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雑感

99年2月3日 たまたま女、離婚と慰謝料

 風邪がはやっていますが、みなさん大丈夫ですか?私は年末年始にひきかけた以外は何とか本格的な風邪は防いでいます。なにしろ運動を全くと言っていいほどしていないので、体が弱って・・。風邪を引くと大事になりそうなので、外から帰ると必ず手洗いとうがいをしてます。12日からは旅行にでかけるので、それまでに風邪をひかないよう最大限の注意を払おうと思っています。


 私が某国会議員の事務所に勤めていることは先日の雑感でもお伝えしました。彼女が2年半前の選挙の時に作ったパンフレットの中のキャッチフレーズに「36歳、たまたま女です。」というのがありました。

 実は彼女、次の衆議院選挙では小選挙区(大阪府高槻市、島本町)からも出ることになったのですが、その選挙区は他に現職の女性議員が1人立候補を予定しているところなのです。そこで、彼女が同区から出ることを決めたのに対し、「なぜ女性同士で戦うんだ。」という声が支持者からあがったのです。それに対する彼女の回答はこちらを見ていただければと思うのですが、男同士が選挙で争うのはなにも非難されないのに、女同士が選挙で争うと「女の戦い」などと言われるのはおかしいというものです。男か女かというだけでなく、政策の中身で勝負すべきではないか。その個人がどういう政治家かという目から見ていくべきではというのです。至極まっとうなことではないでしょうか。

 以前、労働省の婦人局長(当時は既に「女性局長」だったか?)に男性が任命されたことがニュースになったことがありました。婦人局長は代々女性がなってきていたのに、男性がなるのは女性が登用される場を男性が奪うモノでけしからん!というものです。

 でも、男性でも男女平等の推進に積極的な人もいるはずで、そのような人がなれば「男女共同参画社会」の実現にとってプラスなのではないでしょうか。逆に、女性でも、既存の社会を変えることに否定的な人もいるので、そういう人が政策担当者になれば、上記社会の実現に役立たないかもしれません。当時の労働省の説明も以このようなもので、そうだよな〜、と思ったことを覚えています。

 優れた政治家か、公務員かは男か女かにかかわらず決まるべきものでしょう。このヒトおもしろいなあ、と思ってみてみたら、そのヒトがたまたま女(男)だった。そういう見方をされる人が増えてきた時に初めて男女平等社会が実現するのではないか、そういう気がします。


 そうそう。私のボスの議員の同僚議員に福島瑞穂さんがいます。彼女の書いた本を読んだことがあるのですが、その中に「離婚に際して慰謝料の支払いを命じるのはおかしい」という内容のものがありました。離婚についてどちらが悪いかを議論するのは適当でないというのです。

 うーん。確かに慰謝料についての争いを避け、離婚についての裁判を早く行うためには、そのような考え方も有意義かもしれません。でも、本当にそれでいいのでしょうか?不貞されて離婚に至った場合、浮気をした相手方に対して慰謝料を請求することを、愛情がさめたのだから仕方がないとして否定するのが妥当なのでしょうか?納得できない気がします。

 婚姻というのがどういうものかについてはいろんな考え方があるでしょうが、私は、いわば「愛情契約」だと思っています。愛情って何かというのは夫婦によって違うような気もしますが、同居しているかどうかにかかわりなく、互いに人生のパートナーとして生きていこうとする心とでも考えておきます。夫婦となるということはこの意味での愛情を持ち続ける義務を互いに負うということではないでしょうか。そんなの無理だよ、というかもしれませんが、そのような気持ちを持ち続ける意思の力がきわめて重要ではないか、そんな気がします。そのような意思を持つ努力を放棄して、愛情がなくなったから別れよう、なんて一方的に言うのは債務不履行であって、損害賠償責任を負ってしかるべきではないか。そう感じます。

 私も、愛情がなくなった夫婦をそのまま夫婦として結びつけておくことが妥当だとは思いません。しかし、愛情を持てなくなった責任が自分にある場合には、持てなくなったことによる責任をちゃんととれよ、と思うのです。そしてその責任の取り方としては、愛情を再び持てというのはほぼ不可能である以上、カネで解決するしかないでしょう。そして、浮気なんかして婚姻を解消しようとする場合には、懲罰的に高額の慰謝料を払わせるべきではないかなあ、とも。それだけの対価を支払ってまでもする浮気なら、まあ大したものだと感じられないでもありませんし。

 別に私は不倫や浮気がいっさいいけないとまではいいません。対価を払う覚悟なしに安易にやるのは妥当でない、そう思っているのです。

 福島さんの考え方の基底には、婚姻関係に安住して夫婦がお互いをかえりみなくなるという事態の抑止ということがあるようです。しかし、それは、婚姻契約の内容を精査して債務不履行責任が容易に認められるようにすることで対処すればいいのであり、損害賠償を否定する方向で対処すべき問題ではないのではないでしょうか。


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