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雑感

99年2月2日 修習地決定、周辺事態法案

 いつのまにか年を越し、1999年も2月になってしまいました。

 司法試験に合格しても、それで直ちに司法研修所に行けるというわけではなく、いちおう研修所の採用面接を経るのですが、先日、ようやく採用通知が来ました。1月下旬に送付と最高裁判所から言われていたので20日過ぎからハラハラして待っていたのですが、ようやく28日に来たのです。仕事から帰って、通知が来ていると聞いたときは、とりあえずホッとしました。

 ホッとした上で直ちに見たのが修習地がどこか。1年半の修習のうち1年間を占める実務修習を受ける場所です。最高裁判所に出した希望は、1横浜、2東京、3神戸、4大阪、5名古屋、6福岡、7那覇、8長崎の順でした。

 封を開けて中身をみると、なんと修習地は大阪。第4希望地です。

 いやあ、驚きました。京都、大阪、神戸は関西出身の方の希望が多いので、第1、第2希望以外では当たらないと思っていたものですから・・。

 大阪は母親の出身地で、知人の多くいるところでもあるので、修習地になったことについてはうれしく思っています。ただ不安なのが、修習する際に住むところです。大阪の賃貸住宅は、入居の際に保証金として家賃の8カ月分を支払う必要があるということを、以前聞いたことがあります。本当なのでしょうか。本当だとすると金策を講じなければ・・。


 ここ最近、以前アルバイトしていた国会議員の事務所で、また仕事をしています。今国会のヤマとなる重要法案に、いわゆる周辺事態法案があります。これは、周辺地域で日本の平和と安全に重大な影響を与える事態が生じた場合に、自衛隊が「後方」で船舶救難などを行えるようにすることなどを内容とするものです。日米安保条約締結時の国会議事録をずっと読んでいたのですが、条約締結時の説明では自衛隊は日本領土の外へは出ないと答弁されていたのに比べるとだいぶ違っています。日本の将来に重大な影響を与える法案で、かなり問題も多いと思うのですが、議論があまりなされていないのは、どうして?という気がします。

 だいたい、日本周辺で有事が生じているからといって、周辺事態だ!といって日本の自衛隊が出ていくことは、紛争当事国(特に米国の相手国)から見たらよけいな介入に映るし、敵国と見られてもしかたがないでしょう。そうなると、相手国の自衛権の行使によって日本が攻撃されることにもなってしまうのでは?

 2月1日の衆議院予算委員会の外務大臣の答弁では、米軍の行動は国際法上適法なものであり、相手方が違法な行為をしているということが前提とされていました。それゆえ、相手国から日本への攻撃は正当化されないということのようです。
 しかし、米軍の行動がすべて正しいということを当たり前のこととしてしまうのはどうなのでしょうか?米英軍によるイラク爆撃は、支持している国はむしろ少数で、国連決議に根拠があるかどうかも怪しいものです。グレナダ侵攻やベトナム戦争による北ベトナム空爆など、自国に都合のよい傀儡政権を作ってその同意を得たという名目の下に軍事侵攻を行うのが果たして正しいことなのか。日本としてただ「理解を示す。」だけで本当にいいのか疑問です。

 それに、自衛隊という名前とはいえ、軍隊が公海に、さらに当事国の同意を要件とするとはいえ、他国の領海にも出ていくというのは、憲法第9条で禁じられている武力による威嚇では?丸腰で行くわけではないのですから。

 この法案の必要性を主張する人たちは、日本の平和と安全に重大な影響を与える事態なのだから自衛隊が当然だといいます。しかし、よその国で起こっている紛争について日本の平和と安全に影響があるなんて勝手に認定するのは僭越ではないでしょうか。

 また、邦人救出や船舶の航行安全を図るために自衛隊の派遣は必要だとする意見もあります。しかし、外国に日本人が出ているのは、本人やその所属する組織が自主的に行っていることなんであって、その安全も個人や組織自身が図ればよいことなのではないでしょうか。国が軍隊を派遣してまで守る必要はないような気もします。邦人輸送なら民間機の派遣でよいことでしょうに。邦人救出を声高に叫ぶ人の中には経済面で自己責任を唱える人も多いのですが、なぜ安全面については自己責任ではなく国の責務を唱えるのか、不思議です。
 それに、歴史的に、侵略行為の中には自国民の安全、財産を守るということを名目に行われるものも多くみられました。阿片戦争しかり、第1次世界大戦時における日本軍の行為しかり。

 こういうと、外国に邦人救出をしてもらうだけなのは他人頼みでよろしくない、という意見があります。
 一方的に守ってもらうだけでは外国に対して申し訳がたたない、というのであれば、日本にいる外国人の人権の保障を積極的に図っていくことでお返しすればいいと思います。なのに、テポドン発射当時在日朝鮮人に対して行われたいやがらせに対する政府の対応のなんと鈍かったこと。ああいう場面で在日の人に何らかのいやがらせが行われることは今までの歴史から予想されるのだから、政府としては冷静な対応を国民に呼びかけることができたはずだし、またそうすべきではなかったのではないでしょうか。まあ、自民党政権としてはそんなことをしない方が、危機感を煽れてかえって都合がよかったのかもしれないけれど。

 それに、軍隊って国を守るためにあるというけれど、単なる人殺しの道具では?実際、軍隊は国土防衛よりもむしろ権力維持の道具、人民鎮圧の道具として使われることが目立つように思います。天安門事件における中国人民軍しかり、ハンガリー動乱やプラハの春におけるWTO軍の侵攻しかり。日本でも、1960年の安保条約締結時のデモ隊を鎮圧するために自衛隊の出動が考えられたことがありました(岸首相は発動を命じようとしたのですが、赤城防衛庁長官の反対により出動はならなかったそうです。)。国土防衛という色眼鏡をはずしてみると、軍隊は単なる暴力装置であり、その機能は人を殺傷すること。その結果(副産物)として国土防衛や治安維持という結果がもたらされることがある、というものではないでしょうか。国を守るために軍隊が必要、という人は、軍隊は国を守ってくれるものという幻想を捨てた方がいいと思います。

 このように軍を敵対視すると、ではいざ攻めてこられたときどうするのか、という声が挙がります。攻められた時に降参またはゲリラ的反抗するリスクと、軍隊を置くことで経費が必要となり、更なる軍事的緊張を呼び、また治安出動に使われて国民の権利を侵すこととなるリスク、どちらが大きいのでしょうか。そのようなリスク計算をした場合、日本国憲法の戦力放棄条項は合理的なものとして認められるのではないか、そして自衛隊のような軍隊を他国での紛争に関わらせるのはこのようなリスク計算を無にするものではないか。周辺事態法案についてはとうてい賛成できない、そういう気がしています。


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