広葉樹(白) 伊能言天 語録

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伊能言天 (いのう げんてん)

プロフィール
1948年生 医師

金沢大学医学部卒業・東京慈恵会医科大学大学院中退
市立病院外科医長・私立病院副院長・病院長など歴任


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その1 時間の単価 その20 男女の問題
その2 笑顔の研究 その21 人前で話すこと
その3 全員医療と全人医療 その22 人間の立場
その4  トータルヘルスサービス その23 量から質への転化
その5 マザーテレサ その24 合理化
その6 就任の挨拶 その25 インフルエンザについて
その7 一(いち)の立場 その26 コンピューター
その8 まず不安を取ること その27 良いことをするのに遠慮は不要
その9 その立場に立って分かること その28 回転運動が必要
その10 縦と横 その29 人生の目的は、自己を完成して宇宙の進化に寄与すること
その11 二(に)の立場 その30 百聞は一見にしかず
その12 先駆者の道 その31 心を癒す言葉
その13 自主性 その32 医療者としての毅然とした態度
その14 毛利元就に学ぶ その33 診療の三原則
その15 日本シリーズ 横浜と西武  その34 人生はツール
その16 佐々木投手
その17 トップダウンとボトムアッ
その18 自分との闘い
その19 思い入れと思い込み

その1 時間の単価

 みなさんもご存じのように今の日本経済は、金融再生関連法案の審議難攻を見ても、あるいは円安、株価暴落などを見ても大変厳しいものがあります。

 これらによる医療への直接の影響というのは、患者の病院受診の抑制というところにありますけれども、しかし長い目で見た将来的には医療保険財政がひっ迫して診療報酬体系にも影響がでてくることが考えられます。それによっていろいろな制度の改革、例えば診療報酬の出来高払いから定額制の導入など、日本の医療界にも大きく影響してくることが考えられます。それに対して私たちがいかにこれから準備をし、対策を練っていくかが大切になると思います。今日の日本の経済不況は対岸の火事ではなく、われわれ医療者にとっても大変厳しいものには違いないのです。

 10年ほど前、アメリカの自動車会社フォードの社長をやっていたアイアコッカさんという人が、自分の著書の中でこう言っていました。「時間には単価がある」。

 著書の中のくだりはこうです。彼が他の会社に出張に出かけようと飛行場に赴いたときです。アメリカは広いので飛行機を乗り継いで行きますから、何時間も空港で待たされることがたびたびあるというのです。そこで彼は、「自分の年俸は何億だから、一時間待たされたら何十万円の損失だ。だから自家用機を買うべきだ」と主張し、そう実行したというのです。

 単価とは簡単に言うと、ある人が一定時間に稼いだお金を、働いた時間で割った値です。すなわち、働いてどれだけのお金を稼ぐことができるかというのが、その人一人の時間の単価になるわけです。それは仕事の内容によって、それぞれ違います。1時間千円の人もいれば、1時間一万円の人もいます。

 ここで大切なことは、1時間千円の人と1時間一万円の人が、同じ内容の仕事をしていてはならないことです。例えば事務的な仕事でいうと、事務員で出来ることをドクターがやっていた場合、それは時間の浪費となるのです。ドクターには診療で稼いでもらった方が、経済効率だけから言えば良いのです。みんなそれぞれの時間の単価に見合った仕事をしなければならないのです。(1998年10月1日)


その2 笑顔の研究

 先日子供とディズニーランドに行ってきました。そこで気付いたことがあります。そこで働く職員たちの笑顔がとても素晴らしいのです。あれは相当職員の訓練をしていると思われました。

 それは経営者の決定した方針からだと思いますが、実にそれを見ていて気持ちがいいのです。夕方にいろいろなパレードがあります。そこに登場する人たちもみんなすてきな笑顔を絶やさないのです。それを見ていて心がなごみました。

 私たちも医療者として笑顔を見せましょう。患者はそれだけで半分病気が治ります。小難しい顔は禁物です。それは訓練しなければなりません。気持ちの持ちようの訓練、そして鏡を見て笑顔をつくる訓練もするのです。どうしたら自分には一番いい笑顔ができるのか、鏡を見ながら研究する必要があるのです。

 また、笑うこと自体が、心身のリフレッシュにつながるということを、あるテレビ番組で言っていました。医学的には、笑うことによって免疫力が向上することは言われています。

 その番組の中では、笑うためのセミナー風景を紹介していました。多くの人が料金を支払って、そのセミナーに参加しているのです。そこでは、面白いから笑うだけでなく、面白くないときでも、まず声をあげて笑う訓練をしていました。無理にでも笑っているうちに、本当に愉快な気持ちになってきて、心身もリラックスし、リフレッシュするというのです。

 それだけ、気持ちを明るくしかも積極的にすることが、大切であることが分かります。


その3 全員医療と全人医療

 全員野球は、常勝監督として有名な、プロ野球の広岡達朗氏や野村克也氏の提唱する野球です。チーム全体がそれぞれの役目を認識して一体となって野球を戦う。打撃について言えば、1番打者は塁に出るという1番打者の仕事があります。2番打者は塁を進めること、3番打者はその走者を進塁もしくはホームに迎え入れることなどそれぞれの仕事があり、それを自覚してきっちりとその役目を果たし、しかもチーム全体が一体となって戦うのが全員野球です。

 人間の身体に例えてみれば、目の役目、口の役目、頭の役目、手足の役目など役目にはいろいろとあります。そしてそれぞれの器官は、その役目をちゃんと果たしています。足が自分はいつも日陰で、重い体を背負って嫌だと不平を言ったならどうなりますか。お腹が顔の方が目立っていいと言ったらどうなりますか。身体としては成り立ちません。それぞれの器官がそれぞれの役目を担って、身体は作られ、機能しているのです。

 企業も同じです。それぞれの部署がその役目を果たし、みんなで力を合わせた時に、組織の有機的な活動はできるのです。医業もまったくこれと同じです。

 一方、全人医療とは、病気のみを見ないで人間をトータルに見ようというものです。この最も顕著なところがホスピスです。このホスピスは医療のあるべき原点を象徴しています。当院には横浜で初めてであり、かつ唯一のホスピスがあります。

 全員医療と全人医療がこの病院の目標とするところです。(1998年1月4日)


その4  トータルヘルスサービス

 私は最近車を代えました。新しいジャンルの車に乗ってみたいと思い、四輪駆動車にしたのです。それで調子に乗って空き地の泥沼に入ってみました。そうしたら出られなくなってしまったのです。仕方なくJAFを呼んで来てもらったのですが、JAFはこういうのは自分たちの仕事ではないというのです。

 JAFは道路上でのトラブルのみだというようなことを言っていました。初めてJAFにもできないことがあるのを知りました。私は困りはてていたこともあって、「それじゃあどうしたらいいのか」とJAFの人に詰め寄りました。あまりはっきりとした返事をくれませんでした。

 「警察がレッカー車の取り扱い店を仕切っているから警察に聞いて見たらいい」というのです。JAFはノータッチです。JAFもあまり当てにならないなと思ったのですが、警察になぜ頼まなければならないのかは不思議に思いました。おそらく警察とレッカー車とは結び付いているのでしょう。あまり触れたくないような様子でした。

 それにしても、そのノウハウが全く分からないのには困りました。どこにどのようにアプローチすれば、それがかなうのかが分からないのは、大変不安でした。

 結局その時は、その自動車のディーラーがすべてやってくれたので、事なきを得ました。

 これは病院でも言えることです。病院にくる患者さんも同じです。病気についてまったくの素人ですから、もし分からないことが出たら教えてあげなければならないし、たとえ当院の管轄でないことであっても、どうしたらいいのかを教え、他の病院なりを紹介してあげなければなりません。そういうトータルなヘルスケアを今は患者は望んでいるのです。(1998年9月1日)


その5 マザーテレサ

 マザーテレサが先月9月に亡くなられました。私は、彼女の活動を収録したイギリスBBC放送のドキュメント番組のビデオを見ました。

 マザーテレサは最初は修道院で地理を教えていたのですが、三十代半ばである時イエスキリストに召され、カルカッタの貧民を救えと命じられました。彼女はカルカッタに独り赴き救貧所を作り、路上に倒れて見捨てられた人々を一人二人と連れてきて、世話をしたのです。それが、神の愛の宣教者会(ミッショナリーオブチャリティー)となって全世界に広がっていったのです。

 私は国際協力の仕事をしていましたので、10数年前にマザーテレサとお話しする機会がありました。私たちの学会で基調講演をお願いしたのですが、当時では2年後のことでもあり即答は得られませんでした。ノーベル平和賞を受けた人でありながら、彼女の奢らない姿勢は驚嘆に値しました。突然の見ず知らずの私たちの話にも真剣に耳を傾けて下さいました。

 彼女はご自分の活動の中でいつも「何をしたかより、そこにどれほど愛を込めたかが大切だ」と訴えています。貧しき人々はキリストの分身であり、貧しい人々に触れる時、私たちはキリストのお体に触れているのです、そういう気持ちで愛を込めなければならないというのです。

 マザーテレサの行いは私たち医療者の手本です。毎日の仕事をただ単に給料を得るためにやっているのでは人生は寂しい限りです。仕事を通して、自分の愛の心を成長させるのです。それによって私たちの心の愛は深まり、魂も向上していくのです。それが人生の大きな目的でもあるのです。(1997年10月1日)


その6 就任の挨拶

 私はこの病院の院長就任にあたり、次の3つのことを目標として掲げたいと思います。

 地域のための病院、患者のための病院、職員のための病院この3つです。

 病院は患者を中心とした家族あるいはその地域社会全体に対して、保健をつかさどらなければなりません。病気だけを見るのではなく、患者を一人の人間として見つめ、社会の一員として見つめる医療をやらなければならないのです。これは介護サービス、福祉サービス、訪問診療などに関係してくることです。

 患者のための病院は、本来の病院の業務です。

 地域のための病院、患者のための病院だけでは病院は成り立ちません。そこに働く職員たちのためにもなる病院でなければならないのです。それは採算の合う病院ということです。この病院が2回の倒産を味わい、そしてその城を守った人たちによってまたこうして再開されました。安定した収入を得、楽しく働ける、職員のためにもなる病院、それも私たちの目標です。病院を存続させていくためにも、職員に報いるためにも、採算を度外視して成り立たないのです。

 それが、ひいては患者のため、地域のためになっていくのです。(1991年10月2日)


その7 一(いち)の立場

 一の立場とは、まさにトップの立場、リーダーの立場のことです。私は一の立場の者には3つの使命があると思っています。

 1つ目は、ビジョンを示すこと。旧約聖書にはモーゼという人がでてきますが、モーゼは、エジプトで奴隷として酷使されていたイスラエル民族を、エジプトから解放し、カナンの地(理想郷)に導くのです。モーゼは杖を手に持ち、それで行く手を示して六十万人ものイスラエル民族を率いて出エジプトをしたのです。

 2つ目は、適材適所を実行することです。それぞれの人間の個性、才能を見抜いて、1番適切な位置にその人を置くのです。野球を例に取れば、巨人軍は、戦力的人材的には他球団の2倍はあるほどの陣容を持っています。しかし巨人はそれを使いきれていません。

 私の持論では、巨人は「野球は選手がするもの」ということが分かっていないようです。監督が野球をやってしまっています。常勝監督は、その点が違っています。実に選手の性格やその心理を見抜いています。

 3つ目は、みんなの土台となることです。トップにある者は、業績さえあればそれだけ栄光を受けます。それを独り占めにしてしまえば、栄光はトップのみへの一方通行の流れとなり、しまいには滞ってしまいます。

 トップにある者は、みんなの土台となることによって、その栄光は上から下へと巡り、回転運動を起こし、より発展して、それは永続するのです。


その8 まず不安を取ること

 95年10月、私は尿管結石で当院の2階に入院しました。院長室でそろそろ帰ろうかと椅子から立ち上がったとき、腰の左側にクツという痛みを感じました。また腰を痛めたかなと思っていましたが、いつもとは少し痛みが違います。

 初めての経験でしたが、私は直感的に尿管結石を考えました。すぐ机の引き出しからブスコパンを2錠取り出し、かみ砕いて飲みました。その直後ズシーンという強烈な痛みが来て、動けなくなりました。そこにうずくまっていると、しばらくして波が引くように楽になってきました。その間に2階の病棟に電話をして、看護婦さんにちょっと来てほしいと頼みました。

 看護婦さんが駆けつけてくれたときは、再び激烈な痛みが押し寄せてきていました。

 「石だと思う、注射してくれ」というのが精いっぱいでした。少しするとまた痛みが止みました。そこへちょうど当直の先生が来てくれたので、一応お腹を診てもらい、尿の検査をしましたら、尿は赤褐色で、潜血は強陽性でした。これで尿管結石だと確診できました。このようにして2階病棟に入院となりました。

 ソセゴン、セルシン、ブスコパン入りの点滴をし、やっとおさまりました。石は動くごとに痛みの位置が下がって行くことに気付きました。幸い翌々日、石は出ました。

 ここで私が気付いたことは、もし石だと判断できなかったらどんなに不安だったんだろうかということです。私は自分で大体わかりましたし、尿検査でほぼ100%近く診断できましたから、痛みはあっても不安はありませんでした。しかし素人の患者さんが、この強烈な痛みが何からか分からないで苦しんでいるときは、その不安は大変なものだと思います。

 私たちは、患者さんの不安をまず取ってあげることが大切だと思いました。そしてその不安は、医師でなくても受け付けの人でも、心がけひとつで軽くしてあげることができるのです。つらそうな顔つきの人がいたら、「大丈夫ですか」と、ひとこと声をかけてあげるだけでも、その人は、安心できるのです。(1995年11月1日)


その9 その立場に立って分かること

 私が10数年前に勤めていた病院のことです。そこには私が医師になって、25年の間に、いまだ見たことのないおかしな医者がいました。彼は、腕は悪くないのですが、人間性がおかしいのです。朝は出勤してくるのは10時過ぎで、毎日外来の患者を1時間以上待たせていました。隣の外科外来で私は診療していましたから、患者の不満の声が聞こえてきました。それにカルテはほとんど記載せず、気分が向かないと、救急の患者の傷の処置でさえ手を抜きます。それがこじれてよく外科の方へ患者が回ってくることもありました。

 私はそれを見かねて院長に直訴したことが数度ありました。院長はそれを十分承知していて、困って苦慮しているようでした。しかし院長は、その町にしっかりした病院がそこ1つしかなく、代わりの医者のあてもないために、解雇できない状況でした。そしてまた、院長は、彼が辞めたら行くところはないとその身を案じていたのです。

 私は、責任者でもないので、彼は医者など辞めてしまって、他の仕事につけばいいと、院長に好き勝手のことを言っていました。

 今私が同じ院長の立場に立ってみると、その時その院長が言っていたことが分かる気がします。他に代わりの医者がいないときには、代えたくてもはっきり言えない院長の苦しい立場、あるいは部下の行く末を考えなければならない立場が理解できます。

 しばらくしてその医者は、若い看護婦に手を出して妊娠させ、辞めさせられたそうですが、その前にもその後にも、そういうおかしな医者には出会ったことがありませんから、ダメな医者とは、まさにその医者だと今も思っています。

 今は同じ病院の医者が他の医者を批判しています。批判される医者に非がない訳ではないにしても、その非は先に述べた駄目な医者の百分の1くらいなのです。それをおおごとのように騒ぎ立てるのは、やはり批判している者にも非があると考えていいと思います。

 聖書に的確な聖句があります。「人を裁くな、自分が裁かれないためである。人を裁くその秤で自分も裁かれる」とあります。


その10 縦と横

 組織は、縦のつながりと横のつながりによって成り立っています。

 縦のつながりとは、上司と部下の関係であり、横のつながりとは同僚仲間の関係です。

 問題が起きたときは、もちろん問題の内容にもよりますが、縦で解決することが大切です。横によって解決しようとすると、喧嘩になったり、陰口をたたくというようなおかしな方向に行ってしまい、人間関係がこじれて、問題がますます大きくなってしまいます。

 縦の関係すなわち直属の上司に訴えても解決されないときは、どうしたらいいのでしょうか。

 私の個人的な考えでは、三度やってもだめなときは、それを一つ飛び越えても許されると思っています。すなわち三度やっても、きちんとした返答がないときは、直属の上司の上司に持っていっても許されると思います。

 その三度の努力をせずに、すぐに上司を飛び越えてしまった場合は、告げ口のそしりを免れないでしょう。(1998年5月1日)


その11 二(に)の立場

 先日、一(いち)の立場についてお話ししましたので、今日は二の立場についてお話しします。

 二の立場とは、俗にいうナンバーツーのことです。二の立場の人は、一の立場の人の補佐役や女房役にならなければなりません。その立場は、上からは抑えつけられ、下からは突き上げられるという難しい立場にあります。

 この一の立場、二の立場が連結しているのが組織なのです。組織のトップに対しては二の立場にいる人も、その部署では一の立場に立ちます。そしてその部署の中には、他に二の立場の人がいるのです。

 このように、一の立場、二の立場が連結しているのが組織であり、その連結が有機的に機能しているとき、組織はスムーズに運行するのです。


その12 先駆者の道

 先駆者の道はいばらの道です。まだ誰も通ったことのない道を試行錯誤しながら歩まなければなりません。目的地はどちらにあるかも分からず、また途中に何が待ち受けているかも分かりません。穴に落ちてしまうかもしれませんし、猛獣に出会うかもしれません。そこを一歩一歩進むのです。

 先駆者が通った道を後から続くものは気が楽です。そこを通れば目的地に行き着くことが分かっているからです。山登りでも同じです。ですから登山ルートは、初めてそれを開拓した人の名前を、それをたたえてつけるのです。

 先駆者は、発想を飛躍させなければなりません。誰も歩いたことのない道なき道を行くのですから、前と同じ発想をしていては道は開けないのです。したがって飛躍する勇気が先駆者には必要とされるのです。

 これに対しで後継者は、持続できる人でなければなりません。持久力を持って、飽きることなくじっくりと構えられる人が、後継者にならなければなりません。

 このように人には、開拓する人、継承する人と、それぞれの役割分担があるのです。(1994年2月5日)


その13 自主性

 あるバス会社が、自社の交通事故が多く起こるため、安全運転対策のために、職員を二つのグループに分けて、次のことを試しました。

 Aのグループは、運転手を集めて講習会を開きました。講師が安全対策について講義をし、それを運転手は学習するグループです。いわゆる授業タイプです。

 Bのグループは、そのグループの仲間同士で話し合いを持たせました。自分たちでどうしたら事故を防げるかを話し合わせたのです。

 そして実際にその対策後の事故の発生率を調べたところ、Bグループの方が成績が良かったのです。

 これはBグループは、自分たちでその対策を考え、事故防止のためのルール作りを自分たちでしたからです。

 人間というものは、自分で決めたことは実行しなければならないという、自己規制が働きます。

 ところが、他人が決めたことは、やるにはやるにしても、心の底から自分のこととしてはしないのです。たとえそれが上司の決めたことでも同じです。

 これがBグループの方が成績がよかった理由です。

 今ではこれは常識となりつつあり、研修方法などもこの方法が取られるようになってきています。昔風の一方的な授業方式の研修は、あまり成果が上がらないことが分かっています。

 これは自主性の尊重ということです。人から命令されてやるのではなく、自らの創意工夫で事をなすのです。命令されてやる場合は、命令以上のことは期待できません。

 今や組織にとって、職員の自主性をいかに高めるかが、組織発展のための大きな課題なのです。(1997年6月2日)


その14 毛利元就に学ぶ

 今、NHK大河ドラマで毛利元就をやっています。彼は、中国地方の小豪族から、中国一帯を手中に収め、一代で戦国大名となった人物です。

 元就は三人の息子、隆元、隆影、元春に伝授した有名な「三本の矢」の教えがあります。それは三人が力を合わせて国を守れということですが、私にとってそのドラマを見て学んだことが、二つあります。

 一つは、元就が大きく中国の覇者として動き出したのは、59歳の高齢になってからということです。もちろん毛利を包囲していた大内や、尼子の勢力情勢がその時に変わったこともあったのですが、59歳の高齢でも守りに入らず、攻めに出たその気概には驚かされます。私も、50に近いと言って、負けてはおれないと思いました。

 第二の点は、元就は敵を落とすためにさまざまな策略を練ります。そしてその一番巧妙な手口は、敵の中に内部分裂を起こさせて自滅させてゆくのです。これから、組織は内紛によって崩壊することを学びました。

 組織は一丸となって目標に向かって進まなければなりません。従って、その団結を乱す者は、組織の敵といっても過言ではないのです。(1997年11月1日)


その15 日本シリーズ 横浜と西武

 98年の日本シリーズを見て面白いことを感じました。私は野球の面白さは、監督のさい配にあると思って見ているのですが、第一戦(9:4)、第二戦(4:0)は横浜の勝ち、第三戦(7:2)、第四戦(4:2)が西武の勝ち、第五戦(17:5)そして最後の第六戦(2:1)は横浜の勝ちでした。

 闘いは、私の見るところシリーズを通して五分五分だったと思います。ところが、第四戦と第五戦の闘い方が、横浜と西武で大きく違いました。第四戦は、8回裏まで4対2で西武がリードしていて、9回最後の横浜の攻撃のとき、二死満塁となりました。一打同点か逆転の場面です。結局、佐伯が三振して横浜が負けましたが、その勢いには、次につながる感じがしました。

 良く野球で、勢いとか流れということを言いますが、それは選手のムードや気分のことだと思います。いけるぞ、勝てるぞというムードがあると、ゲームはそのように展開していくのです。これはよく気持ちが積極的になれば物事も良い方向に動くという格言と同じです。

 ところが第五戦の西武は、せっかく8回に3点を追加して10対5と横浜を追い上げてきていたにもかかわらず、それまで追加点を許していた投手をそのまま変えずに、計10点取られて17対5になるまで投げさせてしまいました。これで追い上げムードはまったく断たれてしまい、最後は大魔神の佐々木に完全に抑えられました。

 このムードは次の試合に響いているはずです。「横浜は強い、負けるかも」という負の印象を西武は持ってしまったのです。これは流れからしたら大きなことです。

 11月2日のクローズアップ現代でも、この日本シリーズを取り上げていました。そしてそこでは、第6戦の8回の監督さい配を焦点に解説していました。

 8回裏に、西武が無死1塁となったところで、権藤監督は、川村を阿波野に切り替えて、ピンチをしのぎました。一方、8回裏に一死一、二塁となった西武は、西口を続投させました。その結果、駒田に2塁打を浴び、2点を取られてしまいました。その監督のさい配の違いを問題にしていたのです。

 私は、8回裏のハプニングは、西口のピッチングは川村に比して決して悪くなかったのですから、監督のさい配の間違いというより、運が悪かったといった方が良いように思います。そして失投の一球を見逃さずに打った駒田が殊勲選手だったのです。

 その証拠に、9回裏に登板した佐々木でさえ、まさかの野手の後逸で、1点を失いあわや逆転かと思われるような事態にまで至ったのでした。ここでは西武は簡単に併殺打を打ってしまい、ゲームセットになってしまいましたが、違いはこの一打と駒田の一打のみだと私には思えました。

 ひるがえって、巨人の野球は全くこれがないのです。私は元来の巨人ファンなのですが、今の巨人の戦いぶりにはどうも納得出来ません。他の球団から見れば、4番打者になれる選手が、代打の控えとして入っているほどの豊富な人材を擁しています。それだけの人材がいながら、強者の戦いができないのです。ただ技術だけで野球をやっているものですから、物理だけなのです。心理がないのです。だから弱いだけでなく、野球自体が面白くないのです。

 野球をこのような心理的側面から見ると実に面白いものです。また人事掌握などいろいろ仕事にも役立ちます。「野球は監督のさい配に面白みがある」と私が言ったのはこのためです。


その16 佐々木投手

 佐々木投手とは、言うまでもなく横浜ベイスターズの抑えの名手、大魔神、佐々木投手のことです。横浜ベイスターズの今年の優勝に大きく貢献し、正力賞も受賞しました。その佐々木投手の今シーズンの歩みを、十月二日のNHKドキュメントで放映していました。

 その中で、彼が8回か9回に抑えに起用されるまで、ブルペンで肩作りをして準備している姿が映し出されています。彼が起用されるのは、三点差以内で勝っているときにのみ彼の出番があることが、監督から言い渡されています。

 試合の進行模様をモニターで見ながら、出番がありそうなとき、いつでも投げられるように肩を作っていくのです。

 そして最後に出番が決まったとき、ブルペンで十球投げ、最後の球はフォークでしめることが彼の習慣になっているそうです。そこで気力、体力とも最高の調子に高めていって、マウンドに上がるのです。押さえの投手には、僅少差というそのプレッシャーを凌ぐ気迫が必要なのです。

 また低迷時代は、彼は自分のことばかり考えていたようですが、昨年から上位で戦うようになってからは、チームの勝利を優先するよう心掛けるようになったのです。そのために不節制な生活を改めたり、投げ方の研究をしたりして、チームに貢献するように努力したのです。

 このテレビを見ながら、彼には生まれもった才能があることはもちろん否定できませんが、その裏には、ひたむきな努力があることを私は感じました。その努力の積み重ねが、あのような実績を生んでいるのだと思います。

 それに、彼のやるべき仕事が、監督からきちんと伝えられているということは、注目に値します。どういう時に、どういう仕事をしなければならないかということが、監督からしっかりと指示されているということは、その人間の才能を十二分に引き出すためには大変大切なことだということを感じました。


その17 トップダウンとボトムアップ

 トップダウンとは、トップが決めたことを下に伝達命令するやり方です。またボトムアップとは、底辺からの声を拾い、それを吸収して物事を行うやり方です。

 現在当院では訪問診療をスタートしようとしています。常勤医師が4名になって手が増えたために、在宅ケアを少しずつ始めようと考えたためです。

 ところが医師は増えてもナースやその他のスタッフは増えていませんので、誰もあまり乗り気ではありません。仕事を増やしたくないというのが本音のところでしょう。やや見切り発車的なところがあったのですが、それを始めますと、初めは外来のナースは知らん顔をしていたしていたのですが、患者から電話などでそれについての問い合わせが来るものですから、なぜ外来抜きでやるのかと文句を言い出しました。私はそれを興味深く見ていました。

 トップダウンは上が決めたことを下に命令するやり方ですから、今はトップダウンするほどのマンパワーの余裕がありませんので、ジーッとボトムアップするのを待っているところです。そして私独りでそれを始めたのですが、トップダウンの時は「外来は関係ないよ」と言っていた人たちが、実際に始まるとなぜ相談せずにやるのかと言い出しています。これはおもしろい心理です。命令すればやりたくないというし、それでは無視してやるとなぜ無視してやるのかと文句を言います。

 私は今それをじっと見守っているところです。

 人を動かすには、これもひとつの方法かもしれません。すなわち、なぜ自分たちを無視してやるのかと文句を言うこと自体、それに対して良い意味でも悪い意味でも関心を持ったということです。あるいは関心を持たざるを得ない立場に立ったということです。

 そういう立場にたって初めて人間というのは、自分のこととして、物事をとらえることができるのです。それまでは、馬耳東風で、いくら言っても自分のこととしてはとらえず、他人事のように思っているのです。


その18 自分との闘い

 昔からよく、「闘いは自分との闘いである」といわれています。例えばマラソン選手が42.195キロの長い道のりを走っているとき、自分との闘い、あるいは孤独との闘いで走っているといわれます。すなわち、闘いとは自分の心の中での闘いであるというのです。したがって、闘いに勝つには、自分の心の中で勝たなければならないのです。

 これは私自身の経験からも、うなずけることです。私の高校時代、ある日の体育の時間に、腹筋の強さの競争をみんなでしました。先生がだれが1番長い間、腹筋運動を持続出来るかという競争をさせたのです。

 それは、体育館の床の上に全員が寝て、足のかかとを床から10センチほど上げたまま、どれだけの時間耐えられるかという競争だったのです。

 私はその時、これは自分自身との闘いだと思いました。それで自分自身の心の中に目標を作ったのです。すなわち自分が100を数えるまでこの腹筋を続けようと、自分だけの目標を作ったのです。ですから他の人たちがどうだということは全く関係ありません。

 その目標に到達するまで、いかに自分と闘うかということをだけを頭に置いたのです。そしてそれでずーとやっていますと、1人抜け2人抜けしてみんなが脱落しました。ただ私は自分の目標に向かって進んでいましたので、その目標が達するまでは止めまいと、それを続けていました。最後に私1人だけが残っても、なかなか私がギブアップしないので、先生もついにあきらめてそこで中止としました。

 いろいろな闘いがあるとき、相手を闘いの相手とすると、それは心理的に負けてしまいます。それは自分の心の中での闘いである、そしてその心の中で勝つということが分かると、それを目標に闘いをすることができるのです。


その19 思い入れと思い込み

 思い入れと思い込み、どちらもよく似た言葉です。しかし紙一重の差で違っています。

 思い入れとは、物事に思いを入れること、すなわち物事に熱心になることですが、ここでは自分を見失ってはいません。

 これに対して思い込みとは、思いを入れるまでは同じですが、その中に埋没してしまって自分を見失っています。ですから回りが全く見えません。まわりから見れば、何とおかしなことをしているのかと見えるのですが、本人は回りが全く見えませんから、それに気がつきません。

 思い入れはしても、思い込みはしてはいけません。そのためには時々客観的になってみる必要があります。それには第三者の意見を聞くこともいいでしょうし、その場からしばらく離れてみるのもいいでしょう。

 その中に埋没してしまい、回りが全く見えなくならないようにすることが大切だと思います。


その20 男女の問題

 ここでいう男女の問題は、恋愛という意味ではなく、俗にいう「不倫関係」のことです。配偶者のいる者が、他の異性と性的関係を持つことです。

 聖書は、不貞以外で妻を出すものは、彼女に姦淫を行なわせるものだと強く不倫を戒めています。

 男女の問題を起こさないためには、異性のいないところにいればいいのですが、この社会ではそうはいきません。それではどうしたらいいのかといいますと、特定の男女の関係が、クローズドすなわち二人だけの秘密にならないようにするのです。

 例えば、その二人で話をする場合はオープンで話をする。すなわち他人に分かるように話をするのです。二人だけの秘密を持ったり、クローズドの時間や場所を持つと、それはどんどんと深みにはまります。そのクローズドの心の交わりが、恋愛のスリルを産み、それがまたさらにクローズドな関係にしてゆきます。いったんそうなれば、その先は切っても切れない間柄になってしまいます。

 もしそうなってしまった場合は、どうしたらいいのでしょうか。

 愛は磁石と同じですから、物理的に離すしかないのです。辛いことですが、それをまずオープンにします。そして、時間的にも距離的にも交わることのできないように、物理的に離すしか方法はありません。それは一種の中毒のようなものです。独房に入れて、一時期、禁断症状の苦しみを経ないと元に戻りません。

 そしてリーダ的立場の人間が、この問題に引っかかるとその組織は崩壊していきます。上意下達もできなく、また下意上達もできなく、組織内が混乱に陥り、人間関係が崩壊していきます。

 これが是正できないときは、そのリーダー的人間は、その立場から退くべきです。そうしないと、その組織自体が崩壊してしまいます。(1998年10月21日)


その21 人前で話すこと

 私は元来、人前で話をすることはあまり得意な方ではありませんでした。しかしいろいろな立場に立たされて、人前で話さなければならないことは多々ありました。病院のミーティングや学会、講演会、時にはテレビの健康番組に出演したり、あるいはニュース番組のコメンテーターとして話をしたこともありました。

 そこで、人前で話す時の、私なりに会得した、コツというものを少し書いてみます。

 まず、経験をたくさん積み、慣れることが一番確かな方法です。

 次に、ある程度慣れた場合には、聴衆の一人一人を見つめ、語りかけるようにすることです。

 私はあるとき、80人くらいの人の前でセミナーの講師をしているとき、気づいたことがあります。それは、話しているうちに、聴衆の中の一人の人を見つめると、その人は目を伏せるのです。これは興味深い心理現象だと思いました。すなわち、聴衆が百人いようと千人いようと、一対一という立場に立つと、対等なのだということに気づきました。それまでは、百人いると、一対百という感覚でその場にいました。

 また、ある講演会で、自分が聴衆の一人でいた時に、講演者と目があったことがあります。そうすると、まさに一対一の立場になり、聴衆のひとりである自分の方が、圧倒されていることに気づいたことがあります。

 よく聴衆を、「カボチャと思え」ということが言われます。これは私は正しくないと思います。そう思うこと自体が、すでにその場に自分自身が呑み込まれてしまっていることを実証しているようなものです。

 私は、なるべく一人一人を見つめて話すことを心掛けました。すると不思議なことに、聴衆に圧倒されないのです。ある講演会で、千人を越える聴衆がいたのですが、その時も一人一人の聴衆の顔がよく見え、その一人一人に語りかけるよう努力すると、上がることがないということを感じました。

 ただしこれは、鶏が先か卵が先かという議論に通じ、話すことに慣れたから聴衆の一人一人を見つめることが出来るのかもしれません。(2000年2月1日)


その22 人間の立場

 人間の立たされる立場には3つあります。1つ目は個人の立場、2つ目は家庭人の立場、三つ目は社会人の立場です。

 個人の立場は、言葉どおり、個人として個性に応じて各々の目的を持ち、責任を遂行し自らの個性を培っていく立場です。

 家庭人の立場は、家庭の一員として親の立場であったり、子供の立場であったり、夫婦の立場であったりします。各々の立場に立ってその心情を体得していくのです。

 社会人の立場は、個人の集合体たる社会で、それぞれの行うべき責務を果たし、社会の機能を分担する立場です。この場は職場であったり、地域であったりします。

 この三つの立場を、同時に人間は日常生活において実践し学んでいます。そしてこの三者において責任をまっとうしている人間こそ、成長しつつある人間といえるのです。


その23 量から質への転化

 この言葉は、マルクス・エンゲルスが、弁証法的唯物論の中で述べている法則の1つです。マルクス・エンゲルスは、資本主義は自然の摂理によって社会主義、共産主義へと革命されると、この弁証法的唯物論を使って、革命理論を構築しました。今ではそれは間違いだったことが証明されたわけですが、その唯物論の法則にもうなずけるものがあります。

 その中の1つが、この量から質への転化というものです。これは、物は量がある程度まで膨らむと、質的変化をもたらすというものです。例えば、水はだんだんと温度が上がっていくと、ついには沸騰して水蒸気になります。逆に、どんどんと冷えていくと、氷になってしまい、質的変化を起こします。

 この病院でこの法則をあてはめてみれば、これまで再建のために、スタッフの数、患者の数、収入金額の増大など、量的側面ばかりが重視されてきました。これは、それが少ない間はその量を増やすことばかりが注目されたのですが、だんだんと増えてくると、今度は質的な変化をしなければならないことになります。例えば、病院のあり方そのものが問いただされなければならなくなります。今の病院のあり方が、地域のニーズに本当に合っているのか、それを点検し、合っていないところは改善しなければなりません。

 病院の運営自体も見直さなければなりません。例えば、外来における二診制の導入、受け付けから会計までの流れの点検、患者の受け付け順番や待ち時間対策など、細かな点は上げれば数限りなくあります。(1997年5月2日)


その24 合理化

 不況の時代に、すべての企業はその合理化に血眼になっています。製造工程でのコンマ1秒単位の短縮化など極限までの企業努力がなされています。

 あるテレビで紹介された製造工場では、従業員が歩く歩数までカウントして、時間短縮を図ろうとコンマ1秒の戦いをしていました。

 これに対して医療界はどうでしょうか。まさに規制によるがんじがらめです。ベッド当たりのスタッフの数、外来患者当たりのスタッフの数が完全に決められていて、その算出する計算式までもあります。

 採算を合わせるためには、合理化するか患者数を増やすしか方法はないのですが、その両者とも規制によって実行もままならないのです。

 例えば合理化しようと思えば当然スタッフの数を減らすことになるわけですが、患者当たりのスタッフの数が決められており、それを遵守しないと注意ひいては営業停止となります。患者が増えれば増えただけスタッフもそれに見合うだけ増やさなければならない仕組みなっていますから、合理化しようにも出来ないのです。

 これは昭和23年に作られた医療法に基づいているのですが、その当時の日本の医療界は、粗悪な状況にあったところに、進駐軍が刷新しようとしてこういった法律を作ったものと考えられます。それによって日本の病院の水準を高めることができたと高く評価はできますが、今日の医療界にあっては、保険財政のひっ迫に合って、桎梏化していると言わざるを得ません。

 日本の医療制度は、医療保険制度と医療機関制度の二本柱で運営されてきました。医療機関は、私的機関が圧倒的に多く、今まで、いわば病院を建てるのは、民間に任しておいた、というより民間だのみだったのです。

 その制度を、政府は保険制度で規制してきました。規制に従わないと、保険がききませんよという殺し文句で、医療機関を縛ってきたのです。

 介護保険も言ってみれば、高齢社会を迎えて医療保険ではまかないきれない分、高齢者の慢性病は医療から切り離して、安く済ませようという発想です。

 社会的入院、すなわち自宅に戻れる能力はあっても家族は受け入れないとか、独り生活なのでそれが無理だといったものは、確かに介護保険的発想で合理的に安く済ませるのもうなずけます。

 ところが今年の冬の老人病院などのインフルエンザ集団発生を見ると、厚生省は医療機関の対策のずさんさを指摘していますが、高齢者医療をそういった方向に誘導しているのが厚生省そのものなのです。(1999年10月1日)


その25 インフルエンザについて

 99年2月はインフルエンザがはやり、全国的にも老人ホームや精神科の病院で多くの犠牲者が出ました。当院の療養型病棟である三階でも、老人の肺炎が続出しましたが、幸いにも職員みんなの努力によりインフルエンザが蔓延することだけは防ぐことができました。先日保健所の方からその査察が入りました。瀬谷区では当院のみが療養型病棟を持っているので、当院がその対象になりました。幸いにもインフルエンザ肺炎によって死亡したとみなされる人は一人もいないということで、保健所の人も安心していました。

 皆さんもご存じであると思いますが、NHKのクローズアップ現代で、先日ある感染症の専門家が、今度のインフルエンザは高齢者には大変危険であるということが昨年十二月には分かっていたということを言っていました。私はそれを見て大変驚きました。なぜもっとわれわれ現場にその警告情報を流して、警戒するよう図らなかったのかということが残念に思われます。

 そこで私が考えたことは、今後介護保険が導入されますと、高齢者はより医療より遠ざけられることは間違いありません。そうなるともっと今回のようなインフルエンザの集団感染によって、高齢者の犠牲が多くなるように思います。そのようなことにならないように、関係当局には善処してもらいたいと思います。(1999年4月1日)


その26 コンピューター

 今日はコンピューターについてお話しします。

 私がコンピューターを始めたのは1983年からで、その頃日本でコンピューターが初めてパソコンとして使われ出した頃です。昨年パソコンをまた買いましたが、そのころのパソコンとはあまりにも性能が違っていて、驚いています。

 昔のパソコンは、一つのプログラムを実行するのに、フロッピーからいちいちプログラムをインストールし、初めて一つの作業ができるというものでした。今のパソコンは、いろんな作業のプログラムをデスクトップの上に置いて、一度にそれを利用できます。これは驚くべき機能差であります。

 ちょうどそのころ、すなわち1980年ころに、アメリカの未来学者であるアルビン・トフラーという人が「第三の波」という本を書き、世界的なベストセラーになりました。

 その中で彼は第一の波が農業革命、第二の波は産業革命、第三の波は情報通信革命であるということを言っていました。

 その情報革命とはすなわちコンピューターによる情報化という意味です。そのころすでにアメリカではそのコンピューターによる情報化の素地が社会的にあったということですから、今ようやく情報化社会に入っている日本は、十年から二十年、遅れていることになります。

 トフラー氏はその時、情報化社会が到来すれば、人々が仕事をするのに、1ヶ所に集まる必要性は極端に少なくなると、予言していました。

 先日のテレビでやっていたのですが、コンピューターのInternetによる世界会議をしたり、あるいは日本とドイツと共同でリアルタイムの手術を行ったりしているのを見ました。これはトフラー氏の予言が、現実化されている好例と思います。

 現在、日本の人口の30%がコンピューターを保有しており、そして11%がInternetを使用しているというデータが出ています。そして今年中には日本で二千万人のInternetのユーザーができるという風にも書いてありました。

 このようにこれからはどんどんと情報化社会となっていきます。

 情報化社会というのは、情報社会という意味とは違います。すべてが情報化すなわちデジタル化され、コンピューターによってコントロールされるという意味です。

 一方、情報社会というのは、情報が氾濫している社会のことを言います。すでに日本でも80年代に情報社会にはなっていたわけですが、情報化社会にはまだまだなっていません。

 私の娘がアメリカのミッションハイスクールに留学していますが、アメリカではInternetを使って勉強しているということです。Internetを使わないと高校の勉強についていけないそうです。医療者にしても、Internetを使ってリアルタイムの情報を得ていかないと、アメリカの医療にはついていけないということも言っていました。今のアメリカではそこまでInternetやあるいはコンピューターが日常生活に取り入れられているということです。

 私もInternetをやってみました。日本のInternetのホームページを開いてみましたが内容が非常に浅薄です。例えば厚生省のHPなど、政府のものでも内容は非常に希薄です。そこでは到底情報を引き出して勉強するというわけにはいきません。それに引き換えアメリカでは、そういった面のインフラが非常に整備されているということを知ることができます。日本はやはりそういう面ではアメリカに二十年近く遅れているといっても過言ではないと思います。

 これから医療界においては、カルテの電子化すなわち電子カルテが使われたり、あるいは遠隔医療といわれるように遠いところにいてもコンピューターを使って映像送ったり、相互に相談したり、患者の診察もInternetで出来るようになります。これからカルテ開示ということにつながるこの電子カルテというのも十年以内には実用化されていくことでしょう。

 それともう一つ重要なことは、Internetをアメリカでは80才近くのおばあさんが楽しんでやっているのを見ました。そこまで高齢になってから、初めてコンピューターをいじるのは大変なことです。ですからその前に、コンピューターを少しは使えるようになっておくことが大切だと思いました。

 コンピューターは頭さえしっかりしていれば、たとえ手足に障害ができても使うことができるのです。アメリカではそれが大変に発達していて、脊損のように手足が動かなくても目でコンピューターを操作するような装備もできています。脊損になった会社の社長さんが、アメリカからそういった装備を購入して、目でコンピューターを操作して事業を行って大変な事業を成功させているのがテレビで紹介されていました。ですから頭さえしっかりしていれば、何歳になろうとコンピューターを使って世界との交流することができるということも、これは大変な社会的な変革になると思います。(1999年5月1日)


その27 良いことをするのに遠慮は不要

 1989年のある日、 私が埼玉のあるクリニックで診療をしていたときのことです。ある浮浪者のような人が診療所に来ました。お金もなく病気になって困っていたのだと思いますが、その時、事務の人が、この人を受け付けていいか困りましたと私に言ってきました。自分としては見てあげたいけれど、診療所に迷惑がかかるんじゃないかと躊躇したのです。私はその時、お金があるかないかは二の次であって、まずその人の命を助けよう、それが私たちの務めであるという話をしました。

 良いことをするのに遠慮する必要はありません。もちろん病院は、まったくの奉仕事業ではありませんから、採算面も考えなければなりませんが、基本である人間の命を救うという使命を失ってはいけないし、その心をなくした医療はむなしいものであるということを私は思いました。(1991年10月1日)


その28 回転運動が必要

 宇宙の原則に、物事は回転運動をしているというのがあります。例えば地球は太陽の回りを回っているし、地球の回りを月が回っています。また原子の周りを、電子が回るというように回転運動が基本です。気候を見ても、春夏秋冬という四季が回転運動をしています。または地上の水は水蒸気となって空に上り、雨となって地上に降り注ぎます。その回転運動があるために、その現象は永遠に続くことができます。もしこれが一方向の直線運動である場合は、一方に進むだけで、同じ状態を永遠に保つことはできません。

 このように宇宙には1つの原則があります。これは私たちの社会生活においても言えることです。私たちの日常生活で当てはめれば、この回転運動というのは、コミュニケーションということができます。すなわち情報が上から下に、そして下から上にとめぐることがその回転運動です。これが円滑に進むことが、組織においては大変大切なことはよく言われています。

 私は、この回転運動の内的な心的なものとしては、愛情がそれに当たると思います。人と人との間の愛情がよく通う時に、その組織はスムーズに動きます。そして、外的なあるいは物理的な回転運動とは、情報の交換だと思います。この内的な回転運動と外的な回転運動がスムーズに行われると、その組織は円滑に動きます。

 そしてもう1つ言えることは、この回転運動があるところでとどこおったりすると、そこにはよどみができて、腐敗が生じます。例えば川の水なども、沼などでとどまってしまうと、その水は腐敗し汚水となります。

 したがって、すべての組織における、あるいは社会生活における物事は、回転運動を良しとし、絶えず動いていくことを良しとします。例えば、同一政党が長い間政権を持つと腐敗します。同じ人間が長い間権力を持つと腐敗します。全てにおいてこれがいえます。

 したがって、人事においても、腐敗が生ずる前に、人事の異動を行い、絶えずとどこおることのないようにしなければなりません。


その29 人生の目的は、自己を完成して宇宙の進化に寄与すること

 私が尊敬する、中村天風先生という方がいます。この方を知ったのは、野球の監督で有名な広岡達朗氏が、この先生の考え方を、西武の選手たちに教えて、それで、西武を優勝に導いたというエピソードがあるために、私はこの教えに大変関心を持ち、中村天風先生の著書を読みました。

 その中には、インドのヨガのカリアッパ大教師から教わった中村天風哲学というのがあります。

 それによると、宇宙霊(神)というのは、今にも人間の思いを実現しようと、私たちが積極的な思いを持つことを、待ち構えているというのです。そして私たちの生きる目的とは、自己を完成して、宇宙の進化に寄与することであるというのです。

 95年に、この病院は大変な危機を迎えましたが、私はその時大変な苦境に立たされ、毎日が追い詰められた日々でした。夜の11時を過ぎて、もう電話は来ないだろうという時になって、やっと心が落ち着くという状況でした。

 その時、この中村天風先生の本を何度も何度も読み返して、決してくじけてはならないというこの教えに、必死にしがみついていました。

 「どんな苦境に落とされようとも、心だけは病してはならない。心さえしっかり持っていれば、宇宙のマシンは必ず動き出して、新しい道が開ける」というのがこの教えでした。

 おかげで、道は開かれ、窮地を乗り越えることが出来ました。(1996年3月1日)


その30 百聞は一見にしかず

 「百聞は一見にしかず。百見は一考にしかず。百考は一行にしかず」

 これはある会社の社長さんがいった言葉です。百聞は一見にしかずとはよく言われますが、それは百回聞くよりも一回見る方がずっと勉強になるという意味です。

 さらにその社長さんは、百回見るよりも、一回考える方が勝っているということを付け加えています。そしてまた百回考えるよりも、一回行う方がもっと勝っているということを言っています。

 これは非常に興味深い言葉なので、私の心に残っています。聞くよりも、見るよりも、考えるよりも、行うことが、一番重要なことだということなのです。


その31 心を癒す言葉

 私がまだ若い医師の頃、ある年配の男性が、娘を連れて病院に来ました。その娘は急性虫垂炎の病気を患っていました。そこで外科の私が担当することになりました。その男性すなわち娘の父親は、戦争時代衛生兵をやっていたそうで、少し医療的なことに知識を持っていました。しかも、彼は建築会社の社長で、いかにもヤクザ風の男性でした。そして、なぜ自分の娘は、手術することに決まったわけではないのに、外科が担当するのかと、怒って医局に乗り込んできました。ワイワイ騒いでは、若い衆をそちらに差し向けるぞと脅かしてきます。取り付くしまもありません。

 「あなたは娘さんがかわいくないのか」と、同席した院長が言いました。すると、彼の顔はみるみるうちに紅潮し、今にも爆発しそうな顔つきなりました。

 「何に言っているんだ、かわいいから言ってるんじゃないか」と大声で叫びました。

 「かわいいなら、私たち専門の医師に任せなさい。盲腸を外科が担当するのは、手術するためではなく、いつ手術になってもいいようにしておくためなのだ。もし急変した場合は、外科がいなかったら手遅れになってしまう」と説明しました。

 話を終えると、彼の顔が、急に真顔になり、緊張が取れた顔になりました。それからは、スムーズな話し合いになりました。

 患者または患者の家族と話すときは、必ずその患者の命を救うことを中心に話せば、すべてのことがスムーズに話せます。患者の病気に対して真剣であればあるほど、患者の家族は、鋭い質問をしたり、おかしいと思われるほどの追求をします。その時、うるさい人だと思って、対応をいい加減にすると、かえって話がこじれてしまいます。それだけ家族は、患者の治療に対して熱心なのだと良い方に考え、こちらもそれに対して応えているということを示せば、それは通じ合うのです。(2000年6月1日)


その32 医療者としての毅然とした態度

 毎日、診療していると、いろいろな問題がおきます。医療における患者のクレームが出るのです。最近私が経験したそのクレームは、入院中に使用していたインシュリンのボトルが、退院時には期限切れとなっていたのに気付かず、そのボトルを患者さんに渡してしまったというものです。メーカーに問い合わせると、薬剤的にはまったく問題ないとのことでした。

 ところが、その患者は、もともとそういう性格なのか、あるいはそういうことに慣れているためなのか、いろいろ脅迫まがいのことを言ってクレームをつけてきました。それがあまりにしつこいので、私は弁護士に電話をして、その対処の方法を聞きました。弁護士は、毅然としてそういうものは一切受け付けないでいいと言いました。もしそれでも言ってくるなら、私の方にいうように言って下さいと、弁護士は言ってくれました。

 私はその時感じました。医療過誤でない限り、決して私たちはひるむことはない、毅然とした態度で、患者に接するべきであるということです。それは患者の命を守っているという誇りであり、医療者としての大切な姿勢だと思います。

 生半可ないい加減な気持ちで医療を行った場合は、そういう毅然とした態度は取れませんが、真剣にそれに取り組んでいるときには、たとえ小さな手違いがあろうとも、毅然とした態度で臨むべきです。


その33 診療の三原則

 患者を診療する際に、私は三つの原則をもっています。その1つは、「疑わしきは罰せよ」というものです。2つ目は、「深追いをするな」、3つ目は、「病気は顔に出る」というものです。

疑わしきは罰せよ

 私が外科をやっていたときです。小学校の男子生徒が、車にはねられたといって入院してきました。同僚の先輩外科医、その外科医は大変感がよく、手術の腕も高度な腕を持っていました。

 レントゲン写真を撮ったりあるいは超音波検査をやってもお腹には特別、出血などの異常はありません。腹膜炎を起こしているような所見もありません。しかし、顔色になんとなく生気がなく、先輩の外科医は、もしこれが交通事故でなかったら様子を見るが、交通事故なので何かお腹にあると疑い、お腹を開けることにしました。

 開けてみると、特別、腹水や出血があるわけでもないので、「空振りかな」と最初思っていました。そしてお腹の中を順番に調べていきますと、トライツ靭帯から数10センチのところの空腸が、破れていたのです。まだ小腸内容はほとんど腹腔内には漏れていませんでした。ほんの少しベラーグ(膿苔)がその周囲に着いていたぐらいです。

 見事にその外科医の感は当たりました。それでその空腸を縫合閉鎖して、手術は無事に終わりました。もちろん経過は良好で、その少年はすぐ退院することができました。

 特に外科などはこのことが大切です。どちらにしようか迷ったときは、最悪の方を考えて治療すべきです。もしそれで診断が外れても、患者には悪影響が少ないからです。反対に、軽く考えてそれが外れた場合は、手遅れとなり致命傷になることもあります。

深追いをするな

 外来や入院した患者が、時々よその病院に転院したいと希望してくることがあります。私はその理由などを聞いて正当であれば、それを認めることにしています。

 まだCTがなかったころのことです。時間外に、女子中学生が車にはねられて入院してきました。頭部外傷です。そこで脳の治療をしていましたが、家族が専門の病院を紹介して欲しいと言ってきました。夜を徹して一生懸命治療していた私たちとしては、少々憤りを感じましたが、家族の希望通りにすることにしました。

 夜も遅かったので、なかなか紹介する病院も見つかりませんでしたが、やっとのことで見つかり、その大病院に紹介しました。その病院でも特別なすすべがなく、ただ経過を観察していたようです。それで早朝に亡くなったという報告が入りました。

 自分が診断したりあるいは手につけた患者は、責任を持ってそれを最後まで治療したいと思うのが医者の良識です。しかし、患者や家族が希望した場合は、それに抵抗することなく、かれらの希望に沿うことが賢明です。ただし、そうすることが最適だという意味ではなく、ただ賢明だということです。

 往々にしてそれを拒み、メンツのために深追いすると、医療訴訟などを招いて、痛い目に会うことがあります。

病気は顔に出る

 私は、外来で患者が来た時に、風邪だと思われるような場合は、「これはいつもの風邪でいいんじゃない」と患者に聞いてみます。患者が素直にそう思いますと答えた場合は、ほとんどがそれで間違いありません。ところが、いつもとは違うとか、少しおかしいとかいうようなことを言った場合は、注意します。

 子供でない限り、患者は自分の体のことは知っています。そしてよくかかる病気は、大体自分で分かっています。それが分かりすぎていて、慣れっこになっている糖尿病の患者などは逆に困り者ですが、その患者の体験的知識を診療に役立てると有効です。

 ある高校生が、喉の下あたりが苦しいといって外来にきました。耳鼻科で見ても異常がないので、内科に回ってきました。私は気胸を疑って胸のレントゲンを撮りました。しかし、気胸はなく、中心陰影に、今まで見たことのない空気のような妙な影を見ます。

 その時はもう夕方で、翌日が連休になるという状況だったので、急を要しました。青年に、「総合病院を紹介するからどうするか」と、鎌をかけるつもりで聞いてみました。そうすると、その青年は、やっとの声を出して、「これが楽になるならそうしてほしい」と言いました。

 私はその顔付きと言い方を見て、これはおそらく重大なことが起きているなと直感しました。CTなどを撮ればはっきりするのですが、検査に時間がかかり、よその病院が終わってしまってはいけないと思い、総合病院にそのレントゲン写真のみで紹介しました。後で返事がきましたが、CTで縦隔気腫と診断されました。気管断裂を起こしたようです。

 患者の雰囲気、顔つきや元気さなどをトータルに見て、病気の重症度を判定します。この時の直感は大変大切なものです。

 患者の顔付きや雰囲気から、奥に潜んでいる患者の病気の重篤さを見抜かなければなりません。顔付きや全身から、患者の病気の重症さは、まさにオーラのように浮き出ているのです。


その34 人生はツール

 人生は、自らの成長のためのツール(道具)です。

 人生に起きるいろいろな人との出会い、出来事から、自分自身を成長させて行くのです。

 このツールを、人生の目的と誤解してしまうと、ツールにとらわれて本質を見失い、自分自身の成長は止まってしまいます。

 どんな仕事をしようと、それがツールであることを見通し、しかも、そのツールに対して真剣に取り組む時、職種を問わず、それは芸術の世界に到達します。まさにそれは魂の領域といえるでしょう。

 元首相の田中角栄氏は、貧しい青年時代、土木工事現場に身を置いていました。失意の只中にあったとき、「われわれは、地球に彫刻をしている芸術家だ」という先輩のひとことに救われたと述懐しています。

 あるベンチャービジネスのコンサルタントが言っていました。「何百人のベンチャービジネスを志す者を面接してきたが、なぜ今ベンチャーかと問うた時、金を儲けたいと答えた人は、一人も成功した人がいない。自分の夢を実現したいとか、自分の力を試したいとかいうことを言った人は成功している」と言っていました。

 マザーテレサが、「何をしたかよりも、そこにどれだけ愛を込めたかが大切だ」と言っていることも、これに通ずるものです。


(続く)