の意思の確認が難しい状況が増える中、「患者の望む治療ができているのか」「患者の尊厳を損なっているのではないか」と医療者が悩み、疑問に思うことに対して「正解はなくても自ら考え続けることが求められる」と話した。

 さらに、厚生労働省のアンケートなどの結果から「終末期延命治療の中止に対する社会の潜在的容認度は高い」と分析。一方で医療側の対応が不十分なままで、ガイドラインの普及など「自律的な問題意識の醸成と社会に向けた発信」が重要だと訴えた。

 また、家族対応の基本として「医療側の原則的な方針・考え方を説明する」「医療側の考えを押しつけない」「決断をせまらない」「家族の意見を引き出す努力をする」「反論、批判しない(理解を示しつつ別の考えも示す)」「家族全員の意見一致を確認する」「判断に窮している場合は、医師の考えを提案してもいい」とする考えを示した。

 野々木氏は循環器医療の立場からガイドライン策定に至った背景や、循環器疾患の末期状態と終末期の定義について解説した。突然終末期を迎える脳卒中などの救急疾患に対し、「例えば心不全などの慢性的な循環器疾患の末期状態(End Stage)は増悪と緩解、入退院を繰り返しながら、次第に悪化していく状況」と指摘、「最終的に悪化から後戻りができない「終末期(End of Life)を迎える」と説明した。

 そのため循環器疾患で特徴的なのが「終末期の予測の難しさ」で、疾患が増悪しながらも、補助人工心臓や移植、血液透析、ペースメーカー、ICDなどの治療で改善が見込めるため、末期状態がかなり進行していても「あきらめることが難しい」という。

 合同ガイドラインの影響としては、日本循環器学会の急性心不全の治療ガイドラインで緩和ケアが取り上げられたことや、合同ガイドライン公表後に実施した循環器学会の会員向けのアンケートで循環器の緩和ケアを実施していると回答したのが28%と前回2008年より倍増し、会員の意識が向上していることを紹介した。

終末期の対応

 氏家氏は、集中治療学会の立場で、2006年に発表した「集中治療における重症患者の末期医療のあり方についての勧告」とガイドラインの特徴を説明した上で、「終末期医療は治療中断だけではない」と指摘。

 終末期の対応は、(1)現在の治療を維持する(新たな治療は差し控える)、(2)現在の治療を減量する(全て減量する、または一部を減量あるいは終了する)、(3)現在の治療を終了する(全てを終了する)、(4)上記のいずれかを条件付きで選択する、などの選択肢があるとし、「ガイドラインは一つの道標であり、終末期医療およびその結果は単一のものではない」とまとめた。患者や家族との真摯な会話や、臨床倫理と緩和医療の知識と技術を学ぶ必要性も指摘した。

 立野氏は、今回のガイドラインで「看護師の役割」と「こころのケア」が明記されたこと高く評価。終末期医療のチームで看護師が積極的に発言していくことが重要だとした。

 また、日本集中治療医学会が実施している「終末期患者家族のこころのケア講座」の実施状況を報告した。こころのケア講座は医師や看護師らが対象で、患者や家族に適切なケアをロールプレイなどの研修で学ぶ。これまでに8回実施され、計183人が参加。最近の傾向として「医師や経験の豊富な医療者の参加」が増えているという。今後は、参加条件の緩和や講座の実施日数を短縮し、より多くの医療者の参加を目指す。

終末期の定義について質問が集中

 合同ガイドライン発表から約3カ月が経った今回のパネルディスカッションで焦点になったのは、医療現場がどのようにガイドラインを解釈し実施していくかという点だ。特に注目されたのが、ガイドラインで「適切な治療を尽くしても救命の見込みがないと判断される時期」と記載された終末期の定義。今回のガイドラインでは、具体的に(1)から(4)の例が挙げられている。

  (1)不可逆的な全脳機能不全(脳死診断後や脳血流停止の確認後などを含む)であると十分な時間をかけて診断された場合

  (2)生命が人工的な装置に依存し、生命維持に必須な複数の臓器が不可逆的機能不全となり、移植などの代替手段もない場合

  (3)その時点で加えられている治療に加えて、さらに行うべき治療方法がなく、現状の治療を継続しても近いうちに死亡することが予測される場合

  (4)回復不可能な疾病の末期、例えば悪性腫瘍の末期であることが積極的治療の開始後に判明した場合、など

 これらの場合、医療チームが患者の意思の確認、もしくは家族や関係者に総意としての意思を確認し対応するか、患者の意思が不明で家族にも接触できない場合は、医療チームで延命措置の中止の是非などを判断するとしている。

 ガイドラインでは、(2)の不可逆的な状況は、循環器医療の特徴などを考慮して意図的に「期間」についての明記を避けた。

 氏家氏は「もしかしたら1カ月、2カ月生かすことができるという場合もある。医療チームが妥当な期間か判断してもらいたい」と述べ、野々木氏は「例えばPCPSを回路交換しながら長期維持できるものの、相当の合併症か脳出血などが起きて『不可逆的な状況』になることもある。時間軸を数日と決められなかった」と話し、改善の見込みが少しでもある場合は終末期ではなく末期に相当し、今回のガイドラインの範囲にはならないとした。

 次に質問が相次いだのが、終末期の判断をする主体だ。

 合同ガイドラインでは、患者の意思が確認できず患者の家族らにも接触できない場合、医療チーム(主治医を含む複数の意思と看護師らで構成)の総意で、患者にとって最善の対応になるように延命措置中止の是非などを判断するとしている。会場から「医療チームが間違った判断をしてしまった時のために、倫理コンサルタントなど第三者の視点がきちんと入るようにした方がいい」とする意見が出たが、氏家氏は「われわれも倫理的な考え方をできるようにならねばならない。そう思って勉強しないといけない」と回答。佐藤氏も「倫理の問題に正解はないし、専門家も答えを出さない。われわれが意識していなかった問題点を提起してもらえるが、最終的には医療チームが判断するしかない」として、医療チームが倫理的な判断を主体的にすべきだとする見解を述べた。

 そのほかに会場からは、長期の慢性疾患で終末期に近い患者についても、今後の合同ガイドラインで含むよう求める意見も出た。水谷氏は、「パブリックコメントの締め切りは過ぎているが、よく読んでもらって忌憚ない意見を学会に届けてもらい、今後のヒントにしたい」と呼び掛けた。

m3.com 2015年2月15日

患者の生活支える医療へ
全国在宅療養支援診療所連絡会
 全国在宅療養支援診療所連絡会の第2回全国大会が2月14日、都内で開催され、在宅医療の担い手が多様化する中、シンポジウム「類型の多様性〜強化型在宅療養支援診療所、在宅療養支援診療所、かかりつけ医、在宅療養後方支援病院」が、日本プライマリ・ケア連合学会との共催で企画された。

 厚生労働省医政局地域医療計画課在宅医療支援室長補佐の奈倉道明氏は、2025年の医療提供体制を見据え、地域医療構想の策定がこの4月から各都道府県で始まるのを踏まえ、「10年後の日本を考えたときに、(療養病床の入院受療率や在宅医療の進展などの)地域差をそのまま引きずるのではなく、全国で均質な医療を提供できるよう、作り変えていく」と述べ、在宅医療については、地域によるバリエーションは認めつつ、その推進を図っていく方針を示した。

 演者が異口同音に指摘したのは、在宅医療は生活モデル、つまり生活の質向上が目的であり、治療目的の病院医療とは異なるため、在宅医療の推進には医師の意識改革が重要となる点だ。また在宅で24時間対応するためには、医師のみでは難しく、「看護師こそが、在宅医療の主役」との意見も相次いだ。

 座長を務めた鈴木内科医院(東京都大田区)院長の鈴木央氏は、在宅医療の推進に当たっては、「医師同士のコミュンケーションをいかに円滑に行うか、それが問われていると思う」と指摘。いらはら診療所(千葉県松戸市)院長の苛原実氏は、医療モデルは「医師をトップとするヒエラルキー組織」、生活モデルは「多職種連携によるフラットな組織」であり、両者は対立概念ではなく、並列するものの、在宅医療に当たっては、生活モデルが求められるとした。

 地域包括ケアシステムのモデルの一つ、千葉県柏市の「柏プロジェクト」について、「なぜ成功したか」との質問に、柏市医師会理事の平野清氏は、「行政から話があったが、医師会は最初はあまり乗る気ではなかった」と明かし、「医師会の世代交代があり、大切さを認識するようになり、一気に火が付いた」と回答、若い医師たちの取り組みが増えていると説明した。在宅医療に経験がない医師でも、1人、2人と診る患者が増えるにつれ、在宅医療への意欲が高まっていくという。

 日本プライマリ・ケア連合学会副理事長で、北海道の札幌市や室蘭市などでクリニックを展開する、北海道家庭医療学センター理事長の草場鉄周氏は、プライマリ・ケアの基本概念は、在宅医療と共通しているとし、在宅医療において総合診療専門医が果たす役割は大きいとした。

 2025年に向けて在宅関連の施策相次ぐ

 最初に登壇した厚労省の奈倉氏は、2014年6月に成立した地域医療介護総合推進法を軸に、在宅医療をめぐる行政の動きについて説明。同年10月には病床機能報告制度がスタート。この4月からは、各都道府県で地域医療構想の策定が始まり、厚労省では現在、その策定のためのガイドラインの検討が最終局面を迎えている(『「高度急性期」「急性期」、3000点で区分』を参照)。

 奈倉氏は、地域医療構想の柱は、病床機能の分化と連携にあるとし、「効率的、効果的に医療を提供するためには、病院の在り方も変わることが必要。高度急性期ばかりで、フォローアップできない状態は問題であり、急性期、回復期、慢性期と、各病院が分化することが求められる」と指摘。4つの医療機能のうち「慢性期」については、療養病床と在宅医療を一体的に捉え、2025年のニーズを推計する点を踏まえ、奈倉氏は、「療養病床の在り方は、地域によって、随分、在り方が違う。療養病床はそんなに必要なのか」と問いかけ、「10年後の日本を考えたときに、(療養病床の入院受療率や在宅医療の進展などの)地域差をそのまま引きずるのではなく、全国で均質な医療を提供していくよう、作り変えていく」と述べ、在宅医療の推進を図っていく方針を示した。

 さらに2014年度診療報酬改定にも言及。同改定では、集合住宅に対する訪問診療への締め付けが行われた。一方で、在宅医療を後方支援する重要性から、在宅療養後方支援病院が評価された。在宅の点数については、ややつぎはぎ的な改定が相次ぐ中、算定ルールが緩ければ利益獲得に走る事業者が出る一方、算定ルールが厳しければ在宅医療が進みにくい現実がある。「国と現場の先生が一体となって、在宅医療として何をすべきかを議論して方向性をしっかりとする必要がある」と述べ、理解を求めた。

 在宅医療は、個々の医療機関の取り組みだけでは進みにくいため、市町村と地域の医師会など関係者が協力して、地域包括ケアシステムを構築していく重要性も強調。その実現に向け、厚労省は2011年度から在宅医療連携拠点事業、2013年度は在宅医療連携推進事業を実施、地域医療介護総合確保基金では補助対象の一つとして「在宅医療と介護の連携」が掲げられているほか、2015年度からは、介護保険法に基づき、「在宅医療・介護連携推進事業」がスタートすることなどを紹介、行政の施策として在宅医療・介護の連携推進に向け、さまざまな施策を打ち出しているとした。

 柏市と3師会の事務局、同一建物に

 柏市医師会の平野氏は、「柏プロジェクト」の現状と課題を紹介。これは、柏市、東京大学高齢社会総合研究機構、独立行政法人都市再生機構(UR)の三者で2009年から取り組むプロジェクトだ(『「柏プロジェクト」、東大の支援で情報連携』を参照)。地域包括ケアシステムの実践的モデルとして、全国的に注目されている。柏市医師会も積極的に取り組み、在宅医療の充実を進めている。在宅療養支援診療所数は2010年11月の15カ所から、2014年10月には27カ所に増加、それに伴い、在宅の看取り数なども増えている。

 平野氏は、柏市の取り組みとして、「在宅医療専門の医師を作るモデルではない。今、外来をやっている、あるいは少しでも在宅医療を手掛けている医師の底上げを図り、“点”だった在宅を、いかに“面”に広げるかが課題」であると説明。そのために展開しているのが、(1)在宅医療に対する負担を軽減するバックアップシステムの構築(かかりつけ医のグループ形成によるバックアップ=主治医、副主治医制、急性増悪時等における病院のバックアップ体制)、(2)在宅医療を行う医師等の増加および多職種連携の推進(在宅医療多職種連携研修の実施、訪問看護の充実強化、医療職と介護職との連携強化)、(3)情報共有システムの構築、(4)市民への啓発、相談・支援、(5)これらを実現するための中核拠点(柏地域医療連携センター)の設置――という5つの取り組みだ。(5)の柏地域医療連携センターは、2014年4月にオープンした。柏市福祉政策課が運営する総合窓口に加えて、柏市医師会と柏歯科医師会、柏市薬剤師会の事務局も併設、医療介護の連携拠点として機能している。

 これらを紹介する中で、平野氏は繰り返し、医師の役割について言及。(2)では、「顔が見える関係」がないと、在宅医療は進まないとし、研修などを通じて、他の職種が、最初は医師に物を言うのは敷居が高いと思っていたものの、その敷居が下がってきたという。(4)では、市民への啓発だけではなく、「病院関係者に対する在宅医療の周知」も重要だとした。

 「外来、入院、在宅」の3つの機能を持つ有床診

 千葉県松戸市のいらはら診療所は、19床の有床診療所で、強化型在宅療養支援診療所だ。医師は、常勤医4人、非常勤医5人。院長の苛原氏は、外来、入院、在宅の3つの医療を展開する立場から、「外来医療の延長線上で、在宅医療に取り組んでいる」と説明。「病院医療と在宅医療は目的が違う」とする苛原氏は、事例を挙げながら、「病気の治療ではなく、生活を支えるのが在宅医療であり、多職種がフラットな関係で連携し、生活の質を向上する役割を担っている」と説いた。同時に、「医師をトップとするヒエラルキーで動くという、医療モデルで育った医師は、考え方をなかなか変えられない」とも指摘した。

 さらに「在宅医療の主役は看護師。特に24時間体制の構築において、看護師の役割は重要」と強調した。いらはら診療所では、病棟の夜勤の看護師とは別に、在宅対応の看護師を置いており、何か問題があれば、まず看護師が対応しているという。

 在宅医療に積極的に取り組むものの、課題の一つが、地域といかに連携するかだ。強化型であるために、他の在宅に取り組む診療所のバックアップ機能も果たし得るが、「柏プロジェクト」などのように、公的機関が主体となり、連携の旗振り役を担う方が、地域包括ケアシステムの円滑な構築が進むとした。

 医師、「病院ではホスト、在宅ではゲスト」

 「在宅医療のおける病院の役割を、もう一度、考える必要があるのではないか」と問題提起をしたのは、東京都豊島区の要町病院(150床)副院長の吉澤明孝氏。同病院は、同じ法人で要町ホームクリニックなども展開する。2014年度診療報酬改定で新設された在宅療養後方支援病院は、「200床以上」が要件だが、豊島区内には200床以上の病院は、都立豊島病院のみだという。

 地域に根差した医療を展開する要町病院は、大学病院や専門病院などから退院した患者の受け皿となり、緩和ケアの病院や在宅医療につなぐ一方、在宅患者の緊急対応などを担うが、在宅療養後方支援病院にはなれない。また在宅療養支援病院は、在宅準備や処置の指導、緊急入院への対応が主な役割であり、在宅療養支援診療所と役割分担するには「緊急往診」「看取り」の要件は不要と、吉澤氏は見る。「基幹病院は高度急性期を担うのが主な役割であり、中小規模で小回りが利く病院が、基幹病院とも連携して、必要に応じて紹介する。それぞれが在宅医療への理解を進め、地域医療全体の底上げを図るのが理想だろう」(吉澤氏)。

 さらに、吉澤氏は、「病院の医師は在宅医療の現場を知らない」とも指した。「病院と在宅では、ゲストとホストの担い手が違う。医師、医療者は病院ではホストだが、在宅ではゲスト」(吉澤氏)。外食をする際、ゲストはレストランのことを詳しく調べるのと同様に、患者は受診する際に医師を調べる。これに対し、在宅医療ではゲストである医師が、患者のみならず家族のことを調べ、その意向を明らかにすることが求められるという。「これが在宅医療の醍醐味」(吉澤氏)。

 吉澤氏は、病院から在宅に移行する際の「診療情報提供書」も、再考する必要があるとした。「治療歴などは簡潔でいい。判断した予後や起こり得る合併症、本人・家族への病状説明内容と理解の程度、本人・家族が大事にしていることや思いなどを書いてもらいたい」(吉澤氏)。

 総合診療医、在宅の担い手に

 最後に登壇した日本プライマリ・ケア連合学会副理事長の草場氏は、2017年度からの新専門医制度で創設される総合診療専門医の現状や、総合診療と在宅医療とのかかわりを説明した。

 草場氏は、プライマリ・ケアの基本概念として、(1)多様な健康問題に対応するケア、(2)連携や協調を重視したケア、(3)個別性を重視したケア、(4)継続する身近なケア、(5)地域包括ケア――を挙げ、「在宅医療と共通している」とし、在宅医療において総合診療専門医が果たす役割は大きいとした。

 総合診療専門医は、外来、入院、在宅のいずれの場面でも活躍し得る。その研修プログラムは現在、日本専門医機構で検討が進められている(『総合診療医の“失われた30年”取り戻せ - 有賀徹・日本専門医機構副理事長に聞く』を参照)。日本プライマリ・ケア連合学会では、3年間(36カ月)の研修期間のうち、18カ月を総合診療の専門研修とし、うち6カ月から12カ月を診療所や小規模病院における外来・在宅医療の研修に充てるよう提案していると説明。その指導医になり得る、在宅医療で活躍する医師に協力を求めるとともに、外来と在宅医療の両面で、地域のプライマリ・ケアを強化していく必要性を訴えた。

m3.com 2015年2月16日

認知症患者の緩和ケアで鍵握る苦痛評価法とコミュニケーション法
シリーズ「非がん患者の緩和ケア」こぼれ話
 2025年には約700万人前後と予想されている認知症患者。今年(2015年)1月には「認知症施策推進総合戦略」(新オレンジプラン)が策定されるなど,認知症をめぐる動きが活発化している。Medical Tribune連載中の「非がん患者の緩和ケア」第1回では,認知症患者の緩和ケアを取り上げた。

 同回のコメンテーターである東京ふれあい医療生協梶原診療所在宅総合ケアセンター・センター長の平原佐斗司氏は,その柱として,@症状の観察と緩和AチームアプローチBコミュニケーションC家族の支援D食支援 の5つを指摘。言語コミュニケーションが難しくなる重度の患者に対しては,「症状観察に際して緩和ケアチームで共通の苦痛評価法を持つこと,最期までコミュニケーションを取り続けるためにコミュニケーション法を習得することが大切だ」と強調している。

緩和ケアチームで共通の苦痛評価法を持つ

 苦痛評価法には,どのようなものがあるのか。重度の認知症患者では言語コミュニケーションが難しくなるため,臨床現場で広く用いられるVisual Analogue Scale(VAS)やフェイススケールなどの主観的評価法を利用できなくなる。そこで,専門職の観察に基づく客観的評価法が,幾つか考案されている。平原氏は,「緩和ケアチームで共通の苦痛評価法を持つことが大切だ」と指摘する。

 妥当性,信頼性,実施可能性などに優れるスケールとして,@DOLOPLUS-2APAINAD(Pain Assessment in Advanced Dementia)BAbbey Pain Scaleなどがある。同氏の施設では,簡便なPAINADを用いているという。

@DOLOPLUS-2

 フランスで2001年に開発されたスケール。10の項目(身体的訴え,安静時の防御的姿勢,患部に対する防御行動,表情,睡眠パターン,入浴・更衣,運動性,コミュニケーション,社会的生活,問題行為)を0〜3点の4段階で評価する。合計30点満点で,カットオフポイントは5点以上。最も包括的に検証されているスケール。

APAINAD

 2003年に米国で開発。呼吸,ネガティブな啼鳴,顔の表情,ボディランゲージ,慰めやすさの5項目を,0,1,2点で評価する(表1)。項目数が少なく簡便であるため,海外のケア現場で最も広汎に用いられているが,有用性の検証は少ない。

BAbbey Pain Scale

 2004年にオーストラリアで開発。発声,顔の表情,ボディランゲージの変化,行動の変化,ケアや脈などの生理的変化,関節炎などの身体的変化の6項目で評価する。痛みの程度を,@0〜2点:痛みなしA3〜7点:軽度B 8〜13点:中等度C14〜18点:重度 の4段階で評価するとともに,痛みの種類を評価しているのが特徴。施設での重度認知症患者の苦痛評価法として優れる。

コミュニケーション法を習得すべき

 「最期までコミュニケーションを取り続けることは緩和ケアの重要な柱であり,ケアに関わるスタッフはコミュニケーション法をマスターする必要がある」。平原氏はこう強調する。

 重度,末期の認知症患者と最期までコミュニケーションを取り続けるために,@バリデーション法A回想法BユマニチュードCタクティールケア−などが開発されている(表2)。いずれも患者との信頼関係を構築するため,積極的に働きかけるのが特徴だ。

普及には介護職の教育,政策誘導が不可欠

 認知症患者の緩和ケアを普及させる鍵は,どこにあるのか。在宅医療で認知症患者の緩和ケアに積極的に取り組む平原氏だが,認知症患者を最期まで在宅で診療できるケースは残念ながら少ないという。

 現在の日本で認知症患者のケアの主要な場は,特別養護老人施設(特養)などの高齢者介護施設だ。

 「認知症患者の緩和ケアを普及・充実させるためには,介護職スタッフに,緩和ケアの考え方や実際のノウハウを教育することが大きな課題だ」と同氏はみる。

 実際,オーストラリアでは,高齢者介護施設における緩和ケア普及に向けてAustralian Palliative Residential Aged Care Projectを立ち上げ,介護職スタッフの教育を国策として系統的に実施している。

 一方,米国では高齢者介護施設であるナーシングホームの居住者がホスピスケアを受ける場合(2人の医師が予後半年以内と判定すると公的保険のメディケアで受療可),外部からホスピスチームを受け入れる方が施設にとっても経済的にメリットのあるシステムになっているという。

 「日本でも,国策として介護施設の介護職スタッフに緩和ケアの教育を行いながら,外部から訪問看護ステーションのスタッフが入って認知症終末期の患者のケアを共同で行えるようにすれば,認知症の終末期ケアは一挙にレベルアップするだろう。介護施設の緩和ケアをどうしていくかが大きな課題であり,政策的な仕掛けが必要だ」と同氏は提言している。

メディカルトリビューン 2015年3月2日

日野原重明氏肝いりのホスピス、休止へ 定額制で経営難
 聖路加国際病院名誉院長の日野原重明氏の肝いりでできた日本初の完全独立型ホスピス「ピースハウス病院」(神奈川県中井町、21床)が、今月31日で休止することがわかった。日本での草分けとされるホスピスの休止に、関係者も衝撃を受けている。

 同病院は、他の診療科を持たず、がん患者らの心身の痛みを和らげる緩和ケアのみを行う「完全独立型」のホスピス。1993年、約6億円の寄付を受けるなどして開設された。

 関係者によると、同病院は厳しい経営状況が続いていたという。ホスピスは、入院料が定額制のため、手厚い医療行為をすると、利益が出ないこともあるという。関係者は「独立型は、一般病棟で利益を上げることができないので経営は厳しい」と明かす。


 家族ががんで、同病院の待機者リストに入っていた70代男性の元には、数日前、突然、業務を停止する、という趣旨の手紙が届いたという。「日野原先生を慕って申し込んだのに、突然すぎる」と戸惑う。

 病院のホスピス病棟長の経験もある「めぐみ在宅クリニック」の小澤竹俊院長(52)は「ピースハウスでは、海外から緩和ケアの専門家らを招き研修を開くなど、質の向上に貢献してきた。そこで学んだホスピス医や看護師は今、全国に散り活躍している。今回の休止は残念だが、その伝統や文化を引き継いでいってほしい」と話している。

 朝日新聞は3日、ピースハウス病院を運営する「一般財団法人ライフ・プランニング・センター」(東京都港区)に取材を申し込んだが、同センター理事長の日野原氏は秘書を通じ、「多忙で応じられない」とコメントした。

m3.com 2015年3月4日

心のケア編「プログラム」 リラックスで免疫力高める
 がん患者とその家族の心をサポートする「NPO法人がんサポートコミュニティー(略称・がんサポ)」(東京・虎ノ門)。どんなプログラムが行われているのか、同団体の大井賢一事務局長に内容を説明してもらった。

 「がんサポ」が日替わりで用意するサポートプログラムは、主に3つ。(1)「サポートグループ(患者同士が語り合う場)」(2)「リラクセーション・プログラム」(3)「医療相談」がある。

 「サポートグループは、がん患者7〜8人に2人の専門スタッフ(看護師、臨床心理士、ソーシャルワーカーなど)が加わり、90分行います。自分と似た境遇にある人たちと語り合うことで、自分が決して独りではないことや、自分らしく生きていくことの大切さに気づくための機会の場になることを目的としています」

 参加するグループは、大きく部位別と状況別に分けられる。部位別グループには、胃・食道、肝・胆・膵、肺、大腸、前立腺などの各グループと、部位・性別・年齢を問わない混合グループがある。また、状況別グループは「家族」「女性」「就労者」「再発転移」の各グループがあり、治療を終えて無症候の人は5年を目安に「友の会」に移行することができる。

 「ひと言でがん患者といっても部位や性別などで、その人の苦悩はさまざまです。特に再発転移の方は、がん患者の中でも孤立しています。その人が何に重点を置いているかで、グループのマッチングをします」

 リラクセーション・プログラムには、「自律訓練法」「ヨーガ」「アロマテラピー」「コーラス」があり、各講師スタッフが指導にあたる。時間は60分で、好きなときに自由に参加(受講料500円〜)することができる。

 「免疫力を高めるには、副交感神経の働きをよくすることが大切になります。4つのリラクセーションに共通するのは呼吸法です。自宅で簡単にできるリラックス法を教えています」


 毎週水曜日の午後には、外科医と緩和ケア医による医療相談の枠をもうけている。相談料は30分3000円になる。

 「最近多いのは、いつ治療をやめるか、また、提示された治療をやりたくないなどの相談です。主治医や抗がん剤治療に対して不信感を抱いている人も少なくありません。その誤解を丁寧に解いてあげるのも心のサポートになります」

 サポートグループは、千葉県柏市や大阪でも開催している。詳しくは事務局((電)03・6809・1825)まで。 

ZAKZAK 2015年3月10日

医療維新 NHKの癌医療に関する番組を見て
中村幸嗣(危機管理専門血液内科医)

 NHK特報首都圏より「がん医療 あふれる情報にどう向き合う」を見ました。

 番組は1人の55歳の乳癌患者の例示から、がんに対するあふれる情報に困惑する患者の現状を示す構成ではじまります。

 きっかけは医師とのコミュニュケーションのズレでした。モニターをみながら、治療について話す医師。患者の意見を聞いてくれない、自分のことをわかってくれないと患者が不信感を抱いた時、言い切る言い方の標準治療の否定(近藤誠氏に対する反論の歴史 今回のテレビ出演に対する反応 極端な断言)にみせられ彼女はとんでも医療、がん放置療法に邁進しました。

 とんでも本をいっぱい読む、抗がん剤は増がん剤と思い込み、がんに効く健康商品等を買いあさり2年が過ぎます。

 2年後再診察した際には、乳がんは両胸に進行し、しこりの痛みが出現し、胸水が溜まり病状は悪化していました。そして乳がんは完治が難しい状態に進行していたのです。

 増がん剤と信じきっていた抗がん剤の標準治療を受け、彼女の痛みは改善し、CTにて胸水や腫瘤がほぼ消失するという治療の効果が現れました。抗がん剤の恩恵です。彼女は過去の後悔を口にします。

 標準治療を否定する医師にも取材をしたようです。ここでは手記のみで近藤先生と思われるセカンドオピニオンを受けた患者さんを提示していました。この患者さんは満足な治療を受けることができず痛みで死亡したようだという報告です。緩やかながら否定的な立場でした。

 日本医大の勝俣医師がコメントしています。患者さんが医師への不信感を抱くのは医療者が押し付けの医療を行うことで、患者さんの本当の希望を取り込めていないからだと。

 人生観、医療に対する価値観を考え、病気としてのがんではなく人生としてのがんを医療者は受け止めなければいけないと。そしてその解決策として医療者のコミュニュケーション教育の場面を提示しました。

 また帝京大野先生がエビデンスに基づいた情報の信頼性を説明します。そして乳がん治療のサイトを玉石混合の1280000件から本当に役立つ269件へ絞り込むサイトをつくったと活動を報告します。情報を専門家としての取捨選択をおこなったという成果です。でもほとんどの一般の方はこのサイトを知りません。近藤先生の本に比べれば、明らかに広報不足です。

 一部患者の成すべきことにも言及されていました。いつでも質問し、その場で決心せず持ち帰る。そして医療者に過度に期待しすぎない、依存しすぎないという提言です。情報も含めて自分の体は自分で守る必要があります。

 概して患者に寄り添うための時間、能力を医療者が作るべきとのオーソドックスなまとめです。

 ただ私は最近セカンドオピニオンも行っていますが、医師に不信感を抱く方はいくら医師が丁寧に説明しても納得できない方がいらっしゃいます。精神的に不安定な方等はそれこそメンタルケアーを行わないとがん治療どころではありません。

 もちろん一般的に頑固という方もいらっしゃいます。それは御自身の考えですのでしょうがないですが、例の患者さんのように病院から離れるとか緩和療法を行うのならば医療者は対応可能ですが、患者さんが自分の思い込んでいる標準治療以外の医療を医療者に要求されることも少なくありません。

 こういう患者さんに対応することは、一般的説明をする時間すらほとんどとれない医師に要求するのは現実離れを感じます。

 セカンドオピニオンは時間が取れます。でも一般診療でこういう患者さんに寄り添うための長時間の外来診療は他の患者さんの診療をしている医師には現状不可能だと思います。

 もちろん、コメンテータのような看護師の方やソーシャルワーカー、臨床心理士、薬剤師等の医療者チームを活用すれば可能と思いますが、医師だけに説明の改善策を求めることは現実性に乏しい提言だと思いました。

 抗がん剤が効果があった症例を提示していただけたことは幸いでした。これで陰謀論も少し消えてくれればありがたいです。

m3.com 2015年3月16日

シリーズ 非がん患者の緩和ケア 第3回 末期腎不全
苦痛の軽減を最優先する
浅井 真嗣 氏 サンエイクリニック院長(愛知県小牧市)

 高齢化や糖尿病の増加により,実地医家が腎機能低下から末期腎不全に至る症例に遭遇する機会が増えている。一方,昨年(2014年)5月には日本透析医学会が「維持血液透析の開始と継続に関する意思決定プロセスについての提言」を発表,維持血液透析の非開始・継続中止,すなわち「見合わせ」を検討する上での指針を示した※。

 そこで,今後の課題である透析見合わせ後の末期腎不全患者の緩和ケアについて,在宅医療の場でこの問題に取り組むサンエイクリニック(愛知県小牧市)院長の浅井真嗣氏に聞いた。同氏は「疾患ではなく“患者”に目を向けることが大切であり,終末期には苦痛の軽減を最優先すべきだ」と強調する。

緩和すべき症状は? 倦怠感,貧血,浮腫,心不全,高K血症,呼吸困難など

「在宅医療を受ける患者さんが,末期腎不全の状態から透析開始となるケースは少ない」と浅井氏は語る。というのも,そもそも在宅医療の適応例はがん末期,重度心肺機能低下,認知症など障害が顕著な例が多く,患者・家族が透析開始を希望しない場合が多いこと,またかなりの通院困難が予想されるので開始の対象となりえないことが多いからだという。

 同氏は,同院で経験した維持透析非開始または中止後で末期腎不全〔推算糸球体濾過量(eGFR)10mL/分/1.73m2未満〕による死亡例29例の詳細を集計している。26例は非開始,3例は維持透析を中止後に紹介された。

 腎不全の進行に伴ってさまざまな尿毒症症状が出現してくるが,この29例では貧血(10g/dL以下)が86%,次いで浮腫が72%,心不全が52%,高K血症(6mEq/L以上)41%と続き,呼吸困難38%,嘔気・嘔吐と掻痒感が31%だった(図)。疼痛は24%に認められたが,がん疾患のような激しい疼痛はなかった。ほぼ全例がなんらかの倦怠感を訴えたが,疼痛,嘔気,呼吸困難などを伴うものの激しいものはない印象だった。

末期腎不全の緩和ケアの柱

 在宅医療の現場では,基本的に負担となる医療の開始を望まず,穏やかに寿命を全うする形を希望する患者や家族が多いという。「患者の自己決定の支援が重要であり,終末期には苦痛軽減が最も大切」と浅井氏は説明する。ただし,腎不全患者では症状緩和のための薬剤や用量が一般と異なる場合が多く注意を要する。

貧血改善でADLが向上

 では,具体的にどう対処するか。末期腎不全患者では,腎性貧血がほぼ必発する。腎臓での赤血球造血刺激因子(エリスロポエチン;EPO)産生低下が原因であり,Hb 10g/dL以下なら遺伝子組み換えヒト赤血球造血刺激因子製剤(ESA)の投与を考える。本症例(囲み参照)では1万2,000単位を月1回投与した。

 「貧血の改善は最終段階の緩和には効果が薄いが,そこに至るまでには効果を発揮する。貧血の改善で倦怠感が軽減し,日常生活動作(ADL)の向上につながる例が多い」と浅井氏。

 一方,腎機能低下により尿細管の電解質調整異常が生じ,致死性不整脈の原因となりうる高K血症を来す。集計では高K血症のある患者の約3分の2にイオン交換樹脂を処方。本症例にも用いたポリスチレンスルホン酸カルシウムの使用が多かった。

 浮腫に対してはループ利尿薬を投与するが,在宅患者は水分の摂取量不足から脱水となりがちなので注意を要する。浮腫や心不全を伴う場合,輸液の中止や減量を検討する。

呼吸困難には輸液中止,オピオイド使用も

 呼吸困難には,集計では不定期使用を含め,ほぼ半数に在宅酸素療法(HOT)を施行。過剰な輸液が呼吸困難の原因になることがあり,輸液は基本的に中止または施行しない。それでも改善しない場合には,コデインリン酸塩や抗不安薬を頓用から開始し,定期投与も考慮する。効果には疑問があるがステロイドを投与することもある(表)。

 モルヒネ塩酸塩は,腎不全では貯留しやすく副作用が出やすいと予想され一般には推奨されないが,十分な観察下で頓用での少量使用は可能と考えられるという。特に同薬は眠気を主体とする精神神経症状や悪心などの消化器症状が出やすい可能性があり,また呼吸抑制を来すことも考えられ「患者さんやご家族に十分な説明をし同意を得てから投与することが大切」と浅井氏は注意を促す。集計ではオピオイドの使用は倦怠感,呼吸困難などに対し,ほんの少量のみを使用していることが多く,効果は得られていた。

 尿毒症の嘔吐は,一般に中枢性で化学受容体誘発帯(CTZ)を介する刺激で惹起されると考えられており,通常の制吐薬は効きにくい。集計では,消化管蠕動促進薬は効果が弱い印象で,リスペリドンなど非定型抗精神病薬の少量頓用を行っていた。

 腎不全末期になんらかの痛みを経験することは多いが,末期がん患者のような激しい疼痛は少なく,まずアセトアミノフェンで対処する。非ステロイド抗炎症薬(NSAID)は腎障害の進行を来す可能性がありあまり推奨されないが,少量短期使用は可能と考えられるという。集計では長期透析例が含まれていなかったこともあり,アセトアミノフェンやNSAIDでほとんどコントロール可能だった。長期透析例で特に痺れが出現している場合は,抗痙攣薬やプレガバリンの投与が必要となる場合がある。

透析医学会提言のインパクト

 昨年5月,日本透析医学会は「維持血液透析の開始と継続に関する意思決定プロセスについての提言」を発表。5項目の提言で,これまで現場の医師を苦悩させてきた問題を考える道筋を付けた。

“見合わせ”話し合うきっかけに

 提言は具体的に,@患者への情報提供と自己決定の支援A自己決定の尊重B同意書の取得C維持血液透析の見合わせを検討する状況D見合わせ後のケア計画−の5つから成る。

 中でもCでは,見合わせも選択肢の1つとなること,見合わせ後も状況に応じて開始・再開されることを明記し,見合わせを検討する状態として,安全な施行の困難例や全身状態が極めて不良,脳血管障害や頭部外傷の後遺症など意思決定に必要な理解が困難な状態を提示。Dでは患者の意思を尊重したケア計画を作成し,緩和ケアを提供するとしている。

 浅井氏は「日本の法律を含めた現情勢下で,今後の標準的指標になりうるものであり前進だ」と評価。ことに,札幌北クリニックの大平整爾氏が作成した「維持血液透析の見合わせに関する事前指示書」が,参考として示された点を画期的とみる。現場で見合わせを検討する可能性が生じたときに,「提言は医療従事者と患者・家族が話し合うきっかけになるだろう」と同氏は話している。

※ 提言では患者や家族に配慮し,維持血液透析の導入は「開始」,非開始・継続中止は「見合わせ」という用語を使用

Case 91歳・女性

 数十年来の慢性糸球体腎炎から腎不全に至る。数度の圧迫骨折後,廃用性に寝たり起きたりの状態となり,2008年5月に浅井氏のクリニックへ紹介。

初診時:血清クレアチニン3.5mg/dL,尿素窒素56mg/dL。ヘモグロビン(Hb)10.5g/dL,血清カリウム(K)は正常。

経過:徐々に腎機能低下も,本人・家族が透析を希望せず,内服薬と食事療法で経過観察。

 高血圧,下腿浮腫に降圧薬,利尿薬,その後生じた高K血症にポリスチレンスルホン酸カルシウム25mgを1日1回投与。腰痛にはアセトアミノフェン200mgを1日3回投与,後にコントロール困難となり抗うつ薬少量追加で軽減。

 2010年1月,腎性貧血進行(Hb8g/dL)と倦怠感のため赤血球造血刺激因子製剤(ESA)1万2,000単位月1回投与開始。同年11月ごろから呼吸困難が出現。利尿薬増量とコデインリン酸塩20mgを1日1〜2回で比較的コントロール良好。また希望時には適宜,在宅酸素療法(HOT)を少量のみ併用した。しかし徐々に食思不振で食事量が低下,意識レベル低下を呈し,2011年1月在宅で看取りとなる。

メディカルトリビューン 2015年3月19日

心のケア編 「チャプレン」 生きる苦しみともに向き合う
 人はがんなどの重い病気にかかったとき、生きる意味に対する悩みや苦しみを覚える人が多い。そのスピリチュアルな痛みをケアする専門家が「チャプレン」だ。聖路加国際病院(東京)の病院チャプレンを務めるケビン・シーバーさん(47)に仕事内容を聞いた。

 チャプレンは「チャペル(礼拝堂)」を語源とし、教会や寺院ではなく外の施設や組織で働く聖職者(牧師、神父、司祭、僧侶など)のことをいう。ケビンさんは日本聖公会(キリスト教)の司祭で、聖路加国際大学の看護学部と大学院の特任教授も兼務している。

 「病院チャプレンの役割は、患者さんやその家族の方々の心の苦しみや痛みに傾聴し、抱える問題を一緒になって共感し、個々の人によって違う生きる意味や目的を支えることにあります。死生観について話したり、祈りをささげるような部分はチャプレンでないとなかなか難しいと思います」

 関わる診療科は、緩和ケア科、腫瘍内科、乳腺科、小児科、救命救急部など多岐にわたる。医師や看護師の判断で依頼される場合もあれば、患者自身からの依頼もある。同院には、5人(うち非常勤2人)のチャプレンがいて1人1日平均4〜5人の患者に対応しているという。

 「誤解してほしくないのは、チャプレンは相手にする人がどんな信仰心をもっていても関係ないということです。人は本来、誰しも生きることの意味に関する苦しみや悩みをもっています。普段はあまり考えずに生活していますが、病気になると真剣に向き合うようになる。それを分け隔てなく受け入れています」

 患者がもつ苦悩はさまざま。多いのは「どうして私がこんな目に合わなくてはいけないのか。罰が当たったのだろうか」や「妻や子供を残して死んでも死にきれない」など。女性では「家族に迷惑、負担をかけて申し訳ない」と悩む傾向が強い。

 米国では病院にチャプレンがいるのが普通で、仏教、イスラム教、ユダヤ教のチャプレンもひとつのチームになっていることが多い。一方、日本で専任チャプレンをおく病院はキリスト教系病院の数カ所だけだ。ケビンさんは、日本の病院でもチャプレンの存在はもっと必要だと思っている。

 「WHO(世界保健機関)も患者さんのスピリチュアルニーズを医療の視野に入れることを世界標準にしています。トータルケアとして、もっと心のケアが意識されてもいいと思います」 

ZAKZAK 2015年3月24日

がん対策、治療は納得でも情報提供に課題
推進基本計画の中間評価案、患者評価も盛り込み
 厚生労働省のがん対策推進協議会(会長:門田守人・公益財団法人がん研究会有明病院院長 )が3月30日に開催され、2012年度から2016年度までの5年間を対象とした第2期がん対策推進基本計画の中間評価報告書案について協議した。中間評価報告書は、計画目標に対する進捗管理指標として患者の意識調査なども資料として盛り込む予定で、今年6月をめどに取りまとめる。評価に関する中間調査結果はおおむね「想像以上にいい数字が出ている」(門田会長)が、緩和ケアの普及啓発や情報提供のさらなる改善などが課題として示された。

 がん対策推進計画は2007年に施行されたがん対策基本法に基づいて、2008年度から5年ごとに見直している。2012年に閣議決定された第 2 期がん対策推進基本計画の中間評価報告書では、「数値目標がないため分かりづらい」などの指摘を受け、管理指標を定めて進捗状況を評価することを目的に、厚労省内の研究班が調査を実施していた。

 国立がん研究センターがん対策情報センター長の若尾文彦氏が行った進捗管理指標の中間報告では、患者に自身の体験を聞いた調査結果が盛り込まれた。それによると、「治療に納得している」と答えた患者の割合は約88.3%(暫定値)など、医療提供に関しては高評価が比較的多かった半面、がんと診断されてから相談できる場があったと回答した患者は約67.2%(同)など、情報提供や相談支援に課題があることが指摘された。

 進捗管理指標の中間報告は、3月20日までの途中結果で、基本計画の項目と対応する形で、指標となる統計データや、今回盛り込まれた患者体験調査の結果などを示し、基本計画の進捗状況を表した。「項目と指標が対応していない」と委員の指摘を受けた部分もあり、中間報告書には今回提出された指標の一部が採用される見込み。

新医療機器の申請ラグは7年半 

 「医薬品・医療機器の早期開発・承認等に向けた取組」に関する指標では、医薬品の申請ラグが2012年度は32.9カ月だったのが、2013年度は5.7カ月と大幅に短縮された一方で、医療機器の申請ラグは2013年度で90.1カ月だった。これを受け、中川恵一委員(東京大学医学部附属病院放射線科准教授)が「最も遅れていると感じた。7年半ではかなり古い世代のものが使われていることになる。改善の必要がある」と指摘した。

 また、「がん教育・普及啓発」の指標のうち、拠点病院のがん患者で臨床試験について知っている人の割合は8.8%(暫定値)で、認知がまだ進んでいない状況や、「がん患者の就労を含めた社会的な問題」では、がん休職後の復職率が84.7%(同)で比較的高かったのに対し、がん治療で退職し、新規就労した人の割合は52.8%(同)と低くなる傾向などが紹介された。

拠点病院を中心に緩和ケアは浸透

 今回の協議会では、そのほか、国立がん研究センターがん対策情報センターの加藤雅志氏が緩和ケアの変化に関する医療者調査の中間報告も提出。今年1月から3月にかけて、拠点病院、拠点以外の病院、診療所の3か所の医師と看護師(それぞれ回答率は、32%と38%)に対し実施した調査で、緩和ケアの改善は「拠点病院を中心に進んでいるものの、それ以外のところではまだ。特に地域連携機能は十分でない」(加藤氏)。

 これらを踏まえ、中間報告書案には、拠点病院でがん患者の主治医や担当医のうち緩和ケア研修会を受講している割合が45.8%であり、さらなる受講勧奨の実施を掲げたほか、緩和ケアの普及啓発、早期の在宅医療との連携、セカンドオピニオンの活用、各診療科の横のつながりを重視した診療体制の構築などの推進や、放射線治療機器の計画的かつ適正な配置の検討などの課題が新たに盛り込まれた。

m3.com 2015年4月1日

医事雑感 物語の重要性 ご近所のお医者さん
堀泰祐さん(滋賀県立成人病センター緩和ケア科)

◇患者の思い聞くのも大事


 現代の医学は、自然科学としての医学に基づいたものでなければなりません。医学的な証拠に裏付けられた治療法を用いて、病気を治すことが医学の目的と考えられます。

 病気の原因を特定し、その原因に応じた治療法について最もよい成績の得られる方法を検索し、患者さんに適用するのです。このような考え方による医学を、証拠に基づいた医学(EBM、エビデンス・ベースト・メディシン)と呼びます。EBMでは、医師の経験や勘に頼る部分は、できるだけ排除することが求められます。個々の医師の能力や経験によって、治療成績に差が出にくくなるというメリットがあります。

 Eさんは70歳前の男性で、胃がんでした。5年前に妻を乳がんで亡くしてから食生活も不規則で、アルコールの量も増えました。胸やけが続くので、検査を受けたところ、胃がんが見つかりました。

 進行がんでしたが、幸いに遠隔転移はなく、手術を受けることができました。術後、主治医から抗がん剤治療を勧められましたが、Eさんは断固として拒否しました。

 抗がん剤を服用すれば、再発率が下がる証拠があると説得されましたが、受け入れませんでした。主治医は副作用が嫌なのだろうと推測し、それ以上は勧めませんでした。

 退院前に、看護師がEさんから話を聞きました。

 「妻が抗がん剤治療で苦しんだ末に亡くなり、毎日がつらく悲しく、自分も早くお迎えが来ないかと思っていた。胃がんと診断され、ようやくあの世に逝けると、ある意味うれしかった。胸やけがなくなるならと手術を受けたが、長生きしたいとは思わない」

 EBMで考えると、抗がん剤治療を勧めるのは理にかなっています。しかし、Eさんには、それなりの物語がありました。

 EBMに対して、患者さんの物語を大切に考える、物語に基づく医学(NBM、ナラティブ・ベースト・メディシン)という考え方があります。EBMが医学の基本であることには異論はありませんが、患者さんの物語を聞くということも大切だと思います。

m3.com 2015年4月1日

出版:滋賀県立成人病センター・堀さん
緩和ケア医が見つめた「いのち」の物語
◇患者や家族ら支援 「より良い生き方を探るきっかけに」

 県立成人病センター緩和ケアセンター長の堀泰祐さん(63)=大津市=が「緩和ケア医が見つめた『いのち』の物語」(飛鳥新社)を出版した。毎日新聞滋賀面に連載中のコラム「ご近所のお医者さん」のうち約60回分や京都新聞で過去に連載したコラム約15回分を抜粋した。医師として患者や家族と接したエピソードや、自身ががん患者になった体験などを紹介。「闘病する人や家族が、より良い生き方を探るためのきっかけになればうれしい」と話している。

 堀さんは京大医学部卒。2002年から成人病センターで緩和ケアに携わっている。1日には、センター内に新たに設置された緩和ケアセンターの所長に就任した。

 08年5月に「ご近所のお医者さん」の連載をスタート。直後の9月に胃がんと診断され、胃の全摘手術やリハビリを経験した。再発におびえながら生活を送る中で、実感したのは、医師が口にする治癒率が全く励ましにならないこと。例えば「8割の人が治りますよ」などと言われても、「自分は、治らない2割の方かもしれない」と考える患者にとって不安を拭うことにはならないと気付いた。「医師に求められるのは、闘病する苦しみへの共感。がんに患者の気持ちを教えてもらった」と話す。

 緩和ケアは、抗がん剤や放射線治療などに、音楽療法などを組み合わせ、患者の肉体的・精神的な痛みを和らげる手法だ。有効な治療手段がなくなった患者が対象だと誤解している人はまだ多いが、実際は、病気の進行度合いにかかわらず受けられる。特に近年では、治療技術の向上で、患者の生存率が年々高まっており、がんとの「共生」が大きな課題。堀さんは「就労や子育てなど、患者や家族が自身の納得できる生活を送れるよう支援するのが緩和ケア本来の目的」と話す。

 本では、自身が実際に出会った患者を紹介。このうち40代女性は、再発した乳がんが全身に転移したが、抗がん剤治療などで痛みをコントロールし、残された時間を娘や夫と一緒に過ごした。また、直腸や肝臓のがんと闘う夫と介護を続ける妻を励ますため、夫がプロポーズの時に贈ったものと似たバラの花を用意したエピソードなどにも触れた。

 堀さんは「大切な人ががんになった後、何もしてあげられないと悩む家族は多いが、そばにいてあげるだけでも患者は安心できる。緩和ケアとはどういうものなのかを知ってほしい」と話している。

 四六判で200ページ。1500円。全国の主な書店で発売している。問い合わせは飛鳥新社(03・3263・7770)。

m3.com 2015年4月2日

オーストラリア発祥の認知症ケア「ダイバージョナルセラピー」とは?
沖縄県グループホーム連絡会主催の講演会

 去る2月20日、沖縄県豊見城市において、「認知症になっても楽しく、自分らしく、生きぬくために〜ダイバージョナルセラピーの実践〜」と題して、沖縄県グループホーム連絡会主催の講演会がおこなわれ、約200名の参加があった。

 講師をつとめたのは、日本ダイバージョナルセラピー協会理事長の芹澤隆子氏。ダイバージョナルセラピー(DT)とは、オーストラリアで生まれた「老いることを楽しむ」という高齢者ケアの理念。2008年に日本に導入され、各地で講演会やダイバージョナルセラピーワーカー(DTW)養成講座が開催されている。

「レジャー&ライフスタイル」を認知症ケアに

 同講演で芹澤氏は、「認知症ケアの一番のポイントは、その人が楽しめるようにすること」(沖縄タイムスより引用)とのべ、認知症の人にとって不安の原因の1つである退屈や孤立、孤独感をどう解決していくかを、家族や介護者らが考えることが大切だと説いた。

 同協会によると、ダイバージョナルセラピーとは、各個人が、いかなる状態にあっても自分らしくよりよく生きたいという願望を実現する機会を持てるよう、その独自性と個性を尊重し、援助するために、「事前調査-計画-実施-事後評価」のプロセスに基づいて、各個人の“楽しみ”と“ライフスタイル”に焦点をあてる全人的アプローチの思想と実践である。(日本ダイバージョナルセラピー協会HPより引用)と定義されている。

 DTWは、オーストラリアで50年の実績を持ち、高齢者の「レジャー&ライフスタイル」を援助・促進する専門職。最近では、高齢者ケアばかりでなく、精神科・緩和ケア・リハビリテーション・チャイルドケアの分野にもその考え方が広がりつつあるという。

認知症ねっと 2015年4月3日

医事雑感 アドヒアランス ご近所のお医者さん
堀泰祐さん(滋賀県立成人病センター緩和ケアセンター長)

 処方通りに服薬を 医療を進めるうえで大切なことの一つは、お薬をきちんと服用してもらうことです。

 薬を指示通りに飲むことを、かつてはコンプライアンス(約束の順守)が良いと評価していました。きちんと薬を飲めない患者は、コンプライアンスが悪いとして、責任が患者の側にあるかのように扱われました。

 処方した通りに薬を飲めないのには、いろいろな原因が考えられます。飲みにくかったり、副作用が強かったりなど、いろいろあると思います。なかでも、一番の理由は薬を服用することの意味を、しっかり理解していないことだと思います。

 この薬はなぜこの病気に効くのか、どのような副作用があるか、いつまで続けるのかなど、しっかりした説明がされ、納得していれば、きちんと服用してもらえるでしょう。

 患者さん自らが薬剤の大切さを理解し、その薬にアドヒアランス(執着)を持ってくれれば良いのです。今は、処方通りに薬剤を服用してもらうことを、アドヒアランスが良いと表現します。

 Fさんは70歳半ばの男性で前立腺がんでした。骨転移による痛みが強くなり、私の外来に紹介されました。基本通りに、鎮痛薬の投与を開始しました。医療用麻薬を使うことになり、説明しました。

 Fさんは、きちんとした性格の人でしたので、私は十分に説明したつもりでした。

 翌週、受診したFさんは、「あんな怖い薬はない。痛みはなくなったが、むかつくし、眠くなるし、もう飲まん」と言いました。かなり慎重に始めたのですが、副作用が強く出たようです。

 副作用は次第に軽くなることや怖い薬ではないことを、改めて説明しましたが、納得しませんでした。結局、非麻薬性鎮痛薬で対処するしかありませんでした。

 これは最初にアドヒアランスを持ってもらうことに失敗した例です。その後、Fさんは弱い医療用麻薬を試みて、痛みのコントロールができ、薬もきちんと飲むようになりました。

 アドヒアランスを高めるために一番大切なのは、医師や薬剤師と患者さんとの信頼関係だと思います。

m3.com 2015年4月8日

非がん患者の緩和ケア 心不全
介入時期逃さず緩和ケアを上乗せ
兵庫県立姫路循環器病センター循環器内科医長の大石醒悟氏

 非がん疾患の中でも予後予測が難しいのが「臓器不全型」。その典型が入退院を繰り返す心不全で,緩和ケアの介入時期の判断が難しい。一方,2014年の第18回日本心不全学会学術集会でシンポジウム「緩和ケア」が組まれるなど,臓器関連学会レベルで緩和ケアが脚光を浴びているのが心不全だ。

 同シンポジウムに登壇した兵庫県立姫路循環器病センター循環器内科医長の大石醒悟氏は「介入時期を逃さず,標準治療と並行して緩和ケアを上乗せし,患者さんが良い形で人生を過ごし,終えられるように支援する視点が必要」と指摘する。

緩和すべき症状は?
呼吸困難,倦怠感,疼痛など


 心不全はさまざまな心疾患の終末像であり,わが国での5年生存率は50〜60%と予後は極めて悪い。呼吸困難,倦怠感,疼痛,抑うつ,不安,睡眠障害,認知障害,食欲不振や体重減少など多彩な症状を伴う。大石氏は主要な症状として呼吸困難,倦怠感,疼痛を挙げ,不安,睡眠障害も見逃されやすく注意すべきとする。

7割が症状緩和不十分と認識

 一方で,McCarthyらは心疾患患者の約7割は症状緩和が十分でないと認識していると報告。心不全では,症状緩和が不十分なまま終末期を迎えている実態が浮かび上がってきた。

 その背景には病態上の難しさがある。心不全の末期状態では,急性増悪により入退院を繰り返しながら次第に機能低下していくが,寛解するのか,終末期なのかが見極め難い。回復の見込みが残るため,治療方針に迷うことも多い。結果的に,緩和ケアの介入時期を逃す構図があった。

アドバンス・ケア・プランニング(ACP)で早期の意思決定を支援

 では,緩和ケアを開始するタイミングはいつか。

「死を直前にした終末期に至ってから,症状緩和を行うのが緩和ケアではない」と大石氏は強調する。緩和ケアの柱は,意思決定支援と症状緩和に大きく分かれる。この意思決定支援開始のタイミングが緩和ケア開始のタイミングであり,緩和ケアは心不全の経過の間継続するという。

経過図用い患者と病状認識共有

 意思決定に際しては,アドバンス・ケア・プランニング(ACP)の形を取ることが重要だ。ACPは,将来の意思決定能力の低下や急変時に備え,患者・家族を交えて早期から今後の見通しを説明し,情報を共有しながら治療方針を話し合い,患者主体の全体的な治療目標を設定してケアに取り組むというもの。同科では,特定の事前指示書は用いていない。

 ACPにおいて心がけているのが,早期に患者・家族と話し合いを持ち,心不全の経過図を活用して現在の病状,今後たどる経過を一般論として説明し理解してもらい,自分がどの辺りか認識してもらうことだ(図)。

「経過の早い時期に一般論として,心不全という疾患は将来的に寛解,増悪を繰り返しながら生を終えていく経過をたどることを理解してもらうことが大切だ」(大石氏)

 外来でも経過を見直し,入退院を繰り返す重症心不全に至る前には,増悪時の治療選択肢として症状緩和も含めて話し合う。患者・家族と医療者が共通認識を持つことで患者主体の意思決定支援を実践でき,タイミングを逃さず症状緩和を開始できる状態を準備することが,最終的に心不全患者に対するACPの理想像となる。

 こうした考え方は,日本や欧米の循環器関連学会の提言やガイドラインを踏まえたもの。米国心臓病学会(ACC) /米国心臓協会(AHA)の病期分類では,ステージD(難治性心不全)が入退院を繰り返す重症心不全に当たる。AHAの「進行した心不全における意思決定に関する提言」(2012年)では,ステージDに至る前に意思決定支援を含む緩和ケアを,心不全治療に組み入れておくことが重要と指摘。米国心臓病学会財団(ACCF)/AHA心不全管理ガイドライン(2013年)では,ステージDの治療選択肢に「緩和ケアやホスピス」を明記している。

 症例(囲み参照)は,同氏らが緩和ケアに取り組む契機になったケース。折しも日本循環器学会が「循環器疾患における末期医療に関する提言」(2010年)で,末期状態からの緩和ケア開始やチームでの意思決定支援などを推奨。科内の話し合いで,患者の希望に沿って悪化時には症状緩和を追加する方針を決めた。

呼吸困難にはモルヒネ上乗せ

 心不全で最も問題となる呼吸困難には,まず利尿薬,強心薬など適切な標準治療を実施する。それでも効果がなければ,薬物療法では弱オピオイド(コデインリン酸塩)や強オピオイド(モルヒネ塩酸塩)が追加の選択肢となる。

呼吸回数が安全使用の目安に

 モルヒネは,急性肺水腫や急性心筋梗塞の急性期に呼吸困難や疼痛の緩和目的で用いられ,日本循環器学会「急性心不全治療ガイドライン」(2011年)で,静注製剤がクラスUbで推奨されている。しかし心不全末期の呼吸困難では呼吸抑制への懸念とエビデンスの欠如のため,使用がちゅうちょされることが多いのが現状だ。

 そこで,できるだけ安全に使用するため適格基準,使用プロトコルを定め,院内倫理委員会の承認を得た(表)。緩和ケアを受ける意思が確認可能であり,適格基準を満たした患者には,標準治療にモルヒネを上乗せし使用する。

 使用プロトコルには内服投与も含まれているが,これまでの導入例は全例持続静注での投与。2014年までの導入32例のモルヒネ塩酸塩投与量は平均11.1mg/日,投与日数は平均6.4日だった。

 導入の目安,呼吸抑制予防の観点から重視しているのが呼吸回数だ。

 「安静時呼吸困難を伴い呼吸回数20回/分以上ならモルヒネの投与を考慮する。10回/分以上を維持するよう注意し,8回/分以下では投与量を漸減する」と大石氏は注意を促す。

 同症例では,モルヒネ塩酸塩5mg/日の持続静注を開始。呼吸困難が軽減し,1週間後に苦痛を訴えることなく永眠した。

 「緩和ケアは,医療者がその重要性と必要性を認識すれば,現在入手可能な薬剤で開始できる。患者の価値観を支える治療選択肢であり,今後の心不全診療に必須だ」と同氏は話している。

Case 50歳代・女性

 拡張型心筋症に伴う慢性心不全で近医通院。労作時呼吸困難が進行し2010年12月,同センターへ紹介された。独居で娘2人(看護師,医療事務)。

初診時:左室駆出率(LVEF)20%と高度に低下。重症の機能性僧帽弁逆流の合併あり。両心不全の診断で入院。

入院後:持続濾過透析や強心薬,利尿薬などによる標準治療で改善が乏しく,移植登録は本人が拒否。心電図,心エコー所見などから両心室ペーシングなども奏効し難いと判断。この時点で,本人と家族へ段階の進んだ心不全(ステージD)で末期状態にあることを説明した。本人,家族はさらに病状が進行した場合,麻薬使用による苦痛緩和を含めた緩和ケアの実施を希望。科内で検討し,病状悪化時には現行治療に緩和ケアを可能な範囲で追加する方針とし,一般病棟へ転棟。

転棟後:精神科リエゾンナースの介入開始。強心薬持続投与下で約2カ月小康状態を保ったが入院4カ月後に感染を契機にうっ血が進行,呼吸困難出現。この時点で死期が近いことを本人・家族に再度説明した。呼吸困難感の緩和目的でモルヒネ塩酸塩持続静注を開始。日中家族,医療者らの付き添いの下で希望した花見へも外出できた。1週間後,苦痛を訴えることなく徐脈から傾眠傾向となり心停止に至った。

Medical Tribune 2015年4月9日

がん患者同士の交流の場「がん哲学外来」
「がん哲学外来の核心」と題したシンポジウムを開催
がん哲学外来

 病院で行う治療ではなく、がんを抱えた人やその家族が気軽に話をできる場のことである。

 従来、医師は治療で手一杯になり、患者や家族が深く相談できる相手がいないケースが多かった。そこで同様にがんを抱えた人や乗り越えた人が交流できる場を作るため、順天堂大学 医学部 病理・腫瘍学教授の樋野興夫氏を理事長として一般社団法人「がん哲学外来」が発足した。

 2015年4月11日、東京・御茶ノ水のワテラス・コモンホールで「がん哲学外来の核心」と題したシンポジウムが開催された。主催はウィッグの製造・販売や理容サービスを手がけるスヴェンソン。共催は化粧品メーカーの資生堂である。

 基調講演では福井県済生会病院の外科主任部長、集学的がん診療センター長の宗本義則氏と、国立病院機構の名古屋医療センター緩和ケア科医長の竹川茂氏がそれぞれ登壇した。

医療の主眼が変化

 福井県済生会病院の外科主任部長、集学的がん診療センター長の宗本義則氏はまず、今後一層進むであろう日本全体の高齢化を指摘。それにより、医療の主眼が変化していくとした。具体的には、これまでは病気を「治す、救う」ことに主眼があったが、今後は「癒やす、抱えて生きる、支える、看取る」といった部分にシフトしていくという。

 それに伴い、医療現場全体の構造や役割が変化する。つまり、住宅を中心として地域のさまざまな立場の人々、機関が協力する、いわゆる地域包括ケアシステムが重要になるというわけだ。宗本氏の在籍する集学的がん診療センターでも、以前は医師間の連携だけだったが、近年は看護師や薬剤師、臨床心理士といった他業種(多職種)とのつながりを重視するようになっているという。

 集学的がん診療センターでは、がんの診療や情報の集約とともに患者、家族のサポートにも取り組んでいる。その一例としてがん哲学外来とメディカルカフェを挙げた。同センターでは、前者を医師と患者の一対一での対話、後者を多人数でのセミナーなどの集いと位置付けている。

 宗本氏は、がん哲学外来は従来のがん相談やカウンセリングとは異なると語る。がんを宣告された人は落ち込み、周囲の人々との関係もよそよそしくなってしまう場合がある。これに対してがん哲学外来は、設立者の樋野氏の言葉を引用しながら「笑顔を取り戻し、人生を生き切る事を支援する場」「患者への慰めと同情ではなく、がんと闘う患者自身の力を引き出す場」だとした。

 宗本氏は「がん患者の心配評価尺度(BCWI、Breif Cancer-Related Worry Inventory)」を用い、メディカルカフェへの参加前後でがんに関する心配がどう変化したかを調べた。その結果、おおむね参加後、特に女性の患者に同尺度の軽減が大きく見られたという。

 最後に、今後は病院のスタッフだけでなく、地域や関連企業といった広い分野の社会資源を活用していくことが重要だとした。その上で、「がん哲学外来を核にチーム医療を進化させていく必要がある」と結んだ。

コミュニケーション技術を広める

 一方、国立病院機構の名古屋医療センター緩和ケア科医長の竹川茂氏は今回のシンポジウムの主催、共催が厚生労働省や医療機器メーカー、製薬会社といった医療に関連の強い団体ではないという点が重要だと語った。「一般企業ががんについて真剣に考え始めていることの証ではないか」と考えるためである。

 講演では同氏の略歴と関わってきた活動について紹介。竹川氏は元々は外科医だった。患者とのコミュニケーションに悩んでいた時期にがん哲学外来に出会ったことをきっかけとして、コミュニケーション技術を広める活動を始めた。がん患者は告知後、うつになってしまう人もいる。伝え方を学び、工夫することでその割合を下げられるとした。現在は、金沢でのメディカルカフェの立ち上げをはじめ、名古屋、静岡と3カ所のがん哲学外来に関わっている。

 最後に「八方ふさがりでも天は開いている」、「人生いばらの道、されど宴会」といった樋野氏の言葉を紹介し、今後も患者と対話し、寄り添っていくと語った。

日経デジタルヘルス 2015年4月21日

がん患者のつらい症状 医師への説明をアプリで支援
ウェルビーのサービスを塩野義が採用
 患者の自己管理をITで支援するウェルビーは4月28日、がん患者の痛みや気分の落ち込み、だるさなどの辛い症状を、患者が医師に説明する際に支援する、同社の技術を応用したスマホ用アプリを塩野義製薬が採用したと発表した。7月中旬にリリースする予定。

 医師にとって患者の日常生活での状態は把握しづらい。一方で、患者は日常生活であった症状を医師にうまく伝えられないケースも少なくない。そこでアプリに患者自身が自身の状態を入力し、それを手がかりに医師に伝えられるようにし、より適切な治療や支援につなげられるようにしたい考え。

 塩野義は、がん患者の「つらさ」の軽減を図るため、家族、医療従事者が連携しながら患者を支援する緩和ケアプログラム「つらさ軽減プロジェクト」を2015年度より本格的に展開する。その一環でこのアプリを活用する。医師が、辛い症状が起こりうることを説明し、アプリがあることを患者に紹介する。患者が入力した記録・履歴は、ウェルビー社のクラウドサーバに随時保存され管理される。

ミクスOnline 2015年4月30日

なぜ、医者は自分では受けない治療を施すのか
萬田緑平氏 緩和ケア診療所「いっぽ」医師 1964年生まれ。群馬大学医学部卒業。群馬大学附属病院第一外科に所属。2008年、緩和ケア診療所・いっぽの医師となる。

 医者も人間ですから、必ず病気になります。当然、がんに罹る可能性もあります。

 しかし多くの医者は、自分が病気になったとき「やらないほうがいい治療法」があること、そしてその多さを認識しているはずです。

 もちろん患者さんの年齢やがんの種類、ステージなどケース・バイ・ケースでしょうが、治癒の見込みがきわめて困難な場合、患者が医者自身ならば抗がん剤治療を行わないケースが多いのではないか。ぼくもそうですし、医者仲間とも、「抗がん剤治療は勘弁してほしい」「この手術だけは絶対にしたくない」などと話すことがあります。闘病のつらさ、苦痛、日々疲弊していく患者さんの表情、身体??それらを日常的に目の当たりにしていて、ある程度は見通しがつくからでしょう。

 平たく言えば、自分と自分の身内には、すすめられない治療がある。しかし患者さんに施している可能性がある、ということです。

 では、患者に抗がん剤治療を施す医者は不誠実なのかというと、そう短絡的な問題ではありません。

 実は真面目で誠実な医者ほど、つらい治療を患者さんに強いてしまうことがあります。結果、いわゆる延命治療になりがちなのです。

 なぜ、医者はつらい治療を患者に施すのか。大きく分けて2つ、理由があると考えます。

 まずは医者側の問題。

 病気を治す、というのが医者の当然の役目ですから、全知全能全人格を使って治療することが前提です。

 医療報酬やら薬の投与点数やら手術の実績やら、病院や医師が利益を得るような構造上の問題も多少は横たわっているとはいえ、基本的には医師は真面目で律儀で優秀な人が多いから、「治すことがわたしの使命だ」と考えます。

 その一方で、「治療をやめるとどうなるのか」ということに医者は無知です。

 医者が患者さんに治療法を説明するとき、“エビデンス”という言葉を使います。治療法が優れているとされる科学的根拠のことです。医者はエビデンスのある治療を受けた患者さんがどうなるのかは知っていますが、受けなかった場合や治療をやめたケースで患者がどうなるのか??をよく知りません。そういう教育は受けてきていないし、病院では治療継続という形でしか患者さんに接することができないからです。だから、進むしかないわけです。

 2つ目は、患者さんの家族です。延命治療の弊害の一因は「家族」です。そして、患者さんが幸せな最期を迎える鍵も家族が握っていると、ぼくは思っています。

 家族は、心から患者さんの治癒を願います。患者さんには「頑張れ!」と励ましの言葉を送り、医者には「なんとか、助けてください」と懇願する。患者の容体を心配する家族。ごくごく当たり前の関係性です。

 患者さん、医者、そして家族がそれぞれ頑張り、現代の医学をもってすれば、きっとなんとかなる。優秀な先生がきっとなんとかしてくれる。多くの家族が、そんな希望の灯を胸にともします。この希望の灯は強く、メラメラと燃えています。

 そう懇願されれば、医者は当然治療を施します。意気に感じる医者は少なくない。面目躍如でしょう。もし仮に、「これ以上は患者さんが苦しむだけです。抗がん剤治療をやめましょう」と提案したとしたら、「見放された。医療の放棄、怠慢だ」などと非難されかねません。いきおい、医者は家族の意向に従わざるをえません。そういう関係性は容易にできあがります。

 要するに、患者さん本人よりも家族の願いが中心になっていく。患者さんがあまり強い意志を持たない高齢者の場合は特に顕著で、「家族の嘆願」→「それを受けた医師の治療」→「患者の疲弊」という流れに陥りがちです。そういうことが数限りなく繰り返されてきています。

 患者さんに治療の理解を深めてもらうために、ぼくはいろいろな喩えを使います。

 殺伐とした言葉の響きですが、治療は“戦争”です。闘病という言葉はまさに言い得て妙で、戦争をイメージさせるものですね。

 患者さんは国王。身体は国土です。内臓や血液などの器官が国民。そして、医師は将軍です。手術や薬は爆弾やミサイルなどの武器ということになります。

 では倒すべき敵は……がんなどの病気です。

 敵が国土に攻め込んでくる。国土を荒らし、国民を蹂躙している。それを黙って見ているわけにはいきませんから、国王は将軍に抗戦を命じ、身体が臨戦態勢になります。戦争の専門家である将軍は、さまざまな手を駆使して敵を倒そうとします。

 結果、敵が退散して元の平和の状態に戻れば勝利です。

抗がん剤の効果を副作用が逆転する時

 しかし、勝てる戦争ばかりとは限りません。国家は未来永劫、続く可能性もありますが、人間の身体はいつかは必ず滅びます……。つまり、いつかは必ず負け戦を経験するのです。

 戦局が決し、もう勝ち目がないという状態になった場合、将軍が武器や爆弾を使い続けたらどうなるでしょう。戦地である国土はさらに荒廃し、国民はどんどん死んでいき、犠牲が増大します。しかし専門家である将軍は「負け戦なので、降伏しよう」とは宣言し疲弊しきっているのならば、戦争をやめればいい。戦時体制を解くこと。つまり将軍のもとを離れることです。

 もちろん、治療を全否定するつもりはありません。これまで、ぼくも将軍(外科医)として、散々戦ってきました。勝った戦もあれば、負けた戦もありました。そもそも戦うべきではなかったと後悔する治療もあります。

 つらい例を挙げますが、「もう、こんなつらい治療はたくさんだ。家に帰りたい」と暴れるからベッドに体幹抑制されて、点滴を抜かないように縛られて、それでも騒ぐと鎮静剤を打たれて、そして意識障害に陥って……そうやって亡くなっていく。

 家族は患者さんのためを思い、医師はその期待に応えようとしているのに、最悪の結果になってしまう。

 悪循環を断ち切るのが、ぼくの立場、「在宅緩和ケア医」です。

 緩和ケアというのは、死に直面した患者さんや家族の心身の痛みを予防したり和らげたりすることを意味しますが、ぼくは「最期まで自宅で暮らしたい」と願う患者さんのお宅に伺ってケアをしています。ぼくの患者さんの多くはがんを患っていますが、ぼくはがん治療をしません。「治療を諦めるのではない。治療をやめて自分らしく生きるんだ」というのがぼくのモットーです。

 わかりやすく言うと、病院で闘病している患者さんに帰宅してもらう。

 患者さんが自宅に帰ることについて、病院関係者は、「患者は病院でこれだけつらそうなんだから、家に帰ったらもっとつらいだろう」と思ってしまう。でもそれは想像力不足。患者さんにとって、病院はいわばアウェー(球技等での対外試合)で、自宅は(文字どおり)ホームです。確かに医療環境は劣るかもしれませんが、家のほうが心身ともにリラックスできます。私の経験では70歳の患者さんで7割、80歳で8割、90歳で9割と、高齢になるにつれて家で過ごしたくなるようです。

 患者さんの帰宅には、家族の理解が不可欠です。「もう、つらい治療を続けなくてもいいんだよ。頑張らなくていいんだよ」と家族が思えば、「家族の嘆願」→「治療の継続」→「患者の疲弊」という悪循環を断ち切ることができます。

 しかし、家族も納得して、患者さん本人も苦痛ばかりで治療を終わらせて家に帰りたいと思っているのに、それが叶わないことも多々あります。

あくまでも退院を許可したくない医者

 ぼくは家に帰りたいという患者さんの切望を叶えるべく、家族の要請を受けて、病院の主治医に退院の段取りを交渉することもあります。

 がんが脳に転移して意識状態が悪化し、余命一週間とされて、転落防止のためにベッドに縛り付けられていた男性がいました。「家に帰りたいですか」と聞くぼくに、彼ははっきりと「あんたら、助けに来てくれたんか?」と言いました。そして、「水をたっぷり飲みてえ?。なんで縛られてんだか、わかんねえ?。ゆっくり風呂に入りて?」と嘆きました。死を目前にし、鎮静剤を打たれて朦朧とする意識の中で絞り出した叫びです。それを目の当たりにした家族はベッド脇で大泣きしました。

 しかし、ぼくが直接交渉した主治医はあくまで首を横に振ります。「こんな状態では退院させられない。まだ治療が必要」と。ぼくは、この医師に嫌われてもいい、悪評を立てられても構わないと決心し、強い口調で抗弁しました。

 「治療を続ければ亡くならないのですか? あと何日命が延びるのですか? 本人やご家族は退院を希望しているんですよ」

 主治医はしぶしぶ退院の許可を出しました。患者さんは自宅に戻り、点滴も尿カテーテルも取り払い、水どころか晩酌も楽しみ、4回目の訪問入浴のあと、家族に見守られて眠りにつきました。退院から約2週間後のことでした。

 家族が患者さんのつらさを慮れば、延命治療の悪循環は断ち切られるわけですが、病院の医者も意識改革をするときだと思います。この10年くらいの間に、緩和ケア外来や病棟を創設した病院や、各科の垣根を取り払った緩和ケアチームをつくるなどの動きが増えてきています。それでもまだまだ、という気がしてなりません。

 医者たちは頭ではわかっている。自分や自分の家族には施したくない治療があると認識しているんですから。大病院が意識改革に本腰を入れてその気になれば、立派な緩和ケアチームをつくることが可能なのです。

プレジデント 2015年5月5日

緩和ケア施設では土日や祝日に死亡者が多い!?
ドイツの施設利用者8,390名を調査
 医療機関には、週末や祝日に死亡率が高くなる「weekendeffect(週末効果)」があると言われており、要因として、平日に比べて手術や集中治療ができないことが挙げられます。

 緩和ケア施設では、緊急の救命治療が必ずしも第一には考えられていないため、週末効果は起きないものと考えられていましたが、今回、ドイツの研究チームは週末及び祝日は平日に比べ死亡率が18%増大していたと報告しました。

8,390名の緩和ケア施設利用者を調査

 ドイツの研究チームは、研究対象とした施設を1997年から2008年までに利用した患者のうち、入院患者2,565名と死亡者1,325名のデータから、平日と週末及び祝日の死亡率を比較しました。

「週末や祝日」の死亡率は平日より18%高い

 死亡者のうち、448名が週末もしくは祝日に亡くなっていました。週末や祝日の死亡率は平日に比べて18%高くなっていました。

 研究チームは「緩和ケア施設の患者は、平日に比べて週末もしくは祝日に死亡するリスクが高い。計画調査(前向き研究)がなされていないため、この相関の正確な理由ははっきりとしない」と考察しています。

 緩和ケア施設においてどのような理由で「週末効果」が起こるのかは推論の域をでません。
実際に施設などで働かれた方はどのような原因があると思われるのでしょうか?

medley 2015年5月6日

低用量モルヒネは心不全患者の呼吸困難を安全に緩和する
 心不全の“緩和ケア”が注目を集めている。心不全の管理早期から患者の意思決定を支援し,進行に伴って出現する苦痛を緩和してQOL改善を目指そうというアプローチだ。

 シリーズ「非がん患者の緩和ケア」の第4回では,兵庫県立姫路循環器病センター循環器内科の取り組みを紹介した。

 同科では,難治性心不全患者の呼吸困難,疼痛に対して低用量モルヒネを投与している。2011年1月〜14年9月にモルヒネ塩酸塩を持続静脈投与した32例の解析により,血圧,脈拍などに影響を及ぼすことなく呼吸困難が有意に緩和されたことを,第79回日本循環器学会(4月24〜26日,会長=熊本大学大学院生命科学研究部循環器内科学教授,国立循環器病研究センター副院長・小川久雄氏)で,同科医長の大石醒悟氏が報告した。

通常治療に低用量モルヒネを上乗せ,モルヒネ塩酸塩5〜10mg/日で持続静注開始

 モルヒネは,化学受容体の感受性亢進の軽減,呼吸回数の減少や異常な呼吸パターンの改善などを介して,呼吸困難を緩和するとされる。しかし,心不全末期の呼吸困難には,呼吸抑制への懸念やエビデンスの欠如のために,使用が躊躇されることが多いのが日本の現状だ。

 そこで同科では,米国心臓病学会/米国心臓協会(ACC/AHA)ステージ分類でステージDに当たる不応性心不全患者の呼吸困難および疼痛の症状緩和を目的として,低用量モルヒネをできるだけ安全に使用するため,適格基準,除外基準や使用プロトコルを作成。院内倫理委員会の承認を得て使用を開始した。

 「モルヒネは呼吸困難や疼痛の症状緩和目的で使用する薬剤であり,適切に用いれば呼吸抑制や意識障害を来すことなく会話や食事摂取も可能だ。鎮静を目的として使用するべき薬剤ではないことは大事な点だ」と大石氏は強調する。

 適格基準では,症状評価で呼吸困難,疼痛が認められた例に対象を限定し,倦怠感にはオピオイドは投与していない(表1)。複数の医師,場合によっては看護師も加わって,不応性心不全の診断,症状緩和の適性を確認した上で,患者本人の同意か,それが困難な場合は家族からの文書による同意を得て投与している。



 @意識障害,A血圧低下〔収縮期血圧(SBP)80mmHg以下〕,B呼吸抑制状態(呼吸回数10回以下)─などを伴う例は除外した(表2)。





 使用プロトコルには,内服投与も含まれているが,これまでの導入例は全例持続静注もしくは皮下注で投与している(表3)。投与はモルヒネ塩酸塩10mg/日,腎機能障害〔推算糸球体濾過量(eGFR)<30mL/分/1.73m2〕合併例,その他高齢者などには主治医の判断で5mg/日から投与を開始するとしており,高齢の腎機能障害患者が多いことから5mg/日で開始することが多い。

 同氏らが,呼吸抑制防止の観点で注視しているのが呼吸回数である。10回/分を維持し,8回以下では投与量を漸減する。症状が強い場合は,1時間量の早送りや,1日ごとに1.5倍まで増量できる。最大用量は60mg/日と定めているが,実際にそこまで達したことはない。

平均投与日数は6.4±7.7日, 最終投与量は11.1±8.2mg/日

 今回の解析対象は,上記の適格基準を満たし,除外基準に該当せず,2011年1月〜14年9月にモルヒネ塩酸塩の持続静脈投与を施行した32例。

 急性期評価項目は,投与開始時および24時間後のSBP,脈拍数,呼吸回数などのバイタルサインと,Visual Analogue Scale(VAS:痛みなし0〜想像できる最高の痛み10),またはFace scale(まったく苦しくない0〜これ以上の苦しみはないほど苦しい5)による症状評価とした。安全性評価項目は,「呼吸抑制,血圧低下,徐脈など」の有害事象に伴う投与中止とした。

 患者の背景因子は,平均年齢77±13歳,原疾患は虚血性心疾患が38%を占め,全例ニューヨーク心臓協会(NYHA)心機能分類W。左室駆出率(LVEF)は35±15%,eGFRは37±45mL/分/1.73m2,50%が心房細動を合併し,入院日数は45±43日だった。

 対象の91%が呼吸困難を,9%が疼痛を訴えた。モルヒネの投与日数は平均6.4±7.7日(1〜42日),開始投与量は8.1±6.3mg/日,最終投与量は11.1±8.2mg/日で10〜20mg/日での投与が多いという。併用薬は強心薬72%,利尿薬100%で,鎮静薬も16%に使用した。心不全の緩和ケアの重要なポイントは,通常治療を継続しながら,症状緩和のためのモルヒネを上乗せ投与する点だ。

呼吸回数が有意に減少,VASなどで有意な症状緩和示す

 バイタルサインの変化を見ると,血圧が開始前の94±21mmHgから24時間後には90±22mmHgへ,同様に脈拍は98±22拍/分から93±19拍/分へ,酸素飽和度(SpO2)は96±5%から96±6%へ推移しそれぞれ有意な変化はなかった。これに対して,呼吸回数は27±6回/分から18±5回/分へ有意に減少した(P<0.001)。有害事象による投与中止は認められなかった。

 症状について評価可能だったのは9例(31%)に限られたが,呼吸困難がVASで開始前の6.4±2.3から2.3±1.9へ(P=0.004),Face scaleが3.3±1.0から1.0±1.5へ(P=0.03),それぞれ有意に軽減した(表4)。疼痛については1例のみ評価可能で,VASが6から4に改善していた。

 今回の対象では32例中31例が院内死亡だったが,最近では投与により症状が緩和される一方で,治療の継続により病状が改善し,モルヒネ投与をいったん中止して退院できるケースも出てきているという。

 このように,多くの症例で強心薬,利尿薬の併用下で,低用量モルヒネの持続投与により,血圧,脈拍への有意な影響なしに,呼吸数の有意な減少および呼吸困難の有意な軽減効果が認められた。

 以上から,大石氏は「不応性心不全患者に対し,通常治療群への低用量モルヒネの持続静脈投与の追加は安全に使用可能であり,呼吸困難緩和に有用と考えられた」と結論。今後,薬剤蓄積が危惧される長期継続使用の安全性の評価や,症状評価のデータをより多く集積する必要があるとした。

教育,連携,行政支援が普及の鍵に

 心不全に対する緩和ケアの普及に向けた課題は何か。大石氏に,ポイントを挙げてもらった。

 第1に,心不全の診療に関わる全ての医療者が,緩和ケアについての考え方,知識を持つ必要がある。そのためには循環器関連職種向けに,コミュニケーション研修を含んだ緩和ケア教育プログラムの策定が求められる。

 第2に,在宅医を含む地域ネットワークの確立が欠かせない。同科でも,在宅の循環器専門医や訪問看護師に退院前カンファレンスに出席してもらい,連携を深めている。

 第3に,循環器と緩和ケアの専門家間の連携も重要だ。欧州心臓病学会の「緩和ケアに関する提言」(2009年)では,@循環器専門家A緩和ケア専門家 のいずれかが主体となり他方がコンサルトとして機能するチームを形成することによって,地域連携を強化できるとしている。

 こうした課題の解決には,行政の支援,循環器と緩和ケアの関連学会間の連携,非がん患者の緩和ケアへの保険点数の算定などが基盤として欠かせない。

 「心不全の緩和ケアは,医療者がその重要性を理解し必要性を認識すれば,現在入手可能な薬剤で開始できる。患者さんの価値観を支える治療選択肢であり,今後の心不全診療に必須だ」と同氏は話している。

Medical Tribune 2015年5月8日

シリーズ 非がん患者の緩和ケア 筋萎縮性側索硬化症
モルヒネで意識保ちながら苦痛軽減
荻野 美恵子 氏 北里大学包括ケア全人医療学講師

 筋萎縮性側索硬化症(ALS)の進行期には呼吸困難や疼痛が問題となる。欧米では1990年代からオピオイドが標準治療だが,日本では保険適用もなく呼吸抑制への懸念から抵抗感が強かった。

 ALS患者へのモルヒネ投与にいち早く取り組んできた北里大学包括ケア全人医療学講師で神経内科専門医の荻野美恵子氏は「意識を保ちながら苦痛を軽減でき,適切に用いれば予後の悪化はない」と強調する。保険審査上ALSなどへのモルヒネ使用の道を開いた学会を挙げての働きかけや,難病緩和ケア研修研究会開催を牽引してきた同氏に聞いた。

緩和すべき症状は?
呼吸困難,疼痛はじめ多岐に及ぶ


 ALSは運動機能が進行性に冒され四肢麻痺となるが,根治治療はいまだない。診断時からさまざまな苦悩を抱え,QOL向上を目指す緩和ケアのニーズが高い。進行期には呼吸筋障害を来すため,約50%が呼吸困難を自覚する。加えて,関節の拘縮や筋痙攣,圧迫による疼痛も40〜60%に生じる。流涎,むせ込み・窒息,せん妄,嚥下障害,精神的苦痛への対策も重要だ。

QOL向上が治療目標に

 進行期に生じる呼吸困難には気管切開下人工呼吸療法(TV)という選択肢もあるが,新規の装着は20%強という。TVを用いないALS患者の予後は平均2〜4年ほど。QOLを向上させ,平穏な最期を迎えるための支援が求められ,さまざまな取り組みが実践されている。

 「QOLを高く保つためには,家族とコミュニケーション可能な意識のある状態で,できるだけ苦痛が緩和されていることが大切」と荻野氏。その観点で欠かせないのが,呼吸困難や疼痛に対するオピオイドの使用であり,「躊躇せず適切な時期から開始すべきだ」と同氏は指摘する。

モルヒネは低用量から開始,貼付剤は投与初期には危険

 荻野氏がオピオイドの使用に取り組み始めた契機は,2003年末の国際シンポジウムへの出席だった。海外で,ALSの呼吸困難や疼痛にオピオイドが標準治療として使用されているのを目の当たりにし,帰国後,プロトコル作成に着手した。

保険適用なく安全性への懸念が普及阻む

 日本でも1990年代後半から,先駆的なオピオイド使用報告はあった。2002年の日本神経学会「ALS治療ガイドライン」では,米国神経学会(AAN)ガイドライン(1999年)と同様にオピオイド使用を推奨したが,保険適用がなく通常治療としての位置付けではなかった。臨床現場では,呼吸不全を来す疾患に呼吸抑制を惹起しうる薬剤を投与することへの懸念が根強く,普及を阻んでいた。

 実際に2005年3月に投与を開始すると,「低用量モルヒネで,意識レベルを落とさず自制できるまでに呼吸困難が緩和された。必要な治療だと実感でき,もう少し早く取り組んでいたらと痛感した」と荻野氏は振り返る。

 2007年からの4年間にモルヒネを使用し同院で死亡したALS患者33例では,全例で症状が軽減し,副作用は便秘程度。適切な時期に導入すれば,がんの疼痛緩和と異なり低用量で安定し,嘔気はまれだ。

入浴・労作前に頓用を開始

 では,どのようにモルヒネを導入すればよいのか。疼痛には,世界保健機関(WHO)のがんの疼痛コントロール(3段階除痛ラダー)に準じた治療が推奨される。

 一方,呼吸困難には,酸素飽和度(SpO2)などのデータに頼らず,患者の訴えを重視することが大切だ。導入のきっかけは,@入浴や食事などの労作時に呼吸困難A感染症合併などで増悪 の2通り。前者には,入浴や労作時の30分〜1時間前にモルヒネ塩酸塩の頓用を開始する。

 具体的には,表に示すプロトコルに沿って投与する。開始量は慎重にモルヒネ塩酸塩2.5mg/回(PaCO2 60Torr以上は1.25mg/回)とし,初期有効量は2.5〜5mg/回が大多数だ。

「ALS患者には,安全性の観点からモルヒネは低用量での投与開始が好ましい」と荻野氏。患者には,初回に効果がないかもしれないことを事前に説明しておく。がんで汎用されるフェンタニル貼付剤(パッチ,テープ)は「ALSの投与初期には,低用量のものでも経口モルヒネ換算で過剰投与となり危険だ」と注意を促す。

 2005年4月〜11年3月のTV非使用ALS連続死亡例77例では,オピオイド使用は37例(48%),維持期投与量は30〜60mg/日で,死亡時の平均投与量は56.5mg/日(2.5〜230mg/日),使用期間は2日〜42カ月。7〜8割は終末期まで在宅で過ごし,2〜3割は在宅看取りとなった。

 症例(囲み参照)は比較的進行が速く,モルヒネを徐々に増量していったが,開始8カ月後には呼吸困難が増悪し入院。持続皮下注を開始したところ呼吸困難の緩和が得られ,携帯型輸液ポンプに変更後,退院となった。翌月家族や友人に見守られながら穏やかな最期を迎えた。

生命予後を悪化させない

 モルヒネ投与は,ALS患者の生命予後を改善する可能性も出てきた。

 2003年4月1日〜12年4月1日に同院へ入院したALS患者294例のうち,経過を把握でき,非侵襲的陽圧換気療法(NPPV)22時間以上装着,経管栄養併用などの条件を満たす60例の解析では,統計学的な有意差には至らなかったものの,モルヒネ投与群(32例)の生存期間が非投与群(28例)に比べて約26日長く(平均158日対132日,P=0.51),少なくとも生命予後の悪化はなかった。

学会一丸で保険審査承認へ

 前述のように,国内でALSに対するモルヒネ投与の普及を阻む大きな障壁の1つが,ALSに対しモルヒネが保険適応外であることだった。

研修会で地域リーダーを育成

 そこで荻野氏は,日本神経学会と日本神経治療学会の医療保険関係の委員会で提案,学会を挙げて神経難病へのオピオイド投与のニーズについて社会的コンセンサスを得るべく啓発・教育活動に取り組みながら,保険行政に粘り強く働きかけた。

 その結果,2011年9月に厚生労働省から原則として「ALS」 「筋ジストロフィーの呼吸困難時の除痛」に対するモルヒネの処方を「審査上認める」と通達が出た。6年がかりで事実上の保険適用取得に至ったわけだ。

 一方,厚労省「希少性難治性疾患患者に関する医療の向上及び患者支援のあり方に関する研究班」の事業として,2011年度から「難病緩和ケア研修研究会」を毎年開催。各地で難病緩和ケア教育のリーダーとなる人材の養成を進めている。

 こうした努力もあって,国内全神経内科専門医を対象とした同氏らのアンケートでは,ALSへのモルヒネ処方は,2009年の21%から2012年には32%に増加していた。

 2013年12月に改訂された日本神経学会「ALS診療ガイドライン」では,終末期ケアの標準治療として,モルヒネなどオピオイドの適正使用について記載された。「ALSは非がん疾患に対するモルヒネ使用の突破口になったといえる。がんも非がんの患者さんも,ともに死の直前に苦しみながら亡くなることのない社会になってほしい」と同氏は訴えている。

Case 70歳代・男性

 2007年2月,右上肢脱力で発症。同年5月構音障害,8月嚥下障害を来し,10月呼吸困難を主訴に同院受診,ALSと診断。気管切開下人工呼吸療法(TV)は本人が拒否。独居で近隣に娘3人。

経過:同年12月,夜間のみNPPV導入。2008年1月には呼吸困難が増悪,胃瘻造設。5月NPPV装着時間延長,モルヒネ塩酸塩投与開始。同月下旬には増量を経て硫酸モルヒネ徐放剤に変更。6月にはNPPV 24時間となる。8月中旬,増量するも効果が一過性のためモルヒネコントロール目的に入院。9月モルヒネ持続皮下注開始。呼吸困難の緩和が得られ,携帯型輸液ポンプに変更後,同月下旬退院。10月家族や友人に見守られる中,在宅で穏やかに看取りとなる(図)。

Medical Tribune 2015年5月14日

緩和ケアの始まりは終わりの始まりではない
モルヒネ大量投与=死期が近いは誤解 緩和ケアのホント
 緩和ケアというと、どのようなイメージを持つだろうか。「ほかに治療手段がなくなった時に行うもの」「死を迎えつつある患者に行うケア」と思う人が多いかもしれない。

 しかし、これは大きな誤解だ。緩和ケアは、がんに伴う身心の苦痛・つらさに対する積極的な治療であり、「がんと診断されたら同時並行で始める」ことが必要な、発症早期からの治療である。日本では2007年のがん対策基本法にうたわれた頃から、その取り組みが本格化したが、WHO(世界保健機関)はすでに2002年に「緩和ケアは疾患の発症早期から始まる」と定義している。

痛みを取り除くだけでなく延命効果もある

 緩和ケアは単に苦痛を取り除くだけではない。それどころか、患者を元気にし、延命をもたらす効果もある。

 痛みを我慢すると不眠や食欲不振に陥り、気持ちも沈んでしまう。するとなおさら痛みを強く感じ、手術、抗がん剤治療、放射線治療などができなくなったり、治療の効果が上がりにくくなったりする。逆に痛みを取れば体が楽になるだけでなく、治療の効果も上がるのだ。

 日本人は痛みをぎりぎりまで我慢してしまう人が多いようだが、がん治療に関してはその習慣を捨て、小さな痛みも訴えて取り除いてもらい、楽に過ごすのが得策らしい。

 痛みの取り方は、1980年代にWHOが定めた方法に基づく。痛みの程度に応じて鎮痛効果の弱い薬から強い薬へと、3段階で進めていく方法だ。

 1段階目は、市販薬にもあるアスピリン、アセトアミノフェンなどの非オピオイド鎮痛薬。2段階目が、コデイン、トラマドールなどの弱オピオイド鎮痛薬。3段階目が、モルヒネ、オキシコドン、フェンタニルなどの強オピオイド鎮痛薬となっている。

モルヒネ中毒は起こらない

 アメリカでこのような研究結果がある(Bercovitch M, et al, Cancer 101, 1473-1477, 2004)。抗がん剤が効かなくなり、痛みを取るためにモルヒネを服用している再発・転移がんの患者を、モルヒネの使用量の差で4つのグループに分けて生存期間を調べた。結果は、最もモルヒネを多く使用したグループがいちばん長生きしたのだ。副作用は4グループ間で差がなかった。

 モルヒネは「中毒になる」「廃人になる」などと考える人がいるが、これは大きな誤解だ。痛みのない人が使うと薬物依存になりやすいのは確かだが、痛みのある人が使っても決して薬物依存は起こらない。

 また、「モルヒネが次第に効かなくなって量が増える」「大量に使うようになったら死期が近い」という誤解もある。こうした誤解から服用量を抑えると、痛みを十分に取り除けない。モルヒネが効かないと訴える人の中には、服用量が不足している場合がある。十分に痛みがとれる量のモルヒネを使うことが延命効果をもたらすのは、先ほどの研究結果で明らかである。

長生きするだけでなくQOLも上がる

 さらに、アメリカでトップレベルの病院である、マサチューセッツ総合病院で行われた臨床研究がある(The New England Journal of Medicine 2010;363:733-742)。進行性非小細胞肺がんの患者を、抗がん剤治療だけを行うグループと、抗がん剤治療と並行して緩和ケアを行うグループに無作為に分けて治療した。すると、早期から緩和ケアを行ったグループでは抑うつや不安などが少なく、QOLが優れていた。そればかりか、生存期間は前者が8.9か月、後者が11.6か月で、緩和ケアを併用したほうが延命効果があっら。この研究結果も、緩和ケアの有用性、優位性を物語るものといえよう。

 しかし、これだけの研究結果が示されても、モルヒネへの恐怖心や拒絶感は根深く、他の患者と比較して「モルヒネの量が増えたから死が近い」と思う人もいる。

 モルヒネの量は体重などに応じて決まるものではなく、個々の患者によって必要量が異なる。いわば100%オーダーメイドの治療なのだ。過去の知識に惑わされず、早くから十分な量を使って痛みを抑え、QOLを高めて長生きしたいものだ。

ライブドアニュース 2015年5月17日

がん社会はどこへ:追い込まれた「リタイア」
 「ずっと続くと思っていた道がぷっつり途切れ、途方に暮れています」。栃木県に住む陽子さん(53)=仮名=は約3年前、がんが分かり、ようやく就いた図書館司書の正規職員を半年で辞めざるを得なかった。その失意をいまも引きずっている。

 無類の本好き。図書館司書になるため古里・青森を出て、栃木県の短大で学び、司書の資格を取った。その後、結婚、子育て。資格を生かして公立図書館でパートで働いていた。3年目の2012年春、組織改編で、正規職員となった時の喜びは格別だった。

 しかし、半年後、初期の直腸がんが見つかる。入院して腹腔(ふくくう)鏡手術。1カ月も休めば職場復帰が可能なはずだった。上司からも「しっかり休んで」と配慮の言葉があったが、小さな組織のローテーション制で、「職場に迷惑はかけられない」。いったん辞めざるを得なかった。

 退院後、「パートで戻りたい」と申し出たが、既に代わりのスタッフが入り、無視された。「この年で、がんにかかった自分には何の価値もないのか」と落ち込んだ。同時期にがんが分かった大企業や役所勤務の知人は皆、元の職場に復帰している。陽子さんは病を明かさず、アルバイトの職を得た。「自分はぜいたくなのだろうか」。やりきれない思いが続く。

子どものために

 働く世代のがん患者の多くは、仕事を続けなければ生活が立ち行かない。「子どものため、あと10年は生きなければ」と話す福岡県在住の契約職員、真美さん(46)=仮名=はシングルマザーだ。長男(22)は独立したが、次男(10)には障害があり、特別支援学級に通うために送迎が欠かせない。

 クリニックの契約の看護助手として働いていた昨年2月、膣(ちつ)がんが見つかった。医療現場だが、以前、がんになった同僚のことを思い出し、打ち明けなかった。最初は「無理しないで」と気遣われても、やがて休むたびに陰で何か言われるのか分かるからだ。

 しかし、治療のための入院が必要となり、看護師長と事務の担当者にのみ話した。契約更新時期の直前で、クビを覚悟したが「あなたは必要な人」と言ってもらえた。

 3カ月の入院の後、復帰した。当初は有給休暇を使いながら時短で働き、1カ月後には通常勤務に。仕事はベッドメーキングなどで体力を使う。放射線治療の後遺症で疲れやすく、足のしびれもあるが、一人の動きが悪ければ他のスタッフに負担がかかるため、懸命にこなしている。

 治療費は公的な「ひとり親家庭等医療費助成制度」で基本的には免除されたが、体力的にも経済的にも余裕はなく、綱渡りの生活が続く。

 「再発しても、もう治療は受けられないかもしれない」。次男が環境の変化に弱く、パニックの発作を起こすため、次に入院が必要な時にはもう高齢の親に任せられない。この先の雇用の保証もなく、不安は尽きないが、今は好きな仕事が続けられることを幸せに感じる。「患者さんに会うのが楽しみ。人と関わることが生きがいにつながります」

管理職に戻れない

 がんにかかる人の数は、50歳を超えると男性が女性を上回り、50代前半から急激に増加する。会社員なら管理職に就く年代だ。埼玉県在住の久雄さん(58)=仮名=は、大手スーパーの店長で56歳だった13年に大腸がんが見つかった。同年4月に手術。4カ月の休職の後に復帰しようとした矢先、今度は肝臓への再発転移が見つかる。

 会社は、がん患者の就労に積極的に取り組んでいるとして、自治体から表彰を受けた。窓口の担当者は熱心な対応で、復帰に向けて面談を重ねた。しかし次第に抗がん剤治療の副作用が強くなり、手足の先が痛み、フルタイムでの復職は難しくなった。とはいえ事務職に正社員のポストはなかった。「別の職種も提案されたけれど、なかなか踏み切れなくて」

 休職期間中は無給で、互助会からの見舞金と健康保険の「傷病手当金」を受けた。しかし傷病手当金の支給は15年1月で終了。同3月が復帰する期限だったが、思案の末、選択定年制度を利用して退職することにした。

 退職後の家計について、年金が受けられる62歳までのシミュレーションを重ねた。退職後数カ月は雇用保険から「失業給付」を受け、さらに公的年金の「障害年金」も受給資格を得ていた。退職金で家のローンを払い、妻(59)のパート収入と、預金を切り崩して生活費に充てる。2人の娘は社会人で、同居する次女も給料の一部を家に入れてくれる。

 がんは今のところ、画像上に腫瘍が見えない「寛解」状態だが、この先どうなるかは分からない。「58歳で引退は早いと思うが、治療しながらの再就職はハードルが高い。在宅でできる仕事がないものか」と話す。病状も生活状況も違う患者それぞれに、きめ細かく対応できるような仕組みができないものか。「がん患者を安定雇用するには、企業努力だけでは限界があるのではないでしょうか」

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 ◇ひとり親家庭等医療費助成制度

 母子家庭や父子家庭の親、また親がいない児童を養育する人に対して、公的医療保険の自己負担分から一部負担金を差し引いた額を助成する制度。ただし入院時の差額ベッド代や食事代、また予防接種や健康診断などは原則、助成されない。また、限度額以上の所得がある人や生活保護受給者らは対象外となる。自治体によって多少の違いがあるため利用する際は、まず窓口に問い合わせる。

 ◇がん診断後の就労と収入の変化

 厚生労働省の研究班(代表・山内英子聖路加国際病院ブレストセンター長)が乳がん患者に対して2013〜14年度にアンケート調査を行った結果、がん診断後も以前と同じ就労状況を続けている患者は53.0%、依願退職は15.0%、転職は12.0%。以前と就労状況が変わった人のうち40.4%は年間の収入が減った。


m3.com 2015年5月21日

がん社会はどこへ:働き続けたい 告知されても辞めない
使える傷病手当金

 がん患者の生存率は治療法の進歩に伴い、多くの部位で高まる傾向にある。完治に至らなくても、「慢性疾患」としてがんと長く共存する患者も増えている。抗がん剤治療や放射線治療は、入院より通院する形が基本となり、吐き気止めなどの副作用対策も進む。がん患者が治療を受けながら働きやすくなる環境は、徐々に整いつつあるといえる。

 桜井なおみさん(48)は、日本でいち早くがん患者の就労問題に取り組んできた一人だ。自身も2004年、37歳の時に乳がんが見つかる。手術後、当時勤めていた設計事務所にデザイナーとして復職した。しかし、パソコンのマウスを扱うことがつらくなり、退職した。多くの乳がん患者が悩まされる手術後のリンパ浮腫が原因だった。

 再就職を経て、07年に一般社団法人「CSR(がん患者の就労)プロジェクト」を設立した。「初めは医療者にも行政側にも、なかなか理解が得られなかった。産業医も、『仕事はまずがんを治してから』というスタンスでした。でもここ10年ほどで、患者一人一人の声が束になり、状況が変わってきた」

 CSRプロジェクトは月に1度、働くがん患者や就労希望の患者を対象に、社会保険労務士や産業カウンセラーらの専門家も交えて悩みを話し合う「サバイバーシップ・ラウンジ」を開催する。さらに「就労セカンドオピニオン」として、専門家が無料で電話相談に応じる機会も設けている。

 さまざまな悩みが寄せられる中、桜井さんがまず強調するのは、がんと診断されても、それまでの仕事を「とりあえず辞めない」ことだ。告知を受けて直後、患者は半ばパニック状態となり、冷静に物事の整理をつけることができなくなりがちだ。

 企業によって使える制度は違うが、正社員なら「休んでも2年くらいはしのげるはず」。「辞めてしまってから相談に来る人もいるが、健康保険の『傷病手当金』などの使える制度があることを知らない患者も多い」と話す。

会社は長い目で

 新たに仕事を探す場合に、まず悩むのが履歴書や面接で自分の病名を告げるかどうかだ。桜井さんによれば、職場に伝えるべきなのは「がん患者であること」ではなく、「どのような配慮が必要か」ということ。特に配慮の必要がないなら、がん患者であることは伝えなくてもよいという。

 一方、企業には従業員への「安全配慮義務」があり、従業員の身体の安全を守らなければならない。しかし、がんは「安静にしていればいい」という病気ではなく、悪化しないための注意事項が決まっているわけでもない。患者の状況も千差万別だ。「雇う側は『がん患者には何も聞いてはいけない、触れてはいけない』と思っている。そうではなく、きちんと聞くところから始めてほしい」と話す。患者自身も「これはできない」だけではなく、「こうすればできる」と前向きな情報を伝えるべきだとする。

 患者と医療者、企業の3者をつなぐ会社「患医ねっと」を経営し、企業の担当者に向けて講演の機会も多い鈴木信行さん(45)は「中小企業や自営業、また非正規のがん患者にとって、就労をめぐる状況は依然、厳しい」と指摘する。

 「いまだに会社から異動や退職を指示される例があります」。いずれにしても企業担当者には、『自分が患者だったら』と、視点を入れ替える発想を持ってほしいという。

 鈴木さんは生まれながらに障害を持ち、25年前、20歳の時には精巣がんを発症。製薬会社に研究者として就職したが、入社1年目でがんの再発転移も経験した。「治療に仕事、これからの生活。がんは告知された時点で課題が押し寄せ、患者は次々と岐路に立たされます。問題を整理するのは自分しかいない」

 仕事に関しては、まず何のために働くかを根本から考え直す必要がある。しかし、そこで働くことの意義を確認できれば、復帰して会社に恩を返そうという気持ちも生まれる。「会社も長期的な視野で関わることで、患者から将来、大きな見返りを受けることができる。それが一つの理想ではないでしょうか」

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 ◇傷病手当金

 健康保険の制度で、被保険者が病気やけがで働けなくなった場合、生活を保障するために給付される(労災保険の対象の場合は除く)。支給額は、1日につき被保険者の「標準報酬日額」の3分の2に相当する額。給与が支払われていれば支給されないが、給与の額が傷病手当金より少ない場合は差額が支払われる。支給期間は最長で1年6カ月。

m3.com 2015年5月22日

NTT東日本関東病院 がん患者の心身サポート 安らぐ在宅での療養支援
 国内死因第1位のがんは強敵だが、医学の進歩で寿命を延ばすことは可能となり、患者はがんと闘う期間が長くなっている。それゆえに、がんによる痛みなどの体調不良を改善して体力と気力を維持しつつ、治療をスムーズに受けられるようなサポートは、これまで以上に重要といえる。また、進行がんの患者に対しては、自宅でも療養が可能となるような在宅診療を行う医療機関とのチームプレーも不可欠だ。

 そんな理想的な診療体制と環境を整えているのが、NTT東日本関東病院緩和ケア科。専門の医師、緩和ケアの資格を持つ看護師、薬剤師などのスタッフをそろえ、一般病棟でのサポートを行う緩和ケアチームを設置し、2013年5月には緩和ケア病棟をリニューアルした。診察室を緩和ケア病棟と一般外来に設置することで、受診しやすくするなど、さまざまな工夫をこらしている。

 「がん治療の初期の段階で痛みなどを感じる人は、約40%に上ります。私たちは、診療科に関係なく、がん治療を受けられている患者さんのつらい症状を和らげるお手伝いをしています。そして、緩和ケア病棟では、ご自宅で療養ができるようにも支援しています。その体制と環境が、最近、ようやく理想に近づいていると感じます」

 こう話す同科の堀夏樹部長(63)は、約30年前の泌尿器科医時代から、がん患者の緩和ケアを行っている。在宅診療も普及していない頃で、自ら夜間に在宅訪問するなど、孤軍奮闘しながら患者を支援してきた。その様子は、周囲のスタッフや病院にも好影響をもたらし、2000年には同院に緩和ケア科が設置された。

 専任医師となった堀部長は、専門スタッフの拡充や地域医療機関の連携を強化するなど、長い年月をかけて理想の体制と環境を整えてきたのである。

 「ご自宅に戻られたがん患者さんを往診すると、病院内とは表情が変わり、笑顔を見せるなど、とても元気になられます。つらい症状から解放されることが、いかに大切か。がん患者さんに対する緩和ケアを当たり前にするのに、20年以上かかりました」

 堀部長によれば、2001年から院内の研修医は、自分の目指す診療科に関わらず、緩和ケアの研修を受けるシステムが構築されている。一般的にがん患者に対する緩和ケアについては、医学生時代に勉強する機会が現在もあまりないそうだ。加えて近年、在宅診療は少しずつ広がりを見せているものの、24時間体制で患者を見守るには、診療施設の綿密な連携が必要となるが、まだ十分ではないという。

 「もっと一般の方々や医療従事者が、がん患者さんへの緩和ケアの重要性を認識することで、さらによりよい医療が提供できるようになると思っています」と堀部長。患者が笑顔を取り戻すための取り組みは、今も続いている。 

ZAKZAK 2015年5月27日

「親の看取り」 介護疲れでうつを発症することも…
 長寿世界一の日本人とて、いつかは人生を終えるときは来る。自分の死もつらいが、考えようによっては家族を看取るほうが、ストレスは大きいのかもしれない。親孝行な人ほど、そのストレスも強くなる。どう乗り越えればいいのだろう。

 Mさん(53)の母親(77)は、乳がんとその転移性肝がんの治療を続けてきたが、ついに万策尽きてしまった。退院して自宅に戻り、在宅緩和ケア医や訪問看護師が定期的に診に来てくれている。

 お母さんは気丈な人で、がんの転移がわかった時点で覚悟はできていた。家族や医師の前で取り乱すこともない。今は穏やかに本などを読んで過ごす日々。逆に息子のMさんのほうが、精神的にまいってしまっている。

 特にお母さんが自宅に戻ってからというもの、不眠や食欲不振など、あらゆるストレス症状に支配されている。その様子を見たお母さんが逆に心配する始末。

 「身内に終末期の患者を持つ家族には、大きなストレスがかかるもの。そのサポートはとても重要です」と話すのは、湘南東部総合病院で緩和ケア内科科長を務める平野克治医師。核家族化で「人の死」に接する機会の減った現代人にとって、身内を看取ることは、精神的に大きな重圧となるというのだ。

 「不安や悩みは抱え込まず、医師や訪問看護師に遠慮せずに相談すべき。それでも家族のほうに疲労がたまっているときは、『レスパイトケア』といって、一時的に患者を入院させることも可能です。こうした制度を効果的に使って、看取る側が体を壊さないようにすることが重要です」

 平野医師によれば、親の介護が原因で疲弊して、うつ症状を発するケースは決して珍しくなく、心療内科や精神科を受診することもあるという。

 しかし、息子や家族にそこまで不安を持たせていたのでは、旅立つほうも心残りだろう。

 お互いのためにも、何より残された最期の時を有意義に共有するためにも、看取る側の健康は不可欠だ。利用できるサービスは利用しましょう。そのためのサービスなんだから、遠慮はいりません。 

ZAKZAK 2015年5月27日

「もしも、一つだけ願いが叶うとしたら?」
がん患者と健康な人に、同じ質問をした結果
「もしも一つだけ願いが叶うとしたら?」

 これは、ある社会実験で使われた質問です。
壁で区切られた部屋に二人が座り、同じ質問に答えてもらいます。お互いにどういう人が隣に座っているかはわかりません。ただし、左側に座っている人はガンを患っている人です。

 その答えの違いが、世界中で話題になっているのです。ここからは、2つの質問とそれを受けた回答を紹介していきます。

質問1「もしも一つだけ願いが叶うとしたら、何をお願いしますか?」

 最初に答えるのは、右側に座っている健康な人たちです。


ギリシャの島を旅行したい!

サハラ砂漠を旅したい。

ゲームを作る会社を起業したい。

試験に合格したい。


 主に、仕事や旅に関する欲求が強いようです。しかし、左側に座っている人たちは違います。

4人の子どもたちには、幸せな生活を送ってほしい。

この世にあるすべての病気の治し方が、発見されること。

一度だけでもいい。自分の足で歩いてみたい。


 右に座っている人たちは、明らかに自分とはまったく違う答えに驚きを隠せません。

質問2「あなたにとって幸せとは?」

 右側に座っている人たちの答えは、以下の通り。

音楽を聞いている時が最高に幸せ!

試験の成績がよかった時は嬉しい。


 
一方、左側にいる人たちは、もっと些細な日常の出来事に幸せに感じるようです。

毎朝起きて、妹の笑顔が見れること。

私の人生で最も嬉しい時は、当たり前の小さなことに感謝できる時。

娘たちが元気にしている姿を見ると、とても幸せ。

お母さんが、私のことで心配にならないことが一番嬉しい。


 そして、最後にそれぞれ自己紹介をします。

 僕は12歳で白血病を患っています。

 私は14歳。マドリッドに住んでいます。私の右足はガンを患っています。

 最後は壁を越えて二人が対面します。そしてこの動画は、最後にこう伝えています。

「私たちは、人生を失ってしまう状況にならないとその大切さに気づくことができない」

「一つひとつのことを大切にすれば、その時が来た時にも受け入れられるはず」

 明日死ぬかもしれないように、生きることの大切さを教えてくれるこの社会実験。

 実際の動画もチェックしてみてください。

 https://www.youtube.com/watch?v=5pynXxLh9iM&feature=youtu.be

TABI LABO 2015年6月3日

がんに負けない患者力
林和彦「緩和ケアとは、がんであることを忘れられる時間をつくること」
がんについてネット検索する時間があれば、家族は患者と過ごしてほしい
林 和彦=東京女子医科大学 がんセンター長

 がんの病状は個人差が大きく、治療法が複数あり、さらに患者一人ひとりの価値観も異なります。がんと診断された直後から、患者は自分の病気を理解し、さまざまな情報を取捨選択する人生が始まります。自身も肺がん患者である、日経BP社の山岡鉄也が、がんと向き合った人々に話を聞き、後悔しない人生を送るためのヒントを紹介していきます。

 がんと診断されたときに知っておきたいことは、さまざまありますが、「緩和ケア」(*)についての知識もその一つです。林さんは「緩和ケアを受けることで、患者さんは生きる活力を取り戻せる」と話します。また、患者家族には「ご家族にしかできない時間の使い方をしてほしい」とアドバイスしています。

「緩和ケア医は、“暗いトンネルを知り尽くしたガイド”です」

「緩和ケア」とは、どんな治療法ですか。緩和ケアは「もう、がんを治せなくなり、これ以上の治療法がない終末期の治療」とされていましたが、今は違うのでしょうか?


 緩和ケアとは、がんによる痛みやだるさなどの体のつらさ、「どうして、がんになったのか」という落ち込みや悲しみ、仕事ができないなどの心のつらさを軽減させるために行われるものです。

 確かに以前は、終末期の患者さんを対象としていましたが、2002年にWHO(世界保健機関)が方針を変更し、いまでは、「がんと診断されたとき」、つまり、治療の初期から緩和ケアを始めるようになりました。

 緩和ケアのメリットは、症状を取り除いたりやわらげたりすることだけでなく、それらによって治療効果も上がることです。体調が上向きになることで、食欲が出て食事ができるようになると、患者さんは生きる活力を取り戻せるようになります。病気と100%の力で向き合えるわけです。

 緩和ケアは、以下のようながんのつらさを取り除いたり、やわらげたりする。

体のつらさ…「息が苦しい」「咳が止まらない」「お腹が張る」「体がだるい」「何もしたくない」「うまく排尿できない」「体のあちこちがむくむ」「吐き気がする」「食欲がない」「しゃっくりが止まらない」など

心のつらさ…「どうして、こんな病気になったのか」「このまま、生きていくことがつらい」「父親母親の役割ができない」など

痛みやつらい症状は、体だけでなく心も支配するので、それらを取り除いて、元気を取り戻そうということですね。緩和ケア医は、どのようなサポートをしてくれるのでしょうか。

 緩和ケアとは、がんに対して手術や薬物治療といった技術を施す分野ではなく、「がんだけでなく、患者さん全体を見る」という医療における“理念”でもあると私は考えています。

 緩和ケア医は、「がん闘病」という暗いトンネルのなかで、灯りを照らすためのガイドの役割を担っています。

緩和ケア医がサポートしてくれること

具体的には、どういうことでしょうか?

 闘病中は、分かれ道にたくさん出くわします。プロのガイドなら、トンネルの地図が頭に入っているので、患者さんが迷う場所がわかるだけでなく、どの道を選んだら、どんなことが起こるかも知っています。個々の患者さんが大切にしている優先順位を考慮しながら、「患者さんやご家族が、どうすれば幸せになるか」思いつくことすべてを提案します。

 たとえば、がんによる強い痛みを訴える患者さんには、痛みをやわらげる医療用麻薬を使うことを勧めます。眠れないという場合は睡眠導入薬を、何もしたくないという人には抗うつ薬の処方やうつ症状のコントロール法などもお伝えします。いろいろな方法で、アニメ「ドラゴンボール」のような"元気玉"をお渡しし、生きる力を取り戻すことをサポートします。

 緩和ケアを受けても、病気になる前の状態には戻れませんが、かつてのご自身の姿に近づけることはできます。緩和ケア医の使命は、いろいろな薬物治療や精神的なケアを組み合わせて、患者さんががんであることを忘れられる時間をつくることです。

「家族は、家族にしかできない時間の使い方をしてほしい」

私はよく、患者さんの家族から、「家族は患者にどんなことをすればいいか、どんなことができるか」と相談されます。林さんはどう思われますか。

 ぜひ、患者さんと一緒に散歩したり、映画を観たり、食事をしたり、一緒に笑ったり、泣いたり、悩みを聞いたりする時間を大切にしていただきたいです。

 ご家族の中には、インターネットや書籍などで、ものすごく勉強してこられる方がいます。でも、その時間の使い方は不幸だと思います。30年かけて専門的な情報や経験を積み重ねてきた私でさえ、「この選択で良いのか?」と迷うことがありますから。

 ご家族が短期間で集めた情報から、何かを判断するのは難しいはずです。医師は医師にしかできないことをしますので、お互い限られた時間をそれぞれの役割のために使いましょう。インターネットで検索している時間を、どうか患者さんと過ごすことに使っていただきたいと思います。それが患者さんにとって、一番メリットが大きいと確信しています。

「患者さんが満足するなら最先端の治療でなくてもいい」

自宅で家族と過ごすためには、「在宅医療」という方法もありますね。国全体が在宅医療を進める方向に動いています。

 在宅医療とは、住み慣れた自宅や地域の高齢者住宅などで訪問医や訪問看護師から医療を受けることで、患者さんが治療を続けるための選択肢の1つです。ただ、「自宅で過ごしたい」という患者さんに対して、その生活を支えられる家族がいなければ双方に負担がのしかかるだけです。なので、私は、何がなんでも「在宅に…」とお薦めはしていません。オプションと位置付けています。

 医療は究極のサービス業だと私は思います。患者さんとその家族が満足すれば、必ずしも、病院で実施する最先端の治療でなくてもいいのです。つまり、クライアントが満足しなければ、いくら世界一の医療を提供しても意味がありません。医療の本質は苦しんでいる人を救うこと、一番誠実な方法で患者さんに報うことだと思っています。がんを治療する医師として、特に緩和ケアに携わることは、私の天職だと思っています。

「自分はずっと不誠実な外科医でした」

林さんは、緩和ケアに携わる前は、外科医として多くの食道がん手術をこなしていたと聞いています。そもそも、医師としてがんに向き合おうと思ったきっかけを教えてください。

 子供の頃から、医師を志していましたが、中学時代に父を胃がんで亡くしたことで、「将来、外科医になってがんを治したい」と思うようになったのです。日本で一番厳しく、レベルの高い病院(東京女子医科大学病院)の消化器外科に入局し、食道がんのグループに割り振られました。

でも現在は、抗がん剤治療や緩和ケアを専門としておられます。どうして、専門を変えたのでしょうか?

 医師になったばかりの1年目、自宅に帰れたのは5日間だけ、10年目になっても、週1日しか帰れなかったことを思い出します。この時期、食道がんの内視鏡治療では日本で1番、2番と言えるほどの症例数をこなしていました。

 仕事が忙しいだけでなく、先輩の指導が本当に厳しくて、寝ても覚めても、手術を成功させることばかり考えていたほどです。

 でも、実は、私はずっと不誠実な外科医でした。

どういうことですか?

 手術が無事に終わっても、再発して亡くなっていく患者さんが後を絶たず、さらに、当時、"天才外科医"と呼ばれていた先輩医師が手術に生涯をかけても、すべての患者さんをメスで救うことはできませんでした。

 もし、手術方法に改善の余地があって、治療成績が変わるのであれば、食道がんを治したい一心で、さらに尽力したことでしょう。でも、厳しい現実を前に無力感で一杯になり、「この患者さんは治らないだろう」と思いながら、手術をしていました。
 一方、同僚は「あの医師はこんな難しい手術を成功させたらしい」と外科医の手先の器用さについて、朝から晩まで話をしていました。それでも、患者さんは亡くなっていきます。そのギャップを"消化"できなくなり、外科医という仕事に、一生を捧げる気持ちになれなくなったのです。

 やがて、抗がん剤治療や遺伝子の研究、緩和ケアに関心を持つようになり、アメリカ留学をきっかけに本格的に緩和ケアを勉強しました。いまでは、抗がん剤治療と緩和ケアが私の専門分野。一生を捧げて、取り組んでいきます。

【対談を終えて】

 昨今のがん医療や緩和ケアの発展には、目覚しいものがあります。私が肺がん治療の傍ら、がんと共存してこの仕事を続けることができるのも、新しい治療や緩和ケア手法が開発されたおかげで本当にありがたく思っています。

 一方、今でも世間では根強いがん医療不信があります。がん患者仲間からも、医療者の対応にネガティブな話を聞くことがしばしばあります。このギャップはなぜ生じるのでしょうか。医療者サイドで変わってほしいこと、患者サイドで変えたほうがいいことなどを洗い出し、このギャップを埋めていきたいと強く考えています。林さんの「診察時にはプロブレム・リストを持っていくといいい」「緩和ケアで生きる活力を取り戻せる」など、私自身も深く頷ける話でした。

林 和彦(はやし かずひこ)さん

東京女子医科大学 がんセンター長
林 和彦(はやし かずひこ)さん 1986年千葉大学医学部卒、東京女子医科大学消化器外科入局。94年米国南カルフォルニア大学留学、96年にはAmerican Society of Clinical Oncology(ASCO) Merit Award受賞。2010年同大学化学療法・緩和ケア科教授、14年から現職 。日本外科学会認定登録医、日本消化器外科学会認定医、日本消化器内視鏡学会専門医・指導医、日本臨床腫瘍学会指導医、がん薬物療法専門医、日本緩和医療学会暫定指導医、日本がん治療認定医機構 暫定教育医・認定医など。

聞き手:山岡鉄也

日経BP 広告局プロデューサー
2010年、肺がん(ステージIV)と診断される。入院や通院での治療の後、復職。2012年4月より国立がん研究センターの患者・市民パネルメンバー。自らの経験を生かして、がんと就労が両立できる社会を目指して、「がんと共に生きる」「がんと共に働く」をスローガンにその環境整備をライフワークにしている。


日経グッデイ 2015年6月10日

終末期医療のタブー!?
なぜ欧米にはいない「寝たきり老人」が、日本は200万人もいるのか?
 ここ数年、「終活」や「身じまい」について書かれた書籍が好調な売れ行きを示している。いまや日本は、死に際や死後の始末などを、自分で準備する時代になりつつあるようだ。

 その一方で、終末期のありようを自分の意思ではどうすることもできず、医療者や家族に託されている高齢者がいる。いわゆる「寝たきり老人」だ。何もわからないのに、寝たきりで、管から栄養を摂り、おしめをする日々を、何年間も送っている......。

 そんな寝たきり老人が日本に何万人いるだろうか?

 実は、厚生労働省のホームページや最新の白書、年次報告を見ても、ここ数年、寝たきり老人の人数について直接言及した公的統計データが見つからない(ただし介護者数については触れられている)。少し古いが、平成11(1999)年度の「厚生白書」によると、その数は1993年の90万人から2000年には120万人に増加し、現在、2015年には200万人に達すると予測されている。さらに、10年後の2025年には、230万人にもなるという。驚くべき数だ。

 ある意味、タブーと言ってもいいい寝たきり老人の問題。その実状を白日の元にさらしたのが、今回ご紹介する書籍『欧米に寝たきり老人はいない――自分で決める人生最後の医療』(中央公論新社)だ。

胃ろうナシでは老人ホームに入れないシステム

 北海道札幌市にある桜台明日佳病院・認知症総合支援センター長の宮本礼子氏と、その夫で北海道中央労災病院院長の宮本顕二氏による本書は、高齢者の終末期医療が抱える問題を提起している。長期療養している高齢者を家族に抱えていなければ、普段はあまり考えない問題かもしれない。

 いわく、ものが食べられなくなった高齢者が急性期病院から老人ホームなどの高齢者施設に移る際には、「胃ろう」を造設していなければ受け入れてもらえないことがほとんど。胃ろうとは、腹壁を切開して胃内に管を通し、直接、食物や水分、医薬品を投与するための処置のこと。そのため家族は、自宅で介護をするか、経管栄養のための処置をしてもらうか、という選択を迫られる。そして、自宅で介護できない場合は、家族が希望していなくても、胃ろう造設を選ばざるを得ない状況が多い。

 いわく、本人が延命治療を希望していなくても、そのような選択を迫られる時には、本人は意思を示すことができないので、家族の希望で延命治療が行われる場合が少なくない。また、リビング・ウィル(終末期に受ける医療について希望を書いた書類)があっても、法的に認められていないことから無視されることがある。
 
 いわく、視察したアメリカ、ヨーロッパ、オーストラリアでは、胃ろうなど経管栄養や点滴は行わず、食べるだけ・飲めるだけにして安らかに看取っているため、寝たきり老人はいない。つまり、日本だけが例外なのだ。

 年齢にかかわらず、命を永らえさせることを目指してきた日本の医療は、結果として、かえって高齢者を苦しめている。しかし医療現場では、たとえそのことに気づいても、事態を好転させようと行動する人は少ない......。

衝撃的な本書を書くきっかけとは?

 著者の宮本礼子氏に、この本を書くきっかけを聞いた。

 「日本では、高齢者が終末期に食べられなくなると、点滴や経管栄養(鼻チューブ、胃ろう)が行なわれます。寝たきりの本人は、何もわからないだけでなく、痰(たん)の吸引もされ(とても苦しいものです)、床ずれもできます。栄養の管を抜かないように手が縛られることもあります。このような最期を、本人が望んでいるはずもありません」

 「私たち夫婦は、高齢者の終末期医療のあり方を考えるために、読売新聞の医療サイト、yomiDr./ヨミドクターに『今こそ考えよう、高齢者の終末期医療』というブログを持ち、2012年6月から9月にかけ12回連載しました。幸い反響が大きく、多くの方から体験に基づいた切実な意見が寄せられました。これを本にして多くの人に紹介し、高齢者の延命問題を一緒に考えたいと思いました」

 高齢者医療や介護に携わる人はもちろん、すべての人が考えなくてはならない問題を提示し、世の中に一石を投じている。手に取ってじっくり向きあいたい一冊だ。

ヘルスプレス 2015年6月11日

がん宣告からわずか2週間。「死の恐怖」を振り切った妻
ドキュメント 妻ががんになったら
フリーランスライター 桃山透

がんの治療費への強い危機感

 セカンドオピニオンでも厳しい診断を下された妻は、これからどのように病状が悪化し、苦しむことになるのだろうか、最悪の場合……と死の恐怖に囚われる日々を送っていました。そのため、心配で眠れなかったり、泣きたくなったりすることも多かったのです。

 1人になりたい、と思うこともよくあった妻ですが、もし自分に残された時間が少ないのなら、娘との時間を極力つくらなければならないと思い直しました。娘はまだ6歳。最悪の場合のことを考えると、自分との思い出を少しでも多くつくってあげたいと思うのも当然です。結果的に、このことがプラスに働き、娘のかわいさに笑顔が増え、妻のほうが助けられたのです。

 当時、2カ月ほど前に起こった東日本大震災の犠牲者の方々のことが、メディアで頻繁に取り上げられていました。無念の思いで亡くなられた方々のことを知るたびに、妻は自分がこれからどうやって生きていけばいいのかを考え、また、これまで何も成し遂げていないことに焦りを感じていました。

 そんな妻を見ていて、私は妻の「運の悪さ」を嘆きました。特に妻は健康的な生活を心がけていたわけではありませんでしたが、不摂生をしていたわけでないのです。たとえ不摂生な生活を送っていたとしても、妻はまだ41歳です。50歳までにがんになる女性が3%しかいないことを考えても、がんになるには早すぎます。

 娘の年齢を考えても、父親の存在よりも母親の深い愛情が必要な時期です。運が悪いにしても、せめて妻の代わりに私ががんになればよかったのに、と思わずにはいられませんでした。

 妻の闘病をどうサポートしていけばいいのか、私なりにいろいろと考えてみました。現実的な問題として、いままでの生活費プラス治療費が必要となってきます。ところが、私は収入が不安定なフリーのライターです。お世辞にも稼ぎが多いとはいえません。そのため、稼げるだけ稼がなければならない、という強い危機感を覚えました。

 実際、お金があれば、妻が最高の治療を受けることができるだけでなく、家族でおいしいものを食べたり、旅行をしたりして、たくさんの充実した思い出をつくっていくことができます。このようにお金があれば、治療以外にも潤うことは多いのです。

 言い換えるならば、どんなに妻を想う気持ちがあったとしても、お金がなければ、結局妻にしてあげられることは少ない、といっても過言ではないのです。そのことがわかっていながらも、妻のことを心配しながら金の亡者のようになるのは、自分に甘く、根性のない私にとってはまるで苦行で、なかなか思うようにはいきませんでした。

妻の心配、「円形脱毛症」は免罪符か?

 妻を気遣うにしても、まずは私の精神状態がよくなければなりません。そのことを痛感する事件が、すぐに私の身に降りかかってきました。右の後頭部下あたりの髪の毛が、日に日に抜けていったのです。

 禿げたところを指先で触ってみると、まるでワックスをかけたかのようにツルツルしていました。ラッキョウのようなツルッパゲになるのも時間の問題か……と思うとなんだかおかしくもあり、自分が自虐の道化師にでもなったかのようでした。最終的には縦6センチ、横8センチくらいに広がったところで、抜け毛は治まりました。

 髪の毛が抜けていくことには驚きましたが、それほど悲観はしませんでした。乳がんになった妻のことを心配して、大きなハゲができるのは当たり前のことのように思えたからです。もし髪の毛が抜けていなければ、本当に妻のことを心配していることにはならないのではないか、とさえ思えたほどです。

 幸い、大きなハゲにも関わらず髪の毛で隠れてくれたため、見た目にはわからない状態でした。けれども妻の場合は、抗がん剤治療が始まれば、髪の毛は抜け落ちてしまいます。かなりのショックを受けるのは間違いありません。

 そこで私はこれを機に、スキンヘッドにしようかと考えました。夫もスキンヘッドになれば、妻を勇気づけることにつながるのではないか、と思ったのです。そして、ハゲピィ桃山というペンネームで仕事をすればいい、いや、これでは露骨すぎるのでキューピィ桃山のほうがいいかな、とどうしょうもないことを真剣に考えるようになりました。

 スキンヘッドにすることを親しい同業者たちに話してみると、「そこまですることはないよ。奥さんの力になってあげるだけで十分」と強く引き留められました。妻に話してみても、同じような答えが返ってきました。

 たしかにそのとおりかもしれない、と考え直しましたが、本当に私は、妻のことを想ってスキンヘッドにする気があったのだろうか??

桃山 透 ももやま・とおる
フリーランスライター

1968年、大阪府生まれ。ビジュアルリテラシー(東京支部)所属。大学卒業後、金融系会社の営業、コピーライター、出版社の編集 者、業界新聞の編集長を経て、独立。主にビジネス書、実用書、医学書関連の執筆・編集・監修に携わる。得意なジャンルは整理術、手帳術で、著書に『サクッ と1分間 整理・ファイリング術』などがある。


President ONLINE 2015年6月14日

がん患者の子供を救うため、髪を長く伸ばした少年たち
 8歳の少年クリスチャン・マクフェラミーくんは、2年前から髪の毛が必要な子供たちに自分の髪を寄付するため、髪を長く伸ばすことを決めた。

 全米のテレビ局MSNBCの「トゥデイ・ペアレンツ」によると、クリスチャンくんのミッションは、2012年の年末、彼がセント・ジュード・チルドレンズ病院のCMに登場した若い患者を見たときに始まった。夜になると母親と一緒にGoogleで何かおもしろいものを探すのが日課だったが、クリスチャンくんはその病院についてもっと知りたいと思った。

 2人は、髪の毛の寄付を受け入れている慈善団体の広告を見つけた。

 クリスチャンくんの母親は、がん患者に人々が自分たちの髪の毛を寄付できるのよ、と説明した。クリスチャンくんは、自分も参加したいと思った。そしてこの時、クリスチャンは髪の毛を伸ばす決心をした。

 クリスチャンの母親ディアナ・トーマスさんは息子の決断に「とても驚かされた」と、トゥデイ・ペアレンツに語った。「クリスチャンはとても思いやりのある子です。私がどれだけ息子を誇りに思っているか、表現する言葉が見つかりません」

 髪を伸ばしている間、クリスチャンくんはからかわれたり、女の子に間違えられることもあった。そんなことがあっても、彼の決意は揺るがなかった。

 「息子は堂々としていて、髪の毛を切りたいとは1度も言いませんでした」とディアナさんは話した。

 5月末、クリスチャンくんのプロジェクトは終わりを迎えた。トゥデイ・ペアレンツによると、数年間伸ばし続けた髪は25センチの長さの髪の毛の束になり、慈善団体「チルドレン・ウィズ・ヘアー・ロス」に送られた。「チルドレン・ウィズ・ヘアー・ロス」は、さまざまな理由で髪の毛を失った子供たちに無料でかつらを提供している。

 偶然にも、もう1人の小さな少年の思いやり、クリスチャンくんのストーリーと同時に急速に広まった。「YEGOB.com」のFacebookページの投稿で、がんで髪の毛を失った人にあげるために、アドリアンという名前の子供が自分の髪の毛を伸ばす様子が明らかにされた。

 5月31日に投稿されてから、この投稿は300万近い「いいね!」がついた。

 私はみなさんの助けが必要です。この少年アドリアンは今日、髪を切るために理髪店に来ました。定期的なヘアカットではありません。アドリアンは数年間にわたって、自分の髪の毛を伸ばしていました (写真を見ればお分かりいただけると思います)。そして、彼が髪の毛を伸ばしていた理由が重要なのです。彼は私に、がんで髪の毛を失った誰かにあげるために髪の毛を伸ばしていたのだと話してくれました。いいですか、彼は8歳です。この瞬間私は、相手の年齢に関係なく、人から学ぶことができるのだと知りました。そして私は彼に、君が行っている素晴らしいことを Facebook に書いて、君を有名にしてあげるよと言いました…。どうか、この投稿に「いいね」をしてください。そして大切な人に見せてください…。

 私は彼の母親と叔父をタグ付けして、彼らがこの投稿を見られるようにしました…。

 よろしく、Facebook…

 ジョナサン・トマソン

 若いうちに誰かに影響を与えるのは不可能ではない。この子供たちに聞いてみよう。

Huffpost Japan 2015年6月15日

がん闘病! なぜ人は「増やす健康法」にはまるのか?
ドキュメント 妻ががんになったら
フリーランスライター 桃山透

現実に追われる日々を送る妻

 気持ちの整理がついたかのように思えた妻ですが、青天の霹靂のような現実を突きつけられたからこそ、かえって、いつまでも落ち込んでいる暇はなかったのです。

 当時、妻は会社に勤めていたため、乳がんによる右手の痺れを感じながらも、平日は必至になって仕事をこなさなければなりませんでした。自宅で仕事をしている私は、もちろん極力家事を手伝いましたが、それでも妻でなければわからないことがあったのです。これらの家事は、妻が帰宅してからしてくれました。

 家事以外にも、妻にはいろいろとしなければならないことがあって大変だったのですが、こなせないことへの焦りが、かえって原動力となっていました。後で聞いてわかったことですが、このとき妻は、自分の葬儀の段取りまで考えていたのです。

 待ってはくれない日常に追われながら、妻は乳がんに関する情報をインターネットや本で調べていました。この間、抗がん剤治療に耐えうる身体かどうかを調べるため、骨シンチやMRI、心エコーなどの検査も受けていたのです。

「抗がん剤治療を受ければ、命の心配はしなくていいのですか?」

 妻のこの質問に対し、主治医は「大丈夫」と答えてくれましたが、いつまで大丈夫なのか、1年後はどうなのか、という不安がすぐに妻を襲いました。それでも主治医の言葉を信じ、抗がん剤治療が唯一の前向きな治療と思うしかなかったのです。

 検査の結果、妻の身体が抗がん剤治療に耐えうることがわかりましたが、がんが小さくなる確率は80〜90%とのこと。高い確率ですが、5人に1人ぐらいは思ったような効果がないのです。死に至る病だけに、これでは不安を拭うことができませんでした。

 妻の場合、がんのしこりが3つもあり、大きいもので5×3センチもあったので、3週間に1回の割合で抗がん剤治療を半年間受け、縮小させてからでないと手術ができない状態でした。

 たとえ抗がん剤が効いたとしても、副作用は人それぞれです。痩せ細って寝たきりになるのか、いろんな病気に感染しやすくなるのか、脱毛による頭皮のトラブルはどうなるのかなど、考えたらきりがなく、どのような苦しみが襲いかかってくるのかは、身を以って知るまで、わからないことへの恐怖が大きかったのです。

 抗がん剤治療に備えて、妻は美容院に行きました。抜け毛によるショックを少しでもやわらげるため、髪の毛を短くすることにしたのです。肩甲骨のあたりまであった髪をボブにした妻は、ちょっとはずかしそうでした。なかなか似合っているな、と思いましたが、そんな平和ボケみたいなことを思っている場合ではありません。その先には、驚愕のイメチェンが待っているのです。

 抗がん剤治療が始まり、治療後は怠さを感じていたものの、妻の副作用は思っていたほどひどくありませんでした。1週間経っても髪の毛が抜けなかったのですが、看護師から「そのまま生えているとは、思わないほうがいいですよ」といわれ、改めて妻が大変な治療を受けていることを感じました。

 がんを攻撃しながらも、確実に身体も蝕んでいく抗がん剤……。そのことがわかっていながらも、ただただ抗がん剤治療に望みを賭けるしかありません。どこまでもつきまとう不安を振り切るかのように、妻は前進し続けるしかなかったのです。

落ち込み過ぎても、抜け出す方法がわかっていれば、抜け出せる――。

 これは後になって、妻がピンクリボン運動(乳がんの正しい知識を広め、乳がん検診の早期受診を推進することなどを目的として行われる世界規模の啓発キャンペーン)の会に参加したときに聞いた言葉です。この頃、この言葉を知っていれば、変な話ですが、どれだけ安心して落ち込むことができただろうか、と妻はいっていました。それほど落ち込むことが多いにも関わらず、待ってはくれない日々に追われていたのです。

効果がありそうな健康法、健康食品

 妻の快復を切望していた私は、少しでも効果がありそうな健康法や健康食品を見つけては、とにかく妻に勧めました。食事も玄米菜食をはじめ、がんに効果のある食べ物を中心に摂るよう、何かと口出ししたのです。

 妻が乳がんになるまで、私は代替療法を胡散臭く思い、西洋医学だけを信用するようなタイプでした。ちょっと風邪をひいてもすぐに病院に行き、医者が出してくれる薬でないと安心しませんでした。

 そんな私でも、しきりに妻に健康法や健康食品を勧め、妻が嫌がると、「本当に治す気があるのか?」と不満をもつようになったのです。妻が出社する前でも、健康法や健康食品の話を一方的にすることもあり、ちょっとした喧嘩になることさえありました。

 いまから思うと、どれだけ妻に不要なストレスを与えていたことか……不摂生な生活を送っている私がいうことなんて、なんの説得力もありません。どれだけ反省しても足りないくらいです。

 私が胡散臭い新興宗教にはまるかのように、健康法や健康食品を盲信するようになったのには理由がありました。病院に行くと、健康に関するフリーペーパーがたくさん置いてあるのですが、なかには、あたかも劇的に効くような健康法、健康食品が紹介されていたからです。冷静になって考えてみると、データに乏しい胡散臭い内容なのですが、堂々と病院に置いてあるので、あたかも病院が勧める健康法や健康食品のように思えてきて、知らず知らずのうちにしがみつきたくなってしまうのです。このようなフリーペーパーが病院に置かれていること自体、大問題だと思います。

 西洋医学による医療と代替医療を合わせ、患者を治療する統合医学の権威、帯津良一先生は「虚しさを覚える過度な健康法では、本当の健康にはなれない」といっていますが、まったくそのとおりだと思います。ましてやがんが治るはずがありません。

 健康法で怖いのは、ひとつ、ふたつと増やしていくことで、安心してしまうことです。お金のかからない健康法はもちろん、健康食品でも、お金の心配がなければ、簡単にどんどん増やしていけます。なかには健康食品や健康法を過信してしまい、医者の治療を信用しなくなる人もいるくらいです。

 逆に、肉や乳製品など、摂りすぎると身体に悪いとされている食べ物を摂るのを控える「減らす健康法」は、好物なものほどつらく、極端に制限すると、食事の楽しみまで奪われてしまいます。

 帯津先生は「健康オタクでは、免疫力が落ちてしまう。少々の不摂生をしても、ときめくことで免疫力や自然治癒力は高まる」といったようなことをいっています。このことを知ってからは、あまり健康法や健康食品を妻に勧めなくなりました。ただでさえつらい闘病生活を送っているのに、もうこれ以上、妻の負担を増やしてはならない、と反省したのです。

桃山 透 ももやま・とおる
フリーランスライター

1968年、大阪府生まれ。ビジュアルリテラシー(東京支部)所属。大学卒業後、金融系会社の営業、コピーライター、出版社の編集 者、業界新聞の編集長を経て、独立。主にビジネス書、実用書、医学書関連の執筆・編集・監修に携わる。得意なジャンルは整理術、手帳術で、著書に『サクッ と1分間 整理・ファイリング術』などがある。

President ONLINE 2015年6月28日

「あきらめることでは決してない」専門医からのアドバイス
コミュニケーション技術の高い医師にかかった患者は、
不安や抑うつが少なく満足感が高い
 がんを治すのは困難だとしても、共存しながら生活の質を上げることはできる―。こうした「緩和ケア」の考え方が重要性を増している。これを早期に始めた患者は精神的苦痛が軽くなり、延命効果を得た事例もある。医師や患者は、進行・再発がんとどう向き合うべきなのかが問われている。

【根治に難しさ】
 がんは根治を目指して手術や放射線治療をしても、目に見えない微細ながん細胞が残って再発する場合がある。離れた組織や臓器への転移もあり得る。

 前立腺がんを例に挙げると、転移が認められた場合は男性ホルモンの分泌や働きを抑制する薬剤が使われることが多い。これを行ったにもかかわらず病勢が進行した際は、抗がん剤が用いられる。

 抗がん剤も複数あり、「ドセタキセル(一般名)」が効かない患者に対しては「カバジタキセル(同)」が使われるようになってきた。同剤は臨床試験で対照薬に比べ2・4カ月の延命効果を示した。だが根治までは困難で、「特効薬とは言い難い」(勝俣範之日本医科大学武蔵小杉病院腫瘍内科教授)。

【緩和ケアで延命】

 新規抗がん剤は適正利用の知見が普及しておらず、重篤な副作用が起きる場合もある。カバジタキセルも発売3カ月後に五つの死亡例が報告された。

 勝俣教授はこうした現状を踏まえ、患者と医師が治療方針を決めることや緩和ケア導入を提言する。手術適応のない肺がん患者が緩和ケアと化学療法の併用で2・7カ月延命できたとの研究結果もあるという。まずは緩和ケア=終末期ケアとの思い込みを捨てることが必要だ。

【専門医は語る/日本医科大学武蔵小杉病院腫瘍内科教授・勝俣範之氏〜情報と意思決定共有を】

 緩和ケアは「あきらめる」ことでは決してない。むしろ元気で長く生きられることにつながる。米国臨床腫瘍学会(ASCO)はがんが転移・再発した時点で緩和ケアを治療オプションとして提示すべきだとしている。がんを治すことは難しいことを認識し、過剰な抗がん剤治療を避けて生活の質を高めることも重視されている。

 治療方針を決める際に医師が誤ったインフォームド・コンセントを行う例もみられる。患者に責任を押しつけず、情報も意思決定も共有することが大切。国立がん研究センターの調査では、コミュニケーション技術の高い医師にかかった患者は不安や抑うつが少なく満足感が高かった。これは世界的にも注目されたデータだ。

日刊工業新聞ニュースイッチ 2015年7月3日

終末期医療の国民議論を 多死時代へ、創成会議
 増田寛也元総務相が座長を務める民間団体「日本創成会議」は13日、終末期医療に関する冊子をまとめ公表した。高齢化が進み、2025年には年間死亡者数が推計で160万人を超える「多死時代」が到来するとして、国民的な議論が必要だと訴えた。

 冊子の表題は「高齢者の終末期医療を考える」。増田氏は冒頭「終末期の高齢者に点滴や経管栄養を行うことは、世界的には当たり前ではない」などと指摘。「本人と医師が事前に合意した事項を医療機関に指示する仕組みが普及している国もある」と述べ、治療の選び方やその意思表示の方法について「議論を開始すべき時期だ」と強調した。

 各章では、有識者が医療現場の経験を踏まえた意見を展開。胃ろうなど人工的に栄養を与える医療行為は、患者のためにならないケースがあることや、在宅患者のみとりまで行う医療を充実させるべきだとの見方も紹介した。緩和ケア病棟やホスピスの取り組み、欧米諸国の例も取り上げた。

m3.com 2015年7月14日

看取りコミュニケーション講師・後閑愛実さん
自分の最期、元気なうちに家族と話そう
 本業で看護師をしながら、プライベートな時間で「看取りコミュニケーション講師」として活動している後閑愛実(ごかん・めぐみ)さん(34)。看取りコミュニケーションとは、自分の死ぬまでの生き方を考えて、家族間で話し合う時間を持つことだ。

 「元気なうちに家族と話し合っておくことを皆さんにおすすめしています」という後閑さんは、講演や執筆活動を通じて、「看取り」の大切さを訴えている。

 実際、体調が悪くなってから終末期の延命治療について確認しあうのは、気心の知れた家族同士でもつらい。後閑さんは「元気なときにサラッと『どうやって最期まで生きたい?』と話し合っておき、そのときがきたら再度聞けばいいでしょう」という。

 後閑さんは現在、セミナーや雑誌連載のほか、インターネットTVの「自由が丘FM」で月に2回、「愛実の今夜も愛さNight!」という番組を配信中(次回は21日)だ。

 「現代は核家族化しているうえ、体調が悪くなった家族は病院に行くので、『死』が日常生活から切り離されて特別なことになっています。けれど、本来は生まれてからずっと側にある身近なこと。その死の前の終末期に、自分で食べ物や飲み物を受け付けなくなる人もいます。そのとき、たとえば鼻から胃へチューブを通して栄養剤を入れる『経鼻胃管栄養』や点滴で寿命を延ばしたいか、ということです」

 鼻からチューブを通すのは、入れるときも入ってからもずっと苦しく、しかも当人は話せなくなるので意思を伝えられず、自分で管を抜いてしまうこともあるという。そのとき医療者側は、患者の家族からの要望があれば暴れる患者を抑えて元の状態に戻すこともある。管につながれて生かされる不自然さだけでなく、自分の人生の最期を自分で決められない不自然さ。後閑さんは、ずっと疑問を抱き続けてきた。

 「終末期でも、病院は死なせないための治療ができます。でも、だからといって健康な状態に戻れるものではありません。『患者』になる前に、知識を持って準備しておけばいいのではと考えて、私にできることをやろうと今の活動を始めました」

 今秋には書籍の出版も控えている。さらに、自分の志を伝えるため、「全国・講師オーディション」(ネット投票実施中)にも出場するという。

ZAKZAK 2015年7月15日

お金がかかる、おひとりさまでは無理…は思い込み?
在宅医療7つの誤解
「自宅で最期を迎えたい」と望む人は、国民の6割以上といわれます。ですが、自宅に医師が来て診療してくれる「在宅医療」について、正しく理解されていないことも多いようです。特によく言われる7つの誤解について、ノンフィクションライターの中澤まゆみさんが解説します。

【誤解その1】在宅医療では、高度な検査や治療は受けられない?

「在宅医療は看取りの医療なので、高度な検査や治療は受けられない」と思っている人は多いようです。在宅医療を受けているのは、子どもから高齢者まで、病気の対象も認知症から末期のがんまでさまざまです。自宅では手術はできませんが、在宅酸素療法や人工呼吸、経管栄養をはじめ、医師によっては、緩和ケア療法や腹膜透析、在宅輸血療法もおこなっています。在宅医療は、「看取り」に至るまでの長い期間、病気を抱えた人たちの家庭生活を支えるための医療なのです。

 医療機器の小型化に伴い、これまで病院でしかできなかった検査も、できるようになってきました。X線検査やCT(コンピューター断層撮影)、胃カメラのような大がかりな検査機器は持ち込めませんが、血液検査、尿検査などに加え、心電図検査やスキャナーによる超音波検査などをおこなう医師も増えてきました。できない検査や治療については、提携医療機関につなぎます。

【誤解その2】在宅医療はお金がかかる?

「在宅医療は高い」と思っている人も多いと思います。在宅医療では「診療費」のほか、24時間対応のための「在宅総合診療料」などが入るため、外来に通院するよりは費用がかかります。しかし、自宅で受ける医療にも、病院と同じように「健康保険」が適用されますし、自己負担が一定額以上になったときには「高額療養費制度」で払い戻しが受けられます。70歳以上の一般所得者の自己負担限度額は1万2千円です。

 月2回の訪問診療でかかる費用は「薬代」や「検査料」を除いて1割負担で6千円程度。がんの緩和ケアなど特殊な治療が必要な人は、それなりに高額になりますが、月額1万円以下の人が大半です。

 外来への通院も、タクシーを使えば高くなりますし、夜間や深夜の対応が困難な医療機関もあります。本人の通院ストレスなども考えながら、選択するといいでしょう。

【誤解その3】在宅療養は家族の介護負担が大変?

 いろんな調査を見ても「在宅療養は難しい」と考えている人はたくさんいます。東京都が2012年秋におこなった調査では、6割近くが「難しい」と答えていました。なかでも複数回答で最多だったのは「家族に負担をかけるから」で8割近く。数字だけを見ると、在宅療養は大変、ということになりますが。

 確かに家族にとって、自宅での介護負担は軽いものではありません。ただ、こうした調査を見て感じるのは、「大変」「できない」というイメージが先行し、在宅療養でも「できること」がたくさんあるのを知らない人が多いことです。イメージで「できない」と決めつけるのではなく、在宅ケアで「どんなことができるのか」を、少し学んでみてください。「在宅」のイメージが変わるはずです。

【誤解その4】在宅医療を始めたら、病院には戻れない?

 そんなことはありません。日本の医療はフリーアクセスですから、通院ができなくなって在宅医療を受けるようになっても、それまでの病院の主治医にかかり続けることは、かまいません。

 たとえば、がんや難病のように治療の専門性を必要とされる病気では、それまでの主治医のいる病院に2〜3カ月に1回定期的に通院し、普段はそれと並行して近所の診療所に通院したり、在宅医療を受けたりしている人は珍しくありません。病状が落ち着いたり、看取りが近くなったりしたら、在宅医療一本に絞る、ということが多いようです。

「併診」の場合は、病院と診療所の両方の医師が連携することが大切です。そうすれば、入院が必要なときには、かかっていた病院にすみやかにつなぐことができます。

【誤解その5】おひとりさまの「最期まで在宅」はむずかしい?

 よく言われることですね。在宅医に会ったときに、「おひとりさまでも最期まで自宅生活は可能ですか?」と質問していますが、答えは全員、ほぼ同じです。「可能ですよ。認知症の人は少々ハードルが高いけど」

 ただし、条件がいくつかあります。(1)本人に自宅生活への強い希望があること、(2)医療と看護・介護がチームを組み適切な支援ができること、(3)周囲に支えてくれる人がいることです。実際に「最期まで家にいたい」という独居の人に何人もお会いしましたが、この三つの条件を備えていました。認知症の人でも症状が穏やかで、きちんとしたケア態勢が組め、親身になって支えてくれる人がいれば、自宅で安らかな看取りを受けることも夢ではありません。

 地域の居場所や、「通い・泊まり・訪問」のできる小規模多機能型ホーム、自宅と同じように暮らせるホームホスピスなどが近くにあれば、可能性はさらに広がります。

【誤解その6】死亡時から24時間を過ぎたら、警察に届けなければならない?

 在宅での「看取り」が多くなり、この「誤解」がクローズアップされるようになりました。医師法の「20条」と「21条」の混同による混乱です。死亡して24時間以上たっていても、医師の死亡診断書があれば、警察に届ける必要はありません。

 ただし、これには普段から診ている医師の存在が必要です。診療を継続している患者が、生前に診察していた病気で死亡したと判断した場合、かかりつけ医は死亡診断書を書くことができる、ということです。普段から診ている医師でないと、こうした判断はできませんから、かかりつけ医の存在というのは大切です。

 自宅で療養している場合、看取りが迫っても在宅医の訪問は週数回、しかも臨終の場に医師がいない、というのはよくあること。あわてて救急車を呼んでしまったときも、かかりつけ医に連絡すれば、医師が搬送先の病院と連絡を取り、死亡診断書を書くことができます。

【誤解その7】自宅では終末期の対応は困難?

 入院中は激しい痛みを訴えていた人が、住み慣れた自宅に戻っただけで、痛みが軽くなったという話をよく聞きます。病院での医療の目的は「治療」ですが、在宅での医療の目的は、からだや心の痛みをやわらげ、療養生活を快適にする「ケア」ですから、人生の最終章の段階にある人にとっては、病院よりも自宅のほうが「向いている」と言えるかもしれません。

 人生の終わりが近づくと、活動は不活発になり、寝ている時間が多くなりますが、それでも家族の負担はあります。休日や夜間にも随時対応してくれる介護サービスや、24時間対応の在宅医療・訪問看護サービスなどを上手に組み合わせ、負担を減らしてください。がんの痛みについても、自宅でも適切な緩和ケアができる時代になりました。

dot.ドット 2015年7月16日

平方眞の「看取りの技術」
看取りで困っていませんか?
 はじめまして。長野市にある愛和病院で副院長をしている平方眞と申します。

 このコラムでは、20年近く緩和ケアをしてきた私の経験の中から、知っておくと看取りに役立つようなことがらを選んで、お伝えしていきたいと考えています。

 看取りで困っていませんか?

 精いっぱい看取って感謝されても、「感謝されるほどのことができなかった」という気持ちが残ったことはありませんか?

 看取りというだけで、腰が引けたり逃げたくなったりしませんか?

 そういう私も、決して看取りが「得意」というわけではありません。命が終わりに近い人やその家族と向き合うと、最後までできるだけ普通に付き合いながら、できるだけの手助けをしたいと思って仕事をしても、看取った後には力不足を痛感することもしばしばです。

 とはいえ、これまで1500人以上のがん患者さんを看取ってきたので、「こういうときにはここに注意が必要」「こういうときにはこう対応すると良い」「こういうときにはこのように説明すると納得してもらいやすい」といった経験は、それなりに蓄積できてきたと思います。

 それらの中には、ギリギリの状況で最大限の工夫をしたというような“職人芸”に近いものもありますが、ほとんどは一般的な看取りにも適用できる役立つ経験だということをいろんな人から指摘され、役に立つなら出し惜しみせずに知ってもらおうと思っていたところでこのコラムの話をいただき、渡りに舟の思いで書かせていただくことにしました。

 医療現場には、たくさんの死があります。団塊の世代が平均寿命に近づくにつれて、日本の死はさらに急速に増えていき、看取りの場所も病院だけではなく、在宅や高齢者向けの施設などへ、既にどんどん広がってきています。しかし病院でも「自信を持って看取れる」医療機関はまだ多くなく、在宅や施設でも手探りで看取っているところがほとんどというのが、2015年現在の実状だと思います。

 人の命が終わりに向かうとき、病気や寿命は多くのつらいことを次々に引き連れてきます。特に若い人の場合には、これからの人生で経験するはずだったたくさんのことを諦めなければならず、苦渋の決断を迫られる場面がこれでもかと襲ってきます。それに加えて若い人では、体力があるので様々なつらい症状が出てもまだ命が続き、とても苦しい最期になる傾向があります。

 そのような状況の人やその人の家族と向き合うのは、これも大変つらいことです。しかし医療者は、その場から逃げ出すわけにはいきません。病気がある人を放り出すわけにはいきませんし、逃げ出して誰もいなくなってしまえば、その人や家族は頼れるものがなくなってしまうからです。

 看取りの場にいなければならないのなら、看取りを苦手だと思いながら向き合うよりは、得意分野とまでは行かなくても、ある程度対応できる自信を持って向き合える方が楽に仕事ができます。看取られる側にとっても満足度が高まるでしょうし、看取る側にとってのストレスも少なくなるはずです。

 看取りが近づいて来たときに、どういうことが起こりやすいかを知って、それぞれに対応できること。不安にならないような、納得できるような声掛けをできること。家族にとって非常に大きな出来事である看取りが、心に深い傷を遺してしまわないような配慮ができること。そのようなことのできる幅が広がれば、看取りの場面にも、より落ち着いて向き合えるようになるのではないでしょうか。

 看取りの場で必要とされる様々な知識と技術は、臨床現場で教育することは難しいものです。今までの日本では、看取りは「隠された出来事」として進行していくものだったからです。これは日本の死の捉え方の歴史からいっても、日本人の心情を考えても、無理もないことです。極めてプライベートな、そっとしておいてほしい看取りの場所が、教育の現場になることを好まない人は多いでしょう。

 その分、看取りの教育は本や講義によるものが多くなりがちです。看取りに関する情報は、本などをはじめとして数多く出ています。そのような情報の中には、役立つ知識や技術、心掛けなどがたくさん書かれており、とても役に立ちます。このコラムもその辺りを狙っていますが、できるだけこれまでとは違った視点の病態の捉え方や、患者さんや家族だけでなく、医療者もより良い気持ちの状態に整えるためのコミュニケーション手法などを、積極的に織り込んでいきたいと考えています。

 これまで真っ当に緩和ケアの道を歩んできたつもりですが、私一人の経験や知識は限られたものです。私がここで提示する様々な方法に対しても、「こうした方がよりうまく行くのでは?」とか「私はこんな工夫をしています」と思われる方も多いかもしれません。また「こんなときはどうしていますか?」などの質問も、思い浮かぶでしょう。

 そのようなご意見・ご質問は、どんどん編集部にお寄せください(投稿はこちらからどうぞ)。このコラムを、ネットの双方向性を活かして、できるだけ多くの役立つ知識や技術、考え方などを共有できる場にしていければ嬉しいと思っています。

 世界に類を見ない超高齢・多死社会を迎える日本にとって、穏やかな看取りが増やせるかどうか、死を生活に取り戻すことができるかどうかが、どんより暗い社会になるか、多死でも暗くない社会を作れるかの分かれ目だと考えています。そのためにこのコラムが少しでもお役に立てれば嬉しいです。よろしくお願いいたします。

平方眞の「看取りの技術」
死とうまく付き合おう


2015/7/30

 死は、とかく嫌がられます。これから多死時代になるというのに、嫌ってばかりでは国全体の雰囲気が暗くなってしまいます。では、死はなぜ嫌がられるのでしょうか。少し考えてみましょう。

 死は「怖い」というイメージがあります。「分からないから」「経験したことがないから」など、死が正体不明なので怖いという理由はありそうです。とはいえ死後の世界へ自由に行き来できる時代が来るとは思えないので、分からないなりに死を理解しようとするしかないかなと思います。

 死には「悲しい」という気持ちも付きまといます。特に自分の人生の一部のように慕っていた人が亡くなるときは、自分の人生が大きく削られてしまったように感じる人も多くいます。大好きな人、長い付き合いだった人と、もう二度と会えなくなってしまう。そのことはとても悲しい、寂しい出来事です。しかし出会ったからには、別れも必ずあります。

 長い付き合いであっても、気付いたら10 年会っていなかったとか、この先一生会うことはないだろうなという「知らぬ間の別れ」もたくさんあります。出会った数だけ別れもあり、死はその一つの形であると考えると、何となく別れてしまって一生会わないよりは、衝撃的ではあるけれどもはっきりした形でお別れする機会を与えられたことに、感謝する気持ちも湧いてくるかもしれません。

 もっとも、死を普通の別れと一緒にするのは無理があると感じる人もいるでしょう。特にそれが若いうちの死だったり、急に襲ってきたものだったりすれば、「どうしてこんな理不尽な出来事が起こるのだろう」という気持ちになります。反対に、十分に長生きをして、年齢相応に少しずつ体力が減っていき、苦しい症状もなく穏やかに死が訪れるのであれば、悲しさや寂しさはあっても「理不尽な死」とは感じません。このような死の典型例は「老衰」です。

 昔は、自宅で命の終わりを迎える方も多く、人が亡くなる場面が、今よりもかなり身近にありました。その後、医療が発達し、命に関わる事態なら病院に行くのが常識になり、病院で死ぬのが当たり前になりました。命の終わりも病院に任せておけば何とかなると思っている人もいます。

 人が死ぬことについて、たとえそれが家族であっても、考えなくても病院がすべてやってくれると思えば、真剣に向き合うよりも楽かもしれません。しかし、そのように医療を過信していると、いざ亡くなったときに「病院は助けてくれなかった」「いきなり死が訪れて十分なお別れができなかった」と、理不尽だと感じる割合が増えてしまう気がします。そしてその怒りは、医療者へと向かうこともしばしばです。

 多死社会の到来は避けられませんが、多くの人が亡くなる社会において、残された人たちにとって死が理不尽で納得できず、マイナスイメージばかりのものだと、確実に世の中は暗くなります。逆に「ベストを尽くせた」「いい人生の締めくくりができた」「こういうふうに死ねたらいいね」などのプラスのイメージが増えていけば、多死社会もそれほど悪いものではないと思える可能性も出てきます。

 今までの日本の「死」に対する概念、忌み嫌うべきものとして遠ざけてきたイメージから脱却し、「死とうまく付き合うべき時代」が来ているのではないでしょうか。納得して満足して安心して、命の最後の時間を過ごせれば、死に対するイメージも変わってくるに違いないと思っています。

 このように思うのは、多くの亡くなる人や家族と付き合ってきて、自分たちの取り組みが、明らかに不幸を減らしたり幸せを増やすことにつながったという事例を、少なからず経験してきたからです。亡くなる過程で後悔が残ると、家族はいつまでも引きずることになります。逆に「できるだけのことはした」「後悔はない」と言える時間が過ごせると、患者さんの死後も前向きに生きようと思える家族が多く、良い思い出が残りやすいように思います。

 以前勤務していた諏訪中央病院では、緩和ケア病棟ができる前は、私たち医療者が最善を尽くしてできるだけのことをして看取ったとしても、「あそこの病院はお父さんが最後につらい日々を過ごしたところだから、なかなか足が向かない」と言う家族が多くいました。

 しかし、緩和ケア病棟ができてからは、患者さんが亡くなって1 週間ほどの間に、ほとんどの家族が「お世話になりました」と挨拶に来てくれるようになりました。そして、まだ頑張っている患者さんの家族と一緒に談話室でお茶を飲んで思い出話をしたりしていました。

 緩和ケア病棟で良いケアを提供し、良い時間を過ごしてもらえた結果として、家族の気持ちの中で傷が少なくて済んでいるのかなと考えます。もちろん全く傷が残らないわけではないですが、少なくとも「あの頃のことは思い出したくない」といった傷は残していないように感じます。「これで良かったんだ」と思ってくれている人が多いのではないかと。

 このように家族の死を受け入れられた人は、自分が死に直面するときにも随分、違ってくると思います。これからは亡くなる人がどんどん増えていきます。今、団塊の世代は、自分たちの親を看取る時代に入っていますが、そこで良い経験をしておかないと、多死社会を迎えるに当たって、大きなマイナスの影響が出てくるのではないかと心配です。

 そうならないためには、患者さんと家族が良い時間を過ごせるような看取りのサポートが、今すぐ必要です。そしてそれができるのは、私たち医療者です。医療者自身が死を遠ざけていては、患者さんや家族を支えることは到底できないでしょう。

 まず医療者が腰を据えて死に向き合うことから、始める必要があります。

平方眞 1990年山梨医科大学(現山梨大学)医学部卒業。武蔵野赤十字病院、町立厚岸病院、自治医科大学血液内科を経て、1994年に諏訪中央病院に着任。96年頃から訪問を中心に緩和ケアを開始し、98年に緩和ケア担当医長に就任。2009年から愛和病院副院長。著書に『看取りの技術』(日経BP社)がある。

BPnet 2015年7月17日

患者のニーズに応じた緩和医療を
第20回日本緩和医療学会学術大会開催
 第20回日本緩和医療学会学術大会が,2015年6月18−20日,宮有介大会長(昭和大)のもと,パシフィコ横浜(横浜市)で開催された。学術大会開催20回の節目を迎えた今回,「夢をかなえる――この20年,そして,あしたへ」がテーマに掲げられ,約7800人が参加した。本紙では,若年がん患者の緩和ケアの現状と課題が提起されたシンポジウムと,終末期せん妄における治療・ケアの在り方を議論したシンポジウムの模様を紹介する。

若年がん患者への緩和医療の今

 シンポジウム「若年がん患者(AYA : Adolescent and Young Adult oncology)への緩和ケアの現状と課題」(座長=浜の町病院・永山淳氏,静岡がんセンター・青木和惠氏)では,初めに座長の青木氏が,AYA世代はおよそ15−29歳の「思春期に始まり,完全な成長および身体的成熟にいたる人生の期間」で,「アイデンティティ確立の時代」と位置付けた。AYA世代の患者数が増加する一方,その成長過程を尊重した医療・ケアに遅れがあると指摘し,AYA世代の緩和医療をどのように築くべきかという問いを投げ掛けた。

 勝俣範之氏(日医大武蔵小杉病院)は,腫瘍内科医の立場から若年がん患者について俯瞰して解説した。若年性がんの特徴には,近年,乳がん,大腸がん,子宮頸がんなどの固形がんの増加がある。またAYA世代では予後が悪い“Survival Gap”があること,若年性がんを対象とした研究・社会的サポートが少ない点を問題点として挙げた。若年性がんの中でも,特に進行がんの緩和ケアに対しては,医療者のコミュニケーションの取り方や家族へのケアが課題であり,その議論が不十分であると指摘した。氏は,社会的,精神的なチームアプローチで患者のQOLが上がるとの研究結果[PMID : 7789344]を紹介した上で,今後は系統的なケアプログラムの作成やチーム医療,社会的サポートプログラムの充実が必須と語った。

 臨床心理士の枷場(はさば)美穂氏(静岡がんセンター)は,発達課題からAYA世代のケアを考察した。AYA世代は,成人(高齢)がん患者が長年積み重ねてきた人生への喪失・悲嘆を生じるのとは異なり,就学や就業,結婚・出産など,先を見据えた意思決定の結果を“未来で受け取る”特徴がある。そのため,治療後の長期フォローアップ体制が必要であり,多職種が連携し,患者本人の自立性・主体性への支援について共有することが望まれると述べた。たとえ残された時間が少ない患者でも,最後まで自分らしく生きようとする意思を持っており,「今自分がすべきことは何か」という役割を模索していると語り,医療者は,家族との関係からも患者の考えを読み解くことが重要と述べた。

 小児がん経験者がAYA世代に移行した際に生じる課題を検討したのは,神奈川県立こども医療センターで小児看護に携わる竹之内直子氏。思春期の段階では,身体・社会・心理の各側面に課題を抱える。その支援は長期にわたり,どこで,誰がどのように支援すべきか考えなければならないという。氏は「本人が主体となり,必要な身体的・心理社会的支援が継続されることが大切」と述べ,看護師は,その人らしく生活できるよう支援する役割があると語った。

 「がんの子どもを守る会」のソーシャルワーカーとして患者や家族の相談を受ける樋口明子氏は,昨今,AYA世代の患者からの相談が増えていると語った。相談内容は,治療や経済的な問題,将来への不安などがあるが,中でも家族や周囲との関係の悩みは複雑だという。それは,本人,家族,医療者,それぞれに思いがあるがゆえに「かみあわない歯車になっているため」と指摘。AYA世代のサポートに正解やマニュアルはないため,考えを率直に話し合える関係が大切であると語り,患者同士・親同士が体験を共有できるピアサポートの活用も有効との見解を示した。

 最後に座長の永山氏が今回のシンポジウムで共有された問題点を踏まえ,緩和ケアの原点でもあるチームアプローチの推進や,患者・家族への情報提供が今後ますます必要になると結んだ。

終末期せん妄における患者・家族の苦痛を和らげる

 多くのがん患者の終末期に見られるせん妄のマネジメントは難しく,患者・家族・医療者に困難をもたらす。また,通常のせん妄と異なり,終末期せん妄は死の過程に重なる不可逆性があるため,治療目標の変更が必要になる。シンポジウム「終末期の回復が望めないせん妄の治療・ケアのゴールをめぐって」(座長=三重大病院・中村喜美子氏,広島大病院・小早川誠氏)では,在宅・一般病棟医師,看護師,それぞれの立場から,非薬物療法の実践が紹介された。

 最初に登壇したのは,卒後,総合診療医として在宅クリニックでも活動し,現在は緩和ケア外来で診療講師を行う浜野淳氏(筑波大)。氏は,在宅では病院と比べて比較的せん妄が少ないが,発生した場合には在宅ならではの問題があると述べた。在宅においては,医療者の評価頻度が少ないため,せん妄に気付きにくく,原因の同定も困難となる。加えて,患者本人と家族が過ごす時間が長くなるために,患者の変化を家族が目の当たりにすることになる。その直接的影響,心理的ショックは大きい。もちろん,せん妄に直面した家族の不安・解釈は多様で,実際に聞いてみなければわからない。多少のうわ言であれば気にしない家族もいるし,少しの変化でも不安になったり,薬剤の影響に懐疑的になったりする家族もいる。

 だからこそ,在宅においては病棟以上に,患者に何が起きているのか,原因・対処法の伝え方が重要になると氏は指摘した。医療者は,家族の反応を見ながら,終末期せん妄の特徴を説明し,家族にもできる対応を具体的に伝える必要がある。氏は「在宅においては家族が『これくらいならやっていけそう』という感覚を持つことが重要」と語り,在宅療養を継続するか,どの程度の鎮静を行うかを含めて,家族のケア能力に応じたゴールを設定するように呼びかけた。

 緩和ケアチームの精神科医である小室龍太郎氏(金沢医療センター)は,一般病棟と在宅との連携において心掛けていることとして,プライマリ・ケアチームと在宅チームの活動の隙間を埋めること,疼痛・せん妄コントロールを中心にプライマリ・ケアチームや在宅チームの活動を支持・保証すること,患者本人・家族の自己効力感を支持・保証することを挙げた。さらに,紹介状に「いつでも地域連携室にご連絡ください。緩和ケアチームからお返事申し上げます」と記載したり,電子カルテの掲示板に緊急連絡先を掲示したりするなど,医療者間の情報共有と家族への情緒的サポートの促進が重要だという。氏は,精神症状が意思決定能力・心理面・社会面・実存面に与える影響について事例を基に紹介し,締めくくった。

 緩和ケアチーム専従看護師の津金澤理恵子氏(富岡総合病院)は,「せん妄のケア」といったときに「せん妄によって生じる危険の防止」を考えていないかと問い掛けた。せん妄自体が患者にとっての苦痛であることを意識し,「厄介な意識障害」ではなく,「せん妄という苦しみを抱えた人」への対応に意識転換し,患者が「ここなら安全・安心」と感じられる場と関係を築くことを提案した。

週刊医学界新聞 第3134号 2015年7月20日

緩和ケアチームの活動手引きを公表
日本緩和医療学会
 日本緩和医療学会はこのほど、癌患者に対する「緩和ケアチーム活動の手引き」を学会ホームページに公表した。同学会専門的・横断的緩和ケア推進委員会がコンサルテーションに重点を置いて改訂した第2版で、チームの立ち上げ方やチーム責任者の役割、職種別の役割などを解説するほか、ありがちな落とし穴を職種ごとに明示している。

 同手引きは、これから緩和ケアの活動を始めるチームや専従スタッフがいないチーム、活動に困難を感じているチームを対象としている。全5章で構成しており、各職種の役割を解説する章では医師を身体症状と精神症状の担当ごとに分けたほか、看護師、薬剤師、ソーシャルワーカー、リハビリテーションについて役割と具体的な業務内容、落とし穴などを紹介している。

 コンサルテーションの章では、注意点や継続、終了を検討するタイミング、依頼者や相談者と良好な関係を築くために必要なコミュニケーションのコツなどを説明するほか、「コンサルテーション・エチケットにおける10の原則」を表にまとめて掲載している。

m3.com 2015年7月23日

在宅でも医療用麻薬の持続注射は十分可能!
廣橋 猛 永寿総合病院 がん診療支援・緩和ケアセンター長

 医療用麻薬には、内服薬以外にも様々な剤型が存在します。中でも注射薬は患者が内服できなくなったときや、強い苦痛を迅速に緩和する必要があるときなど、困った状況において必須の薬剤です。内服できないときに簡便な貼付薬を用いることもありますが、呼吸困難の緩和を要する場合や、頻繁に投与量を調整またはレスキューに用いる場合は、貼付薬ではなく注射薬でこそ苦痛を緩和できるチャンスが高まると感じています。

 自分が担当している緩和ケア病棟では、亡くなられる患者の9割以上が、最終的に医療用麻薬の持続注射を受けています。質の高い緩和ケアを追求した結果と考えています。

 その一方、病院でも医療用麻薬の持続注射を難しいと考えて避けている医師を散見します。ましてや、在宅では訪問医や訪問看護師が、なかなか持続注射の開始に踏み切れないことが多いようです。処方や管理が煩雑になることを嫌って、持続注射が必要なくらいなら入院させた方がよいと考える在宅の医療者も少なくありません。

 しかし実際のところ、在宅でも医療用麻薬の持続注射は問題なく使用できます。静脈ラインがなくても、持続皮下注という簡便な方法で行えます。持続注射に用いる機械型のポンプをレンタルする業者も増えましたし、ディスポのポンプは医療材料として処方できるようになりました。注射液は訪問調剤薬局が充填してくれます。診療報酬においても、医療用麻薬の持続注射は指導管理料や加算で高い評価がされています。そして、在宅でこそ持続注射のメリットを患者は享受できます。その一例を紹介します。

持続皮下注射で家族と食卓を囲めるように

 70歳代男性で大腸癌肺転移の方でした。肺転移がひどく、呼吸困難で入院。予後は2カ月程度ではないかと想定されていました。私は緩和ケアチームとして関わっていました。内服も安定しないため、モルヒネの持続皮下注射を開始し、安静時の症状は緩和されました。家族とともに自宅で過ごしたいという希望があり、私がそのまま自宅に往診することになりました。その方には『家族とともに食卓を囲みたい』という強い思いがありました。

最期まで笑顔の絶えない空間を可能に

 そこで役に立ったのが持続皮下注射に使用していたポンプのPCA機能です。PCAとはpatient controlled analgesiaの略で、自己調節鎮痛法を意味します。ポンプについているボタンを押すことで、持続投与されているモルヒネが、追加投与されます。これにより、痛みや苦しさで困ったときに、医療者を介さずに患者自ら(家族が押すこともあるでしょう)対応することができます。内服よりも注射の方が迅速に効果発現するため、追加投与時も数分以内に苦痛が緩和されます。自宅で苦しくなったときにどうすれば……という患者の不安は、この機能で概ね解決することができます。

 そして、この患者には、食事の前に予防でボタンを押すように指導しました。食卓へ移動して、家族団らんの時間を過ごしたい。けれど動いて食事をすることで苦しくなってしまうのが怖い。そこで、事前にモルヒネを必要量追加投与することで、未然に呼吸困難が生じることを防ぐという作戦です。この方法で、食事のときは毎回家族が集まって、食卓を囲む時間を作ることができました。病状の進行に従って、動ける距離や時間は短くなりましたが、家族と生活をともにするという希望を叶えることができ、最期まで笑顔の絶えない空間となりました。まさに生活や希望を支えるための持続注射でした。この方が自宅で穏やかな最期を迎えられたのは、医療用麻薬の持続注射を適切に行ったからだと思います。

 このように、在宅で最期まで過ごしたいと考える患者に対して、必要であれば医療用麻薬の持続注射を躊躇せず使用すべきです。

地域の医療者を対象にした持続皮下注射の勉強会

 しかし、なかなか学び経験する機会が少ないという地域の医療者の声を聞きます。そこで先日、私が所属する地域緩和ケアネットワーク(浅草かんわネット研究会)主催で、近隣地域の医療者を集めて勉強会(写真)を開催しました。医師だけでなく、訪問看護師、訪問薬剤師、ケアマネジャーなどとともに、PCAを使用する利点や管理方法を議論し、実際のポンプに触れることで、自分でもできるかもと思ってもらえたのではないでしょうか。永寿総合病院においても、在宅で使用方法が分からないというときには、支援に出向く体制を取っています。こういった地道な啓発を通じて、在宅でも多くの方々が穏やかに過ごせるよう願っています。

著者プロフィール

廣橋猛(永寿総合病院 がん診療支援・緩和ケアセンター長)●ひろはし たけし氏。2005年東海大学医学部卒。三井記念病院内科などで研修後、09年緩和ケア医を志し、亀田総合病院疼痛・緩和ケア科、三井記念病院緩和ケア科に勤務。14年2月から現職。

BPnet 2015年8月5日

独自指針で手続き明確化延命中止
重層的に判断救急の現場、模索続く
 手を尽くしても助かる見込みがない患者の延命治療をどこまで続けるべきか。苦痛を引き延ばすことにならないか。終末期医療をめぐり医療従事者が直面する問いだ。北海道大病院の先進急性期医療センター は、治療中止や差し控えに関する手続きを明確にした独自指針を2011年から運用、病院倫理委員会も含めて重層的に判断する仕組みを構築してきた。

 容体急変のため本人の意思が不明のケースも多い救急・集中治療の現場で、患者や家族とどう向き合うか模索が続く。

▽4年で115人

 日本救急医学会など3学会は昨年11月、共同で終末期医療の指針 を公表した。主治医が抱え込むのではなく、必ず医療チームで対応することが鍵としている。
 北大病院ではこれに先駆け、先進急性期医療センターで、倫理委員会の承認を得て独自指針の運用を11年5月に開始。今年7月までの約4年間に、終末期の10〜90代の患者115人の延命治療を中止したり差し控えたりしてきた。60代以上が6割強を占める。

 センター部長の丸藤哲医師は「患者に苦痛を与えるだけの治療は見直すが、必要な治療は迷わずにできる」と指針の意義を強調する。

 同センターの指針は医師と看護師それぞれ2人以上を含む医療チームでの判断を求め、医療チームだけで判断が難しい場合は上司や他診療科の医師らを交えて協議するとしている。センター内の症例検討会議で情報を共有し、必要に応じて病院の倫理委員会でも審議する。方針決定のプロセスを重層的にすることで、判断の誤りや独善性を排除する狙いがある。

 患者の家族には繰り返し病状などを説明、治療方針について理解と同意を得るとしている。

▽脳死では呼吸器も

 実際に中止や差し控えの対象となった医療行為の内容は、抗菌薬などの薬剤投与や輸血、人工透析、栄養補給など多岐にわたる。無呼吸テストを含む厳格な方法で患者が脳死と診断された場合は人工呼吸器の取り外しも選択肢に含まれており、115人の中には呼吸器を取り外した患者も1人いるという。

 一方、医療チームなどの判断と倫理委員会の意見が異なり、呼吸器の取り外しを見送ったケースもある。

 指針の導入当初のことだ。事故で脳死とみられる状態となった患者について丸藤医師らは家族と相談、患者が延命治療を望む様子がなかったことを確認し呼吸器の取り外しを検討した。

 これに対し、病院倫理委は数カ月の審議の末、昇圧剤などの投与中止を認める一方、呼吸器の取り外しは許可しなかった。患者の目に損傷があるため光に対する反射の有無を確かめる検査を行えず、厳密な脳死診断ができないことが理由だ。

 患者の心臓が停止し亡くなったのは事故から約半年後。丸藤医師は「早く家に連れて帰りたいという家族の願いをかなえられず残念だったが、倫理委の指摘ももっともだった」と振り返る。

▽助かる命

 同センターの指針は終末期医療とは別に、救急患者の家族が治療開始を希望しない場合でも医学的に救命の可能性があれば治療を行うと規定。

 こうしたケースでは医師の倫理的判断を優先する姿勢を明確にした。しかし同時に、家族との信頼関係を築く努力も求めている。

 丸藤医師は「無理な延命治療で個人の尊厳を無視してはならないし、一方で助かる命が失われてはならない」と強調した。

47NEWS 2015年8月11日

がん患者の生命予後予測,4種類の指標の精度は70%以上
緩和ケア,入院,在宅の3環境で検討
 聖隷三方原病院(浜松市)副院長・緩和支持治療科の森田達也氏は「緩和ケア,入院,在宅の3環境で4種類の生命予後予測指標を検討したコホート研究により,いずれの指標でも予測精度が70%以上であることが示された」と第20回日本緩和医療学会学術大会(6月18〜20日,大会長=昭和大学医学教育推進室講師・宮有介氏)のシンポジウム「あとどの位ですか?と聞かれたら:どのように予後を予測し,どのように話し合うか」で報告した。

PPIは毎日のルーチンに

 緩和ケアには多くの予後予測指標があるが,病棟,入院,在宅の3環境で同時に精度を見た研究はなく,また,化学療法を受ける患者が対象から除外されることが多い。そこで森田氏らは,2012年9月〜14年4月に計58施設〔緩和ケアチーム(PCT)19,緩和ケア病棟(PCU)16,在宅23〕における全ての成人遠隔転移・局所進行がん初診患者2,436例を対象に,緩和ケア医・在宅担当医が初診時に項目を記入し,6カ月予後を追跡。

 @Palliative Prognostic Score(PaP)ADelirium-Palliative Prognostic Score(D-PaP)BPalliative Prognostic Index(PPI)Cmodified Prognosis in Palliative Care Study predictor〔PiPS;PiPS-A(血液検査不要)とPiPS-B(血液検査必要)〕の実施可能性と予測精度を比較した。

 6カ月後の死亡生存が不明な症例を除く2,361例〔@PCT 554例APCU 820例B在宅472例C化学療法あり515例(PCT 359例,PCU 76例,在宅80例)〕を対象に解析。各指標で30日生存率70%超をA群,30〜70%をB群,30%未満をC群として予後を予測した。

 その結果,PPIとmodified PiPS-Aの実施可能性は4群全てで90%以上,PaPとD-PaPの実施可能性はPCT群と化学療法群では75%以上だったが,PCU群で62%,在宅群で37%だった。modified PiPS-Bの実施可能性はPCTで65%と最も高く,在宅で29%と最も低かった。

 予測精度は,PCUにおける21日でのPPIが69.0%,在宅における42日でのPPIが69.3%であった以外,いずれの群でも全ての指標で70%以上だった。以上から,同氏は「いずれの指標もある程度の予後予測が可能であった。また,実施可能性と予測精度から簡便なPPIは全症例で毎日のルーチンとして予後の予測に適している。より正確な予測が必要な場合は血液検査を行い,PaP,D-PaP,modified PiPS-Bによって判断することが望ましい」と結論。

 「予後予測指標にはそれぞれ特徴があるため,予測には特徴を理解して指標を選択する必要がある。今回の研究で,緩和ケア病棟,入院,在宅でのコホート研究が可能であることが明らかとなった」とまとめた。

Medical Tribune 2015年8月13日

「自宅で最期を迎えたい」という親のためにできること
【QUESTION】親が「自宅で死にたい」と言うのですが可能ですか?

 高齢者の半数以上が「最期は自宅で迎えたい」と考えている(内閣府「高齢者の健康に関する意識調査」平成19年)。実際には多くが医療機関で亡くなっているが、厚生労働省の推定(図参照)によれば、今後は病院でも、自宅でも、介護施設でも死ねない人が増え続け、2030年には年間47万人に達するという。

「国は、民間の高齢者向け住宅を増設して受け皿づくりを図っていますが、死亡者の増加に追いつく気配はありません。『どこで死ぬか、どこで看取るか』を考えておかなければならない時代になっているのです」(おちさん)

 本人が納得した最期を迎え、看取る側も後悔しないためには、本人の意識がはっきりしているうちに意思や望みを確認し、財産記録や死亡時の連絡リストなどとあわせて「エンディングノート」にまとめておくといい。

「特に終末期医療に対する意思は看取りの重要な課題です。家族はともすると『できるだけのことをしてください』と言いたくなります。その気持ちは当然でしょうが、それが本人にとっていいことなのかは別問題です」(おちさん)

 医療技術が進歩した今日、人工呼吸器につないだり、胃ろうやIVF(高カロリー輸液)点滴などの経管栄養を用いたりすれば患者を「生かす」ことは可能だ。だが、衰弱した体には負担が重く、辛い時間が長引くことにもなる。

「終末期にはこうした治療法が次々と提案され、家族はその都度決断を迫られます。本人の意思を記した『リビングウィル』はもちろん、細かな治療法についても本人の確認をとっておくことが大切です」(おちさん)

 一般的にはこうした状況を迎える前に、長い介護生活がある。治療を伴う介護の場合は在宅では限界があるので、医療ケアの手厚い介護療養型医療施設や病院・診療所併設のサービス付き高齢者向け住宅、医療スタッフ上乗せの介護付き有料老人ホームなどが安心だ。

 「どこで介護・医療サービスを受けるにしても、終末期は介護休業制度などを上手に利用して、残された時間を一緒に過ごしてほしいと思います」と話すおちさんは「逆在宅」を勧める。

 死期が迫ってきたら、医療・介護施設などの入所先から自宅に引き取って、訪問看護・介護のプロの力を借りながら家族で看取るやり方だ。死亡時には医師の「死亡診断書」が必要になるため、在宅での看取りの場合、24時間往診ができる「在宅療養支援診療所」の医師との連携が欠かせない。

「どんな医療・介護のプロであっても、家族の代わりに心のケアはできません。看取りは命のバトンをつなぐ大切な瞬間です。親との最期の時間は無形の遺産だと考えて、しっかり受け取ってほしいですね」(おちさん)

【ANSWER】介護は施設、最期は自宅。「逆在宅」がおすすめです。

おち とよこ ジャーナリスト・高齢者問題研究家
介護、医療、子育て、それにまつわる家族や女性問題を中心に執筆や講演等で活躍。自身も両親を16年介護した経験を持つ。


BLOGOS 2015年8月16日

連載:終活Q&A
大病を患った家族に余命を告げるべきか
Q.大病を患った家族に余命を告げるべきか

A.健康なうちにコンセンサスをとっておく


 「医師から父の余命があと1年と告げられました。退院後の社会復帰を心の支えに闘病生活を送る父にこの事実を伝えてよいものか…」

 こう悩むAさん。告知をどう受け取るかは人それぞれで、本当に悩ましい問題だ。ある人は余命を知ることで絶望し、生きる気力をなくしてしまうかもしれない。またある人は、病状と余命をきちんと知った上で残りの人生をどう生きるか考えたいと言うかもしれない。

 末期がんとなれば投薬治療を続けるか、緩和ケアに切り替えるかという重大な選択も迫ってくる。緩和ケアにするなら、患者に余命を知ってもらうことが条件になってくる。

 選択を間違って、「生きる希望を失った」あるいは、「何でもっと早く教えてくれなかったんだ」などといわれては、悔やんでも悔やみきれない。

 難しいのは、普段はあっけらかんとした人であっても、いざ死に直面すると全く予期せぬ行動を取ることがあるところ。

 告知をしたあとの治療をどうするかなども含めて、健康なうちに対応を話し合っておくといい。「病気になったら告知します」と宣言しておけば、言う側も負い目を感じなくて済むし、言われる側も相手を恨まなくて済む。

 大切なのは、どうすれば穏やかで、よりよい最期を迎えられるかということ。それには家族間のコンセンサスがなにより重要になるだろう。

ZAKZAK 2015年8月17日

終末期がん患者のせん妄リスクに“強い眠気”
ステロイドによる多施設共同前向き観察研究
 終末期がん患者では,半数以上で倦怠感や食欲不振が見られる。これらの症状に対するステロイド治療は,ランダム化比較試験などから有効性が示されつつあるが,臨床現場では経験的に使用されているのが現状である。さらに,副作用としてせん妄発症が問題視されているが関連する因子は明らかではない。

 外旭川病院(秋田市)の松尾直樹氏は,倦怠感または食欲不振に対するステロイド治療を開始する終末期がん患者を対象に,有効性の予測因子と,せん妄発症に関わるリスク因子を検討した多施設共同前向き観察研究の結果,全身状態が良好な患者ではステロイドが有効で,強い眠気がせん妄のリスクになることが分かったと第20回日本緩和医療学会学術大会(6月18〜20日,大会長=昭和大学医学教育推進室講師・宮有介氏)で報告した。

全身状態,眠気などがステロイド治療導入・中止の判断指標に

 対象は,M. D. Anderson symptom inventoryの倦怠感に関するnumerical rating scale(NRS)または食欲不振に関するNRSのいずれかが4以上,ステロイド投与を開始するホスピス・緩和ケア病棟,または一般病棟に入院中の20歳以上の終末期がん患者。ステロイド投与開始から3日間の経過を観察し,有効性とせん妄の関連因子を検討した。

 本研究は2012年8月〜14年11月に実施,22施設から207例が登録,ステロイドの有効性については投与3日後に倦怠感と食欲不振ともにNRSが有意に低下することが認められた。

 有効性の予測因子については,倦怠感を訴えた患者179例と食欲不振を訴えた患者179例(年齢中央値ともに73歳)を対象に検討。多変量解析の結果,倦怠感を訴える患者では,@NRS 5超がオッズ比(OR)7.2〔95%信頼区間(CI)3.0〜17.1〕APalliative Performance Scale(PPS)40超がOR 4.7(同2.2〜10.2)B眠気に関するSchedule for Treatment Assessment Scale(STAS)0がOR 3.3(同1.6〜6.7)C腹水なしOR 2.4(同1.1〜4.9)D胸水なしOR 2.4(同1.1〜5.3)〜であった。

 食欲不振を訴える患者では,@NRS 4超がOR 8.1(同2.2〜30.7)A眠気に関するSTAS 0がOR 2.8(同1.4〜5.6)BPPS 40超がOR 2.4(同1.2〜4.6)〜などであったことから,全身状態が良好な患者ではステロイドが有効であることが推測された。

 ステロイド投与後3日間でせん妄を発症したのは207例中35例(17%)で,多変量解析の結果による有意な因子は,@Performance status 4がOR 3.9(同1.7〜8.9)A眠気に関するSTAS 1超がOR 3.5(同1.5〜8.2)Bオピオイド併用がOR 4.1(同1.2〜4.7)〜であった。つまり,全身状態が不良で,日常生活に支障があるほどの眠気がある患者ではステロイド治療はせん妄のリスクとなることが分かった。

 松尾氏は「これらの症状が終末期におけるステロイド治療の導入,あるいは中止の適応を判断する際の指標となる可能性がある」とし,「ステロイドの投与量や種類とは関連が見られなかったことを含め,今後は大規模な研究による検証が必要である」と述べた。

Medical Tribune 2015年8月17日

後悔のない最期を迎えてもらいたい
平方 眞 愛和病院副院長

 病気によって亡くなるという現実を目の前にすると、どんな人でも理不尽だと感じます。どんなに手を尽くしても、本人・家族ともに完全には納得できないと思います。しかし医療者が「看取りの技術」を持っていてそれを提供できれば、患者さんが亡くなることによる損失を、ゼロにはできないにしても確実に少なくできます。

 本人や家族が、病気そのものや、やがて訪れる命の終わりを受け入れ、納得・安心し、満足して最期までの時間を上手に過ごせるように、人が亡くなる現場にいる医療者は、この技術を身に付けるべきだと思います。

 では、「看取りの技術」とは何でしょう? 体の症状を取り去るための薬の使い方も、その一つです。病気によって命が終わることは避けられないといった、いわゆる「悪い知らせ」を上手に伝えるテクニックも一つです。それらは、がん診療連携拠点病院で毎年行われている緩和ケア研修会でも、学ぶことができます。

 本連載ではそのような内容に加えて、もう1 歩踏み込んだ技術を、いくつか取り上げます。例えば、「命の残りが少ないときに、そのことによる損失を最少にするための手助け」などです。

 69歳の肝臓がんの男性(Aさん)のケースを紹介します。Aさんは妻と2人暮らしで、3人の娘さんは全員巣立っています。肝臓にがんが広がり、いくつかの病院を回ったもののどこでも「これ以上の治療はない」と言われ、最後に受診した医療機関で緩和ケアを勧められ、私のところに来ました。病気はだいぶ進んでおり、痛みも出始めていました。ここで私は、痛みを取るなどの一般的な緩和ケアのほかに、今後の経過を予測してなるべくうまく伝えること、家族にとっても有意義な時間が過ごせるようにすることなどを目指して、いくつかの知識と技術を使いました。

 詳細は追って解説しますが、肝臓にがんがある場合は症状が現れ始めると急速に進行していくことが多く、普通に構えていると残りの時間が足りなくなり、亡くなった後も後悔が多くなりがちです。そこで言葉を慎重に選びながら、残り時間が少ないと予想されること、貴重な時間を活かしてほしいことを伝えました。

 「がんが進行したときの体の変化は、年を取る速度が急に速くなるのと似ています。これから先は急に年を取り、体力がなくなっていく感じになると思います。残っている時間は正確には分かりませんが、ここから先、今が一番若いことは間違いないので、若いうちでないとできないことを、すぐにでもやっておいた方が良いと思います」

 Aさんは、「家族で旅行がしたい」と希望しました。娘さんたちの都合を合わせるのが難しく、旅行は3 週間後に計画されました。残された時間は短く、3 週間後の旅行が可能か心配しましたが、評価を重ねて「大丈夫そうだ」と判断。3 泊4日の温泉旅行を無事、果たしました。もちろん途中で具合が悪くなったときの対応や手配は事前に整えて、できるだけ不安が少なくなるようにもしました。旅行中のAさんはとても元気で、地元の料理を味わい、車の運転までしたと聞きました。そして、楽しそうに旅行写真を見せてくれました。

 「最後に家族で旅行に行きたい」「どこかに行きたい」と希望する人は少なくありません。サポート体制と覚悟さえあれば、患者さんがどんな状態であっても旅行に出かけることは可能です。しかし、かなり悪い状況下では、たとえ行けたとしても、本人や家族に「大変だった」という記憶しか残らないことになってしまいます。

 それよりも、楽しめるときに行き、良い思い出が作れる方がいいのは明らかです。経過が早いと予測されるときは、それを伝えないと時間切れで残念な思いをしてしまいます。そうならないように伝えることも、このコラムで言う「看取りの技術」の一つです。

 Aさんは旅行の後、肝不全となり徐々に意識がなくなっていきました。その段階で私は、今度は家族に「意識のある状態で一緒に過ごせるのは今しかないです」と説明しました。家族はもう一度集まり、今度は自宅で1 週間、家族水入らずの時間を過ごし、Aさんはそのまま自宅で命を閉じました。Aさんと出会った最初の頃、自由に動ける時間がそれほど長くないことを伝えられていなければ、家族旅行も、その後の家族水入らずの1 週間も過ごせなかったかもしれません。

 Aさんが亡くなった後、家族は「最後にもう一度、家族になれました」と言われ、感謝の言葉を伝えてくれました。残される家族にとっては、とても大切なことだと思います。このようなケースを経験すると、何も知らされず、自分の残りの人生がどうなるのか分からないままに体が弱って亡くなってしまうのでは、人生をうまく締めくくれていない気がしてなりません。命の終わりを意識して、もちろん病気だから制限はあるけれど、思い残すことのないようにやりたいことをしたり、家族で過ごす時間を持つことは、非常に意味あることだと思います。

著者プロフィール

1990年山梨医科大学(現山梨大学)医学部卒業。武蔵野赤十字病院、町立厚岸病院、自治医科大学血液内科を経て、1994年に諏訪中央病院に着任。96年頃から訪問を中心に緩和ケアを開始し、98年に緩和ケア担当医長に就任。2009年から愛和病院副院長。著書に『看取りの技術』(日経BP社)がある。

BPnet 2015年8月26日

がん患者の悩みに寄り添うプロの「伴走者」
医療コーディネーターを知っていますか?
 医師から「がんです」と告知を受けたとたん、患者にはやるべきことが次々と襲いかかってくる。治療法をどうするか、セカンドオピニオンは誰に聞くか、入院か通院か、職場には何と説明したらいいか、家族にどう話せばいいか……。病魔と闘いながらさまざまな問題を解決しなければならない。混乱するなというほうが無理だろう。

 4年半前、ステージIVの肺腺がんと診断された元銀行員の女性(57)は、がん専門病院で抗がん剤治療を続けてきた。

 独身で一人暮らし。離れて暮らす80歳を超える母親に心配をかけまいと、がんのことはきょうだい以外誰にも言わず、治療のこと、仕事のこと、すべてひとりで決めてきた。

●病院で教わらない情報

 気丈な女性の心が折れかかったのは治療を始めて2年が過ぎたころ。薬が効かず、医師から「もう手立てがない」と宣告された。頭の中が真っ白になった。

 そんな時だ。あるがんのシンポジウムで「医療コーディネーター(メディカルコーディネーター、以下MC)」の話を聞いた。MCとは、医療の専門知識を持ち、患者の希望に応じて医療機関との橋渡しや、闘病生活のサポートをしてくれる人だ。

「在宅のがん治療もあります、という説明にハッとしました。治療法はもうないと言う病院の視点とは違うなと感じました」

 その場で声をかけ、このMCが所属する「日本医療コーディネーター協会」に連絡。初めて会った最高顧問の嵯峨崎泰子さんの対応は期待を超えていた。

 病院では教えられなかった種類の抗がん剤や、抗がん剤以外の治療法も残っていることなどについて、丁寧でわかりやすい説明を受けた。転院できる病院があるかどうかも、嵯峨崎さんの臨床看護師のネットワークから情報を得た。

●手術中に母の付き添い

「豊富な医療知識に裏付けられたアドバイスと治療に結びつくサポートが頼もしかった。『大丈夫、安心しなさい』と言われた言葉は忘れられません」

 以来、MCには検査結果を聞くのに同行してもらったり、新しい治療法を教えてもらったり。不安な時に連絡を取る。ひとりで闘っているんじゃない、と思えることが回復力をアップさせるようだ。

 そもそもがんと闘うには、医療の力だけでは不十分だ。病気からくる不安や、闘病生活の悩みなどを相談する相手が必要になる。だが多くの場合、忙しい担当医に長時間かけて相談はできないし、プライベートな問題を医療現場に持ち込むことは気が引ける。そんな医療の枠を超えたサポートができるのもMCの特徴だ。

 税理士の女性(60)は、婦人科で「卵巣が腫れている」と、がんの疑いを指摘された。手術を受けることになったが、2人暮らしの90歳の母親が手術中、病院で待つという。

「ひとりで大丈夫だろうか」

 そこで知人のMCに母の付き添いを頼んだ。病院で母の話し相手になってもらう。MC用語で「傾聴」と呼ばれる「相手を落ち着かせるためにじっくり話を聞く」役目だ。女性も安心して手術に臨めたという。

 患者の小さな悩みも聞き入れる。それが医師でもない、家族でもない相談者として、MCが注目されてきた理由だ。

 10年前からMCとして活動している同協会理事の高橋菜子さんによると、患者からの相談は次の四つが多いという。(1)主治医との関係づくり、(2)治療法など意思決定の際のサポート、(3)家族や仕事などの悩み、(4)生活や食事の指導。

●気兼ねない第三者

 相談によっては、がん相談員やソーシャルワーカー、栄養管理士などに相談することもできるが、多くは院内でのサポートで、受付時間も限られている。その点、MCは個人が独立して活動しているため、いつでもどこでも対応してくれる。医療の“顧問弁護士”のような存在といっていいだろう。

 実は、患者の悩みで深刻なのは人間関係だ。家族と主治医が合わなかったり、幼い子どもや介護が必要な親がいたりする場合など、患者は自分の病気よりも周囲に気を使い疲れてしまう。

「こうしたことは気兼ねのない第三者が介入したほうがうまくいくケースが多いんです。MCの基本は、患者さんの心身のバランスを整え、自分で納得して治療を受けられるようにすること。心に寄り添い、できる範囲のことはすべてします」(高橋さん)

 MCはボランティアではなく、依頼費は同協会の場合1時間1万800円。その後30分ごとに5400円がかかる。安くはないが、医療知識を持ち、伴走者のように患者の日常を支えてくれる人はそういない。現在、同協会の認定MCは約100人。「認定」と名乗る場合は、医療や福祉資格を持つ人に限る。

 栃木県在住の木原明子さん(52)は協会に相談し、がん患者の悩みを聞く「がんサロン」を開いた。MC活動のひとつだ。

 木原さんは48歳の時、突然舌がんを宣告された。受験を控えた2人の子どものことを考えると心が痛んだ。それでも落ち着いて抗がん剤治療と手術を乗り越えられたのは、看護師の妹の存在が大きかったという。

●医療と福祉をつなぐ

「治療法の相談をしたり、主治医との面談に同席して専門的な説明をわかりやすく解説してもらったりしました。思えば妹が私のMCだったわけです」

 と木原さんは振り返る。「信頼できる理解者・医療者の存在」がこれほど心の支えになるとは。そう痛感した。

「医療者と患者の信頼関係は、対話して心を通わせることから始まる。日本の医療現場は忙しすぎて、その根本的なことができていないと思う」(木原さん)

 サロンでは、必要に応じて専門知識を持つMCや医療機関を紹介する。悩みを聞くだけで患者や家族は冷静さを取り戻せる。木原さんは、MCがもっと一般的になって、全国的な仕組みになることを願う。

 市民医療協議会がん政策情報センターが行った「がん患者意識調査2010年」で、「がんの診断や治療で抱いた悩み」で最も多かったのは、「痛み、副作用、後遺症などの身体的苦痛」で60.5%。続いて、「落ち込みや不安、恐怖などの精神的なこと」で59.3%だった。心のケアのニーズは高い。

 北里大学医学部附属新世紀医療開発センターの荻野美恵子講師は、今後MCの必要性が高まると見ている。高齢化により最後まで自宅で過ごす人が、ますます増えるからだ。地域医療の仕組みを強化すべきだという。

「ソーシャルワーカーやケアマネジャーなどは医療や介護の制度には詳しいが、医学的な視点は弱い。地域に根ざしたMCと連携することで、医療と福祉の両面をつなぐ人材ネットワークが地域にできる。これは患者や家族はもちろん、医療者にとってもメリットです」(荻野さん)

 病は突然やってくる。そのときMCという存在が、闘病生活と人生を支えてくれる。

dot. 2015年8月31日

延命治療をやめた重度認知症96歳女性
死の直前に周囲にお礼
 苦痛に苛まれることなく、安らかに逝きたい──これは万人に共通する考えだろう。にもかかわらず、日本では無為な延命治療で苦しみながら死ぬ終末期医療がまかり通っている。

 その弊害はもはや看過できなくなっている。患者の意に反した終末期医療の実態とはどういうものか。医療関係者を取材すると、日本の少なくない病院や高齢者施設で「苦痛にのたうち回る患者の姿」が日常的に目撃されていることがわかった。

 寝たきりになったほとんどの患者は自分で寝返りが打てないため、皮膚の血流が途絶え、床ずれ(褥瘡)ができる。点滴や経管栄養の管を抜かないよう両手を縛られるケースも多い。寝たきり期間が長くなると、患者の関節は曲がったままで伸びなくなる。一度固まった関節を無理に動かそうとすれば全身に激痛が走る。

 痰がたまっても自分で吐き出すことができず、窒息を避けるため気管を切開してチューブを挿入し痰の吸引が行なわれる。この時、意識の有無を問わず、ほぼ全ての患者が「苦しみにのたうつ」と関係者は口を揃える。

 延命治療をやめたことで「穏やかな死」を迎えられるようになったと話す医療関係者は多い。『欧米に寝たきり老人はいない』(中央公論新社刊)の著者で、「高齢者の終末期医療を考える会」代表を務める、桜台明日佳病院・認知症総合支援センター長の宮本礼子氏は語る。

「胃ろうや点滴などの延命措置をしないことで眠るように安らかに亡くなります。それを裏付ける研究もあります。動物を脱水や飢餓状態にすると脳内麻薬の一種である『β―エンドルフィン』や肝臓で生成され脳の栄養源ともなる『ケトン体』という脂肪酸の代謝産物が増えます。これらに鎮痛・鎮静作用があることがわかっており、延命措置をしない患者が穏やかに息を引き取るのは、臨終時に両成分が生成・分泌されるためと考えられています」

 実際、宮本氏はこれまでの診療経験の中で、そういう患者をたびたび目にしてきた。1人で座ることもできない重度の認知症があり、老衰のA子さん(享年96)のケースでは、本人が延命治療を望んでいなかったため、点滴や経管栄養は行なわず、食事は「食べられるだけ、飲めるだけ」にした。

 亡くなる1か月前から食事は数口に減り、2週間前には少量のお茶を飲むだけになった。しかし亡くなる4日前でも「温かいお茶が飲みたい」と希望を口にし、前日には「ありがとう」と宮本氏に言った。死亡直前、家族が病院に向かっていることを伝えると「そうかい」と返答。その8時間後に亡くなったが、最期まで話すことができた「安らかな死」だったという。

「他にも、延命はせず自宅で看取ることを選んだ複数の患者さんがいましたが、皆さん静かに息を引き取られ、家族の方が『こんな穏やかな死に方もあるのですね』と驚かれていました」(同前)

NEWSポストセブン 2015年9月6日

遺言書ではない、エンディングノートの「法的な拘束力」はどの位あるの?
 “終活”という言葉も、今や一般的になりつつありますね。リサーチバンクが60歳以上の男女にアンケート調査をした結果、“終活”という言葉を「知っている」という人は、「聞いたことがある」という人とあわせて9割以上にのぼることが分かりました。

 それに伴い、エンディングノートを書いている人も増えているといいます。もしかしたら、自分の親も知らず知らずのうちにエンディングノートを書いているかもしれませんね。

 でも、家族とのコミュニケーションが取れていないと、せっかく書いたエンディングノートが台無しになってしまうこともあるのです!

 そこで今回は、終活カウンセラーである筆者が、“エンディングノートを書く上での注意点”をリサーチバンクの調査結果も参考にご紹介します。

■1:所有財産のことが書いてある

 リサーチバンクの調査によると、エンディングノートに書きたいこととして「所有財産・負債について」と答えている人が64.9%もいることがわかりました。

 しかし、エンディングノートは遺言書とは違い、法的な拘束力はありません。思いつきで書いてしまうと後々トラブルにつながる可能性もあるのです。

 「エンディングノートを書いてみたい」と思っている人は44.4%なのに対し、「遺言書を用意したいと思っている」と答えている人はわずか16.7%にとどまりました。家族とのトラブルを避けるためには、財産にかかわることはエンディングノートには書かず、別途、遺言書を準備するのをお勧めします。

■2:家族や親戚の理解を得にくい要望が書いてある

 本人の葬儀の希望が書いてあったものの、事前に伝えておかなければ家族や親戚の理解を得られない場合もあります。

 例えば、“家族葬”と希望が書いてあったので身内だけの小規模な葬儀を行ったら、意見の違う親戚などに反発をされたという話もよく聞きます。

 葬儀の規模や仕方については、“本人が希望しているもの”と“家族や親戚が思っているもの”が食い違っている場合もあります。「どうしても」という希望がある場合は、日ごろから家族・親戚へ伝えておくことが大切ですね。

■3:保管場所を伝えておく

 エンディングノートで「入院や介護など終末期の希望を伝えたい」という場合は、エンディングノートの保管場所を伝えておくことが大切です。

 例えば、“延命治療をしてほしくない”と本人は希望していたのに、エンディングノートが見つからなかったため、本人が望まない治療をしてしまうことも考えられますね。

 延命治療については、家族にとってもつらい選択になることもあります。エンディングノートに本人の思いが書いてあれば、できる限り本人も家族も納得する治療をすることができますよね。

 ただし、保管場所を伝えておくことは大切ですが、キャッシュカードの暗証番号や通帳の保管場所が書いてあると危険です。暗証番号などは記載せず、信頼できる人に口頭で伝えるなどの工夫が必要です。

 以上、今回は“エンディングノートを書く上での注意点”をお伝えしましたが、いかがでしたか? 終末期のことを家族と話し合うことは、なかなか難しいことかもしれませんね。お互いが後悔しないように、上手にエンディングノートを利用しましょう。

 そして、エンディングノートを十分に活用するためには、家族とのコミュニケーションも必要不可欠になってきます。終活は“ひとり”ではなく“家族”でするのをお勧めします!

BIGLOBEニュース 2015年9月11日

なぜ「がん難民」は生まれる? 医師が指摘する2つの理由
 がんの治療法が確立したとされる日本でも、よりよい治療を求め、医療界をさまよう「がん難民」が生まれている。それはなぜなのか。がん研有明病院放射線治療科副医長の加藤大基医師、さぬき診療所院長の讃岐邦太郎医師、日本医科大学武蔵小杉病院腫瘍内科教授の勝俣範之医師、さらにがん体験者の大久保淳一さんが集まり、意見を交わした。

──「治療方針に悩んだり、よりよい治療をしてくれる医師や病院を探し求めたりして、途方に暮れながらさまよう」。民間シンクタンク「日本医療政策機構」の調査(2006年)によれば、そうした「がん難民」は推計約68万人いるといいます。科学的根拠に基づいた標準治療が確立している日本で、「途方に暮れる」がん難民が生まれるのはなぜでしょう。

加藤:がんを発症するのは人生の一大事です。ですから、ベストの方向を見つけ出す
というのは当然、必要な過程だと思います。ただ問題は、そこから先。途方に暮れる患者さんが出るのは、端的に言うと、医師と患者さんのコミュニケーション能力が問われているからだと感じます。

勝俣:私は理由が二つあると思います。一つは、加藤先生がおっしゃったコミュニケーションの問題。近年、医師と患者さんとの間のコミュニケーションはどんどん希薄になってきています。なぜかといえば、医師が忙し過ぎるからです。私は一日20人弱のがん患者を診ていますが、他の医師と比べて少ないと思います。患者さんと納得いくまでとことん話し合うためです。

 それでも、私は腫瘍内科なので時間に少し余裕がありますが、外科医になると一日100人近いがん患者を診る医師はざらにいます。そのような状況で患者とコミュニケーションをとるのは難しい。そのため、医師と患者さんとの間にギャップが生まれ、話を聞いてくれないとか、見放されてしまったと感じてしまう場合があると思います。

 もう一つは、情報の問題。治療に関する正しい情報ががんの患者さんにきちんと届いているかといえば、必ずしもそうではありません。ともすると、「がんは放置したほうがいい」などという間違った危険な情報も少なくありません。そうしたものが野放しにされている結果、患者さんは惑わされてしまうのだと思います。

──それは、標準治療をやり尽くした後の話でしょうか。

勝俣:標準治療を手術、抗がん剤、放射線の3大治療だけに限って考えると問題があります。「緩和ケア」も標準治療の一つです。緩和ケアと聞くと、もう積極的な治療法がなくなった末期の患者向けと誤解されがちですが、緩和ケアをしっかりやることで患者のQOL(生活の質)も上がり、生存期間を延ばすことができる、つまり治療効果がある、というエビデンスが最近出てきて、アメリカの臨床腫瘍学会は声明まで出しています。

讃岐:私は1年半前に地域のホームドクターとして、東京の町田市に診療所を開業しました。それまでは、慈恵医大附属病院をはじめ大病院で勤務してきましたが、開業して思うのは、がん患者さんにとって重要なのは、専門的な話より生活のことまで相談に乗ってくれる医師が近くにいてくれることです。その意味では、身近に相談できるホームドクターがいれば、がん難民になる可能性は低くなってくると思います。

大久保:私は07年、42歳の時に睾丸がんを発症しました。しかし、幸い「がん難民」にはならず、標準治療を受け社会に戻ることができました。私個人の経験と、多くのがん患者さんから聞いた情報を交えて話をさせていただくと、がん難民が生まれる背景には二つあると思います。まず、患者にとって、医療が「非日常」だということ。そのため、知識も情報もない中で最善の選択をするには相当な壁があります。もう一つは、親戚や友人たちが「あの治療のほうがいいんじゃない?」などと、親切心からお節介を焼くことです。そうすると、自分の選択は正しいのかと迷いがちになります。

Yahoo!ニュース 2015年9月13日

質の高い在宅ケア実践目指す
訪問看護師の役割増大
教育研修会に多数の応募
 本格的な高齢化社会を迎え、訪問看護師(注1)が果たす役割に期待が高まっている。病いや老いなどにより、人が人生を終える時期に必要とされるケア(注2)。看護師がその重要な役割を果たすためには、要望に応えられるだけの知識や技術が不可欠であり、訪問看護の担い手を質量ともに充実することが求められている。

 そんな中で公益財団法人日本訪問看護財団(清水嘉与子理事長)は12(土)、13(日)の両日、東京都大田区西蒲田の東京工科大学で、質の高い在宅ケアの実践を目指し、看護師を対象にした教育研修会を開いた。多数の応募者の中から今回は82人が参加、医療・看護現場のベテラン講師による演習にしっかりと耳を傾け、自分たちの意見を積極的に出し合った。

図)研修会の全景(左)、受講者に呼び掛ける、あすか山訪問看護ステーション統括所長の平原優美さん(右)

 同財団によると、研修会への関心は高く、会場スペースの都合で約50人のキャンセル待ちを出すほど多数の受講希望が全国から寄せられた。参加できた82人も関東エリアを中心に、青森や佐賀、沖縄各県など遠隔地からの参加者も目立った。

 研修は、「エンド・オブ・ライフ・ケア」(注3)を理解し、さまざまな問題を調整する、訪問看護師の役割を学ぶとともに、多職種の人が連携して支援する「チームケア」の質を向上させるため具体的方策を考える―ことが狙い。

 「看護」「倫理的問題」「文化への配慮」「痛みや症状に対する調整」「コミュニケーション」「喪失・悲嘆・死別」「臨死期のケア」など、日本緩和医療学会の看護師教育プログラムに従い、少しアレンジも加えて、10の演習プログラムを組み、実践した。


図)講義画面から


 終末期の看護についての演習で講師を務めた、日本訪問看護財団あすか山訪問看護ステーション統括所長の平原優美さんは、日本財団の支援に感謝した上で「看護知識だけでなく、その人の人間性が表れるのが看護。自分の死生観、あるいは生きていることをどう考えるか、という哲学がどれくらいあるかでケアは違う。知識はもちろん身に付けていただくが、それよりもっと重要なことは、自分自身の死生観がどれだけ整理されているか、ということだ。『私って死ぬんですか』と言う人に、逃げないで、目が泳がないで、目をそらさないで、しかりその人の目を見ながら、『死についてそう考えておられるんですね』と聞ける、死についてきちんと語れる、そんな看護師にぜひなっていただきたい」と訴えた。

 どの演習も重い内容の連続。在宅看護、訪問看護、緩和ケア、がん看護などの専門講師が研修テキストに従って解説。講師が折に触れて巧みに織り込んでいく豊かな臨床話には、やはり受講者から目立った反応が起きていた。

 最後に平原さんは「この2日間でつくった自分の引き出しに、この後も自分の経験を入れ、足りない・経験がない、というところを一つ一つ知って、埋めていってほしい。やればやるほど自信がなくなり、また勉強をする繰り返しだとは思うが、これがワンステップということで、学習・哲学などいろんな幹を育てていってほしい」と呼び掛けた。

 2日間の全演習受講者には修了証を手渡した。

(注1) 訪問看護師

 乳幼児から高齢者まで家族も含めて、医師と連携して疾病や傷がいの悪化防止、病院などからの在宅移行支援、在宅療養支援、在宅看取りを行うのが訪問看護。訪問看護師は自宅を訪問して健康面や生活などで気になっていることを聞き、血圧や脈拍などを測定したり、体調を観察したりして、医療と生活の両面を合わせて判断する。疾病の悪化防止や生活障がいの予防、健康管理などを行う。医師の指示のもと体調によっては、点滴や注射、傷や床ずれの処置、胃ろうなどの栄養管理や吸引などの呼吸管理、服薬管理を含めた疼痛の世話、下剤の調整なども行う。医療的な世話は、かかりつけ医と相談したり、指示を受けたりして行う。介護予防や介護方法、在宅での必要な訪問介護などのサービスについて、相談・助言も行う。(日本訪問看護財団の資料から)

(注2)ケア

 看護師が行う療養上の世話。注意や用心。心遣いや配慮。家族や介護者の介護の支援。

(注3)エンド・オブ・ライフ・ケア

 病や老いなどにより、人が人生を終える時期に必要とされる、看護や介護、配慮や気遣い。1990年代から米国で使われるようになった、比較的新しい言葉。緩和ケア、ホスピスケアとほぼ同義。疾患を限定していないことが特徴。質の高いエンド・オブ・ライフ・ケアを提供するために、看護師には思いやり、能力、信頼、良心、専心の5要素が求められる。
(日本訪問看護財団の資料から)

livedoorニュース 2015年9月14日


緩和ケアのため医療連携 「イメージ変え情報提供」
 町田市民病院は12日、「緩和ケア交流・研修会」を開催した(緩和ケア病棟運営委員会主催)。地域のケアマネージャー、訪問看護師、医師ら60人以上が参加し、同院の緩和ケアの取り組みや施設の紹介のほか、互いにできることについてグループ討議が行われた。

 「緩和ケア」とは、病気の治癒を目的にするものではなく、がんと共に生きる患者とその家族の心と身体のつらさを和らげる基本的な医療。

 町田市民病院では、南病棟開設時の2008年から緩和ケアを開始。13年には施設基準も取得した。現在、病床数は18床。利用者数は13年度が136人、14年度は162人が利用し、年々増えている。

 入棟の対象は、がんによる痛み、倦怠感、呼吸困難など身体的な症状や不安、不眠など精神的な症状を和らげる必要があると診断された人のほか、手術、化学療法、放射線治療などの積極的な治療を望まない人、積極的な治療を一時的に休止し、症状緩和を優先する人など。

 緩和ケアは、辛い症状を緩和することにより、生きる勇気や希望が生まれ、自分らしい穏やかな生活を送ることを目的にしている。また在宅でケアをしている家族に対して、一時的にケアを代替しリフレッシュを図ってもらうレスパイトケアも実施している。

 同院では、がん化学療法看護認定看護師や緩和ケア認定看護師、がん看護専門看護師らで「がん看護支援チーム」を作り、がん患者、家族が、がんとともに生活していくことができるように直接ケアし、またがん患者を支えるスタッフの困難や負担感を軽減できるように活動している。

 緩和ケアは、最期を看取るだけでなく、在宅支援にも力を入れていて、今回の交流・研修会も在宅医療を支えるかかりつけ医やケアマネ、訪問看護師ら地域医療関係者と緩和ケア病棟を持つ病院がどのような連携をすれば、患者さんに対するよりよいケアができるかが話し合われた。

 意見交換の後には訪問看護師の一人は「主治医とダイレクトで報告し合えることがありがたい」と話し、また「緩和ケアに入るまでが一つのハードルになっている。治療の段階から、緩和ケアというスタイルもあることを周知して、事前に情報提供をしていければ」という意見もあった。ほかに「緩和ケアに入ると、最期という気持ちが自分たちにあったが、今回の機会でイメージが変わった」「いつも満床だったり、高額なお金がかかるというイメージがあったため積極的に周知してこなかった。今後は選択肢として呼び掛けていきたい」などの意見も聴かれた。

タウンニュース町田版 2015年9月17日

欧米に寝たきり老人はいない
 せめて、死ぬときぐらい安らかに逝きたい。

 だが、現代の日本では難しいらしい。老いて病を得て寝たきりになっても、そこから死にきるためには、じゅうぶんな時間と金と苦しみを必要とする。寝たきりで、オムツして、管から栄養補給する。痰の吸引は苦しいが、抵抗すると縛られる。何も分からず、しゃべれず、苦しまないと死ぬことすらままならない。

 タイトルの「欧米に寝たきり老人はいない」理由は、簡単だが単純ではない。というのも、「寝たきりになる前に(延命治療を拒否して)死ぬから」が答えであることは分かっていても、なぜ「延命治療を拒否する」ことが一般化しているか明らかでないから。本書によると、数十年前までは日本と同様に、終末期の高齢者に対し、濃厚医療が普通だったという。欧米では、これが倫理的でないという考えが広まり、終末期は「食べるだけ・飲めるだけ」が社会常識になった。金の切れ目が命の切れ目。高齢化社会に伴う医療費の増加が、配分の見直しを促したのだろうが、それを受け入れる背景は宗教観や人生観の違いだけではないらしい。

 著者は、まさにこの問題に直面している現役の医師で、ブログ「今こそ考えよう 高齢者の終末期医療」をベースとしたものが本書になる。単純な欧米礼讃・日本批判に閉じず、この問題を「問題」にさせないようにしている動機を明らかにする。すなわち、日本の医療システムが生み出す「延命医療主義」の裏にある、医療関係者と高齢者を抱える家族との、いわば共犯関係を炙り出す。寝たきり老人を量産することが、医者と家族の利益に叶っているからこそ、このような現状となっているというのだ。

 テレビや新聞で紹介される、「元気なお年寄り」はレアケースだという。統計上、95歳以上は8割、100歳を超えるとほぼ全員が認知症になり、身体も言うことをきかなくなる。頭も体も元気な老人は、普通の老人ではなく、超人、スーパー老人であり、オリンピック選手のようなものだという。努力してもそうなれるものでもなく、だからこそニュースバリューがあるのだろう。

 人は必ず死ぬ。当たり前だと分かっていても、いざ自分の親の死に直面すると、本人の意志に関係なく、家族は延命措置を強く希望するのが常だという。医師は家族の要望に沿うべく「できるだけ生かす」ことに尽力する。救命救急センターは高齢者で一杯となり、長期入院の受け入れ先を探すことになる。さらに急性期病院では在院日数が長くなると診療報酬が減るため、退院へのプレッシャーが強くなる。そして、受け入れ側では、手間の掛かる食事介護に充分な人手がないことから、胃ろう(腹部に“口”を造る手術)が条件となる。医療現場で「延命措置」について話されることはない。ぎりぎりの切羽詰った状況での、一種の流れ作業となっており、内心では疑問に思っていても、議論する余裕がないのが実情らしい。

 受け入れ側の医療機関では、濃厚医療を行わざるをえない理由がある。というのも、財源を握る国側が、医療費抑制のために2年ごとに診療報酬を下げてくるため、経営のために濃厚医療が必要となるのだ。ベッド数は簡単に増やせないから、診療報酬が高くなる中心静脈栄養や、人工呼吸器装着を行うことで、単位あたりの"利益"を増やす経営判断が働くわけである。また、十分な延命措置を怠ったとして、遺族から訴えられる恐れがつきまとう。たとえ延命を希望しないというリビング・ウィルがあっても、法制化されていない以上、訴訟リスクを避ける運営になるのは当然だろう。

 寝たきり老人を抱える家族側の事情もある。「命があるのに見捨てた」と後ろ指さされたくない思いや、親の年金を当てにして生活しているため長生きして欲しい動機もある。著者は問いかける。「生きているだけで嬉しい」という家族がいるが、本人のことは考えないのかと。寝たきりで、家族の顔も分からない。しゃべれず、食べれず、何年も入院をし、痰の吸引や気管チューブ交換のたびに体を震わせて苦しんでいる。家族の思いは尊重すべきだというが、本当にそうなのか? 家族はそれで満足かもしれないが、家族のために生かされている本人はどうなのか? 80代、90代の人が、最後の最後に来て、それでも「頑張って」生き永らえさせる。この、「むりやり生き永らえさせられた時間」は、一体誰のためのものなのかと。

 わたしは、この問いかけを、わたしの家族にさせたくない。強制的に生物として生かすのは、生きている側のエゴイズムなのか? とか、これはエセ人道主義なのか? などと自問してほしくない。

 本書では国民一人ひとりが考え、行動することが必要だと訴える。具体的には、「生命維持治療のための医師指示書(Physician Orders for Life−Sustaining Treatment/POLST)」を作成することを提案する。この医療指示書は頭文字を取ってポルストと呼び、終末期の治療方針が明確に記されている。

 ・心肺停止時の蘇生

 ・脈拍・呼吸があるときの積極的医療

 ・抗生剤投与

 ・人工栄養

 などを、事前に患者本人と医師が相談して決めておく。ポルストは、リビング・ウィルより強い効力を持ち、いざというとき、救急現場の医師がこれを見たら、治療方針に迷うことがないようにしておくのだ。

 実は、厚生労働省は2007年に「終末期医療の決定プロセスに関するガイドライン」を作成し、終末期医療について医師指示書を支援する制度が開始された。だが、「高齢者は早く死ねばよいのか」「自己決定の名の下に治療中止を迫られる恐れがある」などマスコミの猛反発を受け、制度開始から3ヶ月で凍結されたという。「いつまでも元気なお年寄り」というレアケースを拡散し、寝たきり老人を量産する現状には目をつぶっているように見える。

 この違和感は、わたし自身が自分の逝き方を考え、いざというときにどうして欲しいのかを書面にし、家族にも伝えておくことで解消しよう。直前までピンピンしてて、死ぬときはコロリと逝く「ピンピンコロリ」は願望にすぎぬ。そんな幻想を期待せず、今から腹を決めておこう。逝き方とは生き方でもあるのだから。

 この課題は、『医師の一分』(里見清一)にもつながる[レビュー]。がんの専門医として沢山の臨終に立ち会ってきた著者が、現代医療の偽善を批判する。自己決定という風潮を幸いに判断を丸投げする医師を嘲笑い、終末期の患者への濃厚医療は、本当に「救う」ことなのか? と疑問をつきつける。

 こちらの方はシンプルに、命の値段を教えてくれる。一人一年、一千百万円、これが命の値段だ。根拠はWHOによる。その考えでは、一人を一年延命する費用の判断基準として、一人あたりGDPの3倍が相当するという。主語が大きいほどヒステリックに傾くため、「わたし」を主語にしよう。そこまでお金をかけて苦しんで生きたいか、あるいは安らかに逝きたいか、二択にするのは単純だが、覚悟を決める準備にはなる。

 最後は、どうか幸せな記憶を。

わたしが知らないスゴ本は、きっとあなたが読んでいる 2015年9月21日

臨床腫瘍医と緩和ケア医,お互いの理解不足が浮き彫りに
 北里大学新世紀医療開発センター臨床腫瘍学教授の佐々木治一郎氏は,第13回日本臨床腫瘍学会(JSMO)学術集会(7月16〜18日,会長=北海道大学大学院腫瘍内科学分野教授・秋田弘俊氏)のJSMO/日本緩和医療学会(JSPM)合同シンポジウム「緩和医療ガイドラインの臨床腫瘍医への浸透」で臨床腫瘍医に対する緩和医療ガイドライン(GL)に関するアンケートの結果を発表し,「臨床腫瘍医と緩和ケア医はお互いの領域に対する理解が足りないことが分かった。双方が同じ志を持つ者として連携していくことが重要だ」と述べた。

がん薬物療法専門医には緩和医療学の習得が必要

 JSMOの"がん薬物療法専門医"として求められる項目の1番目には「臨床腫瘍学を中心に,がんの基礎医学,臨床薬理学,緩和医療学を習得する」と明記されている。また,患者の病態や社会背景にも配慮すること,チームのなかでリーダーシップを発揮することなども求められている。佐々木氏は「緩和医療とがん薬物療法専門医は切っても切れない関係にあると認識している」と述べた。

 全米総合がんネットワーク(NCCN)のGLでは,緩和医療の流れは,スクリーニング(選別),アセスメント(評価),インターベンション(介入),リアセスメント(再評価)となっている。このうちインターベンションまでは腫瘍専門医が関わるべき範囲と明記されており,一般診療の中に緩和ケアを組み込んで診療すべきとされている。

 インターベンションの部分に含まれる症状マネジメントや終末期鎮静などにはいくつかのGLが存在し,そのGLを参考にしながら診療すべきだといわれており,日本ではJSPMによりこの領域のGLが作成されている。

緩和GLは治療GLより認知度が低い可能性も

 そこで,佐々木氏らは@日本の臨床腫瘍医が緩和医療(支持療法・緩和ケア)のGLをどの程度把握しているかを明らかにするA早期の緩和ケアに対する臨床腫瘍医の意見を収集する ことを目的に,WEBアンケートを行った。対象は2003年3月1日現在のJSMOがん薬物療法専門医954人で,回収率は31.1%(300人)であった。回答者の診療領域は,消化器(32%),呼吸器(31%),血液(21.5%)が多く,年齢は40〜49歳が46%で最も多く,40歳未満が33%,50歳以上が21%であった。

「米国臨床腫瘍学会(ASCO)による化学療法誘発性末梢神経障害対策のGLを知っているかどうか」に対しては,「知っている」と答えた者が21.5%,「少し知っている」が47.5%,「ほとんど知らない」が31%で,知っている者より知らない者の方が多いことが分かる。

 JSPMのGLについては,がん疼痛の薬物療法に関するGLは,「知っている」55%,「少し知っている」32%と,かなり認知されていた。がん患者の呼吸器症状の緩和に関するGLは,「知っている」44.5%,「少し知っている」37.5%で,薬物療法のGLより知らない者が多いという結果であった。がん患者の消化器症状の緩和に関するGLは,「知っている」39%,「少し知っている」41%と,知らない人がさらに多かった。

 同氏は比較のため,米国の臨床腫瘍医が非小細胞肺がんに対する化学療法をGLに準じて行っているかどうかを調べた研究を紹介。GLに準じた治療を行っている医師は,術後で61.3%,ファーストラインで75.0%であった(Am J Manag Care 2013; 19: 185-192)。同氏は「緩和に関するGLは少し認知度が低い可能性がある」と述べた。

腫瘍医,緩和ケア医の連携が重要

 早期緩和ケアに対する意見としては,132件の自由記載があったという。緩和ケアチーム側の疑問点・問題点としては,「緩和ケア外来がない,リソースが少ない」という物理的な問題や「緩和ケア医が腫瘍学領域を理解していない」などが挙げられた。同様に,がん治療チーム側の疑問点・問題点では「緩和ケアに関する意識が低い,緩和医療学を理解していない」が挙げられており,お互いがお互いの領域を理解していない現状が浮き彫りになった。また,がん治療チーム側では「外来において緩和ケアまで行う時間がない」との意見が非常に多かった。

 さらに,患者・家族の問題点としては「患者や家族の緩和ケアへの拒否」が挙げられ,患者や家族が緩和ケアを終末期のイメージとして捉えていることも明らかになった。社会・医療システムの問題点としては「緩和ケアの社会的認知度が低く、誤解されている」「患者のニーズの拾い上げにシステム化が必要」などが指摘された。

 中には「特に問題なし」「症状緩和や心理的サポートによりがん治療がスムーズになる」などの意見もあり,緩和ケアを前向きに捉えているがん薬物療法専門医も見られた。佐々木氏は「臨床腫瘍医,緩和ケア医,両チームの医師が同じ志を持つ者として連携していくというのが一番重要ではないかと感じた」と結んだ。

MedicalTribune 2015年9月25日

終末期のがん治療は変わるか!?京大が生存率を80―90%の精度で予測する手法開発
最適な治療を提供。客観的な判断基準としての活用目指す
 京都大学大学院医学研究科の奥野恭史特定教授らの研究グループは、がん患者の病気の進行具合や生存率を80―90%の精度で予測できる手法を開発した。患者の血液から得られる3種類の検査値を組み合わせて算出し、98年から京大病院が記録している5000人以上のがん患者の検査値で予測モデルを構築した。終末期の患者に最適な治療を提供する客観的な判断基準として活用が期待される。

 生存期間1カ月を90%以上、同3カ月を80%以上の精度で予測できるという。データとして電子カルテに入力すればより客観的な判断ができるようになる。従来の予測モデルでは2カ月以上先の生存予測は難しく、精度は最高でも70%にも満たなかった。担当の医師の主観的な判断に左右されるなどの課題が指摘されていた。

 終末期の患者には、病気の進行具合や治療の効果、生存できる確率などの医学的な見通しである「予後」の通知が必要となる。最適なタイミングでの緩和医療への移行や、医薬の治験を実施する際のリスク回避に、今回の予測モデルを役立てられるという。また、不適切な治療の継続で生じる医療費の無駄を削減するための判断基準としての活用も見込める。

 京大病院の武藤学教授は「医師の先入観を排除し、普遍的な判断ができるようになる」と話す。今後は他の医療機関の患者から得た検査値を当てはめ、予測精度の安定性と有効性を実証する必要があるとしている。

日刊工業新聞 2015年10月1日

末期がん宣告から13年。命をつないだレシピとは?
『奇跡のシェフ』出版プロジェクト始動
 『奇跡のシェフ』という本を出版するためのプロジェクトが話題だ。著者は、2002年に末期がんの宣告を受けた前橋市の料理人・神尾哲男氏。神尾氏は「料理人ならではの方法でがんに向き合おう」と、自分の体を使って調理法を試行錯誤し、末期がん線宣告から13年経った今も元気に自転車で前橋の街を走りまわっている。

 そんな神尾氏が、末期がん宣告を受けてから実践している調理法を中心に執筆する『奇跡のシェフ』出版実現のため、現在、クラウドファンディングサイトで資金援助を呼びかけている。

末期がん宣告から13年

 2002年に末期がん宣告を受けた神尾氏。がんを抱えながらも、2007年には前橋市に「レストランポコ」を開業、体に優しい料理は評判を呼び、多くの人がファンになった。現在は店を閉め、健康に生き続けるための料理を提唱、後進の指導をしている。

 元気に自転車に乗って走りまわり、脚の付け根で大きくなった腫瘍を人に触らせては「すごいだろ」と笑っている。面白くてフレンドリーで、いつも紳士な神尾氏は、前橋の街を歩けばすぐに声をかけられる人気者だ。

「おいしくやさしく、健康に長生きするためのレシピ」を

 『奇跡のシェフ』は、そんな神尾氏が末期がんになってから実践している調理法「おいしくやさしく、健康に長生きするためのレシピ」を中心とした本だ。

 末期がん宣告を受けた神尾氏は、手術、投薬・放射線治療といった治療を続けた。しかし、抗がん剤を勧められた時に、ふと「他の道はないのだろうか?」と疑問を持ったのだという。そして、料理人らしく「食」を通してがんと向き合おうと考え、たどり着いた先は「体に優しくシンプルな料理」だった。

 本書の中では、塩、砂糖、しょう油、みそなどの調味料や油選びにも重点を置き、ドレッシングなどのソースレシピまでも公開する。

 神尾氏は、これまでも料理教室などで少数に向けてレシピを公開したことはあったが、本を書くことは初の試み。13年という長い間、末期がんと向き合ったからこそ分かったこと、そこから生まれたレシピを「より多くの人に役立ててほしい」と出版を目指す。

 今回集まった資金は、出版費用などのプロジェクト費用として使われる。なお、支援者には、著者サイン入り『奇跡のシェフ』や、巻末への名前の掲載、神尾氏チョイスの調味料など、さまざまな形でのリターンを予定している。

T-SITE 2015年10月2日

“在宅死”が増えても医療費削減にはならない
自宅での安らかな最期を
 現在、ほとんどの人が、病院で人生の最期を迎えています。その背景には、家族に迷惑がかかるという遠慮があり、自宅での医療サポート体制が不十分だという問題もあります。在宅死の場合、「変死」と判断されることもあり、安心して自宅で最期を迎えるには、まだまだ課題があります。

8割の人が本当は自宅で最期を迎えたい

 「畳の上で死ねたら本望」という言葉があります。安らかに自宅で死を迎えたいという意味でしょうが、実際にはどれくらいの人が自宅で最期を迎えているのでしょうか?

 厚生労働省の人口動態統計で、国民の死亡場所を調べてみました。昭和26(1951)年には、自宅で亡くなる人の割合が82.5%、病院や診療所で亡くなる人は11.7%でした。時代とともにこの割合は徐々に逆転し、平成15(2003)年には81.6%が病院や診療所で亡くなり、自宅で最期を迎える人はなんと13.0%にまで減少したのです。

 時代の流れの中で日本の社会や文化、価値観は変わってきましたが、現在の日本では、自宅で最期を迎えたいと思う人は少ないのでしょうか?

 病気や老衰などで近い将来に死期が迫ってきた時期のことを「終末期」と言います。この時期は、残された人生を有意義に、そしで生命、人生の質を高めた状態で過ごすことが重要なのです。

 さて、終末期医療に関する調査検討会の報告書に、興味深いデータが記されています。その報告書によれば、「死期が迫っている場合、どこで最期まで療養を送りたいですか?」という質問に対して、約6割の人が「できるだけ自宅で療養したい」と答えているのです。さらに、自宅で最期を迎えたいと考える人は8割弱に達しています。

 しかし、同調査で「最期までの自宅療養が、現実的に困難であると考える理由は何か」という質問に対しては、約7割の人が「介護してくれる家族に負担がかかる」ことを挙げています。

 このように、多くの人は自宅で最期を迎えたいのですが、家族に遠慮しているのが現状です。自宅で最期を迎える人が、わずか13.0%しかいない背景には、家族に気を使って自分の本心を明かさないこともあるかもしれません。さらに、安心して在宅療養を選択できないようなシステムが弊害となっているのではないでしょうか。

終末期の医療費は年間で約290万円

 高齢化により増大する医療費をどう抑制するかが、大きな社会問題となっています。終末期における医療費も、その抑制の対象として検討されています。

 北陸地方のある県で、65歳以上の約66万人のデータを用いて、死亡1年前からの医療費を調査した報告があります。それによると、1人当たり1年間で約290万円の医療費がかかっており、月別の金額は死亡半年前から顕著に増加し、死亡1カ月前に最大になるそうです。

 厚生労働省は、死亡前の1年間にかかる医療費を減らすためにどうすればいいかを考えてきました。そこで注目されたのが、次に紹介するデータです。

 死亡前1年間にかかる1人当たりの医療費・介護費を死亡場所別に調べたところ、自宅で死亡する場合は病院や施設で死亡する場合の約3分のlの費用しかかからないというのです。病院や診療所で死亡する人が減り、在宅死の割合が増加すれば、医療費の削減につながることから、国は自宅で最期を迎える「在宅死」をすすめています。

在宅死のためには包括的な地域医療計画が必要

 しかし、果たしてそうでしょうか。在宅死の全国平均は13.0%ですが、和歌山県の16.8%から北海道の8.8%まで、都道府県別に大きな差があります。そのため都道府県別に医療費と在宅死の割合を調べたところ、在宅死が増加しても必ずしも医療費は削減されないことがわかっています。

 高齢者の終末期では、本人の人生観や価値観を優先した治療やケアが行われなくてはなりません。しかし、これには家族の理解が伴わなければなりません。もし、自宅で患者の容態が変化したら、家族は不安になります。日頃から気軽に相談できる医療スタッフや、24時間診察してくれるような在宅医療のバックアップが必要です。

 このような体制が日本全国で整っているのでしょうか。現状は決して十分ではありません。在宅医療は主治医1人が行えるものではありません。24時間対応もあり、多科にわたる医学的問題が発生します。複数の医師や看護・介護スタッフによって患者が支えられ、地域の病院がそれをサポートする体制が必要なのです。

自宅で最期を迎えるためのさまざまな課題

 自宅で最期を迎える背景には、多くの社会的問題が付随しています。

 たとえば、終末期に、ある人が自宅で息を引き取ったとしましょう。担当していた医師は、診断されていた病気で、予期された結末を迎えたことを承知して、死亡の確認と死亡診断書の発行をする必要があります。

 しかし、その時に、主治医の都合がつかず、救急車で病院へ運ばれたとしたらどうなるのでしょうか。初めて診察する患者が死亡して搬送されてきたわけですから、担当の医師は変死(異常死)として所轄警察署に届け出ることも予想されます。

 また昨今では、介護を苦に身内を殺害するという事件が散見されます。この場合は、家族が事件を隠匿して病死を装うことがあります。当然、死亡確認の際に、医師は不可解さに気づくべきでしょうし、通報を受けた場合は、警察官は決して見逃してはなりません。

 このように、終末期の人が自宅で最期を迎えることでも、背景には変死の取扱いにまつわる諸問題が関係しているのです。

 安心して、誰にも気を使うことなく、自宅で最期を迎えられることは重要です。しかし、誤解してはならないことは、病院での医療か、在宅での医療かのどちらか一方を選ぶという問題ではないのです。多くの人が安心して畳の上で最期を迎えられるためには、まだまだ多くの問題が解決されなければなりません。

一杉正仁(ひとすぎ・まさひと)

滋賀医科大学社会医学講座(法医学)教授。厚生労働省死体解剖資格認定医、日本法医学会法医認定医、専門は外因死の予防医学、交通外傷分析、血栓症突然死の病態解析。東京慈恵会医科大学卒業後、内科医として研修。東京慈恵会医科大学大学院医学研究科博士課程(社会医学系法医学)を修了。獨協医科大学法医学講座准教授などを経て現職。1999〜2014年、警視庁嘱託警察医、栃木県警察本部嘱託警察医として、数多くの司法解剖や死因究明に携わる。日本交通科学学会(理事)、日本法医学会、日本犯罪学会(ともに評議員)など。


ヘルスプレス 2015年10月5日

医師への「ある質問」ががん患者の終末期の判定に有用?
ASCO関連シンポで発表
 一昔前と違い,がんの告知は一般の人にとっても当たり前の時代。しかし,末期を迎えつつある患者と終末期の診療方針を検討したり,話し合ったりすることは,医療関係者にとって未だ容易ではない。

 一方,「すべての病期において正確な診断を行い,患者に必要なケアや診療方針を検討することも医療者の重要な役割」との考えを示すのは米・Dana-Farber Cancer InstituteのJudith B. Vick氏ら。医療者への「ある質問」による,がん患者の終末期の予測能を検討,米国臨床腫瘍学会(ASCO)の関連シンポジウムPalliative Care in Oncology Symposium(10月9〜10日,米ボストン)で中間成績を報告する。

「あなたの患者が来年までに亡くなったら驚きますか」

 Vick氏らが検討したのは"Surprise Question"と呼ばれる指標。医師や医療関係者に対し,「自分の担当患者が来年までに亡くなったら驚きますか(Would you be surprised if this patient died within the next year?)」と尋ね,「はい(驚きます)」または「いいえ(驚きません)」で答える。

 この判定法は2000年ごろから,高次治療によるベネフィットが弱まる,終末期の患者を診療するプライマリケアの分野で開発。欧米の終末期ケアの領域を中心に研究が進められている。その背景には,重篤な疾患に罹患した患者の余命がより長く考えられがちで,そのために積極的な治療によるベネフィットが打ち消され,かえって患者に害をもたらすなどの問題が指摘されてきたことにあるようだ。これまでに治療成績が不良ながんの他,透析患者などを対象とした先行研究が存在する(JAMA1998; 279: 1709-1714,Clin Am Soc Nephrol2008; 3: 1379-1384)。

 ただし「現時点で広く受け入れられている終末期の判定方法は存在しない」と同氏ら。今回"Surprise Question"に着目し,検討を行った。2012〜14年にかけて自施設の腫瘍内科医,ナースプラクティショナー,フィジシャンアシスタントらが参加。"Surprise Question"への回答結果による,1年後の患者の生存率を比較した。

医師が「驚かない」と答えた群の生存率は62%

 ASCOが10月5日に公表した学会発表前のリリースによると,76人の医療関係者,包括的な患者中心の重篤疾患ケアプログラムに参加した約5,000例の担当患者が解析の対象となった。回答は,現時点で最善の臨床的判断に基づき行われた。

 「はい(患者が1年以内に亡くなったら驚く)」がおおむね85%,「いいえ(驚かない)」が15%であった。1年後の患者生存率は「はい」と答えた群では95%,「いいえ」群では62%。1年以内に死亡した患者のグループにおける"Surprise Question"で「はい(驚く)」と回答されていた割合は40%だった。

 同氏らは「"Surprise Question"による1年後の死亡の予測能は,医師らが広く用いているがん種や病期,患者年齢や診断からの期間といった因子よりも高そうだ」と結論。引き続き予測に反していた症例に見られる特徴など,同検討の詳しい解析を続けていく他,より精度の高い方法の開発が必要とも述べている。

MedicalTribune 2015年10月7日

総合的保健政策に緩和ケアの統合を
リエン財団が死の質改善で呼びかけ
 世界や地域の緩和ケア組織は、2015年Quality of Death(死の質、QOD)指数から判明した事実に応えて2015年10月10日の世界ホスピス緩和ケアデーに先立ち、各国政府に対して世界保健総会(WHA)の緩和ケアに関する決議(注1)に基づき行動するよう呼びかけた。

 この研究によって、いくつかの低所得国は革新とイニシアチブで傾向を覆し、先進国より良い結果を出していることが分かった。

 リエン財団は世界中の政府と政策決定者に対して、Economist Intelligence Unitが発表した2015QOD指数の以下の主要所見として緊急行動の必要性が強調されている緩和ケアおよび地域、国の緩和ケア組織に関する規定の改善を急ぐよう要請している。

*国の緩和ケア政策と戦略は、緩和ケアへのアクセス拡大にとって不可欠である。上位に入った多くの国は、ヘルスケア制度に緩和ケアを組み込む包括的な枠組みを持っている。一例はチリ(27位)で、緩和ケアをヘルスケアサービスに組み込み、オピオイドへのアクセスに関する政策を持つ(注2)。

*緩和ケアは投資を必要とするが、ヘルスケアのコストを節約する。最近の研究によると、早期の緩和ケア導入によってヘルスケアのコストを削減できることが分かった。この事実は上位の多くの国でよく認識されている。

*所得レベルは緩和ケアの利用可能性と質の強力な指標ではあるが、所得の少ない国でも緩和ケアの水準を迅速に改善することができる。モンゴル(28位)、パナマ(31位)、ウガンダ(35位)は革新と個人主導のイニシアチブを通じて緩和ケアを前進させた。

*緩和ケアへの需要は、いくつかの需要急増に備えていない国で急速に拡大する。ハンガリー(41位)、ギリシャ(56位)、中国(71位)は提供が限られているが、緩和ケアへの需要が急速に増えている。国民の必要性に合うよう積極的な投資が必要になる。

*死に関して認識を高め、対話を奨励するには、コミュニティーの参加が不可欠である。台湾(6位)は緩和ケアへの認識を高めるため、主要メディアとソーシャルメディアを使い成功している。

 世界の緩和ケア賛同者は上記の所見に注目し、2014年世界保健総会(WHA)で採択された緩和ケアに関する決議に基づいて政策担当者が積極的な措置を採るよう呼びかけた。この決議は緩和ケアが生活の質、福祉、快適さと人間の尊厳にとって基本的なものであると認めている。決議は加盟国に対して以下のように行動するよう求めている。

*緩和ケアをすべての国家的保健政策と予算に含める

*緩和ケアをヘルスケア制度に組み込む

*すべての保健従事者に対する基本的で継続的な教育、訓練に確実に緩和ケアを組み込むようにする

*強力な鎮痛剤を含むすべての重要な緩和ケア医薬品をすべての患者に適正に供給できるようにする

 すべての加盟国は、来る2016年のWHAに事務局長が最新報告を提出する前に、決議履行の進捗を報告しなければならない(注3)。

 シンガポールの慈善団体であるリエン財団が委嘱した2015年QOD指数は、2010年の第1回発表(注4)から世界80か国の緩和ケア・ランキングに拡大、改訂している。最新の研究成果は世界120か国以上の専門家に相談している。リエン財団のリー・ポー・ワー最高経営責任者(CEO)は「緩和ケアは、苦しみから解放する義務によって導かれるヘルスケア制度の基本的な主柱であるべきだ。深く掘り進んでわれわれのヘルスケア制度、組織、文化的慣行に潜んでいる障害を取り除き、死に対するケアを改善するよう政府により大きな責任を求めるのはわれわれの義務である」と語った。

 最新のQODランキングは、いくつかの国で政策的介入と公共の参加が前向きの成果を出しているが、世界的に緩和ケアを普及させるためにはさらになすべきことが残っている。緩和ケアを必要とする人の10%以下しか実際にケアを受けていないと推測されている(注5)。さらに多くの国で老齢者の人口増とがんがまん延している。同指数はまた、上位にランクされた国も「すべての市民に適切な緩和ケアを提供するために苦労している」ことを示している(注6)。

*緩和ケアをヘルスケア制度に組み込むことが基本である

 世界ホスピス・緩和ケア連盟シニアフェローのスティーブン・コナー博士は「最大の問題は、ヘルスケア制度が慢性疾患ケアを必要とするときに急性疾患ケアを提供するように設計されていることである。世界のほとんどあらゆる場所でいまもそうだ」と語った。各国が緩和ケアをヘルスケア制度に組み込むための国家政策を実行すれば、この状況は変わり始めるだろう。例えば、米国(9位)はメディケアでホスピス・ケアに政府資金による償還を通じて緩和ケアに高レベルの支出をしている(注7)。また、この国には終末の決定を導くケア・プラニング法がある。モンゴルや南アフリカのようなそれほど裕福でない国は、緩和ケアの組み込みから利益を得ている。モンゴルは賞賛に値する28位にランクされており、保健・社会保障法制、国家的がん管理計画の一環として緩和ケアを組み込むことに成功している。南アフリカ(34位)にはホスピス運動のおかげで高度の緩和ケア統合モデルがある。

*保健医療従事者に緩和ケアの知識、訓練を広げる

 保健医療従事者は、緩和ケアを人生のコースの包括的なケアの一環とするために、その知識と訓練を与えられる必要がある。欧州緩和ケア協会のシェーラ・ペーン会長(2011-2015)は「この変化には長い時間がかかるかもしれない。しかし、基本教育の中に緩和ケアがあれば、苦痛管理や患者、家族とのコミュニケーションの方法を理解せず、あるいは、心理的、社会的、霊的ケアが緩和ケアの一部であって選択的な特別サービスではないということを知らない人はいなくなるだろう」と語った。

 アジア・太平洋では、緩和ケアの需要が中国(71位)インド(67位)フィリピン(78位)などの諸国で急増する。アジア・太平洋ホスピス・緩和ケア・ネットワークのシンシア・ゴー会長は「アジアの人口は中国、インドという巨大国を含め、世界人口の半分をわずかながら超えている。これらの国では緩和ケアの供給と需要のギャップはすでに膨大である。さらに中国の人口は高齢化しつつあり、両国ともがん、心臓病、糖尿病などの非感染性疾患の増加という大問題に直面している」と論評した。

*緩和ケア医薬品の適切な供給を確保する必要

 しかし、オピオイド鎮痛薬への十分なアクセスがないと、緩和ケアの質はほとんど改善できない。アフリカ緩和ケア協会のエマヌエル・ルイリカ常務理事は「アフリカの多くの緩和ケア患者にとって痛みは苦しみの大きな根源であり、その管理は質の高い緩和ケアのカギである。強力な緩和ケア医薬品、特にオピオイド鎮痛薬の入手可能性とアクセスの不足が依然としてこのケアへの大きな障害になっている。すべてのものへのアクセス確保のあらゆる努力がされなければならない」と語った。

 EIUは調査した80カ国のうちオピオイド鎮痛薬に自由にアクセス可能、入手可能な国は33カ国にすぎないと報告している。緩和ケア医薬品入手への障害は官僚主義、法的規制、訓練と理解の欠如、それに社会的汚名である。一握りの先進国が世界のオピオイド鎮痛薬消費の90%以上を占め、80%の国はこのような医薬品に対するアクセスが少ないか極めて制限されている(注8)。

*緩和ケアへの投資は引き合う

 緩和ケアに対して予算を振り向け、より多くのリソースを開放するよう各国政府に呼びかけて、ダナ・ファーバーがん研究所心理社会腫瘍・緩和ケア学科長で、米ブリガム・アンド・ウィミンズ病院緩和ケア部長のジェームス・タルスキ博士は「緩和ケアはよいことをすることによってうまくいく希少な機会の1つである。コストを軽減しながら生活の質とさらには量まで改善できることを証拠は示している」と語った。緩和ケアにはかなりの投資が必要だが、ヘルスケア・コストの節約につながる(注9)。例えば最近の研究で、緩和ケアが進行したがんの患者に診断の2日以内に導入された場合、最大24%のコスト削減につながることがわかった。QOD研究は「厳密に治癒を目指す医療行為からより全体的な苦痛と症状の管理への変更は、ヘルスケア制度の負担を減らし、コストは高いが役に立たない治療の利用を制限できる」と指摘している。

 コナー博士は結論として「緩和ケア強化に関する2014年WHA決議は世界の緩和ケアにとって、おそらくわれわれの運動開始以来最も重要な進展である。各国と世界保健機関(WHO)にとって、特に満たされない需要が最も大きい低、中所得国で、緩和ケア構築の前進に拍車をかける重要な機会である」と述べた。

 エコノミスト・インテリジェント・ユニットによる2015年QOD指数は緩和と健康管理環境、人的リソース、手ごろな価格でのケアの利用可能性、ケアの質、コミュニティー関与のレベルの5カテゴリーで20の量的、質的指標を使って80カ国をカバーしている。


▽リエン財団(www.lienfoundation.org )について

 リエン財団はシンガポールの慈善団体で、急進的な慈善モデルで知られている。革新的なソリューションに投資し、戦略的な提携関係を開始し、社会、環境問題に関する行動の触媒となる。財団は典型的な早期幼児教育、高齢者ケアの優秀性、水と下水施設の効果的な環境持続可能性の促進を求めている。高齢者ケアの分野では、財団は2010年の初の世界的なQOD指数、死のケアのイノベーションに関する死の設計コンペティションへの関与などのイニシアチブを通じて終末ケアに集中している。また、アジア・太平洋ホスピス・緩和ケア・ネットワークと提携した「Lien Collaborative For Palliative Care」(http://aphn.org/lien-collaborative-for-palliative-care/ )を通じて、途上国での緩和ケアの指導力と能力を強化している。


(注1)世界保健機関(WHO)の意思決定機関で、加盟国の代表で構成される世界保健総会(WHA)がこの決議を採択した。

(注2)ブレンダ・カメロンとアンナ・サントス・サラス執筆の「Understanding the Provision of Palliative Care in the Context of Primary Health Care: Qualitative research
findings from a pilot study in a community setting in Chile」、Journal of
Palliative Care, vol. 25 no. 4, 275-283, 2009.、vol. 25 no. 4, 275-283、2009。http://uofa.ualberta.ca/nursing/-/media/nursing/about/docs/cameronsantossalas.pdf 入手可能。

(注3)http://apps.who.int/gb/ebwha/pdf_files/WHA67/A67_R19-en.pdf

(注4)初めてのQOD指数は世界に緩和ケアの提供について政策論争を巻き起こした。2015年の指数は緩和と健康管理環境、人的リソース、手ごろな価格でのケアの利用可能性、ケアの質、コミュニティー関与のレベルの5カテゴリーの20の指標に拡大されている。

(注5) Global Atlas of Palliative Care at the End of Life, Worldwide Hospice Palliative Care Alliance and World Health Organization, January 2014 http://www.who.int/nmh/Global_Atlas_of_Palliative_Care.pdf で入手可能。

(注6) 2015 Quality of Death index, The Economist Intelligence Unit

(注7)メディケアは65歳以上のすべての個人に医療保険を提供する米連邦政府の制度。

(注8)Global Atlas of Palliative Care at the End of Life, Worldwide Hospice Palliative Care Alliance and World Health Organization, January 2014
http://www.who.int/nmh/Global_Atlas_of_Palliative_Care.pdf で入手可能。

(注9)Peter May et al, Prospective Cohort Study of Hospital Palliative Care Teams for Inpatients With Advanced Cancer: Earlier Consultation Is Associated With Larger Cost-Saving Effect, Journal of Clinical Oncology, June 2015.


共同通信 2015年10月8日


40兆円超えた医療費 終末期医療の効果的な実施を
立ちはだかる尊厳死問題
元内閣参事官・嘉悦大教授 高橋洋一氏

 厚生労働省によれば、2013年度の医療費が前年度から8500億円増の40兆610億円になったという。

 年齢別で見ると65歳以上の医療費が23兆円を超え、全体の6割程度を占めている。医療費上昇の原因について、厚労省は高齢者の増加などと分析しているが、抑制は可能だろうか。

 感情一切なしの技術的な議論であれば、抑制は可能である。例えば、医療のコストパフォーマンスを医療費対延命効果で測り、一定以下の医療をやらないとすればいい。

 かつて筆者が経済財政諮問会議特命室で討議資料を作成していたとき、ある大学病院の協力を得て、分野別医療費のコストパフォーマンスを測定したところ、「良い分野」と「悪い分野」に二極分化しており、関係者が驚いたことがある。悪い分野は、終末期医療に多いが、わかっているけどやめられないというモノが多い。

 例えば、人工栄養摂取が例としてよくあげられる。これには、経鼻栄養(鼻から管をいれて、胃に栄養剤を流し込む)もしくは胃ろう(腹部に胃につながる穴をあけて栄養剤を流し込む)がある。

 『欧米に寝たきり老人はいない』という本が出版され、よく売れたが、たしかに人工栄養摂取の措置が施された寝たきり老人は、あまり欧米では見かけない。「いない」というのはやや言い過ぎにしても、国際長寿センターの国際比較調査でも日本はフランス、英国などと比較して多いのは事実だ。

 この分野は、終末期における尊厳死に対する見方と密接に関係している。フランスでは、終末期患者への人工栄養を推奨していないレオネッティ法(2005年)という法律もあるぐらいだ。ただ、イスラエルでは終末期患者法が定められているが、宗教的な理由で、人工栄養補給された寝たきり老人は多い。

 終末期医療に関する法的整備をしている国は少なくない。オランダ、ベルギー、米州法、オーストラリア州法などである。英国、スイス、ドイツではガイドラインで対応している。

 死を病院で迎える比率も日本は欧米に比べて圧倒的に高い。ということは、死の直前まで病院で医療を受けていることを意味しており、それは結果として終末期医療の支出を高めている。欧米では、病院ではなく老人健康施設での死亡が多いので、結果として医療費の圧迫にはなっていない。

 医療費の問題は、結局、終末期医療をどうするかに帰着する部分が大きい。これをなんとかするためには、尊厳死問題を避けて通れない。

 しかし、日本では裁判の判例以外に延命中止・差し控えに関する法的規定がない。このため、医療現場では大きな混乱に直面し、終末期医療を効果的に実施できない状況になっているのが現実だ。この分野は、各国ともに歴史的・文化的な背景があり微妙な問題だが、待ったなしの状況になっている。

ZAKZAK 2015年10月15日

緩和ケアは患者に寄り添う医療そのもの
抗がん薬などの治療との併存も可能
 がん患者は緩和医療に対して,治療選択肢がなくなった後の「絶望の医療」とのイメージを持っている。虎の門病院臨床腫瘍科部長の高野利実氏は,第13回日本臨床腫瘍学会(JSMO)学術集会(7月16〜18日,会長=北海道大学大学院腫瘍内科学分野教授・秋田弘俊氏)のシンポジウム「医師が考える『抗がん薬』の止め時と患者サポート」で「抗がん薬中止や緩和ケア移行などという特別なポイントはないし,そこを重大視する必要もない。緩和ケアは常に患者に寄り添う医療そのもの。緩和ケアに対して新しいイメージを持ってもらうことが重要だ」と述べた。

「がんとうまく長く付き合う」

 新しい抗がん薬の登場により,進行がんの治療選択肢は増えている。高野氏は「世の中の認識では,治療選択肢が増えることは朗報と捉えられるが,本当にそうなのだろうか」と疑問を投げかけた。患者はがんに対して過剰なイメージを持っており,「希望」をつなぐためには,どんなにつらくても抗がん薬治療にすがるしかなく,それを諦めたら「緩和ケア」という絶望がやってくると考えているという。

 進行がんは抗がん薬では治りにくいが,治ることに期待している患者は多い。遠隔転移があり抗がん薬治療を受けた進行肺がん・進行大腸がん患者1,193人を対象としたアンケートでは「抗がん薬で根治が得られると思いますか」との質問に対し,「きっとそのはず」「たぶん」「もしかしたら」と回答した人が多く,「ありえない」と答えた(治らないと理解していた)人は肺がんで31%,大腸がんでは19%のみであった(N Engl J Med 2012; 367: 1616-1625)。患者は治ると思っている。しかも,治ると誤解している患者の方が医師とのコミュニケーションには満足していたという。

 同氏によると,まずあるべきは治療目標を持ち,患者と医療者で共有することだという。治療目標に近づけるならその治療をすればよいし,治療目標に逆行するなら,治療しない方がよい。治療は病気への向き合い方の一部であり,病気は人生の一部にすぎないのであって,治療目標も,人生の目標の中で考えるべきものである。

「使える薬がなくなったら絶望」という単純な発想が,がん難民を生んでおり,「治療がないのでホスピスへ行きなさい」というのも,「まだ治療法があるから諦めなくていい」というのも,その発想から抜け出ていない。どちらも希望と絶望の構図は同じで,後者はただ,「絶望の壁」を先延ばしにしているにすぎない。

 同氏は「抗がん薬のない時代にはがん難民はいなかった」とし,「がん難民が本当に求めているのは希望,安心,幸福で,医療がそれを提供できていないことが最大の問題。治療選択肢を増やせばすべてが解決するかのように問題を単純化する風潮があるが,本質を見誤っている限り,選択肢がいくら増えても問題は解決しない」と述べた。

絶望の医療ではなく希望の医療

 がん治療医は「もう使える抗がん薬はないので,緩和ケアへ」「まだ使える薬はあるので希望がある」と考え,緩和ケア医は「抗がん薬をやっているなら緩和ケアはできない」と考える。患者は抗がん薬が希望の全てで,緩和ケアは諦めた後に行う絶望の医療だと思っている。全て,「絶望の壁」という誤ったイメージに基づいている。

 緩和ケアは,いつでもそこにある「希望の医療」である。高野氏は「抗がん薬をやっているかどうかは関係なく,どんなときも患者に寄り添い手を差し伸べるのが緩和ケアであり,『緩和ケアは医療そのもの』と認識を改めた方がよい」と述べた。

 同氏は「緩和ケアを自然に受け止め,緩和ケアという根幹の医療を続けながら,必要に応じて,手術,抗がん薬,放射線などの治療も併用すると考えればよいのではないか」と考察する。

 同氏は,実際に患者を支えることへの取り組みを紹介。同院と東京医科歯科大学の共同研究で,「外来化学療法を受けるがん患者に対する小冊子(ワークブック)による介入の評価」という過去最大規模のランダム化比較試験を行った。小冊子には,心構えや医療者とのコミュニケーションなど患者へのアドバイスが記載してあり,現在の状況や治療目標,自分の希望など,患者自身が記入する欄もある。小冊子を渡す実施群100人,渡さずに通常治療を行う通常治療群100人を対象に,ベースライン,12週後,24週後のQOLなどを評価した。同氏は「この研究の結果は来年の米国臨床腫瘍学会(ASCO)などで発表したいと思う」と述べた。

 同氏は「抗がん薬中止や緩和ケア移行などという特別なポイントはないし,仮にそのようなポイントがあったとしても重大なものではない」と述べ,「患者がどんな意思決定をしようと,抗がん薬を使っていてもいなくても,患者の幸せを支え続けることが重要」と強調した。

MedicalTribune 2015年10月15日

なかにし礼氏、がん再発で葬儀準備も奇跡の完治「がんが消えた」
 作詞家で直木賞作家のなかにし礼氏(76)が、19日放送のテレビ朝日「徹子の部屋」(月〜金曜正午)に妻の中西由利子さんと共に出演。がんの再発で死を覚悟し、自らの葬儀の準備を進めていたことを告白した。

 2012年に食道がんを克服したなかにし氏だが、今年になってリンパ節にがんが再発。がんは気管の壁にびっちりとくっ付いている状態で、医師からは「1日も早く入院し、手術を」言われるほど、予断を許さない状況だったという。

 死を覚悟したなかにし氏は「葬儀委員長、世話人も決めて、お寺にも行って、焼き場も決めた」と、自らの葬儀の準備を進めていたことを告白した。

 しかし、担当の医師たちは諦めずに懸命に治療を進め、最初の抗がん剤治療でがんが40パーセントの大きさに縮小したのだという。そして、「4回目の治療でがんが消えちゃったんですよ」と完治にまで至ったことを明かした。また、なかにし氏と由利子さんは共に、がん患者本人と家族の心のケアに当たる「精神腫瘍科」の先生にも支えられたと語った。
 
 「外科、内科、それから精神腫瘍科、3人の先生方のチームワークと熱意に助けられた」と治療に携わった医師たちに感謝の言葉を述べるなかにし氏。由利子さんは「今年はGWを迎えられれば良いというところから、それが秋を迎えられるなんて…」と、完治を心の底から喜んでいた。

スポニチ 2015年10月19日

緩和ケアにおいて薬剤師さんに望むこと
高宮 有介氏(昭和大学医学部 医学教育推進室)

 緩和ケアは早期からのアプローチも強調されていますが、どうしても避けて通ることが出来ない臨終時、死への対応も重要です。患者さんの死を目の前にすると、私たちの心も乱れます。私たちの死生観も問われているのです。大学の講義で学生に「人間の死亡率は?」と尋ねると皆一様に答えに窮します。そこで「100%です」と伝えると「なーんだ」と納得した顔をするのですが、「死」について普段私たちがどれだけ意識していないかよく分かります。

 今回は、患者さんが遺した手紙や日記を通じ、薬剤師として、人として、自分自身の死生観を振り返るきっかけにしていただければと思います。

死を目前にした患者さんから、死と向き合うことの大切さを教わった

 北京オリンピックに出場するはずだったバレーボール選手、横山友美佳さんをご存じでしょうか。現在、活躍している木村沙織さんは同じ高校の親友。1987年生まれの横山さんは春高バレーのヒロインでもあり、18歳を迎えた年に日本代表に選出されました。しかし同年、横紋筋肉腫が判明し、抗がん剤治療を開始したのです。そんな彼女は生前、こんな言葉を残しています。

 「病気になって一番考えたことはやはり命の尊さです。今の世の中、自ら命を捨てる事件がたくさん起きています。命を捨てるくらいなら私に下さい」

 「歩くこと、話すこと、見ること、聞こえること、喜ぶこと、悲しむこと、そして生きること。当然のように出来ている人間は何とも思わないけれど、これらは当たり前のことなんかじゃない。皆さんのたった一つの尊い命を大切にして下さい。今という瞬間を大事にして下さい」

 横山さんは21歳という若さで永眠されました。

 同年代の女性で、忘れられない患者さんがもう一人います。原発不明がんで、肺転移と全身の骨転移のため、疼痛と呼吸困難がありました。私は緩和ケアの医師として毎日彼女の病室を訪れていましたが、彼女の母親からあまり悪い話はしないでほしいと頼まれ、生前、予後や死について語ることはありませんでした。しかし、彼女が亡くなった後、遺品の中から母親宛ての手紙が見つかりました。

 「21年間、大変お世話になりました。ことにこの1年は心配ばかりさせてしまって申し訳なく思っています。親よりも先に逝くなんて最後まで親不孝な娘でした。でも、あまり泣かないでください。やっと病気の苦しみから解放されて、私は楽になれるのですから。悲しんでばかりいないでください。逆に私は安心して旅立つことができません。それから私が居なくなったからといって、いつまでも家にふさぎこんでいてはダメだよ。まだ44歳。これからなのですから。いつも勝気な人でいてください。自分の幸せを自分でつかむこと。無駄なお金も時間もつかわないように。これからもしっかりと生きていってください。もう、うるさい娘は口出しできないんだから、自分の足で歩いていってください。
 最後にお母さんの娘に生まれてよかったです。ありがとうございました」

 この手紙を読んで、何度もベッドサイドに行きながら本音の話ができなかったことを私は後悔しました。ただ、実は患者さんは皆、死を分かっているのではないか、と感じたのです。死を目前にした患者さんを安易に励ますのではなく、死と向き合うことの大切さを改めて教えられました。

大切なのは、残された時間よりもその時間をどう過ごすか

 次にご紹介するのは西田英史君。彼は高校3年生で脳の悪性腫瘍になりました。彼は日記に次のように記しています。

「死をみつめる
今日も非常に強い無力感にとらわれた。
もう少し、自分の死について考えてみる必要がありそうだ。
明日死ぬのだとしたら、今日なにをやるか?
3日残っているとしたら、何をする?
1週間あるなら?
半年あるなら?
1年以上あるなら?」
「生きる意味とは
普通の生活をしていて死ぬならそれでも結構だ。
大事なのは、今、何ができるかということではないか。
今やりたいこと、なんだろう。
俺が今できるもの。癌と闘いつつ、明日を信じて勉強すること。
俺にとって満足いく生活だった、と言えるようになること。
一日一日を精一杯生きるという生き方に巡り合えたこと」

 こう言って受験勉強を続けていましたが、病状が悪化し、大学は受験できませんでした。しかし、今日をどう生き抜いたかということ、それが彼の生きた証だったのではと思います。

 私たち緩和ケアの医師は、患者さんから「どのくらい生きられますか?」とよく聞かれます。どう答えるべきかいつも迷うのですが、希望を支えながら伝えたいと思っています。ですから、「年単位ではなく月単位で考えた方がいいですよ」「やりたいことがあったら先延ばしにしないで」「会いたい方があったら会っておく」と、後悔しないように予後を生きられるように話します。

 そう伝えながら、私たちも予後が決まっているということにハッとします。健康であるとつい漫然と生きてしまうのですが、患者さんからは、残された時間をどのように過ごすか、その生き方を教わることも多いのです。

死=無になることではない。思い出の中で人は生きる

 肺がんを患った60代の男性からは「心のケア、家族のケアをしてほしい」と言われていました。病状が悪化して寝たきりになった彼は、家族に見守られながら「妻や娘・孫を残していくのは忍びない。先生、死んだらどうなりますか?」と私に聞きました。

 私はその問いに対し、「私は無宗教ですが、肉体が消えたらすべて無になる、とは思っていません。命や魂とも説明しにくいのですが、亡くなった患者さんはどこかで見守ってくれていると信じています」と答えました。彼は「そう信じたい。自分が亡くなったあとも、妻や娘、孫をずっと見守る存在でいたい」と静かに語りました。当時、彼はいつもヘッドホンで音楽を聞いていました。曲は「アメージング・グレース」。今でも私はこの曲を聞くと彼の表情やエピソードを思い出します。人は亡くなっても、思い出の中で生き続けるのかもしれません。

 最後に個人的な話ですが、私が医学部3年生の時に、父が急死しました。心筋梗塞でした。今でも私は机に父の写真を置いており、毎日挨拶をします。人生における大きな決断があるときは必ず報告をします。当然、声は聞こえませんが、見守ってくれているという確信があります。それは仏様や神様なのかもしれませんが、私にとっては亡くなった父がその窓口になっているのです。

 今後、皆さんも病院や薬局、在宅で患者さんと接する中で、多くの出会いと別れを経験すると思います。また、家族との別れもあるでしょうし、皆さん自身もいつか死を経験するのです。薬剤師として、また一人の人間として生と死をどう考えるか。正解はないと思いますが、死が「無」や「永遠の別れ」だとしたら、この仕事を続けていくのは辛いことかもしれません。

 これは、あそかビハーラ病院の僧侶が私に言った言葉です。

 私が無駄に過ごした今日は、昨日亡くなった人が痛切に生きたいと願った今日である。

 かけがえのない毎日を、大切に過ごすことを心に銘記したいと思います。

高宮 有介 昭和大学医学部 医学教育推進室

1992年 昭和大学医学部卒業、英国ホスピスで研修後、昭和大学院緩和ケアチーム、昭和大学横浜市北部病院緩和ケア病棟の専従後、2007年より現職
【学会役員】
大学病院の緩和ケアを考える会 代表世話人、
日本緩和医療学会 理事、第20回日本緩和医療学会学術大会 大会長

◆主な著書
「がんの痛みを癒す」・「臨床緩和ケア(第3版)」


m3.com 2015年10月19日

終末期医療について考えよう!
著者 Chikirin

 私はよく 10年前に書いたブログをツイッターで紹介しています。

 これを続けるためには、10年後に紹介できるエントリを今、書いておく必要があるので、今日は「終末期医療」について書いておきます。

 このトピックは、10年後くらい後には大問題となり、おそらく法制化も議論されているはずだからです。

 そうなった時、「あたしソレ、10年前に書いてるから」と言えるよう、今、書いておこうという作戦なんですが、

 よく考えたら、あたしが 10年後に生きてるかどーかのほうが不確かなので、作戦が成功するかどーかはよくわかりません。

★★★

 さて、終末期医療というのは、高齢者が最期の時を迎えた時の医療のあり方です。

 これ、本当は“高齢者”に限定された話ではないのですが、今回は平均寿命付近まで生きてきた高齢者に限定して考えます。概ね 85歳を超えた人がこういう状態に陥ったら、という前提でお読みください。

 昔は、多くの人が自宅で亡くなっていました。でも、今は大半の人が病院で亡くなります。(厚生労働省・資料 赤い線が病院で亡くなる人の比率、青が自宅で亡くなる人です↓)

 これにより私たちは、死ぬその瞬間まで「死なないよう」万全の医療を受けることになりました。

 出血したら輸血、呼吸ができないなら人工呼吸、ご飯が食べられないなら鼻チューブイや胃瘻(いろう、胃へのチューブによる直接的な栄養補給)、血液が浄化できないなら人工透析、心臓が止まったら電気ショックに補助人工心臓です。

 それも数日や一週間という話ではありません。

 医療技術が進むにつれ、こういった延命治療によって年単位で、時には十年を超えて人間は生きることができるようになりました。

 もちろんベッドの上で、です。

★★★

 これらの「できる限りの治療」は、本人が「無駄な延命治療をしないでほしい」という意思を持っていたとしても、病院にいる限り必ず行われます。

 なぜならそうしないと、医者は殺人罪に問われてしまうからです。

 たとえ妻や息子、娘が医者に「お父さんは延命治療なんて望んでいなかった。止めてください」といっても、簡単には止められません。

 今の法律では、家族であっても勝手に他人の命を止めることはできないし、そもそも「家族のひとり」の意見は、「家族の総意」ではありません。

 息子と娘の意見が異なる場合もあるし、妻と子供の意見は一致して「父は延命治療を望まない。その意思を尊重したい」と言っても、

 ほとんど会ったこともない父の兄弟が見舞いに来て、「たった二人の兄弟なんだ。最期まで、できる限りのことを!」と言い出す可能性もあります。

 そういう人からの訴訟リスクもあるので、医師はその職業的な使命に忠実に、「できる限りの(延命)治療」を行います。

★★★

 唯一延命治療が止められるのは、「始める前」です。

 たとえば、既に何年も寝たきりの家族が自宅で体調を崩した時、救急車を呼んで病院に運ばれてしまうと、延命治療が始まりますが、「救急車を呼ばず、自宅でできる限りのことをする」という選択肢を選べば、自然死がありえます。

(この場合は死因検査が行われ、「家族が殺したわけではない」というチェックは行われます)

 もうひとつは、体に傷を付ける必要のある延命治療を始める前の選択です。たとえば胃瘻については胃に穴を開ける必要があるので、家族の同意なしに医師が行うことはありえません。(と理解してます)

 なので、この段階で「その治療はしない」と決めることはできます。

 ただし、体に傷を付ける必要のない治療は、病院にいる限り(救急車を呼んだ段階で)自動的に行われると思ったほうがよいでしょう。

 家族の意思は、「入院させた」「救急車を呼んだ」時点で「死なないように、あらゆる治療をやってほしい」ということだと判断されるからです。

★★★

 今までは、これらはあまり大きな問題ではありませんでした。なぜなら、

1)自宅で亡くなる人が多かったので、病状が急変しても、できる治療は限られている

2)医療技術が進んでいなかったので、延命治療を行っても寿命は長くは延ばせなかった

からです。

 でも今は、そしてこれからは、大半の人が病院で最期を迎え、進んだ医療技術の恩恵を受けて、ベッドで寝たきりのまま 10年、20年と生き続ける可能性がでてきています。

 もちろん本人の意思に拘わらず。というか大半の場合、本人の意思は確認できないままに、です。

 そして(敢えて書いておきますが)、その治療費はすべて「若い人達が働いて納めた税金や保険料」から支払われます。

★★★

 最大の問題は、本人の意思を反映する法的な枠組みが整備されていないことです。「リビングウィルの法制化」といわれるものです。

 ちなみに、「延命治療を拒否して自然死を迎えること」は「尊厳死」と呼ばれます。

 もう十分に生き、本人も望んでいないであろう延命治療を延々と続け、ベッドの上で意思表示も食事もすることなく、何年も「死なせてもらえないこと」を拒否するのが「尊厳死」です。

 別の言葉として「安楽死」という言葉があります。これは、不治で末期の病状にある人が、本人の意思により、医師など第三者に、薬物などを使って死期を早める措置を行わせることです。

 病気の苦痛に日々耐えかねている患者さんに、モルヒネを打って命を終わらせると共に、その苦痛から解放する、といった感じですね。

 安楽死のほうは、行為としては「殺人」そのものですが、一定の条件の下に、罪にも罰にも問われないことが決められている、というものです。

 世界では、この安楽死さえ合法化している国があります。有名なのはオランダで、 2001年に法制化、最近は年間に死亡する人のうち 数パーセントは安楽死だそうです。

 また、アメリカではやオレゴンやワシントンなど、いくつかの州のみで安楽死が合法化されているため、末期の病状にある患者さんが他州から引っ越してくる、という現象も起こっています。

 私が今日、書いているのは、安楽死の話ではなく尊厳死のほうの話です。

 個人的には安楽死も法制化すべきとは思っていますが、議論を丁寧に進めるためにも、まずは尊厳死について考えるべきだと思うからです。

★★★

 さて、延命治療が必要になるような状況では、多くの場合、本人の意思確認はできません。たとえ意識があっても、まともな思考力が残っている状況ではないからです。

 そして、たとえ尊厳死が法的に認められても、医者が単独でその決定をすることはありません。

 法制化の後も、医者はあくまで、

・法的に認められる状態だと確認され、

・本人の(意識不明になる前の)意思が確認されたり、(法律がそれを許すなら)家族が尊厳死を望んだ場合に治療が止められる(治療をしないと決められる)だけです。

 だから今もそうであるように(たとえ法制化されても)「本人の意思も家族の意思も確認できない患者」は、ベッドの上で延々と生き続けることになります。

 意思表明をしていない身寄りのない人が道でのたうち回り、救急で運ばれてきたようなケースですね。

治療費はどうするんだって?

 ケースワーカーなどが家族を探すのだと思いますが、誰も見つからない場合は入院したまま生活保護が受けられますから、医療費は国から支払われます。(生活保護を受給すると医療費は完全に無料です)

 こういった、「本人が意識不明になった時、家族がいない」という人は、これからは急増するでしょう。

 結婚していない人、結婚しても子供がいない人(←夫婦が同時に死亡しない限り、残った方は「家族がいない」状態になります)、もともと家族はいたけれど、縁が切れてから何十年もたっている人も増えているからです。

★★★

 とはいえ、話が複雑なのは家族がいても同じです。

 自分の親の命を左右する決断をするのは、子供にとっても、ものすごく重い判断です。

 多く場合、そういった状況に陥った親は 80代、子供は 50代くらいで、共に生活していたのは既に 30年も前のこと、だったりします。

 子供といえど、親が自分の人生をどう考えていたか、想像さえできないし、そもそも親とそんな話自体したことがない、という人が大半ですよね。

 こういう場合、突然(ほんとは突然じゃないんですけど)倒れた親にパニックした子供は、

 往々にして「これまでは全く親孝行ができなかった。だからせめて今から最大限の親孝行を!」と考え、

 「先生、お金はいくらでも出します。できる限りのことをしてください!!」と言ったりするわけですが、

 そんなのは「自分のこれまでの、親不幸な行いへの償い」に過ぎません。

 そんなことを言い出したら、更に親不幸を拡大させる(=親に、本人が望んでいないベッド上での長期間の治療の苦痛を耐え続ける)可能性さえあるんです。

 これじゃあ、親不幸を償うどころか、親不幸の拡大延長です。

 そもそも親が元気なうちに孝行をしていない子供に(=親の生き方や人生についてじっくり話をしたこともなかった子供に)、親の人生を左右する決断なんてできるわけありません。

★★★

 それでも、親や配偶者ならまだマシです。

 叔母や叔父、(親の離婚や再婚に伴う)義理の兄弟や義理の親、遠い親戚の誰かが倒れて病院に運ばれた時、その治療方法についての判断を医師から求められ、

 適切に答えられる人、もしくは、自分が答えるのが当然だと思える人なんて、いるんでしょうか?

 先ほども書いたように、延命治療が延々と続けられれば、膨大な医療費の負担が必要になります。それらは、人数も少ない若い世代(今の子供達)の負担になります。

 命を「コスト」で語ることを、不謹慎だと思う人もいるでしょう。

 でもね、

・(意識はなくなってるけど)本人も望んでない、

・医師も、自分だったらこんな治療は受けたくないと思ってる、

・家族も同様だけど、自分で「それをやめる」判断なんて怖くてできない

 という治療に、月に何十万円もかかり、それを何十年もの間、次の世代に負担させるしか選択肢がない。

 こんな制度を放置していて、いいんでしょうか?

★★★

 急ぐ必要はありませんが、「本人の意思で延命治療の選択を行うことができ、万が一意識がなくなった時も、その意思に基づいた治療が行われる」「それに沿って治療を行った & 行わなかった医師が逮捕されることのない制度」について、

 そろそろ議論を始め、考えて行くべき時期がきていると思います。

 そんじゃーね!

 下記の本が、この問題への入門編としてはわかりやすいと思います。キンドルもあるので、「今まで考えたこともなかった」という方にお勧めです。

 大往生したけりゃ医療とかかわるな (幻冬舎新書) 中村 仁一 幻冬舎

 なんでもそうですが、まずは自分の意見をもつこと、それがモノを考えるための第一歩となるのです。

BLOGOS 2015年10月21日

症状緩和だけじゃない!緩和ケアに必要な技術
平方 眞(愛和病院)

 患者さんに残りの命が長くないことを伝えるのは、医療者にとっても気が重い仕事です。経験を重ねても「私は平気で言える」という医療者はいないと思いますし、もしいたら相手の気持ちを斟酌する力量を疑ってしまいます。

私たちが死から逃げない

 命の終わりを伝えるには、まず医療者自身が死と向き合う姿勢が欠かせません。一般の医療現場では、死を遠ざけるべきものとして捉え、医療者には患者と共に病気と戦う姿勢が求められます。しかし、死が避けられないものとなったときにもその姿勢を貫くのは、負け戦と分かっていながらいつまでも戦いをやめないようなもので、合理的ではありません。患者さんや家族に、死を前提として物事を考えられるようになってもらう、つまり死を受け入れてもらうためには、医療者も死と向き合うことが必要だと思うのです。

 こちらが逃げていると、患者さんや家族も死を怖いもの、避けなければいけないものとして、受け入れにくくなってしまいます。これから訪れる多死社会の中で、死を忌むべきものとして遠ざけ続けていては、世の中は不幸の連続になってしまいます。不幸な日本にしないためには、死を受け入れる社会になっていかなければなりません。そのために、医療者が死から逃げていてはいけないと思います。

 死について整理して考え、上手に説明できるようになることも、医療者にとって非常に重要なことです。

 例えば、人工呼吸器を止めなければいけないような場面では、医療者にも大きなストレスがかかります。心臓は動かなくなっていても、人工呼吸器は動いていて、見た目は息をしているように見えるわけですから、それを止めるのはとてもつらい仕事であり、家族も納得しづらいことがあるでしょう。

 その場合、次のように考えれば、人工呼吸器を止めるという行動も自ら納得できますし、家族にも説明できます。

 「呼吸がこれより弱くなると命が続かなくなるという判断で人工呼吸器を付けて、呼吸に関してはひと安心という状況になりました。ところがその後、ほかの部分の力も弱くなって、人工呼吸器で維持されている肺のレベルを追い越して、生きていけないほどに力が落ちてしまっています。つまり肺以外は生きていけない体力なのに、呼吸だけは機械によって続けられているという、スタート時とは逆転した状態になっているのです。より自然なバランスに近づけるためには人工呼吸器を弱めたり止めたりというようなことも考えなければいけない時期になってきています」

 人工呼吸器のことだけでなく、患者さんや家族に納得してもらうための説明の多くは、医療者自身が納得するためにも役立ちます。その方法が身に付くと、看取りが「諦めの連続」ではなく、体力が少なくなっていく中でどうすればバランスを崩さずに、苦しくなく過ごせるかという積極的な行動の連続になります。共通理解が図られれば、患者さん・家族と医療者が、同じ方向を向いて進み続けることができるのです。結果として、医療者のストレスも相当軽くなると思います。

 看取りに携わる医療者にとって、患者さん・家族、そして自分自身が納得できる説明ができることは、非常に大事なことなのではないかと思います。

コミュニケーション能力を養おう

 多死社会に向けて、死の前後を満足いくように過ごしてもらうためには、痛みなどつらい症状を緩和させる技術を持ち、先のことをある程度予測し、時間が限られていることやその時々の状況を的確に伝えられる医療者の存在が必要です。たまに驚くような底力を見せる患者さんがいたり、逆に思ってもみなかった事態が起こることもあるので、予測はそれなりに難しいのですが、パターンを知り、時間単位、日単位、週単位、月単位、年単位に考えることで、予測の精度を上げることはある程度可能です(詳細は別の回に改めて解説します)。

 もっとも、厳しい状況を伝える場面は、医師になって25年経った今でも、毎回緊張します。しっかり準備をしたはずでも気持ちの余裕がなかったり、説明を重ねても伝わらず無力感ばかりが募ったり。普通に伝えれば、患者さん・家族は絶対に大きなダメージを受けるわけですから、上手に説明できると過信してしまう方が危険ではないかとも思います。

 緩和ケアというと症状緩和の技術が重視されがちですが、コミュニケーション能力は同等、あるいはそれ以上に大切で、緩和ケアがうまくいくかどうかは、説明が成功するかどうかが肝だと言っても、過言ではありません。

 こちらがいくら「分かりやすく、納得してもらいやすいように」と考えて話していても、相手が納得してくれるとは限りません。例えば話を聞いている家族3人のうち2人はうなずきながら聞いていても、残り1人が納得いかない顔をしていることがあります。上手に説明することばかりに気を取られていると、その1人の存在に気づかずに説明を終えてしまうことがありますが、それでは説明はできていても、コミュニケーションは成立していません。相手がどう受け止めたか、相手の感情がどう動いたかまでつかみ、やり取りするのがコミュニケーションです。納得していない人が1人でもいれば、時間がないし面倒だと思っても、その人に納得してもらう努力をすべきだと思います。後にトラブルを引き起こす確率は、その人が一番高いからです。

 医療者は良い結果を生みたいと思って仕事をしており、患者さんや家族と対立関係になりたいわけではありません。ですが、病気を抱えた人を相手にするので、良くない結果は頻繁に発生します。そのようなときに「結果が悪かったからには、誰かがミスをしたに違いない。言い訳は許さないぞ」と思い込んで説明を聞きに来る人が、わずかですが存在します。そういう人を見逃さないこと、理解し納得してもらえるようにさらに踏み込んだ説明ができることが、家族の信頼度を大きく向上させます。

 医療者の側に「今の状況に対してのベストのことをやっている」という自信はあっても、説明がうまくできないと相手には響きません。患者さん家族から「今どういう状況なのか」とか「この治療の変更にどういう意味があるのか」と聞かれたときに、より納得してもらえるような説明ができるかが勝負なのです。


著者プロフィール

1990年山梨医科大学(現山梨大学)医学部卒業。武蔵野赤十字病院、町立厚岸病院、自治医科大学血液内科を経て、1994年に諏訪中央病院に着任。96年頃から訪問を中心に緩和ケアを開始し、98年に緩和ケア担当医長に就任。2009年から愛和病院副院長。著書に『看取りの技術』(日経BP社)がある。

BPnet 2015年10月23日

「がん離婚」なぜ妻ががんになったら夫は別れたがるか
著者フリーランスライター 桃山透

自分の耳を疑った「がん離婚」という言葉

「妻ががんになったことが原因で、離婚したがる夫はめずらしくない」

 このようなことを聞くと、「まさか」と思う人は多いでしょう。私も初めて聞いたときはそう思いました。「死ぬかもしれない」という恐怖に怯えている妻に、そんな追い打ちをかけることができる夫がいるなんて……、と信じられませんでした。

 ところが、決してめずらしいことではないみたいなのです。2年ほど前に「がんと離婚」をテーマに、フジテレビの朝の情報番組『とくダネ!』でも特集が組まれたくらいです。

 ただ、妻ががんになると、かつて感じたことのない、ずっしりとまとわりつくような重みで心身が疲弊し、気持ちに余裕がなくなってしまうのは事実です。また、日本では夫婦の3組に1組が離婚していることを考えると、妻のがんが引き金となって離婚に至るケースは、そうめずらしいことではないのかもしれません。離婚に至らなくとも、不仲になってしまう夫婦は、結構いるように思えてきます。

 夫からすれば責任感から、ずっと妻を支えることができるのか、仕事に支障を来さないか、生活費はもちろん治療費や貯金はどうなるのか、自分が病気になったらどうなるのか、子供をちゃんと育てることができるのか、親の介護問題が起ったらどうなるのかなど、将来のことを考えると、必要以上に不安が頭をよぎるようになります。妻ががんになったことで、追い詰められる度合いが強くなるのです。

 家族の絆が強まることも多いのですが、それでも心身ともに疲れることも増えていきます。この疲れは慢性化することもしばしばで、いくら妻のことを思っていても、それが言動に移せないことがあります。責任感が空回りすることも少なくありません。

 妻のほうも、死を意識せずにはいられない日々を送っているため、夫の言動に敏感になります。そのため、病気のことを理解してくれていない、責められている、他人事のように思われている、と強く感じることがあるでしょう。なかには「もう離婚したい」と思っていても、経済力の問題で踏み切れない人も意外といるかもしれません。

 このように家族の絆が強くなったとしても、お互いにストレスになることが増えてしまうのです。私の場合もそうで、余裕のなさから出た言動で、反省すべきことはたくさんあります。

「お金」がなければ「離婚」危機が訪れる!?

 近所を散歩しても、チェーン店のレストランで外食をしても、妻となら楽しめる私は、いいパートナーを得ることができたといえます。知り合いから「仲のいい夫婦」といわれることも少なくありません。妻がどう評価しているのかはわかりませんが、妻を支えたいという強い気持ちが自然と湧いてくるのです。

 ところが、妻への思いがどれだけ強かったとしても、お金がなければあまり役に立ちません。少なくとも私の場合はそうです。

 つらく絶望的にもなる妻の闘病生活を励まし続けるには、夫の愛情だけでなく、ある程度お金の余裕が必要です。少なくともお金の心配をさせるべきではありません。

 お金がないと、夫としての価値がないように思え、罪悪感を覚えるようになります。この罪悪感が強くなりすぎると完全に追い詰められてしまい、どうしてこんなにつらい目に遭わなければならないんだと、まるで妻が敵のように思えてくることもあるくらいです。

 私の場合、妻と一緒にいることが楽しいわけですから、少しでもお金に余裕があって、旅行やちょっと雰囲気のいいレストランに行くことができれば、普通の人以上に楽しめるのです。そのほうが妻もよろこんでくれるのはいうまでもありません。闘病しているからこそ、妻には人生の潤いが必要なのです。

 恥ずかしながら、治療費の心配もしなければならないほどお金に困ったとき、妻との離婚を考えたことがあります。妻は生活保護を受け、私が稼いだお金を渡してあげるほうが、まだ安心して闘病できるのではないか、と思ったのです。私の存在なんて、お金と比べたら小さなもの、と信じて疑わなくなってしまったのです。実際、このことを妻と話し合ったことがありました。

 どれだけ妻への思いが強かったとしても、お金がなければ、離婚の危機が訪れることはあると思います。「がん離婚」のなかには、このようなケースも、結構含まれているように思えてなりません。

President ONLINE 2015年10月24日

家族システムと早期からの緩和ケア
“患者家族”への介入が,患者の生命予後延長に寄与する?
金 容壱(聖隷浜松病院化学療法科)

 「新しい体操着だから速く走れるね」。奇妙な理屈である。しかし,その正しさを実証するかのような臨床試験が報告されている。患者家族に対しても,早期から緩和的にかかわることで,患者の生命予後が延長するという結果が示されたのである。「体操着」に代わり「患者家族に早くからかかわる」ことで,「速く走れる」ことに代わって「患者の生命予後が改善される」というわけだ。

「早期からの緩和ケア」の衝撃

 「診断時から緩和ケアの専門職が介入することで,肺がん患者の生命予後が2.7か月延びた」。この結果がTemelらによって発表されたのが,2010年の米国臨床腫瘍学会だ。追って論文化され,NEJM誌に掲載されている1)。あらかじめ計画されないまま予後の解析がなされたことに批判はあるものの,抗がん薬治療を追加するわけでもなく,緩和ケアを早期から行うだけで寿命が延びるという意外さは,関連する学会にインパクトを与えた。

 しかし現場は困惑した。緩和ケアを早期から始めるといって,何をすればよいのか? 診断時に痛みがあれば,疼痛の治療を「緩和ケア」として行えばよいだろう。では,症状がなければ挨拶するだけか? そもそも,抗がん薬治療を開始して良くなることの多い診断早期の症状に,わざわざ緩和ケア専門職が介入する意味はあるのか? 心理・社会・霊的側面を視野に入れ,終末が近付いた時期の複雑な身体症状に対処するのが緩和ケアの真骨頂であるのだから。早期に介入するとして,その人的リソースはどうやって確保するというのか?――など,臨床現場の悩みは尽きない。

 早期に行う緩和ケアの何が有効に働いて患者の生命予後が延長することになったのか,その明確な「要因」は明らかにされていない。Temelらの研究では,早期緩和群も通常治療群と同じだけ抗がん薬治療が行われていた2)。早期緩和群で緩和ケア専門職が行った行為も詳細に検討されたが,家族を巻き込んで患者のcoping(註)を強化するケアが行われていたという事実のみが報告されている3)。

浮かび上がってきた仮説は,「家族に働き掛ける」ことの効果

 「早期からの緩和ケア」の有効性が示唆されてから,5年経った本年6月。BakitasらのEducate, Nurture, Advice, Before Life Ends III(ENABLE III)試験の結果が公表された4)。ここで示されたのは,診断時から看護師ががん患者の主たるケアの担い手を電話で援助すると,3か月後から介入開始するのと比較して,患者の1年後生存割合が15%上昇したとする,やはり患者の生命予後を改善させたという結果であった。

 上記2つの研究に共通するのは,早期から家族(主たるケアの担い手)への介入が行われていること。そして,必ずしも患者の身体症状の改善を主眼にしているわけでない,ということだ。これらから,「治療初期に家族に働き掛けることで,患者の予後を改善する」という仮説が,説得力を持って浮かび上がってくる。

患者は,家族・友人との関係性の中に生きている

 人はよほどのことがない限り医療機関を訪れない。具合が悪くても,「休んだほうがいいよ」などと身近な人に勧められ,休養をとって回復する。落ち込むことがあっても,友人や家族に話を聞いてもらい,活力を取り戻す。身近な家族・友人関係には,「癒やし/癒やされる」機能があるのだ。

 がんに罹患すると,人は心理・社会的な強い衝撃を受ける。告知されたときの衝撃は,「がんイコール死という知識しかなかったので,頭の中は真っ白になった」5)と表現される。また,「自分だけが『がん』という種類の人間に分類されてしまったような孤独感を感じ」5)ることもよくある。がん患者は告知の衝撃が治まらないうちに治療選択を迫られ,孤独感に支配された状況に陥り,それまでに培ってきた“人とのつながり”で癒やされることが難しくなると言える。

 その衝撃と話しづらさは家庭内にも及ぶ。「家族にとって,一番大切でありながら一番コミュニケーションができないテーマは『死』」6)であるからだ。そして同時に,“つながり”である家族の構造そのものが変化してしまう。医療費,病院への送り迎えなど,直接医療に関係する負担が家族にかかる。患者が家事・仕事ができなくなることで,家族における役割も変わってくる。こうした影響を受けて変化する構造を,がん治療に沿うものにしていくのは並大抵のことではない。

システム理論での介入を考える

 先述した仮説を演繹すると,患者を含めた家族を全体としてとらえ,闘病しやすい状況を家族と共に作り上げるのが,早期からの緩和ケアになるだろう。家族を対象とし介入する臨床は,プライマリ・ケアでの家庭医療(メディカル・ファミリーセラピー)や精神科領域での家族療法(システムズアプローチ)ですでに実践され,成果を挙げている。これらは家族を「システム」としてとらえ,行う臨床である。

 システムとは,かいつまんで言えば,構成する要素がつながることによって自律的に機能するものだ。無秩序以外のもの全てがシステムであるとも表現される。システムの全体像を認識するためには,個々がどのように考えて行動するのかではなく,全体の機能が保たれているのかどうか,構成要素がどのようにつながっているのかに注目し,評価していく必要がある。システムとその機能を系統立てて説明するものが,システム理論に当たる。

 要素がつながって全体として機能するため,一部が変わるとシステム全体に影響が及ぶ。また,システム全体の機能が落ちるとき,その影響は構成要素に及ぶ。こうした前提のもと,システム理論による介入をしていく際は,「家族の成員に何かが生じると家族全体の構造が変化する」ことを念頭に置くことになる。そして前述の通り,個人がどう行動するのかではなく,どのようなつながりを持って全体として機能しているかに注目する。

 例えば,通院に配偶者の付き添いが欠かせなくなった患者がいるとしよう。患者は毎週の通院が必要で,ある曜日だけは孫の面倒をみられない。そのため,共働きの子ども夫婦は毎週,職場を早退して帰らなければならなくなった。子ども夫婦はその環境変化に耐えられるだろうか。また,忙しくなった子ども夫婦を見て,患者夫婦は負い目を感じるだろうか――。このように考えを及ばせていくことになる。

 上記のケースのように「いつまで耐えられるか」と具体的に議論するためには,疾患に対する見通しが必要であるし,そのための話し合いは風通しがよくないといけない。感情を受け止め,いつかは悪くなる(そして死に至る)ことを踏まえて話し合う必要があるからだ。それを実現するために医療者に求められるのは,家族システムに入り込むことだ。あたかも家族の一員であるがごとく,議論に参加する(“ジョイニング”)のである。

 なお,このような「私的な」議論を,悪性腫瘍の診断後すぐに医療機関で行うなど,患者側は想定してはいない。ニードがないままに家族システムに入り込むことになるため,早期からの緩和ケアを行うに当たっては“洗練されたジョイニング”が求められると言える。そこに難しさはあるものの,家族システムの中で,死を連想させる言葉にたじろがない姿勢を医療者が見せることができれば,家族が過不足なく議論することを支えられ,その結果,家族システムの機能は取り戻される。家族のつながりの中で患者は癒やされ,それに伴い,生命予後が改善していくと考えられる。



 映画監督の黒澤明は撮影時に,衣装どころか屋根瓦や薬箪笥の内側など,カメラに映りもしない細部まで完璧にしつらえたという。「新しい体操着を買ってもらい,応援されて頑張れ,速く走れる」。部分へのアプローチが,全体に影響を与える……黒澤監督も運動会の児童もそう考えたのかもしれない。少なくとも,Temelら,Bakitasらの研究結果のエッセンスはそのあたりにあるのだろうと考える。

 当然ながら,腫瘍だけでなく,あらゆる急性期疾患・慢性疾患が,家族機能に影響を与える。備わっていた機能を家族に取り戻させることががん患者の生命予後を改善させるのであれば,致死的な全ての疾患で家族を対象とした介入が有効だとも想定できよう。それらを検証する臨床試験は待たれるわけだが,患者のアウトカム向上につながるのであれば,現時点からでも専門医は,家庭医・家族療法家からその術について教えを請うべきである。

註:コーピング。「対処」とも訳される。ストレスや危機に対し適応しようと努力するために利用する,意識的な考え・行動のこと。

◆参考文献・URL

1)N Engl J Med. 2010[PMID:20818875]
2)J Clin Oncol. 2012[PMID:22203758]
3)JAMA Intern Med. 2013[PMID:23358690]
4)J Clin Oncol. 2015[PMID:25800768]
5)「がんの社会学」に関する合同研究班.がん体験者の悩みや負担等に関する実態調査報告書――がんと向き合った7,885人の声.2004.
6)渡辺俊之.メディカル・ファミリーセラピー.日本家族研究・家族療法学会編.家族療法テキストブック.金剛出版;2013.132-5.

キム・ヨンイル氏
1999年北大医学部卒。2003年国立がん研究センター東病院レジデント,06年より聖隷浜松病院へ。乳腺科,緩和医療科を経て10年より化学療法科。がん薬物療法専門医・指導医(日本臨床腫瘍学会)。共訳著に『がんサバイバー――医学・心理・社会的アプローチでがん治療を結いなおす』(医学書院)。

週刊医学界新聞 第3148号 2015年11月2日

死の直前に見る夢は 米研究
 人生を終える直前に見る夢は、既に他界した親類や友人のものが多い──米大学がこうした研究を発表した。他界した知人の夢は、人生を終えようとしている人にとって「特に強い安らぎをもたらす」という。こうした知見が終末期医療に役立つ可能性があるとしている。

 米カニシアス大学の研究チームは、ホスピスなどで終末期医療を受けている66人の患者から夢について聞き取り調査をした。死ぬ直前に見る夢についてはさまざまに記録されてきたが、科学的に調査されたことはなかったという。

 患者は見た夢をリアルなものだととらえる傾向にあった。既に亡くなった友人や親類が登場する夢は、生きている友人らが登場する夢よりも強い安らぎを感じ、患者が死に近づくにつれこうした夢が多く見られていたという。

 治療に伴う幻覚ではという指摘もあるが、研究チームは「幻覚は非現実的で無意味なものだが、こうした夢は安らぎがあり、リアルで、意味のあるものだ」として異なるものだと結論。死の直前にある人のクオリティーオブライフの改善につなげられるかもしれないとしている。

 成果は緩和医療の専門誌「Journal of Palliative Medicine」に掲載された。

BIGLOBEニュース 2015年11月6日

医者は自分にどんな「がん治療」をとる?
99%が抗がん剤を使わず
 私の知人が国内外の医者271人に「あなたやあなたの家族ががんになった場合、抗がん剤を使用しますか?」と尋ねたところ、なんと270人が「絶対に拒否する」と答えたそうです。(中略)「99%」というのは、驚異的な数字です。(「まえがき」より)

 『医者は自分や家族ががんになったとき、どんな治療をするのか』(川嶋朗著、アスコム)の冒頭では、このようにショッキングなトピックが紹介されています。気になるのは「なぜ、そのような結果が出たのか」ということですが、その大きな理由のひとつとして著者は、「医者たちが西洋医学の限界やリスクを知っている」ことを挙げています。

 がんの場合、外科手術、化学療法、放射線治療が「三大療法」「標準治療」とされているものの、いずれも見つけたがんを切除したり叩いたりするだけ。適切なタイミングで行われた場合は効果を発揮することがあるとはいえ、それは原因を根本から治療するものではありません。つまり、それだけでは「根治」させることはできないということ。また、副作用や後遺症などのリスクの問題もあります。

 著者は長年、西洋医学と相補・代替治療とを組み合わせた「総合医療」に携わってきた人物。相補・代替治療とは、漢方医学や鍼灸、アロマセラピー、睡眠療法、音楽療法に至るまでの「通常医療(西洋医学)以外の医療」のこと。西洋医学と併用したとき、がんをはじめとした病気の治療に目覚しい効果を示すのだそうです。本書は、その考え方を軸に「自分に合った治療」「自分に合った生き方」を選択できるようになってほしいという思いから書かれたものだということ。医者自身ががんになったときに考えるであろう「24の選択」のなかから、いくつかをピックアップしてみたいと思います。

西洋医療にこだわらず、自分にあった医療法を探す

 ほとんどの医者は、患者さんのがんを治したいと真剣に考え、治療計画を立てているもの。ただし医者として患者さんに向き合っている間は、西洋医学、それもガイドラインに記された方針に沿った治療しかできないのだそうです。また、「がんを治す」ことを優先しすぎ、患者さん一人ひとりの価値観や思いを汲み取れないのだとか。しかも医者たちには、忙しすぎるという問題もあります。

 一方、著者は患者さんの側の問題をも指摘しています。それは、あまりにも医者に「丸投げ」してしまう患者さんが多いということ。「病院に行けばなんとかしてくれる」と医者のもとを訪ね、医者にいわれたことを鵜呑みにしてしまう。しかし、なにか問題が起こると、医者や病院のせいにして責めたてる。こうしたことの積み重ねが、医療のマニュアル化を招いてしまっている部分もあるのだとか。

 でも本来、病気の治療における主役は患者さん自身。特にがんは生命や人生にかかわる病気なので、医者に丸投げしていいはずがないわけです。そこで著者は、もし自分ががんであることが判明したら、まずは勉強することを勧めています。がんとはどういう病気なのか、どんな治療法があり、それぞれどんなメリット、デメリットがあるのかを知るということ。

 そして、ある程度の知識を得たら、とにかく主治医に質問をすべき。たとえば「こういう治療法があります」と提示されたら、「その治療を行った場合、奏効率と5年生存率は何パーセントで、延命の可能性はどのくらいありますか?」と尋ねる。抗がん剤の投与を提案されたら、副作用についてはもちろん、「臨床試験でどういった有意差が出たか」といったところまで突っ込んで聞く。そうすれば医者は正確に答えざるを得ず、「この患者はあなどれない」「きちんと情報を提示しなければ」と考えるはずだといいます。そして、そうやって得た情報をもとに、「自分はどう生きたいのか」などを考えあわせ、患者さん自身が治療内容を選択する。それが望ましいあり方だと、著者は考えているそうです。

 ここで気になるのは、「しつこく質問したら、医者に嫌われてしまうのではないか」ということかもしれません。そのため質問をためらう人もいるでしょうが、「そのくらいで怒ってしまうような医者と信頼関係を結ぶことができるでしょうか?」と著者。がんは自分の生命や人生にかかわる病気であるだけに、医者の顔色など気にしている場合ではないということ。

 だからこそ、最初に治療を受けた医者や主治医の治療内容に納得できないときは、セカンドオピニオンを聞きに行くべきだといいます。それでも納得できなければ、サードオピニオン、フォースオピニオンと、納得できるまで聞いてみる。さまざまな医者の意見を聞くことで、知識も増え、あまり知られていない医療技術や、より自分の価値観に合った治療内容を提案してくれる医者と出会えるかもしれないといいます。(112ページより)

生活習慣の改善とストレスの緩和

 がんは外部からの的によってもたらされるものではなく、基本的には「自分自身がつくり出す」病気。私たちの体は約60兆個の細胞からできており、細部は日々、分裂を繰り返して生まれ変わっています。そして、この細胞分裂をつかさどっているのが遺伝子(DNA)。各細胞には核があり、その内部には遺伝子が入っている状態。

 ふつう細胞が分裂する際には、遺伝子が持つ情報に従って正確にコピーされるそうです。ところが、なんらかの原因によって遺伝子が傷つくと、遺伝情報のコピーミスが生じることに。これが、がん発生のきっかけとなるわけです。また、胃や腸など、臓器の表面部分(上皮)に傷がつき、その傷が修復される際になにかしらの問題が発生して、がんが生まれることもあるのだとか。

 ただ、遺伝子が傷つけられるような攻撃(アタック)は、常に起こっているのだといいます。ひとつの遺伝子に対し、毎日100万回もの攻撃があり、がん細胞は3000〜5000個ほど生まれているというのですから驚き。しかし人間の体には遺伝子を修復する酵素があるので、たとえ遺伝子が傷ついてもすぐに修復されるわけです。また遺伝子が修復不可能な傷を受けた場合、体はその細胞を死なせ、がん細胞の発生を防ぐのだとか。これをアポトーシスというそうです。

 そればかりか、修復機能やアポトーシス機能も働かずがんが発生した場合は、免疫細胞であるリンパ球が、ひとつ残らずすみやかに除去するというのです。つまり、何重もの防御システムによってがんから守られているのが人間の体。しかし修復機能やアポトーシス機能、免疫機能が衰えると、生き残るがん細胞が出てくることになります。これががん発生のメカニズムなのだといいます。

 がんの原因として挙げられるのは、食生活の乱れや喫煙、運動不足、ストレスなど。また、過剰な紫外線を浴びたり、ウィルスに感染したり、ダイオキシンなどの化学物質が体内に入ることが原因の場合も。これらは遺伝子を攻撃して傷つけ、遺伝子情報のコピーミスを招くことに。さらには免疫力をも低下させるため、がん細胞が除去されにくくなるというわけです。

 ところで、先に触れたとおり西洋医学の治療は、がん細胞を切り離したり叩いたりする対症療法です。これに対し、がんができてしまった原因自体に目を向けているのが代替医療。生活習慣を改めたり、ストレスを緩和したりすることで、遺伝子への攻撃を減らし免疫力を高め、結果的にがん細胞の増殖を抑えたり、がん細胞を除去したりできる体をつくるわけです。

 代替医療は漢方医学、鍼灸、カイロプラクティック、アーユルヴェーダ、温熱療法、アロマセラピー、ホメオパシー、レイキをはじめとした各種ヒーリングなど多種多様。食事療法もそのひとつで、なかでももっとも有名なのが、ドイツの医学者、マックス・ゲルソンによって提唱された「ゲルソン療法」。これは、がんの原因となる、もしくはがん細胞の増殖を促すような食品の摂取を控え、かつ栄養素をバランスよく摂取して自己治癒力を高めるというもの。

 制限される食品は、塩分、油脂類、動物性タンパク質、アルコールやカフェイン、精製された砂糖、人工的食品添加物などさまざま。一方で芋類、未精白の穀類などの炭水化物、豆類、新鮮な野菜・果物などを中心とした食事、さらには大量かつ多種類の野菜ジュースの摂取が求められるのだといいます。実行するには、それなりに覚悟と根気が必要だということですが、がんになった医者のなかにも、食事療法を取り入れて病気を克服した人は多いのだそうです。

 ただし重要なのは、「食事療法だけやっていれば、がんが治るわけではない」「食事療法で、すべてのがんが治るわけではない」ということ。前述したとおりがんの原因はさまざまですが、食事療法がめざましい効果を示すのは、基本的には食生活の乱れががんの原因となっていた場合のみ。つまり「食事療法だけで治すことができる」とは考えない方がよいということです。

 また食事療法は、一度はじめたら、なかなかやめることができないもの。効果があればなおさら、やめるのが怖くなってしまうわけです。しかし、厳格な食事制限を続けるのはつらいもの。もし食事療法を行うなら、いつまで続けるのか、ある程度目標を定めて取り組んだ方がいいといいます。(128ページより)

 これだけを見ても、著者の考えるがん治療が、西洋医学だけに頼ったものとは大きく異なっていることがわかるのではないでしょうか? そして読んでみれば、そこにこそ本書の意義があると実感できるはずです。

(印南敦史)

ライブドアニュース 2015年11月13日

「リビングウイル」初の県民調査
賛成6割超えるも作成は2.6%
 人生の最期にどういう医療を受けたいかをまとめた書面の「リビングウイル」「事前指示書」を作成することに賛成する岡山県民は6割を超えるものの、実際に作成している人は2・6%しかいないことが、県が初実施した「在宅医療と終末期医療に関する県民意識調査」で分かった。書面での意思表示がなければ望まない延命医療につながることもあり、県は作成の普及に力を入れる方針だ。

 調査は2月、在宅医療の推進に向けた課題を探る目的で実施した。成人2500人を無作為抽出し1400人から回答を得た。全国の状況と比較するため、厚生労働省の調査(2013年3月)に質問内容をほぼ合わせた。

 「リビングウイル」「事前指示書」を作成することに賛成とする人は62・1%、反対は1・1%、分からないが34・5%。厚労省の全国調査と比較すると、賛成の比率が7・6ポイント低かった。

 実際にこれらを作成済みの人はわずか2・6%(全国調査3・2%)。「リビングウイル」という言葉とその意味を知っているかどうかについては「知らない」が77・0%で、認知度が低いことが裏付けられた。

 終末期に自分が受けたい医療について実際に家族と話し合ったことがある人は40・6%(全国調査42・2%)だった。

 在宅医療のイメージについては「急に病状が変わったときの対応ができない」が75・5%、「どんな医療を受けられるか分からない」が68・3%に上った一方、「満足のいく最期が迎えられる」は52・5%、「家族が希望した場合、最期まで在宅療養できる」は32・3%にとどまり、不安の方が大きいことがうかがえた。

 リビングウイルや事前指示書の様式に決まりはない。全国的には医療機関が独自に作成し、希望する患者に配布するのが一般的だが、県内で導入している施設は「非常に少ない」(県医療推進課)という。

 同課は「救急医療の現場からは、終末期医療に関する患者の意思が分からず、どこまで延命治療をすべきか戸惑うという声も多く聞かれる。県民への啓発とともに、医療機関にも普及への協力を求めていきたい」とする。

 リビングウイル 自らが望む終末期医療の在り方を事前に残しておく書面や、その作成行為。無意味と思う延命治療を拒否する意思を表すのが一般的。米国が発祥とされる。事前指示書も内容的には同じ。

山陽新聞 2015年11月17日

がんになる前の自分に伝えたい、10のこと
キンバリー・フィンク がんサバイバー、がんや慢性疾患の患者をつなげるウェブサイト「Treatmint Box」設立者

 がんになる前に知っていれば良かったのに、と思うことがいくつかあります。それを知っていれば、将来に可能性を見つけ出し、今日、明日、さらにその先の日々を受け入れる助けになるでしょう。がんになる前の自分と話せるとしたら、私はこの10のことを伝えたい。

1. いつもポジティブでいる必要はない。

弱気になる日もあります。でも大丈夫。いつもポジティブでいる必要はありません。苦しみを抱えていてもいいし、失ったものを嘆いてもいい。調子の悪い日があってもいいのです。

2. 新しい考え方を取り入れる。

 がんになる前の自分に戻りたいと思うのは自然なことです。だけど以前のようにはいかないこともある。それを受け入れましょう。思い描いていた人生や、一番大切にしていたものを、がんは大きく変えてしまう場合があります。だから過去の自分と現在の自分に折り合いを付けるために、変化を受け入れるのは自然なのです。

3. 治療は予定した通りには進まない。

魔法の杖はありません。治療は時間がかかるものです。長い時間をかけて向き合っていかなければいけません。なるようになる、と気付くまでに多くの痛みを感じることでしょう。それに治療は順調に進むものではありません。体調が良い日もあれば、起き上がるのがつらい日もあります。三歩進んで二歩下がるような気持ちで前へ進み続けましょう。

4. 治療の方法は千差万別。

 治療には決まった方法も予定表もありません。回復の仕方はそれぞれ違います。がんを経験した人たちには、それぞれ違った生き方があります。感情的な痛みにどう対処するか、どういった治療をするかが生き方を大きな影響を与えます。ある人に合う方法が、別の人に合うとは限りません。がんに支配され、自分自身や生き方を左右されないために、自分にあった治療法を見つけましょう。

5. がんと戦っている以外の自分を発見する。

 がんになる前の自分を思い出せなくなると、心身ともに消耗してしまいます。でもそんな時間は段々少なくなります。気持ちが落ち込んでしまうと大好きだったものを忘れてしまいます。それを思い出すようにしましょう。夢中になれる新しいものをみつけましょう。

6. 命には終わりがあるという事実を受け入れる。

 しばらくは将来について考えられないかもしれません。計画を立てたり、20年先の人生を想像するのも嫌かもしれません。人生はめちゃくちゃで計画を立てるのも予測するのも不可能だと感じる時もあります。だけど「命には限りがある」という事実を受け入れれば、力が沸いてきます。その事実に立ちすくんでしまうことも、受け入れて前へ進むこともできます。受け入れられれば、ストレスの多い世の中でも心を平和に保てるのです。

7. がんを克服した人たちとつながる。

 友人や家族に理解してもらえないと感じる時は、同じ気持ちを持っている人たちとつながりましょう。がんを経験すると世の中が軽薄でばかばかしく感じてしまうことがあります。それは孤独なことです。そんな時、気持ちを理解してくれる人はあなたの助けになります。自分は一人ではないと気付けば勇気付けられ、治療を続けるための力の源となるのです。何より避けなければいけないのは、苦しみの中で孤立してしまうことです。

8. 自分に優しくする。

 弱い自分に優しく寛大になるのは難しいことです。苦しみから抜け出したいのに、前へ進む方法が見つけられないかもしれません。意志の力で弱さを克服できないのは、想像以上につらいものです。だけど弱い自分に優しく寛大になってください。あなたはこれまでに多くを乗り越えてきたんです。焦ってはいけません。

9. 毎日を精一杯生きる必要はない。

 限られた時間しか生きられないとわかると、毎日を精一杯生きなければいけないと思ってしまうかもしれません。でも、そんなプレッシャーを抱えながら毎日を過ごすことはできません。掃除や買い物をしなければいけない日もあります。いつ死んでもおかしくないと知っても、日常が止まるわけではありません。生きている実感と止まらない日常のバランスをとれるようにしましょう。

10. 悲しみは癒しだ。

 失ったものを悲しんでもいいんです。悲しめば、生きていることに感謝していないように見えるかもしれないという理由で隠さないでください。悲しみは、隠すと大きくなってしまいます。変わってしまったことや失ってしまったものを悲しみながら、感謝の心を持つことはできるのですから。

ハフィントンポスト 2015年11月26日

「老親の介護をする人に、がんが多い」
「夜3回のトイレ介助で頭が重い」

 病気のお年寄りや夫・妻を介護する人や、障がいを持つ家族の世話をする人……。

 ケアをする人(ケアラー)は、身体も心もいっぱいいっぱいです。いつ壊れてもおかしくありません。それくらい疲れ切っている人が多いのです。

「夜3回のトイレ介助で頭が重く、寝不足がツラい。でも、見守っていないと何かあったとき、夫の兄弟に責められるのは私でしょう」

「がんの夫を2年前からケアしています。家計が苦しく新聞配達もしています。疲れて人と会っても笑顔がでません。でも、代わってくれる人はいません」

「介護がなければ生活がもう少し楽になるとか、そんなみにくいことを考える自分が情けなくなります」

「テレビ、扇風機、エアコン。父は新しい家電の使い方がわからず、壊します。エアコンはリモコンの操作法がわからず電源OFFにできないため、通風口に棒を差し込みガチャガチャやってダメにしました」

 これらの声は、日本ケアラー連盟などがケアラーの介護体験を聞き取ったもの。介護のしんどさや孤独感がひしひしと伝わってきます。

 また、次のようなケアラーの実態や意識も浮かび上がっています。

▼ケアをしている期間は?

3年未満:28.1%
3年〜10年未満:37.2%
10年以上:23.2%

▼身体の不調を感じている?

はい:48.4%
いいえ:45.0%

▼「思う」(たまに+時々+よく+いつも)人の率

介護をしている人のそばにいると腹が立つ:67.7%
介護をしている人のそばにいると気が休まらない:61.1%
介護があるので家族や友人と付き合いづらい:51.5%
介護を誰かに任せてしまいたい:50.5%

出典:NPO法人 介護者サポートネットワークセンター・アラジン「全国の5つの地区の4000世帯(ケアラー2075人)を調査」

 他の調査でも、「ストレスや疲労感が増した」「仕事を退職・転職した」「睡眠時間が減った」「自分の状況を理解してくれる人がいない」と感じるケアラーが多いことがわかっています。

「がんになる人が目立つ」

 こうした“苛酷”な環境にいるからでしょうか、日本ケアラー連盟代表理事の牧野史子さんは「老親などを介護しているケアラーの方が身体を壊してしまうケースをよく見る」そうです。

 しかも、「とくに目立つのが、がん」だと牧野さんは言うのです。

「ケアラーでがんになってしまわれる方がとても多いという印象があります。がんの発症要因のひとつはストレス。介護することで、一般の人以上に大きなストレスがかかっていることが関係しているのではないか。正式な統計はありませんが、そう感じています」

 たとえば、老親の介護をひとりでしている方が、がんで余命半年などと宣告されることは珍しくないそうです。介護に時間を取られ、健康診断やがん検診をを受ける時間がつくれなかったのかもしれません。

 親を看取るまで頑張ろうと思っていたのに、自分が先に逝けば親はどうなってしまうのか。その方の心中を察するに余りあります。牧野さんたちもがんに罹患したケアラーの方の話を聞いていると、「切なくなる」と言います。

「こうした悲劇的な状況に陥らないためにも、そしてよりよい介護をするためにも、ケアラー自身、健康には常に気をつけておかなければならないのです」(牧野さん)

 ただでさえ肉体的に疲れているケアラーは様々な悩みを抱え込んだまま要介護者と向き合います。昼も夜も。中には、孤立し悩みが増幅され、介護うつのような症状を発症するケースも少なくありません。

 そこで、重要となるのが前回ご報告した「ケアラーズカフェ」のような同じ境遇の人が悩みを打ち明けられる場所です。そこではアドバイスを受けられますし、誰かに話を聞いてもらうことで少しは気分も晴れるかもしれません。「ツラいのは自分だけじゃないんだ」と思える効果もあります。

 ケアラーは介護の現場でケアマネージャーやホームヘルパー、訪問看護師など、その道の専門家と接することが多いです。でも、彼らは他にも多く利用者を担当しており、所定のサービスが終われば立ち去ります。なかには親切にアドバイスをしてくれる人もいますが、悩みを話せる信頼関係を築けないタイプもおり、現実的には相談相手になってもらうのは難しいわけです。

 よって、こうしたケアラーのための“駆け込み寺”を増やすことが急務なのですが、現状は全国で20カ所ほどと少ない。それも大半が週に1回とか、月に2回と開設時間は限定されており、誰もが駆け込める場にはなっていません。ほとんどのケアラーは孤立したまま放置されている、といっていいでしょう。

介護者に絶大な人気の「手帳」

 それでも、サポートはゼロではありません。

 日本ケアラー連盟などが制作した「ケアラー手帳」がケアラーの間で話題になっています。A5版、26ページの薄い小冊子ですが、精神的に追い込まれたケアラーの気持ちを楽にする言葉や救いとなるアドバイスなどが載っているのです。

 手帳は日本ケアラー連盟のサイトでも購入できる。(http://carersjapan.com/)

 悩み孤立し弱っているケアラーにとっては、ほんの些細な情報でも気持ちの支えになるもの。同手帳には、「1人でかかえこまないで介護仲間をつくろう」「自分をほめてあげよう」「がんばりすぎない」「健康に気をつけ自分を大切に」「(要介護者に)腹が立ってあたりまえ」といった同じ当事者目線の本音ベースの声も掲載されています。

 たとえば、「(要介護者に)腹が立ってあたりまえ」の欄には、

「認知症の人には怒ってはいけないと言われますが、身内の介護では、そう簡単にできるものではありません。怒らないで介護できるようになるにはだれでも時間がかかります」

とあります。

 私も父の介護経験がありますが、つい怒ってしまい自己嫌悪に陥るということを繰り返しました。もし、そのときこのアドバイスとコメントを読んでいれば、少しは気が楽になったはずです。

 介護体験事例もまとめられています。それも、ありがちな「こうしたら問題が解決した」といった美談ではなく、冒頭に紹介したような介護のあるがままのツラさを訴えるもの。だから、ケアラーの共感を呼んでいるのです。

 さらに、「気持ちが沈む日に」という欄もあって、ケアラーの気持ちをそっと癒してくれます。

「やらなければならないことが山積みでウンザリしてしまったら、15分とか30分と決めて、気が向くまま過ごす自分の時間を作ってみては?」

「今日は無理せず過ごし、また明日からがんばると決めてしまうのも一手です」

 介護で疲れ果ててしまうのは、真面目でがんばり過ぎるタイプの人といわれますが、このアドバイスを読めば救われるのではないでしょうか。

 この手帳を見て「さすがケアラーが抱える問題を、よく知っているな」と私が思ったのは、ケアラー自身の健康チェックリストがついていたからです。「最近、あなた自身の健康状態について、気になることはありませんか?」といった設問に答える形式で、「自分の身体や心をいたわる」気持ちを忘れずにすみます。病気が深刻化するのを防ぐことができるはずです。

 同手帳は1部200円。手元に一冊あると、少しは介護の悩みや孤立感を和らげてくれのではないでしょうか。日本ケアラー連盟のサイトからも購入可能です。

PRESIDENT Online 2015年11月28日

室蘭で緩和ケアテーマに公開講座
 音楽でストレス軽減
 室蘭更生保護女性会(石倉祥子会長)の公開講座が3日、室蘭市東町のハートセンタービルで開かれ、音楽療法士の四方明子さんが「緩和ケア病棟での音楽療法〜音楽で寄り添って〜」をテーマに講話した。

 約20人が参加。四方さんは音楽療法について「私自身、子育てで悩んでいるときに音楽で助けられました。音楽には血圧や心拍、呼吸など、自律神経に働き掛け、正常に戻す力があります。痛みの質や心理状況に合わせて患者さんが心地良いと感じる音楽を用意し、患者やその家族のストレスを軽減させる力があります」と説明した。

 病院で触れ合った患者とのエピソードを披露し、参加者と一緒に「月の砂漠」「花は咲く」「街の灯り」を歌った。涙を流しながら歌を口ずさむ参加者の姿もあった。四方さんは「これからも緩和ケアチームの一員として患者さんに寄り添い、心に通う音楽を奏でていきたい」と述べていた。
(石川綾子)

室蘭民報 2015年12月5日

米国で進む 小児がんの苦しみや辛さを和らげるセラピードッグの研究
 世界中で100万人に50〜200人という割合で発生する「小児がん」。年々生存者は増えてきているものの、長期にわたるがん治療は、体の痛みや疲労などの身体的な影響だけではなく、PTSD(心的外傷後ストレス障害)など、精神面にも多大な影響を与える。

 しかし最近の研究で、セラピードッグと接することで、小児がん患者を落ち着かせる可能性があることが分かった。

小児がん患者のセラピードッグ、アメリカの5つの病院で研究が開始

 Amy McCullough博士は、子どもや動物の虐待・放棄の原因を特定し、防ぐことを目的としたアメリカの動物愛護団体(American Humane Association)で、人道的研究とセラピー部門の監督者を務めている。

 そのMcCullough博士の主導で行われたのが、小児がん患者のストレス、不安、健康状態と関わる生活の満足度に、セラピードッグの利用を含んだ動物介護療法が良い影響を与えるかどうかの調査だ。

 患者だけでなく、その親のストレスや不安、患者と触れ合うなかでセラピードッグが苦痛に感じるかどうかも、調査された(※1)。

4ヶ月間、セラピードッグと触れ合い

 調査はアメリカの5つの病院で、がんと診断された3〜17歳の子どもたちと、その家族に協力してもらい行われた。

 被験者は、通常の治療を受けるグループと、通常の治療に加えて、週1回セラピードッグと15分間触れ合う時間を設けたグループに、ランダムで分けられ、4カ月の間、決められた間隔で患者と両親それぞれの不安感と生活の満足度が調べられた。また、セラピードッグとのセッションの始めと最後には、患者の血圧と脈拍も測定している。

 セラピードッグの状態は、ビデオに記録されたセッション中の様子や調教師の報告、セッション中に採取された唾液中のストレスホルモン量で判断された(※1)。

セラピードッグと接したあと、小児がん患者の血圧と脈拍が安定

 68人のがんの子どもたちが参加した予備調査の結果、通常の治療を受けた患者たちに比べて、セラピードッグと触れ合った患者たちの血圧は、すべてのセッションで安定していたという。

 脈拍も、通常治療のグループでは大きな乱れが見られたが、セラピードッグと接したグループでは安定していた。また、セラピードッグの存在は、犬たちと接したグループの両親にも穏やかな気持ちを与えた。(※2)。

セラピードッグはなぜ小児がんの子どもたちを落ち着かせるのか

 週1回15分という短い時間にもかかわらず、セラピードッグと接することが、子どもたちの心の安定に効果があったのはなぜだろうか。

 理由の一つとして、病院で過ごすことに対する抵抗を緩和してくれることにある。慢性的な痛みや治療に立ち向かう子どもたちは、“患者”としての新しい生活に適応するという壁を乗り越えなければならない。

 しかし、子どもたちが毎日接する環境のなかでセラピードッグの存在が当たり前のように思えると、病院が異質なものではなくなり、自宅のような居心地のよさが感じられるのだという。また、セラピードッグと一緒にいることで、ネガティブな感情や大変な現実から少し距離を置くことができたり、誰かとのつながりや見返りのない愛情を感じることもできたという(※3)。

 McCullough博士ら研究チームは、本調査に続き、新たに同数程度の被験者を集め、再度データ収集を行うという(※2)。さらに明確な結果が出れば、世界中でセラピードッグを取り入れる病院が増え、小児がん患者の治療の成果も向上することだろう。

※1:The Effects of Animal-Assisted Interventions (AAIs) for Pediatric Oncology Patients, Their Parents, and Therapy Dogs at Five Hospital Sites/McCullough A., et al. https://aap.confex.com/aap/2015/webprogrampress/Paper30412.html

※2:Medical News Today http://www.medicalnewstoday.com/articles/301476.php

※3:Examining the Effects of Therapy Dogs With Childhood Cancer Patients and their Families; p.29-32/American Humane Association http://www.americanhumane.org/interaction/programs/animal-assisted-therapy/canines-and-childhood-cancer.html?referrer=https://www.google.co.jp/

参考:International Childhood Cancer Day: 15 February 2015 http://www.who.int/cancer/media/news/Childhood_cancer_day/en/

CIRCL(サークル) 2015年12月13日

在宅医療に取り組む看護師から見た遠隔診療
小口 正貴=スプール

 岐阜県岐阜市にある小笠原内科では、在宅療養支援診療所として24時間対応の在宅医療を行なっている。地域包括ケアに向けた地方の訪問看護や遠隔診療の現実は果たしてどのようなものなのか――。セミナー「どうなる? 遠隔診療」(2015年12月9日、主催:日経デジタルヘルス)では、同内科・訪問看護ステーションの責任者で、看護部長を務める木村久美子氏が「看護師から見た遠隔診療 〜地域包括ケアに向けて」と題して講演した。

 講演ではまず、スライドを用いて訪問看護の日常が次々に映し出された。入浴介助や内服薬管理といった介護分野のケアは想定の範囲内だが、木村氏らによる訪問看護では、口腔ケア、点滴、輸血、持続皮下注射、人工肛門(ストーマ)交換、胃ろうチューブ交換介助など、高度な医療ケアもきちんと対処する。

 そこには、在宅医療患者と家族に対するQOL(Quality Of Life:生活の質)向上による「緩和ケア」を支援したいという同院の思いがある。木村氏によれば「日本における緩和ケアは決して進んでいないのが実情」とのことで、在宅療養患者への包括的な緩和ケアシステムが整備されていないとした。

 同院では積極的にがん患者の終末期ケアを支援し、2014年5月〜2015年4月までの1年間で41名ものがん患者を自宅で看取ってきた。その在宅看取り率の割合は98%にも上る。この高い看取り率を支えたのが、Total Health Planner(THP)として機能するキーパーソンの存在だったという。

iPadと専用アプリを活用

 木村氏自身もその職を担うTHPとは、医療・看護・介護・福祉・保健など多職種連携のハブとなる職務だ。入院中の患者や家族から相談を受け、病院側と退院調整を行い、在宅医療に切り替えることから始まり、その後は専門医、看護師、薬剤師、ケアマネージャーの手配に至るまで、多方面から在宅医療を望む患者をサポートする。

 これら多職種連携に、iPadと専用アプリが大いに役立っている。医療・介護のアプリ開発に強いサンテンと共同開発した「THP+」というアプリでは、SNS形式によって各職種の担当者が情報を共有。このネットワークにはもちろん患者やその家族も参加でき、遠隔地の家族とのコミュニケーションや、テレビ電話を利用した遠隔診療にも一役買う。

 THP+の有効性について聞いた利用者アンケートでは、職種間連携の促進手段として有用と回答した割合は90%となった。木村氏は、「レセプト連携の希望もあるが、情報共有と入力の簡素化を改善していきたい」と語り、あくまでも共有ツールの利便性を深めていく方針だ。

BPnet 2015年12月15日

自宅で死をむかえるのは難しいのか
自宅で死の瞬間をむかえること…みんなはどう考えている?
 できれば家族に見守られ、住み慣れた自宅で最期を迎えたい。みなさんも一度はそんな風に考えたことがありませんか?

 厚生労働省の「在宅医療の最近の動向」という資料には『終末期の療養場所に関する希望』についての調査結果が出ています。それによると、やはり「終末期を自宅で療養したい」と答えた人は半数以上。一方、そう答えた人の多くは「必要になれば医療機関に入院したい」「必要になれば緩和病棟に入院したい」という思いも抱いていることがわかります。

 また、日本ホスピス・緩和ケア研究振興財団の「ホスピス・緩和ケアに関する意識調査」によると、自宅で最期のときをむかえたいと考えている人の割合は約8割。ですが、このうち6割以上の人が「実現は難しい」と考えています。

 できるだけ長く自宅で過ごし、もう無理だと感じたときに入院。そして、病院のベッドで最期のときをむかえる。これが、多くの人が思い描く終末期の現実的な過ごし方ではないでしょうか。

なぜ自宅で死をむかえることは難しいと考えてしまう?

 ひとつには、「死は病院でむかえる」のが当たり前になっているから。一昔前と比べて自宅で亡くなる人はずいぶんと減り、いまでは老人ホームを合わせても全体の2割を切る状況です。人の死が身近なものではなくなっている分、自宅で死ぬというイメージがわきにくくなっているのかもしれません。また、家族に負担をかけたくないという遠慮。そして急変したときにどうしていいのかわからないという不安感も大きな理由といえます。

本当に自宅で死をむかえるのは難しいの?

 ですが、

 本人に自宅で過ごしたいという強い意思があり、家族もそれを叶えたいと思う

 そんな彼らを支える在宅医療と在宅介護の万全のサポートがある

 ちょっと息抜きをしたいときの逃げ場があって、これ以上在宅療養を続けるのは難しいと感じたときにはすぐに入院に切り替えられる

 このような環境が整っていけば、自宅で最期のときをむかえることがもっと身近になるのではないでしょうか。

たとえ一人暮らしでも自宅で最期をむかえられるように

 特に一人暮らしの場合、自宅に帰りたいと本人が望んでも「ひとりで何かあっては大変」と家族からの反対を受け、やむなく病院にとどまる人も多いでしょう。ですが、本人が望むのであれば一人暮らしでも最期は自宅で過ごせることが理想。最近ではそんな理想の実現に向け、在宅ケアの支援体制を充実化させる動きもあります。一人ひとりが理想の死が迎えられるよう、こういった取り組みが広がっていくといいですね。

 と思ったら、友だちに共有しよう。

介護のほんねニュース 2015年12月17日

69歳の僧侶・内科医が余命3か月のいま、考えていること語る
普門院診療所内科医・西明寺住職の田中雅博氏

 田中雅博氏(69歳)は、奈良時代に建立された栃木県益子町の西明寺に生まれた。前住職の父親の勧めで東京慈恵医大に進学し、1974年に国立がんセンターに入職。前住職が亡くなった後、入学した大正大学では博士課程まで進んで7年間、仏教を学んだ。その間1983年に寺を継いだ。1990年に境内に緩和ケアも行なう普門院診療所を建設し、医師として、僧侶として患者に向き合ってきた。
 
 ところが、昨年10月にステージ4b(最も進んだステージ)のすい臓がんが発見され、手術をしたが、今度は肝臓への転移がみつかった。現在は抗がん剤治療を続けているが、効果は芳しくなく、余命わずかであることを自覚している。数多くの末期がん患者と向き合ってきて、自身の死も静かに見つめる彼が、いま、考えていることを語った。

 * * *

 40年ほど前、国立がんセンターに内科医として勤めていた頃は、担当した患者さんのほぼ全員が、治らない進行がんでした。外科医だと、手術して治る患者さんも診るのですが、内科医の私が担当した患者さんは、ほぼ全員が進行がん。当時はいまよりも治療法が限られていて、どうすることもできない、延命も難しい場合もあるという状況でしたが、いまでもがんの大部分は進行してしまうと治すのが難しくなります。

 そんな患者さんから「私は治りますか?」と質問されたらどう答えますか?

 「残念ながら治すことはできません」と答えるしかない。がん性疼痛(がんに伴う痛み)を薬で抑えるなど、身体苦の緩和ケアで痛みを抑えることはできますが、痛みがなくなると最後に出てくるのが「死にたくない」「死ぬのが怖い」という苦しみです。

 「私は死ぬのですか?」と多くの患者さんから聞かれました。しかし、医学ではどうにもならないことがある。「いのちの苦」の緩和ケアから人を救うことは、医者にはできない、科学にはできないのです。

 一般にがんが肝臓に転移した場合、黄疸が出ると余命約1か月です。私の場合、まだ黄疸は出ていませんが、検査結果を見て、各種統計と照らし合わせると、生きられるのはあと何か月かといったところでしょう。来年3月の誕生日を迎えられる確率は非常に小さい。

 先日、孫が生まれたんですよ。この子の成長をいつまで見られるのかと、つい考えてしまいます。生きていられるのなら、生きていたいと思いますし、命がなくなることに苦しみは感じます。しかし、人の死は思い通りにはなりません。

 たくさんの患者さんが亡くなっていくのを見ながら、「そのうち自分の番が来るだろう」と思っていました。だから、驚きもしないし、悲観もしない。「自分の番が来たか」と。むしろ「自分の番が来たらこうしよう」と考えてきたことがあるので、それを一つ一つ実行しているような感じです。

 面白いもので、私が余命わずかと判明したら急に注目を浴びて、こうしてメディアからの取材を受けるようになった(笑い)。

 10年ほど前に、ある出版社からの依頼で、般若心経を解説する本の原稿を書いたのですが、趣旨に合わなかったのかお蔵入りにされてしまった。それが今回、別の出版社から出すことができたんです(『般若心経の秘密』電気情報社刊)。

 私はこの20年、30年、ずっと「日本の病院にもスピリチュアル・ケアワーカーが必要だ」と訴え続けてきたのですが、自分の番が来たら、ようやく耳を貸してもらえるようになった。

 「危機」という言葉の「危」は危険という意味ですが、「機」は機会、チャンスという意味で、危機こそチャンスです。それも最期のチャンスだと考えています。

NEWSポストセブン 2015年12月18日

創成会議、終末期医療は「選択の仕組み作り」が必要
 日本創成会議は2015年12月17日、シンポジウム「高齢者の終末期医療を考える」を開催。講演した日本創成会議座長の増田寛也氏は、終末期医療について「患者本人の意思が最大限尊重され、最後まで自分らしく生きることが実現されることが重要だ」との考えを述べた。

 増田氏は、日本が多死時代を迎え、高齢者の終末期医療の在り方について「検討する機運が高まってきた」と説明。終末期には、本人の苦痛があっても医療を優先するのか、自宅で過ごすなど生活の質を重視するのかが選択になるとした上で、国内では、「どの時点で誰が選択を行うのか、選択を実行するためにどうすればいいのか、その仕組み作りに向けた議論が欠けている」(増田氏)と指摘した。講演では、そうした仕組み作りに向け、今後も時間をかけて国民が考える機会を増やす方針も示した。

 シンポジウムでは他にも、国立長寿医療研究センター名誉総長の大島伸一氏、北海道大学名誉教授で北海道中央労災病院院長を務める宮本顕二氏が講演した。大島氏は、高齢者の終末期医療について「人々は、よりよい死を望んでいる。ただ、よりよい死とは何かを議論する際医師(医療者)が関わると、人々の不信感や反感を買う可能性が大きい」と指摘。「より良い死とは何かを検討するのは文系の役割だ」(大島氏)とし、それが標準化されたところで、医師は医療に何ができるかを議論すべきだと提案した。

 日本創成会議は、東日本大震災からの復興を新しい国づくりの契機とすることを目指し、公益財団法人日本生産性本部が2011年5月に設立した民間の政策提言組織。元総務大臣、前岩手県知事の増田氏が座長を務め、民間の有識者や大学教授などから構成される。2015年6月には、東京圏の高齢者が増加し、介護施設が不足することから、高齢者に地方移住を勧める提言をまとめて話題となった。 

BPnet 2015年12月18日

お正月は大チャンス!「エンディングノート」について話し合おう
 自身の想いや残された家族への希望を伝える終活ツールの1つ、「エンディングノート」。残された家族の負担を軽減し、相続が“争続”になってしまうのを防ぐ効果も期待できます。

 「書きたい」とは思っていても書くタイミングを逃している人や、「書いて欲しい人がいるけど書きそうにない」という人もいるのではないでしょうか。お正月は家族でゆっくりと話し合い、エンディングノートに想いを記す大チャンスかもしれません。

■エンディングノートは「書くタイミング」が難しい!?

 一般社団法人相続診断協会が294人の男女を対象に実施した「笑顔相続ノート(エンディングノート)に関するアンケート調査」では、エンディングノートをこれから書き残したいと考えている人は81%にのぼりました。一方で、88%の人がまだ書いていない実態も判明。「いつか書きたい」と思ってはいても、実行に移している人はとても少ないようです。

 亡くなってしまってからでは書くことができませんから、家族で話し合う機会を設け、両親や祖父母の背中を押してあげることが大切かもしれませんね。

■どんなことを書けばいい?

 いざ「エンディングノートを書き始めよう!」と思っても、何を書いたら良いのか迷ってしまう人も多いでしょう。nikkanCare.ismの過去記事「人生を見つめ直すきっかけに!? みんなの『エンディングノート』事情」では、エンディングノートを書いている・書いてみたいと思っている男性の多くは「家族への感謝の言葉」「所有財産や負債に関すること」を、女性の多くは「自身の葬儀や墓のこと」「終末期医療のこと」を書き記したいと思っているとお伝えしました。

 まずは家族で相続や死後の希望について話し合い、頭を整理する機会を設けましょう。その上で、まずは想いのままに感謝や伝えたい気持ちを書き、相続や埋葬、お墓などについて希望があれば思いつくままに書いてもらうようにすると、エンディングノートを書くことへの抵抗を軽減することができそうです。

■お正月休みは大チャンス!


 「明日死ぬかもしれないから……!」と急いで準備をする人は少ないもの。さりげなく話題に盛り込んだり、背中を押してあげたりすることで、自身の気持ちの整理や、家族がエンディングノート作成に取り組むのを後押ししてはいかがでしょうか。お正月のゆったり、じっくり話し合える機会は大チャンスですよ。

【参考】笑顔相続ノート(エンディングノート)に関するアンケート調査 − 社団法人相続診断協会

マイナビニュース 2015年12月31日